第2章 年〜年

南満洲鉄道:理事長制への移行と撫順増産・大連築港への投資

1917年〜総裁制から理事長制、そして社長制への二度の改組

大正六年七月三十一日、会社は総裁と副総裁を廃し、理事長一人を置く体制に改めた。同じ日に中村雄次郎総裁が退任し、副総裁だった國澤新兵衞氏が理事長に任命された。國澤新兵衞理事長は明治三十九年十一月二十六日に理事として設立時の役員に加わり、四十一年十二月十九日に副総裁へ移り、大正二年十二月十八日にいったん退任したのち、三年七月二十日にふたたび副総裁として戻った経歴を持つ。理事は百株以上を持つ株主のなかから政府が任命して任期は四年、監事は株主総会が株主のなかから選んで任期は三年と定められていた。國澤新兵衞理事長は大正八年四月十二日までの一年八か月余りを務めた。

  • 南満洲鉄道株式会社三十年略史 第四章 会社の重役
    • [1]大正六年七月三十一日、総裁・副総裁を廃して理事長を置くこととした。
    • [2]中村雄次郎は大正三年七月十五日総裁任命・六年七月三十一日退任。國澤新兵衞は大正六年七月三十一日理事長任命。
    • [3]國澤新兵衞は明治三十九年十一月二十六日理事任命、四十一年十二月十九日副総裁任命、大正二年十二月十八日退任、三年七月二十日副総裁任命。
    • [4]理事は百株以上を有する株主中から政府が命じ任期は四年、監事は株主中から株主総会において選任し任期は三箇年である。
    • [5]國澤新兵衞は大正八年四月十二日退任。

大正八年四月十一日、会社は理事長を廃して社長・副社長各一人を置く体制へ移った。翌十二日、野村龍太郎氏が社長に、中西清一氏が副社長に任命された。野村龍太郎社長は大正二年十二月十九日に総裁へ任命されて三年七月十五日に退いており、四年九か月の間を置いて会社の首座に戻った。二度目の在任は二年一か月余りで、大正十年五月三十一日に野村龍太郎社長と中西清一副社長がそろって辞任し、同じ日に早川千吉郎氏が社長、松本烝治氏が副社長に任命された。松本氏は大正八年五月六日に理事として入り、二年で副社長へ上がったが、十一年三月二十四日に辞任した。

  • 南満洲鉄道株式会社三十年略史 第四章 会社の重役
    • [6]大正八年四月十一日、理事長を廃して社長・副社長各一人を置くこととした。
    • [7]野村龍太郎は大正八年四月十二日社長任命。中西清一は大正八年四月十二日副社長任命。
    • [8]野村龍太郎は大正二年十二月十九日総裁任命・三年七月十五日退任。
    • [9]野村龍太郎は大正十年五月三十一日辞任、中西清一は大正十年五月三十一日辞任、早川千吉郎は大正十年五月三十一日社長任命、松本烝治は大正十年五月三十一日副社長任命。
    • [10]松本烝治は大正八年五月六日理事任命・十年五月三十一日副社長任命・十一年三月二十四日辞任。

早川千吉郎社長が逝去した大正十一年十月十四日、理事の島安次郎氏が社長事務取扱を命じられ、十日後の十月二十四日に解かれた。同じ日に川村竹治氏が社長に任命され、十三年六月二十二日に退任した。後任には同日付で安廣伴一郎氏が就任し、昭和二年七月十九日まで務めた。安廣伴一郎社長の退任と同じ日に山本条太郎氏が社長に、松岡洋右氏が副社長に任命され、山本条太郎社長は昭和四年八月十四日に退いた。大正六年から昭和四年までの会社の首座は國澤新兵衞理事長以下六人を数えるが、会計と営業に関する規定を事前に政府の認可にかけ、毎営業年度の事業計画・事業費・営業収支の予算と利益配当の割合まで政府の認可を受ける仕組みは動かなかった。

  • 南満洲鉄道株式会社三十年略史 第四章 会社の重役
    • [11]早川千吉郎は大正十一年十月十四日逝去。島安次郎は大正十一年十月十四日社長事務取扱被仰付、同年十月二十四日社長事務取扱被免。
    • [12]川村竹治は大正十一年十月二十四日社長任命・十三年六月二十二日退任。
    • [13]安廣伴一郎は大正十三年六月二十二日社長任命・昭和二年七月十九日退任。
  • 南満洲鉄道株式会社三十年略史 第四章 会社の重役/満鉄の概要 1934年版 四、会社の組織 歴代主脳者表
    • [14]山本条太郎は昭和二年七月十九日社長任命・四年八月十四日退任。松岡洋右は昭和二年七月十九日副社長任命。
  • 満鉄の概要 1934年版 四、会社の組織
    • [15]会社の会計及び営業に関する規定は予め政府の認可を要し、毎営業年度の事業計画、事業費、営業収支の予算及利益配当の割合も政府の認可を受けなければならない。
参考文献[1]-[15]
  • 南満洲鉄道株式会社三十年略史 第四章 会社の重役
    • [1]大正六年七月三十一日、総裁・副総裁を廃して理事長を置くこととした。
    • [2]中村雄次郎は大正三年七月十五日総裁任命・六年七月三十一日退任。國澤新兵衞は大正六年七月三十一日理事長任命。
    • [3]國澤新兵衞は明治三十九年十一月二十六日理事任命、四十一年十二月十九日副総裁任命、大正二年十二月十八日退任、三年七月二十日副総裁任命。
    • [4]理事は百株以上を有する株主中から政府が命じ任期は四年、監事は株主中から株主総会において選任し任期は三箇年である。
    • [5]國澤新兵衞は大正八年四月十二日退任。
    • [6]大正八年四月十一日、理事長を廃して社長・副社長各一人を置くこととした。
    • [7]野村龍太郎は大正八年四月十二日社長任命。中西清一は大正八年四月十二日副社長任命。
    • [8]野村龍太郎は大正二年十二月十九日総裁任命・三年七月十五日退任。
    • [9]野村龍太郎は大正十年五月三十一日辞任、中西清一は大正十年五月三十一日辞任、早川千吉郎は大正十年五月三十一日社長任命、松本烝治は大正十年五月三十一日副社長任命。
    • [10]松本烝治は大正八年五月六日理事任命・十年五月三十一日副社長任命・十一年三月二十四日辞任。
    • [11]早川千吉郎は大正十一年十月十四日逝去。島安次郎は大正十一年十月十四日社長事務取扱被仰付、同年十月二十四日社長事務取扱被免。
    • [12]川村竹治は大正十一年十月二十四日社長任命・十三年六月二十二日退任。
    • [13]安廣伴一郎は大正十三年六月二十二日社長任命・昭和二年七月十九日退任。
  • 南満洲鉄道株式会社三十年略史 第四章 会社の重役/満鉄の概要 1934年版 四、会社の組織 歴代主脳者表
    • [14]山本条太郎は昭和二年七月十九日社長任命・四年八月十四日退任。松岡洋右は昭和二年七月十九日副社長任命。
  • 満鉄の概要 1934年版 四、会社の組織
    • [15]会社の会計及び営業に関する規定は予め政府の認可を要し、毎営業年度の事業計画、事業費、営業収支の予算及利益配当の割合も政府の認可を受けなければならない。

1920年〜龍鳳坑の大竪坑と塔連坑買収、大連港へ積み上げた埠頭

会社の業務は設立命令書に基づき、鉄道(倉庫と工場を含む)・海運・港湾・鑛山・製鉄・地方経営の六つに大別される。このうち鑛山の中心は撫順炭礦で、明治四十年に政府から引き継いだ千金寨・楊柏堡・老虎臺の三坑を九百二十万円の第一期計画で整え、大山坑と東郷坑の二大竪坑を開いて一日五千噸を出炭するまでになっていた。現地住民の燃料が高粱稈から石炭へ移り、鞍山製鉄所の完成と各種工業の勃興が重なると、この規模では需要に応じきれなくなった。会社は増掘の計画を立て、大正八年九月に龍鳳坑で大竪坑の開鑿に着手し、十一年十月に掘進作業を終えた。大正九年度からは千金寨露天掘を急速に広げて古城子露天掘に連結させ、坑内掘三百万噸・露天掘三百万噸の採炭にこぎつけた。

  • 満鉄の概要 1934年版 七、会社の事業
    • [16]会社本来の業務は設立命令書に準拠するもので、鉄道(倉庫及び工場を含む)、海運、港湾、鑛山、製鉄及び地方経営事業に大別することができる。
  • 満鉄の概要 1934年版 七、会社の事業 礦山
    • [17]政府から炭坑の引継を受けた当時は千金寨、楊柏堡、老虎臺の三坑のみで、会社は初め九百二十万円の予算で第一期計画を立て、大山坑及び東郷坑の二大竪坑の開鑿を完成し一日五千噸の出炭をなすに至った。
    • [18]住民の燃料が漸次高粱稈から石炭に移りつつあると同時に、鞍山製鉄所の完成と各種工業の勃興により、従来の状態では到底その需要に応じ得ないと考え、増掘の一大計画を立てた。
    • [19]大正八年九月龍鳳坑で大竪坑の開鑿に着手し、大正十一年十月に掘進作業を終了した。
    • [20]九年度から急速に千金寨露天掘を拡張して古城子露天掘に連結させ、総採炭額は坑内掘三百万噸、露天掘三百万噸に至った。

撫順炭は灰分と硫黄分が少なく、七千百カロリーの火力を持つ有煙炭だが、粘結力に乏しく骸炭の製出には向かない。撫順礦区に続く塔連坑の炭は新屯坑・龍鳳坑と同じ粘着性で、コークス製造用に適していた。会社は製鉄所その他の用途を見込み、大正九年十二月一日に東洋炭坑株式会社から塔連坑の経営一切を買収した。自ら経営しない炭田もあり、長春付近の石碑嶺・陶家屯の二炭田は明治四十年に露国政府から引き渡しを受けたまま手をつけずにいたが、大正七年に南満鉱業会社へ経営を委ねた。販売では大正九年度から輸出炭と船舶焚料炭を積極的に売る方針を取った。

  • 満鉄の概要 1934年版 七、会社の事業 礦山
    • [21]撫順炭は七千百カロリーの火力を有する有煙炭で、灰分極めて少なく硫素分の含有も少ない。概して粘結力に乏しく、骸炭製出には不適当とされてきた。
    • [22]撫順礦区に接続する塔連坑の炭質は新屯坑及び龍鳳坑と炭質を同じくして粘着性に属し、コークス製造用として好適である。
    • [23]会社は製鉄所その他の用として大正九年十二月一日、東洋炭坑株式会社が経営していた塔連坑の経営一切を買収した。
    • [24]明治四十年七月に露国政府から長春付近の石碑嶺及び陶家屯炭田の引渡を受けたが経営に着手せず、大正七年に南満鉱業会社に経営させることとした。
  • 満鉄の概要 1934年版 七、会社の事業 礦山 販売
    • [25]大正九年度以来努力してきた輸出炭並船舶焚料炭の積極的販売政策。

一方の海運では、会社は自ら船を持つことをやめた。大正七年に香港航路の経営を大連汽船株式会社へ移し、大正十一年七月一日には上海航路も同社の経営に委ねている。大連汽船は資本金二千五百七十万円、払込一千四百四十五万円で、その全額を会社が出資した。港湾には逆に資本を積み増し、第三・第四および乙・丙埠頭を築造し、寺兒溝の第一・第二桟橋と甘井子石炭桟橋を建設し、防波堤の築造と港内浚渫を重ねた。港湾施設に投じた事業費の累計は昭和六年度末で約八千五百万円である。大連埠頭に着いた汽船は大正十四年度の三千五百九十五隻から昭和元年度は三千八百十三隻へ、輸出貨物は五百五十万八千五百六十一噸から五百七十五万六千八十一噸へ増えた。

  • 満鉄の概要 1934年版 七、会社の事業 海運
    • [26]大正七年に香港航路の経営を大連汽船会社に移譲し、大正十一年七月一日上海航路も同会社に経営させることとした。
    • [27]大連汽船株式会社は資本金二千五百七十万円(払込一千四百四十五万円)で、満鉄会社はその全額を出資している。
  • 満鉄の概要 1934年版 七、会社の事業 港湾
    • [28]第一第二及甲埠頭の修築、第三第四及乙、丙埠頭の築造、寺兒溝第一、第二桟橋及甘井子石炭桟橋の建設、その他防波堤の築造、港内浚渫等の諸工事を完成した。
    • [29]この港湾施設に投じた事業費総額は昭和六年度末において約八千五百万円である。
    • [30]大連埠頭の着埠汽船数は大正十四年度三、五九五、昭和元年度三、八一三。輸出貨物噸数は大正十四年度五、五〇八、五六一、昭和元年度五、七五六、〇八一。
参考文献[16]-[30]
  • 満鉄の概要 1934年版 七、会社の事業
    • [16]会社本来の業務は設立命令書に準拠するもので、鉄道(倉庫及び工場を含む)、海運、港湾、鑛山、製鉄及び地方経営事業に大別することができる。
  • 満鉄の概要 1934年版 七、会社の事業 礦山
    • [17]政府から炭坑の引継を受けた当時は千金寨、楊柏堡、老虎臺の三坑のみで、会社は初め九百二十万円の予算で第一期計画を立て、大山坑及び東郷坑の二大竪坑の開鑿を完成し一日五千噸の出炭をなすに至った。
    • [18]住民の燃料が漸次高粱稈から石炭に移りつつあると同時に、鞍山製鉄所の完成と各種工業の勃興により、従来の状態では到底その需要に応じ得ないと考え、増掘の一大計画を立てた。
    • [19]大正八年九月龍鳳坑で大竪坑の開鑿に着手し、大正十一年十月に掘進作業を終了した。
    • [20]九年度から急速に千金寨露天掘を拡張して古城子露天掘に連結させ、総採炭額は坑内掘三百万噸、露天掘三百万噸に至った。
    • [21]撫順炭は七千百カロリーの火力を有する有煙炭で、灰分極めて少なく硫素分の含有も少ない。概して粘結力に乏しく、骸炭製出には不適当とされてきた。
    • [22]撫順礦区に接続する塔連坑の炭質は新屯坑及び龍鳳坑と炭質を同じくして粘着性に属し、コークス製造用として好適である。
    • [23]会社は製鉄所その他の用として大正九年十二月一日、東洋炭坑株式会社が経営していた塔連坑の経営一切を買収した。
    • [24]明治四十年七月に露国政府から長春付近の石碑嶺及び陶家屯炭田の引渡を受けたが経営に着手せず、大正七年に南満鉱業会社に経営させることとした。
  • 満鉄の概要 1934年版 七、会社の事業 礦山 販売
    • [25]大正九年度以来努力してきた輸出炭並船舶焚料炭の積極的販売政策。
  • 満鉄の概要 1934年版 七、会社の事業 海運
    • [26]大正七年に香港航路の経営を大連汽船会社に移譲し、大正十一年七月一日上海航路も同会社に経営させることとした。
    • [27]大連汽船株式会社は資本金二千五百七十万円(払込一千四百四十五万円)で、満鉄会社はその全額を出資している。
  • 満鉄の概要 1934年版 七、会社の事業 港湾
    • [28]第一第二及甲埠頭の修築、第三第四及乙、丙埠頭の築造、寺兒溝第一、第二桟橋及甘井子石炭桟橋の建設、その他防波堤の築造、港内浚渫等の諸工事を完成した。
    • [29]この港湾施設に投じた事業費総額は昭和六年度末において約八千五百万円である。
    • [30]大連埠頭の着埠汽船数は大正十四年度三、五九五、昭和元年度三、八一三。輸出貨物噸数は大正十四年度五、五〇八、五六一、昭和元年度五、七五六、〇八一。

1930年〜創業年度の十七倍に達した収入と、昭和五年の急転

鉄道・港湾・炭礦へ年々投じた資本は、決算の桁を変えた。営業を開始した明治四十年度の収入は一千二百五十四万三千百十六円、益金は二百一万六千五百八十五円だった。創業十年目の大正五年度には収入五千二百四十万二千四百八円、益金一千十万七千六百八円と約五倍に伸び、二十年目の昭和元年度には収入二億一千五百六十一万四千九百四十四円、益金三千四百十五万七千八百八十四円となって、創業年度に対する増加率は約十七倍に達した。事業費支出も大正五年度の二億四千八百五十九万五千五百七十六円から昭和元年度の五億九千三百九十二万三千七百九十九円へ膨らんだ。

  • 南満洲鉄道株式会社三十年略史 第三編 会社の会計 第一章 概説
    • [31]創業年度たる明治四十年度は収入一二、五四三、一一六円、益金二、〇一六、五八五円であった。
    • [32]創業十年を経過した大正五年度には収入五二、四〇二、四〇八円、益金一〇、一〇七、六〇八円となり約五倍の増加を示し、二十年目の昭和元年度には収入二一五、六一四、九四四円、益金三四、一五七、八八四円となり創業年度に対する増加率は約一七倍となった。
    • [33]事業費支出は創業十年目の大正五年度が二四八、五九五、五七六円、二十年目の昭和元年度には五九三、九二三、七九九円に達した。

撫順では、掘る炭のほかに石油をとる道も探っている。油母頁岩の工業的価値については明治四十年から会社が研究を重ね、中央試験所の調査で、工業化しても採算の見込みがあるという結論を得た。会社は地下採掘の原料で経済的に操業できるかを確かめるため、頁岩五百噸をスコットランドへ送り、あわせて社員を派遣して学術的な調査と海外の実地の工業計画を調べさせた。採算の方法がついたことで一日四千噸の乾餾工場を建設する計画が立てられ、昭和四年末に第一期計画の工場が竣工した。撫順炭礦の炭層上部にある約四百五十呎の油母頁岩層には約五十余億噸が埋蔵され、露天掘に伴う約五億噸から採油を始める計画である。

  • 満鉄の概要 1934年版 七、会社の事業 油母頁岩
    • [34]本岩の工業的価値については明治四十年来当会社が大いに研究を重ね、中央試験所で研究調査したところ、工業的にしても採算の見込みありとの結論を得た。
    • [35]地下採掘による原料で経済的に操業し得るか否かを調査させるため頁岩五百噸をスコットランドに送り、同時に社員を派遣して学術的調査及び海外における実地工業的企画について調査させた。
    • [36]採算の方法がついたので一日四千噸乾餾工場建設の計画が立てられ、昭和四年末に第一期計画の工場の建設を竣えた。
    • [37]撫順炭礦の炭層上部の約四百五十呎の油母頁岩層内に五十余億噸の油母頁岩が埋蔵され、まず露天掘に伴う約五億噸から採油を始める計画である。

昭和二年以降も会社の収入は年々増え、昭和四年には純益が四千五百万円を超えて従来の記録を塗り替えた。この時期の資本投下は、社線の輸送能力の増進と撫順炭礦の増産設備という社内事業に集中している。株主から求めた資金も増え、昭和二年度初めに三億三千七百十五万六千円だった払込済資本金は、二回の払込徴収を経て昭和六年度末に三億八千七百十五万六千円となった。ところが昭和五年に入ると形勢が一転する。世界的な不況の波及、銀貨の惨落、旧東北政権の重圧、恒常的な排日貨が重なり、会社の財政は創業以来味わったことのない苦境に落ちた。会社は社内全般に極度の緊縮を課し、事業投資を繰り延べ、諸経費を削った。

  • 南満洲鉄道株式会社三十年略史 第三編 会社の会計 第一章 概説
    • [38]昭和二年以降も会社収入は年々増加の一途を辿り、昭和四年の如きは純益四、五〇〇万円を超え従来のレコードを画した。
    • [39]昭和二年度以降昭和六年度までの期間における資本投下は主として社線輸送能力の増進、撫順炭礦の増産設備等社内事業に集中された。
    • [40]昭和二年度初における払込済資本金は三三七、一五六、〇〇〇円で、その後二回の払込徴収により昭和六年度末は三八七、一五六、〇〇〇円に増加した。
    • [41]昭和五年に入るや形勢一転し、続く昭和六年とともに世界的不況の波及、銀貨の惨落、旧東北政権の重圧、恒常的排日貨等の影響を受けて会社の財政は急転し、創業以来未曾有の苦境に陥った。
    • [42]会社は社内全般に亙り極度の緊縮を行い、事業投資の繰延、諸経費の節約等経営の合理化に努めた。
参考文献[31]-[42]
  • 南満洲鉄道株式会社三十年略史 第三編 会社の会計 第一章 概説
    • [31]創業年度たる明治四十年度は収入一二、五四三、一一六円、益金二、〇一六、五八五円であった。
    • [32]創業十年を経過した大正五年度には収入五二、四〇二、四〇八円、益金一〇、一〇七、六〇八円となり約五倍の増加を示し、二十年目の昭和元年度には収入二一五、六一四、九四四円、益金三四、一五七、八八四円となり創業年度に対する増加率は約一七倍となった。
    • [33]事業費支出は創業十年目の大正五年度が二四八、五九五、五七六円、二十年目の昭和元年度には五九三、九二三、七九九円に達した。
    • [38]昭和二年以降も会社収入は年々増加の一途を辿り、昭和四年の如きは純益四、五〇〇万円を超え従来のレコードを画した。
    • [39]昭和二年度以降昭和六年度までの期間における資本投下は主として社線輸送能力の増進、撫順炭礦の増産設備等社内事業に集中された。
    • [40]昭和二年度初における払込済資本金は三三七、一五六、〇〇〇円で、その後二回の払込徴収により昭和六年度末は三八七、一五六、〇〇〇円に増加した。
    • [41]昭和五年に入るや形勢一転し、続く昭和六年とともに世界的不況の波及、銀貨の惨落、旧東北政権の重圧、恒常的排日貨等の影響を受けて会社の財政は急転し、創業以来未曾有の苦境に陥った。
    • [42]会社は社内全般に亙り極度の緊縮を行い、事業投資の繰延、諸経費の節約等経営の合理化に努めた。
  • 満鉄の概要 1934年版 七、会社の事業 油母頁岩
    • [34]本岩の工業的価値については明治四十年来当会社が大いに研究を重ね、中央試験所で研究調査したところ、工業的にしても採算の見込みありとの結論を得た。
    • [35]地下採掘による原料で経済的に操業し得るか否かを調査させるため頁岩五百噸をスコットランドに送り、同時に社員を派遣して学術的調査及び海外における実地工業的企画について調査させた。
    • [36]採算の方法がついたので一日四千噸乾餾工場建設の計画が立てられ、昭和四年末に第一期計画の工場の建設を竣えた。
    • [37]撫順炭礦の炭層上部の約四百五十呎の油母頁岩層内に五十余億噸の油母頁岩が埋蔵され、まず露天掘に伴う約五億噸から採油を始める計画である。

1917年〜1930年の業績

決算期 区分 売上高 営業利益純利益 主な投資
億円 YoY 億円 利益率 億円
1917年03月期 単体 52,402 n/a 10,108 19.3% 10,108 n/a
1918年03月期 単体 69,429 +32.5% 14,926 21.5% 14,926 n/a
1919年03月期 単体 96,258 +38.6% 22,193 23.1% 22,193 n/a
1920年03月期 単体 153,133 +59.1% 24,375 15.9% 24,375 n/a
1921年03月期 単体 174,738 +14.1% 27,392 15.7% 27,392 n/a
1922年03月期 単体 147,100 ▲15.8% 31,386 21.3% 31,386 n/a
1923年03月期 単体 169,957 +15.5% 35,080 20.6% 35,080 n/a
1924年03月期 単体 185,698 +9.3% 34,769 18.7% 34,769 n/a
1925年03月期 単体 194,182 +4.6% 34,553 17.8% 34,553 n/a
1926年03月期 単体 201,598 +3.8% 34,865 17.3% 34,865 n/a
1927年03月期 単体 215,615 +7.0% 34,158 15.8% 34,158 n/a
1928年03月期 単体 230,559 +6.9% 36,274 15.7% 36,274 n/a
1929年03月期 単体 240,428 +4.3% 42,553 17.7% 42,553 n/a
1930年03月期 単体 240,998 +0.2% 45,506 18.9% 45,506 n/a

出所:満州開発四十年史 上巻

出典・参考

10件
出典・参考
  • 南満洲鉄道株式会社三十年略史 第四章 会社の重役/満鉄の概要 1934年版 四、会社の組織 歴代主脳者表
  • 満鉄の概要 1934年版 四、会社の組織
  • 満鉄の概要 1934年版 七、会社の事業
  • 満鉄の概要 1934年版 七、会社の事業 礦山
  • 満鉄の概要 1934年版 七、会社の事業 礦山 販売
  • 満鉄の概要 1934年版 七、会社の事業 海運
  • 満鉄の概要 1934年版 七、会社の事業 港湾
  • 満鉄の概要 1934年版 七、会社の事業 油母頁岩
  • 南満洲鉄道株式会社三十年略史 第四章 会社の重役
  • 南満洲鉄道株式会社三十年略史 第三編 会社の会計 第一章 概説

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