三菱ロジスネクスト:日本輸送機の設立と日本初のリーチ式フォークリフト
1937年〜日本輸送機製作所を継いだ資本金35万円の新会社と、神足の一貫工場
日本輸送機は1937年8月、大阪市西淀川区で日本輸送機製作所の事業を継承して発足し、蓄電池式の機関車と運搬車の生産販売を始めた。前身の日本輸送機製作所は、1921年に大阪市で株式会社として生まれた。新会社は事業の一切を引き取って目的を産業車両の製造に置き、資本金は35万円である。1950年ごろの事業目的には、蓄電池の機関車・運搬車・牽引車に加え、電気機関車や無軌道電車、コンベヤーまでが並んだ。設立時の取締役には日本電池出身の藤井尚氏が加わり、1963年3月末でも日本電池が1,200,000株、12.0%を持つ筆頭株主であった。電池を動力とする車両の製造を、電池メーカーの系列の新会社に移して立て直すことが、別会社として出直した狙いだったとみられる。
- 三菱ロジスネクスト 有価証券報告書 2025年3月期「沿革」
- [1]1937年8月、大阪市西淀川区で日本輸送機製作所の事業を継承して日本輸送機を設立し、蓄電池式機関車・運搬車の生産販売を開始
- ダイヤモンド会社産業総覧 1964年版「日本輸送機」
- [2]1921年に大阪市で日本輸送機製作所が発足。1937年8月にその事業一切を継承し産業車両製造を目的に資本金35万円で設立。社長藤井尚は日本電池出身で1937年取締役。1963年3月末の筆頭株主は日本電池1,200,000株・12.0%
- [3]1921年に大阪市で日本輸送機製作所が発足。1937年8月にその事業一切を継承し産業車両製造を目的に資本金35万円で設立。社長藤井尚は日本電池出身で1937年取締役。1963年3月末の筆頭株主は日本電池1,200,000株・12.0%
- [5]1921年に大阪市で日本輸送機製作所が発足。1937年8月にその事業一切を継承し産業車両製造を目的に資本金35万円で設立。社長藤井尚は日本電池出身で1937年取締役。1963年3月末の筆頭株主は日本電池1,200,000株・12.0%
- 株式会社年鑑 1950年版「日本輸送機」
- [4]事業目的は蓄電池機関車・運搬車・牽引車、電気機関車、無軌道電車・コンベヤー・エレベーター等の製造販売修理
1939年11月、日本輸送機は京都府乙訓郡長岡町の神足に工場を新設し、本社と工場をそろって大阪から移した。有価証券報告書の沿革は本社の移転を1940年8月とし、移転先を現在の京都府長岡京市にあたる地としている。この前後の資本金は、1938年12月に100万円、1941年11月に150万円、1943年3月に200万円。設立時の35万円からみると、6年足らずで5倍を超える規模になった。1950年ごろも、本社の所在地は神足の工場と同じ鳥打畑の地である。増資を重ねた時期と重なることから、大阪市内では得にくい広い用地を京都の郊外に求めたと推察される。
- ダイヤモンド会社産業総覧 1964年版「日本輸送機」
- [6]1939年11月、現在地(京都府乙訓郡長岡町神足)に神足工場を新設し、本社および工場を移転
- 三菱ロジスネクスト 有価証券報告書 2025年3月期「沿革」
- [7]1940年8月、京都府乙訓郡(現京都府長岡京市)に本社を移転
- 株式会社年鑑 1950年版「日本輸送機」
- [8]資本金は1938年12月100万円、1941年11月150万円、1943年3月200万円に増資。本社は京都府乙訓郡長岡町大字神足小字鳥打畑
- [9]資本金は1938年12月100万円、1941年11月150万円、1943年3月200万円に増資。本社は京都府乙訓郡長岡町大字神足小字鳥打畑
- [10]資本金は1938年12月100万円、1941年11月150万円、1943年3月200万円に増資。本社は京都府乙訓郡長岡町大字神足小字鳥打畑
戦後の日本輸送機は、1946年に社長へ就任した藤井尚氏のもとで、電機部品と鋳物を自社で賄う工場へ組み替えた。1947年7月には京都市に東寺電機製作所を新設し、神足工場にあったモーターや制御器の電機部門をそこへ移した。同じ月に資本金を600万円へ増やし、同年12月には1,200万円、1948年5月には2,500万円とする。1949年11月には神足工場の構内に鋳鋼工場と特別高圧の受電所を新設し、鋳鋼から車両の仕上げまでを一つの構内で通して行えるようにした。1950年ごろには、神足工場が電機部品を除く車両を、東寺工場がモーターと制御器を作る分担になっていた。電動機と鋳鋼品を自前で持ったことが、のちに品目を内燃機の車両や荷役機械へ広げる下地になったと考えられる。
- ダイヤモンド会社産業総覧 1964年版「日本輸送機」
- [11]藤井尚は1946年社長。1947年7月京都市に東寺電機製作所を新設しモーター・コントローラー等の電機部門を移転。1949年11月神足工場内に鋳鋼工場・特高受電所を新設し全工程の一貫作業体制を確立
- [12]藤井尚は1946年社長。1947年7月京都市に東寺電機製作所を新設しモーター・コントローラー等の電機部門を移転。1949年11月神足工場内に鋳鋼工場・特高受電所を新設し全工程の一貫作業体制を確立
- [14]藤井尚は1946年社長。1947年7月京都市に東寺電機製作所を新設しモーター・コントローラー等の電機部門を移転。1949年11月神足工場内に鋳鋼工場・特高受電所を新設し全工程の一貫作業体制を確立
- 株式会社年鑑 1950年版「日本輸送機」
- [13]資本金は1947年7月600万円、同年12月1,200万円、1948年5月2,500万円に増資。神足工場は電機部品を除く製造、東寺工場はモーター・コントローラー等の電機部分品製造
- [15]資本金は1947年7月600万円、同年12月1,200万円、1948年5月2,500万円に増資。神足工場は電機部品を除く製造、東寺工場はモーター・コントローラー等の電機部分品製造
参考文献[1]-[15]
- 三菱ロジスネクスト 有価証券報告書 2025年3月期「沿革」
- [1]1937年8月、大阪市西淀川区で日本輸送機製作所の事業を継承して日本輸送機を設立し、蓄電池式機関車・運搬車の生産販売を開始
- [7]1940年8月、京都府乙訓郡(現京都府長岡京市)に本社を移転
- ダイヤモンド会社産業総覧 1964年版「日本輸送機」
- [2]1921年に大阪市で日本輸送機製作所が発足。1937年8月にその事業一切を継承し産業車両製造を目的に資本金35万円で設立。社長藤井尚は日本電池出身で1937年取締役。1963年3月末の筆頭株主は日本電池1,200,000株・12.0%
- [3]1921年に大阪市で日本輸送機製作所が発足。1937年8月にその事業一切を継承し産業車両製造を目的に資本金35万円で設立。社長藤井尚は日本電池出身で1937年取締役。1963年3月末の筆頭株主は日本電池1,200,000株・12.0%
- [5]1921年に大阪市で日本輸送機製作所が発足。1937年8月にその事業一切を継承し産業車両製造を目的に資本金35万円で設立。社長藤井尚は日本電池出身で1937年取締役。1963年3月末の筆頭株主は日本電池1,200,000株・12.0%
- [6]1939年11月、現在地(京都府乙訓郡長岡町神足)に神足工場を新設し、本社および工場を移転
- [11]藤井尚は1946年社長。1947年7月京都市に東寺電機製作所を新設しモーター・コントローラー等の電機部門を移転。1949年11月神足工場内に鋳鋼工場・特高受電所を新設し全工程の一貫作業体制を確立
- [12]藤井尚は1946年社長。1947年7月京都市に東寺電機製作所を新設しモーター・コントローラー等の電機部門を移転。1949年11月神足工場内に鋳鋼工場・特高受電所を新設し全工程の一貫作業体制を確立
- [14]藤井尚は1946年社長。1947年7月京都市に東寺電機製作所を新設しモーター・コントローラー等の電機部門を移転。1949年11月神足工場内に鋳鋼工場・特高受電所を新設し全工程の一貫作業体制を確立
- 株式会社年鑑 1950年版「日本輸送機」
- [4]事業目的は蓄電池機関車・運搬車・牽引車、電気機関車、無軌道電車・コンベヤー・エレベーター等の製造販売修理
- [8]資本金は1938年12月100万円、1941年11月150万円、1943年3月200万円に増資。本社は京都府乙訓郡長岡町大字神足小字鳥打畑
- [9]資本金は1938年12月100万円、1941年11月150万円、1943年3月200万円に増資。本社は京都府乙訓郡長岡町大字神足小字鳥打畑
- [10]資本金は1938年12月100万円、1941年11月150万円、1943年3月200万円に増資。本社は京都府乙訓郡長岡町大字神足小字鳥打畑
- [13]資本金は1947年7月600万円、同年12月1,200万円、1948年5月2,500万円に増資。神足工場は電機部品を除く製造、東寺工場はモーター・コントローラー等の電機部分品製造
- [15]資本金は1947年7月600万円、同年12月1,200万円、1948年5月2,500万円に増資。神足工場は電機部品を除く製造、東寺工場はモーター・コントローラー等の電機部分品製造
1952年〜ディーゼル機関車への広がりと、日本初のリーチ式フォークリフト
1952年10月、日本輸送機はディーゼル機関車やガソリン式の運搬車など、内燃機関を動力とする新製品の生産を始めた。その直前の1952年8月には資本金を2,500万円から5,000万円へ倍額増資し、1953年4月にも1億2,500万円へ増資した。1955年4月から9月の生産品目には、蓄電池機関車とディーゼル機関車、蓄電池運搬車とガソリン運搬車が並んだ。電池式と内燃式の両方を手がける品ぞろえが、この時点で整ったことになる。同じころの主な取引先には、北海道炭礦汽船、日本国有鉄道、中部電力があった。炭鉱の坑内や鉄道・発電所の構内では動力を問わず車両をそろえる必要があり、電池式だけでは応じきれない需要を取り込もうとしたのだろう。
- ダイヤモンド会社産業総覧 1964年版「日本輸送機」
- [16]1952年10月、ディーゼル機関車・ガソリン式運搬車など内燃機を動力とする新製品の生産を開始
- 株式会社年鑑 1956年版「日本輸送機」
- [17]資本金は1952年8月5,000万円(1:1)、1953年4月1億2,500万円に増資。1955年4〜9月の生産品目は蓄電池機関車・ディーゼル機関車・蓄電池運搬車・ガソリン運搬車ほか。取引先に北海道炭礦汽船・日本国有鉄道・中部電力
- [18]資本金は1952年8月5,000万円(1:1)、1953年4月1億2,500万円に増資。1955年4〜9月の生産品目は蓄電池機関車・ディーゼル機関車・蓄電池運搬車・ガソリン運搬車ほか。取引先に北海道炭礦汽船・日本国有鉄道・中部電力
- [19]資本金は1952年8月5,000万円(1:1)、1953年4月1億2,500万円に増資。1955年4〜9月の生産品目は蓄電池機関車・ディーゼル機関車・蓄電池運搬車・ガソリン運搬車ほか。取引先に北海道炭礦汽船・日本国有鉄道・中部電力
- [20]資本金は1952年8月5,000万円(1:1)、1953年4月1億2,500万円に増資。1955年4〜9月の生産品目は蓄電池機関車・ディーゼル機関車・蓄電池運搬車・ガソリン運搬車ほか。取引先に北海道炭礦汽船・日本国有鉄道・中部電力
1955年1月、日本輸送機は東京と大阪の出張所を支店に格上げし、札幌・名古屋・福岡の出張所を営業所と改めた。1959年ごろには広島にも営業所が加わり、主な取引先に日本国有鉄道、住友石炭鉱業、三井鉱山が挙がった。資本の面では新三菱重工業が大株主に名を連ね、1959年ごろの持株は240,000株であった。新三菱重工業の社長である藤井深造氏が、1952年から日本輸送機の取締役の座にある。取引は新三菱重工業と提携した小型建設機械の生産と、新三菱重工業などのエンジンメーカーからの内燃機関の調達へ広がった。1959年ごろの事業内容にはショベルカーが加わり、1963年3月期には建設機械が生産の20%を占めた。
- ダイヤモンド会社産業総覧 1964年版「日本輸送機」
- [21]1955年1月東京・大阪の出張所を支店に昇格し札幌・名古屋・福岡を営業所に改称。新三菱重工社長藤井深造は1952年取締役。新三菱重工業と提携した小型建設機械を生産し、内燃機関は新三菱重工ほかから購入。1963年3月期の生産比率は建設機械20%
- [24]1955年1月東京・大阪の出張所を支店に昇格し札幌・名古屋・福岡を営業所に改称。新三菱重工社長藤井深造は1952年取締役。新三菱重工業と提携した小型建設機械を生産し、内燃機関は新三菱重工ほかから購入。1963年3月期の生産比率は建設機械20%
- [25]1955年1月東京・大阪の出張所を支店に昇格し札幌・名古屋・福岡を営業所に改称。新三菱重工社長藤井深造は1952年取締役。新三菱重工業と提携した小型建設機械を生産し、内燃機関は新三菱重工ほかから購入。1963年3月期の生産比率は建設機械20%
- 株式会社年鑑 1959年版「日本輸送機」
- [22]事業所に広島営業所。主な取引先は日本国有鉄道・住友石炭鉱業・三井鉱山。大株主に新三菱重工業240,000株。事業内容にショベルカー
- [23]事業所に広島営業所。主な取引先は日本国有鉄道・住友石炭鉱業・三井鉱山。大株主に新三菱重工業240,000株。事業内容にショベルカー
- [26]事業所に広島営業所。主な取引先は日本国有鉄道・住友石炭鉱業・三井鉱山。大株主に新三菱重工業240,000株。事業内容にショベルカー
1958年7月、日本輸送機は日本で初めてリーチ式のバッテリーフォークリフトの生産を始めた。1959年ごろの事業内容には、機関車や運搬車と並んでガソリン式のフォークリフトも入っていた。1963年3月期の生産比率は蓄電池式フォークリフトが13%、エンジン式フォークリフトが17%で、両者を合わせると機関車の23%を上回った。1962年6月時点の事業内容でも、筆頭は機関車と建設機械ではなくフォークリフトである。1970年ごろには、主力のバッテリーフォークリフトが業界首位の製品になっていた。機関車で培った蓄電池車の技術を、倉庫や工場の狭い通路で荷を扱う車両に転用したことが、後発から先行できた理由と思われる。
- 三菱ロジスネクスト 有価証券報告書 2025年3月期「沿革」
- [27]1958年7月、日本初のリーチ式バッテリーフォークリフトの生産を開始
- 株式会社年鑑 1959年版「日本輸送機」
- [28]主な事業内容にガソリン式フォークリフト
- ダイヤモンド会社産業総覧 1964年版「日本輸送機」
- [29]1963年3月期の生産比率は蓄電池式機関車16%・ディーゼル式機関車7%・蓄電池式フォークリフト13%・エンジン式フォークリフト17%
- 株式会社年鑑 1963年版「日本輸送機」
- [30]1962年6月時点の主な事業内容は1.フォークリフト 2.機関車 3.建設機械の順
- 日本企業要覧 1970年版「日本輸送機」
- [31]主力のバッテリーフォークリフトは業界のトップ
参考文献[16]-[31]
- ダイヤモンド会社産業総覧 1964年版「日本輸送機」
- [16]1952年10月、ディーゼル機関車・ガソリン式運搬車など内燃機を動力とする新製品の生産を開始
- [21]1955年1月東京・大阪の出張所を支店に昇格し札幌・名古屋・福岡を営業所に改称。新三菱重工社長藤井深造は1952年取締役。新三菱重工業と提携した小型建設機械を生産し、内燃機関は新三菱重工ほかから購入。1963年3月期の生産比率は建設機械20%
- [24]1955年1月東京・大阪の出張所を支店に昇格し札幌・名古屋・福岡を営業所に改称。新三菱重工社長藤井深造は1952年取締役。新三菱重工業と提携した小型建設機械を生産し、内燃機関は新三菱重工ほかから購入。1963年3月期の生産比率は建設機械20%
- [25]1955年1月東京・大阪の出張所を支店に昇格し札幌・名古屋・福岡を営業所に改称。新三菱重工社長藤井深造は1952年取締役。新三菱重工業と提携した小型建設機械を生産し、内燃機関は新三菱重工ほかから購入。1963年3月期の生産比率は建設機械20%
- [29]1963年3月期の生産比率は蓄電池式機関車16%・ディーゼル式機関車7%・蓄電池式フォークリフト13%・エンジン式フォークリフト17%
- 株式会社年鑑 1956年版「日本輸送機」
- [17]資本金は1952年8月5,000万円(1:1)、1953年4月1億2,500万円に増資。1955年4〜9月の生産品目は蓄電池機関車・ディーゼル機関車・蓄電池運搬車・ガソリン運搬車ほか。取引先に北海道炭礦汽船・日本国有鉄道・中部電力
- [18]資本金は1952年8月5,000万円(1:1)、1953年4月1億2,500万円に増資。1955年4〜9月の生産品目は蓄電池機関車・ディーゼル機関車・蓄電池運搬車・ガソリン運搬車ほか。取引先に北海道炭礦汽船・日本国有鉄道・中部電力
- [19]資本金は1952年8月5,000万円(1:1)、1953年4月1億2,500万円に増資。1955年4〜9月の生産品目は蓄電池機関車・ディーゼル機関車・蓄電池運搬車・ガソリン運搬車ほか。取引先に北海道炭礦汽船・日本国有鉄道・中部電力
- [20]資本金は1952年8月5,000万円(1:1)、1953年4月1億2,500万円に増資。1955年4〜9月の生産品目は蓄電池機関車・ディーゼル機関車・蓄電池運搬車・ガソリン運搬車ほか。取引先に北海道炭礦汽船・日本国有鉄道・中部電力
- 株式会社年鑑 1959年版「日本輸送機」
- [22]事業所に広島営業所。主な取引先は日本国有鉄道・住友石炭鉱業・三井鉱山。大株主に新三菱重工業240,000株。事業内容にショベルカー
- [23]事業所に広島営業所。主な取引先は日本国有鉄道・住友石炭鉱業・三井鉱山。大株主に新三菱重工業240,000株。事業内容にショベルカー
- [26]事業所に広島営業所。主な取引先は日本国有鉄道・住友石炭鉱業・三井鉱山。大株主に新三菱重工業240,000株。事業内容にショベルカー
- [28]主な事業内容にガソリン式フォークリフト
- 三菱ロジスネクスト 有価証券報告書 2025年3月期「沿革」
- [27]1958年7月、日本初のリーチ式バッテリーフォークリフトの生産を開始
- 株式会社年鑑 1963年版「日本輸送機」
- [30]1962年6月時点の主な事業内容は1.フォークリフト 2.機関車 3.建設機械の順
- 日本企業要覧 1970年版「日本輸送機」
- [31]主力のバッテリーフォークリフトは業界のトップ
1961年〜東証二部への上場と、新三菱重工業から迎えた古賀養一氏
1961年10月、日本輸送機は東京証券取引所と大阪証券取引所の市場第二部、京都証券取引所に株式を上場した。それまで株式は1949年5月から大阪で上場されていた。1961年6月時点の上場市場は大阪と京都で、東京では店頭での売買にとどまった。上場から2か月後の1961年12月には、資本金を2億5,000万円から5億円へ倍額増資した。割当は1株に1株で、うち1株につき5円分が無償である。1963年4月にも無償増資を行い、資本金は5億1,000万円。長期借入金は1961年9月期の54,154千円から、1963年3月期には365,492千円へ増えた。東京で売買される株式となったことが、倍額増資の新株を広い投資家に引き受けてもらう前提になったのであろう。
- 三菱ロジスネクスト 有価証券報告書 2025年3月期「沿革」
- [32]1961年10月、東京証券取引所市場第二部、大阪証券取引所市場第二部及び京都証券取引所に上場
- ダイヤモンド会社産業総覧 1964年版「日本輸送機」
- [33]上場開始は1949年5月14日(大阪)。1963年4月無償で資本金5億1,000万円。長期借入金は1961年9月期54,154千円、1963年3月期365,492千円
- [37]上場開始は1949年5月14日(大阪)。1963年4月無償で資本金5億1,000万円。長期借入金は1961年9月期54,154千円、1963年3月期365,492千円
- [38]上場開始は1949年5月14日(大阪)。1963年4月無償で資本金5億1,000万円。長期借入金は1961年9月期54,154千円、1963年3月期365,492千円
- 株式会社年鑑 1962年版「日本輸送機」
- [34]1961年6月時点の上場市場は大阪・京都、東京は店頭
- 日本企業要覧 1970年版「日本輸送機」
- [35]1961年12月に250百万円を増資し資本金500百万円(1:1、5円無償)
- [36]1961年12月に250百万円を増資し資本金500百万円(1:1、5円無償)
1962年からの景気調整と同業との競争の激化に対し、日本輸送機は小型フォークリフト部門の拡充に力を入れ、新工場を建てた。1961年10月から1962年3月の売上高では、フォークリフトが32.1%を占める最大の品目である。それでも売上高は1962年3月期の1,360,865千円から1963年3月期には1,126,381千円へ減った。同じ期間に当期利益は48,697千円から1,025千円へ低下し、1963年3月期は配当を見送った。受注残高も1961年9月期の704,423千円から1963年3月期には294,171千円となり、半分を下回った。新工場の効果は1963年3月期の業績にはまだ表れず、小型機の量産投資が景気の後退と重なったとみる余地がある。
- ダイヤモンド会社産業総覧 1964年版「日本輸送機」
- [39]1962年来の景気調整と競争激化に対処して小型フォークリフト部門を拡充し新工場を建設したが十分な成果はあがっていない。売上高1962年3月期1,360,865千円→1963年3月期1,126,381千円、当期利益48,697千円→1,025千円、1963年3月期は株主配当金なし。受注残高1961年9月期704,423千円→1963年3月期294,171千円
- [41]1962年来の景気調整と競争激化に対処して小型フォークリフト部門を拡充し新工場を建設したが十分な成果はあがっていない。売上高1962年3月期1,360,865千円→1963年3月期1,126,381千円、当期利益48,697千円→1,025千円、1963年3月期は株主配当金なし。受注残高1961年9月期704,423千円→1963年3月期294,171千円
- [42]1962年来の景気調整と競争激化に対処して小型フォークリフト部門を拡充し新工場を建設したが十分な成果はあがっていない。売上高1962年3月期1,360,865千円→1963年3月期1,126,381千円、当期利益48,697千円→1,025千円、1963年3月期は株主配当金なし。受注残高1961年9月期704,423千円→1963年3月期294,171千円
- [43]1962年来の景気調整と競争激化に対処して小型フォークリフト部門を拡充し新工場を建設したが十分な成果はあがっていない。売上高1962年3月期1,360,865千円→1963年3月期1,126,381千円、当期利益48,697千円→1,025千円、1963年3月期は株主配当金なし。受注残高1961年9月期704,423千円→1963年3月期294,171千円
- 株式会社年鑑 1963年版「日本輸送機」
- [40]1961年10月〜1962年3月の売上構成でフォークリフト32.1%
1966年11月、三菱重工業の系列から来た古賀養一氏の取締役社長就任。古賀養一氏は1909年に福岡県で生まれ、1938年に東京商科大学を卒業して三菱重工業の神戸造船所に入社した。1963年9月には新三菱重工業からブラジルの伯国汽罐重機へ派遣され、常務取締役を務めた。1965年に日本輸送機へ取締役として入り、1966年2月の常務取締役を経て、入社の翌年に社長となった。1963年時点の社長は1946年に就任した藤井尚氏で、製造担当の常務は新三菱重工業出身の古川強氏が務めた。1970年3月末には三菱重工業が734,400株、4.80%を持つ第3位の株主であった。エンジンの調達先で大株主でもある三菱重工業との結びつきを、経営の中枢にまで広げる人事であったと推測される。
- 日本企業要覧 1970年版「日本輸送機」
- [44]取締役社長古賀養一。三菱重工業神戸造船所入社、1963年9月新三菱重工業より伯国汽罐重機に派遣され同社常務取締役、1965年入社、1966年2月常務取締役、同年11月取締役社長。1970年3月末大株主3位三菱重工業734,400株4.80%
- [46]取締役社長古賀養一。三菱重工業神戸造船所入社、1963年9月新三菱重工業より伯国汽罐重機に派遣され同社常務取締役、1965年入社、1966年2月常務取締役、同年11月取締役社長。1970年3月末大株主3位三菱重工業734,400株4.80%
- [47]取締役社長古賀養一。三菱重工業神戸造船所入社、1963年9月新三菱重工業より伯国汽罐重機に派遣され同社常務取締役、1965年入社、1966年2月常務取締役、同年11月取締役社長。1970年3月末大株主3位三菱重工業734,400株4.80%
- [49]取締役社長古賀養一。三菱重工業神戸造船所入社、1963年9月新三菱重工業より伯国汽罐重機に派遣され同社常務取締役、1965年入社、1966年2月常務取締役、同年11月取締役社長。1970年3月末大株主3位三菱重工業734,400株4.80%
- 日本企業要覧 1974年版「日本輸送機」
- [45]古賀養一は1909年福岡県生まれ、1938年東京商科大学卒、同年4月三菱重工業神戸造船所入社
- ダイヤモンド会社産業総覧 1964年版「日本輸送機」
- [48]1963年時点の社長藤井尚(1946年社長)、製造担当常務古川強は新三菱重工出身
参考文献[32]-[49]
- 三菱ロジスネクスト 有価証券報告書 2025年3月期「沿革」
- [32]1961年10月、東京証券取引所市場第二部、大阪証券取引所市場第二部及び京都証券取引所に上場
- ダイヤモンド会社産業総覧 1964年版「日本輸送機」
- [33]上場開始は1949年5月14日(大阪)。1963年4月無償で資本金5億1,000万円。長期借入金は1961年9月期54,154千円、1963年3月期365,492千円
- [37]上場開始は1949年5月14日(大阪)。1963年4月無償で資本金5億1,000万円。長期借入金は1961年9月期54,154千円、1963年3月期365,492千円
- [38]上場開始は1949年5月14日(大阪)。1963年4月無償で資本金5億1,000万円。長期借入金は1961年9月期54,154千円、1963年3月期365,492千円
- [39]1962年来の景気調整と競争激化に対処して小型フォークリフト部門を拡充し新工場を建設したが十分な成果はあがっていない。売上高1962年3月期1,360,865千円→1963年3月期1,126,381千円、当期利益48,697千円→1,025千円、1963年3月期は株主配当金なし。受注残高1961年9月期704,423千円→1963年3月期294,171千円
- [41]1962年来の景気調整と競争激化に対処して小型フォークリフト部門を拡充し新工場を建設したが十分な成果はあがっていない。売上高1962年3月期1,360,865千円→1963年3月期1,126,381千円、当期利益48,697千円→1,025千円、1963年3月期は株主配当金なし。受注残高1961年9月期704,423千円→1963年3月期294,171千円
- [42]1962年来の景気調整と競争激化に対処して小型フォークリフト部門を拡充し新工場を建設したが十分な成果はあがっていない。売上高1962年3月期1,360,865千円→1963年3月期1,126,381千円、当期利益48,697千円→1,025千円、1963年3月期は株主配当金なし。受注残高1961年9月期704,423千円→1963年3月期294,171千円
- [43]1962年来の景気調整と競争激化に対処して小型フォークリフト部門を拡充し新工場を建設したが十分な成果はあがっていない。売上高1962年3月期1,360,865千円→1963年3月期1,126,381千円、当期利益48,697千円→1,025千円、1963年3月期は株主配当金なし。受注残高1961年9月期704,423千円→1963年3月期294,171千円
- [48]1963年時点の社長藤井尚(1946年社長)、製造担当常務古川強は新三菱重工出身
- 株式会社年鑑 1962年版「日本輸送機」
- [34]1961年6月時点の上場市場は大阪・京都、東京は店頭
- 日本企業要覧 1970年版「日本輸送機」
- [35]1961年12月に250百万円を増資し資本金500百万円(1:1、5円無償)
- [36]1961年12月に250百万円を増資し資本金500百万円(1:1、5円無償)
- [44]取締役社長古賀養一。三菱重工業神戸造船所入社、1963年9月新三菱重工業より伯国汽罐重機に派遣され同社常務取締役、1965年入社、1966年2月常務取締役、同年11月取締役社長。1970年3月末大株主3位三菱重工業734,400株4.80%
- [46]取締役社長古賀養一。三菱重工業神戸造船所入社、1963年9月新三菱重工業より伯国汽罐重機に派遣され同社常務取締役、1965年入社、1966年2月常務取締役、同年11月取締役社長。1970年3月末大株主3位三菱重工業734,400株4.80%
- [47]取締役社長古賀養一。三菱重工業神戸造船所入社、1963年9月新三菱重工業より伯国汽罐重機に派遣され同社常務取締役、1965年入社、1966年2月常務取締役、同年11月取締役社長。1970年3月末大株主3位三菱重工業734,400株4.80%
- [49]取締役社長古賀養一。三菱重工業神戸造船所入社、1963年9月新三菱重工業より伯国汽罐重機に派遣され同社常務取締役、1965年入社、1966年2月常務取締役、同年11月取締役社長。1970年3月末大株主3位三菱重工業734,400株4.80%
- 株式会社年鑑 1963年版「日本輸送機」
- [40]1961年10月〜1962年3月の売上構成でフォークリフト32.1%
- 日本企業要覧 1974年版「日本輸送機」
- [45]古賀養一は1909年福岡県生まれ、1938年東京商科大学卒、同年4月三菱重工業神戸造船所入社
1937年〜1969年の業績
| 決算期 | 区分 | 売上高 | 純利益 | 主な投資 | ||
|---|---|---|---|---|---|---|
| 億円 | YoY | 億円 | 利益率 | |||
| 1949年 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1950年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1951年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1952年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1953年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1954年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1955年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1956年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1957年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1958年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1959年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1960年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1961年03月期 | 単体 | 21 | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1962年03月期 | 単体 | 26 | +23.8% | n/a | n/a | n/a |
| 1963年03月期 | 単体 | 23 | ▲11.5% | 0 | 1.3% | n/a |
| 1964年03月期 | 単体 | 27 | +17.4% | ▲1 | ▲3.7% | n/a |
| 1965年03月期 | 単体 | 25 | ▲7.4% | 1 | 4.0% | n/a |
| 1966年03月期 | 単体 | 26 | +4.0% | 0 | 1.9% | n/a |
| 1967年03月期 | 単体 | 33 | +26.9% | 1 | 3.0% | n/a |
| 1968年03月期 | 単体 | 43 | +30.3% | 1 | 2.3% | n/a |
| 1969年03月期 | 単体 | 54 | +25.6% | 1 | 1.9% | n/a |
出所:会社年鑑(1963年版)半期合算、会社年鑑(1967年版)半期合算、会社年鑑(1971年版)半期合算
出典・参考
9件
- 三菱ロジスネクスト 有価証券報告書 2025年3月期「沿革」
- 株式会社年鑑 1950年版「日本輸送機」
- 株式会社年鑑 1956年版「日本輸送機」
- 株式会社年鑑 1959年版「日本輸送機」
- 株式会社年鑑 1962年版「日本輸送機」
- 株式会社年鑑 1963年版「日本輸送機」
- ダイヤモンド会社産業総覧 1964年版「日本輸送機」
- 日本企業要覧 1970年版「日本輸送機」
- 日本企業要覧 1974年版「日本輸送機」