住友林業:住友林業の発足と分譲住宅事業への参入
1948年〜7年で住友林業へ再結集した「分離→段階合流」の系譜
住友林業の山林経営は、住友家が開坑した別子銅山(愛媛県)へ、坑木と精錬用薪炭を自給する事業として始まった。本格的な林業へ乗り出したのは明治維新以後で、経営面積を約2万町歩へ広げ、近代的な林業技術による大規模な人工造林に着手した。1894年には住友本店林業所が設置され、当時の林業所長だった伊庭貞剛氏が、銅山の煙害で荒地化した別子山地への植林を組織的に進めた。1917年ごろからは九州・北海道・朝鮮でも林野の買収と直営を進め、住友合資の設立と同時に林業所を置いて造林計画を立て、経営面積は12万町歩余に達した。委託経営を含めた戦前の総経営面積は14万町歩に及び、太平洋戦争中はジャワ・スマトラ・ボルネオへも進出したが、終戦で朝鮮と南方の事業を失った。
- 会社銀行八十年史 2篇 日本会社史(東洋経済新報社、1955年)「住友林業」の項
- [1]別子銅山の開坑と同時に精錬用薪炭・坑木の自給を図ったのが林業の起こり
- [2]明治維新以後に経営面積を約2万町歩へ拡張、近代的林業技術で大規模な人工造林に着手
- [3]1917年ごろからの九州・北海道・朝鮮での林野買収、住友合資への林業所設置、経営面積12万町歩余
- [4]委託経営を含む戦前の総経営面積 14万町歩
- [5]太平洋戦争中のジャワ・スマトラ・ボルネオ進出と、終戦による朝鮮・南方事業の喪失
1948年2月、持株会社整理委員会の指定で住友本社が解体され、同社が保有していた山林経営は四国林業・九州農林・北海農林・扶桑林業・兵庫林業・東海農林の地域別6社に分離された。企業再建整備法に基づいて住友本社の林業部門を継承した6社は、それぞれが所有山林の経営を始めている。同年12月には扶桑林業・兵庫林業・東海農林の3社が合併して扶桑農林が設立され、分離からわずか10か月で最初の再結集が始まった。1951年2月には扶桑農林・九州農林・北海農林の3社が合併して東邦農林となり、本州・九州・北海道の山林経営が一法人にまとまった。東邦農林の資本金は1,350万円で、のちに6,000万円へ積み増している。
- 住友林業 有価証券報告書【沿革】
- [6]1948年2月 持株会社整理委員会の指定で住友本社が解体、山林経営を地域別6社へ分割
- [7]分割6社=四国林業・九州農林・北海農林・扶桑林業・兵庫林業・東海農林
- [9]1948年12月 扶桑林業・兵庫林業・東海農林の3社合併で扶桑農林を設立
- [10]1951年2月 扶桑農林・九州農林・北海農林の3社合併で東邦農林を設立
- 会社銀行八十年史 2篇 日本会社史(東洋経済新報社、1955年)「住友林業」の項
- [8]企業再建整備法に基づき住友本社の林業部門を継承した6社が、それぞれ所有山林の経営を開始
- [11]東邦農林の資本金 1,350万円(増資後6,000万円)
1955年2月、四国林業と東邦農林が合併し、住友林業株式会社が大阪市本店で発足した。合併時の資本金は2億1,000万円で、四国林業は増資後の1億5,000万円を持ち寄っている。財閥解体による分離から7年、地域単位の中間統合を2度経由して6社が1社へ戻った。新会社は山林経営と国内材の集荷販売を主たる事業として始動し、経営山林面積は北海道1万4,000町歩・四国1万9,000町歩・九州8,000町歩の計4万1,000町歩余、その蓄積は1,100万石に達した。戦後は木材商事部門にも進出し、大阪・四国・九州・東海・北海道の5支店に営業所・出張所を加えたほぼ全国の集荷販売機構を持ち、年間木材取扱高は約100万石、総売上高は約20億円となった。
- 住友林業 有価証券報告書【沿革】
- [12]1955年2月 四国林業と東邦農林が合併し住友林業株式会社が大阪市本店で発足
- [14]1948年2月の6社分離から1955年2月の1社統合まで7年、中間統合は扶桑農林(1948年12月)・東邦農林(1951年2月)の2回
- 会社銀行八十年史 2篇 日本会社史(東洋経済新報社、1955年)「住友林業」の項
- [13]合併時の資本金 2億1,000万円(四国林業は増資後資本金1億5,000万円)
- [15]1955年時点の経営山林面積 北海道1万4,000町歩・四国1万9,000町歩・九州8,000町歩の計4万1,000町歩余、蓄積1,100万石
- [16]1955年時点で大阪・四国・九州・東海・北海道の5支店を軸とする集荷販売機構、年間木材取扱高約100万石・総売上高約20億円
- [17]1955年時点の年間木材取扱高 約100万石・総売上高 約20億円
参考文献[1]-[17]
- [1]別子銅山の開坑と同時に精錬用薪炭・坑木の自給を図ったのが林業の起こり
- [2]明治維新以後に経営面積を約2万町歩へ拡張、近代的林業技術で大規模な人工造林に着手
- [3]1917年ごろからの九州・北海道・朝鮮での林野買収、住友合資への林業所設置、経営面積12万町歩余
- [4]委託経営を含む戦前の総経営面積 14万町歩
- [5]太平洋戦争中のジャワ・スマトラ・ボルネオ進出と、終戦による朝鮮・南方事業の喪失
- [8]企業再建整備法に基づき住友本社の林業部門を継承した6社が、それぞれ所有山林の経営を開始
- [11]東邦農林の資本金 1,350万円(増資後6,000万円)
- [13]合併時の資本金 2億1,000万円(四国林業は増資後資本金1億5,000万円)
- [15]1955年時点の経営山林面積 北海道1万4,000町歩・四国1万9,000町歩・九州8,000町歩の計4万1,000町歩余、蓄積1,100万石
- [16]1955年時点で大阪・四国・九州・東海・北海道の5支店を軸とする集荷販売機構、年間木材取扱高約100万石・総売上高約20億円
- [17]1955年時点の年間木材取扱高 約100万石・総売上高 約20億円
- 住友林業 有価証券報告書【沿革】
- [6]1948年2月 持株会社整理委員会の指定で住友本社が解体、山林経営を地域別6社へ分割
- [7]分割6社=四国林業・九州農林・北海農林・扶桑林業・兵庫林業・東海農林
- [9]1948年12月 扶桑林業・兵庫林業・東海農林の3社合併で扶桑農林を設立
- [10]1951年2月 扶桑農林・九州農林・北海農林の3社合併で東邦農林を設立
- [12]1955年2月 四国林業と東邦農林が合併し住友林業株式会社が大阪市本店で発足
- [14]1948年2月の6社分離から1955年2月の1社統合まで7年、中間統合は扶桑農林(1948年12月)・東邦農林(1951年2月)の2回
1956年〜山林会社から「木材建材+住宅事業」二本柱への転換
再統合直後の住友林業は山林経営と国内材の仕入販売で出発したが、1956年10月には外材輸入業務に着手し、アメリカ・フィリピン・インドネシアからの調達を始めた。合板・加工合板・窯業建材・プラスチック建材・金属建材といった新しい建築資材が出回りはじめたのを受けて1961年3月に建材課を設け、1962年2月には建材の取り扱いを開始した。1964年3月にはスミリン合板工業株式会社を設立して住宅資材の製造事業に着手し、仕入れて売る商社機能に、自ら作る製造機能を重ねた。建材部門はのちに、石膏ボード・アルミサッシ・流し台・洗面台・浴槽まで、住宅に使う建築資材のすべてを対象とする部門へ広がった。
- 住友林業 有価証券報告書【沿革】
- [18]1956年10月 外材輸入業務に着手
- [21]1962年2月 建材の取り扱いを開始
- [22]1964年3月 スミリン合板工業株式会社を設立し住宅資材製造事業に着手
- 証券アナリストジャーナル 1990年12月14日 企業分析部会講演要旨(大西和男 住友林業社長)
- [19]外材輸入の調達先はアメリカ・フィリピン・インドネシア
- [20]1961年3月 新建材の登場を受けて建材課を新設
- [23]建材部門の取扱品目は石膏ボード・アルミサッシ・流し台・洗面台・浴槽など住宅用建築資材のすべて(1990年時点)
同じ1964年9月、住友林業はスミリン土地株式会社(現在の住友林業ホームサービス)を設立して分譲住宅事業に進出し、木材建材と並ぶもう一本の柱をここで立てた。新設住宅着工戸数は1960年の42万戸から1972年の186万戸まで4倍以上に拡大しており、自社が扱う木材・建材の出口を住宅として内部に確保する狙いがあった。1970年5月には大阪証券取引所市場第二部に株式を上場し、1972年2月には大証1部へ指定替えとなった。1990年11月30日には東京証券取引所市場第一部へ上場している。
- 住友林業 有価証券報告書【沿革】
- [24]1964年9月 スミリン土地株式会社(現:住友林業ホームサービス)を設立し分譲住宅事業に進出
- [25]1970年5月 大阪証券取引所市場第二部に上場
- [26]1972年2月 大証1部へ指定替え
- [27]1990年11月 東京証券取引所市場第一部へ上場
- 証券アナリストジャーナル 1990年12月14日 企業分析部会講演要旨(大西和男 住友林業社長)
- [28]東証1部への上場日は1990年11月30日
参考文献[18]-[28]
- 住友林業 有価証券報告書【沿革】
- [18]1956年10月 外材輸入業務に着手
- [21]1962年2月 建材の取り扱いを開始
- [22]1964年3月 スミリン合板工業株式会社を設立し住宅資材製造事業に着手
- [24]1964年9月 スミリン土地株式会社(現:住友林業ホームサービス)を設立し分譲住宅事業に進出
- [25]1970年5月 大阪証券取引所市場第二部に上場
- [26]1972年2月 大証1部へ指定替え
- [27]1990年11月 東京証券取引所市場第一部へ上場
- [19]外材輸入の調達先はアメリカ・フィリピン・インドネシア
- [20]1961年3月 新建材の登場を受けて建材課を新設
- [23]建材部門の取扱品目は石膏ボード・アルミサッシ・流し台・洗面台・浴槽など住宅用建築資材のすべて(1990年時点)
- [28]東証1部への上場日は1990年11月30日
1970年〜土地で負った損失と、資源を自前で持つためのインドネシア進出
地価が急騰していた1970年、住友林業は不動産事業に乗り出し、仕入れた土地に住宅を建てれば利益が見込める局面に入った。業績も伸び、売上高は1970年9月期の567億円が1973年9月期には948億円となり、経常利益は10億円から43億円に増えた。しかし1972年に地価が暴落すると、大量の購入は控えていたにもかかわらず、痛手は4〜5年にわたって尾を引いたという。ところが第一次石油ショックを挟んだ1974年9月期は、売上高1,274億円に対し経常利益が12億円にとどまった。1975年9月期には売上高1,044億円に対し経常利益3億円まで低下している。木材の市況と土地の値動きという二つの相場に収益が振られる状態から、住友林業は土地を持たない事業へ構えを移していった。
- 日経ビジネス 1993年3月29日号
- [29]1970年の土地ブーム期に不動産事業を開始、1972年の地価暴落で4〜5年影響が残った
- [30]1970年の土地ブーム期に不動産事業を開始、1972年の地価暴落で4〜5年影響が残った
- [32]1970年の土地ブーム期に不動産事業を開始、1972年の地価暴落で4〜5年影響が残った
- 会社年鑑(1976年版)
- [31]1970年9月期 売上高567億円・経常利益10億円、1973年9月期 売上高948億円・経常利益43億円
- [33]1974年9月期 売上高1,274億円・経常利益12億円、1975年9月期 売上高1,044億円・経常利益3億円
- [34]1974年9月期 売上高1,274億円・経常利益12億円、1975年9月期 売上高1,044億円・経常利益3億円
1970年9月、住友林業はインドネシアの現地資本カルティメクス・ジャヤと合弁でクタイ・ティンバー・インドネシアを設立した。資本金は20億7,500万ルピア、出資比率は住友林業65%・カルティメクス・ジャヤ35%である。日本全体が資源確保に走り出す少し前の進出で、相前後して進出した三菱商事と並ぶ早さだった。戦時中に日本軍の依頼でインドネシアの森林管理にあたった経緯があり、現地の事情に通じていたことも下地になっている。林区は東カリマンタンのスブル地区に5万ヘクタールを得て、政府は年間10万2,000立方メートルの伐採を許可した。同じ月には浜田産業の株式の過半数も取得しており、外材を買う立場から、山を持って伐り出す立場へ移る手を国内外で同時に打った。
- 住友林業 有価証券報告書【沿革】
- [35]1970年9月 PT. Kutai Timber Indonesiaを設立
- [40]1970年9月 浜田産業の株式の過半数を取得
- 日経ビジネス(1976年7月5日号 165号 p84-86)
- [36]クタイ・ティンバーの資本金20億7,500万ルピア・出資比率65%、三菱商事と相前後する早期進出、戦時中の森林管理の経緯、スブル地区の林区5万ヘクタールと年間10万2,000立方メートルの伐採許可
- [37]クタイ・ティンバーの資本金20億7,500万ルピア・出資比率65%、三菱商事と相前後する早期進出、戦時中の森林管理の経緯、スブル地区の林区5万ヘクタールと年間10万2,000立方メートルの伐採許可
- [38]クタイ・ティンバーの資本金20億7,500万ルピア・出資比率65%、三菱商事と相前後する早期進出、戦時中の森林管理の経緯、スブル地区の林区5万ヘクタールと年間10万2,000立方メートルの伐採許可
- [39]クタイ・ティンバーの資本金20億7,500万ルピア・出資比率65%、三菱商事と相前後する早期進出、戦時中の森林管理の経緯、スブル地区の林区5万ヘクタールと年間10万2,000立方メートルの伐採許可
インドネシア政府は森林開発で国内に落ちる付加価値を増やそうと木材加工業を後押ししており、原木の確保を目的とした合弁会社クタイも加工にまで参入することになった。その約束を果たすための設備として、クタイは東部ジャワのプロボリンゴに合板工場を建てた。だが当時の現地では合板がほとんど売れず、米国は台湾・韓国が先に押さえ、欧州は参入の条件が厳しかった。日本向けも、20%の合板関税を原価の引き下げで吸収しきれなかった。八方が塞がったところへ、計画を知った現地資本が先に工場を建てて国内需要の開拓を始め、住友林業もこれに追随して内需重視へ転じた。1976年3月期には製品の100%が内需向けとなり、売上高は40億ルピアを超えている。長期的な木材資源の確保という1979年の経営の重点は、買い付けではなく現地に工場を置いて進んだ。
- 日経ビジネス(1976年7月5日号 165号 p84-86)
- [41]インドネシア政府が国内の付加価値を高めるため木材加工業を奨励し、クタイは政府との約束を守るためプロボリンゴに合板工場を建設
- [42]インドネシア政府が国内の付加価値を高めるため木材加工業を奨励し、クタイは政府との約束を守るためプロボリンゴに合板工場を建設
- [43]輸出先の検討で米国は台湾・韓国の先発組が競合、欧州は進出条件が厳しく、日本向けは合板関税率20%の壁
- [44]輸出先の検討で米国は台湾・韓国の先発組が競合、欧州は進出条件が厳しく、日本向けは合板関税率20%の壁
- [45]輸出先の検討で米国は台湾・韓国の先発組が競合、欧州は進出条件が厳しく、日本向けは合板関税率20%の壁
- [46]現地資本が先行して合板工場を建設し国内需要を開拓、住友林業も内需重視へ転換
- [47]1976年3月期のクタイ売上高40億ルピア超、製品の100%が内需向け
- 日本企業要覧 1979年版「住友林業」
- [48]1979年時点の会社概況は長期的な木材資源の確保・住宅資材の安定供給を経営の重点に掲げる
1975年10月、住友林業はスミリン住宅販売を東京と大阪に設立し、本格的に注文住宅事業へ進出した。第一次石油ショックの直後で立ち上がりは苦しく、日本の気候風土には木造住宅が最も適しているという判断が出発点にあった。長く木を扱ってきた蓄積があれば良いものを作れるという自信と、近代的な工法で原価を下げれば大きな事業になるという読みが動機である。ただし年間2,000戸を建てなければ黒字にはならないと当初から試算しており、実際に年間千数百戸へ届くまでの4〜5年は赤字が続いた。顧客からの注文を工務店へ丸投げして建てていたため苦情も多く、社員が住宅建設の要領を身につけるまでの3年ほどが最も苦しい時期となった。1979年9月期の売上構成は国内材27%・外材26%・建材40%で、住宅はまだ数字に現れる規模ではなかった。
- 住友林業 有価証券報告書【沿革】
- [49]1975年10月 スミリン住宅販売を東京と大阪に設立し注文住宅事業を開始
- 日経ビジネス 1992年10月19日号
- [50]注文住宅への進出は1975年、第1次石油ショック直後で立ち上がりに苦労、日本の気候風土には木造住宅が最も適しているという信念に基づく
- [51]注文住宅への進出は1975年、第1次石油ショック直後で立ち上がりに苦労、日本の気候風土には木造住宅が最も適しているという信念に基づく
- 日経ビジネス 1993年3月29日号
- [52]年間2,000戸を建てないと黒字化しないとの試算、年間千数百戸に届くまでの4〜5年は赤字、工務店への丸投げによる苦情と社員がノウハウを吸収するまでの3年が最も苦しい時期
- [53]年間2,000戸を建てないと黒字化しないとの試算、年間千数百戸に届くまでの4〜5年は赤字、工務店への丸投げによる苦情と社員がノウハウを吸収するまでの3年が最も苦しい時期
- [54]年間2,000戸を建てないと黒字化しないとの試算、年間千数百戸に届くまでの4〜5年は赤字、工務店への丸投げによる苦情と社員がノウハウを吸収するまでの3年が最も苦しい時期
- 日本企業要覧 1979年版「住友林業」
- [55]1979年時点の事業内容の構成は国内材27%・外材26%・建材40%・その他
参考文献[29]-[55]
- 日経ビジネス 1993年3月29日号
- [29]1970年の土地ブーム期に不動産事業を開始、1972年の地価暴落で4〜5年影響が残った
- [30]1970年の土地ブーム期に不動産事業を開始、1972年の地価暴落で4〜5年影響が残った
- [32]1970年の土地ブーム期に不動産事業を開始、1972年の地価暴落で4〜5年影響が残った
- [52]年間2,000戸を建てないと黒字化しないとの試算、年間千数百戸に届くまでの4〜5年は赤字、工務店への丸投げによる苦情と社員がノウハウを吸収するまでの3年が最も苦しい時期
- [53]年間2,000戸を建てないと黒字化しないとの試算、年間千数百戸に届くまでの4〜5年は赤字、工務店への丸投げによる苦情と社員がノウハウを吸収するまでの3年が最も苦しい時期
- [54]年間2,000戸を建てないと黒字化しないとの試算、年間千数百戸に届くまでの4〜5年は赤字、工務店への丸投げによる苦情と社員がノウハウを吸収するまでの3年が最も苦しい時期
- 会社年鑑(1976年版)
- [31]1970年9月期 売上高567億円・経常利益10億円、1973年9月期 売上高948億円・経常利益43億円
- [33]1974年9月期 売上高1,274億円・経常利益12億円、1975年9月期 売上高1,044億円・経常利益3億円
- [34]1974年9月期 売上高1,274億円・経常利益12億円、1975年9月期 売上高1,044億円・経常利益3億円
- 住友林業 有価証券報告書【沿革】
- [35]1970年9月 PT. Kutai Timber Indonesiaを設立
- [40]1970年9月 浜田産業の株式の過半数を取得
- [49]1975年10月 スミリン住宅販売を東京と大阪に設立し注文住宅事業を開始
- 日経ビジネス(1976年7月5日号 165号 p84-86)
- [36]クタイ・ティンバーの資本金20億7,500万ルピア・出資比率65%、三菱商事と相前後する早期進出、戦時中の森林管理の経緯、スブル地区の林区5万ヘクタールと年間10万2,000立方メートルの伐採許可
- [37]クタイ・ティンバーの資本金20億7,500万ルピア・出資比率65%、三菱商事と相前後する早期進出、戦時中の森林管理の経緯、スブル地区の林区5万ヘクタールと年間10万2,000立方メートルの伐採許可
- [38]クタイ・ティンバーの資本金20億7,500万ルピア・出資比率65%、三菱商事と相前後する早期進出、戦時中の森林管理の経緯、スブル地区の林区5万ヘクタールと年間10万2,000立方メートルの伐採許可
- [39]クタイ・ティンバーの資本金20億7,500万ルピア・出資比率65%、三菱商事と相前後する早期進出、戦時中の森林管理の経緯、スブル地区の林区5万ヘクタールと年間10万2,000立方メートルの伐採許可
- [41]インドネシア政府が国内の付加価値を高めるため木材加工業を奨励し、クタイは政府との約束を守るためプロボリンゴに合板工場を建設
- [42]インドネシア政府が国内の付加価値を高めるため木材加工業を奨励し、クタイは政府との約束を守るためプロボリンゴに合板工場を建設
- [43]輸出先の検討で米国は台湾・韓国の先発組が競合、欧州は進出条件が厳しく、日本向けは合板関税率20%の壁
- [44]輸出先の検討で米国は台湾・韓国の先発組が競合、欧州は進出条件が厳しく、日本向けは合板関税率20%の壁
- [45]輸出先の検討で米国は台湾・韓国の先発組が競合、欧州は進出条件が厳しく、日本向けは合板関税率20%の壁
- [46]現地資本が先行して合板工場を建設し国内需要を開拓、住友林業も内需重視へ転換
- [47]1976年3月期のクタイ売上高40億ルピア超、製品の100%が内需向け
- 日本企業要覧 1979年版「住友林業」
- [48]1979年時点の会社概況は長期的な木材資源の確保・住宅資材の安定供給を経営の重点に掲げる
- [55]1979年時点の事業内容の構成は国内材27%・外材26%・建材40%・その他
- 日経ビジネス 1992年10月19日号
- [50]注文住宅への進出は1975年、第1次石油ショック直後で立ち上がりに苦労、日本の気候風土には木造住宅が最も適しているという信念に基づく
- [51]注文住宅への進出は1975年、第1次石油ショック直後で立ち上がりに苦労、日本の気候風土には木造住宅が最も適しているという信念に基づく
筆者考察
財閥解体が住友林業から奪ったのは組織であって、山ではなかった。持株会社整理委員会が1948年2月に住友本社を割ったとき、四国・九州・北海道に散った山林はそれぞれの新会社の手元に残り、動かしようがないまま同じ場所で育ち続けた。ヒノキが伐り頃になるまでには数十年がかかる。その時間の尺度から見れば、6社への分離も、扶桑農林・東邦農林を経て1955年に1社へ戻るまでの7年も、木の一生の途中に過ぎない。再統合が地域単位の中間統合を2度も経由しながら滞りなく進んだ背景には、分けられた資産が動かず、腐らず、待てるものだったという性質がある。
山を持つ会社が木材商社になり、住宅会社になった順序は、手元の資源が足りなくなった順序と重なっている。自社の4万1,000町歩から出る木では全国の集荷販売機構を賄えず、1956年に外材輸入へ踏み出した。輸入材だけでは新建材の波に応じきれず、1961年に建材課を、1964年にスミリン合板工業を置いた。そして建材を使い切る出口として、同じ1964年に分譲住宅へ入った。1970年の不動産事業で地価暴落に遭ったことが、1975年に始める注文住宅から土地を外させ、上物だけを売る方式を定めた。川下へ降りるたび、住友林業は前の段で足りなかったものを次の段で取りに行った。
1948年〜1980年の業績
| 決算期 | 区分 | 売上高 | 営業利益 | 経常利益 | 純利益 | 主な投資 | ||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 億円 | YoY | 億円 | 億円 | 億円 | 利益率 | |||
| 1949年 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1950年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1951年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1952年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1953年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1954年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1955年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1956年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1957年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1958年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1959年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1960年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1961年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1962年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1963年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1964年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1965年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1966年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1967年09月期 | 連結 | 309 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1968年09月期 | 連結 | 430 | +39.2% | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1969年09月期 | 連結 | 490 | +14.0% | n/a | n/a | 12 | 2.4% | n/a |
| 1970年09月期 | 連結 | 567 | +15.7% | n/a | 10 | 8 | 1.4% | n/a |
| 1971年09月期 | 連結 | 597 | +5.3% | n/a | 9 | 5 | 0.8% | n/a |
| 1972年09月期 | 単体 | 597 | 0.0% | n/a | 18 | 7 | 1.2% | n/a |
| 1973年09月期 | 連結 | 948 | +58.8% | n/a | 43 | 20 | 2.1% | n/a |
| 1974年09月期 | 連結 | 1,274 | +34.4% | n/a | 12 | 6 | 0.5% | n/a |
| 1975年09月期 | 連結 | 1,044 | ▲18.1% | n/a | 3 | 8 | 0.8% | PT. Kutai Timber Indonesiaが合板の製造・販売事業を開始(1974/12) |
| 1976年09月期 | 連結 | 1,187 | +13.7% | n/a | 11 | 7 | 0.6% | n/a |
| 1977年09月期 | 連結 | 1,351 | +13.8% | n/a | 13 | 7 | 0.5% | n/a |
| 1978年09月期 | 連結 | 1,348 | ▲0.2% | n/a | 20 | 6 | 0.4% | n/a |
| 1979年09月期 | 連結 | 1,824 | +35.3% | 0 | 22 | 11 | 0.6% | n/a |
| 1980年09月期 | 連結 | 2,333 | +27.9% | n/a | 8 | 8 | 0.3% | n/a |
出所:会社年鑑
出典・参考
8件
- 住友林業 有価証券報告書【沿革】
- 会社銀行八十年史 2篇 日本会社史(東洋経済新報社、1955年)「住友林業」の項
- 会社年鑑(1976年版)
- 日経ビジネス(1976年7月5日号 165号 p84-86)
- 証券アナリストジャーナル 1990年12月14日 企業分析部会講演要旨(大西和男 住友林業社長)
- 日経ビジネス 1992年10月19日号
- 日経ビジネス 1993年3月29日号
- 日本企業要覧 1979年版「住友林業」