第1章 年〜年

SUMCO:日窒電子化学・小松電子金属の設立とシリコンウェーハの生産

1958年〜日窒電子化学と小松電子金属の設立と、尼崎の大阪チタニウムが始めたシリコンウェーハ

SUMCOの源流のうち最も早い会社は、化学会社の新日本窒素肥料が1958年12月に設立した日窒電子化学である。設立の目的には半導体用高純度シリコンの製造と販売を掲げ、1959年10月に野田工場で生産を始めた。同じ1959年10月には、三菱金属鉱業ほかの出資で、同じ目的の日本電子金属の設立。三菱金属鉱業は1950年代半ばまでに、トランジスタ用の高純度ゲルマニウムの販売を始めていた。1961年3月時点で、大阪チタニウム製造の高純度シリコンの販売先には日本電気、東京芝浦電気、日立製作所が並んだ。電機大手がトランジスタの国産を進めたので、化学や非鉄の会社が素材を担う専業会社を相次いで設けたとみられる。

  • 有価証券報告書 FY25「沿革」(旧三菱マテリアルシリコン・旧シチックス事業本部・SUMCO TECHXIV の沿革)
    • [1]1958年12月 新日本窒素肥料が半導体用高純度シリコンの製造・販売を目的に日窒電子化学を設立。1959年10月 野田工場が生産開始
    • [2]1958年12月 新日本窒素肥料が半導体用高純度シリコンの製造・販売を目的に日窒電子化学を設立。1959年10月 野田工場が生産開始
    • [3]1959年10月 三菱金属鉱業等が半導体用高純度シリコンの製造・販売等を目的に日本電子金属を設立
  • 日経ビジネス 1982年5月17日号
    • [4]三菱金属は昭和20年代末にトランジスタ用高純度ゲルマニウムなどの販売を開始
  • 株式会社年鑑 1962年版「大阪チタニウム製造」
    • [5]1961年3月期 大阪チタニウム製造のシリコンの販売先は日本電気・東京芝浦電気・日立製作所

大阪チタニウム製造は1950年11月に大阪特殊製鉄所として発足し、1952年10月に住友金属工業と全面提携して社名を改めた。チタンの製造工程では副産物として四塩化珪素が生じ、大阪チタニウム製造は独自の技術でここから多結晶シリコンを作り、1960年に工業生産を始めた。続いて1961年に単結晶、1962年1月には尼崎工場でウェーハの生産を始め、素材から加工へ工程を広げた。1960年10月から1961年3月の半期で、多結晶の生産は能力360kgに対し実績280kgである。1968年時点でも社長の中川路貞治氏のもと、売上高41億円の約84%は金属チタンが占めた。チタンの工程から原料を得られたので、設備を一から揃えずにシリコンへ参入できたと推察される。

  • 企業の歴史 明治百年 1968年「大阪チタニウム製造」
    • [6]1950年11月 大阪特殊製鉄所として設立。1952年10月 住友金属工業と全面提携し大阪チタニウム製造に社名変更
    • [10]1968年 社長中川路貞治、年間売上41億円のうち約84%が金属チタン
  • 証券アナリストジャーナル 別冊付録「企業」1990年12月 玉本茂(大阪チタニウム製造社長)「大阪チタニウム製造」
    • [7]1960年 チタン製造工程の副産物の四塩化珪素から独自技術で多結晶シリコンを工業化。1961年単結晶、1962年ウェーハの工業生産開始
  • 有価証券報告書 FY25「沿革」(旧三菱マテリアルシリコン・旧シチックス事業本部・SUMCO TECHXIV の沿革)
    • [8]1962年1月 大阪チタニウム製造尼崎工場でシリコンウェーハの生産開始
  • 株式会社年鑑 1962年版「大阪チタニウム製造」
    • [9]1960年10月-1961年3月 高純度シリコン(多結晶)生産能力360瓩・生産実績280瓩

建設機械の小松製作所は1960年4月、石塚研究所と共同で出資し、小松電子金属を設立した。同じ1960年には大阪チタニウム製造も多結晶シリコンの工業生産を始めた。1958年から1960年にかけて、化学、非鉄、機械と出自の異なる会社がシリコンの会社を相次いで立ち上げたことになる。小松電子金属は1993年4月にコマツ電子金属へ改称するまで、当初の社名で事業を続けた。1990年12月には大阪チタニウム製造社長の玉本茂氏が、首位の信越半導体に続く2位グループの1社に小松電子金属を挙げた。本業と離れた素材の事業を研究所との共同出資で始めたのは、技術を外から取り込み、単独で抱える危険を抑えるためだったと思われる。

  • 有価証券報告書 FY25「沿革」(旧三菱マテリアルシリコン・旧シチックス事業本部・SUMCO TECHXIV の沿革)
    • [11]1960年4月 小松製作所と石塚研究所の共同出資で小松電子金属を設立。1993年4月 コマツ電子金属に商号変更
    • [13]1960年4月 小松製作所と石塚研究所の共同出資で小松電子金属を設立。1993年4月 コマツ電子金属に商号変更
    • [14]1960年4月 小松製作所と石塚研究所の共同出資で小松電子金属を設立。1993年4月 コマツ電子金属に商号変更
  • 証券アナリストジャーナル 別冊付録「企業」1990年12月 玉本茂(大阪チタニウム製造社長)「大阪チタニウム製造」
    • [12]1960年 大阪チタニウム製造が多結晶シリコン生産開始。1990年時点 信越半導体27.5%が首位、大阪チタニウム製造・小松電子・三菱金属・Huelsが2位グループ
    • [15]1960年 大阪チタニウム製造が多結晶シリコン生産開始。1990年時点 信越半導体27.5%が首位、大阪チタニウム製造・小松電子・三菱金属・Huelsが2位グループ
参考文献[1]-[15]
  • 有価証券報告書 FY25「沿革」(旧三菱マテリアルシリコン・旧シチックス事業本部・SUMCO TECHXIV の沿革)
    • [1]1958年12月 新日本窒素肥料が半導体用高純度シリコンの製造・販売を目的に日窒電子化学を設立。1959年10月 野田工場が生産開始
    • [2]1958年12月 新日本窒素肥料が半導体用高純度シリコンの製造・販売を目的に日窒電子化学を設立。1959年10月 野田工場が生産開始
    • [3]1959年10月 三菱金属鉱業等が半導体用高純度シリコンの製造・販売等を目的に日本電子金属を設立
    • [8]1962年1月 大阪チタニウム製造尼崎工場でシリコンウェーハの生産開始
    • [11]1960年4月 小松製作所と石塚研究所の共同出資で小松電子金属を設立。1993年4月 コマツ電子金属に商号変更
    • [13]1960年4月 小松製作所と石塚研究所の共同出資で小松電子金属を設立。1993年4月 コマツ電子金属に商号変更
    • [14]1960年4月 小松製作所と石塚研究所の共同出資で小松電子金属を設立。1993年4月 コマツ電子金属に商号変更
  • 日経ビジネス 1982年5月17日号
    • [4]三菱金属は昭和20年代末にトランジスタ用高純度ゲルマニウムなどの販売を開始
  • 株式会社年鑑 1962年版「大阪チタニウム製造」
    • [5]1961年3月期 大阪チタニウム製造のシリコンの販売先は日本電気・東京芝浦電気・日立製作所
    • [9]1960年10月-1961年3月 高純度シリコン(多結晶)生産能力360瓩・生産実績280瓩
  • 企業の歴史 明治百年 1968年「大阪チタニウム製造」
    • [6]1950年11月 大阪特殊製鉄所として設立。1952年10月 住友金属工業と全面提携し大阪チタニウム製造に社名変更
    • [10]1968年 社長中川路貞治、年間売上41億円のうち約84%が金属チタン
  • 証券アナリストジャーナル 別冊付録「企業」1990年12月 玉本茂(大阪チタニウム製造社長)「大阪チタニウム製造」
    • [7]1960年 チタン製造工程の副産物の四塩化珪素から独自技術で多結晶シリコンを工業化。1961年単結晶、1962年ウェーハの工業生産開始
    • [12]1960年 大阪チタニウム製造が多結晶シリコン生産開始。1990年時点 信越半導体27.5%が首位、大阪チタニウム製造・小松電子・三菱金属・Huelsが2位グループ
    • [15]1960年 大阪チタニウム製造が多結晶シリコン生産開始。1990年時点 信越半導体27.5%が首位、大阪チタニウム製造・小松電子・三菱金属・Huelsが2位グループ

1964年〜三菱金属に移ったチッソ電子化学と、佐賀に建てた九州電子金属

新日本窒素肥料は1964年3月にチッソ電子化学を設立し、同年8月に日窒電子化学を解散して資産をチッソ電子化学へ譲渡した。日窒電子化学が存続した期間は、設立から5年8カ月である。新会社の設立から旧会社の解散までの期間は5カ月で、高純度シリコンの事業資産は新会社へ移された。チッソ電子化学は1974年に三菱金属の傘下へ移るまで、小規模な会社のまま推移した。1961年3月時点の大阪チタニウム製造でも、多結晶シリコンの生産は半期で280kgにすぎず、市場そのものが小さかった。資産を新会社へ移し替える手順から、親会社が事業を担う会社を組み直した再編だったのだろう。

  • 有価証券報告書 FY25「沿革」(旧三菱マテリアルシリコン・旧シチックス事業本部・SUMCO TECHXIV の沿革)
    • [16]1964年3月 新日本窒素肥料がチッソ電子化学を設立。1964年8月 日窒電子化学が解散しチッソ電子化学に資産を譲渡
    • [17]1964年3月 新日本窒素肥料がチッソ電子化学を設立。1964年8月 日窒電子化学が解散しチッソ電子化学に資産を譲渡
    • [18]1964年3月 新日本窒素肥料がチッソ電子化学を設立。1964年8月 日窒電子化学が解散しチッソ電子化学に資産を譲渡
  • 日経ビジネス 1982年5月17日号
    • [19]1974年に三菱金属が買収した時点のチッソ電子化学は小規模な会社
  • 株式会社年鑑 1962年版「大阪チタニウム製造」
    • [20]1960年10月-1961年3月 大阪チタニウム製造の高純度シリコン(多結晶)生産実績280瓩

大阪チタニウム製造は1973年8月、住友金属工業と共同で出資し、ウェーハの製造会社として九州電子金属を設立した。顧客からの増量の要望に応えるために九州電子金属を設け、ウェーハだけを作る新鋭工場で量産に入ったというのが、社長の玉本茂氏の1990年の説明である。住友金属工業と大阪チタニウム製造の全面提携は1952年10月。1961年3月末には、住友金属工業が株式の12.9%を持つ大株主だった。九州電子金属は1990年時点で伊万里工場を持ち、大阪チタニウム製造グループのシリコン製造を担った。尼崎で増設を重ねるより、資本関係の深い住友金属工業と新会社を立てるほうが資金と用地を得やすかったとみられる。

  • 有価証券報告書 FY25「沿革」(旧三菱マテリアルシリコン・旧シチックス事業本部・SUMCO TECHXIV の沿革)
    • [21]1973年8月 大阪チタニウム製造と住友金属工業が共同出資でシリコンウェーハ製造会社の九州電子金属を設立
  • 証券アナリストジャーナル 別冊付録「企業」1990年12月 玉本茂(大阪チタニウム製造社長)「大阪チタニウム製造」
    • [22]1973年 ユーザーの増量要望に対応するため九州電子金属を設立し、ウェーハ専門工場を建設して本格生産。1990年時点 九州電子金属がシリコン製造を担当、伊万里工場を持つ
    • [25]1973年 ユーザーの増量要望に対応するため九州電子金属を設立し、ウェーハ専門工場を建設して本格生産。1990年時点 九州電子金属がシリコン製造を担当、伊万里工場を持つ
  • 企業の歴史 明治百年 1968年「大阪チタニウム製造」
    • [23]1952年10月 住友金属工業と全面提携
  • 株式会社年鑑 1962年版「大阪チタニウム製造」
    • [24]1961年3月31日現在 住友金属工業が大阪チタニウム製造株式の12.9%を保有

三菱金属は1974年2月にチッソ電子化学を子会社とし、社名を東洋シリコンに改めた。非鉄の製錬は市況産業で、主力の銅はトン当たり70万円から1年後に40万円へ下がることもあり、自ら値を決められる製品が求められた。三菱金属は1955年以降の昭和30年代に、鉱山後を見据えて超硬工具や電子材料に開発を絞った。社長の稲井好広氏は『1、2年でモノになる技術はダメ。10年以上かけて他社にマネのできないものをつくる』という基本方針を掲げた。取得時のチッソ電子化学は毎月6000万~7000万円の赤字を出していた。三菱金属は自社も苦境にあるなかで、電子部門の将来性を重く見て保有を続けた。

  • 有価証券報告書 FY25「沿革」(旧三菱マテリアルシリコン・旧シチックス事業本部・SUMCO TECHXIV の沿革)
    • [26]1974年2月 三菱金属がチッソ電子化学を子会社化し、商号を東洋シリコンに変更
  • 日経ビジネス 1982年5月17日号
    • [27]非鉄金属は価格変動の大きい市況産業。銅はトン当たり70万円が1年後に40万円に下がることもある。川下展開は売り値を自ら決められる製品を持つこと
    • [28]昭和30年代に超硬工具・電子材料などに焦点をしぼりポスト鉱山の長期戦略をたてた(稲井好広社長の基本方針)
    • [29]昭和30年代に超硬工具・電子材料などに焦点をしぼりポスト鉱山の長期戦略をたてた(稲井好広社長の基本方針)
    • [30]昭和49年(1974年)にチッソ電子化学を買収しシリコン事業を強化。毎月6000万~7000万円の赤字だったが電子部門の将来性から持ち続けた
    • [31]昭和49年(1974年)にチッソ電子化学を買収しシリコン事業を強化。毎月6000万~7000万円の赤字だったが電子部門の将来性から持ち続けた
参考文献[16]-[31]
  • 有価証券報告書 FY25「沿革」(旧三菱マテリアルシリコン・旧シチックス事業本部・SUMCO TECHXIV の沿革)
    • [16]1964年3月 新日本窒素肥料がチッソ電子化学を設立。1964年8月 日窒電子化学が解散しチッソ電子化学に資産を譲渡
    • [17]1964年3月 新日本窒素肥料がチッソ電子化学を設立。1964年8月 日窒電子化学が解散しチッソ電子化学に資産を譲渡
    • [18]1964年3月 新日本窒素肥料がチッソ電子化学を設立。1964年8月 日窒電子化学が解散しチッソ電子化学に資産を譲渡
    • [21]1973年8月 大阪チタニウム製造と住友金属工業が共同出資でシリコンウェーハ製造会社の九州電子金属を設立
    • [26]1974年2月 三菱金属がチッソ電子化学を子会社化し、商号を東洋シリコンに変更
  • 日経ビジネス 1982年5月17日号
    • [19]1974年に三菱金属が買収した時点のチッソ電子化学は小規模な会社
    • [27]非鉄金属は価格変動の大きい市況産業。銅はトン当たり70万円が1年後に40万円に下がることもある。川下展開は売り値を自ら決められる製品を持つこと
    • [28]昭和30年代に超硬工具・電子材料などに焦点をしぼりポスト鉱山の長期戦略をたてた(稲井好広社長の基本方針)
    • [29]昭和30年代に超硬工具・電子材料などに焦点をしぼりポスト鉱山の長期戦略をたてた(稲井好広社長の基本方針)
    • [30]昭和49年(1974年)にチッソ電子化学を買収しシリコン事業を強化。毎月6000万~7000万円の赤字だったが電子部門の将来性から持ち続けた
    • [31]昭和49年(1974年)にチッソ電子化学を買収しシリコン事業を強化。毎月6000万~7000万円の赤字だったが電子部門の将来性から持ち続けた
  • 株式会社年鑑 1962年版「大阪チタニウム製造」
    • [20]1960年10月-1961年3月 大阪チタニウム製造の高純度シリコン(多結晶)生産実績280瓩
    • [24]1961年3月31日現在 住友金属工業が大阪チタニウム製造株式の12.9%を保有
  • 証券アナリストジャーナル 別冊付録「企業」1990年12月 玉本茂(大阪チタニウム製造社長)「大阪チタニウム製造」
    • [22]1973年 ユーザーの増量要望に対応するため九州電子金属を設立し、ウェーハ専門工場を建設して本格生産。1990年時点 九州電子金属がシリコン製造を担当、伊万里工場を持つ
    • [25]1973年 ユーザーの増量要望に対応するため九州電子金属を設立し、ウェーハ専門工場を建設して本格生産。1990年時点 九州電子金属がシリコン製造を担当、伊万里工場を持つ
  • 企業の歴史 明治百年 1968年「大阪チタニウム製造」
    • [23]1952年10月 住友金属工業と全面提携

1975年〜日本シリコンへの一本化と、信越半導体に次ぐ2割強のウェーハシェア

三菱金属の傘下では、1959年に設立した日本電子金属と、1974年に取得した東洋シリコンの2社がシリコンを手がけていた。東洋シリコンは1978年2月に日本シリコンへ社名を改め、1979年1月に日本電子金属からシリコン事業を譲り受けた。これにより三菱金属のシリコン事業は日本シリコン1社に集約。1982年の時点で、シリコンの子会社は事業が安定し、累積赤字の解消を目前にしていた。日本シリコンは1991年10月に三菱マテリアルシリコンへ社名を変え、2002年2月の事業統合まで三菱側のシリコン事業を担った。2社に分かれていた製造と販売を1社に寄せ、重複する管理の負担を減らす狙いがあったと考えられる。

  • 有価証券報告書 FY25「沿革」(旧三菱マテリアルシリコン・旧シチックス事業本部・SUMCO TECHXIV の沿革)
    • [32]1978年2月 東洋シリコンが日本シリコンに商号変更。1979年1月 日本電子金属のシリコン事業を営業譲受。1991年10月 三菱マテリアルシリコンに商号変更。2002年2月 事業統合
    • [33]1978年2月 東洋シリコンが日本シリコンに商号変更。1979年1月 日本電子金属のシリコン事業を営業譲受。1991年10月 三菱マテリアルシリコンに商号変更。2002年2月 事業統合
    • [34]1978年2月 東洋シリコンが日本シリコンに商号変更。1979年1月 日本電子金属のシリコン事業を営業譲受。1991年10月 三菱マテリアルシリコンに商号変更。2002年2月 事業統合
    • [36]1978年2月 東洋シリコンが日本シリコンに商号変更。1979年1月 日本電子金属のシリコン事業を営業譲受。1991年10月 三菱マテリアルシリコンに商号変更。2002年2月 事業統合
  • 日経ビジネス 1982年5月17日号
    • [35]1982年時点 シリコンの子会社も軌道に乗り累積赤字の一掃も間近

1982年の時点で、三菱金属のシリコンウェーハの市場占有率は2割強で、信越半導体に次ぐ位置にあたる。電子材料の売上高は日本シリコンの扱い分を合わせて200億円強で、三菱金属の電子材料部は順調なら1990年に1000億円を上回るとみた。三菱金属全体では1981年度に非製錬部門の売上高が1054億円と初めて1000億円台に達し、利益の7割を生んだ。社長の稲井好広氏は、製錬の市況が悪い年も非製錬の利益で配当を続けられる体制を目標に据えた。1990年12月には大阪チタニウム製造社長の玉本茂氏が、首位の信越半導体(27.5%)に続く2位グループの顔ぶれを示した。そこには大阪チタニウム製造や小松電子金属と並び、三菱金属が入った。

  • 日経ビジネス 1982年5月17日号
    • [37]1982年時点 主力のシリコンウエハーで信越半導体に次ぎ2割強のシェア。電子材料は日本シリコン扱い分を合わせ200億円強、電子材料部は順調なら90年に1000億円を上回るとみる
    • [38]1982年時点 主力のシリコンウエハーで信越半導体に次ぎ2割強のシェア。電子材料は日本シリコン扱い分を合わせ200億円強、電子材料部は順調なら90年に1000億円を上回るとみる
    • [39]1981年度 非精錬部門の売上高1054億円で初の1000億円台、利益の7割を非精錬が生む。稲井好広社長は市況が悪くても非精錬の利益で配当できる体制を念願
    • [40]1981年度 非精錬部門の売上高1054億円で初の1000億円台、利益の7割を非精錬が生む。稲井好広社長は市況が悪くても非精錬の利益で配当できる体制を念願
  • 証券アナリストジャーナル 別冊付録「企業」1990年12月 玉本茂(大阪チタニウム製造社長)「大阪チタニウム製造」
    • [41]1990年時点 信越半導体27.5%が首位、三菱金属は大阪チタニウム製造・小松電子・Huelsと2位グループ
    • [42]1990年時点 信越半導体27.5%が首位、三菱金属は大阪チタニウム製造・小松電子・Huelsと2位グループ

1990年のシリコンウェーハの世界市場では、生産の約71%が日本系の各社、25%が欧州系によるものである。大阪チタニウム製造は1982年に米国の販売会社OTCアメリカ、1988年に欧州のOTCヨーロッパを設け、販売網を広げた。1986年にはUSセミコンダクター、1989年にはシンシナティ・セミコンダクターを取得し、米国での現地生産を始めた。国内では九州電子金属の伊万里工場に第3工場を増設し、2期で計270億円を投じる計画を立てた。売上高は1985年度の419億円から1990年度に595億円となる見込みで、うち4分の3がシリコンである。1992年10月に大阪チタニウム製造は九州電子金属を吸収合併し、シリコン事業を1社に統合した。

  • 証券アナリストジャーナル 別冊付録「企業」1990年12月 玉本茂(大阪チタニウム製造社長)「大阪チタニウム製造」
    • [43]1990年時点 シリコンウェーハ世界市場で日本系約71%、欧州系25%
    • [44]1982年 OTCアメリカを設立(米国販売会社)。1986年 USセミコンダクター、1989年 シンシナティ・セミコンダクターを買収し米国で現地生産。1988年 OTCヨーロッパ設立
    • [45]1982年 OTCアメリカを設立(米国販売会社)。1986年 USセミコンダクター、1989年 シンシナティ・セミコンダクターを買収し米国で現地生産。1988年 OTCヨーロッパ設立
    • [46]九州電子金属伊万里工場に第3工場を増設中、第1期170億円・第2期100億円の計270億円。売上高は1985年度419億円から1990年度595億円見込み、チタン4分の1・シリコン4分の3
    • [47]九州電子金属伊万里工場に第3工場を増設中、第1期170億円・第2期100億円の計270億円。売上高は1985年度419億円から1990年度595億円見込み、チタン4分の1・シリコン4分の3
  • 有価証券報告書 FY25「沿革」(旧三菱マテリアルシリコン・旧シチックス事業本部・SUMCO TECHXIV の沿革)
    • [48]1992年10月 大阪チタニウム製造が九州電子金属を吸収合併しシリコン事業を統合
参考文献[32]-[48]
  • 有価証券報告書 FY25「沿革」(旧三菱マテリアルシリコン・旧シチックス事業本部・SUMCO TECHXIV の沿革)
    • [32]1978年2月 東洋シリコンが日本シリコンに商号変更。1979年1月 日本電子金属のシリコン事業を営業譲受。1991年10月 三菱マテリアルシリコンに商号変更。2002年2月 事業統合
    • [33]1978年2月 東洋シリコンが日本シリコンに商号変更。1979年1月 日本電子金属のシリコン事業を営業譲受。1991年10月 三菱マテリアルシリコンに商号変更。2002年2月 事業統合
    • [34]1978年2月 東洋シリコンが日本シリコンに商号変更。1979年1月 日本電子金属のシリコン事業を営業譲受。1991年10月 三菱マテリアルシリコンに商号変更。2002年2月 事業統合
    • [36]1978年2月 東洋シリコンが日本シリコンに商号変更。1979年1月 日本電子金属のシリコン事業を営業譲受。1991年10月 三菱マテリアルシリコンに商号変更。2002年2月 事業統合
    • [48]1992年10月 大阪チタニウム製造が九州電子金属を吸収合併しシリコン事業を統合
  • 日経ビジネス 1982年5月17日号
    • [35]1982年時点 シリコンの子会社も軌道に乗り累積赤字の一掃も間近
    • [37]1982年時点 主力のシリコンウエハーで信越半導体に次ぎ2割強のシェア。電子材料は日本シリコン扱い分を合わせ200億円強、電子材料部は順調なら90年に1000億円を上回るとみる
    • [38]1982年時点 主力のシリコンウエハーで信越半導体に次ぎ2割強のシェア。電子材料は日本シリコン扱い分を合わせ200億円強、電子材料部は順調なら90年に1000億円を上回るとみる
    • [39]1981年度 非精錬部門の売上高1054億円で初の1000億円台、利益の7割を非精錬が生む。稲井好広社長は市況が悪くても非精錬の利益で配当できる体制を念願
    • [40]1981年度 非精錬部門の売上高1054億円で初の1000億円台、利益の7割を非精錬が生む。稲井好広社長は市況が悪くても非精錬の利益で配当できる体制を念願
  • 証券アナリストジャーナル 別冊付録「企業」1990年12月 玉本茂(大阪チタニウム製造社長)「大阪チタニウム製造」
    • [41]1990年時点 信越半導体27.5%が首位、三菱金属は大阪チタニウム製造・小松電子・Huelsと2位グループ
    • [42]1990年時点 信越半導体27.5%が首位、三菱金属は大阪チタニウム製造・小松電子・Huelsと2位グループ
    • [43]1990年時点 シリコンウェーハ世界市場で日本系約71%、欧州系25%
    • [44]1982年 OTCアメリカを設立(米国販売会社)。1986年 USセミコンダクター、1989年 シンシナティ・セミコンダクターを買収し米国で現地生産。1988年 OTCヨーロッパ設立
    • [45]1982年 OTCアメリカを設立(米国販売会社)。1986年 USセミコンダクター、1989年 シンシナティ・セミコンダクターを買収し米国で現地生産。1988年 OTCヨーロッパ設立
    • [46]九州電子金属伊万里工場に第3工場を増設中、第1期170億円・第2期100億円の計270億円。売上高は1985年度419億円から1990年度595億円見込み、チタン4分の1・シリコン4分の3
    • [47]九州電子金属伊万里工場に第3工場を増設中、第1期170億円・第2期100億円の計270億円。売上高は1985年度419億円から1990年度595億円見込み、チタン4分の1・シリコン4分の3

出典・参考

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出典・参考
  • 有価証券報告書 FY25「沿革」(旧三菱マテリアルシリコン・旧シチックス事業本部・SUMCO TECHXIV の沿革)
  • 株式会社年鑑 1962年版「大阪チタニウム製造」
  • 企業の歴史 明治百年 1968年「大阪チタニウム製造」
  • 日経ビジネス 1982年5月17日号
  • 証券アナリストジャーナル 別冊付録「企業」1990年12月 玉本茂(大阪チタニウム製造社長)「大阪チタニウム製造」

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