第1章 年〜年

ファミリーマート:西友ストアーからの独立と10年での1

1974年〜大店法に追われたスーパーが選んだ小型店

1974年5月、セブン-イレブン・ジャパンが東京都江東区に1号店を出店し、日本のコンビニエンスストアが本格的に始まった。同じ年の3月には大規模小売店舗法が施行され、売場面積1,500平方メートル以上の出店には調整がかかるようになる。大型店を出しにくくなったスーパー各社は、規制の外にある小型店へ向かった。西友ストアーも1972年9月に企画室へ小型店担当を置き、翌1973年9月には埼玉県狭山市で実験第1号店を出店した。フランチャイズ方式での本格的な事業化は1978年3月で、この月に社内へファミリーマート事業部が発足し、翌4月には加盟第1号店が埼玉県狭山市で営業を開始した。1980年4月にはコンピュータを使う商品発注システムが動き始めた。

  • 日本産業史 第3巻 金融・商業(日本経済新聞社、1994年)「流通-コンビニエンスストアの台頭」
    • [1]1974年5月にセブン-イレブン・ジャパン(当時ヨークセブン)1号店が東京都江東区に開店。日本の「コンビニ元年」
    • [2]1974年3月に大規模小売店舗法が施行。売場面積1,500平方メートル以上が調整対象
    • [3]大店法でスーパーの出店が難しくなり、法規制の枠に入らない小型店の展開を有力な大手スーパーが目指した
  • 証券アナリストジャーナル 1988年26巻1号(沖正一郎、1987年12月22日 日本証券アナリスト協会企業分析部会 講演要旨)
    • [4]1972年9月、西友ストア企画室に小型店担当を設置
    • [5]1973年9月、埼玉県狭山市に実験第1号店を開店
    • [8]1980年4月、コンピュータを利用した商品発注システムが稼動(沖正一郎社長は講演で1978年3月からと述べており、一次資料間で年に食い違いがある)
  • ファミリーマート 有価証券報告書【沿革】
    • [6]1978年3月、西友ストアー内にファミリーマート事業部が発足(直営店1店)
  • 証券 1988年40巻1号(新規上場会社紹介)
    • [7]1978年4月、フランチャイズ契約による加盟第1号店が埼玉県狭山市で営業開始

親会社の西友ストアーは、小型店の実験を続ける一方で本業の量販店に苦しんでいた。社長の堤清二氏は1979年11月の講演で、これからの店舗の形態を二つに分けて論じた。対面の接客を残す大型店と、日常用品を低い費用で満たす小型店である。1975年ごろから小売市場の内容は基本的に変わっており、1978年と1979年の2年間、量販店業界は不振に沈んだ。同じ1980年8月の中間決算で西友ストアーは上場以来はじめての減益となり、営業本部を廃して営業会議を新設し、堤氏自らが議長に就任した。売上高ではすでにイトーヨーカ堂に抜かれていた。小型店は本業の余技ではなく、量販店が届かない需要を獲得する場として置かれていた。

  • 証券アナリストジャーナル 1979年17巻12号(堤清二、1979年11月22日 日本証券アナリスト協会企業分析部会 講演要旨)
    • [9]店舗の形態は、マスマーケットのニーズに合わせてヒューマン・リレーションの復活が可能な大型の店舗と、日常用品をできるだけ低コストで充足させる小型の店舗の二つにはっきり分類されていくと述べた
    • [10]大型店舗はヒューマン・リレーションの復活が可能な形、小型店舗は日常用品をできるだけ低コストで充足させる形として区分した
  • 80年代わが社の戦略(1980年)「西友ストアー」(堤清二)
    • [11]1975年頃から小売業者にとってマーケットの基本的内容が変わり、1978年・1979年の2年間は量販店業界がかなり不振だった
    • [14]売上高でイトーヨーカ堂に抜かれ、西友ストアーの業績は芳しくなかった
  • 日経ビジネス 1980年11月3日号
    • [12]1980年8月の中間決算で西友ストアーは上場以来はじめての減益となった
    • [13]営業本部を廃止して営業会議を新設し、営業会議の議長には堤清二社長が自ら就任した

1981年9月、西友ストアーの全額出資子会社で休眠していた株式会社ジョナスが、西友ストアーからファミリーマート事業部の営業と資産を譲り受け、商号を株式会社ファミリーマートへ改めた。出店の意思決定を速めるために事業部を切り出す措置で、引き継いだ店舗は89店、初代社長には沖正一郎氏が就任した。沖氏は1951年に伊藤忠商事へ入社し、1963年から西武百貨店と伊藤忠商事の合弁スーパーである株式会社マイマートへ出向して6年を過ごし、1974年に西友ストアー常務取締役として小型店・中型店の販売部門を担当した人物である。コンビニエンスストア設立の準備は1980年9月から進めていた。

  • ファミリーマート 有価証券報告書【沿革】
    • [15]1981年9月、休眠会社の㈱ジョナスが㈱西友ストアーから営業と資産の譲渡を受け、商号を㈱ファミリーマートに変更して事業を開始
  • 証券 1988年40巻1号(新規上場会社紹介)
    • [16]出店意志決定の迅速化などを目的として、ファミリーマート事業部を独立させるための措置だった
    • [17]会社設立時(1981年9月)の店舗数は89店(加盟店87店・直営店2店)
    • [18]初代社長は沖正一郎(1981年9月 ㈱ファミリーマート取締役社長就任)
    • [19]沖正一郎は1951年4月に伊藤忠商事へ入社
  • 証券アナリストジャーナル 1988年26巻1号(沖正一郎、1987年12月22日 日本証券アナリスト協会企業分析部会 講演要旨)
    • [20]1963年春、西武百貨店と伊藤忠が合弁で設立したスーパー㈱マイマートへ伊藤忠から出向し約6年間勤務
    • [21]1974年8月、㈱西友ストアー常務取締役に就任し小型店・中型店の販売部門を担当
    • [22]1980年9月からコンビニエンス・ストア設立の準備を進めた
参考文献[1]-[22]
    • [1]1974年5月にセブン-イレブン・ジャパン(当時ヨークセブン)1号店が東京都江東区に開店。日本の「コンビニ元年」
    • [2]1974年3月に大規模小売店舗法が施行。売場面積1,500平方メートル以上が調整対象
    • [3]大店法でスーパーの出店が難しくなり、法規制の枠に入らない小型店の展開を有力な大手スーパーが目指した
    • [4]1972年9月、西友ストア企画室に小型店担当を設置
    • [5]1973年9月、埼玉県狭山市に実験第1号店を開店
    • [8]1980年4月、コンピュータを利用した商品発注システムが稼動(沖正一郎社長は講演で1978年3月からと述べており、一次資料間で年に食い違いがある)
    • [20]1963年春、西武百貨店と伊藤忠が合弁で設立したスーパー㈱マイマートへ伊藤忠から出向し約6年間勤務
    • [21]1974年8月、㈱西友ストアー常務取締役に就任し小型店・中型店の販売部門を担当
    • [22]1980年9月からコンビニエンス・ストア設立の準備を進めた
  • ファミリーマート 有価証券報告書【沿革】
    • [6]1978年3月、西友ストアー内にファミリーマート事業部が発足(直営店1店)
    • [15]1981年9月、休眠会社の㈱ジョナスが㈱西友ストアーから営業と資産の譲渡を受け、商号を㈱ファミリーマートに変更して事業を開始
    • [7]1978年4月、フランチャイズ契約による加盟第1号店が埼玉県狭山市で営業開始
    • [16]出店意志決定の迅速化などを目的として、ファミリーマート事業部を独立させるための措置だった
    • [17]会社設立時(1981年9月)の店舗数は89店(加盟店87店・直営店2店)
    • [18]初代社長は沖正一郎(1981年9月 ㈱ファミリーマート取締役社長就任)
    • [19]沖正一郎は1951年4月に伊藤忠商事へ入社
    • [9]店舗の形態は、マスマーケットのニーズに合わせてヒューマン・リレーションの復活が可能な大型の店舗と、日常用品をできるだけ低コストで充足させる小型の店舗の二つにはっきり分類されていくと述べた
    • [10]大型店舗はヒューマン・リレーションの復活が可能な形、小型店舗は日常用品をできるだけ低コストで充足させる形として区分した
    • [11]1975年頃から小売業者にとってマーケットの基本的内容が変わり、1978年・1979年の2年間は量販店業界がかなり不振だった
    • [14]売上高でイトーヨーカ堂に抜かれ、西友ストアーの業績は芳しくなかった
  • 日経ビジネス 1980年11月3日号
    • [12]1980年8月の中間決算で西友ストアーは上場以来はじめての減益となった
    • [13]営業本部を廃止して営業会議を新設し、営業会議の議長には堤清二社長が自ら就任した

1981年〜加盟する側の採算から組み立てた契約

主な収益源は、加盟者へ経営ノウハウと経営指導を提供する対価として受け取るロイヤリティだった。契約は3種類あり、店舗を加盟者が用意する第1種は加盟店営業総利益の35%、店舗を会社が用意する第2種は60%を本部が取る。1986年1月には加盟時負担金を430万円から50万円へ下げた第3種を設け、資金の乏しい人でも加盟できるようにした。契約期間は7年と、この種の契約では短い。什器が年中無休24時間営業では7〜10年で古くなること、加盟者の側も7年やってみて続けるかを決められるほうが参加しやすいことの2つによる。加盟店の指導は営業担当者250人が受け持ち、1週に最低2回、1人あたり7〜8店を回った。

  • 証券 1988年40巻1号(新規上場会社紹介)
    • [23]フランチャイズ契約を締結した加盟店に対する経営ノウハウの提供および経営指導援助が事業の内容
    • [24]第1種フランチャイズ契約は店舗を加盟者が負担し、ロイヤリティは加盟店営業総利益の35.0%
    • [25]第2種フランチャイズ契約は店舗を同社が負担し、ロイヤリティは加盟店営業総利益の60.0%
    • [26]1986年1月より第3種を導入。加盟時負担金を430万円から50万円(加盟金のみ)に引き下げ
  • 証券アナリストジャーナル 1988年26巻1号(沖正一郎、1987年12月22日 日本証券アナリスト協会企業分析部会 講演要旨)
    • [27]契約期間は7年。什器の耐用年数が年中無休24時間営業では7〜10年で陳腐化すること、加盟者が参加しやすいことが理由
    • [28]契約期間7年の理由は、什器の耐用年数が年中無休24時間営業では7〜10年で陳腐化すること、加盟者も7年やってみて続けるかを決められるほうが参加しやすいこと
    • [29]営業担当者250人が各店を1週に最低2回、1人が7〜8店を直接訪問して指導

加盟者をどこから集めるかは、出店の速度を決める条件だった。沖正一郎氏は1987年12月の講演で、パパ・ママ店と呼ばれる小売店の経営者が高齢になり、後継者も近代化の資金も持たない事情を挙げた。日本の小売店はその3年間で約1割減っていた。ファミリーマートは開発関係に128人を置き、うち93人が小売店を直接訪ねて加盟を勧めた。加盟者が店舗を持つ場合の当初投資は什器を主に1,000万円前後で済んだ。会社が店舗を用意する場合は4,000万〜5,000万円を要し、地価の上昇でさらに膨らみつつあった。粗利益の分配額には最低保証を置いたが、適用は全店の5%以内にとどまった。加盟者の側の採算が成り立つかどうかが、本部の出店の上限を決めていた。

  • 証券アナリストジャーナル 1988年26巻1号(沖正一郎、1987年12月22日 日本証券アナリスト協会企業分析部会 講演要旨)
    • [30]パパ・ママ店といわれる小さな小売店の経営者が高齢になり、後継者もなく、店の近代化を図りたいが資金もないことから、フランチャイズ方式でコンビニエンス・ストアになろうと考えるケースが増えていた
    • [31]日本の小売店は最近の3年間で約1割減った
    • [32]従業員664人のうち開発関係128人。うち小売店などを直接訪問してファミリーマートへの参加を勧める要員が93人
    • [33]店舗開設のための当初投資額は、フランチャイジーが自分の店を持っている場合は什器を主に1店1,000万円前後
    • [34]会社が店舗を用意する場合の当初投資額は1店4,000万〜5,000万円(入居保証金2,000万円、内装費1,000万円など)で、地価上昇により5,000万〜6,000万円が必要になりつつあった
    • [35]粗利益の分配額に最低保証(店舗自己保有は1,250万円+売上の3%、それ以外は1,100万円+売上の4%)を設けたが、適用は全体の5%以内・20〜30店程度

取扱商品は約74%が食料品で、弁当が11.8%、パンが8.2%、飲料と乳製品がそれぞれ8.7%を占めた。非食品は25%程度で、そのうち雑誌が9.6%にのぼった。1店の商品アイテムは3,000前後と大型量販店より少なく、1品あたりの扱い量が大きくなり、仕入で有利に働いた。各店の経営者には商品の発注を自ら手がけるよう指導し、在庫をPOSで管理させることはしなかった。そのPOSの導入も急がなかった。加盟者には高齢の経営者が多く、扱えなければ役に立たないとみて、1988年の年央に100店で効果を確かめる手順を踏んだ。発注した品は翌日の決まった時刻にかならず届き、弁当は1日に3社から6回、パンは1日2回の配送だった。

  • 証券アナリストジャーナル 1988年26巻1号(沖正一郎、1987年12月22日 日本証券アナリスト協会企業分析部会 講演要旨)
    • [36]店で扱う商品の約74%が食料品。弁当11.8%、パン8.2%、飲料8.7%、乳製品8.7%
    • [37]非食品(チリ紙、化粧品など)が25%程度で、このうち週刊誌などの雑誌が9.6%
    • [38]1店の商品アイテムは3,000前後で大型量販店より少なく、1品当たりの扱い量が大きくなるため仕入れに有利
    • [39]商品の発注だけは各店の経営者が自分で行い、POSによって在庫管理をやろうと思わないように指導していた
    • [40]POSの導入は慎重に進めた。フランチャイズ店が大半で高齢の経営者も多く使えなくては意味がないため、1988年の年央に100店程度で効果を確かめる方針
    • [41]発注した翌日の一定時に必ず納品される体制を整えていた
    • [42]鮮度が大事なものは弁当が1日3社6回、パンが1日2回の頻度で納品
参考文献[23]-[42]
    • [23]フランチャイズ契約を締結した加盟店に対する経営ノウハウの提供および経営指導援助が事業の内容
    • [24]第1種フランチャイズ契約は店舗を加盟者が負担し、ロイヤリティは加盟店営業総利益の35.0%
    • [25]第2種フランチャイズ契約は店舗を同社が負担し、ロイヤリティは加盟店営業総利益の60.0%
    • [26]1986年1月より第3種を導入。加盟時負担金を430万円から50万円(加盟金のみ)に引き下げ
    • [27]契約期間は7年。什器の耐用年数が年中無休24時間営業では7〜10年で陳腐化すること、加盟者が参加しやすいことが理由
    • [28]契約期間7年の理由は、什器の耐用年数が年中無休24時間営業では7〜10年で陳腐化すること、加盟者も7年やってみて続けるかを決められるほうが参加しやすいこと
    • [29]営業担当者250人が各店を1週に最低2回、1人が7〜8店を直接訪問して指導
    • [30]パパ・ママ店といわれる小さな小売店の経営者が高齢になり、後継者もなく、店の近代化を図りたいが資金もないことから、フランチャイズ方式でコンビニエンス・ストアになろうと考えるケースが増えていた
    • [31]日本の小売店は最近の3年間で約1割減った
    • [32]従業員664人のうち開発関係128人。うち小売店などを直接訪問してファミリーマートへの参加を勧める要員が93人
    • [33]店舗開設のための当初投資額は、フランチャイジーが自分の店を持っている場合は什器を主に1店1,000万円前後
    • [34]会社が店舗を用意する場合の当初投資額は1店4,000万〜5,000万円(入居保証金2,000万円、内装費1,000万円など)で、地価上昇により5,000万〜6,000万円が必要になりつつあった
    • [35]粗利益の分配額に最低保証(店舗自己保有は1,250万円+売上の3%、それ以外は1,100万円+売上の4%)を設けたが、適用は全体の5%以内・20〜30店程度
    • [36]店で扱う商品の約74%が食料品。弁当11.8%、パン8.2%、飲料8.7%、乳製品8.7%
    • [37]非食品(チリ紙、化粧品など)が25%程度で、このうち週刊誌などの雑誌が9.6%
    • [38]1店の商品アイテムは3,000前後で大型量販店より少なく、1品当たりの扱い量が大きくなるため仕入れに有利
    • [39]商品の発注だけは各店の経営者が自分で行い、POSによって在庫管理をやろうと思わないように指導していた
    • [40]POSの導入は慎重に進めた。フランチャイズ店が大半で高齢の経営者も多く使えなくては意味がないため、1988年の年央に100店程度で効果を確かめる方針
    • [41]発注した翌日の一定時に必ず納品される体制を整えていた
    • [42]鮮度が大事なものは弁当が1日3社6回、パンが1日2回の頻度で納品

1986年〜純国産の方式で届いた1,000店と株式公開

セブン-イレブン・ジャパンは米サウスランド社と提携してその運営方式を全面的に使い、コンビニエンスストア業界には米国の会社へロイヤリティを支払う社が多かった。ファミリーマートは自前で方式を組み立てたため、海外への支払いがなかった。1987年12月の講演で沖正一郎氏はこの点を自社の特色に挙げ、国内での展開が定着し力がついた段階で海外へ出る構想を示した。店舗数は1985年2月に500店、1987年2月に1,000店へ届き、単体の営業総収入は1983年2月期の27億円から1987年2月期には196億円へ、経常利益は0.5億円から30億円へ増えた。値入率は28.5%で、一般のボランタリー・チェーン店の20%前後を上回っていた。

  • 日本産業史 第3巻 金融・商業(日本経済新聞社、1994年)「流通-コンビニエンスストアの台頭」
    • [43]セブン-イレブンはイトーヨーカ堂が米サウスランド社と提携し、そのノウハウを全面的に活用した
  • 証券アナリストジャーナル 1988年26巻1号(沖正一郎、1987年12月22日 日本証券アナリスト協会企業分析部会 講演要旨)
    • [44]先発した米国企業からノウハウを受けロイヤリティを支払う社が多い中、当社は純国産のノウハウでロイヤリティを支払っていない
    • [45]沖正一郎社長は国内での展開が軌道に乗り力がついた段階で海外進出も研究したいと述べた
    • [49]値入率は28.5%程度で、一般のボランタリー・チェーン店などの20%前後より高い
  • 証券 1988年40巻1号(新規上場会社紹介)
    • [46]1985年2月に店舗数500店(加盟店468店・直営店32店)、1987年2月に1,000店(加盟店959店・直営店41店)
    • [47]営業総収入は1983年2月期2,681百万円から1987年2月期19,654百万円へ増加
    • [48]経常利益は1983年2月期49百万円から1987年2月期2,951百万円へ増加

1987年12月7日、ファミリーマートは東京証券取引所の市場第二部へ株式を上場した。公募350万株のほかに、西武百貨店を率いる堤清二氏と株式会社有楽町西武が持ち株90万株を売り出した。1987年2月末時点で西友が発行済株式の58.4%、有楽町西武が11.4%を保有しており、上場後もセゾングループの一員である立場は変わらなかった。従業員は1987年2月末で554名、店舗は加盟店966店と直営店41店を数え、その87.7%が東京都・神奈川県・埼玉県・千葉県に集まっていた。売上の順位はセブン-イレブン・ジャパン、ローソンに次ぐ第3位だった。1989年8月には市場第一部銘柄に指定された。

  • 証券 1988年40巻1号(新規上場会社紹介)
    • [50]1987年12月7日に東京証券取引所市場第二部へ上場
    • [51]公募3,500千株・売出900千株。売出株の放出元は堤清二と㈱有楽町西武
    • [52]1987年2月28日現在の大株主は西友58.4%、有楽町西武11.4%
    • [53]1987年2月28日現在の従業員数554名(男509名・女45名)
    • [54]1987年2月28日現在で直営店41店・加盟店966店。全店舗の87.7%が東京・神奈川・埼玉・千葉の首都圏
  • 証券アナリストジャーナル 1988年26巻1号(沖正一郎、1987年12月22日 日本証券アナリスト協会企業分析部会 講演要旨)
    • [55]業界における順位は売上でセブンイレブン、ローソンに次いで第3位
  • ファミリーマート 有価証券報告書【沿革】
    • [56]1989年8月、東京証券取引所の市場第一部銘柄に指定

上場直後の1987年12月時点で従業員は664人を数え、内訳は営業関係327人、開発関係128人、商品調達関係50人、管理部門158人だった。本部を東京・池袋に置き、その下に地区本部を関東で4つ、東海と関西で1つずつ、地区事務所を全国の29カ所に設けた。営業関係の人員のうち250人は地区事務所の所属として店を回った。出店の順は、まず首都圏を固め、次いで関西圏と東海圏へ進むものとした。そのほかの地域は自前で出るか、ふさわしい相手が見つかった場合にサブフランチャイズを組む方式とし、翌1989年2月期には1,500店、売上高2,000億円超を計画した。沖正一郎氏は目標年度の前倒しを問われ、人が育つ速さを超えて企業は大きくならないと答えている『企業は人が育つ分だけしか大きくならないものだ』。

  • 証券アナリストジャーナル 1988年26巻1号(沖正一郎、1987年12月22日 日本証券アナリスト協会企業分析部会 講演要旨)
    • [57]従業員数664人(うち女子55人)。営業関係327人、開発関係128人、商品調達関係50人、管理部門158人
    • [58]本部は東京・池袋。地区本部が関東4・東海1・関西1、地区事務所が全国29カ所
    • [59]営業関係327人のうち250人が地区事務所に属し各店を巡回する要員
    • [60]当初から首都圏(東京・神奈川・埼玉・千葉・山梨・茨城県南部)を中心に展開し、次いで関西圏・東海圏へエリアを拡大する方針を取った
    • [61]そのほかの地域は自社進出か、よいパートナーが得られればサブフランチャイズの形で店舗展開を進める方針
    • [62]1989年2月期は売上高2,000億円超、経常利益40%以上の伸び、店舗数1,500店を計画
参考文献[43]-[62]
    • [43]セブン-イレブンはイトーヨーカ堂が米サウスランド社と提携し、そのノウハウを全面的に活用した
    • [44]先発した米国企業からノウハウを受けロイヤリティを支払う社が多い中、当社は純国産のノウハウでロイヤリティを支払っていない
    • [45]沖正一郎社長は国内での展開が軌道に乗り力がついた段階で海外進出も研究したいと述べた
    • [49]値入率は28.5%程度で、一般のボランタリー・チェーン店などの20%前後より高い
    • [55]業界における順位は売上でセブンイレブン、ローソンに次いで第3位
    • [57]従業員数664人(うち女子55人)。営業関係327人、開発関係128人、商品調達関係50人、管理部門158人
    • [58]本部は東京・池袋。地区本部が関東4・東海1・関西1、地区事務所が全国29カ所
    • [59]営業関係327人のうち250人が地区事務所に属し各店を巡回する要員
    • [60]当初から首都圏(東京・神奈川・埼玉・千葉・山梨・茨城県南部)を中心に展開し、次いで関西圏・東海圏へエリアを拡大する方針を取った
    • [61]そのほかの地域は自社進出か、よいパートナーが得られればサブフランチャイズの形で店舗展開を進める方針
    • [62]1989年2月期は売上高2,000億円超、経常利益40%以上の伸び、店舗数1,500店を計画
    • [46]1985年2月に店舗数500店(加盟店468店・直営店32店)、1987年2月に1,000店(加盟店959店・直営店41店)
    • [47]営業総収入は1983年2月期2,681百万円から1987年2月期19,654百万円へ増加
    • [48]経常利益は1983年2月期49百万円から1987年2月期2,951百万円へ増加
    • [50]1987年12月7日に東京証券取引所市場第二部へ上場
    • [51]公募3,500千株・売出900千株。売出株の放出元は堤清二と㈱有楽町西武
    • [52]1987年2月28日現在の大株主は西友58.4%、有楽町西武11.4%
    • [53]1987年2月28日現在の従業員数554名(男509名・女45名)
    • [54]1987年2月28日現在で直営店41店・加盟店966店。全店舗の87.7%が東京・神奈川・埼玉・千葉の首都圏
  • ファミリーマート 有価証券報告書【沿革】
    • [56]1989年8月、東京証券取引所の市場第一部銘柄に指定

筆者考察

ファミリーマートは、親会社が本業で行き詰まった場所から生まれた事業である。西友ストアーは1980年8月の中間決算で上場以来はじめて減益に沈み、売上高ではイトーヨーカ堂に抜かれていた。堤清二氏が1979年の講演で示した見取り図は、店舗がやがて大型と小型の二つに分かれるというもので、小型店は量販店の穴を埋める補助ではなく、別の採算で立つ業態として構想されていた。大規模小売店舗法が売場面積1,500平方メートル以上の出店を縛った時期に、規制の外側にある30坪の店が、量販店の成長の代わりを務めることになった。狭山市の実験第1号店から数えて8年後の分社は、その代わりを速く回すための措置だった。

この会社が速く増えた理由は、店を作る力ではなく、加盟する相手を見つける力にあった。小売店の経営者が高齢になり後継者も資金も持たない状況は全国で同時に進んでおり、日本の小売店は3年で約1割減っていた。開発関係128人のうち93人が小売店を直接訪ねて回ったのは、すでにある店と店主をそのまま自社の看板へ移し替える作業である。什器だけを供与すれば当初投資は1店1,000万円前後で済み、店舗ごと用意する場合の4,000万〜5,000万円とは桁が違う。設立時の89店から6年で1,000店へ届いた速度は、自前で土地と建物をそろえる方式では作れない速度だった。

店舗数の推移 1981年〜1987年(店)

89 1981 500 1985 1,000 1987
  • 1981年9月は会社設立時(加盟店87店・直営店2店)、1985年2月と1987年2月は各期末の店舗数。

1972年〜1987年の業績

決算期 区分 売上高 経常利益純利益 主な投資
億円 YoY 億円 億円 利益率
1972年 n/a n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1973年 n/a n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1974年 n/a n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1975年 n/a n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1976年 n/a n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1977年 n/a n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1978年 n/a n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1979年 n/a n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1980年 n/a n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1981年 n/a n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1982年 n/a n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1983年02月期 単体 27 n/a 0 0 0.0% n/a
1984年02月期 単体 49 +81.5% 2 1 2.0% n/a
1985年02月期 単体 95 +93.9% 7 3 3.2% n/a
1986年02月期 単体 157 +65.3% 13 5 3.2% n/a
1987年02月期 単体 197 +25.5% 30 12 6.1% n/a

出所:証券 1988年40巻1号「株式会社ファミリーマート」新規上場会社紹介

出典・参考

7件
出典・参考
  • ファミリーマート 有価証券報告書【沿革】
  • 日本産業史 第3巻 金融・商業(日本経済新聞社、1994年)「流通-コンビニエンスストアの台頭」
  • 証券アナリストジャーナル 1979年17巻12号(堤清二、1979年11月22日 日本証券アナリスト協会企業分析部会 講演要旨)
  • 日経ビジネス 1980年11月3日号
  • 証券アナリストジャーナル 1988年26巻1号(沖正一郎、1987年12月22日 日本証券アナリスト協会企業分析部会 講演要旨)
  • 証券 1988年40巻1号(新規上場会社紹介)
  • 80年代わが社の戦略(1980年)「西友ストアー」(堤清二)

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