決断
資本が足りなくなるたびに、作る物と拠点を絞り込んで立て直してきた会社である。1941年には資本の不足から軸受を諦め、オイルシールへ移った。1947年の独占禁止法を受けて東西2社の経営を切り分けた結果、神戸の日本油止工業は1950年8月に不渡手形を出した。再建に入った鶴正吾氏は人員を増やさずに月産を倍にする計画を11ヵ月でほぼ達成し、1951年には両社の合併へ踏み切った。その後も1953年に本社と工場を羽田へ統合し、1957年の渡米を経て量産品を藤沢、特殊品を羽田に分ける計画を立てた。
2025年11月 イーグル工業との共同持株会社設立
経常利益と、持分法による投資利益の比率2025 2026 経常利益(百万円) 48,057 49,835 持分法による投資利益率(%) 18.3 19.0