カネカ:鐘淵紡績からの事業譲受による設立と塩化ビニール樹脂の製造
1949年〜繊維以外の全事業を引き受けた第二会社
1949年9月1日、鐘淵紡績の企業再建整備計画の認可に基づき、繊維部門を除く全事業を引き受けて鐘淵化学工業が発足した。資本金は2億円、本社は大阪市東区本町に置いた。継承した事業はか性ソーダ、搾油、石鹸、食油、酵母、食品類、洋紙、和紙、エナメル電線、化粧品、澱粉におよぶ。化学会社の看板を掲げてはいたものの、実態は紡績会社が戦中戦後に保有するに至った雑多な事業の受け皿であり、法的には新会社でありながら、事業そのものは鐘紡の歴史と同じだけ古かった。1949年10月には東京証券取引所などに株式を上場している。
- カネカ 有価証券報告書【沿革】
- [1]1949年9月1日に鐘淵紡績の企業再建整備計画に基づき分離独立して設立された
- [5]1949年10月に東京証券取引所等へ株式を上場した
- カネカ 有価証券報告書 第82期(2006年3月期)【沿革】
- [2]設立時の資本金は2億円
- [4]継承事業はか性ソーダ・搾油・石鹸・食油・酵母・食品類・洋紙・和紙・エナメル電線・化粧品・澱粉
- 会社銀行八十年史(1955年)「鐘淵化学工業」
- [3]設立時の本社は大阪市東区本町4の27
発足後の10年は、引き受けた事業を減らす作業に費やされた。アミノ酸は1952年6月に製造を中止し、澱粉は1953年3月、洋紙は同年7月にそれぞれ譲渡、和紙も1954年8月に整理している。整理を免れたのはか性ソーダ、食油、酵母の3つで、それ以外は順次たたんだ。1967年になると、鐘紡から引き継いだ事業で残っていたのは苛性ソーダと石鹸だけになっている。同時に既設設備の改善増強と新規事業の立ち上げを進めており、引き算と足し算を同じ時期に行っている。石鹸、電解苛性ソーダ、BHCの設備を増強し、自家発電設備を整えて動かしたのもこの時期である。1951年8月には資本金を4億円へ増やし、1954年度の総売上高は61億円に達した。
- 会社銀行八十年史(1955年)「鐘淵化学工業」
- [6]アミノ酸は1952年6月に製造中止、澱粉は1953年3月、洋紙は1953年7月に譲渡、和紙は1954年8月に整理
- [8]整理したのはアミノ酸・澱粉・洋紙・和紙で、石鹸・電解苛性ソーダ・BHCの設備増強と自家発電設備の整備稼働を並行して実施した
- [9]1951年8月に資本金を4億円とし、1954年度の総売上高は61億円
- 証券アナリストジャーナル 1967年8月号(大澤孝)
- [7]その後、か性ソーダ・食油・酵母以外の事業を順次整理し、1967年時点で鐘紡から引き継いで続いていたのは苛性ソーダと石鹸だけであった
会社の輪郭が定まらない時期は長く続き、無配の期を何度も重ねている。設立から18年たった1967年になっても、鐘淵化学工業は世間から鐘紡の一部門と見られていた。同社の常務取締役だった大澤孝氏は、証券アナリスト協会の講演でその状況を率直に語っている。資本金は43億8,000万円に増え、1967年の年初からその年の夏までに約2,000万株が一般株主から金融機関へ移り、従来分と合わせて発行株式の50%近くが安定株主の手に渡った。独立した会社としての体裁は、株主構成の面から先に整った。
- 証券アナリストジャーナル 1967年8月号(大澤孝)
- [10]1967年時点の常務取締役は大澤孝
- [11]1967年時点の資本金は43億8,000万円で、約2,000万株が一般株主から金融機関へ移り安定株主が50%近くになった
参考文献[1]-[11]
- カネカ 有価証券報告書【沿革】
- [1]1949年9月1日に鐘淵紡績の企業再建整備計画に基づき分離独立して設立された
- [5]1949年10月に東京証券取引所等へ株式を上場した
- カネカ 有価証券報告書 第82期(2006年3月期)【沿革】
- [2]設立時の資本金は2億円
- [4]継承事業はか性ソーダ・搾油・石鹸・食油・酵母・食品類・洋紙・和紙・エナメル電線・化粧品・澱粉
- 会社銀行八十年史(1955年)「鐘淵化学工業」
- [3]設立時の本社は大阪市東区本町4の27
- [6]アミノ酸は1952年6月に製造中止、澱粉は1953年3月、洋紙は1953年7月に譲渡、和紙は1954年8月に整理
- [8]整理したのはアミノ酸・澱粉・洋紙・和紙で、石鹸・電解苛性ソーダ・BHCの設備増強と自家発電設備の整備稼働を並行して実施した
- [9]1951年8月に資本金を4億円とし、1954年度の総売上高は61億円
- 証券アナリストジャーナル 1967年8月号(大澤孝)
- [7]その後、か性ソーダ・食油・酵母以外の事業を順次整理し、1967年時点で鐘紡から引き継いで続いていたのは苛性ソーダと石鹸だけであった
- [10]1967年時点の常務取締役は大澤孝
- [11]1967年時点の資本金は43億8,000万円で、約2,000万株が一般株主から金融機関へ移り安定株主が50%近くになった
1950年〜日本で最初の塩化ビニール工業化と塩素からの連鎖
1950年7月、鐘淵化学工業は塩化ビニールの工業化に日本で初めて成功した。戦時中に軍の要請で進めていた合成ゴムの研究で得た技術と経験を、遊休設備の上で組み直したものである。当初の生産能力は月産60トンにすぎなかったが、数次の拡張を経て1955年3月には月産400トンに達した。技術導入ではなく自社技術によったこと、そして塩素の供給源であるソーダ部門を自前で持っていたことが、この事業を会社の中心に据える条件になった。その後も技術の改良と合理化を重ね、質と量の両面で国内トップメーカーの一つに数えられるまでになる。
- カネカ 有価証券報告書【沿革】
- [12]1950年7月に塩化ビニール樹脂の製造を開始した
- 証券アナリストジャーナル 1967年8月号(大澤孝)
- [13]戦時中から研究してきた合成ゴムの技術と経験を生かし自社技術によって塩ビを企業化した
- 会社銀行八十年史(1955年)「鐘淵化学工業」
- [14]塩化ビニールは1950年7月にわが国で初めて工業化に成功したもので、当初月産60トン、1955年3月現在で月産400トン設備
塩化ビニールは単体の樹脂としてだけでなく、川下へ次々と枝分かれした。1950年7月には合成樹脂部門から塩ビの供給を受けて塩化ビニール電線の製造を開始し、1952年1月には塩化ビニリデンと塩化ビニールの共重合ラテックスを紙に塗った塩ビ加工紙カネプルーフ・ペーパーを送り出している。防湿紙、防油紙として化学肥料や農薬の包装に回った。1953年4月には可塑剤と安定剤を加えて加工業者がそのまま成型できる塩ビコンパウンドを、1953年2月にはショートニングの製造を始め、食品にも足を伸ばした。
- 会社銀行八十年史(1955年)「鐘淵化学工業」
- [15]1950年7月から塩化ビニール電線、1952年1月から塩ビ加工紙カネプルーフ・ペーパーの製造を開始した
- カネカ 有価証券報告書【沿革】
- [16]1953年2月にショートニング、1953年4月に塩ビコンパウンドの製造を開始した
塩素を出発点にした事業の並べ方は、この時期に固まった。1948年から製造していたBHCは当初DDTに押されたものの、設備の拡充と品質改良によって原沫では業界1位となる。1954年7月にはジフェニールを塩素化した五塩化ジフェニール、商品名カネクロールを月産100トンの設備で製造開始した。合成電気絶縁油や熱媒可塑剤として使われるもので、1955年時点で日本で製造していたのは鐘淵化学工業だけである。塩素を使う工業が増えるにつれてソーダ部門も拡張し、1955年3月時点で苛性ソーダは月産1,000トン設備を持つに至った。
- 会社銀行八十年史(1955年)「鐘淵化学工業」
- [17]BHCは1948年から製造を開始し、原沫で業界第一位にあった
- [18]1954年7月にカネクロール(五塩化ジフェニール)を月産100トン設備で製造開始し、わが国では唯一のものであった
- [20]1955年3月末時点で苛性ソーダは月産1,000トン設備を有した
- 環境省「PCB廃棄物処理対策の経緯について」(ポリ塩化ビフェニル(PCB)早期処理情報サイト)
- [19]PCBの国内製造は1954年(昭和29年)に開始され、製造したのは鐘淵化学工業と三菱モンサント化成の2社である(三菱モンサント化成の製造開始は後年)
参考文献[12]-[20]
- カネカ 有価証券報告書【沿革】
- [12]1950年7月に塩化ビニール樹脂の製造を開始した
- [16]1953年2月にショートニング、1953年4月に塩ビコンパウンドの製造を開始した
- 証券アナリストジャーナル 1967年8月号(大澤孝)
- [13]戦時中から研究してきた合成ゴムの技術と経験を生かし自社技術によって塩ビを企業化した
- 会社銀行八十年史(1955年)「鐘淵化学工業」
- [14]塩化ビニールは1950年7月にわが国で初めて工業化に成功したもので、当初月産60トン、1955年3月現在で月産400トン設備
- [15]1950年7月から塩化ビニール電線、1952年1月から塩ビ加工紙カネプルーフ・ペーパーの製造を開始した
- [17]BHCは1948年から製造を開始し、原沫で業界第一位にあった
- [18]1954年7月にカネクロール(五塩化ジフェニール)を月産100トン設備で製造開始し、わが国では唯一のものであった
- [20]1955年3月末時点で苛性ソーダは月産1,000トン設備を有した
- [19]PCBの国内製造は1954年(昭和29年)に開始され、製造したのは鐘淵化学工業と三菱モンサント化成の2社である(三菱モンサント化成の製造開始は後年)
1950年〜塩ビを原料に使う繊維としてのカネカロン
塩ビを柱に据えて化学会社を目指していた鐘淵化学工業には、自社樹脂の使い道を自ら切り開くという課題があった。注目を集めた塩化ビニールには他社の企業化も続き、競い合いは年を追って厳しくなっていたからである。1950年に塩ビの生産を始めた前後に、中司清社長は塩ビから繊維を作る事業を手がけると決めて研究を命じ、研究陣は二手に分かれて、アクリロニトリルを繊維にする道と塩ビそのものを繊維にする道を探った。ただ塩ビを溶かせる溶剤はテトラヒドロフランのような高価なものに限られ、それを使えば樹脂が安いという長所が失われる。残ったのはアクリロニトリルと塩ビを共重合させてアセトンに溶かす道で、塩ビもアセトンも自社で作れることが決め手になった。こうして国内のアクリル系繊維の先頭を切ったのがカネカロンである。
- 変革と創造 鐘淵化学20年史(鐘淵化学工業、1970年)
- [21]塩ビは各社の企業化が相次いで競争が激化し、独自の需要分野を開発することが課題となった
- [22]中司清社長は塩ビを原料とする繊維の事業化を決意し、1950年の塩ビ生産開始と前後して研究を指示した
- [23]塩ビを溶かす溶剤はテトラヒドロフランやシクロヘキサノンなど値段が高く、安い樹脂である塩ビの利点が消えてしまう問題があった
- [24]アクリロニトリルと塩ビを共重合しアセトンで溶かす方向を採り、塩ビもアセトンも自社生産していることが有利な条件であった
- 証券アナリストジャーナル 1967年8月号(大澤孝)
- [25]カネカロンはアクリル系合成繊維の商品名で、鐘淵化学工業が繊維事業に参入して初めて手がけたものであり、アクリル系繊維では国内の先頭を切った
カネカロン工場の第一期計画は日産5トンで13億円を要したが、当時の鐘淵化学工業の資本金は4億円にすぎなかった。朝鮮動乱の休戦後に4年続いた苦境のあとだけに、資産の内容も十分とはいえない。中司清社長は官庁と金融機関を自ら回り、羊毛の輸入高が年700億〜800億円にのぼることを挙げて、国産原料による羊毛代替繊維が国際収支に寄与すると説き、1955年から1956年にかけて10回の説明会に出た。認可は1956年1月に下り、融資もまとまる。製造と販売は別会社で行うこととし、1956年3月にカネカロン株式会社が設立された。資本金3億円のうち1億5,000万円を鐘化が出し、残りは鐘淵紡績が1億円、アクリロニトリルの購入先である日東化学が2,000万円、東洋高圧が3,000万円を引き受けている。
- 変革と創造 鐘淵化学20年史(鐘淵化学工業、1970年)
- [26]カネカロン工場の第一期計画は日産5トンで13億円を要したが、当時の鐘化の資本金は4億円であった
- [27]中司清社長は羊毛の輸入高が年700億〜800億円にのぼることを挙げて国産原料による代替を説き、1955年から1956年にかけて10回の説明会に出席した
- [28]企業化は1956年1月に認可され、金融機関からの融資もまとまった
- [30]カネカロン株式会社の資本金3億円のうち1億5,000万円を鐘化、1億円を鐘淵紡績、2,000万円を日東化学、3,000万円を東洋高圧が出資した
- 日本企業要覧 1980年版「鐘淵化学工業」
- [29]1956年3月に子会社カネカロン株式会社を設立した
工場は高砂工場の敷地内に建ち、1957年7月に操業を開始した。社内には自動制御に通じた人がおらず、負担が二重三重に膨らむと反対する声があった。それでも工場は、樹脂とファイバーの製造装置を並べ、中央管理室の制御盤から全体を動かす自動制御の形で建てられた。この工場で積んだ技術は、後に規模を広げた塩ビ工場に生かされている。カネカロンの売れ行きは出だしこそよかった。だが紡績会社は天然の綿を買い入れて糸にする流儀に慣れており、見慣れない繊維の採用には慎重だった。1957年から1958年には繊維業界が戦後で最も深いとされる不況に見舞われ、アクリル繊維にも3社が参入して販売の奪い合いが起きた。1958年にはカネカロンの生産をいったん止めるほかなくなった。塩ビでは先んじた会社が、繊維では追う立場に回ったのである。
- カネカ 有価証券報告書【沿革】
- [31]1957年7月にアクリル系合成繊維「カネカロン」の製造を開始した
- 変革と創造 鐘淵化学20年史(鐘淵化学工業、1970年)
- [32]カネカロン工場では反対意見のあった自動制御を採用し、そこで蓄積した技術がその後大型化した塩ビ工場などで役立った
- [33]天然繊維に慣れた紡績や織布などの加工メーカーは新しい繊維を警戒した
- [34]1957年から1958年にかけて繊維業界は戦後最大といわれる不況に入り、アクリル繊維はカネカロンに続いて3社が操業を開始して売り込み競争となった
- [35]1958年にカネカロンは一時生産を中断した
参考文献[21]-[35]
- 変革と創造 鐘淵化学20年史(鐘淵化学工業、1970年)
- [21]塩ビは各社の企業化が相次いで競争が激化し、独自の需要分野を開発することが課題となった
- [22]中司清社長は塩ビを原料とする繊維の事業化を決意し、1950年の塩ビ生産開始と前後して研究を指示した
- [23]塩ビを溶かす溶剤はテトラヒドロフランやシクロヘキサノンなど値段が高く、安い樹脂である塩ビの利点が消えてしまう問題があった
- [24]アクリロニトリルと塩ビを共重合しアセトンで溶かす方向を採り、塩ビもアセトンも自社生産していることが有利な条件であった
- [26]カネカロン工場の第一期計画は日産5トンで13億円を要したが、当時の鐘化の資本金は4億円であった
- [27]中司清社長は羊毛の輸入高が年700億〜800億円にのぼることを挙げて国産原料による代替を説き、1955年から1956年にかけて10回の説明会に出席した
- [28]企業化は1956年1月に認可され、金融機関からの融資もまとまった
- [30]カネカロン株式会社の資本金3億円のうち1億5,000万円を鐘化、1億円を鐘淵紡績、2,000万円を日東化学、3,000万円を東洋高圧が出資した
- [32]カネカロン工場では反対意見のあった自動制御を採用し、そこで蓄積した技術がその後大型化した塩ビ工場などで役立った
- [33]天然繊維に慣れた紡績や織布などの加工メーカーは新しい繊維を警戒した
- [34]1957年から1958年にかけて繊維業界は戦後最大といわれる不況に入り、アクリル繊維はカネカロンに続いて3社が操業を開始して売り込み競争となった
- [35]1958年にカネカロンは一時生産を中断した
- 証券アナリストジャーナル 1967年8月号(大澤孝)
- [25]カネカロンはアクリル系合成繊維の商品名で、鐘淵化学工業が繊維事業に参入して初めて手がけたものであり、アクリル系繊維では国内の先頭を切った
- 日本企業要覧 1980年版「鐘淵化学工業」
- [29]1956年3月に子会社カネカロン株式会社を設立した
- カネカ 有価証券報告書【沿革】
- [31]1957年7月にアクリル系合成繊維「カネカロン」の製造を開始した
1949年〜1959年の業績
| 決算期 | 区分 | 売上高 | 営業利益 | 純利益 | 主な投資 | ||
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 億円 | YoY | 億円 | 億円 | 利益率 | |||
| 1949年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1950年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1951年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1952年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1953年03月期 | 単体 | 55 | n/a | 0 | ▲3 | ▲5.5% | n/a |
| 1954年03月期 | 単体 | 61 | +10.9% | 4 | 1 | 1.6% | n/a |
| 1955年03月期 | 単体 | 61 | 0.0% | 4 | 1 | 1.6% | n/a |
| 1956年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1957年03月期 | 単体 | 67 | n/a | 9 | n/a | n/a | n/a |
| 1958年03月期 | 単体 | 76 | +13.4% | 8 | n/a | n/a | n/a |
| 1959年03月期 | 単体 | 76 | 0.0% | n/a | 2 | 2.6% | n/a |
出所:上場会社総覧(1956年版)半期合算、上場会社総覧(1959年版)半期合算、会社年鑑(1963年版)半期合算
出典・参考
7件
- カネカ 有価証券報告書 第82期(2006年3月期)【沿革】
- カネカ 有価証券報告書【沿革】
- 変革と創造 鐘淵化学20年史(鐘淵化学工業、1970年)
- 会社銀行八十年史(1955年)「鐘淵化学工業」
- 証券アナリストジャーナル 1967年8月号(大澤孝)
- 日本企業要覧 1980年版「鐘淵化学工業」
- 環境省「PCB廃棄物処理対策の経緯について」(ポリ塩化ビフェニル(PCB)早期処理情報サイト)