第3章 年〜年

近鉄グループホールディングス:志摩スペイン村の建設とバファローズの球団合併

1988年〜名阪の客を取り戻すアーバンライナーと、京都市営地下鉄への乗り入れ

名阪間の特急は1963年に約70パーセントのシェアを持ち、年に224万人を運んでいた。新幹線の開業で所要時間の競争力を失い、シェアは1975年ごろに13パーセント程度まで下がった。その後の回復を支えたのは新幹線より片道2,660円安い運賃だった。1988年時点で、鉄道収入の約14%を名阪間の特急収入が占めていた。金森茂一郎社長のもと、近鉄は1988年3月に新型特急アーバンライナーの運転を始めた。6両編成3本の計18両を名阪ノンストップ15往復のうち6往復に充て、前年の同じ時間帯に比べて乗客を30パーセント増やした。金森茂一郎社長はさらに4編成を建造し、翌春までに10往復、その翌年には15往復すべてへ広げる計画を示した。

  • 運輸と経済 48(12) 1988年12月号「近畿日本鉄道――その経営観、事業戦略」吉原英樹・金森茂一郎・斎藤峻彦
    • [1]名阪特急は1963年にシェア約70%・224万人、新幹線開業後1975年ごろ13%程度まで低下。回復要因は新幹線より片道2,660円安い運賃。アーバンライナー6両3編成18両を名阪ノンストップ15往復中6往復に投入し前年同時間帯比30%増、4編成建造中で翌春10往復・翌々年15往復の計画
    • [2]名阪特急は1963年にシェア約70%・224万人、新幹線開業後1975年ごろ13%程度まで低下。回復要因は新幹線より片道2,660円安い運賃。アーバンライナー6両3編成18両を名阪ノンストップ15往復中6往復に投入し前年同時間帯比30%増、4編成建造中で翌春10往復・翌々年15往復の計画
    • [3]名阪特急は1963年にシェア約70%・224万人、新幹線開業後1975年ごろ13%程度まで低下。回復要因は新幹線より片道2,660円安い運賃。アーバンライナー6両3編成18両を名阪ノンストップ15往復中6往復に投入し前年同時間帯比30%増、4編成建造中で翌春10往復・翌々年15往復の計画
    • [6]名阪特急は1963年にシェア約70%・224万人、新幹線開業後1975年ごろ13%程度まで低下。回復要因は新幹線より片道2,660円安い運賃。アーバンライナー6両3編成18両を名阪ノンストップ15往復中6往復に投入し前年同時間帯比30%増、4編成建造中で翌春10往復・翌々年15往復の計画
    • [7]名阪特急は1963年にシェア約70%・224万人、新幹線開業後1975年ごろ13%程度まで低下。回復要因は新幹線より片道2,660円安い運賃。アーバンライナー6両3編成18両を名阪ノンストップ15往復中6往復に投入し前年同時間帯比30%増、4編成建造中で翌春10往復・翌々年15往復の計画
  • 投資月報 39(6) 1988年6月号「企業研究 近畿日本鉄道――不動産事業拡大でグループ力増強へ」
    • [4]名古屋~大阪難波間の特急収入は鉄道収入の約14%
  • 近鉄グループホールディングス 有価証券報告書 第114期(2025年3月期)【沿革】
    • [5]1988年3月アーバンライナー運転開始

1988年8月、近鉄は京都市営地下鉄烏丸線との相互直通運転を始めた。これに先立つ1986年10月には、東大阪線の開業と同時に大阪市営地下鉄中央線との直通を始めていた。東大阪線を奈良線のバイパスとして一体で運ぶため、近鉄は建設を担った子会社の東大阪生駒電鉄を1986年4月に吸収合併していた。1988年時点で、近鉄は京阪奈丘陵の周辺に約560haの土地を持っていた。京都線の高の原・新祝園の西側では木津川台住宅地120ヘクタールを造成し、2,200戸・8,500人の入居を見込んだ。烏丸線への直通は、京都線沿線で増える住民を乗り換えなしに京都の都心へ運び、沿線の土地の価値を高める狙いだったとみられる。

  • 近鉄グループホールディングス 有価証券報告書 第114期(2025年3月期)【沿革】
    • [8]1986年10月東大阪線開業と同時に大阪市営地下鉄中央線と相互直通、1988年8月京都市営地下鉄烏丸線と相互直通運転開始
    • [9]1986年10月東大阪線開業と同時に大阪市営地下鉄中央線と相互直通、1988年8月京都市営地下鉄烏丸線と相互直通運転開始
  • 汎交通 92(11) 1992年11月号「二十一世紀を見据えた新規事業の展開について――志摩スペイン村を中心として」田代和
    • [10]東大阪線を奈良線バイパスとして一体運営するため1986年4月に東大阪生駒電鉄を吸収合併。京都線高の原・山田川・新祝園の西側で木津川台住宅地120ha(最終2,200戸・8,500人)を造成
    • [12]東大阪線を奈良線バイパスとして一体運営するため1986年4月に東大阪生駒電鉄を吸収合併。京都線高の原・山田川・新祝園の西側で木津川台住宅地120ha(最終2,200戸・8,500人)を造成
  • 投資月報 39(6) 1988年6月号「企業研究 近畿日本鉄道――不動産事業拡大でグループ力増強へ」
    • [11]京阪奈丘陵周辺に約560haの土地を所有

1987年5月の運賃改定で鉄道部門の収益が改善し、1988年3月期の経常利益は38%増の140億円となる見込みだった。ただし改定の効果は薄れていき、博覧会の寄与が消える1990年3月期には約1割の減益が懸念された。近鉄本体の収入に占める鉄道の比重は、1988年までの15年ほど80%前後で推移していた。金森茂一郎氏は社長に就任すると『沿線の都市化』を社員に求め、鉄道と関連事業の双方で沿線の町の都市機能を高める方針を示した。近鉄は開発用の土地2,208haを持ち、そのうち1,380haで開発事業を進めていた。1991年度には付帯事業の売上が550億円と本社売上の20%強になり、鉄道部門の比重は75%に下がった。

  • 投資月報 39(6) 1988年6月号「企業研究 近畿日本鉄道――不動産事業拡大でグループ力増強へ」
    • [13]1987年5月の運賃改定で63/3期経常利益38%増140億円の見込み。改定効果が薄れ、奈良シルクロード博の寄与が消える65/3期は約1割減益の懸念。開発用土地2,208ha(業界3位)のうち1,380haでプロジェクト進行
    • [14]1987年5月の運賃改定で63/3期経常利益38%増140億円の見込み。改定効果が薄れ、奈良シルクロード博の寄与が消える65/3期は約1割減益の懸念。開発用土地2,208ha(業界3位)のうち1,380haでプロジェクト進行
    • [17]1987年5月の運賃改定で63/3期経常利益38%増140億円の見込み。改定効果が薄れ、奈良シルクロード博の寄与が消える65/3期は約1割減益の懸念。開発用土地2,208ha(業界3位)のうち1,380haでプロジェクト進行
  • 運輸と経済 48(12) 1988年12月号「近畿日本鉄道――その経営観、事業戦略」吉原英樹・金森茂一郎・斎藤峻彦
    • [15]近鉄本体の鉄道収入比重はここ15年ほど80%前後で他私鉄より高い。金森は社長就任時に「沿線の都市化」を掲げ、鉄道・関連事業とも沿線都市の機能充実に対応するよう社員に要請
    • [16]近鉄本体の鉄道収入比重はここ15年ほど80%前後で他私鉄より高い。金森は社長就任時に「沿線の都市化」を掲げ、鉄道・関連事業とも沿線都市の機能充実に対応するよう社員に要請
  • 汎交通 92(11) 1992年11月号「二十一世紀を見据えた新規事業の展開について――志摩スペイン村を中心として」田代和
    • [18]平成3年度の鉄道部門売上1,781億円(本社全売上の75%)、付帯事業売上550億円(全売上の20%強)
参考文献[1]-[18]
  • 運輸と経済 48(12) 1988年12月号「近畿日本鉄道――その経営観、事業戦略」吉原英樹・金森茂一郎・斎藤峻彦
    • [1]名阪特急は1963年にシェア約70%・224万人、新幹線開業後1975年ごろ13%程度まで低下。回復要因は新幹線より片道2,660円安い運賃。アーバンライナー6両3編成18両を名阪ノンストップ15往復中6往復に投入し前年同時間帯比30%増、4編成建造中で翌春10往復・翌々年15往復の計画
    • [2]名阪特急は1963年にシェア約70%・224万人、新幹線開業後1975年ごろ13%程度まで低下。回復要因は新幹線より片道2,660円安い運賃。アーバンライナー6両3編成18両を名阪ノンストップ15往復中6往復に投入し前年同時間帯比30%増、4編成建造中で翌春10往復・翌々年15往復の計画
    • [3]名阪特急は1963年にシェア約70%・224万人、新幹線開業後1975年ごろ13%程度まで低下。回復要因は新幹線より片道2,660円安い運賃。アーバンライナー6両3編成18両を名阪ノンストップ15往復中6往復に投入し前年同時間帯比30%増、4編成建造中で翌春10往復・翌々年15往復の計画
    • [6]名阪特急は1963年にシェア約70%・224万人、新幹線開業後1975年ごろ13%程度まで低下。回復要因は新幹線より片道2,660円安い運賃。アーバンライナー6両3編成18両を名阪ノンストップ15往復中6往復に投入し前年同時間帯比30%増、4編成建造中で翌春10往復・翌々年15往復の計画
    • [7]名阪特急は1963年にシェア約70%・224万人、新幹線開業後1975年ごろ13%程度まで低下。回復要因は新幹線より片道2,660円安い運賃。アーバンライナー6両3編成18両を名阪ノンストップ15往復中6往復に投入し前年同時間帯比30%増、4編成建造中で翌春10往復・翌々年15往復の計画
    • [15]近鉄本体の鉄道収入比重はここ15年ほど80%前後で他私鉄より高い。金森は社長就任時に「沿線の都市化」を掲げ、鉄道・関連事業とも沿線都市の機能充実に対応するよう社員に要請
    • [16]近鉄本体の鉄道収入比重はここ15年ほど80%前後で他私鉄より高い。金森は社長就任時に「沿線の都市化」を掲げ、鉄道・関連事業とも沿線都市の機能充実に対応するよう社員に要請
  • 投資月報 39(6) 1988年6月号「企業研究 近畿日本鉄道――不動産事業拡大でグループ力増強へ」
    • [4]名古屋~大阪難波間の特急収入は鉄道収入の約14%
    • [11]京阪奈丘陵周辺に約560haの土地を所有
    • [13]1987年5月の運賃改定で63/3期経常利益38%増140億円の見込み。改定効果が薄れ、奈良シルクロード博の寄与が消える65/3期は約1割減益の懸念。開発用土地2,208ha(業界3位)のうち1,380haでプロジェクト進行
    • [14]1987年5月の運賃改定で63/3期経常利益38%増140億円の見込み。改定効果が薄れ、奈良シルクロード博の寄与が消える65/3期は約1割減益の懸念。開発用土地2,208ha(業界3位)のうち1,380haでプロジェクト進行
    • [17]1987年5月の運賃改定で63/3期経常利益38%増140億円の見込み。改定効果が薄れ、奈良シルクロード博の寄与が消える65/3期は約1割減益の懸念。開発用土地2,208ha(業界3位)のうち1,380haでプロジェクト進行
  • 近鉄グループホールディングス 有価証券報告書 第114期(2025年3月期)【沿革】
    • [5]1988年3月アーバンライナー運転開始
    • [8]1986年10月東大阪線開業と同時に大阪市営地下鉄中央線と相互直通、1988年8月京都市営地下鉄烏丸線と相互直通運転開始
    • [9]1986年10月東大阪線開業と同時に大阪市営地下鉄中央線と相互直通、1988年8月京都市営地下鉄烏丸線と相互直通運転開始
  • 汎交通 92(11) 1992年11月号「二十一世紀を見据えた新規事業の展開について――志摩スペイン村を中心として」田代和
    • [10]東大阪線を奈良線バイパスとして一体運営するため1986年4月に東大阪生駒電鉄を吸収合併。京都線高の原・山田川・新祝園の西側で木津川台住宅地120ha(最終2,200戸・8,500人)を造成
    • [12]東大阪線を奈良線バイパスとして一体運営するため1986年4月に東大阪生駒電鉄を吸収合併。京都線高の原・山田川・新祝園の西側で木津川台住宅地120ha(最終2,200戸・8,500人)を造成
    • [18]平成3年度の鉄道部門売上1,781億円(本社全売上の75%)、付帯事業売上550億円(全売上の20%強)

1990年〜総額600億円の志摩スペイン村と、田代和社長が掲げた三つの課題

伊勢志摩の観光入り込み客は1970年代前半までに年間延べ1,300万人へ増えたが、その後は横ばいに転じた。三重県は地域を立て直すため三重サンベルトゾーン構想をまとめ、1988年にリゾート法の適用第1号の指定を受けた。近鉄はこの構想にレジャーランドなど4事業を提案し、総投資額は1,000億円を超える見込みだった。1988年時点で、近鉄は伊勢志摩地域に約520haの未開発用地を抱えていた。田代和副社長は1992年、伊勢志摩への路線を『経営基盤安定へのいわば生命線』と位置づけた。運営会社の株式会社志摩スペイン村は1991年5月に設立された。近鉄グループは志摩スペイン村の建設に600億円を投じた。

  • 汎交通 92(11) 1992年11月号「二十一世紀を見据えた新規事業の展開について――志摩スペイン村を中心として」田代和
    • [19]伊勢志摩の入り込み客は昭和40年代に延べ年間1,300万人まで増え、50年代は横ばい。三重サンベルトゾーン構想が昭和63年にリゾート法指定第1号。伊勢志摩への路線を経営基盤安定の生命線と認識
    • [20]伊勢志摩の入り込み客は昭和40年代に延べ年間1,300万人まで増え、50年代は横ばい。三重サンベルトゾーン構想が昭和63年にリゾート法指定第1号。伊勢志摩への路線を経営基盤安定の生命線と認識
    • [23]伊勢志摩の入り込み客は昭和40年代に延べ年間1,300万人まで増え、50年代は横ばい。三重サンベルトゾーン構想が昭和63年にリゾート法指定第1号。伊勢志摩への路線を経営基盤安定の生命線と認識
  • 投資月報 39(6) 1988年6月号「企業研究 近畿日本鉄道――不動産事業拡大でグループ力増強へ」
    • [21]三重サンベルトゾーン構想に近鉄がレジャーランド・マリンリゾート・コンドミニアム・賢島アーバンリゾートの4事業を提案、総投資額1,000億円超の見込み。伊勢志摩に約520haの未開発用地
    • [22]三重サンベルトゾーン構想に近鉄がレジャーランド・マリンリゾート・コンドミニアム・賢島アーバンリゾートの4事業を提案、総投資額1,000億円超の見込み。伊勢志摩に約520haの未開発用地
  • 近畿日本鉄道・近鉄グループホールディングス 有価証券報告書 第95期(2006年3月期)〜第114期(2025年3月期)【沿革】【関係会社の状況】【設備の状況】【企業結合等関係】
    • [24]運営会社の株式会社志摩スペイン村を1991年5月に設立
  • 日本産業史 4(1994年)「サービス-新たなフロンティアに」
    • [25]近鉄グループは三重県に600億円を投じて志摩スペイン村を建設し平成6年に開業

1994年3月に伊勢志摩ライナーの運転を始め、翌4月にテーマパーク「パルケエスパーニャ」とホテル志摩スペイン村を開業した。近鉄は1970年の大阪万博の際も、鳥羽線の新設と鳥羽〜賢島間の改良で三大都市と奥志摩を直結していた。今回も鳥羽〜賢島間の志摩線で、1994年の完成を目標に複線化を進めた。計画地は磯部町の的矢湾を望む約113ヘクタールで、テーマパークに34ヘクタール、ホテルに8ヘクタールを割いた。電車なら大阪から約2時間半、名古屋から約2時間で、最寄りの磯部駅からシャトルバスで10分の距離とされた。開業の1か月前に新型特急を投じた順序から、テーマパークの集客を特急の利用へつなげる設計だったと推察される。

  • 近鉄グループホールディングス 有価証券報告書 第114期(2025年3月期)【沿革】
    • [26]1994年3月伊勢志摩ライナー運転開始、4月志摩スペイン村(パルケエスパーニャ、ホテル志摩スペイン村)開業
  • 汎交通 92(11) 1992年11月号「二十一世紀を見据えた新規事業の展開について――志摩スペイン村を中心として」田代和
    • [27]1970年万博時に鳥羽線建設と鳥羽~賢島間改良で大阪・京都・名古屋と奥志摩を直結。スペイン村は磯部町の的矢湾を望む約113ha(パルケエスパーニャ34ha、ホテル8ha)、大阪から約2時間半・名古屋から約2時間、磯部駅からシャトルバス10分
    • [29]1970年万博時に鳥羽線建設と鳥羽~賢島間改良で大阪・京都・名古屋と奥志摩を直結。スペイン村は磯部町の的矢湾を望む約113ha(パルケエスパーニャ34ha、ホテル8ha)、大阪から約2時間半・名古屋から約2時間、磯部駅からシャトルバス10分
    • [30]1970年万博時に鳥羽線建設と鳥羽~賢島間改良で大阪・京都・名古屋と奥志摩を直結。スペイン村は磯部町の的矢湾を望む約113ha(パルケエスパーニャ34ha、ホテル8ha)、大阪から約2時間半・名古屋から約2時間、磯部駅からシャトルバス10分
  • 投資月報 39(6) 1988年6月号「企業研究 近畿日本鉄道――不動産事業拡大でグループ力増強へ」
    • [28]昭和69年完成を目標に志摩線(鳥羽~賢島間)の複線化を進める

1994年に社長となった田代和氏は、就任1年目に運賃改定に取り組んだ。1995年1月1日に申請し、6月9日の認可を経て9月1日に新運賃を実施した。田代和社長は、JRの一部が唱えるプライスキャップ制を民営鉄道にそのまま当てはめることに反対した。輸送力増強とサービス改善、運転保安に要る費用を適正に評価し、運賃に反映させる立場を取った。次の大型事業には京阪奈新線を据え、全社を挙げて取り組む考えを示した。この新線は1989年5月の運輸政策審議会の答申で、2005年をめどに整備するのが適当とされていた。1992年時点で近鉄は、学研都市の成熟を見極めつつ助成策の拡充を実現の条件に挙げていた。

  • 働く広場 (230) 1996年11月号「各界百聞 楽天的であれ、しかし、楽観すべからず」田代和
    • [31]田代和は1994年に代表取締役社長に就任
  • トランスポート 45(11) 1995年11月号「近畿日本鉄道(株) 田代和社長に聞く」
    • [32]運賃改定を1995年1月1日申請・6月9日認可・9月1日実施。プライスキャップ制を民鉄にそのまま当てはめることに反対し、輸送力増強・サービス改善・運転保安のコストの適正評価を主張。残る事業として京阪奈新線に全社で取り組む
    • [33]運賃改定を1995年1月1日申請・6月9日認可・9月1日実施。プライスキャップ制を民鉄にそのまま当てはめることに反対し、輸送力増強・サービス改善・運転保安のコストの適正評価を主張。残る事業として京阪奈新線に全社で取り組む
    • [34]運賃改定を1995年1月1日申請・6月9日認可・9月1日実施。プライスキャップ制を民鉄にそのまま当てはめることに反対し、輸送力増強・サービス改善・運転保安のコストの適正評価を主張。残る事業として京阪奈新線に全社で取り組む
    • [35]運賃改定を1995年1月1日申請・6月9日認可・9月1日実施。プライスキャップ制を民鉄にそのまま当てはめることに反対し、輸送力増強・サービス改善・運転保安のコストの適正評価を主張。残る事業として京阪奈新線に全社で取り組む
  • 汎交通 92(11) 1992年11月号「二十一世紀を見据えた新規事業の展開について――志摩スペイン村を中心として」田代和
    • [36]京阪奈新線は平成元年5月の運輸政策審議会答申で2005年までの整備が適当とされた。学研都市の成熟を見極め、助成策の拡充を期待しつつ研究
    • [37]京阪奈新線は平成元年5月の運輸政策審議会答申で2005年までの整備が適当とされた。学研都市の成熟を見極め、助成策の拡充を期待しつつ研究
参考文献[19]-[37]
  • 汎交通 92(11) 1992年11月号「二十一世紀を見据えた新規事業の展開について――志摩スペイン村を中心として」田代和
    • [19]伊勢志摩の入り込み客は昭和40年代に延べ年間1,300万人まで増え、50年代は横ばい。三重サンベルトゾーン構想が昭和63年にリゾート法指定第1号。伊勢志摩への路線を経営基盤安定の生命線と認識
    • [20]伊勢志摩の入り込み客は昭和40年代に延べ年間1,300万人まで増え、50年代は横ばい。三重サンベルトゾーン構想が昭和63年にリゾート法指定第1号。伊勢志摩への路線を経営基盤安定の生命線と認識
    • [23]伊勢志摩の入り込み客は昭和40年代に延べ年間1,300万人まで増え、50年代は横ばい。三重サンベルトゾーン構想が昭和63年にリゾート法指定第1号。伊勢志摩への路線を経営基盤安定の生命線と認識
    • [27]1970年万博時に鳥羽線建設と鳥羽~賢島間改良で大阪・京都・名古屋と奥志摩を直結。スペイン村は磯部町の的矢湾を望む約113ha(パルケエスパーニャ34ha、ホテル8ha)、大阪から約2時間半・名古屋から約2時間、磯部駅からシャトルバス10分
    • [29]1970年万博時に鳥羽線建設と鳥羽~賢島間改良で大阪・京都・名古屋と奥志摩を直結。スペイン村は磯部町の的矢湾を望む約113ha(パルケエスパーニャ34ha、ホテル8ha)、大阪から約2時間半・名古屋から約2時間、磯部駅からシャトルバス10分
    • [30]1970年万博時に鳥羽線建設と鳥羽~賢島間改良で大阪・京都・名古屋と奥志摩を直結。スペイン村は磯部町の的矢湾を望む約113ha(パルケエスパーニャ34ha、ホテル8ha)、大阪から約2時間半・名古屋から約2時間、磯部駅からシャトルバス10分
    • [36]京阪奈新線は平成元年5月の運輸政策審議会答申で2005年までの整備が適当とされた。学研都市の成熟を見極め、助成策の拡充を期待しつつ研究
    • [37]京阪奈新線は平成元年5月の運輸政策審議会答申で2005年までの整備が適当とされた。学研都市の成熟を見極め、助成策の拡充を期待しつつ研究
  • 投資月報 39(6) 1988年6月号「企業研究 近畿日本鉄道――不動産事業拡大でグループ力増強へ」
    • [21]三重サンベルトゾーン構想に近鉄がレジャーランド・マリンリゾート・コンドミニアム・賢島アーバンリゾートの4事業を提案、総投資額1,000億円超の見込み。伊勢志摩に約520haの未開発用地
    • [22]三重サンベルトゾーン構想に近鉄がレジャーランド・マリンリゾート・コンドミニアム・賢島アーバンリゾートの4事業を提案、総投資額1,000億円超の見込み。伊勢志摩に約520haの未開発用地
    • [28]昭和69年完成を目標に志摩線(鳥羽~賢島間)の複線化を進める
  • 近畿日本鉄道・近鉄グループホールディングス 有価証券報告書 第95期(2006年3月期)〜第114期(2025年3月期)【沿革】【関係会社の状況】【設備の状況】【企業結合等関係】
    • [24]運営会社の株式会社志摩スペイン村を1991年5月に設立
  • 日本産業史 4(1994年)「サービス-新たなフロンティアに」
    • [25]近鉄グループは三重県に600億円を投じて志摩スペイン村を建設し平成6年に開業
  • 近鉄グループホールディングス 有価証券報告書 第114期(2025年3月期)【沿革】
    • [26]1994年3月伊勢志摩ライナー運転開始、4月志摩スペイン村(パルケエスパーニャ、ホテル志摩スペイン村)開業
  • 働く広場 (230) 1996年11月号「各界百聞 楽天的であれ、しかし、楽観すべからず」田代和
    • [31]田代和は1994年に代表取締役社長に就任
  • トランスポート 45(11) 1995年11月号「近畿日本鉄道(株) 田代和社長に聞く」
    • [32]運賃改定を1995年1月1日申請・6月9日認可・9月1日実施。プライスキャップ制を民鉄にそのまま当てはめることに反対し、輸送力増強・サービス改善・運転保安のコストの適正評価を主張。残る事業として京阪奈新線に全社で取り組む
    • [33]運賃改定を1995年1月1日申請・6月9日認可・9月1日実施。プライスキャップ制を民鉄にそのまま当てはめることに反対し、輸送力増強・サービス改善・運転保安のコストの適正評価を主張。残る事業として京阪奈新線に全社で取り組む
    • [34]運賃改定を1995年1月1日申請・6月9日認可・9月1日実施。プライスキャップ制を民鉄にそのまま当てはめることに反対し、輸送力増強・サービス改善・運転保安のコストの適正評価を主張。残る事業として京阪奈新線に全社で取り組む
    • [35]運賃改定を1995年1月1日申請・6月9日認可・9月1日実施。プライスキャップ制を民鉄にそのまま当てはめることに反対し、輸送力増強・サービス改善・運転保安のコストの適正評価を主張。残る事業として京阪奈新線に全社で取り組む

1999年〜近鉄バスの分社とOSK日本歌劇団の手放し、バファローズの球団合併

1992年時点で、近鉄はバス部門を本社で直営していた。路線は乗合が約560キロ、長距離高速バスが2,900キロ強で、乗合・貸切の保有車両は435両だった。1991年度の自動車部門の売上は109億円で、本社全体の5%弱にとどまった。乗合バスの1日平均輸送人員は約9万人で、年平均3.2%程度の割合で減り続けていた。田代和副社長は1992年時点で、この減少に下げ止まりの兆候は見えないとしていた。1999年10月、近鉄はこのバス事業を近鉄バスに譲渡した。分社は、利用の細る乗合バスを鉄道と切り離し、別の費用構造で運営させるための措置だったと考えられる。

  • 汎交通 92(11) 1992年11月号「二十一世紀を見据えた新規事業の展開について――志摩スペイン村を中心として」田代和
    • [38]本社でバス部門を直営。乗合約560km・高速バス2,900km強、保有車両435両。乗合の1日平均輸送人員約9万人で年平均3.2%程度漸減し下げ止まりの兆候なし。平成3年度の自動車部門売上109億円(全売上の5%弱)
    • [39]本社でバス部門を直営。乗合約560km・高速バス2,900km強、保有車両435両。乗合の1日平均輸送人員約9万人で年平均3.2%程度漸減し下げ止まりの兆候なし。平成3年度の自動車部門売上109億円(全売上の5%弱)
    • [40]本社でバス部門を直営。乗合約560km・高速バス2,900km強、保有車両435両。乗合の1日平均輸送人員約9万人で年平均3.2%程度漸減し下げ止まりの兆候なし。平成3年度の自動車部門売上109億円(全売上の5%弱)
    • [41]本社でバス部門を直営。乗合約560km・高速バス2,900km強、保有車両435両。乗合の1日平均輸送人員約9万人で年平均3.2%程度漸減し下げ止まりの兆候なし。平成3年度の自動車部門売上109億円(全売上の5%弱)
    • [42]本社でバス部門を直営。乗合約560km・高速バス2,900km強、保有車両435両。乗合の1日平均輸送人員約9万人で年平均3.2%程度漸減し下げ止まりの兆候なし。平成3年度の自動車部門売上109億円(全売上の5%弱)
  • 近鉄グループホールディングス 有価証券報告書 第114期(2025年3月期)【沿革】
    • [43]1999年10月バス事業を近鉄バス㈱に譲渡

2002年4月、近鉄は近鉄不動産、京近土地、近鉄ビルディングの3社を合併した。近鉄の連結決算は2002年3月期まで3期続けて最終赤字となり、無配に転じていた。連結の当期純損失は2002年3月期が34,504百万円、2003年3月期が50,497百万円だった。近鉄は2002年6月末、グループ企業の整理と統合を主軸とする「グループ経営改善計画」をまとめた。その第1弾として、OSK日本歌劇団への支援を打ち切った。近鉄は1990年代以降、年間売上高6億~7億円の劇団に毎年3億5000万円を援助していた。81年続いた劇団は支援を失い、2003年5月末に解散した。

  • 近鉄グループホールディングス 有価証券報告書 第114期(2025年3月期)【沿革】
    • [44]2002年4月近鉄不動産㈱・京近土地㈱・近鉄ビルディング㈱を合併
  • 日経ビジネス 2003年5月26日号
    • [45]近鉄は2002年3月期連結で3年連続最終赤字・無配。2002年6月末にグループ経営改善計画を作成し、第1弾がOSKへの支援打ち切り。90年代以降、年間売上高6億~7億円に対し毎年3億5000万円を援助。OSKは81年の歴史で2003年5月末に解散
    • [47]近鉄は2002年3月期連結で3年連続最終赤字・無配。2002年6月末にグループ経営改善計画を作成し、第1弾がOSKへの支援打ち切り。90年代以降、年間売上高6億~7億円に対し毎年3億5000万円を援助。OSKは81年の歴史で2003年5月末に解散
    • [48]近鉄は2002年3月期連結で3年連続最終赤字・無配。2002年6月末にグループ経営改善計画を作成し、第1弾がOSKへの支援打ち切り。90年代以降、年間売上高6億~7億円に対し毎年3億5000万円を援助。OSKは81年の歴史で2003年5月末に解散
    • [49]近鉄は2002年3月期連結で3年連続最終赤字・無配。2002年6月末にグループ経営改善計画を作成し、第1弾がOSKへの支援打ち切り。90年代以降、年間売上高6億~7億円に対し毎年3億5000万円を援助。OSKは81年の歴史で2003年5月末に解散
    • [50]近鉄は2002年3月期連結で3年連続最終赤字・無配。2002年6月末にグループ経営改善計画を作成し、第1弾がOSKへの支援打ち切り。90年代以降、年間売上高6億~7億円に対し毎年3億5000万円を援助。OSKは81年の歴史で2003年5月末に解散
  • 近畿日本鉄道 有価証券報告書 第95期(2006年3月期)【主要な経営指標等の推移】
    • [46]連結当期純損益は2002年3月期-34,504百万円、2003年3月期-50,497百万円

2004年1月、近鉄は球団の命名権を売ろうとしたが、プロ野球界に拒まれた。関西電力、大阪ガス、松下電器産業の3社にも球団の売却を持ちかけたが、いずれも断られた。同年6月13日、近鉄は大阪近鉄バファローズとオリックス・ブルーウェーブの合併合意を発表した。山口昌紀社長のもと、連結子会社の大阪バファローズは同年11月にプロ野球事業をオリックス野球クラブへ譲渡した。球団を抱えていたレジャー・サービス業は、2005年3月期に2,784百万円の営業損失を計上していた。撤退後の2006年3月期にこの区分は2,874百万円の営業利益へ転じたが、ホテル業の黒字化を含んだ数字だった。

  • 日経ビジネス 2004年9月20日号 特集
    • [51]近鉄は2004年1月に球団命名権の売却を試みプロ野球界に拒絶され、関西電力・大阪ガス・松下電器産業への売却提案も断られ、6月13日にオリックスとの合併合意を発表
    • [52]近鉄は2004年1月に球団命名権の売却を試みプロ野球界に拒絶され、関西電力・大阪ガス・松下電器産業への売却提案も断られ、6月13日にオリックスとの合併合意を発表
    • [53]近鉄は2004年1月に球団命名権の売却を試みプロ野球界に拒絶され、関西電力・大阪ガス・松下電器産業への売却提案も断られ、6月13日にオリックスとの合併合意を発表
  • 近畿日本鉄道 有価証券報告書 第95期(2006年3月期)【沿革】【連結財務諸表作成のための基本となる重要な事項】
    • [54]2004年11月、連結子会社の㈱大阪バファローズがプロ野球事業をオリックス野球クラブ㈱へ譲渡。社長は山口昌紀
  • 近畿日本鉄道 有価証券報告書 第95期(2006年3月期)【事業の種類別セグメント情報】
    • [55]レジャー・サービス業の営業損益は2005年3月期2,784百万円の損失、2006年3月期2,874百万円の利益(ホテル業の黒字化を含む)
    • [56]レジャー・サービス業の営業損益は2005年3月期2,784百万円の損失、2006年3月期2,874百万円の利益(ホテル業の黒字化を含む)
参考文献[38]-[56]
  • 汎交通 92(11) 1992年11月号「二十一世紀を見据えた新規事業の展開について――志摩スペイン村を中心として」田代和
    • [38]本社でバス部門を直営。乗合約560km・高速バス2,900km強、保有車両435両。乗合の1日平均輸送人員約9万人で年平均3.2%程度漸減し下げ止まりの兆候なし。平成3年度の自動車部門売上109億円(全売上の5%弱)
    • [39]本社でバス部門を直営。乗合約560km・高速バス2,900km強、保有車両435両。乗合の1日平均輸送人員約9万人で年平均3.2%程度漸減し下げ止まりの兆候なし。平成3年度の自動車部門売上109億円(全売上の5%弱)
    • [40]本社でバス部門を直営。乗合約560km・高速バス2,900km強、保有車両435両。乗合の1日平均輸送人員約9万人で年平均3.2%程度漸減し下げ止まりの兆候なし。平成3年度の自動車部門売上109億円(全売上の5%弱)
    • [41]本社でバス部門を直営。乗合約560km・高速バス2,900km強、保有車両435両。乗合の1日平均輸送人員約9万人で年平均3.2%程度漸減し下げ止まりの兆候なし。平成3年度の自動車部門売上109億円(全売上の5%弱)
    • [42]本社でバス部門を直営。乗合約560km・高速バス2,900km強、保有車両435両。乗合の1日平均輸送人員約9万人で年平均3.2%程度漸減し下げ止まりの兆候なし。平成3年度の自動車部門売上109億円(全売上の5%弱)
  • 近鉄グループホールディングス 有価証券報告書 第114期(2025年3月期)【沿革】
    • [43]1999年10月バス事業を近鉄バス㈱に譲渡
    • [44]2002年4月近鉄不動産㈱・京近土地㈱・近鉄ビルディング㈱を合併
  • 日経ビジネス 2003年5月26日号
    • [45]近鉄は2002年3月期連結で3年連続最終赤字・無配。2002年6月末にグループ経営改善計画を作成し、第1弾がOSKへの支援打ち切り。90年代以降、年間売上高6億~7億円に対し毎年3億5000万円を援助。OSKは81年の歴史で2003年5月末に解散
    • [47]近鉄は2002年3月期連結で3年連続最終赤字・無配。2002年6月末にグループ経営改善計画を作成し、第1弾がOSKへの支援打ち切り。90年代以降、年間売上高6億~7億円に対し毎年3億5000万円を援助。OSKは81年の歴史で2003年5月末に解散
    • [48]近鉄は2002年3月期連結で3年連続最終赤字・無配。2002年6月末にグループ経営改善計画を作成し、第1弾がOSKへの支援打ち切り。90年代以降、年間売上高6億~7億円に対し毎年3億5000万円を援助。OSKは81年の歴史で2003年5月末に解散
    • [49]近鉄は2002年3月期連結で3年連続最終赤字・無配。2002年6月末にグループ経営改善計画を作成し、第1弾がOSKへの支援打ち切り。90年代以降、年間売上高6億~7億円に対し毎年3億5000万円を援助。OSKは81年の歴史で2003年5月末に解散
    • [50]近鉄は2002年3月期連結で3年連続最終赤字・無配。2002年6月末にグループ経営改善計画を作成し、第1弾がOSKへの支援打ち切り。90年代以降、年間売上高6億~7億円に対し毎年3億5000万円を援助。OSKは81年の歴史で2003年5月末に解散
  • 近畿日本鉄道 有価証券報告書 第95期(2006年3月期)【主要な経営指標等の推移】
    • [46]連結当期純損益は2002年3月期-34,504百万円、2003年3月期-50,497百万円
  • 日経ビジネス 2004年9月20日号 特集
    • [51]近鉄は2004年1月に球団命名権の売却を試みプロ野球界に拒絶され、関西電力・大阪ガス・松下電器産業への売却提案も断られ、6月13日にオリックスとの合併合意を発表
    • [52]近鉄は2004年1月に球団命名権の売却を試みプロ野球界に拒絶され、関西電力・大阪ガス・松下電器産業への売却提案も断られ、6月13日にオリックスとの合併合意を発表
    • [53]近鉄は2004年1月に球団命名権の売却を試みプロ野球界に拒絶され、関西電力・大阪ガス・松下電器産業への売却提案も断られ、6月13日にオリックスとの合併合意を発表
  • 近畿日本鉄道 有価証券報告書 第95期(2006年3月期)【沿革】【連結財務諸表作成のための基本となる重要な事項】
    • [54]2004年11月、連結子会社の㈱大阪バファローズがプロ野球事業をオリックス野球クラブ㈱へ譲渡。社長は山口昌紀
  • 近畿日本鉄道 有価証券報告書 第95期(2006年3月期)【事業の種類別セグメント情報】
    • [55]レジャー・サービス業の営業損益は2005年3月期2,784百万円の損失、2006年3月期2,874百万円の利益(ホテル業の黒字化を含む)
    • [56]レジャー・サービス業の営業損益は2005年3月期2,784百万円の損失、2006年3月期2,874百万円の利益(ホテル業の黒字化を含む)

出典・参考

13件
出典・参考
  • 近畿日本鉄道・近鉄グループホールディングス 有価証券報告書 第95期(2006年3月期)〜第114期(2025年3月期)【沿革】【関係会社の状況】【設備の状況】【企業結合等関係】
  • 近畿日本鉄道 有価証券報告書 第95期(2006年3月期)【主要な経営指標等の推移】
  • 近畿日本鉄道 有価証券報告書 第95期(2006年3月期)【沿革】【連結財務諸表作成のための基本となる重要な事項】
  • 近畿日本鉄道 有価証券報告書 第95期(2006年3月期)【事業の種類別セグメント情報】
  • 近鉄グループホールディングス 有価証券報告書 第114期(2025年3月期)【沿革】
  • 日本産業史 4(1994年)「サービス-新たなフロンティアに」
  • 運輸と経済 48(12) 1988年12月号「近畿日本鉄道――その経営観、事業戦略」吉原英樹・金森茂一郎・斎藤峻彦
  • 投資月報 39(6) 1988年6月号「企業研究 近畿日本鉄道――不動産事業拡大でグループ力増強へ」
  • 汎交通 92(11) 1992年11月号「二十一世紀を見据えた新規事業の展開について――志摩スペイン村を中心として」田代和
  • トランスポート 45(11) 1995年11月号「近畿日本鉄道(株) 田代和社長に聞く」
  • 働く広場 (230) 1996年11月号「各界百聞 楽天的であれ、しかし、楽観すべからず」田代和
  • 日経ビジネス 2003年5月26日号
  • 日経ビジネス 2004年9月20日号 特集

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