高砂熱学工業 の歴史

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創業 1923年
創業者 柳町政之助
創業地 東京都
創業
1923年11月16日、旧高砂工業株式会社の煖房工事部の権利義務を継承して高砂煖房工事株式会社が設立された。初代社長の柳町政之助氏は、大型冷凍機がすべて輸入品で輸送費や技術者の出張費まで要る費用構造を変えるため渡米し、国産第一号の高砂荏原式ターボ冷凍機を開発している。1924年には個人住宅冷房の第1号とされる邸宅の温湿度調整装置を、1927年には日本初の完全冷暖房劇場とされた三越ホールを施工した。1932年に国内最初のヒートポンプ冷暖房設備、1940年にマイナス75度の超低温装置を納入し、扱う温度域を居室から超低温まで広げる。1943年7月に社名を高砂熱学工業株式会社へ改め、この社名は現在まで変わっていない。
決断
電気も給排水も引き受ける総合設備業へは広げず、空気の温度と清浄度だけを扱ってきた。1968年、米国企業の支援を受けて本格的なクリーンルーム第一号となる日本電装の研究棟を施工し、黎明期の分野へ参入する。1984年12月には総合研究所を新設し、設計・施工に技術開発の機能を加えた。1988年には過冷却現象を用いて連続的にシャーベットアイスを生成する氷蓄熱技術を、1990年代にはリチウムイオン電池の製造に欠かせない低湿度環境制御室のドライルーム®を製品化している。2015年12月にはインドのインテグレーテッド・クリーンルーム・テクノロジーズへ26.12%を出資し、2017年11月に株式を追加取得して連結子会社とした。研究所で育てる方法に、必要な技術を持つ会社を取得する方法が加わった。
現況
主な客は事務所や商業施設ではなく、半導体と電池の工場である。1975年3月期の売上構成は事務所29%・商業娯楽28%に対し工場倉庫が14%だったが、産業空調設備の売上高は2015年度の863億円から2024年度の2,105億円へ2.4倍に伸び、2022年度に一般空調設備を追い越して2024年度の比率は55.1%に達した。同じ10年で一般空調設備は1,575億円から1,632億円と3.6%しか増えていない。2026年3月期の連結売上高は4,239億円、営業利益477億円で営業利益率11.3%、当期純利益375億円、連結従業員7,287名である。地域別では日本3,332億円に対し東南アジア509億円・その他398億円で、海外が2割強を占める。
競合
設備工事の専業でありながら、受注の入口を総合建設業に握られてきた。設備工事業者は建設会社を得意先とするため受注の多くが間接受注になり、1971年の比較では官公庁入札の比率が15%程度と、30%内外の朝日工業社の半分にとどまっている。競争の焦点は元請の選定ではなく、発注者が仕様で指名する技術の側へ移った。同じ設備工事の三機工業が2007年に受注拡大策を撤回して採算重視の受注へ戻したに対し、高砂熱学工業はクリーンルームの設計施工技術をインドの会社ごと取得して産業空調へ寄せている。連結営業利益率は2015年3月期の3.2%から2026年3月期の11.3%へ上がり、事務所と商業施設で6割弱を占めた1975年とは需要の出所が入れ替わった。
高砂熱学工業:長期業績の推移(売上高・利益率)売上高(億円純利益率(%)
1997年3月期2026年3月期

創業ストーリー 煖房工事会社として発足し冷凍機の国産化へ進んだ戦前・戦後復興期 (1923年〜)

煖房工事部の継承と国産第一号ターボ冷凍機の開発

高砂熱学工業は1923年11月16日、旧高砂工業株式会社の煖房工事部の権利義務の一切を継承[1]し、高砂煖房工事株式会社として設立された[2]。創立以来の本業は空調設備工事とその周辺分野[3]に置かれ、設計・施工から機器の開発・運用までが事業の範囲となった。設立の翌1924年には、わが国の個人住宅冷房第1号といわれる邸宅の温湿度調整装置[4]を施工している。1927年には、日本初の完全冷暖房劇場として話題を集めた三越ホール[5]、現在の三越劇場の冷暖房を手がけた。1932年にはわが国最初のヒートポンプによる冷暖房設備を完成[6]させている。

  • 高砂熱学工業 有価証券報告書【沿革】
    • [1]1923年11月16日 旧高砂工業煖房工事部の権利義務の一切を継承
    • [2]設立時の社名 高砂煖房工事株式会社
  • 高砂熱学工業 コーポレートレポート2025「価値創造の歩み」
    • [3]創立以来の本業 空調設備工事およびその周辺分野
    • [4]1924年 わが国の個人住宅冷房第1号といわれる邸宅の温湿度調整装置を施工
    • [5]1927年 日本初の完全冷暖房劇場 三越ホール(現・三越劇場)を施工
    • [6]1932年 わが国最初のヒートポンプによる冷暖房設備を完成

『冷たい空気』をつくるために欠かせない大型冷凍機は、当時はすべて輸入品で、本体に加えて輸送費や技術者の出張費まで[7]かかる高額な設備であった。この費用構造を変えるため、初代社長となる柳町政之助氏は渡米し[8]、長年にわたる研究を重ねて国産第一号の『高砂荏原式ターボ冷凍機』[9]を開発した。冷凍機に続いて国産初のヒートポンプ冷暖房設備と工業用冷却塔[10]も自社で開発している。1940年にはマイナス75度の超低温装置と超低温ターボ冷凍機を開発して納入[11]し、扱う温度域を建物の居室から超低温まで広げた。

  • 高砂熱学工業 コーポレートレポート2025「価値創造の歩み」
    • [7]当時の大型冷凍機は輸入頼みで本体・輸送費・技術者の出張費を要した
    • [8]初代社長 柳町政之助の渡米と長年の研究
    • [9]国産第一号 高砂荏原式ターボ冷凍機の開発
    • [10]国産初のヒートポンプ冷暖房設備と工業用冷却塔の開発
    • [11]1940年 マイナス75度の超低温装置・超低温ターボ冷凍機を開発・納入
  • 高砂熱学工業 有価証券報告書【沿革】
    • [1]1923年11月16日 旧高砂工業煖房工事部の権利義務の一切を継承
    • [2]設立時の社名 高砂煖房工事株式会社
  • 高砂熱学工業 コーポレートレポート2025「価値創造の歩み」
    • [3]創立以来の本業 空調設備工事およびその周辺分野
    • [4]1924年 わが国の個人住宅冷房第1号といわれる邸宅の温湿度調整装置を施工
    • [5]1927年 日本初の完全冷暖房劇場 三越ホール(現・三越劇場)を施工
    • [6]1932年 わが国最初のヒートポンプによる冷暖房設備を完成
    • [7]当時の大型冷凍機は輸入頼みで本体・輸送費・技術者の出張費を要した
    • [8]初代社長 柳町政之助の渡米と長年の研究
    • [9]国産第一号 高砂荏原式ターボ冷凍機の開発
    • [10]国産初のヒートポンプ冷暖房設備と工業用冷却塔の開発
    • [11]1940年 マイナス75度の超低温装置・超低温ターボ冷凍機を開発・納入

「熱学」への改称と戦後復興期の支店網整備

1943年7月、社名を高砂煖房工事株式会社から高砂熱学工業株式会社へ改称[12]した。この社名は2026年時点まで変わっていない。戦後の再出発では拠点の配置が先に立ち、1949年3月に大阪支店を開設[13]している。現在の関西支店にあたる拠点[14]である。同年10月には建設業法による建設大臣登録(イ)第558号の登録を完了し、以後2年ごとに登録を更新[15]した。1952年3月には札幌出張所[16]、同年8月には名古屋出張所を置き、札幌は1968年4月に、名古屋は1959年3月にそれぞれ支店へ昇格[17]している。

  • 高砂熱学工業 有価証券報告書【沿革】
    • [12]1943年7月 高砂熱学工業株式会社へ改称
    • [13]1949年3月 大阪支店開設
    • [14]大阪支店は現・関西支店
    • [15]1949年10月 建設大臣登録(イ)第558号を完了・以後2年ごとに更新
    • [16]1952年3月 札幌出張所開設・1968年4月支店昇格
    • [17]1952年8月 名古屋出張所開設・1959年3月支店昇格

高度経済成長期への突入とともに手がける工事は大型化[18]し、東京・八重洲の第一鉄鋼ビル、東京駅八重洲口の鉄道会館、渋谷東急会館[19]など、都心の大型建築の冷暖房を数多く施工している。国内の生産現場と医療現場では空気の清浄化や無塵化を求める声が高まり、高砂熱学工業はクリーンルームの黎明期からこの分野へ参入[20]した。戦後は海外との交流も復活し、同社はあらゆる機会をとらえて新技術と新製品の知識収集[21]にあたっている。

  • 高砂熱学工業 コーポレートレポート2025「価値創造の歩み」
    • [18]高度経済成長期の突入にともなう大型工事の増加
    • [19]第一鉄鋼ビル・鉄道会館・渋谷東急会館の冷暖房を施工
    • [20]生産・医療現場の空気清浄化と無塵化の要望を受けクリーンルームの黎明期に参入
    • [21]戦後の海外交流の復活と新技術・新製品の知識収集
  • 高砂熱学工業 有価証券報告書【沿革】
    • [12]1943年7月 高砂熱学工業株式会社へ改称
    • [13]1949年3月 大阪支店開設
    • [14]大阪支店は現・関西支店
    • [15]1949年10月 建設大臣登録(イ)第558号を完了・以後2年ごとに更新
    • [16]1952年3月 札幌出張所開設・1968年4月支店昇格
    • [17]1952年8月 名古屋出張所開設・1959年3月支店昇格
  • 高砂熱学工業 コーポレートレポート2025「価値創造の歩み」
    • [18]高度経済成長期の突入にともなう大型工事の増加
    • [19]第一鉄鋼ビル・鉄道会館・渋谷東急会館の冷暖房を施工
    • [20]生産・医療現場の空気清浄化と無塵化の要望を受けクリーンルームの黎明期に参入
    • [21]戦後の海外交流の復活と新技術・新製品の知識収集

生産現場の無塵化要求とクリーンルーム第一号の施工

支店網の整備は高度成長期にも続き、1959年2月に九州出張所[22]、1967年4月に東北出張所を開設[23]した。九州は1972年4月に、東北は1973年4月にそれぞれ支店へ昇格[24]している。この時期の規模を単体の数字で見ると、1967年3月期の売上高は105億13百万円、経常利益は8億33百万円[25]であった。1968年3月期は売上高122億58百万円、1969年3月期は129億51百万円[26]と、年1割前後の増収が続いている。設立から45年を経た時点でも、売上高はまだ100億円台[27]であった。

  • 高砂熱学工業 有価証券報告書【沿革】
    • [22]1959年2月 九州出張所開設
    • [23]1967年4月 東北出張所開設
    • [24]九州は1972年4月・東北は1973年4月に支店昇格
  • 会社年鑑 1976年版
    • [25]1967年3月期 単体売上高105億13百万円・経常利益8億33百万円
    • [26]1968年3月期 単体売上高122億58百万円・1969年3月期129億51百万円
    • [27]設立45年後の1968年時点でも売上高は100億円台

あらゆる機会をとらえて新技術と新製品の知識を集めていた高砂熱学工業は、アメリカの企業の支援を受け[28]、1968年に本格的なクリーンルーム第一号となる日本電装クリーンルーム研究棟を施工[29]した。大型建築の実績も重なり、地上40階建てで当時日本で2番目の超高層とされた世界貿易センタービル[30]、東京都港区浜松町の建物などの空調を手がけている。売上高は1970年3月期に196億91百万円へ伸び、前期の129億51百万円から52%増えた[31]。経常利益も5億53百万円から9億64百万円へ拡大[32]している。

  • 高砂熱学工業 コーポレートレポート2025「価値創造の歩み」
    • [28]アメリカ企業の支援による技術導入
    • [29]1968年 本格的なクリーンルーム第一号 日本電装クリーンルーム研究棟を施工
    • [30]世界貿易センタービル(地上40階・東京都港区浜松町・当時日本で2番目の超高層)を施工
  • 会社年鑑 1976年版
    • [31]1970年3月期 単体売上高196億91百万円(前期比52%増)
    • [32]単体経常利益 1969年3月期5億53百万円→1970年3月期9億64百万円
  • 高砂熱学工業 有価証券報告書【沿革】
    • [22]1959年2月 九州出張所開設
    • [23]1967年4月 東北出張所開設
    • [24]九州は1972年4月・東北は1973年4月に支店昇格
  • 会社年鑑 1976年版
    • [25]1967年3月期 単体売上高105億13百万円・経常利益8億33百万円
    • [26]1968年3月期 単体売上高122億58百万円・1969年3月期129億51百万円
    • [27]設立45年後の1968年時点でも売上高は100億円台
    • [31]1970年3月期 単体売上高196億91百万円(前期比52%増)
    • [32]単体経常利益 1969年3月期5億53百万円→1970年3月期9億64百万円
  • 高砂熱学工業 コーポレートレポート2025「価値創造の歩み」
    • [28]アメリカ企業の支援による技術導入
    • [29]1968年 本格的なクリーンルーム第一号 日本電装クリーンルーム研究棟を施工
    • [30]世界貿易センタービル(地上40階・東京都港区浜松町・当時日本で2番目の超高層)を施工

東証二部上場から一部指定替までの4年間

設立から46年後の1969年11月、高砂熱学工業は東京証券取引所の市場第二部へ上場[33]した。1971年11月には大阪証券取引所の市場第二部にも上場[34]し、東西2市場に株式の流通の場を持っている。1973年8月、東京・大阪両取引所の市場第一部へ指定替[35]となり、上場から4年弱で一部上場企業となった。1969年3月期に129億51百万円だった売上高は1973年3月期に313億92百万円へ2.4倍となり[36]、経常利益も5億53百万円から13億93百万円へ拡大[37]している。

  • 高砂熱学工業 有価証券報告書【沿革】
    • [33]1969年11月 東京証券取引所市場第二部へ上場
    • [34]1971年11月 大阪証券取引所市場第二部へ上場
    • [35]1973年8月 東京・大阪両取引所の市場第一部へ指定替
  • 会社年鑑 1976年版
    • [36]単体売上高 1969年3月期129億51百万円→1973年3月期313億92百万円(2.4倍)
    • [37]単体経常利益 1969年3月期5億53百万円→1973年3月期13億93百万円

株式公開を挟んだ時期に、高砂熱学工業は本業の前後の工程を担う会社を相次いで設立し、1972年3月には不動産管理とビル管理を担う日本開発興産を置いた[38]。同社は2021年4月にヒューコス株式会社へ社名を変え、連結子会社として残っている[39]。1972年4月には空調機器を製造する日本ピーマックを[40]、同年9月には日本エスエフを設立した。日本エスエフは1978年4月に日本フレクト株式会社へ社名を変更[41]している。1974年12月には建設業法の改正にともない建設大臣許可(特、般-49)第5708号の許可を受け、以後3年ごとに許可を更新[42]した。

  • 高砂熱学工業 有価証券報告書【沿革】
    • [38]1972年3月 日本開発興産を設立(2021年4月ヒューコスへ社名変更・現連結子会社)
    • [39]日本開発興産は2021年4月にヒューコスへ社名変更し連結子会社として存続
    • [40]1972年4月 日本ピーマックを設立(空調機器製造)
    • [41]1972年9月 日本エスエフを設立(1978年4月 日本フレクトへ社名変更)
    • [42]1974年12月 建設大臣許可(特、般-49)第5708号を取得・以後3年ごとに更新

売上高は1973年3月期の313億92百万円から1974年3月期443億90百万円、1975年3月期546億37百万円へ伸びた[43]。一方で経常利益は1973年3月期の13億93百万円から1974年3月期に9億66百万円へ3割落ち込み[44]、1975年3月期には20億07百万円へ戻している[45]。1976年3月期は売上571億円・経常25億円、1979年3月期は売上770億円・経常15億円[46]で、増収が続くなかで利益だけが上下した。

  • 会社年鑑 1976年版
    • [43]単体売上高 1974年3月期443億90百万円・1975年3月期546億37百万円
    • [44]単体経常利益 1974年3月期9億66百万円(前期13億93百万円から3割減)
    • [45]単体経常利益 1975年3月期20億07百万円
  • 会社年鑑(各年版)
    • [46]単体業績 1976年3月期 売上571億円・経常25億円/1979年3月期 売上770億円・経常15億円
  • 高砂熱学工業 有価証券報告書【沿革】
    • [33]1969年11月 東京証券取引所市場第二部へ上場
    • [34]1971年11月 大阪証券取引所市場第二部へ上場
    • [35]1973年8月 東京・大阪両取引所の市場第一部へ指定替
    • [38]1972年3月 日本開発興産を設立(2021年4月ヒューコスへ社名変更・現連結子会社)
    • [39]日本開発興産は2021年4月にヒューコスへ社名変更し連結子会社として存続
    • [40]1972年4月 日本ピーマックを設立(空調機器製造)
    • [41]1972年9月 日本エスエフを設立(1978年4月 日本フレクトへ社名変更)
    • [42]1974年12月 建設大臣許可(特、般-49)第5708号を取得・以後3年ごとに更新
  • 会社年鑑 1976年版
    • [36]単体売上高 1969年3月期129億51百万円→1973年3月期313億92百万円(2.4倍)
    • [37]単体経常利益 1969年3月期5億53百万円→1973年3月期13億93百万円
    • [43]単体売上高 1974年3月期443億90百万円・1975年3月期546億37百万円
    • [44]単体経常利益 1974年3月期9億66百万円(前期13億93百万円から3割減)
    • [45]単体経常利益 1975年3月期20億07百万円
  • 会社年鑑(各年版)
    • [46]単体業績 1976年3月期 売上571億円・経常25億円/1979年3月期 売上770億円・経常15億円

事務所と商業施設に偏っていた受注構成

当時の高砂熱学工業が何を空調していたかは用途別の内訳に表れ、1975年3月期の売上構成は事務所が29%、商業・娯楽が28%、公共・公益が18%、工場・倉庫が14%、住宅が3%[47]であった。事務所と商業施設だけで6割弱を占める一方、産業空調にあたる工場・倉庫向けは7分の1にとどまっている[48]。1968年に日本電装のクリーンルーム研究棟を施工してから7年[49]が経っていたが、産業向けの空調はまだ主力ではなかった。1975年3月期の単体売上高546億37百万円のうち、工場・倉庫向けはおよそ77億円[50]であった。

  • 会社年鑑 1976年版
    • [47]1975年3月期の用途別売上構成 事務所29%・商業娯楽28%・公共公益18%・工場倉庫14%・住宅3%
    • [48]事務所と商業施設で6割弱・工場倉庫は14%
    • [50]1975年3月期 単体売上高546億37百万円・工場倉庫向けおよそ77億円
  • 高砂熱学工業 コーポレートレポート2025「価値創造の歩み」
    • [49]1968年の日本電装クリーンルーム研究棟の施工から1975年3月期まで7年

受注の取り方にも専業会社としての性格が出ており、1971年に同業の朝日工業社と比較された記録では、空調工事を専門としている高砂熱学工業の官公庁入札の比率は15%程度で、30%内外の朝日工業社の半分[51]であった。設備工事業者は建設会社を得意先とするため、受注の多くは総合建設会社を経由する間接受注[52]となる。海外への足がかりもこの時期に置かれ、1974年にシンガポール駐在事務所を開設し、続いてマカオ出張所と香港出張所を設けている[53]

    • [51]1971年時点 高砂熱学工業の官公庁入札比率15%程度(朝日工業社は30%内外)
    • [52]設備工事業者は建設会社を得意先とし総合建設会社経由の間接受注が中心
  • 高砂熱学工業 コーポレートレポート2025「価値創造の歩み」
    • [53]1974年 シンガポール駐在事務所・マカオ出張所・香港出張所を開設

駐在事務所の設置から6年を経た1980年4月、高砂熱学工業は海外事業本部を開設[54]した。国境を越えて自社の技術を海外へ持ち出すための組織[55]で、現在の国際グループ事業部にあたる[56]。同年11月にはマレーシアでT.T.E.エンジニアリング(マレーシア)Sdn.Bhd.を設立[57]している。単体売上高が800億円台に届いた段階での海外拠点づくりで、1980年3月期の売上高は809億円、1983年3月期は845億円[58]であった。

  • 高砂熱学工業 有価証券報告書【沿革】
    • [54]1980年4月 海外事業本部を開設(現・国際グループ事業部)
    • [56]海外事業本部は現・国際グループ事業部
    • [57]1980年11月 T.T.E.エンジニアリング(マレーシア)Sdn.Bhd.を設立
  • 高砂熱学工業 コーポレートレポート2025「価値創造の歩み」
    • [55]1980年の海外事業本部設置は技術の海外持ち出しを担う組織
  • 会社年鑑(各年版)
    • [58]単体売上高 1980年3月期809億円・1983年3月期845億円
  • 会社年鑑 1976年版
    • [47]1975年3月期の用途別売上構成 事務所29%・商業娯楽28%・公共公益18%・工場倉庫14%・住宅3%
    • [48]事務所と商業施設で6割弱・工場倉庫は14%
    • [50]1975年3月期 単体売上高546億37百万円・工場倉庫向けおよそ77億円
  • 高砂熱学工業 コーポレートレポート2025「価値創造の歩み」
    • [49]1968年の日本電装クリーンルーム研究棟の施工から1975年3月期まで7年
    • [53]1974年 シンガポール駐在事務所・マカオ出張所・香港出張所を開設
    • [55]1980年の海外事業本部設置は技術の海外持ち出しを担う組織
    • [51]1971年時点 高砂熱学工業の官公庁入札比率15%程度(朝日工業社は30%内外)
    • [52]設備工事業者は建設会社を得意先とし総合建設会社経由の間接受注が中心
  • 高砂熱学工業 有価証券報告書【沿革】
    • [54]1980年4月 海外事業本部を開設(現・国際グループ事業部)
    • [56]海外事業本部は現・国際グループ事業部
    • [57]1980年11月 T.T.E.エンジニアリング(マレーシア)Sdn.Bhd.を設立
  • 会社年鑑(各年版)
    • [58]単体売上高 1980年3月期809億円・1983年3月期845億円

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高砂熱学工業の沿革1923〜2023年における主な出来事を抜粋

時代年月社長・CEO出来事重要度
1923〜1955年煖房工事会社として発足し冷凍機の国産化へ進んだ戦前・戦後復興期高砂煖房工事として設立
高砂熱学工業に商号変更
大阪支店開設
建設業法による建設大臣登録(イ)第558号を完了
札幌出張所開設
名古屋出張所開設
1956〜1983年クリーンルームへの参入と株式公開を挟んだ高度成長期の事業拡大九州出張所開設
東北出張所開設
東京証券取引所市場第二部に上場
大阪証券取引所市場第二部に上場
日本開発興産を設立
日本ピーマックを設立
日本エスエフを設立
東京証券取引所・大阪証券取引所の市場第一部に指定替
海外事業本部開設★★
T.T.E.エンジニアリングSdn.Bhd.を設立
1984〜2009年総合研究所の新設と、半導体・電池が呼び込んだ精密環境技術の時代タイタカサゴCo.,Ltd.を設立
総合研究所新設
横浜支店開設
関東支店開設
高砂熱学工業有限公司を設立
タカサゴフィリピンInc.を設立
高砂メンテナンスを設立
高砂建築工程(北京)有限公司を設立
石田栄一タカサゴシンガポールPte.Ltd.を設立
石田栄一タカサゴベトナムCo.,Ltd.を設立
石田栄一日本フレクトを子会社化
2010〜2026年産業空調への傾斜とクリーンルーム技術の内製化が変えた収益構造大内厚丸誠を子会社化★★
大内厚タカサゴエンジニアリングインディアPvt.Ltd.を設立
大内厚ヤマトと業務・資本提携契約を締結★★
大内厚空調専業としての「熱学」特化とクリーンルーム技術の内製化

1984年の総合研究所新設で技術蓄積の基盤を固めた高砂熱学工業が、2015年にインドのICT社へ出資し、2017年11月に同社を連結子会社化してクリーンルーム技術を自社グループへ取り込んだ経営判断。専業に徹したまま技術を内製化する路線をとった。

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大内厚清田工業を子会社化
小島和人高砂熱学イノベーションセンター開設
小島和人Autodesk Inc.と業務連携契約を締結発表
小島和人石狩厚田グリーンエネルギーを設立★★
小島和人監査等委員会設置会社へ移行
出典・参考
  • 高砂熱学工業 有価証券報告書【沿革】
  • 高砂熱学工業 コーポレートレポート2025「価値創造の歩み」
  • 会社年鑑 1976年版
  • 会社年鑑(各年版)
  • 証券 1971年23巻4号

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