サンケン電気:東邦産業研究所からの独立とシリコンへの転換
東邦産業研究所の継承から拡散型シリコン整流素子へ
1937年〜解散した研究機関の人と装置を元手にした発足
1937年10月、東邦電力創立50周年記念事業として、当時の社長松永安左ヱ門により財団法人東邦産業研究所が設立された。研究所の電気研究室では1939年からセレン整流器の試作研究が始まり、戦時下には軍の指定研究機関として試作品を納入した実績も残した。終戦により研究所は解散へ向かったが、半導体研究室主任で工学博士の小谷銕治が技術者と設備を引き継ぐ判断を下し、1946年9月5日に東邦産研電気株式会社が埼玉県志紀町で設立された。資本金は15万円にとどまり、社名は前身の研究機関名をそのまま継いだ。自前の工場も特許も持たない出発であり、元手になったのは研究室が抱えていた人と装置だけだった。
- サンケン電気 有価証券報告書【沿革】
- [1]1937年10月 東邦電力創立50周年記念事業として財団法人東邦産業研究所が設立
- [2]東邦産業研究所設立を主導したのは東邦電力社長の松永安左ヱ門
- [5]1946年9月5日 東邦産研電気株式会社を埼玉県志紀町で設立(研究所解散後に半導体製造法・設備・研究員を継承)。設立を主導したのは半導体研究室主任で工学博士の小谷銕治
- 株式会社年鑑 1962年版
- [3]昭和14年(1939年)財団法人東邦産業研究所電気研究室にてセレン整流器の試作研究を開始
- [6]設立時の資本金は15万円
- 企業の歴史:明治百年(経済春秋社, 1968)
- [4]東邦産業研究所の半導体研究室は戦時中に軍の指定研究機関となり試作品を納入した実績がある
創立宣言には『吾等は半導体工業に専念し吾国産業の発展に寄与する』という一項が掲げられた。研究所出身の技術者集団が半導体一筋に進む初志は、この一文で社外にも固定された。創業期の主力商品はセレン整流器で、戦後復興期の電気機器需要がその販路を支えた。販売先は各種電源装置が日本電信電話公社、各種整流器が各官庁・電力会社・日本電気であり、素子単体だけでなく装置へ組み上げた形でも納めた。仕入面ではシリコンを三井物産、鋼材を松本興業、電線を第一電工から取っている。買い手が公共インフラと電機大手に偏る構図は創業期から変わらず、価格と仕様の主導権は需要家の側にあった。
- 企業の歴史:明治百年(経済春秋社, 1968)
- [7]創立宣言に「吾等は半導体工業に専念し吾国産業の発展に寄与する」の一項
- サンケン電気 有価証券報告書【沿革】
- [8]創業期の主力商品はセレン整流器
- 株式会社年鑑 1962年版
- [9]主なる取引先(販売)各種電源装置=日本電信電話公社、各種整流器=各官庁・電力会社・日本電気
- [10]主なる取引先(仕入)シリコン=三井物産、鋼材=松本興業、電線=第一電工
東邦産研電気の資本金は、1946年9月の15万円から1948年8月に50万円、1949年12月に150万円、1952年10月に350万円、1953年12月に600万円、1955年4月に1200万円、1957年4月に2400万円へと、ほぼ2年おきに積み増された。増資はいずれも既存株主への割当で、1対1から1対2の割合が繰り返されている。外部の資本を広く入れずに設備資金を賄う方式が、1950年代を通じて続いた。1952年5月には本社・工場を埼玉県大和田町へ移転し、研究機能と量産機能を一つの敷地へ集めている。研究所を出自とする会社が量産設備を持つには、研究と製造を隣り合わせに置くのが最も速い道だった。
- 株式会社年鑑 1962年版
- [11]資本金移動 1946年9月15万円→1948年8月50万円→1949年12月150万円→1952年10月350万円→1953年12月600万円→1955年4月1200万円→1957年4月2400万円
- [12]資本金移動はいずれも株主割当(1対2・1対1・1対0.6の割合)
- サンケン電気 有価証券報告書【沿革】
- [13]1952年5月 本社・工場を埼玉県大和田町へ移転
参考文献[1]-[13]
- サンケン電気 有価証券報告書【沿革】
- [1]1937年10月 東邦電力創立50周年記念事業として財団法人東邦産業研究所が設立
- [2]東邦産業研究所設立を主導したのは東邦電力社長の松永安左ヱ門
- [5]1946年9月5日 東邦産研電気株式会社を埼玉県志紀町で設立(研究所解散後に半導体製造法・設備・研究員を継承)。設立を主導したのは半導体研究室主任で工学博士の小谷銕治
- [8]創業期の主力商品はセレン整流器
- [13]1952年5月 本社・工場を埼玉県大和田町へ移転
- 株式会社年鑑 1962年版
- [3]昭和14年(1939年)財団法人東邦産業研究所電気研究室にてセレン整流器の試作研究を開始
- [6]設立時の資本金は15万円
- [9]主なる取引先(販売)各種電源装置=日本電信電話公社、各種整流器=各官庁・電力会社・日本電気
- [10]主なる取引先(仕入)シリコン=三井物産、鋼材=松本興業、電線=第一電工
- [11]資本金移動 1946年9月15万円→1948年8月50万円→1949年12月150万円→1952年10月350万円→1953年12月600万円→1955年4月1200万円→1957年4月2400万円
- [12]資本金移動はいずれも株主割当(1対2・1対1・1対0.6の割合)
- 企業の歴史:明治百年(経済春秋社, 1968)
- [4]東邦産業研究所の半導体研究室は戦時中に軍の指定研究機関となり試作品を納入した実績がある
- [7]創立宣言に「吾等は半導体工業に専念し吾国産業の発展に寄与する」の一項
1952年〜ゲルマニウムを飛ばしてシリコンへ賭けた製品転換
製品の世代交代をめぐる判断は早かった。拡散型シリコン整流素子を国内で初めて独自の技術で完成させたのは1958年のことで、研究所から生まれた技術者集団の研究力が量産品として形になった。出発点は1952年から53年頃にある。ゲルマニウム整流器が現れたとき、その研究で他社より遅れていた東邦産研電気は『ゲルマニウムはセレンからシリコンに代わる一過程に過ぎない』と見切りをつけ、他社より早くシリコンの開発に絞り込んだ。後れた技術に追いついて横並びになるより、次の世代で先頭に立つほうが確かだとする判断で、それを裏づけたのはセレンからシリコンへと続く素材のつながりだった。素材を一段飛び越えたこの選択が、その後の製品系列の起点となった。
- 企業の歴史:明治百年(経済春秋社, 1968)
- [14]1958年 わが国ではじめて自社技術による拡散型シリコン整流素子を完成
- [15]1952〜53年頃のゲルマニウム整流器登場時、同社はゲルマニウムを「セレンからシリコンに代わる一過程」と見切り他社に先がけてシリコン開発に専念
シリコン整流素子の完成は、製品系列の幅を広げた。1962年3月期時点の主な製品は、シリコン整流器・セレン整流器・亜酸化銅整流器・亜酸化銅変調器・SiCバリスター・CdSホトコン・自動電圧調整器・磁気増幅器・高速断ヒューズの9系列に及んでいる。素子そのものと、素子を組み込んだ装置の双方を持つ構成で、整流素子の技術が電源装置へ展開する経路が早くから開かれていた。人員も増え、1961年3月時点の従業員664人は、1963年3月時点で934人になっている。素子の種類を増やす開発と、それを装置へ仕立てる設計の双方に人を割いた結果であり、製品数の多さは技術者集団という出自の裏返しでもあった。
- 株式会社年鑑 1963年版
- [16]1962年3月期時点の主なる事業内容はシリコン整流器・セレン整流器・亜酸化銅整流器・亜酸化銅変調器・SiCバリスター・CdSホトコン・自動電圧調整器・磁気増巾器・高速断ヒューズ
- 株式会社年鑑 1962年版
- [17]1961年3月時点の従業員664人
- 株式会社年鑑 1964年版
- [18]1963年3月時点の従業員934人
自社開発の一方で、外部の特許も取り込んだ。1958年10月に米ウエスタン・エレクトリック社とトランジスタの特許実施契約を結び、1959年4月には米RCA社と光導電素子製造法の特許実施契約を締結している。1961年10月には三菱電機とともに、米ウエスチングハウス社が持つインバータ特許の実施契約を結んだ。トランジスタの特許を得た1958年は、拡散型シリコン整流素子を自社技術で完成させた年でもある。整流素子は自前で確立し、トランジスタと光導電素子は契約で手当てするという分け方であり、素子の開発で速度が要る分野では、自前にこだわらず外部技術を買うほうが合理的だった。
- 株式会社年鑑 1962年版
- [19]1958年10月 米国ウエスタン・エレクトリック社とトランジスター特許実施契約を締結
- [20]1959年4月 米国RCA社と光導電素子製造法の特許実施契約を締結
- 株式会社年鑑 1964年版
- [21]1961年10月 三菱電機とともに米国ウエスチングハウス社所有のインバータ特許の実施契約を締結
- 企業の歴史:明治百年(経済春秋社, 1968)
- [22]1958年 わが国ではじめて自社技術による拡散型シリコン整流素子を完成
参考文献[14]-[22]
- 企業の歴史:明治百年(経済春秋社, 1968)
- [14]1958年 わが国ではじめて自社技術による拡散型シリコン整流素子を完成
- [15]1952〜53年頃のゲルマニウム整流器登場時、同社はゲルマニウムを「セレンからシリコンに代わる一過程」と見切り他社に先がけてシリコン開発に専念
- [22]1958年 わが国ではじめて自社技術による拡散型シリコン整流素子を完成
- 株式会社年鑑 1963年版
- [16]1962年3月期時点の主なる事業内容はシリコン整流器・セレン整流器・亜酸化銅整流器・亜酸化銅変調器・SiCバリスター・CdSホトコン・自動電圧調整器・磁気増巾器・高速断ヒューズ
- 株式会社年鑑 1962年版
- [17]1961年3月時点の従業員664人
- [19]1958年10月 米国ウエスタン・エレクトリック社とトランジスター特許実施契約を締結
- [20]1959年4月 米国RCA社と光導電素子製造法の特許実施契約を締結
- 株式会社年鑑 1964年版
- [18]1963年3月時点の従業員934人
- [21]1961年10月 三菱電機とともに米国ウエスチングハウス社所有のインバータ特許の実施契約を締結
1960年〜店頭公開から東証二部上場と商号変更へ
1960年代に入ると、増資の速度は設備投資に引かれてさらに上がった。資本金は1960年4月に5000万円、1961年3月に1億2500万円、1962年6月に2億5000万円、そして4億円へと、3年で8倍になっている。1961年3月に株式を店頭公開し、同年10月には東京証券取引所市場第二部へ上場した。既存株主への割当増資を重ねるだけでは追いつかない規模に設備資金が達し、資本市場からの直接調達へ切り替えている。1961年3月末時点の借入金は長期・短期の双方に残高を抱え、三井銀行と三菱銀行を主な取引先としていた。銀行借入と株主割当の二本だけでは、素子の量産に要る設備を賄いきれなくなっていた。
- 株式会社年鑑 1964年版
- [23]資本金移動 1960年4月5000万円→1961年3月1億2500万円→1962年6月2億5000万円→4億円
- サンケン電気 有価証券報告書【沿革】
- [24]1961年3月 株式店頭公開
- [25]1961年10月 東京証券取引所市場第二部へ上場
- 株式会社年鑑 1962年版
- [26]1961年3月31日現在の借入金は長期・短期とも残高があり、取引金融機関は三井銀行・三菱銀行ほか
当時の決算期は3月と9月の年2回だった。1961年3月までの半期の売上高は4億2474万2000円、当期純利益は4241万9000円を計上している。1962年3月期は売上高5億1323万6000円・当期純利益5591万5000円、1963年3月期は売上高6億4432万円・当期純利益6782万円と、半期ごとの規模は2年で5割増えた。配当率は年15%を維持しており、利益の伸びを株主へ配りながら任意積立金も積み増している。売上の増勢に利益の伸びが追いつく状態が、上場直後の数年は続いた。
- 株式会社年鑑 1962年版
- [27]決算期は3月・9月の年2回
- [28]1961年3月期(半期)売上高424,742千円・当期純利益42,419千円
- 株式会社年鑑 1963年版
- [29]1962年3月期(半期)売上高513,236千円・当期純利益55,915千円
- [31]各期の配当率は年15%
- 株式会社年鑑 1964年版
- [30]1963年3月期(半期)売上高644,320千円・当期純利益67,820千円
- [32]剰余金処分で任意積立金を毎期積み増し(1962年3月期1万3000千円、1963年3月期1万5000千円ほか)
1962年6月、商号を東邦産研電気からサンケン電気へ変更した。社名は「SanKen」をローマ字で図案化した社章とともに制定され、研究機関の後継という出自から半導体メーカーへ、自己定義を移す節目になった。同じ1962年には自動車用シリコン整流素子の量産を他社に先がけて開発し、素子の用途を産業用から車載へ広げる入り口も開いている。商号変更と同じ月に資本金は2億5000万円へ倍増し、名称と資本の双方が新しい規模に合わせて置き直された。創業から16年で東証二部上場と商号変更にこぎ着けた過程は、戦後復興期に半導体素子の需要が伸びた追い風の上にあった。
- サンケン電気 有価証券報告書【沿革】
- [33]1962年6月 商号を東邦産研電気からサンケン電気へ変更
- 企業の歴史:明治百年(経済春秋社, 1968)
- [34]社章は1962年の現社名変更時に制定、SanKenをそのままローマ字で図案化したもの
- [35]1962年 自動車用シリコン整流素子の量産を他社に先がけて開発
- 株式会社年鑑 1964年版
- [36]1962年6月 資本金を1億2500万円から2億5000万円へ(1対1の株主割当)
参考文献[23]-[36]
- 株式会社年鑑 1964年版
- [23]資本金移動 1960年4月5000万円→1961年3月1億2500万円→1962年6月2億5000万円→4億円
- [30]1963年3月期(半期)売上高644,320千円・当期純利益67,820千円
- [32]剰余金処分で任意積立金を毎期積み増し(1962年3月期1万3000千円、1963年3月期1万5000千円ほか)
- [36]1962年6月 資本金を1億2500万円から2億5000万円へ(1対1の株主割当)
- サンケン電気 有価証券報告書【沿革】
- [24]1961年3月 株式店頭公開
- [25]1961年10月 東京証券取引所市場第二部へ上場
- [33]1962年6月 商号を東邦産研電気からサンケン電気へ変更
- 株式会社年鑑 1962年版
- [26]1961年3月31日現在の借入金は長期・短期とも残高があり、取引金融機関は三井銀行・三菱銀行ほか
- [27]決算期は3月・9月の年2回
- [28]1961年3月期(半期)売上高424,742千円・当期純利益42,419千円
- 株式会社年鑑 1963年版
- [29]1962年3月期(半期)売上高513,236千円・当期純利益55,915千円
- [31]各期の配当率は年15%
- 企業の歴史:明治百年(経済春秋社, 1968)
- [34]社章は1962年の現社名変更時に制定、SanKenをそのままローマ字で図案化したもの
- [35]1962年 自動車用シリコン整流素子の量産を他社に先がけて開発
筆者考察
サンケン電気の出発点にあったのは工場ではなく、解散する研究機関から持ち出した人と装置だった。1946年の設立時、資本金は15万円しかない。小谷銕治が引き継いだのは東邦産業研究所の半導体研究室そのもので、技術者と実験設備がそのまま会社の資産になった。この出自は、以後の判断の形を決めている。ゲルマニウム整流器が現れたとき、この会社は追いつく努力を選ばず、セレンからシリコンへ素材を一段飛ばした。研究室を母体とする組織にとって、他社に遅れた技術で並ぶことより、誰も完成させていない領域で最初に量産までたどり着くことのほうが、手持ちの力の使い方として理に適っていた。1958年の拡散型シリコン整流素子は、その読みが当たったことを示している。
技術で先行しても、買い手の顔ぶれまでは変えられなかった。1961年時点の販売先は日本電信電話公社と各官庁、電力会社、そして日本電気であり、仕様と価格を決めるのは常に需要家の側にある。値付けの主導権を持てない以上、増えた利益は次の素子を作る設備へ充当するほかない。資本金は1946年の15万円から1962年の2億5000万円へ、16年で1600倍を超えた。株主割当の増資を重ねるだけでは足りず、1961年3月に店頭公開、同年10月に東証二部上場という順で外部資本を入れている。社名を東邦産研電気からサンケン電気へ改めたのは、その翌年である。研究機関の後継という名乗りを外した時点で、この会社は半導体メーカーとして数えられる側へ移った。
- 増資はいずれも既存株主への割当で、1対2から1対0.6の割合で実施された。
- 出所は株式会社年鑑 1962年版・1964年版の資本金移動欄。
出典・参考
5件
- サンケン電気 有価証券報告書【沿革】
- 株式会社年鑑 1962年版
- 株式会社年鑑 1963年版
- 株式会社年鑑 1964年版
- 企業の歴史:明治百年(経済春秋社, 1968)