第1章 年〜年

島津製作所:京都の理化学器械製造からの法人化と航空機器・防衛への参入

1875年〜創業者・初代島津源蔵による理化学器械の国産化

明治政府が殖産興業を掲げて近代の科学技術の取り込みを急いでいたころ、学校や研究機関で使う物理・化学の実験器械は大半を輸入に頼っており、初代島津源蔵はその国産化に乗り出した。本業の鍛冶屋と並行して、当時はまだ珍しかった学術実験用の理化学器械の修理と製造を京都市の木屋町二条で始めたのは1875年3月で、これが島津製作所の出発点である。伝統工芸の技が集まる京都にあって、金属加工やガラス細工、木工などの在来の技術を組み合わせて事業の足場を固めたが、器械の需要が乏しかった創業期の仕事は京都舎密局や学校用品の修理が中心だった。1877年11月、東京で開かれた第一回内国勧業博覧会に医療具を出品して受賞し、翌1878年5月には軽気球をつくって人を乗せて飛ばすことに成功するなど、早くから新技術への挑戦を重ねた。

  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社, 1968)
    • [1]1875年(明治8年)3月 初代島津源蔵が鍛冶屋を営むかたわら学術実験用理化学器械の修理・製造業を開始(京都市木屋町二条)
    • [2]創業期は京都舎密局や学校用品の修理が主たる仕事だった
    • [3]1877年(明治10年)11月 第一回内国勧業博覧会(東京)に医療具を出品して受賞
    • [4]1878年(明治11年)5月 軽気球をつくり人を乗せて飛ばすことに成功

初代源蔵の長男で、事業の幅を押し広げることになる梅次郎氏は、1884年、16歳にしてウィムシャースト式の感応起電機を独りで完成させている。のちに二代目島津源蔵を名乗り、1917年9月に法人となった際には島津源蔵氏として初代社長に就き、"日本のエジソン"と呼ばれるとともに同社が伸びる土台を据えた。そのころの島津の工場は学校との結びつきが強く、『三高、京大の工作場』とまで言われ、産学協同の先駆けとも評された。二代源蔵は学校向けの理化学実験器械の枠を越えて製品と事業を次々に増やし、1896年10月には自家製の感応起電機を高圧電源に使い、日本で初めてエックス線写真を撮ることに成功した。翌1897年には極板容量10アンペア時程度の蓄電池を完成させた。さらに1908年、国産で最初の完備した医療用レントゲン装置を完成し、千葉国府台の陸軍衛戍病院に、二号機を日赤大津支部病院に納入している。こうして島津の事業は、理化学器械のほかエックス線装置や蓄電池が加わって繁忙をきわめ、1906年4月には東京出張所、1909年10月には九州販売店を開設して国内販売網を拡大した。

  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社, 1968)
    • [5]1884年(明治17年)梅次郎氏が16歳で独力でウィムシャースト式感応起電機を製作
    • [6]初代源蔵の長男・梅次郎氏は二代目島津源蔵を襲名し、島津源蔵氏として初代社長となって「日本のエジソン」と呼ばれた
    • [7]1896年(明治29年)10月 自家製の感応起電機を高圧電源としてわが国最初のエックス線写真の撮影に成功
    • [8]1897年(明治30年)極板容量10アンペア時程度の蓄電池を完成
    • [9]1908年(明治41年)国産最初の完備した医療用レントゲン装置を完成し千葉国府台の陸軍衛戍病院・日赤大津支部病院(二号機)に納入
    • [10]1906年(明治39年)4月 東京出張所、1909年(明治42年)10月 九州販売店を開設

1917年9月、株式会社島津製作所として法人格を取得した。本店は京都市木屋町二条、東京支店・大阪支店・福岡支店を設置し、創業時の小規模な工房から本格的な株式会社への組織転換を遂げた。法人化は創業から42年を経ての株式会社化であり、資本金は200万円。その3ヵ月前の1917年6月には、大きく成長した蓄電池部門を分離して日本電池(資本金350万円)を発足させていた。新生・島津製作所は第一次世界大戦中の空前の好況期に遭遇して注文が殺到し、国内のみならずアメリカ・オーストラリア・南アフリカなどへも輸出して、創立第一期は3ヵ月の営業期間ながら4万5000円の純益をあげ1割強の配当を行った。1919年10月には三条工場を開設して減速機の製造を始め、理化学器械にとどまらず産業機器の製造に乗り出した。続いて1923年には材料試験機、1926年には化繊用のギヤポンプおよびノズルの製造を開始し、理化学器械の専業企業から工業計測・産業機器を含む総合機器メーカーへの転換を進めた。

  • 島津製作所 有価証券報告書【沿革】
    • [11]1917年9月 株式会社島津製作所設立(本店:京都市木屋町二条、東京・大阪・福岡支店設置)
    • [15]1919年10月 三条工場を開設し減速機の製造を開始(産業機器の製造を開始)
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社, 1968)
    • [12]法人化時の資本金は200万円
    • [13]1917年6月 蓄電池部門を分離し日本電池(資本金350万円)を発足
    • [14]創立第一期は3ヵ月の営業期間で純益4万5000円・1割強の配当。米・豪・南アフリカ等へ輸出
    • [16]1923年(大正12年)材料試験機、1926年(大正15年)化繊用ギヤポンプ・ノズルの製造を開始
参考文献[1]-[16]
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社, 1968)
    • [1]1875年(明治8年)3月 初代島津源蔵が鍛冶屋を営むかたわら学術実験用理化学器械の修理・製造業を開始(京都市木屋町二条)
    • [2]創業期は京都舎密局や学校用品の修理が主たる仕事だった
    • [3]1877年(明治10年)11月 第一回内国勧業博覧会(東京)に医療具を出品して受賞
    • [4]1878年(明治11年)5月 軽気球をつくり人を乗せて飛ばすことに成功
    • [5]1884年(明治17年)梅次郎氏が16歳で独力でウィムシャースト式感応起電機を製作
    • [6]初代源蔵の長男・梅次郎氏は二代目島津源蔵を襲名し、島津源蔵氏として初代社長となって「日本のエジソン」と呼ばれた
    • [7]1896年(明治29年)10月 自家製の感応起電機を高圧電源としてわが国最初のエックス線写真の撮影に成功
    • [8]1897年(明治30年)極板容量10アンペア時程度の蓄電池を完成
    • [9]1908年(明治41年)国産最初の完備した医療用レントゲン装置を完成し千葉国府台の陸軍衛戍病院・日赤大津支部病院(二号機)に納入
    • [10]1906年(明治39年)4月 東京出張所、1909年(明治42年)10月 九州販売店を開設
    • [12]法人化時の資本金は200万円
    • [13]1917年6月 蓄電池部門を分離し日本電池(資本金350万円)を発足
    • [14]創立第一期は3ヵ月の営業期間で純益4万5000円・1割強の配当。米・豪・南アフリカ等へ輸出
    • [16]1923年(大正12年)材料試験機、1926年(大正15年)化繊用ギヤポンプ・ノズルの製造を開始
  • 島津製作所 有価証券報告書【沿革】
    • [11]1917年9月 株式会社島津製作所設立(本店:京都市木屋町二条、東京・大阪・福岡支店設置)
    • [15]1919年10月 三条工場を開設し減速機の製造を開始(産業機器の製造を開始)

1938年〜京都・東京両証券取引所への上場と航空機器部門の新設

昭和に入っても島津製作所は毎年のように新製品の製造を開始し、1938年には合併した日本電気計器の工場を引き継いで西大路工場を開設している。同じ1938年4月、京都証券取引所に株式上場し、戦前期の地方上場企業として資本市場へのデビューを果たした。第二次世界大戦中は軍需品の製造にも従事し、1944年には紫野工場を開設した。敗戦後の財閥解体・産業民主化を経て平和産業への復帰を進め、1947年には電子顕微鏡をわが国で最初に商品化している。1949年5月、戦後復興期の東京証券取引所開設に合わせて同所に上場し、京都・東京両証券取引所での公開を完了した。戦後の理化学・分析機器の需要拡大期にあたり、化学工業・製薬・大学研究機関の機器近代化の流れに乗って、島津製作所は分析機器メーカーとしての地位を確立した。

  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社, 1968)
    • [17]1938年(昭和13年)合併した日本電気計器の工場を引き継いで西大路工場を開設
    • [19]1944年(昭和19年)紫野工場を開設
    • [20]1947年(昭和22年)電子顕微鏡をわが国で最初に商品化
  • 島津製作所 有価証券報告書【沿革】
    • [18]1938年4月 京都証券取引所に株式上場
    • [21]1949年5月 東京証券取引所に株式上場

1956年10月、航空機器部門を新設した。第二次世界大戦中の軍需品製造の経験を基盤に、戦後の航空機・防衛装備品の国産化政策にあわせて、航空機器・防衛分野への参入を行った。航空機の計器類、油圧装置、自衛隊機向け装備品の国産化が中心領域となり、計測機器・医用機器に加えて産業機器・航空機器の4セグメント体制の基盤が出来上がった。1962年1月には材料工場銑鉄鋳物部門を分離して島津金属工業(現島津産機システムズ)を設立し、1963年7月には京都計装(現島津システムソリューションズ)を設立、1966年2月には大阪丸十放射線サービス(現島津メディカルシステムズ)を設立するなど、分社化による事業領域の細分化と専業化を行った。

  • 島津製作所 有価証券報告書【沿革】
    • [22]1956年10月 航空機器部門を新設(航空・防衛分野への参入)
    • [23]1962年1月 材料工場銑鉄鋳物部門を分離し島津金属工業(現島津産機システムズ)を設立
    • [24]1963年7月 京都計装株式会社(現島津システムソリューションズ)を設立
    • [25]1966年2月 大阪丸十放射線サービス株式会社(現島津メディカルシステムズ)を設立
参考文献[17]-[25]
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社, 1968)
    • [17]1938年(昭和13年)合併した日本電気計器の工場を引き継いで西大路工場を開設
    • [19]1944年(昭和19年)紫野工場を開設
    • [20]1947年(昭和22年)電子顕微鏡をわが国で最初に商品化
  • 島津製作所 有価証券報告書【沿革】
    • [18]1938年4月 京都証券取引所に株式上場
    • [21]1949年5月 東京証券取引所に株式上場
    • [22]1956年10月 航空機器部門を新設(航空・防衛分野への参入)
    • [23]1962年1月 材料工場銑鉄鋳物部門を分離し島津金属工業(現島津産機システムズ)を設立
    • [24]1963年7月 京都計装株式会社(現島津システムソリューションズ)を設立
    • [25]1966年2月 大阪丸十放射線サービス株式会社(現島津メディカルシステムズ)を設立

出典・参考

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出典・参考
  • 島津製作所 有価証券報告書【沿革】
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社, 1968)

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