第1章 年〜年

パイオニア:松本望の福音商会電気製作所とスピーカーPE-8

1938年〜ダイナミックスピーカーに集中した松本望氏の福音商会電機製作所と、7万2,500円の有限会社

創業者の松本望氏は1938年1月、東京・文京区で福音商会電機製作所を創業し、スピーカーづくりに着手した。松本望氏は1931年、米フィルコ社製の電蓄でダイナミックスピーカーの音を聴き、主流のマグネチック型との差に衝撃を受けた。後年の回想で、その日の決意を『ようし、いつかは、きっと、こんなすばらしいダイナミック・スピーカーを作ってやろう。スピーカーは、これに限る』と記した。大阪で看板を掲げた後、1937年に金属をコーン紙の中央に据えた試作品A-8を仕上げてからの上京。創業時の東京でダイナミックスピーカーを製造販売したのは福音商会だけだった。ビクターや東芝の高級ラジオ・電蓄に載る品も、ほぼ一手に納めた。部品のなかでも高価な品目に絞ったことが、個人工場でも大手の納入先を得る差別化要因になったとみられる。

  • パイオニア 有価証券報告書【沿革】
    • [1]1938年1月 松本望が東京都文京区に福音商会電機製作所を創業しスピーカーの製作を開始
  • ポケット社史『技術の向こうに感動がある』(パイオニア, 1993年11月)
    • [2]1931年 松本望がフィルコ製電蓄のダイナミックスピーカーを聴き開発を決意。大阪で看板を掲げ、1937年にジュラルミンをコーン中央に用いたA-8を完成し上京
    • [4]1931年 松本望がフィルコ製電蓄のダイナミックスピーカーを聴き開発を決意。大阪で看板を掲げ、1937年にジュラルミンをコーン中央に用いたA-8を完成し上京
  • 回顧と前進(1978)
    • [3]松本望の回想 ダイナミックスピーカーの音に圧倒されマグネチック型が玩具のように感じられた
  • 証券アナリストジャーナル 4(6) 1966年(松本望)
    • [5]1938年創業時 東京でダイナミックスピーカーを製造販売したのは同社1社。ビクター・東芝などのセット向けにほとんどを納入
    • [6]1938年創業時 東京でダイナミックスピーカーを製造販売したのは同社1社。ビクター・東芝などのセット向けにほとんどを納入

松本望氏は1941年8月、資本金7万2,500円で有限会社福音電機製作所を設立し、個人の工場を法人に改めた。1938年の創業当時は、ラジオがようやく普及の初期に入った時期にあたる。松本望氏の回想によると、当時のラジオ業界には本業の不振から転じた事業者が多く、銀行には『ラジオ屋には金を貸すな』という指示まで出ていた。有限会社への改組は、銀行融資を当てにできないなかで出資者の範囲を広げずに法人格を得る手段になった。この有限会社は1947年5月に株式会社へ吸収合併されるまで、事業の母体として存続した。金融機関の与信が見込めない業界で、資本の規模よりも法人格を先に得ることを優先したと推察される。

  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)「パイオニア」
    • [7]1941年8月 資本金7万2,500円で有限会社福音電機製作所を設立
    • [10]1941年8月 資本金7万2,500円で有限会社福音電機製作所を設立
  • 証券アナリストジャーナル 4(6) 1966年(松本望)
    • [8]1938年当時 ラジオはようやく勃興期に入った時期
  • 回顧と前進(1978)
    • [9]松本望の回想 ラジオ業界は他業から転じた人の集まりで、銀行にはラジオ屋に貸すなとの命令が出ていた
  • パイオニア 有価証券報告書【沿革】
    • [11]1941年8月 有限会社福音電機製作所を設立。1947年5月 福音電機株式会社が同社を吸収合併

戦前の福音電機製作所の本業は、セットメーカー向けのスピーカー納入である。第二次世界大戦に入ると資材の不足が深まり、福音電機製作所は乏しい材料でスピーカーの生産を続けた。戦局が悪化すると、スピーカー専業の存続が危うくなり、航空無線用のトランスの生産へ転じた。同じころ、『スピーカーのようなぜいたくなものは、やがて売れなくなるに違いないから仕事を中止してほしい』という仕事の中止の要請も受けた。それでも福音電機製作所は、トランスの受注と並行してダイナミックスピーカーの生産と研究を絶やさなかった。軍需のトランスで工場と技術者を保ちながら研究を残したことが、戦後の再開を早めたと考えられる。

  • 証券アナリストジャーナル 4(6) 1966年(松本望)
    • [12]戦前はセットメーカーにスピーカーを納めることを本業とした
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)「パイオニア」
    • [13]戦時の資材不足のなかスピーカー生産を続け、戦争の深刻化で航空無線用トランスの製造を余儀なくされたが、ダイナミックスピーカーの生産・研究は継続
    • [14]戦時の資材不足のなかスピーカー生産を続け、戦争の深刻化で航空無線用トランスの製造を余儀なくされたが、ダイナミックスピーカーの生産・研究は継続
    • [16]戦時の資材不足のなかスピーカー生産を続け、戦争の深刻化で航空無線用トランスの製造を余儀なくされたが、ダイナミックスピーカーの生産・研究は継続
  • 回顧と前進(1978)
    • [15]戦時、スピーカーはぜいたく品で売れなくなるとして仕事の中止を求められた
参考文献[1]-[16]
  • パイオニア 有価証券報告書【沿革】
    • [1]1938年1月 松本望が東京都文京区に福音商会電機製作所を創業しスピーカーの製作を開始
    • [11]1941年8月 有限会社福音電機製作所を設立。1947年5月 福音電機株式会社が同社を吸収合併
  • ポケット社史『技術の向こうに感動がある』(パイオニア, 1993年11月)
    • [2]1931年 松本望がフィルコ製電蓄のダイナミックスピーカーを聴き開発を決意。大阪で看板を掲げ、1937年にジュラルミンをコーン中央に用いたA-8を完成し上京
    • [4]1931年 松本望がフィルコ製電蓄のダイナミックスピーカーを聴き開発を決意。大阪で看板を掲げ、1937年にジュラルミンをコーン中央に用いたA-8を完成し上京
  • 回顧と前進(1978)
    • [3]松本望の回想 ダイナミックスピーカーの音に圧倒されマグネチック型が玩具のように感じられた
    • [9]松本望の回想 ラジオ業界は他業から転じた人の集まりで、銀行にはラジオ屋に貸すなとの命令が出ていた
    • [15]戦時、スピーカーはぜいたく品で売れなくなるとして仕事の中止を求められた
  • 証券アナリストジャーナル 4(6) 1966年(松本望)
    • [5]1938年創業時 東京でダイナミックスピーカーを製造販売したのは同社1社。ビクター・東芝などのセット向けにほとんどを納入
    • [6]1938年創業時 東京でダイナミックスピーカーを製造販売したのは同社1社。ビクター・東芝などのセット向けにほとんどを納入
    • [8]1938年当時 ラジオはようやく勃興期に入った時期
    • [12]戦前はセットメーカーにスピーカーを納めることを本業とした
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)「パイオニア」
    • [7]1941年8月 資本金7万2,500円で有限会社福音電機製作所を設立
    • [10]1941年8月 資本金7万2,500円で有限会社福音電機製作所を設立
    • [13]戦時の資材不足のなかスピーカー生産を続け、戦争の深刻化で航空無線用トランスの製造を余儀なくされたが、ダイナミックスピーカーの生産・研究は継続
    • [14]戦時の資材不足のなかスピーカー生産を続け、戦争の深刻化で航空無線用トランスの製造を余儀なくされたが、ダイナミックスピーカーの生産・研究は継続
    • [16]戦時の資材不足のなかスピーカー生産を続け、戦争の深刻化で航空無線用トランスの製造を余儀なくされたが、ダイナミックスピーカーの生産・研究は継続

1946年〜パイオニア商標と19万5,000円の福音電機株式会社、国産初のパーマネント型PE-8

福音電機株式会社は1947年5月8日、資本金19万5,000円で設立され、有限会社福音電機製作所を吸収した。戦後はスピーカーの需要が増え、生産が注文に追いつかなかった。一方でセットメーカーの多くは資金難にあり、納めた代金を6カ月過ぎても回収できない例があった。福音電機は売り先をセットメーカーから一般の市販へ移し、ハイファイスピーカーの販売を始めた。製品の「パイオニア」の名は、松本望氏が1937年にA-8と普及品C-8を売るため考案したブランドである。音叉と電気抵抗の記号Ωを組み合わせたマークも、同じ時に生まれた。株式会社への改組は、市販への転換で増えた取引先と資金の需要に応じる会社組織を整えたものと思われる。

  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)「パイオニア」
    • [17]1947年5月8日 資本金19万5,000円で有限会社福音電機製作所を吸収し福音電機株式会社を設立。戦後は需要に生産が追いつかず、資金繰りの苦しさからセットメーカー依存を市販へ転換
    • [19]1947年5月8日 資本金19万5,000円で有限会社福音電機製作所を吸収し福音電機株式会社を設立。戦後は需要に生産が追いつかず、資金繰りの苦しさからセットメーカー依存を市販へ転換
  • パイオニア 有価証券報告書【沿革】
    • [18]1947年5月 福音電機株式会社を設立し有限会社福音電機製作所を吸収合併
  • 証券アナリストジャーナル 4(6) 1966年(松本望)
    • [20]終戦後のセットメーカーは資金がなく、納入代金の回収が3〜6カ月を過ぎても滞ったためHiFiスピーカーの市販を開始
    • [21]終戦後のセットメーカーは資金がなく、納入代金の回収が3〜6カ月を過ぎても滞ったためHiFiスピーカーの市販を開始
  • ポケット社史『技術の向こうに感動がある』(パイオニア, 1993年11月)
    • [22]パイオニアのブランドはA-8とC-8を売るため松本望が考案。音叉とΩを組み合わせたシンボルマークも同時に誕生。社名となるのは1961年
    • [23]パイオニアのブランドはA-8とC-8を売るため松本望が考案。音叉とΩを組み合わせたシンボルマークも同時に誕生。社名となるのは1961年

福音電機は1953年に国産初のパーマネント型スピーカーPE-8を発売し、同じ年に初めて「ハイファイ」を掲げた宣伝を始めた。当時の国産品は高音が伸びない欠点を抱え、松本望氏は戦前のA-8でコーン紙の中央にジュラルミンを用いてこの課題に取り組んでいた。PE-8の構成は、エッジまで1枚の紙で成形したシングルコーンとアルミニウムのボイスコイルの組み合わせ。スピーカーの新規参入が相次ぐなか、福音電機はハイファイスピーカーで特色を出すと決め、周波数特性の自動記録装置や無響室を整えた。PE-8は放送局のモニター用にも採用され、売上高は1950年10月期の0.264億円から1953年10月期に2.470億円へ拡大した。測定設備への投資が、耳に依存した音づくりを再現できる品質へ置き換え、PE-8の評価を支えたのだろう。

  • ポケット社史『技術の向こうに感動がある』(パイオニア, 1993年11月)
    • [24]1953年 国産初のパーマネント型スピーカーPE-8を発売し初めてハイファイを銘打った宣伝を開始。シングルコーン・アルミニウムのボイスコイル。放送局のモニター用に採用
    • [25]当時の国産スピーカーは高音に伸びがなく、松本望はコーン紙中央にジュラルミンを用いたA-8で対処
    • [26]1953年 国産初のパーマネント型スピーカーPE-8を発売し初めてハイファイを銘打った宣伝を開始。シングルコーン・アルミニウムのボイスコイル。放送局のモニター用に採用
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)「パイオニア」
    • [27]スピーカーメーカーの乱立に対しハイファイスピーカーで特徴を出す方針。周波数特性自動記録装置の1号機を設置し無響室を建設
  • パイオニア社史『Sound Creator Pioneer』 福音電機の業績(1950年10月期〜1957年9月期)
    • [28]売上高 1950年10月期0.264億円、1953年10月期2.470億円
参考文献[17]-[28]
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)「パイオニア」
    • [17]1947年5月8日 資本金19万5,000円で有限会社福音電機製作所を吸収し福音電機株式会社を設立。戦後は需要に生産が追いつかず、資金繰りの苦しさからセットメーカー依存を市販へ転換
    • [19]1947年5月8日 資本金19万5,000円で有限会社福音電機製作所を吸収し福音電機株式会社を設立。戦後は需要に生産が追いつかず、資金繰りの苦しさからセットメーカー依存を市販へ転換
    • [27]スピーカーメーカーの乱立に対しハイファイスピーカーで特徴を出す方針。周波数特性自動記録装置の1号機を設置し無響室を建設
  • パイオニア 有価証券報告書【沿革】
    • [18]1947年5月 福音電機株式会社を設立し有限会社福音電機製作所を吸収合併
  • 証券アナリストジャーナル 4(6) 1966年(松本望)
    • [20]終戦後のセットメーカーは資金がなく、納入代金の回収が3〜6カ月を過ぎても滞ったためHiFiスピーカーの市販を開始
    • [21]終戦後のセットメーカーは資金がなく、納入代金の回収が3〜6カ月を過ぎても滞ったためHiFiスピーカーの市販を開始
  • ポケット社史『技術の向こうに感動がある』(パイオニア, 1993年11月)
    • [22]パイオニアのブランドはA-8とC-8を売るため松本望が考案。音叉とΩを組み合わせたシンボルマークも同時に誕生。社名となるのは1961年
    • [23]パイオニアのブランドはA-8とC-8を売るため松本望が考案。音叉とΩを組み合わせたシンボルマークも同時に誕生。社名となるのは1961年
    • [24]1953年 国産初のパーマネント型スピーカーPE-8を発売し初めてハイファイを銘打った宣伝を開始。シングルコーン・アルミニウムのボイスコイル。放送局のモニター用に採用
    • [25]当時の国産スピーカーは高音に伸びがなく、松本望はコーン紙中央にジュラルミンを用いたA-8で対処
    • [26]1953年 国産初のパーマネント型スピーカーPE-8を発売し初めてハイファイを銘打った宣伝を開始。シングルコーン・アルミニウムのボイスコイル。放送局のモニター用に採用
  • パイオニア社史『Sound Creator Pioneer』 福音電機の業績(1950年10月期〜1957年9月期)
    • [28]売上高 1950年10月期0.264億円、1953年10月期2.470億円

1953年〜テレビ時代の部品スピーカーから、大森工場のアンプと所沢のスピーカー自動化工場へ

1953年にテレビ放送が始まり、民放ラジオの開局と小型ラジオのトランジスタ化による輸出が重なって、部品のスピーカーの需要が増えた。福音電機はセットメーカー向けの量産に主力を切り替え、市販品なら月20,000〜25,000個で足りた生産を数十万個の単位へ引き上げた。生産が月100万個の水準に乗るまで4〜5年かかり、その間に音羽へ5階建ての工場を建てた。1956年に入社し後に技術担当副社長室参事となる山室勲氏も、当時の事業はラジオやテレビの部品向けスピーカーが大半だったと証言している。売上高は1955年10月期の3.400億円から1957年9月期の6.948億円へ拡大した。量の拡大は利益を伴ったものの、新規参入の増加で値下げ競争に巻き込まれる素地も同時に生んだとみられる。

  • 証券アナリストジャーナル 4(6) 1966年(松本望)
    • [29]1953年のテレビ放送開始・民放ラジオ誕生・トランジスタラジオ輸出でセット向けスピーカーの大量生産に主力を切り替え。HiFiは月2万〜2.5万個、セット向けは数十万個。月産100万個まで4〜5年、音羽に5階建て工場
    • [30]1953年のテレビ放送開始・民放ラジオ誕生・トランジスタラジオ輸出でセット向けスピーカーの大量生産に主力を切り替え。HiFiは月2万〜2.5万個、セット向けは数十万個。月産100万個まで4〜5年、音羽に5階建て工場
    • [31]1953年のテレビ放送開始・民放ラジオ誕生・トランジスタラジオ輸出でセット向けスピーカーの大量生産に主力を切り替え。HiFiは月2万〜2.5万個、セット向けは数十万個。月産100万個まで4〜5年、音羽に5階建て工場
  • ポケット社史『技術の向こうに感動がある』(パイオニア, 1993年11月)
    • [32]山室勲(1956年入社)の証言 当時はスピーカー事業以外はほとんどなく、ラジオやテレビの部品としてのスピーカーが多かった
  • パイオニア社史『Sound Creator Pioneer』 福音電機の業績(1950年10月期〜1957年9月期)
    • [33]売上高 1955年10月期3.400億円、1957年9月期6.948億円

福音電機は1950年代前半に文京区で研究所を設け、工場を第5工場まで増やした。1958年には東京・大森に工場を建設し、アンプの生産を本格化させた。NHKは1952年から第一放送と第二放送の2波で立体放送を始め、民放もこれに対抗して実験放送を重ねていた。1958年には福音電機の提供で、文化放送を左、ニッポン放送を右に割り当てる番組「パイオニア・イブニング・ステレオ」が始まった。売上高は1958年9月期の8.55億円から1959年9月期の12.5億円へ拡大。部品の量産で得た資金を、立体放送で見え始めた音響機器の需要へ振り向けたと推測される。

  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)「パイオニア」
    • [34]1950年代後半までに文京区に研究所と第5工場まで建設。1958年に大森工場を建設しアンプ生産を本格化
    • [35]1950年代後半までに文京区に研究所と第5工場まで建設。1958年に大森工場を建設しアンプ生産を本格化
  • ポケット社史『技術の向こうに感動がある』(パイオニア, 1993年11月)
    • [36]NHKは1952年から第一・第二の2波で立体放送を開始、民放も実験放送。1958年にパイオニア提供のパイオニア・イブニング・ステレオが開始(左 文化放送・右 ニッポン放送)
    • [37]NHKは1952年から第一・第二の2波で立体放送を開始、民放も実験放送。1958年にパイオニア提供のパイオニア・イブニング・ステレオが開始(左 文化放送・右 ニッポン放送)
  • 会社年鑑 福音電機の業績(1958年9月期〜1960年9月期)
    • [38]売上高 1958年9月期8.55億円、1959年9月期12.5億円

福音電機は1960年、スピーカーを自動化ラインで量産する所沢工場を埼玉県所沢市に建設した。同じ1960年の春には、日本生産性本部で企業の経営診断に携わった経営コンサルタントの吉田貴一氏を、社外から招いた最初の人材として迎えた。当時の福音電機は同族会社から脱するため、株式の上場を準備していた。1960年9月期の売上高は19.4億円、当期純利益は2.35億円である。翌1961年6月に福音電機はパイオニア株式会社へ商号を改め、同年10月に東京証券取引所市場第二部へ上場した。工場の自動化と社外人材の登用は、上場企業として量産と経営組織の両面を整える準備だったのではないか。

  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)「パイオニア」
    • [39]1960年 埼玉県所沢市にスピーカーのオートメーション工場である所沢工場を建設
  • 日経ビジネス 1972年6月26日号
    • [40]吉田貴一(前歴は日本生産性本部の経営コンサルタント)が1960年春にスカウト第1号として入社。当時は同族会社から脱皮するため株式上場を準備
    • [41]吉田貴一(前歴は日本生産性本部の経営コンサルタント)が1960年春にスカウト第1号として入社。当時は同族会社から脱皮するため株式上場を準備
  • 会社年鑑 福音電機の業績(1958年9月期〜1960年9月期)
    • [42]1960年9月期 売上高19.4億円、当期純利益2.35億円
  • パイオニア 有価証券報告書【沿革】
    • [43]1961年6月 パイオニア株式会社と商号変更、1961年10月 東京証券取引所市場第二部に上場
参考文献[29]-[43]
  • 証券アナリストジャーナル 4(6) 1966年(松本望)
    • [29]1953年のテレビ放送開始・民放ラジオ誕生・トランジスタラジオ輸出でセット向けスピーカーの大量生産に主力を切り替え。HiFiは月2万〜2.5万個、セット向けは数十万個。月産100万個まで4〜5年、音羽に5階建て工場
    • [30]1953年のテレビ放送開始・民放ラジオ誕生・トランジスタラジオ輸出でセット向けスピーカーの大量生産に主力を切り替え。HiFiは月2万〜2.5万個、セット向けは数十万個。月産100万個まで4〜5年、音羽に5階建て工場
    • [31]1953年のテレビ放送開始・民放ラジオ誕生・トランジスタラジオ輸出でセット向けスピーカーの大量生産に主力を切り替え。HiFiは月2万〜2.5万個、セット向けは数十万個。月産100万個まで4〜5年、音羽に5階建て工場
  • ポケット社史『技術の向こうに感動がある』(パイオニア, 1993年11月)
    • [32]山室勲(1956年入社)の証言 当時はスピーカー事業以外はほとんどなく、ラジオやテレビの部品としてのスピーカーが多かった
    • [36]NHKは1952年から第一・第二の2波で立体放送を開始、民放も実験放送。1958年にパイオニア提供のパイオニア・イブニング・ステレオが開始(左 文化放送・右 ニッポン放送)
    • [37]NHKは1952年から第一・第二の2波で立体放送を開始、民放も実験放送。1958年にパイオニア提供のパイオニア・イブニング・ステレオが開始(左 文化放送・右 ニッポン放送)
  • パイオニア社史『Sound Creator Pioneer』 福音電機の業績(1950年10月期〜1957年9月期)
    • [33]売上高 1955年10月期3.400億円、1957年9月期6.948億円
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)「パイオニア」
    • [34]1950年代後半までに文京区に研究所と第5工場まで建設。1958年に大森工場を建設しアンプ生産を本格化
    • [35]1950年代後半までに文京区に研究所と第5工場まで建設。1958年に大森工場を建設しアンプ生産を本格化
    • [39]1960年 埼玉県所沢市にスピーカーのオートメーション工場である所沢工場を建設
  • 会社年鑑 福音電機の業績(1958年9月期〜1960年9月期)
    • [38]売上高 1958年9月期8.55億円、1959年9月期12.5億円
    • [42]1960年9月期 売上高19.4億円、当期純利益2.35億円
  • 日経ビジネス 1972年6月26日号
    • [40]吉田貴一(前歴は日本生産性本部の経営コンサルタント)が1960年春にスカウト第1号として入社。当時は同族会社から脱皮するため株式上場を準備
    • [41]吉田貴一(前歴は日本生産性本部の経営コンサルタント)が1960年春にスカウト第1号として入社。当時は同族会社から脱皮するため株式上場を準備
  • パイオニア 有価証券報告書【沿革】
    • [43]1961年6月 パイオニア株式会社と商号変更、1961年10月 東京証券取引所市場第二部に上場

1938年〜1960年の業績

決算期 区分 売上高 純利益 主な投資
億円 YoY 億円 利益率
1949年03月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a
1950年10月期 単体 0 n/a 0 2.7% n/a
1951年10月期 単体 0 +175.8% 0 3.2% n/a
1952年10月期 単体 1 +115.8% 0 6.6% n/a
1953年10月期 単体 2 +57.2% 0 4.6% n/a
1954年10月期 単体 3 +30.5% 0 4.4% n/a
1955年10月期 単体 3 +5.5% 0 2.3% n/a
1956年09月期 単体 3 +9.9% 0 2.4% n/a
1957年09月期 単体 6 +85.9% 0 2.4% n/a
1958年09月期 単体 8 +23.1% 0 8.5% n/a
1959年09月期 単体 12 +46.2% 1 14.8% n/a
1960年09月期 単体 19 +55.2% 2 12.1% n/a

出所:Sound creator Pioneer、会社年鑑

出典・参考

8件
出典・参考
  • パイオニア 有価証券報告書【沿革】
  • パイオニア社史『Sound Creator Pioneer』 福音電機の業績(1950年10月期〜1957年9月期)
  • 会社年鑑 福音電機の業績(1958年9月期〜1960年9月期)
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)「パイオニア」
  • ポケット社史『技術の向こうに感動がある』(パイオニア, 1993年11月)
  • 証券アナリストジャーナル 4(6) 1966年(松本望)
  • 日経ビジネス 1972年6月26日号
  • 回顧と前進(1978)

免責事項およびポリシー