第2章 年〜年

富士ソフト:東証二部上場と富士ソフトエービーシへの改称

1992年〜東証二部上場と日本語ワープロの受託

1987年12月に日本証券業協会へ店頭売買銘柄として登録された富士ソフトウエアの株式は、その5年後の1992年10月1日、東京証券取引所市場第二部へ上場した。過去20数年間の売上高の伸びは平均で年30%に及び、利益率も1割前後を保ってきた。店頭公開した1987年には36億円だった売上高が、1992年には3倍強になっていた。野澤宏社長はこの成長率と1株当たり利益50円を組み合わせ、"3150"という経営の指標を立てた。次に狙うのは東京証券取引所市場第一部への上場であると、1992年11月18日の日本証券アナリスト協会での講演で語っている。

  • 富士ソフト 有価証券報告書【沿革】
    • [1]1987年12月、(社)日本証券業協会に株式を店頭売買銘柄として登録
    • [2]1992年10月、東京証券取引所市場第二部に株式を上場。講演では『去る10月1日に東証第2部に上場させていただいた』
  • 証券アナリストジャーナル 1992年12月号(野澤宏・日本証券アナリスト協会講演)
    • [3]業績は過去20数年間、順調に推移し、売上高は年平均30%で伸び、利益率も1割ぐらいを確保してきた
    • [4]昭和62年の株式店頭公開時の売上高36億円に比べ、現在(1992年)はその3倍強
    • [5]1株当たり利益50円をクリアしていこうということで、「3150」を当社の経営の指標としている
    • [6]株式の東証一部上場をめざして頑張っていく考えである(平成4年11月18日・東京での講演)

1992年3月期の実績では、取引先の中心を占めたコンピュータメーカーのうち富士通が首位で、日本電気、富士ゼロックス、三菱電機、日本ユニシス、ソニーが続いた。そのほか通信機器、事務機器、家電、精密機械、工作機械の各メーカーも取引相手に並んだ。同業にはメーカーとの系列が固定した会社が多かったなかで、富士ソフトウエアはマイクロコンピュータを中心に受託してきたため、複数のメーカーと幅広く付き合えた。業界での順位はソフトウエア開発で第16位、パソコンソフトでは第2位、1位との売上高の差は約100万円で、世界では第13位に位置した。

  • 証券アナリストジャーナル 1992年12月号(野澤宏・日本証券アナリスト協会講演)
    • [7]当社の顧客は平成4年3月期の実績でトップが富士通、次に日本電気、富士ゼロックス、三菱電機、日本ユニシス、ソニー
    • [8]そのほか通信機器、事務機器、家電、精密機械、工作機械などのメーカーが取引相手である
    • [9]同業にはメーカーとの系列が固定化されているものが多いが、当社はマイコン中心にやってきたので、いろんなメーカーとの幅広いつきあいが可能となっている
    • [10]業界における当社の順位は、ソフトウエア開発で第16位、パソコンソフトでみると第2位(1位との売上高の差は約100万円)、世界で第13位

富士通、日本電気、シャープなど国内で売られる日本語ワープロのほとんどについて、その全体か一部を受託しており、マイコン向けソフトウエア開発で一番の得意分野はこのワープロを筆頭とする日本語処理だった。複写機が高級化・デジタル化・多機能化するにつれてソフトウエアの需要が膨らんだ分野で、同社はここにも強みを持った。一方、不況で顧客が経営を締めると受注にも響いたため、顧客頼みでなく自力で伸びるための自立製品の開発にも人員を振り向けた。1986年発売の毛筆ワープロは5万5,000本、WindowsとOS/2向けのc-FONTパックは1年足らずで約6,000本、COMPAL/Cプログラマーズ・キットは年間累計1,800本ぐらいを売った。それでも売上高構成比はシステム開発の受注が約95%で、自立製品・教育・出版などは約5%にとどまった。

  • 証券アナリストジャーナル 1992年12月号(野澤宏・日本証券アナリスト協会講演)
    • [11]富士通、日本電気、シャープをはじめとして、日本で販売されている日本語ワープロの全部あるいは一部を当社がほとんどやらせてもらっている
    • [12]当社はマイコンに関するソフトウエア開発のうち、ワープロに代表される日本語処理が最も得意としている分野だ
    • [13]当社は複写機関係にも非常に強い。最近は複写機も非常に高級化し、デジタル化、多機能化が進んで、ソフトウエアの需要が強くなってきた
    • [14]このところの不況で、当社の顧客にも経営を引き締めているものが多い。それが当社の受注にも影響してきたので、顧客に頼らず、自分の力で発展を図るべく、当社は自立製品の開発にも力を入れている
    • [15]毛筆ワープロは昭和61年に発売してから5万5,000本、c-FONTパックは1年足らずの間に約6,000本、COMPAL/Cプログラマーズ・キットは年間累計で1,800本ぐらい
    • [16]当社の売上高構成比は、システム開発の受注が約95%、その他が自立製品、教育、出版などを合わせて約5%
参考文献[1]-[16]
  • 富士ソフト 有価証券報告書【沿革】
    • [1]1987年12月、(社)日本証券業協会に株式を店頭売買銘柄として登録
    • [2]1992年10月、東京証券取引所市場第二部に株式を上場。講演では『去る10月1日に東証第2部に上場させていただいた』
  • 証券アナリストジャーナル 1992年12月号(野澤宏・日本証券アナリスト協会講演)
    • [3]業績は過去20数年間、順調に推移し、売上高は年平均30%で伸び、利益率も1割ぐらいを確保してきた
    • [4]昭和62年の株式店頭公開時の売上高36億円に比べ、現在(1992年)はその3倍強
    • [5]1株当たり利益50円をクリアしていこうということで、「3150」を当社の経営の指標としている
    • [6]株式の東証一部上場をめざして頑張っていく考えである(平成4年11月18日・東京での講演)
    • [7]当社の顧客は平成4年3月期の実績でトップが富士通、次に日本電気、富士ゼロックス、三菱電機、日本ユニシス、ソニー
    • [8]そのほか通信機器、事務機器、家電、精密機械、工作機械などのメーカーが取引相手である
    • [9]同業にはメーカーとの系列が固定化されているものが多いが、当社はマイコン中心にやってきたので、いろんなメーカーとの幅広いつきあいが可能となっている
    • [10]業界における当社の順位は、ソフトウエア開発で第16位、パソコンソフトでみると第2位(1位との売上高の差は約100万円)、世界で第13位
    • [11]富士通、日本電気、シャープをはじめとして、日本で販売されている日本語ワープロの全部あるいは一部を当社がほとんどやらせてもらっている
    • [12]当社はマイコンに関するソフトウエア開発のうち、ワープロに代表される日本語処理が最も得意としている分野だ
    • [13]当社は複写機関係にも非常に強い。最近は複写機も非常に高級化し、デジタル化、多機能化が進んで、ソフトウエアの需要が強くなってきた
    • [14]このところの不況で、当社の顧客にも経営を引き締めているものが多い。それが当社の受注にも影響してきたので、顧客に頼らず、自分の力で発展を図るべく、当社は自立製品の開発にも力を入れている
    • [15]毛筆ワープロは昭和61年に発売してから5万5,000本、c-FONTパックは1年足らずの間に約6,000本、COMPAL/Cプログラマーズ・キットは年間累計で1,800本ぐらい
    • [16]当社の売上高構成比は、システム開発の受注が約95%、その他が自立製品、教育、出版などを合わせて約5%

1994年〜自社ビルの購入と新入社員のパソコン自作コンテスト

神奈川県鎌倉市岡本に本社の新社屋が完成したのは1985年5月で、それまでの本社は芝浦事務所と名を改めていた。この鎌倉の本社のほか、三田事務所、芝浦事務所、横浜事務所、品川教育センターを開き、東京、鎌倉、厚木、八王子、我孫子、名古屋、大阪、大宮に事業所を構えた。野澤宏社長が競争力の要として挙げたのは、これらの拠点のおよそ半数が土地の安かった頃に買った自前のビルで、社員1人ごとに見た事業所のコストがごく小さく済む点だった。ソフトウエア技術者の教育も事業として手がけており、次世代OSであるWindows、UNIX、OS/2の受講者を世に出す"マイクロソフトユニバーシティ"と"パワフルセミナ"を設けたほか、インテル社と組んでマイコン教育を独占的に行った。

  • 富士ソフト 有価証券報告書【沿革】
    • [17]1985年5月、本社新社屋完成、本社移転(神奈川県鎌倉市岡本960番地1)、旧本社は芝浦事務所に改称
  • 証券アナリストジャーナル 1992年12月号(野澤宏・日本証券アナリスト協会講演)
    • [18]事業の拠点として、神奈川県鎌倉市に所在する本社のほか、三田事務所、芝浦事務所、横浜事務所、品川教育センターと、事業所を東京、鎌倉、厚木、八王子、我孫子、名古屋、大阪、大宮に展開している
    • [19]これらの約半分は地価が非常に安い時期に購入した自社ビルであり、社員1人当たりの事業所費用が極めて低いことも、当社の競争力を強めている大きなポイントだ
    • [20]このほか、ソフトウエア技術者の教育事業、最新のソフトウエア技術に関する解説書等の出版事業も手掛けている
    • [21]Windows、UNIX、OS/2という次世代OSを多くの人に理解し使いこなしてもらうため、当社は「マイクロソフトユニバーシティ」と「パワフルセミナ」を開設。マイコンでは世界で最強のインテル社とも提携し、そのマイコンの教育も独占的にやらせてもらっている

富士ソフトウエアは1994年度に入社した新入社員約100名に『DOS/Vパソコン制作コンテスト』を課した。5月中旬の配属後に各部署で3〜5名程度のチームを組み、そこへ先輩社員が支援役として加わった。出展条件は3つ置いた。CRT・キーボード・マウスをすべて含めて1台30万円を超えず中古部品も使わないこと、部品と本体ケースの調達を新入社員が行うこと、LANに接続してMS Windowsが快適に動作すること。1994年6月1日から6月30日までの1カ月を製作期間とし、7月12日に審査を行った。狙いは、机上の研修になりがちな新入社員教育を実践で補うことにあった。先輩と一緒に製作すればグループの意思疎通が自然に進み、部品を部品屋で集めれば商品知識や金銭感覚も身につく——取締役企画管理部長の生嶋滋実氏が置いた狙いである。

  • Omni-management(NOMA経営情報誌)1995年「(ケース3)富士ソフトウェア――"パソコンを自分で作る"実践教育で多大な成果」(編集部)
    • [22]昨年度(1994年度)入社の新入社員を対象に「DOS/Vパソコン制作コンテスト」を実施。昨年度、富士ソフトウェアに入社したのは約100名
    • [23]5月中旬に配属が行われた後、各部署ごとに3〜5名程度のチームが編成された。このチームに、先輩社員が加わり、支援するかたちをとった
    • [24]出展条件は三つ。CRT、キーボード、マウスなどをすべて含み1台当たりの費用が30万円を超えないこと、ただし中古部品は使用しないこと。部品および本体ケースの調達は新入社員が行うこと。LANに接続でき、MS Windowsが快適に動作するための諸条件を満たすこと
    • [25]昨年6月1日〜6月30日の1カ月間をパソコンの製作期間とし、7月12日には社外の人間も審査委員として加わり、審査を行うというもの
    • [26]通常、4月に入社した社員は1カ月半の研修を行っているが、机上のものになりがち。「その点、実践はいいですね」(取締役企画管理部長・生嶋滋実氏)
    • [27]「先輩と一緒にパソコンを製作すれば、自然とグループのコミュニケーションが進む。部品を部品屋で集めようとすれば、商品知識や金銭感覚も身につきます」(取締役企画管理部長・生嶋滋実氏)

完成したパソコンは約30機に上った。コンテストにかけた費用は1,000万円弱で、作られたパソコンは残らず社内で使用した。本審査は役員6名が担い、社外からはマイクロソフト会長の古川享氏、日本アドバンス・テクノロジー常務の松本元吉氏、日本アイ・デー・ジー・コミュニケーションズ編集長の松浦義幹氏、ユント代表取締役の田中亘氏が審査委員として加わった。その結果、金賞は営業部の『Terminachan(ターミネーチャン)』に決まった。採用の面では、不況を理由に同業他社が採用を控えるなかでも、毎年120人前後を切らさず採り続けた。大学院・大学・高専・専門学校の間で偏りを出さず、全国の学校からおおむね一校一人ずつという振り分けである。

  • Omni-management(NOMA経営情報誌)1995年「(ケース3)富士ソフトウェア――"パソコンを自分で作る"実践教育で多大な成果」(編集部)
    • [28]こうして完成したパソコンは約30機
    • [29]昨年のDOS/Vパソコンコンテストの費用は1,000万円弱。しかも、製作したパソコンはすべて社内で使っている
    • [30]本審査は7月12日に行われた。役員6名に加え、社外審査委員としてマイクロソフト会長の古川享氏、日本アドバンス・テクノロジー常務の松本元吉氏、日本アイ・デー・ジー・コミュニケーションズ編集長の松浦義幹氏、ユント代表取締役の田中亘氏が参加した
    • [31]見事金賞に輝いたのは、営業部の「Terminachan(ターミネーチャン)」と名づけられたマシン
    • [32]富士ソフトウェアでは、同業他社が不況で採用を手控えているときに、毎年120人前後、コンスタントに新人を採用してきた。大学院、大学、高専、専門学校からバランスよく採用するだけでなく、全国的に振り分け、だいたい一校一人くらい採用するようにしている
参考文献[17]-[32]
  • 富士ソフト 有価証券報告書【沿革】
    • [17]1985年5月、本社新社屋完成、本社移転(神奈川県鎌倉市岡本960番地1)、旧本社は芝浦事務所に改称
  • 証券アナリストジャーナル 1992年12月号(野澤宏・日本証券アナリスト協会講演)
    • [18]事業の拠点として、神奈川県鎌倉市に所在する本社のほか、三田事務所、芝浦事務所、横浜事務所、品川教育センターと、事業所を東京、鎌倉、厚木、八王子、我孫子、名古屋、大阪、大宮に展開している
    • [19]これらの約半分は地価が非常に安い時期に購入した自社ビルであり、社員1人当たりの事業所費用が極めて低いことも、当社の競争力を強めている大きなポイントだ
    • [20]このほか、ソフトウエア技術者の教育事業、最新のソフトウエア技術に関する解説書等の出版事業も手掛けている
    • [21]Windows、UNIX、OS/2という次世代OSを多くの人に理解し使いこなしてもらうため、当社は「マイクロソフトユニバーシティ」と「パワフルセミナ」を開設。マイコンでは世界で最強のインテル社とも提携し、そのマイコンの教育も独占的にやらせてもらっている
  • Omni-management(NOMA経営情報誌)1995年「(ケース3)富士ソフトウェア――"パソコンを自分で作る"実践教育で多大な成果」(編集部)
    • [22]昨年度(1994年度)入社の新入社員を対象に「DOS/Vパソコン制作コンテスト」を実施。昨年度、富士ソフトウェアに入社したのは約100名
    • [23]5月中旬に配属が行われた後、各部署ごとに3〜5名程度のチームが編成された。このチームに、先輩社員が加わり、支援するかたちをとった
    • [24]出展条件は三つ。CRT、キーボード、マウスなどをすべて含み1台当たりの費用が30万円を超えないこと、ただし中古部品は使用しないこと。部品および本体ケースの調達は新入社員が行うこと。LANに接続でき、MS Windowsが快適に動作するための諸条件を満たすこと
    • [25]昨年6月1日〜6月30日の1カ月間をパソコンの製作期間とし、7月12日には社外の人間も審査委員として加わり、審査を行うというもの
    • [26]通常、4月に入社した社員は1カ月半の研修を行っているが、机上のものになりがち。「その点、実践はいいですね」(取締役企画管理部長・生嶋滋実氏)
    • [27]「先輩と一緒にパソコンを製作すれば、自然とグループのコミュニケーションが進む。部品を部品屋で集めようとすれば、商品知識や金銭感覚も身につきます」(取締役企画管理部長・生嶋滋実氏)
    • [28]こうして完成したパソコンは約30機
    • [29]昨年のDOS/Vパソコンコンテストの費用は1,000万円弱。しかも、製作したパソコンはすべて社内で使っている
    • [30]本審査は7月12日に行われた。役員6名に加え、社外審査委員としてマイクロソフト会長の古川享氏、日本アドバンス・テクノロジー常務の松本元吉氏、日本アイ・デー・ジー・コミュニケーションズ編集長の松浦義幹氏、ユント代表取締役の田中亘氏が参加した
    • [31]見事金賞に輝いたのは、営業部の「Terminachan(ターミネーチャン)」と名づけられたマシン
    • [32]富士ソフトウェアでは、同業他社が不況で採用を手控えているときに、毎年120人前後、コンスタントに新人を採用してきた。大学院、大学、高専、専門学校からバランスよく採用するだけでなく、全国的に振り分け、だいたい一校一人くらい採用するようにしている

1995年〜テレビ会議の導入とエービーシとの合併

1995年2月下旬、東京、横浜、名古屋、大阪の各事業所にテレビ会議システムを入れた。導入の理由は効率化の阻害要因を取り除くことにあり、月2回の事業所長会議をはじめとする会議そのものと、会議に伴う移動時間を削ることを狙った。採用したのは松下通信工業製のテレミート100で、3カ所同報機能を標準装備し、以前から使っていた音声会議システムと組み合わせて多地点での会議を行った。会議資料はすべて電子化して参加者全員のパソコン上に提示し、そこで使う電子会議ソフトは自社で開発した。本社だけで毎週10時間は使い、創立記念日の5月15日に行う1年間の優秀プロジェクトの表彰では、代表者がテレビ会議でプレゼンテーションを行って審査を受けた。

  • ビジネスコミュニケーション 1995年Vol.32 No.6「事例に学ぶTV会議の有効活用-2- 富士ソフトウェア(株)──TV会議と電子会議で効率化を徹底」(編集部)
    • [33]同社がテレビ会議システムを導入したのは'95年2月下旬である。東京、横浜、名古屋、大阪の各事業所に導入している
    • [34]テレビ会議システムの導入理由は「効率化の阻害要因を取り除くため」につきる。効率化の阻害要因とは、会議そのもの及び会議に伴う移動時間等のロスを指す。事業所長会議が月に2回ある
    • [35]同社が採用した松下通信工業製のテレミート100は、3カ所同報機能を標準装備している。従来から使用していた音声会議システムを組み合わせることによって多地点会議を可能としている
    • [36]同社の場合は会議資料をすべて電子化し、会議参加者全員のパソコン上に資料を提示している。使用されている電子会議ソフトは自社開発したものである
    • [37]本社だけでも毎週10時間は使用されている。同社では創立記念日の5月15日に1年間の優秀プロジェクトの表彰を行っている。今年はそれぞれのプロジェクトの代表者がテレビ会議を通してプレゼンテーションを行い審査を受けた

商号と傘下の顔ぶれは1995年から1996年にかけて変わった。1995年6月、事業の規模拡大に伴い富士ソフト株式会社へ商号を変更し、あわせて品質保証の国際規格であるISO9001の認証を取得した。1996年9月には株式会社オーエー研究所を買収し、子会社に加えた。同年10月、株式会社エービーシと合併し、富士ソフトエービーシ株式会社へ商号を変更した。合併の相手となったエービーシは同業の独立系ソフトウエア会社で、両社が合併で合意したのは同年7月5日である。同時に株式会社エービーシサービスビューロ(現富士ソフトサービスビューロ株式会社)を子会社とした。

  • 富士ソフト 有価証券報告書【沿革】
    • [38]1995年6月、事業の規模拡大に伴い富士ソフト株式会社に商号変更。ISO9001(品質保証の国際規格)認証取得
    • [39]1996年9月、株式会社オーエー研究所買収、当社子会社化
    • [40]1996年10月、株式会社エービーシと合併、富士ソフトエービーシ株式会社に商号変更
    • [42]1996年10月、株式会社エービーシサービスビューロ(現富士ソフトサービスビューロ株式会社)子会社化
  • M&A Online 1996年7月5日
    • [41]独立系ソフトウエア会社の富士ソフトが、同業のABCを合併することで合意した(1996年7月5日)
参考文献[33]-[42]
  • ビジネスコミュニケーション 1995年Vol.32 No.6「事例に学ぶTV会議の有効活用-2- 富士ソフトウェア(株)──TV会議と電子会議で効率化を徹底」(編集部)
    • [33]同社がテレビ会議システムを導入したのは'95年2月下旬である。東京、横浜、名古屋、大阪の各事業所に導入している
    • [34]テレビ会議システムの導入理由は「効率化の阻害要因を取り除くため」につきる。効率化の阻害要因とは、会議そのもの及び会議に伴う移動時間等のロスを指す。事業所長会議が月に2回ある
    • [35]同社が採用した松下通信工業製のテレミート100は、3カ所同報機能を標準装備している。従来から使用していた音声会議システムを組み合わせることによって多地点会議を可能としている
    • [36]同社の場合は会議資料をすべて電子化し、会議参加者全員のパソコン上に資料を提示している。使用されている電子会議ソフトは自社開発したものである
    • [37]本社だけでも毎週10時間は使用されている。同社では創立記念日の5月15日に1年間の優秀プロジェクトの表彰を行っている。今年はそれぞれのプロジェクトの代表者がテレビ会議を通してプレゼンテーションを行い審査を受けた
  • 富士ソフト 有価証券報告書【沿革】
    • [38]1995年6月、事業の規模拡大に伴い富士ソフト株式会社に商号変更。ISO9001(品質保証の国際規格)認証取得
    • [39]1996年9月、株式会社オーエー研究所買収、当社子会社化
    • [40]1996年10月、株式会社エービーシと合併、富士ソフトエービーシ株式会社に商号変更
    • [42]1996年10月、株式会社エービーシサービスビューロ(現富士ソフトサービスビューロ株式会社)子会社化
    • [41]独立系ソフトウエア会社の富士ソフトが、同業のABCを合併することで合意した(1996年7月5日)

出典・参考

5件
出典・参考
  • 富士ソフト 有価証券報告書【沿革】
  • 証券アナリストジャーナル 1992年12月号(野澤宏・日本証券アナリスト協会講演)
  • Omni-management(NOMA経営情報誌)1995年「(ケース3)富士ソフトウェア――"パソコンを自分で作る"実践教育で多大な成果」(編集部)
  • ビジネスコミュニケーション 1995年Vol.32 No.6「事例に学ぶTV会議の有効活用-2- 富士ソフトウェア(株)──TV会議と電子会議で効率化を徹底」(編集部)
  • M&A Online 1996年7月5日

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