第2章 年〜年

コーセーホールディングス:コスメデコルテと雪肌精の価格帯別展開

1970年〜百貨店に投じたコスメデコルテと、美容院向けルートの開拓

小林コーセーは1970年、百貨店で外資系ブランドが勢いを増すなかで高級ブランド「コスメデコルテ」を発売した。創業者の小林孝三郎氏が長く構想してきた高級品を、独立のブランドとして売り場に出した発売である。美容院向けでは、1963年5月にロレアルと結んだ技術提携をもとに全国の美容院へ材料を供給し、1970年4月時点で美容業界の首位に立った。1969年にはロレアルとの折半出資でコスメフランスを設け、1970年2月には美容器具を製造するコーセー電器を発足させた。関連事業へ進む基準は、製品の優秀さに加えて、その製品の市場がすでに確立しているかどうかに置かれた。外資と競合する売り場に、提携で得た技術と自前の高級ブランドを先回りして並べた判断とみられる。

  • KOSÉ REPORT 2024(コーセー、2024年)「価値創造の軌跡」
    • [1]1970年、百貨店で外資系ブランドが躍進するなか、小林孝三郎が思い描いた高級品のブランド「コスメデコルテ」を発売
    • [2]1970年、百貨店で外資系ブランドが躍進するなか、小林孝三郎が思い描いた高級品のブランド「コスメデコルテ」を発売
  • 実業往来 (220) 1970年4月
    • [3]1970年4月時点でロレアル提携による美容院向け材料が美容業界トップ。1969年にKKコスメフランスを50%・50%出資で設立(銀座)、1970年2月に美容器具のコーセー電器を発足。新事業は市場の確立を条件とする
    • [5]1970年4月時点でロレアル提携による美容院向け材料が美容業界トップ。1969年にKKコスメフランスを50%・50%出資で設立(銀座)、1970年2月に美容器具のコーセー電器を発足。新事業は市場の確立を条件とする
    • [6]1970年4月時点でロレアル提携による美容院向け材料が美容業界トップ。1969年にKKコスメフランスを50%・50%出資で設立(銀座)、1970年2月に美容器具のコーセー電器を発足。新事業は市場の確立を条件とする
  • コーセーホールディングス 有価証券報告書 第84期(2025年12月期)【沿革】
    • [4]1963年5月 フランス・ロレアル社と技術提携

小林コーセーは1968年9月の香港に続き、1971年8月にシンガポール、1972年11月にマレーシアで現地法人を設立した。1972年1月の時点で海外の事業所はフランスを含めて7か所を数えた。国内では資本自由化に伴う外資系企業の進出、再販制度や価格への消費者の批判が業界の課題に挙がった。それでも小林コーセーは外資の国内進出を脅威とみず、自社の海外進出に力を注ぐ方針を掲げた。海外事業は1999年時点でも中国と東南アジアが主体で、売上高に占める海外比率は5.9%にとどまった。華人の多い近隣の市場から順に拠点を置き、国内で築いた制度品の売り方を小さく試す場にしたと推察される。

  • コーセーホールディングス 有価証券報告書 第84期(2025年12月期)【沿革】
    • [7]1968年9月 香港高絲、1971年8月 新加坡高絲(シンガポール)、1972年11月 高絲化粧品(馬)(マレーシア)を設立
  • 実業往来 (241) 1972年1月
    • [8]1972年1月時点でフランスなど海外7か所に事業所。業界の課題は流通機構・再販制度や価格への消費者の突き上げ・外資進出だが、外資進出は脅威でなく海外進出に注力(マーケティング部長)
    • [9]1972年1月時点でフランスなど海外7か所に事業所。業界の課題は流通機構・再販制度や価格への消費者の突き上げ・外資進出だが、外資進出は脅威でなく海外進出に注力(マーケティング部長)
    • [10]1972年1月時点でフランスなど海外7か所に事業所。業界の課題は流通機構・再販制度や価格への消費者の突き上げ・外資進出だが、外資進出は脅威でなく海外進出に注力(マーケティング部長)
  • 証券アナリストジャーナル 2000年1月号(小林保清社長講演、1999年12月24日)
    • [11]1999年時点で海外比率5.9%、海外進出は中国・東南アジアが主体

小林コーセーは化粧品の需要がまだ2桁で伸びていた1971年に体質改善本部を設け、1桁成長に耐える社内体制づくりに着手した。幹部の異論を押し切った社長の小林孝三郎氏の決定である。中心は人員の削減で、1971年に5000人いた社員は1974年に4000人強へ減少した。業界全体の伸び率が1976年に13.0%、1977年に9.6%へ鈍るなか、グループ売上高は30.5%と18.4%増えた。1977年12月期のグループ売上高は509億円と1973年の2倍強で、業界4位に入った。美容院向けのロレアル部門も年間売上高100億円を超え、1976年には業界に先駆けてパウダーファンデーション「フィットオン」を発売した。

  • 日経ビジネス 1978年10月9日号
    • [12]1971年に体質改善本部を設置し減量作戦(社員5000人→1974年4000人強)。業界成長率1976年13.0%・1977年9.6%に対しコーセーグループは30.5%・18.4%。1977年売上509億円は1973年の2倍強で業界4位。ロレアル部門は年100億円超
    • [13]1971年に体質改善本部を設置し減量作戦(社員5000人→1974年4000人強)。業界成長率1976年13.0%・1977年9.6%に対しコーセーグループは30.5%・18.4%。1977年売上509億円は1973年の2倍強で業界4位。ロレアル部門は年100億円超
    • [14]1971年に体質改善本部を設置し減量作戦(社員5000人→1974年4000人強)。業界成長率1976年13.0%・1977年9.6%に対しコーセーグループは30.5%・18.4%。1977年売上509億円は1973年の2倍強で業界4位。ロレアル部門は年100億円超
    • [15]1971年に体質改善本部を設置し減量作戦(社員5000人→1974年4000人強)。業界成長率1976年13.0%・1977年9.6%に対しコーセーグループは30.5%・18.4%。1977年売上509億円は1973年の2倍強で業界4位。ロレアル部門は年100億円超
    • [16]1971年に体質改善本部を設置し減量作戦(社員5000人→1974年4000人強)。業界成長率1976年13.0%・1977年9.6%に対しコーセーグループは30.5%・18.4%。1977年売上509億円は1973年の2倍強で業界4位。ロレアル部門は年100億円超
    • [17]1971年に体質改善本部を設置し減量作戦(社員5000人→1974年4000人強)。業界成長率1976年13.0%・1977年9.6%に対しコーセーグループは30.5%・18.4%。1977年売上509億円は1973年の2倍強で業界4位。ロレアル部門は年100億円超
  • KOSÉ REPORT 2024(コーセー、2024年)「価値創造の軌跡」
    • [18]1976年 業界に先駆けたパウダーファンデーション「フィットオン」を発売
参考文献[1]-[18]
  • KOSÉ REPORT 2024(コーセー、2024年)「価値創造の軌跡」
    • [1]1970年、百貨店で外資系ブランドが躍進するなか、小林孝三郎が思い描いた高級品のブランド「コスメデコルテ」を発売
    • [2]1970年、百貨店で外資系ブランドが躍進するなか、小林孝三郎が思い描いた高級品のブランド「コスメデコルテ」を発売
    • [18]1976年 業界に先駆けたパウダーファンデーション「フィットオン」を発売
  • 実業往来 (220) 1970年4月
    • [3]1970年4月時点でロレアル提携による美容院向け材料が美容業界トップ。1969年にKKコスメフランスを50%・50%出資で設立(銀座)、1970年2月に美容器具のコーセー電器を発足。新事業は市場の確立を条件とする
    • [5]1970年4月時点でロレアル提携による美容院向け材料が美容業界トップ。1969年にKKコスメフランスを50%・50%出資で設立(銀座)、1970年2月に美容器具のコーセー電器を発足。新事業は市場の確立を条件とする
    • [6]1970年4月時点でロレアル提携による美容院向け材料が美容業界トップ。1969年にKKコスメフランスを50%・50%出資で設立(銀座)、1970年2月に美容器具のコーセー電器を発足。新事業は市場の確立を条件とする
  • コーセーホールディングス 有価証券報告書 第84期(2025年12月期)【沿革】
    • [4]1963年5月 フランス・ロレアル社と技術提携
    • [7]1968年9月 香港高絲、1971年8月 新加坡高絲(シンガポール)、1972年11月 高絲化粧品(馬)(マレーシア)を設立
  • 実業往来 (241) 1972年1月
    • [8]1972年1月時点でフランスなど海外7か所に事業所。業界の課題は流通機構・再販制度や価格への消費者の突き上げ・外資進出だが、外資進出は脅威でなく海外進出に注力(マーケティング部長)
    • [9]1972年1月時点でフランスなど海外7か所に事業所。業界の課題は流通機構・再販制度や価格への消費者の突き上げ・外資進出だが、外資進出は脅威でなく海外進出に注力(マーケティング部長)
    • [10]1972年1月時点でフランスなど海外7か所に事業所。業界の課題は流通機構・再販制度や価格への消費者の突き上げ・外資進出だが、外資進出は脅威でなく海外進出に注力(マーケティング部長)
  • 証券アナリストジャーナル 2000年1月号(小林保清社長講演、1999年12月24日)
    • [11]1999年時点で海外比率5.9%、海外進出は中国・東南アジアが主体
  • 日経ビジネス 1978年10月9日号
    • [12]1971年に体質改善本部を設置し減量作戦(社員5000人→1974年4000人強)。業界成長率1976年13.0%・1977年9.6%に対しコーセーグループは30.5%・18.4%。1977年売上509億円は1973年の2倍強で業界4位。ロレアル部門は年100億円超
    • [13]1971年に体質改善本部を設置し減量作戦(社員5000人→1974年4000人強)。業界成長率1976年13.0%・1977年9.6%に対しコーセーグループは30.5%・18.4%。1977年売上509億円は1973年の2倍強で業界4位。ロレアル部門は年100億円超
    • [14]1971年に体質改善本部を設置し減量作戦(社員5000人→1974年4000人強)。業界成長率1976年13.0%・1977年9.6%に対しコーセーグループは30.5%・18.4%。1977年売上509億円は1973年の2倍強で業界4位。ロレアル部門は年100億円超
    • [15]1971年に体質改善本部を設置し減量作戦(社員5000人→1974年4000人強)。業界成長率1976年13.0%・1977年9.6%に対しコーセーグループは30.5%・18.4%。1977年売上509億円は1973年の2倍強で業界4位。ロレアル部門は年100億円超
    • [16]1971年に体質改善本部を設置し減量作戦(社員5000人→1974年4000人強)。業界成長率1976年13.0%・1977年9.6%に対しコーセーグループは30.5%・18.4%。1977年売上509億円は1973年の2倍強で業界4位。ロレアル部門は年100億円超
    • [17]1971年に体質改善本部を設置し減量作戦(社員5000人→1974年4000人強)。業界成長率1976年13.0%・1977年9.6%に対しコーセーグループは30.5%・18.4%。1977年売上509億円は1973年の2倍強で業界4位。ロレアル部門は年100億円超

1979年〜群馬工場で得たデミング賞と、美容室への最低料金指示への排除勧告

小林コーセーは1979年6月、群馬県に群馬工場を設置した。1978年時点の工場は埼玉県の狭山・上尾と東京都の板橋の3か所だった。前年の1977年には、1983年に年間売上高1000億円を目指す5カ年計画を打ち出していた。売上高の倍増を掲げた計画に、新しい生産拠点を加える投資だった。生産現場では1971年からの減量作戦の一環として、ZD(無欠点)運動も積み重ねていた。1980年には品質管理の活動が評価され、日本の化粧品メーカーで初めてのデミング賞事業所表彰の受賞。その受賞歴は1991年のCI導入にあたっても、品質の実績として掲げられた。量の拡大を品質の外部評価で裏づけ、創業以来の質を重んじる方針を生産の仕組みに移したと考えられる。

  • コーセーホールディングス 有価証券報告書 第84期(2025年12月期)【沿革】
    • [19]1979年6月 群馬県に群馬工場を設置
    • [23]1979年6月 群馬県に群馬工場を設置
  • 日経ビジネス 1978年10月9日号
    • [20]1978年時点の工場は狭山・上尾(埼玉県)・板橋(東京都)。1977年の5カ年計画で1983年売上1000億円(1977年の2倍)を目標。1971年からの減量作戦で生産面のZD運動
    • [21]1978年時点の工場は狭山・上尾(埼玉県)・板橋(東京都)。1977年の5カ年計画で1983年売上1000億円(1977年の2倍)を目標。1971年からの減量作戦で生産面のZD運動
    • [22]1978年時点の工場は狭山・上尾(埼玉県)・板橋(東京都)。1977年の5カ年計画で1983年売上1000億円(1977年の2倍)を目標。1971年からの減量作戦で生産面のZD運動
    • [24]1978年時点の工場は狭山・上尾(埼玉県)・板橋(東京都)。1977年の5カ年計画で1983年売上1000億円(1977年の2倍)を目標。1971年からの減量作戦で生産面のZD運動
  • 証券アナリストジャーナル 2000年1月号(小林保清社長講演、1999年12月24日)
    • [25]1980年、国内化粧品メーカーで初めてデミング賞事業所表彰を受賞(品質管理活動の評価)
  • Beauty business (61) 1991年9月「コーセーが社名を変更、CI導入」
    • [26]1991年8月のCI導入発表で、業界初のデミング賞受賞を品質の実績として挙げる

小林コーセーは1979年2月、パレット式のメーキャップ品を他社に先駆けて発売した。口紅・アイシャドー・ほお紅の小さな容器を使う人が選んで1枚に収める仕組みで、色を選ぶ自由と持ち歩く便利さを訴えた。1982年1月21日には最大手の資生堂が同じ方式の商品を発売し、2月16日からは2位の鐘紡も春の販促で追随した。3社が並ぶ販売競争のなかで、小林コーセーは先発の有利さを競争の焦点に据えた。経営陣では、1978年10月に専務だった小林禮次郎氏が、1983年6月までに社長へ昇格した。大手2社が3年遅れで同じ方式に追随した経緯は、小林コーセーの商品開発が売り方の型をつくった証左といえる。

  • 日経ビジネス 1982年1月25日号
    • [27]1979年2月に小林コーセーがパレット式化粧品を先行発売。1982年1月21日に資生堂、2月16日から鐘紡が追随し3社の販売合戦。小林コーセーは先発の有利さで対抗
    • [28]1979年2月に小林コーセーがパレット式化粧品を先行発売。1982年1月21日に資生堂、2月16日から鐘紡が追随し3社の販売合戦。小林コーセーは先発の有利さで対抗
    • [29]1979年2月に小林コーセーがパレット式化粧品を先行発売。1982年1月21日に資生堂、2月16日から鐘紡が追随し3社の販売合戦。小林コーセーは先発の有利さで対抗
    • [30]1979年2月に小林コーセーがパレット式化粧品を先行発売。1982年1月21日に資生堂、2月16日から鐘紡が追随し3社の販売合戦。小林コーセーは先発の有利さで対抗
  • 日経ビジネス 1978年10月9日号
    • [31]1978年10月時点で小林礼次郎は専務、社長は小林孝三郎
  • 公正取引情報 (952) 1983年6月27日「公取、小林コーセーの拘束条件付取引に排除勧告」
    • [32]1983年6月27日の排除勧告時点で小林コーセーの社長は小林禮次郎

公正取引委員会は1983年6月27日付で、小林コーセーに拘束条件付取引の排除を勧告した。対象はロレアル事業部が1981年に発売したコールド液「ミニバーグドウサー」の販売である。ロレアル事業部は需要を安定させるにはパーマ料金の維持が要るとみて、1981年7月の代理店会合で最低料金を6,000円と指示した。同年8月以降は代理店・美容室との3者覚書に最低料金の順守を盛り込み、違反には警告や出荷停止で臨んだ。当時の総理府統計でパーマ料金は全国平均5,500円程度、東京都区部で5,000円だった。美容院向けの事業は1963年のロレアルとの提携から育ち、1978年には年間売上高100億円を超えていた。勧告は指示の撤回と覚書の条項削除を求め、1982年9月施行の一般指定13項を初めて適用した。

  • 公正取引情報 (952) 1983年6月27日「公取、小林コーセーの拘束条件付取引に排除勧告」
    • [33]1983年6月27日付で排除勧告。ロレアル事業部が1981年発売のコールド液「ミニバーグドウサー」で、1981年7月の代理店会合で最低料金6,000円を指示、同年8月以降3者覚書、違反に警告・出荷停止。パーマ料金全国平均5,500円程度。指示撤回・条項削除を命令、一般指定13項(1982年9月施行)の初適用
    • [34]1983年6月27日付で排除勧告。ロレアル事業部が1981年発売のコールド液「ミニバーグドウサー」で、1981年7月の代理店会合で最低料金6,000円を指示、同年8月以降3者覚書、違反に警告・出荷停止。パーマ料金全国平均5,500円程度。指示撤回・条項削除を命令、一般指定13項(1982年9月施行)の初適用
    • [35]1983年6月27日付で排除勧告。ロレアル事業部が1981年発売のコールド液「ミニバーグドウサー」で、1981年7月の代理店会合で最低料金6,000円を指示、同年8月以降3者覚書、違反に警告・出荷停止。パーマ料金全国平均5,500円程度。指示撤回・条項削除を命令、一般指定13項(1982年9月施行)の初適用
    • [36]1983年6月27日付で排除勧告。ロレアル事業部が1981年発売のコールド液「ミニバーグドウサー」で、1981年7月の代理店会合で最低料金6,000円を指示、同年8月以降3者覚書、違反に警告・出荷停止。パーマ料金全国平均5,500円程度。指示撤回・条項削除を命令、一般指定13項(1982年9月施行)の初適用
    • [37]1983年6月27日付で排除勧告。ロレアル事業部が1981年発売のコールド液「ミニバーグドウサー」で、1981年7月の代理店会合で最低料金6,000円を指示、同年8月以降3者覚書、違反に警告・出荷停止。パーマ料金全国平均5,500円程度。指示撤回・条項削除を命令、一般指定13項(1982年9月施行)の初適用
    • [40]1983年6月27日付で排除勧告。ロレアル事業部が1981年発売のコールド液「ミニバーグドウサー」で、1981年7月の代理店会合で最低料金6,000円を指示、同年8月以降3者覚書、違反に警告・出荷停止。パーマ料金全国平均5,500円程度。指示撤回・条項削除を命令、一般指定13項(1982年9月施行)の初適用
  • コーセーホールディングス 有価証券報告書 第84期(2025年12月期)【沿革】
    • [38]1963年5月 フランス・ロレアル社と技術提携
  • 日経ビジネス 1978年10月9日号
    • [39]ロレアルとの提携で美容院向け販売に参入し、1978年時点でこの部門の年間売上は100億円を突破
参考文献[19]-[40]
  • コーセーホールディングス 有価証券報告書 第84期(2025年12月期)【沿革】
    • [19]1979年6月 群馬県に群馬工場を設置
    • [23]1979年6月 群馬県に群馬工場を設置
    • [38]1963年5月 フランス・ロレアル社と技術提携
  • 日経ビジネス 1978年10月9日号
    • [20]1978年時点の工場は狭山・上尾(埼玉県)・板橋(東京都)。1977年の5カ年計画で1983年売上1000億円(1977年の2倍)を目標。1971年からの減量作戦で生産面のZD運動
    • [21]1978年時点の工場は狭山・上尾(埼玉県)・板橋(東京都)。1977年の5カ年計画で1983年売上1000億円(1977年の2倍)を目標。1971年からの減量作戦で生産面のZD運動
    • [22]1978年時点の工場は狭山・上尾(埼玉県)・板橋(東京都)。1977年の5カ年計画で1983年売上1000億円(1977年の2倍)を目標。1971年からの減量作戦で生産面のZD運動
    • [24]1978年時点の工場は狭山・上尾(埼玉県)・板橋(東京都)。1977年の5カ年計画で1983年売上1000億円(1977年の2倍)を目標。1971年からの減量作戦で生産面のZD運動
    • [31]1978年10月時点で小林礼次郎は専務、社長は小林孝三郎
    • [39]ロレアルとの提携で美容院向け販売に参入し、1978年時点でこの部門の年間売上は100億円を突破
  • 証券アナリストジャーナル 2000年1月号(小林保清社長講演、1999年12月24日)
    • [25]1980年、国内化粧品メーカーで初めてデミング賞事業所表彰を受賞(品質管理活動の評価)
  • Beauty business (61) 1991年9月「コーセーが社名を変更、CI導入」
    • [26]1991年8月のCI導入発表で、業界初のデミング賞受賞を品質の実績として挙げる
  • 日経ビジネス 1982年1月25日号
    • [27]1979年2月に小林コーセーがパレット式化粧品を先行発売。1982年1月21日に資生堂、2月16日から鐘紡が追随し3社の販売合戦。小林コーセーは先発の有利さで対抗
    • [28]1979年2月に小林コーセーがパレット式化粧品を先行発売。1982年1月21日に資生堂、2月16日から鐘紡が追随し3社の販売合戦。小林コーセーは先発の有利さで対抗
    • [29]1979年2月に小林コーセーがパレット式化粧品を先行発売。1982年1月21日に資生堂、2月16日から鐘紡が追随し3社の販売合戦。小林コーセーは先発の有利さで対抗
    • [30]1979年2月に小林コーセーがパレット式化粧品を先行発売。1982年1月21日に資生堂、2月16日から鐘紡が追随し3社の販売合戦。小林コーセーは先発の有利さで対抗
  • 公正取引情報 (952) 1983年6月27日「公取、小林コーセーの拘束条件付取引に排除勧告」
    • [32]1983年6月27日の排除勧告時点で小林コーセーの社長は小林禮次郎
    • [33]1983年6月27日付で排除勧告。ロレアル事業部が1981年発売のコールド液「ミニバーグドウサー」で、1981年7月の代理店会合で最低料金6,000円を指示、同年8月以降3者覚書、違反に警告・出荷停止。パーマ料金全国平均5,500円程度。指示撤回・条項削除を命令、一般指定13項(1982年9月施行)の初適用
    • [34]1983年6月27日付で排除勧告。ロレアル事業部が1981年発売のコールド液「ミニバーグドウサー」で、1981年7月の代理店会合で最低料金6,000円を指示、同年8月以降3者覚書、違反に警告・出荷停止。パーマ料金全国平均5,500円程度。指示撤回・条項削除を命令、一般指定13項(1982年9月施行)の初適用
    • [35]1983年6月27日付で排除勧告。ロレアル事業部が1981年発売のコールド液「ミニバーグドウサー」で、1981年7月の代理店会合で最低料金6,000円を指示、同年8月以降3者覚書、違反に警告・出荷停止。パーマ料金全国平均5,500円程度。指示撤回・条項削除を命令、一般指定13項(1982年9月施行)の初適用
    • [36]1983年6月27日付で排除勧告。ロレアル事業部が1981年発売のコールド液「ミニバーグドウサー」で、1981年7月の代理店会合で最低料金6,000円を指示、同年8月以降3者覚書、違反に警告・出荷停止。パーマ料金全国平均5,500円程度。指示撤回・条項削除を命令、一般指定13項(1982年9月施行)の初適用
    • [37]1983年6月27日付で排除勧告。ロレアル事業部が1981年発売のコールド液「ミニバーグドウサー」で、1981年7月の代理店会合で最低料金6,000円を指示、同年8月以降3者覚書、違反に警告・出荷停止。パーマ料金全国平均5,500円程度。指示撤回・条項削除を命令、一般指定13項(1982年9月施行)の初適用
    • [40]1983年6月27日付で排除勧告。ロレアル事業部が1981年発売のコールド液「ミニバーグドウサー」で、1981年7月の代理店会合で最低料金6,000円を指示、同年8月以降3者覚書、違反に警告・出荷停止。パーマ料金全国平均5,500円程度。指示撤回・条項削除を命令、一般指定13項(1982年9月施行)の初適用

1984年〜和漢植物エキスの雪肌精と、販路別に分けた販売会社3社

小林コーセーは1985年、和漢植物エキスを配合した化粧水「雪肌精」を発売した。1992年には化粧品専門店の店頭で、モイスチャーエッセンスやコウジ酸クリームと並ぶコーセーの特長商品に数えられた。同じ専門店では、高級ブランドのコスメデコルテの愛用者がコーセーの実動会員800名余の約3分の1を占め、店は独立したコーナーを設けた。1993年時点でも雪肌精は2桁の伸びを続け、コーセーはホワイトニングと並ぶ得意分野の商品と位置づけた。2025年12月期にも雪肌精は化粧品事業の主要ブランドの一つで、海外売上が好調だった。高級のコスメデコルテと一般品のあいだで、専門店の対面販売を支える長寿の商品になったと思われる。

  • KOSÉ REPORT 2024(コーセー、2024年)「価値創造の軌跡」
    • [41]1985年 和漢植物エキス配合化粧水「雪肌精」を発売
  • Beauty business (64) 1992年6月「チャレンジ'92 好粧材でコーセーが急成長」
    • [42]1992年、化粧品専門店(ふたば化粧品店)でファンデーション・モイスチャーエッセンス・コウジ酸クリーム・雪肌精がコーセーの特長商品。実動会員800名余の約3分の1がコスメデコルテ愛用者で独立コーナーを設置
    • [43]1992年、化粧品専門店(ふたば化粧品店)でファンデーション・モイスチャーエッセンス・コウジ酸クリーム・雪肌精がコーセーの特長商品。実動会員800名余の約3分の1がコスメデコルテ愛用者で独立コーナーを設置
  • Beauty business (67) 1993年3月「インタビュー 新しいコーセーの神話を創りたい」
    • [44]1993年時点でモイスチュアエッセンス・RCリキッド・雪肌精は2桁の伸び。ホワイトニング・雪肌精をコーセーが絶対的な商品群に育てる方針
  • コーセーホールディングス 有価証券報告書 第84期(2025年12月期)【事業の内容】
    • [45]2025年12月期、雪肌精は化粧品事業の主要ブランドで、海外売上が好調

小林コーセーは1984年9月、タイと台湾に現地法人を設立した。1988年1月には中国に、のちの高絲化粧品有限公司となる春絲麗有限公司を設けた。1999年時点で中国の売上高は36億円と日本の化粧品メーカーで首位に立ち、利益は約7億円、第二工場も建設中だった。台湾でも売上高約21億円・利益約3億円を計上した。それでも海外比率は5.9%にとどまり、3年後に9%強へ高める目標が掲げられた。その先も中国と台湾を軸に、東南アジア全域へ海外事業を広げる計画だった。中国の持分は2018年5月に譲渡した。1970年前後に東南アジアで重ねた現地法人の経験が、華人圏で最も大きな中国市場への参入を後押ししたのだろう。

  • コーセーホールディングス 有価証券報告書 第84期(2025年12月期)【沿革】
    • [46]1984年9月 KOSÉ (THAILAND)・台湾高絲を設立。1988年1月 中国に春絲麗有限公司(後の高絲化粧品有限公司)を設立、2018年5月に持分譲渡
    • [47]1984年9月 KOSÉ (THAILAND)・台湾高絲を設立。1988年1月 中国に春絲麗有限公司(後の高絲化粧品有限公司)を設立、2018年5月に持分譲渡
    • [52]1984年9月 KOSÉ (THAILAND)・台湾高絲を設立。1988年1月 中国に春絲麗有限公司(後の高絲化粧品有限公司)を設立、2018年5月に持分譲渡
  • 証券アナリストジャーナル 2000年1月号(小林保清社長講演、1999年12月24日)
    • [48]1999年時点で中国売上高36億円は日本メーカー中トップ、利益約7億円、第二工場建設中。台湾売上高約21億円・利益約3億円。海外比率5.9%を3年後9%強へ。中国・台湾中心に東南アジア全域へ展開する計画
    • [49]1999年時点で中国売上高36億円は日本メーカー中トップ、利益約7億円、第二工場建設中。台湾売上高約21億円・利益約3億円。海外比率5.9%を3年後9%強へ。中国・台湾中心に東南アジア全域へ展開する計画
    • [50]1999年時点で中国売上高36億円は日本メーカー中トップ、利益約7億円、第二工場建設中。台湾売上高約21億円・利益約3億円。海外比率5.9%を3年後9%強へ。中国・台湾中心に東南アジア全域へ展開する計画
    • [51]1999年時点で中国売上高36億円は日本メーカー中トップ、利益約7億円、第二工場建設中。台湾売上高約21億円・利益約3億円。海外比率5.9%を3年後9%強へ。中国・台湾中心に東南アジア全域へ展開する計画

小林コーセーは1985年10月、サロンルートの化粧品を販売するクリエを設立した。続く1988年は、4月に自社製品の販売会社コーセー化粧品販売、7月に一般品ルートを担うコーセーコスメポートの設立。コスメポートの狙いは、利用者の声を取り入れた品を求めやすい値段で届け、顧客層を広げることにあった。売り場の区分は1999年時点で、百貨店と専門店のカウンセリング販売、ドラッグストアやバラエティストアのセルフ販売に分かれた。セルフ販売のコスメタリー事業は売上の20%を占めた。サロンルートでは1983年時点で、ロレアル事業部が代理店を通じて美容室へコールド液を販売していた。1991年8月には商号を株式会社コーセーに改め、CIを導入した。

  • コーセーホールディングス 有価証券報告書 第84期(2025年12月期)【沿革】
    • [53]1985年10月 サロンルートのクリエ、1988年4月 コーセー化粧品販売、同年7月 一般品ルートのコーセーコスメポートを設立。1991年8月 株式会社コーセーに商号変更
    • [54]1985年10月 サロンルートのクリエ、1988年4月 コーセー化粧品販売、同年7月 一般品ルートのコーセーコスメポートを設立。1991年8月 株式会社コーセーに商号変更
    • [59]1985年10月 サロンルートのクリエ、1988年4月 コーセー化粧品販売、同年7月 一般品ルートのコーセーコスメポートを設立。1991年8月 株式会社コーセーに商号変更
  • KOSÉ REPORT 2024(コーセー、2024年)「価値創造の軌跡」
    • [55]顧客層拡大のため、顧客の声を反映した商品を手頃な価格で提供する目的で1988年にコーセーコスメポートを設立
  • 証券アナリストジャーナル 2000年1月号(小林保清社長講演、1999年12月24日)
    • [56]1999年時点でカウンセリング販売は百貨店・専門店・GNS、セルフ販売はドラッグストア・バラエティストア等。コスメタリー(セルフ)事業は20%
    • [57]1999年時点でカウンセリング販売は百貨店・専門店・GNS、セルフ販売はドラッグストア・バラエティストア等。コスメタリー(セルフ)事業は20%
  • 公正取引情報 (952) 1983年6月27日「公取、小林コーセーの拘束条件付取引に排除勧告」
    • [58]1983年時点でロレアル事業部がロレアル化粧品のコールド液を代理店経由で美容室に販売
  • Beauty business (61) 1991年9月「コーセーが社名を変更、CI導入」
    • [60]1991年8月1日に社名を株式会社コーセーへ変更しCIを導入(小林禮次郎社長)
参考文献[41]-[60]
  • KOSÉ REPORT 2024(コーセー、2024年)「価値創造の軌跡」
    • [41]1985年 和漢植物エキス配合化粧水「雪肌精」を発売
    • [55]顧客層拡大のため、顧客の声を反映した商品を手頃な価格で提供する目的で1988年にコーセーコスメポートを設立
  • Beauty business (64) 1992年6月「チャレンジ'92 好粧材でコーセーが急成長」
    • [42]1992年、化粧品専門店(ふたば化粧品店)でファンデーション・モイスチャーエッセンス・コウジ酸クリーム・雪肌精がコーセーの特長商品。実動会員800名余の約3分の1がコスメデコルテ愛用者で独立コーナーを設置
    • [43]1992年、化粧品専門店(ふたば化粧品店)でファンデーション・モイスチャーエッセンス・コウジ酸クリーム・雪肌精がコーセーの特長商品。実動会員800名余の約3分の1がコスメデコルテ愛用者で独立コーナーを設置
  • Beauty business (67) 1993年3月「インタビュー 新しいコーセーの神話を創りたい」
    • [44]1993年時点でモイスチュアエッセンス・RCリキッド・雪肌精は2桁の伸び。ホワイトニング・雪肌精をコーセーが絶対的な商品群に育てる方針
  • コーセーホールディングス 有価証券報告書 第84期(2025年12月期)【事業の内容】
    • [45]2025年12月期、雪肌精は化粧品事業の主要ブランドで、海外売上が好調
  • コーセーホールディングス 有価証券報告書 第84期(2025年12月期)【沿革】
    • [46]1984年9月 KOSÉ (THAILAND)・台湾高絲を設立。1988年1月 中国に春絲麗有限公司(後の高絲化粧品有限公司)を設立、2018年5月に持分譲渡
    • [47]1984年9月 KOSÉ (THAILAND)・台湾高絲を設立。1988年1月 中国に春絲麗有限公司(後の高絲化粧品有限公司)を設立、2018年5月に持分譲渡
    • [52]1984年9月 KOSÉ (THAILAND)・台湾高絲を設立。1988年1月 中国に春絲麗有限公司(後の高絲化粧品有限公司)を設立、2018年5月に持分譲渡
    • [53]1985年10月 サロンルートのクリエ、1988年4月 コーセー化粧品販売、同年7月 一般品ルートのコーセーコスメポートを設立。1991年8月 株式会社コーセーに商号変更
    • [54]1985年10月 サロンルートのクリエ、1988年4月 コーセー化粧品販売、同年7月 一般品ルートのコーセーコスメポートを設立。1991年8月 株式会社コーセーに商号変更
    • [59]1985年10月 サロンルートのクリエ、1988年4月 コーセー化粧品販売、同年7月 一般品ルートのコーセーコスメポートを設立。1991年8月 株式会社コーセーに商号変更
  • 証券アナリストジャーナル 2000年1月号(小林保清社長講演、1999年12月24日)
    • [48]1999年時点で中国売上高36億円は日本メーカー中トップ、利益約7億円、第二工場建設中。台湾売上高約21億円・利益約3億円。海外比率5.9%を3年後9%強へ。中国・台湾中心に東南アジア全域へ展開する計画
    • [49]1999年時点で中国売上高36億円は日本メーカー中トップ、利益約7億円、第二工場建設中。台湾売上高約21億円・利益約3億円。海外比率5.9%を3年後9%強へ。中国・台湾中心に東南アジア全域へ展開する計画
    • [50]1999年時点で中国売上高36億円は日本メーカー中トップ、利益約7億円、第二工場建設中。台湾売上高約21億円・利益約3億円。海外比率5.9%を3年後9%強へ。中国・台湾中心に東南アジア全域へ展開する計画
    • [51]1999年時点で中国売上高36億円は日本メーカー中トップ、利益約7億円、第二工場建設中。台湾売上高約21億円・利益約3億円。海外比率5.9%を3年後9%強へ。中国・台湾中心に東南アジア全域へ展開する計画
    • [56]1999年時点でカウンセリング販売は百貨店・専門店・GNS、セルフ販売はドラッグストア・バラエティストア等。コスメタリー(セルフ)事業は20%
    • [57]1999年時点でカウンセリング販売は百貨店・専門店・GNS、セルフ販売はドラッグストア・バラエティストア等。コスメタリー(セルフ)事業は20%
  • 公正取引情報 (952) 1983年6月27日「公取、小林コーセーの拘束条件付取引に排除勧告」
    • [58]1983年時点でロレアル事業部がロレアル化粧品のコールド液を代理店経由で美容室に販売
  • Beauty business (61) 1991年9月「コーセーが社名を変更、CI導入」
    • [60]1991年8月1日に社名を株式会社コーセーへ変更しCIを導入(小林禮次郎社長)

出典・参考

12件
出典・参考
  • コーセーホールディングス 有価証券報告書 第84期(2025年12月期)【沿革】
  • コーセーホールディングス 有価証券報告書 第84期(2025年12月期)【事業の内容】
  • 日経ビジネス 1978年10月9日号
  • 日経ビジネス 1982年1月25日号
  • 証券アナリストジャーナル 2000年1月号(小林保清社長講演、1999年12月24日)
  • 実業往来 (220) 1970年4月
  • 実業往来 (241) 1972年1月
  • 公正取引情報 (952) 1983年6月27日「公取、小林コーセーの拘束条件付取引に排除勧告」
  • Beauty business (61) 1991年9月「コーセーが社名を変更、CI導入」
  • Beauty business (64) 1992年6月「チャレンジ'92 好粧材でコーセーが急成長」
  • Beauty business (67) 1993年3月「インタビュー 新しいコーセーの神話を創りたい」
  • KOSÉ REPORT 2024(コーセー、2024年)「価値創造の軌跡」

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