西華産業:西華産業の設立と東京証券取引所市場第一部への上場
1947年〜旧三菱商事の解体で門司に生まれた機械商社と、三菱商事の2次代理店
1947年10月、旧三菱商事で西日本の機械取引を担った社員が中核となり、門司市で西華産業を設立した。同年7月にGHQが旧三菱商事の解体を命じたため、関西以西の機械部門の社員は所属先を失った。設立時の資本金は19万5,000円。初代社長には、1904年に静岡で生まれ浜松商業を経て三菱商事に勤めた中林恒治氏が就任した。同じく三菱商事出身の山田島実次氏と正井義夫氏は、設立時から取締役を務めた。1954年時点の本社は門司市港町に置き、同年9月末の従業員は83人だった。旧財閥で培った機械取引の人脈と商権を手元に残すには、自前の会社を興すほかに手段が乏しかったのだろう。
- 証券アナリストジャーナル 9(3) 1971年 山田島実次
- [1]1947年7月GHQが旧三菱商事を解体、同社の西日本地区機械部門関係者が中核となり同年10月に機械専門商社として設立
- ダイヤモンド会社産業総覧 1964年版「西華産業」
- [2]旧三菱商事の解体に伴い関西以西の機械部門関係者が中心となり1947年10月設立。社長中林恒治は1904年静岡生まれ・浜松商卒・三菱商事出身で1947年設立時社長、山田島実次・正井義夫は三菱商事出身で1947年取締役
- [4]旧三菱商事の解体に伴い関西以西の機械部門関係者が中心となり1947年10月設立。社長中林恒治は1904年静岡生まれ・浜松商卒・三菱商事出身で1947年設立時社長、山田島実次・正井義夫は三菱商事出身で1947年取締役
- [5]旧三菱商事の解体に伴い関西以西の機械部門関係者が中心となり1947年10月設立。社長中林恒治は1904年静岡生まれ・浜松商卒・三菱商事出身で1947年設立時社長、山田島実次・正井義夫は三菱商事出身で1947年取締役
- 西華産業 有価証券報告書「沿革」
- [3]1947年10月、門司市に資本金195千円で設立
- 株式会社年鑑 1955年版「西華産業」
- [6]1954年時点の本社は門司市港町2、従業員83人
西華産業は、三菱重工業の西日本の事業所だった長崎造船所・広島造船所・広島精機製作所・下関造船所の4事業所を担う主力の代理店として事業を始めた。これらの事業所は重工業の3分割で西日本重工業となり、のちに三菱造船へ改称した。1954年時点の事業は機械の輸出入と国内販売、機械の据付・移設工事、石油製品と金属資材の販売の3つで、主な取引先には三菱造船・三菱電機・三菱化工機と各電力会社が並んだ。1963年時点では取引の約80%を受託取引が占め、うち三菱商事から委託された取引が売上高全体の50%前後に達した。三菱商事が総代理店の役割を担い、西華産業はその下の2次代理店の役割を担った。旧三菱商事時代のメーカーとの関係が、発足時の商権の大半を占めたとみられる。
- 証券アナリストジャーナル 9(3) 1971年 山田島実次
- [7]三菱重工業の西日本地区事業所(長崎造船所・広島造船所・広島精機製作所・下関造船所)の主力代理店として発足。同事業所は西日本重工業を経て三菱造船と改称
- [8]三菱重工業の西日本地区事業所(長崎造船所・広島造船所・広島精機製作所・下関造船所)の主力代理店として発足。同事業所は西日本重工業を経て三菱造船と改称
- 株式会社年鑑 1955年版「西華産業」
- [9]1954年時点の事業内容は機械類の輸出入・国内販売、機械類の据付・移設工事、石油製品・金属資材の販売。主な取引先は三菱造船・三菱電機・三菱化工機・各電力会社
- ダイヤモンド会社産業総覧 1964年版「西華産業」
- [10]受託取引が約80%、三菱商事の受託取引が総売上高の50%前後。三菱商事の総代理店的立場に対し2次代理店的役割
- [11]受託取引が約80%、三菱商事の受託取引が総売上高の50%前後。三菱商事の総代理店的立場に対し2次代理店的役割
西華産業は1948年7月から1954年4月までに7回の増資を重ね、資本金を19万5,000円から6,000万円へ引き上げた。1952年だけで4月・9月・12月の3回にわたり増資し、その多くを縁故者への割当で賄った。1954年時点で株式は東京の店頭市場で売買され、1954年中の出来高は52万9,700株だった。同じ1954年4月〜9月の半期の売上高は2,263,529千円で、前の半期の2,172,512千円を上回った。同年時点の取引金融機関には、三菱・三井・住友・東京の各銀行が並んだ。社長の中林恒治氏のもとで扱う機械の量が増え、メーカーや客先の信用を得るためにも資本の厚みと株式の流通が要ったと推察される。
- ダイヤモンド会社産業総覧 1964年版「西華産業」
- [12]資本金の異動:1948年7月100万円、1951年7月250万円、1952年4月500万円、同9月1,000万円、同12月1,500万円、1953年10月2,500万円、1954年6,000万円。多くが縁故割当
- [13]資本金の異動:1948年7月100万円、1951年7月250万円、1952年4月500万円、同9月1,000万円、同12月1,500万円、1953年10月2,500万円、1954年6,000万円。多くが縁故割当
- 株式会社年鑑 1955年版「西華産業」
- [14]1954年時点の上場市場は東京店頭、1954年中の出来高529,700株。1954年4月〜9月の売上高2,263,529千円、前半期2,172,512千円。取引金融機関は三菱・三井・住友・東京の各銀行。社長中林恒治
- [15]1954年時点の上場市場は東京店頭、1954年中の出来高529,700株。1954年4月〜9月の売上高2,263,529千円、前半期2,172,512千円。取引金融機関は三菱・三井・住友・東京の各銀行。社長中林恒治
- [16]1954年時点の上場市場は東京店頭、1954年中の出来高529,700株。1954年4月〜9月の売上高2,263,529千円、前半期2,172,512千円。取引金融機関は三菱・三井・住友・東京の各銀行。社長中林恒治
参考文献[1]-[16]
- 証券アナリストジャーナル 9(3) 1971年 山田島実次
- [1]1947年7月GHQが旧三菱商事を解体、同社の西日本地区機械部門関係者が中核となり同年10月に機械専門商社として設立
- [7]三菱重工業の西日本地区事業所(長崎造船所・広島造船所・広島精機製作所・下関造船所)の主力代理店として発足。同事業所は西日本重工業を経て三菱造船と改称
- [8]三菱重工業の西日本地区事業所(長崎造船所・広島造船所・広島精機製作所・下関造船所)の主力代理店として発足。同事業所は西日本重工業を経て三菱造船と改称
- ダイヤモンド会社産業総覧 1964年版「西華産業」
- [2]旧三菱商事の解体に伴い関西以西の機械部門関係者が中心となり1947年10月設立。社長中林恒治は1904年静岡生まれ・浜松商卒・三菱商事出身で1947年設立時社長、山田島実次・正井義夫は三菱商事出身で1947年取締役
- [4]旧三菱商事の解体に伴い関西以西の機械部門関係者が中心となり1947年10月設立。社長中林恒治は1904年静岡生まれ・浜松商卒・三菱商事出身で1947年設立時社長、山田島実次・正井義夫は三菱商事出身で1947年取締役
- [5]旧三菱商事の解体に伴い関西以西の機械部門関係者が中心となり1947年10月設立。社長中林恒治は1904年静岡生まれ・浜松商卒・三菱商事出身で1947年設立時社長、山田島実次・正井義夫は三菱商事出身で1947年取締役
- [10]受託取引が約80%、三菱商事の受託取引が総売上高の50%前後。三菱商事の総代理店的立場に対し2次代理店的役割
- [11]受託取引が約80%、三菱商事の受託取引が総売上高の50%前後。三菱商事の総代理店的立場に対し2次代理店的役割
- [12]資本金の異動:1948年7月100万円、1951年7月250万円、1952年4月500万円、同9月1,000万円、同12月1,500万円、1953年10月2,500万円、1954年6,000万円。多くが縁故割当
- [13]資本金の異動:1948年7月100万円、1951年7月250万円、1952年4月500万円、同9月1,000万円、同12月1,500万円、1953年10月2,500万円、1954年6,000万円。多くが縁故割当
- 西華産業 有価証券報告書「沿革」
- [3]1947年10月、門司市に資本金195千円で設立
- 株式会社年鑑 1955年版「西華産業」
- [6]1954年時点の本社は門司市港町2、従業員83人
- [9]1954年時点の事業内容は機械類の輸出入・国内販売、機械類の据付・移設工事、石油製品・金属資材の販売。主な取引先は三菱造船・三菱電機・三菱化工機・各電力会社
- [14]1954年時点の上場市場は東京店頭、1954年中の出来高529,700株。1954年4月〜9月の売上高2,263,529千円、前半期2,172,512千円。取引金融機関は三菱・三井・住友・東京の各銀行。社長中林恒治
- [15]1954年時点の上場市場は東京店頭、1954年中の出来高529,700株。1954年4月〜9月の売上高2,263,529千円、前半期2,172,512千円。取引金融機関は三菱・三井・住友・東京の各銀行。社長中林恒治
- [16]1954年時点の上場市場は東京店頭、1954年中の出来高529,700株。1954年4月〜9月の売上高2,263,529千円、前半期2,172,512千円。取引金融機関は三菱・三井・住友・東京の各銀行。社長中林恒治
1961年〜東京証券取引所への上場と、約2.5年で達した4カ年利益倍増計画
西華産業は1961年10月、資本金6億円で東京証券取引所の市場第一部へ株式を上場した。上場に先立つ1960年4月には、資本金を3億円とする増資で初めて公募を導入。1954年時点で丸の内に置いた東京事務所は、1963年には千代田区丸ノ内の新東京ビルに入る東京支社となった。1963年3月期の主な販売先には関西電力・中国電力・四国電力・九州電力と、帝人・東洋紡績・旭化成工業が並んだ。1971年時点でも本店の登記は北九州市に残り、総務と経理の主力も同地に置いた。一方で営業を管轄する部門は東京に置き、2つの拠点を合わせて本社機構とした。電力と化学の大手客先と向き合う営業の軸が東京へ移ったことが、東京での上場を後押ししたと思われる。
- 西華産業 有価証券報告書「沿革」
- [17]1961年10月、資本金6億円で東京証券取引所市場第一部に上場
- ダイヤモンド会社産業総覧 1964年版「西華産業」
- [18]1960年4月に資本金3億円へ公募増資。1963年時点の東京支社は千代田区丸ノ内3の2新東京ビル
- [19]1960年4月に資本金3億円へ公募増資。1963年時点の東京支社は千代田区丸ノ内3の2新東京ビル
- 株式会社年鑑 1964年版「西華産業」
- [20]1963年3月期の主な販売先は三菱造船・関西電力・中国電力・四国電力・九州電力・帝人・東洋紡績・旭化成工業など。上場市場は東京第1部
- 証券アナリストジャーナル 9(3) 1971年 山田島実次
- [21]1971年時点で登記上の本社は北九州市、総務・経理の主力も同地。営業の管轄部門は東京に置き、両地を合わせて本社機構とする
- [22]1971年時点で登記上の本社は北九州市、総務・経理の主力も同地。営業の管轄部門は東京に置き、両地を合わせて本社機構とする
1963年時点の経済誌は、西華産業を三菱商事の下請に近い商社と評し、輸出入の比率も取引の4〜5%にとどまると記した。西華産業は1968年9月期を起点とし、創立25周年の1972年9月期までに利益を倍にする「4カ年利益倍増計画」を定めた。税引利益は1968年9月期の1億6,000万円から半期ごとに増え、1970年9月期には2億6,300万円となった。1971年3月期は3億1,500万円を見込み、約2.5年で倍増の目標に達したため、計画を3倍増へ改めた。1971年時点の従業員は約240名で、同じ収益規模の同業他社はおよそ2倍の人員を擁した。人員を抑えた運営が、手数料率の低い大口取引の多い中でも利益を積み上げる土台になったと考えられる。
- ダイヤモンド会社産業総覧 1964年版「西華産業」
- [23]1963年時点で三菱商事の下請的色彩が濃い商社とされ、輸出入は取引の4〜5%
- 証券アナリストジャーナル 9(3) 1971年 山田島実次
- [24]1968年9月期を起点、創立25周年の1972年9月期を目標とする4カ年利益倍増計画。利益は1968年9月期1億6,000万円→1970年9月期2億6,300万円、1971年3月期3億1,500万円見込みで約2.5年で到達し3倍増計画へ修正。従業員約240名、同業他社は約2倍
- [25]1968年9月期を起点、創立25周年の1972年9月期を目標とする4カ年利益倍増計画。利益は1968年9月期1億6,000万円→1970年9月期2億6,300万円、1971年3月期3億1,500万円見込みで約2.5年で到達し3倍増計画へ修正。従業員約240名、同業他社は約2倍
- [26]1968年9月期を起点、創立25周年の1972年9月期を目標とする4カ年利益倍増計画。利益は1968年9月期1億6,000万円→1970年9月期2億6,300万円、1971年3月期3億1,500万円見込みで約2.5年で到達し3倍増計画へ修正。従業員約240名、同業他社は約2倍
- [27]1968年9月期を起点、創立25周年の1972年9月期を目標とする4カ年利益倍増計画。利益は1968年9月期1億6,000万円→1970年9月期2億6,300万円、1971年3月期3億1,500万円見込みで約2.5年で到達し3倍増計画へ修正。従業員約240名、同業他社は約2倍
1971年2月時点の取扱品目の構成比は、電力関係40%・化学関係20%・公害関係10%・省力関係10%・その他20%。1963年3月期の販売実績でも、機械販売9,064,747千円のうち電力ガス機械が4,733,026千円、化学工業機械が2,961,524千円を占めた。1971年にはエチレン大型化の設備投資が一巡し、化学機械の受注が減り始めた。その減少を補ったのが公害関連機器で、西華産業は約10年前から取り扱いを始め、三菱重工業をはじめ10数社のメーカーと代理契約を結んだ。1971年2月までの数カ月の間に環境保全機器総括本部を新たに置き、常務取締役の山田島実次氏が本部長を兼ねた。電力と化学の大口客先との長い取引が、公害対策の設備でも商談の入口になったと推測される。
- 証券アナリストジャーナル 9(3) 1971年 山田島実次
- [28]1971年2月時点の取扱品目構成比は電力40%・化学20%・公害10%・省力10%・その他20%。エチレン大型化投資が峠を越え化学機械受注が減少、公害関連機器が補う。約10年前から着目し三菱重工業ほか10数社と代理契約。数カ月前に環境保全機器総括本部を設置し山田島実次常務が本部長兼務
- [30]1971年2月時点の取扱品目構成比は電力40%・化学20%・公害10%・省力10%・その他20%。エチレン大型化投資が峠を越え化学機械受注が減少、公害関連機器が補う。約10年前から着目し三菱重工業ほか10数社と代理契約。数カ月前に環境保全機器総括本部を設置し山田島実次常務が本部長兼務
- [31]1971年2月時点の取扱品目構成比は電力40%・化学20%・公害10%・省力10%・その他20%。エチレン大型化投資が峠を越え化学機械受注が減少、公害関連機器が補う。約10年前から着目し三菱重工業ほか10数社と代理契約。数カ月前に環境保全機器総括本部を設置し山田島実次常務が本部長兼務
- [32]1971年2月時点の取扱品目構成比は電力40%・化学20%・公害10%・省力10%・その他20%。エチレン大型化投資が峠を越え化学機械受注が減少、公害関連機器が補う。約10年前から着目し三菱重工業ほか10数社と代理契約。数カ月前に環境保全機器総括本部を設置し山田島実次常務が本部長兼務
- ダイヤモンド会社産業総覧 1964年版「西華産業」
- [29]1963年3月期の販売実績:機械9,064,747千円、うち電力ガス機械4,733,026千円、化学工業機械2,961,524千円
参考文献[17]-[32]
- 西華産業 有価証券報告書「沿革」
- [17]1961年10月、資本金6億円で東京証券取引所市場第一部に上場
- ダイヤモンド会社産業総覧 1964年版「西華産業」
- [18]1960年4月に資本金3億円へ公募増資。1963年時点の東京支社は千代田区丸ノ内3の2新東京ビル
- [19]1960年4月に資本金3億円へ公募増資。1963年時点の東京支社は千代田区丸ノ内3の2新東京ビル
- [23]1963年時点で三菱商事の下請的色彩が濃い商社とされ、輸出入は取引の4〜5%
- [29]1963年3月期の販売実績:機械9,064,747千円、うち電力ガス機械4,733,026千円、化学工業機械2,961,524千円
- 株式会社年鑑 1964年版「西華産業」
- [20]1963年3月期の主な販売先は三菱造船・関西電力・中国電力・四国電力・九州電力・帝人・東洋紡績・旭化成工業など。上場市場は東京第1部
- 証券アナリストジャーナル 9(3) 1971年 山田島実次
- [21]1971年時点で登記上の本社は北九州市、総務・経理の主力も同地。営業の管轄部門は東京に置き、両地を合わせて本社機構とする
- [22]1971年時点で登記上の本社は北九州市、総務・経理の主力も同地。営業の管轄部門は東京に置き、両地を合わせて本社機構とする
- [24]1968年9月期を起点、創立25周年の1972年9月期を目標とする4カ年利益倍増計画。利益は1968年9月期1億6,000万円→1970年9月期2億6,300万円、1971年3月期3億1,500万円見込みで約2.5年で到達し3倍増計画へ修正。従業員約240名、同業他社は約2倍
- [25]1968年9月期を起点、創立25周年の1972年9月期を目標とする4カ年利益倍増計画。利益は1968年9月期1億6,000万円→1970年9月期2億6,300万円、1971年3月期3億1,500万円見込みで約2.5年で到達し3倍増計画へ修正。従業員約240名、同業他社は約2倍
- [26]1968年9月期を起点、創立25周年の1972年9月期を目標とする4カ年利益倍増計画。利益は1968年9月期1億6,000万円→1970年9月期2億6,300万円、1971年3月期3億1,500万円見込みで約2.5年で到達し3倍増計画へ修正。従業員約240名、同業他社は約2倍
- [27]1968年9月期を起点、創立25周年の1972年9月期を目標とする4カ年利益倍増計画。利益は1968年9月期1億6,000万円→1970年9月期2億6,300万円、1971年3月期3億1,500万円見込みで約2.5年で到達し3倍増計画へ修正。従業員約240名、同業他社は約2倍
- [28]1971年2月時点の取扱品目構成比は電力40%・化学20%・公害10%・省力10%・その他20%。エチレン大型化投資が峠を越え化学機械受注が減少、公害関連機器が補う。約10年前から着目し三菱重工業ほか10数社と代理契約。数カ月前に環境保全機器総括本部を設置し山田島実次常務が本部長兼務
- [30]1971年2月時点の取扱品目構成比は電力40%・化学20%・公害10%・省力10%・その他20%。エチレン大型化投資が峠を越え化学機械受注が減少、公害関連機器が補う。約10年前から着目し三菱重工業ほか10数社と代理契約。数カ月前に環境保全機器総括本部を設置し山田島実次常務が本部長兼務
- [31]1971年2月時点の取扱品目構成比は電力40%・化学20%・公害10%・省力10%・その他20%。エチレン大型化投資が峠を越え化学機械受注が減少、公害関連機器が補う。約10年前から着目し三菱重工業ほか10数社と代理契約。数カ月前に環境保全機器総括本部を設置し山田島実次常務が本部長兼務
- [32]1971年2月時点の取扱品目構成比は電力40%・化学20%・公害10%・省力10%・その他20%。エチレン大型化投資が峠を越え化学機械受注が減少、公害関連機器が補う。約10年前から着目し三菱重工業ほか10数社と代理契約。数カ月前に環境保全機器総括本部を設置し山田島実次常務が本部長兼務
出典・参考
5件
- 西華産業 有価証券報告書「沿革」
- 株式会社年鑑 1955年版「西華産業」
- 株式会社年鑑 1964年版「西華産業」
- ダイヤモンド会社産業総覧 1964年版「西華産業」
- 証券アナリストジャーナル 9(3) 1971年 山田島実次