きんでんの決断社史:経営の意思決定を振り返る

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決断

統合されて生まれた会社が、統合する側へ回るまでに60年余りかかった。1945年8月、軍需監理部には解散論もあったが、関西配電専属の工事部門として存続させる結論に落ち着く。1949年4月のドッジ・プランで特修・特改工事の融資が止まると、営業第一線主義による配置転換と全社の受注獲得運動で一般工事の開拓に動いた。1954年には工業高校の卒業生を2年間教育する技術員養成所を開設し、他社に例がないという批判のなかで外線技術員を自前で育てている。1966年に空調、1976年に内装、1981年に通信の各部門を設け、1990年4月には商号を株式会社きんでんへ改めて近畿の地名も電気工事の業種名も外した。2007年4月の西原衛生工業所の子会社化で、初めて他社の施工部隊ごと別職種を引き受けた。

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