三機工業の決断社史:経営の意思決定を振り返る

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決断

製造の事業を二度譲渡し、図面を引いて据え付ける側に残った。1933年11月に日本鋼材の経営権を掌握して三建工業を合併し、1943年3月には東洋鋼材が三機工業を合併して商号を三機工業とした。名を継いだのは買収された側の法人である。製造を握った期間は長くない。1960年7月に鋼管部門を分離して富士三機鋼管の株式を富士製鉄へ譲渡し、総額25億円の回収で借入金は実質ゼロとなり、売上高が175億円から145億円へ減る一方で経常利益は6億円から12億円へ倍増した。1973年12月には窓枠部門の営業を三井軽金属加工へ譲渡し、アルミ化に追われた製造から離れる。2007年3月期に創業以来初の経常損失87億8,200万円を計上すると、受注拡大策を撤回して採算重視の受注へ切り替えた。二度の譲渡で工場を離れたことが、受注一件ごとの採算だけで損益が決まる構造を作った。

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