第2章 年〜年

あおぞら銀行:特別公的管理による一時国有化とあおぞら銀行への行名変更

1994年〜系列ノンバンクの重荷と、合併を否定した窪田体制の単独存続路線

1996年3月期の時点で、日本債券信用銀行の本体の不良債権は1兆4,000億円に達していた。系列ノンバンク3社の借入金は2兆円に上り、融資する他の金融機関に金利の減免を求め続けていた。単体の純損失は1996年3月期に1,638億8,600万円、1997年3月期に2,852億4,800万円を数えた。1995年3月期に5,167億円あった株主資本は、2年で994億円まで減った。調達の側でも、5年物の利付金融債は興銀より0.45%高い利率を求められ、1年物と3年物の発行で平均の調達コストを引き下げようとした。この短期債の発行は1996年6月に始まった。バブル期に膨らませた不動産向けの与信が、損益と資金調達の両方を同時に圧迫する構図だったとみられる。

  • 日経ビジネス 1996年8月5日号
    • [1]1996年3月期 本体の不良債権1兆4,000億円
    • [2]系列ノンバンク3社は借入金2兆円を抱えて経営難、融資する他行へ金利減免を要請
    • [5]5年物利付金融債の調達金利が興銀より0.45%高く、1年〜3年物の金融債発行で引き下げを図った
  • 日本債券信用銀行 Annual Report 1999「Financial Highlights」
    • [3]単体純損失 1996年3月期163,886百万円・1997年3月期285,248百万円
    • [4]株主資本 1995年3月期516,729百万円→1997年3月期99,434百万円
  • 日本債券信用銀行 Annual Report 1999「Company History」
    • [6]1996年6月 1年物・3年物金融債の発行を開始

窪田弘氏は大蔵省で理財局長と国税庁長官を務め、1993年6月に頭取に就任した。1年目には、福島交通問題をはじめ行の評判を傷めていた案件を本業から切り分けた。2年目と3年目は、リスク管理の仕組みづくりと、JPモルガンの助言を受けた新事業の設計に充てた。1996年6月の人事では、バブル期の経営を担った上層部を退かせた。新事業の受け皿の一つは、1994年2月に国内初の業態別子会社として設けた日債銀信託銀行だった。同行は1995年3月、格付機関から高い評価を得たローン債権の証券化を国内で初めて組成した。窪田氏は融資が膨らんだ原因について、後発の長信銀として興銀に追いつこうと『やや背伸びをしてきた面がありました』と振り返った。

  • 日経ビジネス 1996年8月5日号
    • [7]大蔵省で理財局長・国税庁長官を歴任し1989年退官、1993年6月日本債券信用銀行頭取
    • [8]頭取1年目は福島交通問題など悪いイメージの源を切り離すことに注力
    • [9]2〜3年目はリスク管理システムの構築とJPモルガンの助言による新ビジネスの土台づくり
    • [10]1996年6月の人事で旧体制のトップ層を退任させた
    • [13]1957年設立の後発行として興銀に追いつこうと背伸びし、バブル期に融資を拡大した(窪田頭取の認識)
  • 日本債券信用銀行 Annual Report 1999「Company History」
    • [11]1994年2月 国内初の業態別子会社として日債銀信託銀行を設立
  • 日本債券信用銀行 Annual Report 1999「Major Group Companies」
    • [12]1995年3月 日債銀信託銀行が格付機関から高格付を得た国内初の本格的なローン債権の証券化を組成

1996年8月、窪田氏は合併を否定し、日本債券信用銀行を『不動産担保金融とマーケットビジネスを複合させた銀行にしたい』という方針を示した。主な顧客は中堅・中小企業とし、不動産融資の可否は物件が生む賃料で判断して、売却差益は当てにしない方針とした。系列ノンバンクの処理は法的整理を避け、関係する金融機関の支援を得ながら時間をかけて進める考えだった。行員数を2,600人と見込み、都市銀行のような大規模な人員削減は要らないとも判断していた。実際の行員は1993年4月末の3,086人をピークに、1997年3月末には2,769人まで減っていた。この路線は、金利が上がらず市場の信認が続くという二つの条件に、処理の時間を預けたものだったと推察される。

  • 日経ビジネス 1996年8月5日号
    • [14]1996年8月 窪田頭取が合併を否定し、不動産担保金融とマーケットビジネスを複合させた銀行として単独存続を掲げる
    • [15]中堅中小企業を主な顧客とし、転売益でなく賃貸収入を基礎に融資を判断する不動産金融へ回帰
    • [16]系列ノンバンク問題は法的処理を避け、関係金融機関に支援を求めて時間をかけて処理する方針
    • [17]行員数2,600人で都銀より少なく、大きなリストラは必要ないとの認識
  • 日本債券信用銀行 Annual Report 1999「Progress Report on the Management Rationalization Plan」
    • [18]行員数 1993年4月末3,086人(ピーク)・1997年3月末2,769人
参考文献[1]-[18]
  • 日経ビジネス 1996年8月5日号
    • [1]1996年3月期 本体の不良債権1兆4,000億円
    • [2]系列ノンバンク3社は借入金2兆円を抱えて経営難、融資する他行へ金利減免を要請
    • [5]5年物利付金融債の調達金利が興銀より0.45%高く、1年〜3年物の金融債発行で引き下げを図った
    • [7]大蔵省で理財局長・国税庁長官を歴任し1989年退官、1993年6月日本債券信用銀行頭取
    • [8]頭取1年目は福島交通問題など悪いイメージの源を切り離すことに注力
    • [9]2〜3年目はリスク管理システムの構築とJPモルガンの助言による新ビジネスの土台づくり
    • [10]1996年6月の人事で旧体制のトップ層を退任させた
    • [13]1957年設立の後発行として興銀に追いつこうと背伸びし、バブル期に融資を拡大した(窪田頭取の認識)
    • [14]1996年8月 窪田頭取が合併を否定し、不動産担保金融とマーケットビジネスを複合させた銀行として単独存続を掲げる
    • [15]中堅中小企業を主な顧客とし、転売益でなく賃貸収入を基礎に融資を判断する不動産金融へ回帰
    • [16]系列ノンバンク問題は法的処理を避け、関係金融機関に支援を求めて時間をかけて処理する方針
    • [17]行員数2,600人で都銀より少なく、大きなリストラは必要ないとの認識
  • 日本債券信用銀行 Annual Report 1999「Financial Highlights」
    • [3]単体純損失 1996年3月期163,886百万円・1997年3月期285,248百万円
    • [4]株主資本 1995年3月期516,729百万円→1997年3月期99,434百万円
  • 日本債券信用銀行 Annual Report 1999「Company History」
    • [6]1996年6月 1年物・3年物金融債の発行を開始
    • [11]1994年2月 国内初の業態別子会社として日債銀信託銀行を設立
  • 日本債券信用銀行 Annual Report 1999「Major Group Companies」
    • [12]1995年3月 日債銀信託銀行が格付機関から高格付を得た国内初の本格的なローン債権の証券化を組成
  • 日本債券信用銀行 Annual Report 1999「Progress Report on the Management Rationalization Plan」
    • [18]行員数 1993年4月末3,086人(ピーク)・1997年3月末2,769人

1997年〜信用不安と総合リストラクチャリング計画、日銀出身の東郷重興頭取

1997年春、不良債権の規模を危ぶむ市場の売りが日本債券信用銀行に集まり、株価は一時百数十円まで下げた。4月1日に総合リストラクチャリング計画を発表し、同じ月に米バンカース・トラストと業務提携の基本契約を結んだ。計画に沿って海外の営業拠点はすべて閉じ、国内では1993年から1996年までに3支店を閉鎖していた。人件費にも手を入れ、1997年6月から行員の年収を1割から3割削減した。1997年3月期末の株主資本は994億円で、前年の3,424億円から7割減っていた。窪田体制が時間をかけて処理するとした前提は、発表から1年足らずで市場に退けられた格好となった。

  • 日経ビジネス 1997年11月24日号
    • [19]1997年春に信用不安問題が噴出、株価は一時百数十円まで売り込まれた
  • 日本債券信用銀行 Annual Report 1999「Company History」
    • [20]1997年4月 総合リストラクチャリング計画を発表、バンカース・トラストと業務提携の基本契約を締結
  • 日本債券信用銀行 Annual Report 1999「Progress Report on the Management Rationalization Plan」
    • [21]1993〜1996年に国内3支店を閉鎖、リストラクチャリング計画に沿って海外の営業拠点をすべて閉鎖
    • [22]1997年6月以降、行員の年間報酬を10〜30%削減
  • 日本債券信用銀行 Annual Report 1999「Financial Highlights」
    • [23]株主資本 1996年3月期342,360百万円・1997年3月期99,434百万円

資本の穴は第三者割当増資で埋めた。1997年7月、普通株7億6,603万9,000株を1株218円で、第3種優先株3億6,839万8,000株を1株320円で発行した。引き受けたのは銀行や生命保険会社などで、前年10月にも第2種優先株1億200万株を1株500円で発行していた。資本金は1,777億9,200万円から3,231億1,400万円へ増え、1998年3月期は170億8,300万円の純利益を計上して黒字化した。ただ主な調達手段である金融債の残高は、1997年3月期の8兆3,357億円から1998年3月期には5兆3,461億円へ縮んだ。増資で資本は戻ったものの、金融債の買い手が離れる流れは止まっていなかったとみられる。

  • 日本債券信用銀行 Annual Report 1999「Capitalization」
    • [24]1997年7月 第三者割当で普通株766,039千株(発行価格218円)・第3種優先株368,398千株(発行価格320円)を発行
    • [26]1996年10月 第三者割当で第2種優先株102,000千株(発行価格500円)、資本金は1997年7月の2度の増資で177,792百万円→323,114百万円
  • 日経ビジネス 1997年11月24日号
    • [25]増資は銀行・生保などが引き受けた
  • 日本債券信用銀行 Annual Report 1999「Financial Highlights」
    • [27]1998年3月期 単体純利益17,083百万円
    • [28]金融債残高 1997年3月期8,335,741百万円・1998年3月期5,346,174百万円

1997年8月19日、日本銀行で国際局長を務めた東郷重興氏が頭取に就任した。東郷氏は1996年5月に顧問として迎えられ、6月に常務、1997年6月に副頭取となっており、入行から1年余りでの昇格だった。会長に移った窪田氏はこの交代を非常時の人事と位置づけ、53歳という若さと行動力を選んだ理由に挙げた。東郷氏自身は、危機があったからこそ平時には通らない規模の合理化に踏み込め、同業に先んじたとみていた。ただ金融債に払う利率が上がって資金の仕入れ値は下がらず、企業が銀行以外の調達手段を広げたため、貸出を増やす見込みも立たなかった。1998年3月期末の貸出金は7兆7,818億円で、2年前の10兆717億円から2割余り減っていた。

  • 日経ビジネス 1997年11月24日号
    • [29]1997年8月19日 日銀元国際局長の東郷重興氏が頭取に就任
    • [30]1996年5月顧問、同年6月常務、1997年6月副頭取
    • [31]窪田前頭取(会長)は東郷氏の昇格を非常時の人事とし、53歳と若く明るく行動的であることを理由に挙げた
    • [32]東郷頭取は、普通ならできないリストラを他行より先に進めたと述べた
    • [33]金融債利率の上昇で調達コストが高止まりし、企業の資金調達手段の多様化で貸出の伸びは望めない
  • 日本債券信用銀行 Annual Report 1999「Financial Highlights」
    • [34]貸出金 1996年3月期10,071,724百万円・1998年3月期7,781,830百万円
参考文献[19]-[34]
  • 日経ビジネス 1997年11月24日号
    • [19]1997年春に信用不安問題が噴出、株価は一時百数十円まで売り込まれた
    • [25]増資は銀行・生保などが引き受けた
    • [29]1997年8月19日 日銀元国際局長の東郷重興氏が頭取に就任
    • [30]1996年5月顧問、同年6月常務、1997年6月副頭取
    • [31]窪田前頭取(会長)は東郷氏の昇格を非常時の人事とし、53歳と若く明るく行動的であることを理由に挙げた
    • [32]東郷頭取は、普通ならできないリストラを他行より先に進めたと述べた
    • [33]金融債利率の上昇で調達コストが高止まりし、企業の資金調達手段の多様化で貸出の伸びは望めない
  • 日本債券信用銀行 Annual Report 1999「Company History」
    • [20]1997年4月 総合リストラクチャリング計画を発表、バンカース・トラストと業務提携の基本契約を締結
  • 日本債券信用銀行 Annual Report 1999「Progress Report on the Management Rationalization Plan」
    • [21]1993〜1996年に国内3支店を閉鎖、リストラクチャリング計画に沿って海外の営業拠点をすべて閉鎖
    • [22]1997年6月以降、行員の年間報酬を10〜30%削減
  • 日本債券信用銀行 Annual Report 1999「Financial Highlights」
    • [23]株主資本 1996年3月期342,360百万円・1997年3月期99,434百万円
    • [27]1998年3月期 単体純利益17,083百万円
    • [28]金融債残高 1997年3月期8,335,741百万円・1998年3月期5,346,174百万円
    • [34]貸出金 1996年3月期10,071,724百万円・1998年3月期7,781,830百万円
  • 日本債券信用銀行 Annual Report 1999「Capitalization」
    • [24]1997年7月 第三者割当で普通株766,039千株(発行価格218円)・第3種優先株368,398千株(発行価格320円)を発行
    • [26]1996年10月 第三者割当で第2種優先株102,000千株(発行価格500円)、資本金は1997年7月の2度の増資で177,792百万円→323,114百万円

1998年〜特別公的管理の開始と、経営合理化計画による人員と資産の圧縮

1998年12月13日、日本債券信用銀行は金融再生法に基づく特別公的管理の開始を通知された。17日に預金保険機構が全株式を取得し、25日に同機構が選んだ藤井卓也頭取らの新経営陣が発足した。株式は東京・大阪の両証券取引所で上場を廃止した。1999年3月期の単体純損失は4,671億6,100万円で、前期末の株主資本と同じ額にあたり、株主資本は消えた。1997年7月の増資から1年5カ月で、増資に応じた金融機関の持分も実質的に失われた計算になる。この仕組みは清算ではなく、公的資金で日々の営業を支えながら、株式の譲渡か事業の移転で引き受け手を探すことを目的としていた。

  • 日本債券信用銀行 Annual Report 1999「The Special Public Management Process」
    • [35]1998年12月13日 金融再生法に基づく特別公的管理開始の通知
    • [40]特別公的管理は清算ではなく、株式譲渡または営業譲渡の相手を探すまで公的資金で日常業務を支える制度
  • 日本債券信用銀行 Annual Report 1999「A Message From the President」
    • [36]1998年12月17日 預金保険機構が全株式を取得、12月25日 同機構の選任による藤井卓也頭取ら新経営陣が就任
  • 日本債券信用銀行 Annual Report 1999「Company History」
    • [37]1998年12月 東京証券取引所・大阪証券取引所で上場廃止
  • 日本債券信用銀行 Annual Report 1999「Financial Highlights」
    • [38]1999年3月期 単体純損失467,161百万円(1998年3月期末の株主資本467,161百万円と同額)、1999年3月期末の株主資本は計上なし
  • 日本債券信用銀行 Annual Report 1999「Capitalization」
    • [39]1997年7月 第三者割当増資(普通株・第3種優先株)

新経営陣は1999年2月26日、特別公的管理に至った経緯の報告を法に沿って提出した。3月1日には経営合理化計画と業務運営基準が金融再生委員会の承認を受けた。計画は早期の管理終了、企業価値の維持、公的資金の最小化、責任体制の確立を目標に掲げた。旧経営陣は計画づくりの前に退任し、退職慰労金は支給されなかった。1989年以降に退いた代表取締役16人には、故人を除き退職金の自主返納を求め、1月には旧経営陣の責任を調べる委員会を設けた。業務運営基準は、市場取引を顧客の必要に応じるものに絞り、保守的に運用すると定めた。窪田体制が6年前に切り離した過去の案件は、この段階で旧経営陣個人の責任として問い直されることになった。

  • 日本債券信用銀行 Annual Report 1999「The Special Public Management Process」
    • [41]1999年2月26日 金融再生法46条に基づく報告(特別公的管理開始決定の経緯)を提出
    • [42]1999年3月1日 経営合理化計画(47条)と業務運営基準(48条)が金融再生委員会の承認を受けた
  • 日本債券信用銀行 Annual Report 1999「Progress Report on the Management Rationalization Plan」
    • [43]経営合理化計画の4目標(特別公的管理の早期終了・企業価値の維持向上・公的資金の最小化・責任体制の確立)
    • [44]旧経営陣は経営合理化計画の作成前に退任し、退職慰労金の支払いは取り消された
    • [45]1989年以降に退任した代表取締役16人(故人を除く)に退職金の自主返納を要請、1999年1月 旧経営陣の責任を明らかにする調査委員会を設置
    • [46]業務運営基準で市場業務は顧客ニーズに応えるために不可欠なものに限り、保守的な姿勢をとると定めた

合理化は人員と経費の圧縮から進んだ。行員は1999年3月末に2,026人まで減り、最終目標を1,800人に置いた。1996年に窪田氏が大規模な削減は要らないとした時点の2,600人から、3年足らずで2割余り減った計算になる。経費はピークの1996年3月期の647億円から1999年3月期に497億円まで減らし、430億円を目標とした。1999年5月24日の資産判定で、金融再生委員会は総資産11兆4,166億円のうち3兆9,602億円を保有に適さないと判定した。6月にはモルガン・スタンレーを引き受け手探しの助言役に選び、9月には子会社の日債銀債権回収がサービサーとして営業を始めた。引き受け手への譲渡は、次の年に持ち越される課題として残った。

  • 日本債券信用銀行 Annual Report 1999「Progress Report on the Management Rationalization Plan」
    • [47]行員数 1999年3月末2,026人、最終目標約1,800人(ピーク3,086人から約4割減)
    • [49]経費 1996年3月期647億円(ピーク)→1999年3月期497億円、目標430億円
  • 日経ビジネス 1996年8月5日号
    • [48]1996年3月期の行員数見込み2,600人
  • 日本債券信用銀行 Annual Report 1999「The Special Public Management Process」
    • [50]1999年5月24日 金融再生委員会が資産判定結果を公表(適6兆5,772億円・不適3兆9,602億円・合計11兆4,166億円)
  • 日本債券信用銀行 Annual Report 1999「A Message From the President」
    • [51]1999年6月 受け皿選定のフィナンシャル・アドバイザーにモルガン・スタンレーを起用
  • あおぞら銀行 有価証券報告書 第84期【沿革】
    • [52]1999年9月 日債銀債権回収がサービサー営業を開始
参考文献[35]-[52]
  • 日本債券信用銀行 Annual Report 1999「The Special Public Management Process」
    • [35]1998年12月13日 金融再生法に基づく特別公的管理開始の通知
    • [40]特別公的管理は清算ではなく、株式譲渡または営業譲渡の相手を探すまで公的資金で日常業務を支える制度
    • [41]1999年2月26日 金融再生法46条に基づく報告(特別公的管理開始決定の経緯)を提出
    • [42]1999年3月1日 経営合理化計画(47条)と業務運営基準(48条)が金融再生委員会の承認を受けた
    • [50]1999年5月24日 金融再生委員会が資産判定結果を公表(適6兆5,772億円・不適3兆9,602億円・合計11兆4,166億円)
  • 日本債券信用銀行 Annual Report 1999「A Message From the President」
    • [36]1998年12月17日 預金保険機構が全株式を取得、12月25日 同機構の選任による藤井卓也頭取ら新経営陣が就任
    • [51]1999年6月 受け皿選定のフィナンシャル・アドバイザーにモルガン・スタンレーを起用
  • 日本債券信用銀行 Annual Report 1999「Company History」
    • [37]1998年12月 東京証券取引所・大阪証券取引所で上場廃止
  • 日本債券信用銀行 Annual Report 1999「Financial Highlights」
    • [38]1999年3月期 単体純損失467,161百万円(1998年3月期末の株主資本467,161百万円と同額)、1999年3月期末の株主資本は計上なし
  • 日本債券信用銀行 Annual Report 1999「Capitalization」
    • [39]1997年7月 第三者割当増資(普通株・第3種優先株)
  • 日本債券信用銀行 Annual Report 1999「Progress Report on the Management Rationalization Plan」
    • [43]経営合理化計画の4目標(特別公的管理の早期終了・企業価値の維持向上・公的資金の最小化・責任体制の確立)
    • [44]旧経営陣は経営合理化計画の作成前に退任し、退職慰労金の支払いは取り消された
    • [45]1989年以降に退任した代表取締役16人(故人を除く)に退職金の自主返納を要請、1999年1月 旧経営陣の責任を明らかにする調査委員会を設置
    • [46]業務運営基準で市場業務は顧客ニーズに応えるために不可欠なものに限り、保守的な姿勢をとると定めた
    • [47]行員数 1999年3月末2,026人、最終目標約1,800人(ピーク3,086人から約4割減)
    • [49]経費 1996年3月期647億円(ピーク)→1999年3月期497億円、目標430億円
  • 日経ビジネス 1996年8月5日号
    • [48]1996年3月期の行員数見込み2,600人
  • あおぞら銀行 有価証券報告書 第84期【沿革】
    • [52]1999年9月 日債銀債権回収がサービサー営業を開始

出典・参考

10件
出典・参考
  • あおぞら銀行 有価証券報告書 第84期【沿革】
  • 日経ビジネス 1996年8月5日号
  • 日経ビジネス 1997年11月24日号
  • 日本債券信用銀行 Annual Report 1999「Financial Highlights」
  • 日本債券信用銀行 Annual Report 1999「Company History」
  • 日本債券信用銀行 Annual Report 1999「Major Group Companies」
  • 日本債券信用銀行 Annual Report 1999「Progress Report on the Management Rationalization Plan」
  • 日本債券信用銀行 Annual Report 1999「Capitalization」
  • 日本債券信用銀行 Annual Report 1999「The Special Public Management Process」
  • 日本債券信用銀行 Annual Report 1999「A Message From the President」

免責事項およびポリシー