住友銀行:住友銀行への行名復帰と河内銀行の合併
1952年〜住友の名に戻した行名と白水会、プリンス自動車と組んだ自動車ローン
1951年10月、住友化学社長の土井正治氏の呼びかけで旧連系11社の社長が集まり、白水会の初会合を開催した。会の名は、席上で大阪銀行頭取の鈴木剛氏が出した案で決まったという。財閥解体の後、各社は資金を自力で工面する立場に移り、銀行の側も本社という最大の得意先を失っていた。1962年3月末、直系15社を軸に数十社が持ち合いと銀行取引で結びついたが、38社向けの貸出は総貸出の7.8%にとどまった。1965年時点でも白水会の幹事は加盟各社の輪番制で、銀行の優位を誇示しない運営だった。社長会で各社との連絡を保ちつつ、貸出の大半は系列の外の企業へ振り向けたとみられる。
- 私の住友昭和史(1988年) 節「白水会について」
- [1]1951年10月、住友化学の土井正治社長の呼びかけで旧連系11社の社長が集まり白水会の第1回会合を開いた
- [2]土井社長の証言では、白水会の名称は住友銀行(当時大阪銀行)の鈴木剛頭取の提案で決まった
- 企業の現代史 第14「街かどに…明るい窓口 住友銀行」(1962年)
- [3]財閥解体で連系会社は必要資金を自力で調達することになり、銀行は本社・連系会社という大口得意先を失った
- [4]1962年3月末、直系15社を中心に数十社が持合いと住友銀行取引で結束。直系11社・準直系27社計38社への貸出は総貸出の7.8%
- 週刊日本経済 18(41)(1965年)
- [5]白水会は幹事輪番制で運営され、銀行優位を押し出していない(1965年)
1952年12月、大阪銀行は4年あまり名乗った行名を改め、住友銀行に戻した。前月の11月に鈴木剛氏の後を受け、副頭取から頭取へ上がった堀田庄三氏のもとでの復帰だった。同年4月に講和条約が発効し、住友系の各社も同じ時期に住友の名を取り戻した。同年9月にはニューヨーク支店を再開しており、海外取引が広がるにつれて行名を戻す必要が増し、取引先からも要望が出ていた。改称から3年の1951年9月期末、大阪銀行の預金は905億9700万円に達し、1952年の時点で支店は全国に138店あった。戦前にロンドンやニューヨークへ店を広げた住友の名のほうが、外国為替の取引先には通りがよかったのだろう。
- 会社銀行八十年史(1955年)「住友銀行」
- [6]1952年12月、大阪銀行は住友銀行に行名を復帰した
- [9]1952年9月にニューヨーク支店を再開。海外進出に伴い行名復帰の必要が増し、取引先の要望もあった
- 私の住友昭和史(1988年) 10章 業界再編成と銀行の役割
- [7]堀田庄三が1952年11月に頭取に就任し、行名復帰(講和条約発効による)の機会をとらえた
- 企業の現代史 第14「街かどに…明るい窓口 住友銀行」(1962年)
- [8]1952年4月の講和条約発効後、同年12月に他の住友系諸会社とともに住友の名を取り戻した
- 東邦経済 13(5)(1952年)「住友の傳統に輝く 大阪銀行の業容」
- [10]大阪銀行の1951年9月期末預金は905億9700万円、支店は全国138店
堀田氏が1953年7月に全行員へ示した認識は、取引層が大衆に根付いていないため、不況になると貸金が増える一方で貸出先からの預金は減るというものだった。融資の原資は貸出先の預金ではなく蓄積資金に求めるべきだとして、『大衆をどうして引きつけるかに重点をおいてほしい』と訴えた。成果は1953〜1955年度の3年間に表れ、貸出が50%増えたのに対し実質預金は91%伸びた。預金高は行員1人当たりでみても1店舗当たりでみても、普通銀行の中で首位に立った。商品面では1962年までに、結婚や旅行に備える目的預金、自動で継続するリレー定期、プリンス自動車を買うための貸付、白木屋と組んだモーター・ローンがそろった。1965年の時点では、この路線を表す標語として「町かどに明るい窓口」が掲げられていた。耐久消費財の購入に貸す商品は、預金者を借り手としても銀行につなぐ役を担ったと推察される。
- 私の住友昭和史(1988年) 10章 業界再編成と銀行の役割
- [11]1953年7月、堀田頭取は全行員に、取引層が大衆に根を下ろしておらず不景気には貸金が増え貸出先の預金が減ると訴えた
- [12]同じ訓示で、貸出先の預金を重視せず蓄積資金を集めて融資するのが建前とし、大衆を引きつけることに重点を置くよう求めた
- [13]1953〜1955年度の3年間に実質預金91%増・貸出50%増。行員1人当たり・1店舗当たり預金高は普通銀行でトップ
- 企業の現代史 第14「街かどに…明るい窓口 住友銀行」(1962年)
- [14]1962年までにプリンス自動車貸付(消費者金融)、白木屋と提携のモーター・ローン、目的預金(結婚・旅行など)、リレー定期(自動的継続)を出した
- 週刊日本経済 18(41)(1965年)
- [15]営業基盤の大衆化は「町かどに明るい窓口」のスローガンが象徴している(1965年)
参考文献[1]-[15]
- 私の住友昭和史(1988年) 節「白水会について」
- [1]1951年10月、住友化学の土井正治社長の呼びかけで旧連系11社の社長が集まり白水会の第1回会合を開いた
- [2]土井社長の証言では、白水会の名称は住友銀行(当時大阪銀行)の鈴木剛頭取の提案で決まった
- 企業の現代史 第14「街かどに…明るい窓口 住友銀行」(1962年)
- [3]財閥解体で連系会社は必要資金を自力で調達することになり、銀行は本社・連系会社という大口得意先を失った
- [4]1962年3月末、直系15社を中心に数十社が持合いと住友銀行取引で結束。直系11社・準直系27社計38社への貸出は総貸出の7.8%
- [8]1952年4月の講和条約発効後、同年12月に他の住友系諸会社とともに住友の名を取り戻した
- [14]1962年までにプリンス自動車貸付(消費者金融)、白木屋と提携のモーター・ローン、目的預金(結婚・旅行など)、リレー定期(自動的継続)を出した
- 週刊日本経済 18(41)(1965年)
- [5]白水会は幹事輪番制で運営され、銀行優位を押し出していない(1965年)
- [15]営業基盤の大衆化は「町かどに明るい窓口」のスローガンが象徴している(1965年)
- 会社銀行八十年史(1955年)「住友銀行」
- [6]1952年12月、大阪銀行は住友銀行に行名を復帰した
- [9]1952年9月にニューヨーク支店を再開。海外進出に伴い行名復帰の必要が増し、取引先の要望もあった
- 私の住友昭和史(1988年) 10章 業界再編成と銀行の役割
- [7]堀田庄三が1952年11月に頭取に就任し、行名復帰(講和条約発効による)の機会をとらえた
- [11]1953年7月、堀田頭取は全行員に、取引層が大衆に根を下ろしておらず不景気には貸金が増え貸出先の預金が減ると訴えた
- [12]同じ訓示で、貸出先の預金を重視せず蓄積資金を集めて融資するのが建前とし、大衆を引きつけることに重点を置くよう求めた
- [13]1953〜1955年度の3年間に実質預金91%増・貸出50%増。行員1人当たり・1店舗当たり預金高は普通銀行でトップ
- 東邦経済 13(5)(1952年)「住友の傳統に輝く 大阪銀行の業容」
- [10]大阪銀行の1951年9月期末預金は905億9700万円、支店は全国138店
1964年〜河内銀行の合併と金融界で最初の総合オンライン、伊部恭之助への頭取交代
1965年4月1日、住友銀行は大阪府布施市に本店を置く河内銀行を合併し、預金量で第2位に上がった。河内銀行は1952年11月に地元の有力者が設けた地方銀行で、住友銀行は設立の当初から役員を送り、1958年5月に本格的な業務提携を結んでいた。1964年1月に田中角栄蔵相が金融界の再編も避けられないとの見解を示すと、住友銀行は同年5月に合併を申し入れ、6月に合意した。合併前の1965年3月の総預金は5年前の2.26倍で、上位4行の中で伸び率が首位だった。堀田氏は同年の対談で、資金需要が集まる都市銀行に預金が十分集まらない金融制度の仕組みを問題に挙げた。都心に偏った店舗網を、東大阪の地銀を取り込んで補う手だったと考えられる。
- 私の住友昭和史(1988年) 10章 業界再編成と銀行の役割
- [16]1965年4月1日に河内銀行と正式合併し、預金量で第2位となった
- [18]河内銀行は1952年11月に布施市で地元有力者が設立。設立当初から住友銀行の役員が行き、1958年5月に本格的な業務提携
- [19]1964年1月に田中角栄蔵相が金融界も再編成は必至との見解を示し、同年5月に合併を申し入れ6月に合意
- 企業の歴史 明治百年(1968年)「住友銀行」
- [17]河内銀行の合併で預金残高が一気に第2位へ上がった
- 週刊日本経済 18(41)(1965年)
- [20]河内合併前の1965年3月の総預金は1960年3月の2.26倍で、都市銀行上位4行で伸び率首位
- 金融界 17(2)(1965年)「《対談》堀田住友銀行頭取に聞く」
- [21]堀田頭取は、資金需要の集中する都市銀行に資金が十分集まらない金融制度に問題があると述べた(1965年)
住友銀行は1966年7月にNCR-315RMC型の電算機を入れ、1967年7月に池袋・五反田の両支店との間で総合オンラインの取扱いを開始した。普通預金に限らず全科目をつなぐ方式で、金融界で最初の総合オンライン化として投資総額は100億円を超えた。1964年12月の行員1人当たり預金は1億2800万円に上り、少ない人員で窓口を回す必要があった。その備えとして、1962年9月には他行に先がけて事務計算センターを独立させていた。1968年11月に本店の課・係の大半を廃止し、1969年3月に東西のオンラインを結び、同年12月には日本で最初の現金自動支払機を置いた。1人当たり預金高の首位を保つには、窓口の事務を機械へ移すほかなかったようだ。
- 私の住友昭和史(1988年) 10章 業界再編成と銀行の役割
- [22]1966年7月にNCR-315RMC型電算機を導入し、1967年7月に池袋・五反田両支店との間で総合オンライン店を開いた
- [23]普通預金だけでなく全科目をオンライン化する総合オンラインで、投資総額は100億円超
- 企業の歴史 明治百年(1968年)「住友銀行」
- [24]金融界最初の総合オンライン化を推進中(1968年)
- 週刊日本経済 18(41)(1965年)
- [25]1964年12月の1職員当たり預金は1億2800万円で、少数精鋭ゆえ敏速なサービスを必要とした
- [26]事務機械化のため1962年9月に他行にさきがけて事務計算センターを独立させた
- 日本企業要覧(1969年)住友銀行
- [27]1968年11月に本店の課・係の大半を廃止、1969年3月に東西オンラインを結合
- 日本産業史 第4巻(日本経済新聞社、1994年)「創造的革新に挑む」年表
- [28]1969年12月、住友銀行が日本で最初の現金自動支払機を設置
1973年、64歳の伊部恭之助氏が住友銀行の頭取に就任し、20年余り続いた堀田氏の頭取時代が終わった。伊部氏は就任直後の取材で、経営の焦点に社会の要請への対応と国際化、若い層との相互理解を挙げた。大衆化はこれから進める段階だとし、クレジットカードで提携するバンク・オブ・アメリカに行風が近づくとの見通しも示した。1975年12月には最大の貸し手だった安宅産業の危機が顕在化し、住友銀行は1976年1月に伊藤忠商事との全面的な業務提携をまとめた。会長の堀田氏は頭取だった1966年ごろ安宅と住友商事の合併を勧めたが、安宅の反対で流れていた。大衆化と国際化を託された伊部体制は、堀田時代に残った商社向け与信の処理から始まったと推測される。
- 日経ビジネス 1973年7月9日号
- [29]伊部恭之助が1973年に住友銀行頭取に就任(7月9日号時点で就任後1か月余り、64歳)
- [31]新頭取として、外には社会的ニーズへの対応と国際化、内には若い層の考え方の理解を経営のポイントに挙げた
- [32]大衆化は「これから」とし、クレジットカード提携先のバンク・オブ・アメリカに住友銀行が似ていくとの見方を示した
- 私の住友昭和史(1988年) 10章 業界再編成と銀行の役割
- [30]堀田庄三は1952年11月に頭取に就任
- [33]1975年12月7日に安宅問題が表面化。住友銀行が最大債権者として対処し、1976年1月12日に安宅と伊藤忠商事の全面業務提携をまとめた
- [34]堀田会長は頭取時代の1966年ごろ安宅と住友商事の合併を勧め、いったん合意したが安宅の反対で流れた
参考文献[16]-[34]
- 私の住友昭和史(1988年) 10章 業界再編成と銀行の役割
- [16]1965年4月1日に河内銀行と正式合併し、預金量で第2位となった
- [18]河内銀行は1952年11月に布施市で地元有力者が設立。設立当初から住友銀行の役員が行き、1958年5月に本格的な業務提携
- [19]1964年1月に田中角栄蔵相が金融界も再編成は必至との見解を示し、同年5月に合併を申し入れ6月に合意
- [22]1966年7月にNCR-315RMC型電算機を導入し、1967年7月に池袋・五反田両支店との間で総合オンライン店を開いた
- [23]普通預金だけでなく全科目をオンライン化する総合オンラインで、投資総額は100億円超
- [30]堀田庄三は1952年11月に頭取に就任
- [33]1975年12月7日に安宅問題が表面化。住友銀行が最大債権者として対処し、1976年1月12日に安宅と伊藤忠商事の全面業務提携をまとめた
- [34]堀田会長は頭取時代の1966年ごろ安宅と住友商事の合併を勧め、いったん合意したが安宅の反対で流れた
- 企業の歴史 明治百年(1968年)「住友銀行」
- [17]河内銀行の合併で預金残高が一気に第2位へ上がった
- [24]金融界最初の総合オンライン化を推進中(1968年)
- 週刊日本経済 18(41)(1965年)
- [20]河内合併前の1965年3月の総預金は1960年3月の2.26倍で、都市銀行上位4行で伸び率首位
- [25]1964年12月の1職員当たり預金は1億2800万円で、少数精鋭ゆえ敏速なサービスを必要とした
- [26]事務機械化のため1962年9月に他行にさきがけて事務計算センターを独立させた
- 金融界 17(2)(1965年)「《対談》堀田住友銀行頭取に聞く」
- [21]堀田頭取は、資金需要の集中する都市銀行に資金が十分集まらない金融制度に問題があると述べた(1965年)
- 日本企業要覧(1969年)住友銀行
- [27]1968年11月に本店の課・係の大半を廃止、1969年3月に東西オンラインを結合
- 日本産業史 第4巻(日本経済新聞社、1994年)「創造的革新に挑む」年表
- [28]1969年12月、住友銀行が日本で最初の現金自動支払機を設置
- 日経ビジネス 1973年7月9日号
- [29]伊部恭之助が1973年に住友銀行頭取に就任(7月9日号時点で就任後1か月余り、64歳)
- [31]新頭取として、外には社会的ニーズへの対応と国際化、内には若い層の考え方の理解を経営のポイントに挙げた
- [32]大衆化は「これから」とし、クレジットカード提携先のバンク・オブ・アメリカに住友銀行が似ていくとの見方を示した
1952年〜1976年の業績
| 決算期 | 区分 | 売上高 | 経常利益 | 純利益 | 主な投資 | ||
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 億円 | YoY | 億円 | 利益率 | 億円 | |||
| 1952年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1953年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1954年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1955年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1956年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1957年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1958年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1959年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1960年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1961年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1962年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1963年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1964年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1965年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1966年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1967年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1968年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1969年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1970年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1971年03月期 | 単体 | 2,351 | n/a | 436 | 18.5% | 254 | n/a |
| 1972年03月期 | 単体 | 2,772 | +17.9% | 530 | 19.1% | 273 | n/a |
| 1973年03月期 | 単体 | 3,291 | +18.7% | 576 | 17.5% | 294 | n/a |
| 1974年03月期 | 単体 | 4,541 | +38.0% | 515 | 11.3% | 310 | n/a |
| 1975年03月期 | 単体 | 6,480 | +42.7% | 616 | 9.5% | 247 | n/a |
| 1976年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
出所:会社年鑑
出典・参考
11件
- 会社銀行八十年史(1955年)「住友銀行」
- 企業の現代史 第14「街かどに…明るい窓口 住友銀行」(1962年)
- 企業の歴史 明治百年(1968年)「住友銀行」
- 日本産業史 第4巻(日本経済新聞社、1994年)「創造的革新に挑む」年表
- 週刊日本経済 18(41)(1965年)
- 日経ビジネス 1973年7月9日号
- 東邦経済 13(5)(1952年)「住友の傳統に輝く 大阪銀行の業容」
- 金融界 17(2)(1965年)「《対談》堀田住友銀行頭取に聞く」
- 日本企業要覧(1969年)住友銀行
- 私の住友昭和史(1988年) 節「白水会について」
- 私の住友昭和史(1988年) 10章 業界再編成と銀行の役割