高砂熱学工業は1923年11月16日、旧高砂工業株式会社の煖房工事部の権利義務の一切を継承[1]し、高砂煖房工事株式会社として設立された[2]。創立以来の本業は空調設備工事とその周辺分野[3]に置かれ、設計・施工から機器の開発・運用までが事業の範囲となった。設立の翌1924年には、わが国の個人住宅冷房第1号といわれる邸宅の温湿度調整装置[4]を施工している。1927年には、日本初の完全冷暖房劇場として話題を集めた三越ホール[5]、現在の三越劇場の冷暖房を手がけた。1932年にはわが国最初のヒートポンプによる冷暖房設備を完成[6]させている。
『冷たい空気』をつくるために欠かせない大型冷凍機は、当時はすべて輸入品で、本体に加えて輸送費や技術者の出張費まで[7]かかる高額な設備であった。この費用構造を変えるため、初代社長となる柳町政之助氏は渡米し[8]、長年にわたる研究を重ねて国産第一号の『高砂荏原式ターボ冷凍機』[9]を開発した。冷凍機に続いて国産初のヒートポンプ冷暖房設備と工業用冷却塔[10]も自社で開発している。1940年にはマイナス75度の超低温装置と超低温ターボ冷凍機を開発して納入[11]し、扱う温度域を建物の居室から超低温まで広げた。
1943年7月、社名を高砂煖房工事株式会社から高砂熱学工業株式会社へ改称[12]した。この社名は2026年時点まで変わっていない。戦後の再出発では拠点の配置が先に立ち、1949年3月に大阪支店を開設[13]している。現在の関西支店にあたる拠点[14]である。同年10月には建設業法による建設大臣登録(イ)第558号の登録を完了し、以後2年ごとに登録を更新[15]した。1952年3月には札幌出張所[16]、同年8月には名古屋出張所を置き、札幌は1968年4月に、名古屋は1959年3月にそれぞれ支店へ昇格[17]している。
高度経済成長期への突入とともに手がける工事は大型化[18]し、東京・八重洲の第一鉄鋼ビル、東京駅八重洲口の鉄道会館、渋谷東急会館[19]など、都心の大型建築の冷暖房を数多く施工している。国内の生産現場と医療現場では空気の清浄化や無塵化を求める声が高まり、高砂熱学工業はクリーンルームの黎明期からこの分野へ参入[20]した。戦後は海外との交流も復活し、同社はあらゆる機会をとらえて新技術と新製品の知識収集[21]にあたっている。
支店網の整備は高度成長期にも続き、1959年2月に九州出張所[22]、1967年4月に東北出張所を開設[23]した。九州は1972年4月に、東北は1973年4月にそれぞれ支店へ昇格[24]している。この時期の規模を単体の数字で見ると、1967年3月期の売上高は105億13百万円、経常利益は8億33百万円[25]であった。1968年3月期は売上高122億58百万円、1969年3月期は129億51百万円[26]と、年1割前後の増収が続いている。設立から45年を経た時点でも、売上高はまだ100億円台[27]であった。
あらゆる機会をとらえて新技術と新製品の知識を集めていた高砂熱学工業は、アメリカの企業の支援を受け[28]、1968年に本格的なクリーンルーム第一号となる日本電装クリーンルーム研究棟を施工[29]した。大型建築の実績も重なり、地上40階建てで当時日本で2番目の超高層とされた世界貿易センタービル[30]、東京都港区浜松町の建物などの空調を手がけている。売上高は1970年3月期に196億91百万円へ伸び、前期の129億51百万円から52%増えた[31]。経常利益も5億53百万円から9億64百万円へ拡大[32]している。
設立から46年後の1969年11月、高砂熱学工業は東京証券取引所の市場第二部へ上場[33]した。1971年11月には大阪証券取引所の市場第二部にも上場[34]し、東西2市場に株式の流通の場を持っている。1973年8月、東京・大阪両取引所の市場第一部へ指定替[35]となり、上場から4年弱で一部上場企業となった。1969年3月期に129億51百万円だった売上高は1973年3月期に313億92百万円へ2.4倍となり[36]、経常利益も5億53百万円から13億93百万円へ拡大[37]している。
株式公開を挟んだ時期に、高砂熱学工業は本業の前後の工程を担う会社を相次いで設立し、1972年3月には不動産管理とビル管理を担う日本開発興産を置いた[38]。同社は2021年4月にヒューコス株式会社へ社名を変え、連結子会社として残っている[39]。1972年4月には空調機器を製造する日本ピーマックを[40]、同年9月には日本エスエフを設立した。日本エスエフは1978年4月に日本フレクト株式会社へ社名を変更[41]している。1974年12月には建設業法の改正にともない建設大臣許可(特、般-49)第5708号の許可を受け、以後3年ごとに許可を更新[42]した。
売上高は1973年3月期の313億92百万円から1974年3月期443億90百万円、1975年3月期546億37百万円へ伸びた[43]。一方で経常利益は1973年3月期の13億93百万円から1974年3月期に9億66百万円へ3割落ち込み[44]、1975年3月期には20億07百万円へ戻している[45]。1976年3月期は売上571億円・経常25億円、1979年3月期は売上770億円・経常15億円[46]で、増収が続くなかで利益だけが上下した。
当時の高砂熱学工業が何を空調していたかは用途別の内訳に表れ、1975年3月期の売上構成は事務所が29%、商業・娯楽が28%、公共・公益が18%、工場・倉庫が14%、住宅が3%[47]であった。事務所と商業施設だけで6割弱を占める一方、産業空調にあたる工場・倉庫向けは7分の1にとどまっている[48]。1968年に日本電装のクリーンルーム研究棟を施工してから7年[49]が経っていたが、産業向けの空調はまだ主力ではなかった。1975年3月期の単体売上高546億37百万円のうち、工場・倉庫向けはおよそ77億円[50]であった。
受注の取り方にも専業会社としての性格が出ており、1971年に同業の朝日工業社と比較された記録では、空調工事を専門としている高砂熱学工業の官公庁入札の比率は15%程度で、30%内外の朝日工業社の半分[51]であった。設備工事業者は建設会社を得意先とするため、受注の多くは総合建設会社を経由する間接受注[52]となる。海外への足がかりもこの時期に置かれ、1974年にシンガポール駐在事務所を開設し、続いてマカオ出張所と香港出張所を設けている[53]。
駐在事務所の設置から6年を経た1980年4月、高砂熱学工業は海外事業本部を開設[54]した。国境を越えて自社の技術を海外へ持ち出すための組織[55]で、現在の国際グループ事業部にあたる[56]。同年11月にはマレーシアでT.T.E.エンジニアリング(マレーシア)Sdn.Bhd.を設立[57]している。単体売上高が800億円台に届いた段階での海外拠点づくりで、1980年3月期の売上高は809億円、1983年3月期は845億円[58]であった。
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|---|---|---|---|---|
| 1923〜1955年煖房工事会社として発足し冷凍機の国産化へ進んだ戦前・戦後復興期 | 高砂煖房工事として設立 | ★ | ||
| 高砂熱学工業に商号変更 | ★ | |||
| 大阪支店開設 | ★ | |||
| 建設業法による建設大臣登録(イ)第558号を完了 | ★ | |||
| 札幌出張所開設 | ★ | |||
| 名古屋出張所開設 | ★ | |||
| 1956〜1983年クリーンルームへの参入と株式公開を挟んだ高度成長期の事業拡大 | 九州出張所開設 | ★ | ||
| 東北出張所開設 | ★ | |||
| 東京証券取引所市場第二部に上場 | ★ | |||
| 大阪証券取引所市場第二部に上場 | ★ | |||
| 日本開発興産を設立 | ★ | |||
| 日本ピーマックを設立 | ★ | |||
| 日本エスエフを設立 | ★ | |||
| 東京証券取引所・大阪証券取引所の市場第一部に指定替 | ★ | |||
| 海外事業本部開設 | ★★ | |||
| T.T.E.エンジニアリングSdn.Bhd.を設立 | ★ | |||
| 1984〜2009年総合研究所の新設と、半導体・電池が呼び込んだ精密環境技術の時代 | タイタカサゴCo.,Ltd.を設立 | ★ | ||
| 総合研究所新設 | ★ | |||
| 横浜支店開設 | ★ | |||
| 関東支店開設 | ★ | |||
| 高砂熱学工業有限公司を設立 | ★ | |||
| タカサゴフィリピンInc.を設立 | ★ | |||
| 高砂メンテナンスを設立 | ★ | |||
| 高砂建築工程(北京)有限公司を設立 | ★ | |||
| 石田栄一 | タカサゴシンガポールPte.Ltd.を設立 | ★ | ||
| 石田栄一 | タカサゴベトナムCo.,Ltd.を設立 | ★ | ||
| 石田栄一 | 日本フレクトを子会社化 | ★ | ||
| 2010〜2026年産業空調への傾斜とクリーンルーム技術の内製化が変えた収益構造 | 大内厚 | 丸誠を子会社化 | ★★ | |
| 大内厚 | タカサゴエンジニアリングインディアPvt.Ltd.を設立 | ★ | ||
| 大内厚 | ヤマトと業務・資本提携契約を締結 | ★★ | ||
| 大内厚 | 空調専業としての「熱学」特化とクリーンルーム技術の内製化 1984年の総合研究所新設で技術蓄積の基盤を固めた高砂熱学工業が、2015年にインドのICT社へ出資し、2017年11月に同社を連結子会社化してクリーンルーム技術を自社グループへ取り込んだ経営判断。専業に徹したまま技術を内製化する路線をとった。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 大内厚 | 清田工業を子会社化 | ★ | ||
| 小島和人 | 高砂熱学イノベーションセンター開設 | ★ | ||
| 小島和人 | Autodesk Inc.と業務連携契約を締結発表 | ★ | ||
| 小島和人 | 石狩厚田グリーンエネルギーを設立 | ★★ | ||
| 小島和人 | 監査等委員会設置会社へ移行 | ★ |
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事実根拠:出所(高砂熱学工業)