第1章 年〜年

システナ:ヘンミエンジニアリングの設立と「麻雀クラブ」の開発

1983年〜資本金200万円のヘンミエンジニアリング設立と「雀ネット」の発表

逸見愛親氏は1979年に大学を出てソフトウェア会社へ入社したものの、取引先への出向が続く勤務を2年で辞め、フリーのプログラマーになった。義弟と2人で受託を重ねるうち、取引先から振込口座のために法人化を求められた。それを受けて1983年3月、マイクロコンピューター用ソフトの開発を目的に資本金200万円でヘンミエンジニアリングを設立した。翌1984年2月には、商号をシステムプロへ変更。工場の省力化でロボット向けのマイコンソフトの注文は多く、営業をしなくても依頼の7割を断るほどだった。逸見愛親氏は社員を増やさず、外注の技術者を使って少人数で引き受ける方針を選んだ。

  • 小さな会社はニュービジネスで儲けろ(エール出版社, 1992)
    • [1]1979年 大学卒業後ソフトウェア会社に入社、出向続きの勤務を2年で退社しフリーのプログラマーに
    • [2]義弟と2人で受託、取引先の振込口座の求めで法人化
    • [5]ロボット向けマイコンソフトの需要が多く、受注の7割を断っていた
    • [6]社員を増やさず外注スタッフを使う少人数経営を選択
  • システムプロ 有価証券報告書(2005年10月期)【沿革】
    • [3]1983年3月 マイコンソフト開発を目的に資本金200万円でヘンミエンジニアリング設立
    • [4]1984年2月 システムプロに商号変更

逸見愛親氏は自社ソフトで一般に知られることを掲げ、算数ドリルに続いて電話回線で対戦する麻雀ゲーム「雀ネット」を1987年に発表した。会員が4人そろうと対局が始まり、通信の切れた参加者の席はホストコンピュータが代わって打つ仕組みだった。有報の沿革は、1988年2月に対戦型オンラインゲーム「麻雀クラブ」を開発したと記す。1990年5月にはパソコンとワークステーション向けの業務用アプリケーションの受託開発に着手。30歳を2年過ぎた時点の売上高は3,500万円にとどまり、逸見愛親氏は人員を増やす方針に転じた。1991年度の売上高は1億3,500万円だった。

  • 小さな会社はニュービジネスで儲けろ(エール出版社, 1992)
    • [7]自社製品の方針、算数ドリルに続き1987年に通信対戦麻雀「雀ネット」を発表
    • [8]4人そろえば開始、途切れた参加者の代わりにホストコンピュータが参加
    • [11]30歳を2年超えた時点の売上高3,500万円、スタッフを増やす方針へ転換
    • [12]1991年度の売上高1億3,500万円
  • システムプロ 有価証券報告書(2005年10月期)【沿革】
    • [9]1988年2月 対戦型オンラインゲーム「麻雀クラブ」を開発
    • [10]1990年5月 パソコン・ワークステーションの業務用アプリケーションソフト受託開発を開始
参考文献[1]-[12]
  • 小さな会社はニュービジネスで儲けろ(エール出版社, 1992)
    • [1]1979年 大学卒業後ソフトウェア会社に入社、出向続きの勤務を2年で退社しフリーのプログラマーに
    • [2]義弟と2人で受託、取引先の振込口座の求めで法人化
    • [5]ロボット向けマイコンソフトの需要が多く、受注の7割を断っていた
    • [6]社員を増やさず外注スタッフを使う少人数経営を選択
    • [7]自社製品の方針、算数ドリルに続き1987年に通信対戦麻雀「雀ネット」を発表
    • [8]4人そろえば開始、途切れた参加者の代わりにホストコンピュータが参加
    • [11]30歳を2年超えた時点の売上高3,500万円、スタッフを増やす方針へ転換
    • [12]1991年度の売上高1億3,500万円
  • システムプロ 有価証券報告書(2005年10月期)【沿革】
    • [3]1983年3月 マイコンソフト開発を目的に資本金200万円でヘンミエンジニアリング設立
    • [4]1984年2月 システムプロに商号変更
    • [9]1988年2月 対戦型オンラインゲーム「麻雀クラブ」を開発
    • [10]1990年5月 パソコン・ワークステーションの業務用アプリケーションソフト受託開発を開始

出典・参考

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出典・参考
  • システムプロ 有価証券報告書(2005年10月期)【沿革】
  • 小さな会社はニュービジネスで儲けろ(エール出版社, 1992)

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