第1章 年〜年

オービック:会計機販売から情報処理サービスへの転換とオービックへの改称

1968年〜中古会計機販売とオリックス・リース提携──負担を軽減する販売モデル

1968年4月、野田順弘氏が大阪市西区阿波座南通に株式会社大阪ビジネスを設立した。中古会計機を関西の中小企業へ売り歩く小さな商店からの出発で、メーカーから新品を仕入れる代理店業ではなく、中古品を捌く流通業の体裁を取った。扱いの約9割はリース利用に乗っていた。コンピュータは技術革新が速く、買い取って資産に計上すれば価値が下がり続ける一方で、リースなら月々の使用料に対する利用の効果を測れると野田順弘氏は説明している。リース産業全体が1兆円近くに育つなかで、オフィスコンピュータを含む事務用機器はその4分の1ほどを占めた。1969年5月に本店を大阪市東区常盤町へ移転、1971年11月に東京支店を、1973年12月に名古屋支店を開設して三大都市圏の販売網を整えた。

  • オービック 有価証券報告書 第57期(2025年3月期)【役員の状況】
    • [1]創業者は野田順弘氏
  • オービック 有価証券報告書 第57期(2025年3月期)【沿革】
    • [2]1968年4月 野田順弘氏が大阪市西区に株式会社大阪ビジネスを設立(中古会計機販売)
    • [6]1969年5月 本店を大阪市東区常盤町へ移転
    • [7]1971年11月 東京支店(現・東京本社)開設
  • 近代企業リサーチ(1979年7月10日号)
    • [3]オフィスコンピュータの利用は約90%までがリース利用だった(1979年時点)
    • [4]野田順弘氏はコンピュータの技術革新が速く買い取りでは資産価値が下がる一方、リースなら月々の使用料に対する利用技術のメリットを測定できると述べた
    • [5]リース産業は1兆円近い規模で、オフィスコンピュータを含む事務用機器は全体の25%程度を占めた(1979年時点)

1974年1月、商号を株式会社オービックへ改め、本店を大阪市南区塩町通へ移した。事務機・会計機販売から情報処理サービス・自前開発ソフトウェアへの業態転換も、1974年の社名変更に合わせて動き出した。1976年1月に東京・大阪の二本社制を採り、福岡支店を開設、九州拠点まで網を伸ばした。1976年7月に株式会社オービックオフィスオートメーション、1980年12月に株式会社オービックビジネスコンサルタント、1981年9月に株式会社オービックビジネスソリューションと、機能別子会社を相次いで設立してグループ網を広げた。オービックビジネスコンサルタント(OBC)は、23歳で公認会計士2次試験に合格した和田成史氏がオービックの出資を受けて興した会社で、野田順弘氏とは家族ぐるみの付き合いを保ちながらも経営には互いに口を出さない独立関係を築いた。OBCは中小企業向け会計ソフト"奉行シリーズ"の母体となり、1995年のウィンドウズ95登場を追い風に95対応版をヒットさせて、1999年10月に株式を店頭公開し、後に独立して上場会社(4733)へ育つ別ブランド子会社となった。1982〜1983年には大阪・東京・名古屋にオービックシステムエンジニアリングを設立し、SE機能を地域別に分散配置した。

  • オービック 有価証券報告書 第57期(2025年3月期)【沿革】
    • [8]1974年1月 商号を株式会社オービックに変更し本店を大阪市南区塩町通へ移転
    • [9]1976年1月 東京・大阪の二本社制実施・福岡支店開設
    • [10]1976年7月 株式会社オービックオフィスオートメーション設立
    • [11]1980年12月 株式会社オービックビジネスコンサルタント設立
    • [12]1981年9月 株式会社オービックビジネスソリューション設立
    • [13]オービックビジネスコンサルタントは会計ソフト「奉行シリーズ」の母体(別ブランド子会社)。後の独立上場(証券コード4733)は資産で未確認
    • [15]1982〜1983年 オービックシステムエンジニアリングを大阪・東京・名古屋に設立
  • 証券アナリストジャーナル(1999年11月・37巻11号)
    • [14]OBCは1995年のWindows95登場を追い風に95対応版奉行シリーズをヒットさせ、1999年10月7日に株式を店頭公開した
参考文献[1]-[15]
  • オービック 有価証券報告書 第57期(2025年3月期)【役員の状況】
    • [1]創業者は野田順弘氏
  • オービック 有価証券報告書 第57期(2025年3月期)【沿革】
    • [2]1968年4月 野田順弘氏が大阪市西区に株式会社大阪ビジネスを設立(中古会計機販売)
    • [6]1969年5月 本店を大阪市東区常盤町へ移転
    • [7]1971年11月 東京支店(現・東京本社)開設
    • [8]1974年1月 商号を株式会社オービックに変更し本店を大阪市南区塩町通へ移転
    • [9]1976年1月 東京・大阪の二本社制実施・福岡支店開設
    • [10]1976年7月 株式会社オービックオフィスオートメーション設立
    • [11]1980年12月 株式会社オービックビジネスコンサルタント設立
    • [12]1981年9月 株式会社オービックビジネスソリューション設立
    • [13]オービックビジネスコンサルタントは会計ソフト「奉行シリーズ」の母体(別ブランド子会社)。後の独立上場(証券コード4733)は資産で未確認
    • [15]1982〜1983年 オービックシステムエンジニアリングを大阪・東京・名古屋に設立
    • [3]オフィスコンピュータの利用は約90%までがリース利用だった(1979年時点)
    • [4]野田順弘氏はコンピュータの技術革新が速く買い取りでは資産価値が下がる一方、リースなら月々の使用料に対する利用技術のメリットを測定できると述べた
    • [5]リース産業は1兆円近い規模で、オフィスコンピュータを含む事務用機器は全体の25%程度を占めた(1979年時点)
    • [14]OBCは1995年のWindows95登場を追い風に95対応版奉行シリーズをヒットさせ、1999年10月7日に株式を店頭公開した

1981年〜現場主義とソフト志向──6人の技術集団から自社ブランドOFFICEへ

設立当初のオービックは6人程度の技術集団から出発し、専門技術者の集団という性格を創業以来変えなかった。野田順弘氏は"現場主義"を会社設立当初からの理念と位置づけ、ユーザーの現場に飛び込んで泥臭い悩みを失敗を重ねながら解決してこそ市場のニーズを捉えられると考えた。一般のディーラーがメーカーから供給されたハードをそのまま売るのに対し、オービックはメーカーから受け取ったハードにソフトウェアを載せ、ゴルフ場やホテルの予約システムのように業種ごとの業務そのものを商品として仕立てる売り方を取った。ハードは材料に過ぎず、ソフトの付加価値で稼ぐという発想である。ソフト開発そのものが利益源となったことで、1981年時点の売上高は80億円超・経常利益は10億円程度、グループ売上は100億円を超え、業界内で高い利益率を実現した。

  • マネジメント(1981年12月号・40巻12号)
    • [16]設立当初は6人程度の技術集団から出発した
    • [17]「現場主義」は会社設立当初からの理念で、ユーザーの現場に入り込んで市場ニーズを捉える経営思想
    • [18]ハードにソフトを載せ業種ごとの業務を商品化する、ソフトの付加価値で稼ぐ販売モデル
    • [19]1981年時点で売上高80億円超・経常利益10億円程度・グループ売上100億円超

1978年ごろに始めた社内のソフト資産共有システム"フレックス・ライブラリー"で各技術者のノウハウを会社の共有財産として蓄積し、開発と教育の時間を短縮した。1980年には過去に販売したオフコン用ソフトを集大成した自社ブランド"OFFICE"を、翌1981年には日本語対応の"OFFICE 0"を投入している。三菱電機のMELCOMシリーズを主力ハードに据え、1981年中には受注累計5,000台の達成を見込むトップディーラーへ育った。グループとしては横浜・京都・北九州に地域密着型の独立法人を設け、各地域の現場に密着したきめ細かな体制を構築した。

  • マネジメント(1981年12月号・40巻12号)
    • [20]社内ソフト資産共有システム「フレックス・ライブラリー」(1978年ごろ開始)で技術者のノウハウを共有財産化
    • [21]1980年に自社ブランド「OFFICE」、1981年に日本語対応「OFFICE 0」を投入
    • [22]三菱電機MELCOMシリーズを主力ハードとし、1981年中に受注累計5,000台達成を見込んだ
    • [23]横浜・京都・北九州に地域密着型の独立法人を設立
参考文献[16]-[23]
    • [16]設立当初は6人程度の技術集団から出発した
    • [17]「現場主義」は会社設立当初からの理念で、ユーザーの現場に入り込んで市場ニーズを捉える経営思想
    • [18]ハードにソフトを載せ業種ごとの業務を商品化する、ソフトの付加価値で稼ぐ販売モデル
    • [19]1981年時点で売上高80億円超・経常利益10億円程度・グループ売上100億円超
    • [20]社内ソフト資産共有システム「フレックス・ライブラリー」(1978年ごろ開始)で技術者のノウハウを共有財産化
    • [21]1980年に自社ブランド「OFFICE」、1981年に日本語対応「OFFICE 0」を投入
    • [22]三菱電機MELCOMシリーズを主力ハードとし、1981年中に受注累計5,000台達成を見込んだ
    • [23]横浜・京都・北九州に地域密着型の独立法人を設立

1980年〜新卒一本の採用と外注を使わない内製、地域拠点の自社化

1979年8月期のオービックは売上高60億円、従業員310名で、社員の平均年齢は27歳だった。野田順弘氏は、この会社にとって生産設備とは人そのものだとして、採用と教育を何より重んじた。1980年度には約3,200名が応募し、採ったのは70名近くである。教育は入社時で終わらせず何度も重ね、ノウハウが社員ごとに蓄えられるようにした。当時はコンピュータ技術者やシステムエンジニアの定年は32歳と言われたが、野田氏は、顧客企業に助言し、生産から販売まで見通せる力は長い経験からしか生まれないと考え、年を重ねるほど社員が力を付けていくことを望んだ。仕事の質が揃わなくなるおそれから外注にはほとんど頼らず、設計から管理、指導までを案件ごとに社内でこなしている。外部から人を入れずに内部で育てるこの採用の形は、業務知識が社員の頭の中にしか蓄えられない商売の性格を裏から映していた。

  • 近代企業リサーチ(1979年7月10日号)
    • [24]1979年8月期の売上高60億円(予定)・従業員310名・平均年齢27歳
  • マネジメント(1981年12月号・40巻12号)
    • [25]野田順弘氏は「当社の生産設備は人に尽きる」として人の教育・採用に力を入れていると述べた
    • [26]1980年度は約3,200名の応募に対して70名近くを採用し、入社後も繰り返し教育を行って個人にノウハウが蓄積する形にした
    • [27]コンピュータ技術者・システムエンジニアは32歳で定年と言われるが、利用企業へのコンサルテーションができ生産から販売まで分かるには経験の蓄積が要るとした
    • [28]質のばらつきが懸念される外注はほとんど行わず、設計・管理・指導を自社で一件ずつ行った

1982年8月に静岡営業所と広島サービスセンターを開き、1984年2月に横浜支店、1986年1月に北九州営業所、1987年7月に千葉支店、1988年10月に京都支店を開いた。それまで本支店は東京・大阪・名古屋・福岡の四か所にとどまっており、地域密着型の独立法人を置いていた3都市にも、自社の支店と営業所が順に開いたことになる。1994年8月の松本出張所、1995年10月の北関東営業所、1996年10月の立川・厚木両営業所まで、拠点の追加は途切れなかった。1997年4月には統合業務ソフトウェア"OBIC7シリーズ"の提供を始め、生産・販売・会計・人事・給与の業務別パッケージを揃えて、業種を問わない汎用業務へ商材を広げている。現場へ入る人数を増やすことと、その現場で使える部品を増やすことは、同じ一つの投資だったのだろう。

  • オービック 有価証券報告書 第57期(2025年3月期)【沿革】
    • [29]1982年8月 静岡営業所・広島サービスセンター開設
    • [30]1984年2月 横浜支店開設
    • [31]1986年1月 北九州営業所開設(福岡支店に統合)
    • [32]1987年7月 千葉支店開設
    • [33]1988年10月 京都支店開設
    • [35]1994年8月 松本出張所、1995年10月 北関東営業所、1996年10月 立川営業所・厚木営業所を開設
  • マネジメント(1981年12月号・40巻12号)
    • [34]本支店は東京・大阪・名古屋・福岡の四か所で、横浜・京都・北九州には地域密着型の独立法人を置いていた(1981年時点)
  • オービック 公式サイト 沿革ページ(archive.org)
    • [36]1997年 統合業務ソフトウェア「OBIC7シリーズ」を開発し提供を開始

オフィスコンピュータの価格は取引ごとに開き、4,000万円のハードウェアが2,000万円で出る例もあった。五年のリース期間には教育・保守・システム変更の費用が発生するため、その原資が残らない値段で売れば利用者が損をする。オービックはこれを業界の乱売として批判した。メーカー各社が文具店や事務機店まで販売チャネルを広げ、ハードウェアだけを流していた時期にあたる。オービックは利用者の現場へ入って相談に応じ、利用技術そのものを商品とした。1990年2月には通商産業省のシステム・インテグレーター認定を受け、業種・業態別に約150種を蓄えたフレックス・ライブラリーが、その値付けを支える資産になっていた。四、五年で買い替えの需要が戻る商売では、導入時の評価がそのまま次の受注を決めたのだろう。

  • 近代企業リサーチ(1979年7月10日号)
    • [37]オフィスコンピュータのハードウェア価格には取引ごとのばらつきがあり、4,000万円のものが2,000万円になる例があった
    • [38]野田順弘氏は5年のリース期間中に教育・サービス・システム変更・保守の費用が生じるため、その原資が出ない価格での販売を戒め、業界の乱売に警告を発した
    • [39]メーカー各社が文具店・事務機店を販売チャネルにしてハードウェアのみを販売する状況にあった
    • [40]オービックは利用者の現場に入ってコンサルテーションを行い、利用技術の価値を売った
  • 月刊貿易と産業(1990年10月号)
    • [41]1990年2月 通商産業省のシステム・インテグレーター認定企業となった
    • [42]フレックス・ライブラリーは業種・業態別に約150種のソフトウェアをライブラリー化したもの(1990年時点)
参考文献[24]-[42]
    • [24]1979年8月期の売上高60億円(予定)・従業員310名・平均年齢27歳
    • [37]オフィスコンピュータのハードウェア価格には取引ごとのばらつきがあり、4,000万円のものが2,000万円になる例があった
    • [38]野田順弘氏は5年のリース期間中に教育・サービス・システム変更・保守の費用が生じるため、その原資が出ない価格での販売を戒め、業界の乱売に警告を発した
    • [39]メーカー各社が文具店・事務機店を販売チャネルにしてハードウェアのみを販売する状況にあった
    • [40]オービックは利用者の現場に入ってコンサルテーションを行い、利用技術の価値を売った
    • [25]野田順弘氏は「当社の生産設備は人に尽きる」として人の教育・採用に力を入れていると述べた
    • [26]1980年度は約3,200名の応募に対して70名近くを採用し、入社後も繰り返し教育を行って個人にノウハウが蓄積する形にした
    • [27]コンピュータ技術者・システムエンジニアは32歳で定年と言われるが、利用企業へのコンサルテーションができ生産から販売まで分かるには経験の蓄積が要るとした
    • [28]質のばらつきが懸念される外注はほとんど行わず、設計・管理・指導を自社で一件ずつ行った
    • [34]本支店は東京・大阪・名古屋・福岡の四か所で、横浜・京都・北九州には地域密着型の独立法人を置いていた(1981年時点)
  • オービック 有価証券報告書 第57期(2025年3月期)【沿革】
    • [29]1982年8月 静岡営業所・広島サービスセンター開設
    • [30]1984年2月 横浜支店開設
    • [31]1986年1月 北九州営業所開設(福岡支店に統合)
    • [32]1987年7月 千葉支店開設
    • [33]1988年10月 京都支店開設
    • [35]1994年8月 松本出張所、1995年10月 北関東営業所、1996年10月 立川営業所・厚木営業所を開設
    • [36]1997年 統合業務ソフトウェア「OBIC7シリーズ」を開発し提供を開始
    • [41]1990年2月 通商産業省のシステム・インテグレーター認定企業となった
    • [42]フレックス・ライブラリーは業種・業態別に約150種のソフトウェアをライブラリー化したもの(1990年時点)

筆者考察

オービックが値札を付けたのは、機械そのものではなく、機械を仕事に合わせるまでの手間だった。中古の会計機を関西の中小企業へ運んだ1968年の出発点から、野田順弘氏は専門のプログラマーやシステムエンジニアを抱えられない企業を相手に選んでいる。買い手が困っていたのは機械の代金ではなく、それを自社の業務へ合わせる作業のほうで、そこを引き受ければ値引き競争の外に出られた。導入費を月々の使用料へ割る売り方が定着し、1979年には扱いの約九割がリースに乗っている。五年の契約の間に教育と保守で受け取る収入がある以上、ハードウェアの値段を下げて競う理由がなかった。

この売り方は、人を外から入れない方針と組になっていた。野田順弘氏は自社の生産設備は人に尽きると言い、1980年度は約3,200名の応募から70名近くを選んで、入社後も繰り返し教育を重ねている。質のばらつきが懸念される外注はほとんど使わず、設計から管理・指導まで一件ずつ自社で担った。業務の知識が社員の頭のなかにしか無い商売では、人が抜けることは商品が抜けることに等しい。1978年ごろに始めたフレックス・ライブラリーは、その知識を個人から会社へ移す装置であり、1990年には業種・業態別に約150種まで積み上がった。納入は1975年3月の累計1,000台から1981年の5,000台へ伸びたが、増えていたのは台数よりも、その台数ぶんだけ蓄えた業務の設計だった。

オービックのオフィスコンピュータ納入累計台数 1975年3月〜1981年(1981年は年内に達成見込みの受注累計)(台)

1,000 75年3月 2,000 77年12月 3,500 80年9月 5,000 81年見込
  • 出所はマネジメント 1981年12月号。

1968年〜1997年の業績

決算期 区分 売上高 純利益 主な投資
億円 YoY 億円 利益率
1968年 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1969年 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1970年 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1971年 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1972年 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1973年 n/a n/a n/a n/a n/a 名古屋支店開設(1973/12)
1974年 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1975年 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1976年 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1977年 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1978年 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1979年 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1980年 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1981年 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1982年 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1983年 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1984年 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1985年 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1986年 n/a n/a n/a n/a n/a 北九州営業所開設(福岡支店に統合)(1986/01)
1987年 n/a n/a n/a n/a n/a 千葉支店開設(1987/07)
1988年 n/a n/a n/a n/a n/a 京都支店開設(1988/10)
1989年 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1990年 n/a n/a n/a n/a n/a サンノゼ(アメリカ)支店開設(1990/10)
1991年03月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a
1992年03月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a
1993年03月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a
1994年03月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a
1995年03月期 単体 n/a n/a n/a n/a 松本出張所(現・松本営業所)開設(1994/08)
1996年03月期 単体 n/a n/a n/a n/a 北関東支店開設(1995/10)
1997年03月期 連結 314 n/a 10 3.2% n/a

出典・参考

7件
出典・参考
  • オービック 有価証券報告書 第57期(2025年3月期)【役員の状況】
  • オービック 有価証券報告書 第57期(2025年3月期)【沿革】
  • マネジメント(1981年12月号・40巻12号)
  • 月刊貿易と産業(1990年10月号)
  • 証券アナリストジャーナル(1999年11月・37巻11号)
  • 近代企業リサーチ(1979年7月10日号)
  • オービック 公式サイト 沿革ページ(archive.org)

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