タカラトミー:三陽工業の設立と「プラレール」の発売
1953年〜三陽工業の設立とプラレールの誕生
創業者精神として掲げた「世界の友だち、日本のトミー」「われらの優良な商品で世界の市場をにぎわせよう」は、のちのちまで経営理念に据えられた。その出発点は1924年、初代・富山栄市郎氏が関東大震災で焼け野原になった東京で玩具屋を開いたことにあり、商号は富山玩具製作所であった。ブリキを使った金属玩具を製造していたが、戦時中は平和産業である玩具づくりをやめるよう求められて事業を止めた。再起は1953年1月で、戦後に金属玩具を製造していた合資会社三陽玩具製作所を改組し、東京都葛飾区立石に三陽工業株式会社を設立した。1959年3月には営業部門を分離独立、販売子会社富山商事株式会社を設立し、製販分離による営業体制を構築した。
- 証券アナリストジャーナル 1997年10月号(富山幹太郎)
- [1]大正13年(1924年) 初代・富山栄市郎氏が関東大震災で焼け野原となっていた東京で玩具屋を開いたのが始まり
- [3]創業当初はブリキを材料とした金属玩具を製造、戦時中は平和産業である玩具の製造中止を求められ事業を中止
- 証券 1999年3月
- [2]創業時の商号は富山玩具製作所(大正13年創業)、創業者精神は「世界の友だち、日本のトミー」「われらの優良な商品で世界の市場をにぎわせよう」「誠意と努力は他を益し、自己の幸福の基となる」
- タカラトミー 有価証券報告書 第74期(2025年3月期)【沿革】
- [4]1953年1月 合資会社三陽玩具製作所を改組し三陽工業株式会社を東京都葛飾区立石に設立(戦後玩具メーカーとしての出発点、事業再スタート)
- [5]1959年3月 営業部門を分離独立し販売子会社富山商事株式会社を設立(製販分離)
素材をいち早くブリキからプラスチックに切り替え、プラスチック玩具のトップメーカーとして成長を遂げた。のちに主力ブランドへ育つ"プラレール"は、プラスチック製のレールで走らせる鉄道玩具として1961年10月に売り出された。米国でありふれた人名トムの愛称と富山の音とを掛け合わせたのがトミーという名であり、この名を掲げた時点で会社を多国籍にする構想をすでに温めていたと後年明かされている。その名が社名になったのは1963年3月で、三陽工業株式会社がトミー工業株式会社に、富山商事株式会社が株式会社トミーに改められ、1969年4月には東京都葛飾区立石で本社社屋が新築された。
- 証券アナリストジャーナル 1997年10月号(富山幹太郎)
- [6]素材をいち早くプラスチックに切り替え、プラスチック玩具のトップメーカーとして成長(社長本人談)
- タカラトミー 有価証券報告書 第74期(2025年3月期)【沿革】
- [7]1963年3月 三陽工業㈱→トミー工業㈱、富山商事㈱→㈱トミーへ商号変更
- [8]1961年10月 鉄道玩具「プラレール」を発売(後の主力ブランド)
- [10]1969年4月 東京都葛飾区立石に本社社屋を新築
- 日経ビジネス 1977年10月24日号
- [9]社名「トミー」は米国で最もポピュラーな名前の一つトムの愛称に富山の語感を重ねたもので、改称時点でミニ多国籍企業化の腹案を持っていた
創業者は商品開発を企業の命と断じ、市場情報を集める部門と開発部門を切り分けた組織で、新製品を年30〜50点、特許・実用新案・意匠登録の出願を年100件超送り出していた。その担い手として、1977年時点の商品開発本部には約100人の専門スタッフがおり、同じ規模の玩具メーカーでは珍しい厚みだった。大手玩具問屋の下請けから離れて以来、企画・製造・販売を自前でこなす体制を崩さず、1976年度にはトミー工業・トミー・米国・香港・シンガポールの5社の連結売上高が250億6000万円となって、業界首位のバンダイグループに並ぶところまで届いていた。
- 日経ビジネス 1977年10月24日号
- [11]富山栄次郎会長は「商品開発こそ企業のいのち」と言明、開発本部から年間30〜50点の新製品、特許・実用新案・意匠登録申請は毎年100件以上
- [12]1977年時点で商品開発本部は約100人のスタッフを擁し、同社程度の規模で商品開発専門スタッフを100人置くのは珍しいと評された
- [13]1976年度のトミーグループ連結売上高は250億6000万円(トミー工業・トミー・トミーコーポレーション・トミー香港・トミーシンガポールの5社)
参考文献[1]-[13]
- [1]大正13年(1924年) 初代・富山栄市郎氏が関東大震災で焼け野原となっていた東京で玩具屋を開いたのが始まり
- [3]創業当初はブリキを材料とした金属玩具を製造、戦時中は平和産業である玩具の製造中止を求められ事業を中止
- [6]素材をいち早くプラスチックに切り替え、プラスチック玩具のトップメーカーとして成長(社長本人談)
- [2]創業時の商号は富山玩具製作所(大正13年創業)、創業者精神は「世界の友だち、日本のトミー」「われらの優良な商品で世界の市場をにぎわせよう」「誠意と努力は他を益し、自己の幸福の基となる」
- タカラトミー 有価証券報告書 第74期(2025年3月期)【沿革】
- [4]1953年1月 合資会社三陽玩具製作所を改組し三陽工業株式会社を東京都葛飾区立石に設立(戦後玩具メーカーとしての出発点、事業再スタート)
- [5]1959年3月 営業部門を分離独立し販売子会社富山商事株式会社を設立(製販分離)
- [7]1963年3月 三陽工業㈱→トミー工業㈱、富山商事㈱→㈱トミーへ商号変更
- [8]1961年10月 鉄道玩具「プラレール」を発売(後の主力ブランド)
- [10]1969年4月 東京都葛飾区立石に本社社屋を新築
- 日経ビジネス 1977年10月24日号
- [9]社名「トミー」は米国で最もポピュラーな名前の一つトムの愛称に富山の語感を重ねたもので、改称時点でミニ多国籍企業化の腹案を持っていた
- [11]富山栄次郎会長は「商品開発こそ企業のいのち」と言明、開発本部から年間30〜50点の新製品、特許・実用新案・意匠登録申請は毎年100件以上
- [12]1977年時点で商品開発本部は約100人のスタッフを擁し、同社程度の規模で商品開発専門スタッフを100人置くのは珍しいと評された
- [13]1976年度のトミーグループ連結売上高は250億6000万円(トミー工業・トミー・トミーコーポレーション・トミー香港・トミーシンガポールの5社)
1970年〜海外進出と東京ディズニーランドスポンサー参加
海外バイヤーに製品を輸出するだけでは、儲けの多くを相手に持っていかれ、現地の市場の動きも手元に届かない。そう見た同社は、リスクを承知で自ら市場を切り開く直接進出へと方針を転じた。その最初の現地法人として、1970年8月に香港でTOMY (Hong Kong) Ltd.を設けた。欧州の拠点としては、1982年12月にイギリスでTOMY UK Ltd.(現TOMY UK Co.,Ltd.)を立ち上げた。1983年4月には東京ディズニーランドのオフィシャルスポンサーに加わり、キャラクタービジネスに力を入れた。
- 日経ビジネス 1977年10月24日号
- [14]当初はバイヤーへの輸出にとどまっていたが、利益をバイヤーに吸い取られ現地の市場情報も入手できないため「リスクは大きくても、自ら市場を開拓しない限り、飛躍は望めない」として直接進出に転換
- タカラトミー 有価証券報告書 第74期(2025年3月期)【沿革】
- [15]1970年8月 香港にTOMY (Hong Kong) Ltd.を設立(海外展開の最初の現地法人)
- [16]1982年12月 イギリスにTOMY UK Ltd.(現TOMY UK Co.,Ltd.)を設立(欧州拠点)
- [17]1983年4月 東京ディズニーランドにオフィシャルスポンサーとして参加(キャラクタービジネス強化の起点)
1970年創立のシンガポール子会社は同社唯一の海外一貫工場で、特恵関税の対象国という利点から100%自社工場として建設され、1979年度の売上高は2年前の倍以上に達する勢いにあった。毎年8月か9月には世界各国の生産・販売拠点のトップが東京に集まる海外連絡会議を開き、特恵関税の有無や労賃・原材料価格を突き合わせて翌年の生産配分を決めていた。一方、1976年7月に設立した西独子会社トミー・シュピールバーレンは、販路開拓の難しさから現地玩具会社との合弁に切り替えたものの、経営を委ねた相手の販売力と財務が伴わず1979年3月に合弁を解消し、香港・シンガポールからの輸入品販売に絞り直した。事前調査の甘さが招いた曲折だった。
- 日経ビジネス 1979年4月23日号
- [18]シンガポール・トミー工業は1970年創立、特恵関税の対象国という利点から100%自社工場として建設された同社唯一の海外一貫工場で、売上高は1977年度1400万ドルから1979年度3000万ドル(シンガポールドル)へ拡大見通し
- [19]毎年8月か9月に世界各国の生産・販売拠点トップが東京本社に集まる「海外連絡会議」で翌年の生産・販売計画を決定、特恵関税・労賃・原材料価格を勘案して生産配分を決めた
- 日経ビジネス 1980年1月28日号
- [20]1976年7月に西独子会社トミー・シュピールバーレンを独力で設立するも販路開拓の難しさから翌年ステレコ社との合弁に切り替え、1979年3月に合弁解消・現地生産停止、香港・シンガポールからの輸入品販売に集中
- [21]西独進出の困難はパートナー選びを含むフィージビリティ・スタディの甘さに帰されると総括された
1985年9月のフランス TOMY France SARL.、1987年10月のタイ TOMY (Thailand) Ltd.、1988年2月の株式会社ユージン(現株式会社タカラトミーアーツ)設立でカプセル玩具・キャラクター事業の母体を整え、1996年3月には株式会社トミーテックを設立して鉄道模型・ホビー事業の中核も追加した。タイ工場は円高後により労働コストの安い生産地を求めた工場再編の一環で、1988年4月から稼働している。海外拠点は生産と販売で役割を分け、日本本社は企画と開発を担う分業が定着した。
- タカラトミー 有価証券報告書 第74期(2025年3月期)【沿革】
- [22]1985年9月 フランスにTOMY France SARL.を設立
- [23]1987年10月 タイにTOMY (Thailand) Ltd.を設立
- [24]1988年2月 株式会社ユージン(現株式会社タカラトミーアーツ)を設立(カプセル玩具・キャラクター事業の母体)
- [25]1996年3月 株式会社トミーテックを設立(鉄道模型・ホビー事業の中核)
- 日経ビジネス 1989年1月16日号
- [26]労働コストの安いタイに着目し1988年4月からの工場稼働に向けて準備に着手した(円高後の工場再編の一環)
- 日経ビジネス 1979年4月23日号
- [27]生産拠点を香港・シンガポール・台湾など労働力の安い地域に、販売拠点を西ドイツ・米国に置き、日本本社の役割は玩具の企画・開発にほぼ限定されていた
参考文献[14]-[27]
- 日経ビジネス 1977年10月24日号
- [14]当初はバイヤーへの輸出にとどまっていたが、利益をバイヤーに吸い取られ現地の市場情報も入手できないため「リスクは大きくても、自ら市場を開拓しない限り、飛躍は望めない」として直接進出に転換
- タカラトミー 有価証券報告書 第74期(2025年3月期)【沿革】
- [15]1970年8月 香港にTOMY (Hong Kong) Ltd.を設立(海外展開の最初の現地法人)
- [16]1982年12月 イギリスにTOMY UK Ltd.(現TOMY UK Co.,Ltd.)を設立(欧州拠点)
- [17]1983年4月 東京ディズニーランドにオフィシャルスポンサーとして参加(キャラクタービジネス強化の起点)
- [22]1985年9月 フランスにTOMY France SARL.を設立
- [23]1987年10月 タイにTOMY (Thailand) Ltd.を設立
- [24]1988年2月 株式会社ユージン(現株式会社タカラトミーアーツ)を設立(カプセル玩具・キャラクター事業の母体)
- [25]1996年3月 株式会社トミーテックを設立(鉄道模型・ホビー事業の中核)
- 日経ビジネス 1979年4月23日号
- [18]シンガポール・トミー工業は1970年創立、特恵関税の対象国という利点から100%自社工場として建設された同社唯一の海外一貫工場で、売上高は1977年度1400万ドルから1979年度3000万ドル(シンガポールドル)へ拡大見通し
- [19]毎年8月か9月に世界各国の生産・販売拠点トップが東京本社に集まる「海外連絡会議」で翌年の生産・販売計画を決定、特恵関税・労賃・原材料価格を勘案して生産配分を決めた
- [27]生産拠点を香港・シンガポール・台湾など労働力の安い地域に、販売拠点を西ドイツ・米国に置き、日本本社の役割は玩具の企画・開発にほぼ限定されていた
- 日経ビジネス 1980年1月28日号
- [20]1976年7月に西独子会社トミー・シュピールバーレンを独力で設立するも販路開拓の難しさから翌年ステレコ社との合弁に切り替え、1979年3月に合弁解消・現地生産停止、香港・シンガポールからの輸入品販売に集中
- [21]西独進出の困難はパートナー選びを含むフィージビリティ・スタディの甘さに帰されると総括された
- 日経ビジネス 1989年1月16日号
- [26]労働コストの安いタイに着目し1988年4月からの工場稼働に向けて準備に着手した(円高後の工場再編の一環)
出典・参考
7件
- タカラトミー 有価証券報告書 第74期(2025年3月期)【沿革】
- 日経ビジネス 1977年10月24日号
- 日経ビジネス 1979年4月23日号
- 日経ビジネス 1980年1月28日号
- 日経ビジネス 1989年1月16日号
- 証券アナリストジャーナル 1997年10月号(富山幹太郎)
- 証券 1999年3月