第2章 年〜年

住友林業:Nelson Pine Industriesの設立と東証一部上場

1981年〜住友林業ホームの吸収合併による住宅事業の内部化

1984年10月、東京と大阪に分かれていたスミリン住宅販売2社が合併し、住友林業ホームとなった。木造住宅は近代化が遅れ、大工の手仕事や個々の技能と経験に頼る部分の大きい産業である。住友林業は注文住宅を長く子会社の売る事業として育て、両社は1980年7月に住友林業ホーム・住友林業住宅へと商号を改めていた。1987年10月に住友林業ホームを吸収し、大阪殖林もあわせて合併したことで、林業という上流から住宅という下流までを一社で手がける体制が整った。こうした手仕事の工程を自社の損益に取り込むか否かが、住宅を売り物として扱うにとどめるか、事業として持つかを分けた。

  • 住友林業 有価証券報告書【沿革】
    • [1]1984年10月 住友林業ホームと住友林業住宅が合併
    • [3]1980年7月 スミリン住宅販売2社を住友林業ホーム(東京)・住友林業住宅(大阪)へ商号変更
    • [4]1987年10月 住友林業ホームと大阪殖林を吸収合併
  • 日経ビジネス 1993年3月29日号
    • [2]木造住宅は近代化が遅れた産業で、大工の手作業と個人の技術・経験に依存する部分が大きい
  • 証券アナリストジャーナル 1990年12月14日 企業分析部会講演要旨(大西和男 住友林業社長)
    • [5]1987年10月の吸収合併により川上の林業から川下の住宅までの一貫事業体制が確立

同じ1984年10月、住友林業はニュージーランドにNelson Pine Industries Ltd.を設立した。クタイ・ティンバー以来2件目の海外製造拠点である。1990年6月にはインドネシアにPT. Rimba Partikel Indonesiaを設けた。増設の背景にあったのは、木材の調達構造そのものの変化である。日本の木材需要の7割は輸入で賄われ、住友林業の扱いもアメリカ・カナダ・マレーシア・ニュージーランド・チリの輸入材が多くを占めた。丸太の輸入は次第に減り、現地生産された製材品や合板といった二次・三次加工商品へ比重が移る。この流れに合わせて海外の生産拠点を増やし、輸入品の保管・配送・加工という国内の受け渡しにも手を加えた。売上高は1987年9月期の2,935億円から1988年9月期の3,943億円へ伸びた。

  • 住友林業 有価証券報告書【沿革】
    • [6]1984年10月 ニュージーランドにNelson Pine Industries Ltd.を設立
    • [7]1984年10月 ニュージーランドにNelson Pine Industries Ltd.を設立
    • [8]1990年6月 インドネシアにPT. Rimba Partikel Indonesiaを設立
  • 証券アナリストジャーナル 1990年12月14日 企業分析部会講演要旨(大西和男 住友林業社長)
    • [9]日本の木材需要の7割が輸入、住友林業の輸入先はアメリカ・カナダ・マレーシア・ニュージーランド・チリが中心、丸太輸入の減少と二次・三次加工商品への比重の移動、海外生産拠点の増設と国内デリバリーの工夫
    • [10]日本の木材需要の7割が輸入、住友林業の輸入先はアメリカ・カナダ・マレーシア・ニュージーランド・チリが中心、丸太輸入の減少と二次・三次加工商品への比重の移動、海外生産拠点の増設と国内デリバリーの工夫
    • [11]日本の木材需要の7割が輸入、住友林業の輸入先はアメリカ・カナダ・マレーシア・ニュージーランド・チリが中心、丸太輸入の減少と二次・三次加工商品への比重の移動、海外生産拠点の増設と国内デリバリーの工夫
    • [12]日本の木材需要の7割が輸入、住友林業の輸入先はアメリカ・カナダ・マレーシア・ニュージーランド・チリが中心、丸太輸入の減少と二次・三次加工商品への比重の移動、海外生産拠点の増設と国内デリバリーの工夫
  • 会社年鑑(2002年版)
    • [13]1987年9月期 売上高2,935億円、1988年9月期 売上高3,943億円

住友林業の山林は四国・九州・北海道・和歌山県に約4万ヘクタールあり、日本の国土のおよそ1,000分の1にあたる。住友林業が掲げた伐採の目標は、ヒノキで100年、スギで80年であり、通常の40〜50年を大きく超える。山林は人工林が多く、北海道のエゾマツ・カラマツを別にすると、木造住宅の資材に最も多く使われるヒノキとスギが大半である。考え方は法正林で、区画の中でヒノキの100年生が100分の1を占めるなら、毎年その100分の1を伐って同じ量を植え戻せば森は保たれる。こうした経営の結果、一般に出回る材よりずっと太く高値の付く木材が得られていた。1990年3月期の売上高は4,841億円、当期純利益は151億円で、その内訳は木材部門29%・建材部門34%・住宅部門37%と、およそ3分の1ずつだった。

  • 証券アナリストジャーナル 1990年12月14日 企業分析部会講演要旨(大西和男 住友林業社長)
    • [14]山林は四国・九州・北海道・和歌山県に約4万ヘクタール(国土の約1,000分の1)、人工林主体でヒノキ・スギが中心、通常40〜50年のところヒノキ100年・スギ80年の長伐期と法正林を目標、世間一般より大径の木材を生産
    • [15]山林は四国・九州・北海道・和歌山県に約4万ヘクタール(国土の約1,000分の1)、人工林主体でヒノキ・スギが中心、通常40〜50年のところヒノキ100年・スギ80年の長伐期と法正林を目標、世間一般より大径の木材を生産
    • [16]山林は四国・九州・北海道・和歌山県に約4万ヘクタール(国土の約1,000分の1)、人工林主体でヒノキ・スギが中心、通常40〜50年のところヒノキ100年・スギ80年の長伐期と法正林を目標、世間一般より大径の木材を生産
    • [17]山林は四国・九州・北海道・和歌山県に約4万ヘクタール(国土の約1,000分の1)、人工林主体でヒノキ・スギが中心、通常40〜50年のところヒノキ100年・スギ80年の長伐期と法正林を目標、世間一般より大径の木材を生産
    • [18]山林は四国・九州・北海道・和歌山県に約4万ヘクタール(国土の約1,000分の1)、人工林主体でヒノキ・スギが中心、通常40〜50年のところヒノキ100年・スギ80年の長伐期と法正林を目標、世間一般より大径の木材を生産
    • [20]1990年3月期の売上構成は木材部門29%・建材部門34%・住宅部門37%
  • 会社年鑑(2002年版)
    • [19]1990年3月期 売上高4,841億円・当期純利益151億円
参考文献[1]-[20]
  • 住友林業 有価証券報告書【沿革】
    • [1]1984年10月 住友林業ホームと住友林業住宅が合併
    • [3]1980年7月 スミリン住宅販売2社を住友林業ホーム(東京)・住友林業住宅(大阪)へ商号変更
    • [4]1987年10月 住友林業ホームと大阪殖林を吸収合併
    • [6]1984年10月 ニュージーランドにNelson Pine Industries Ltd.を設立
    • [7]1984年10月 ニュージーランドにNelson Pine Industries Ltd.を設立
    • [8]1990年6月 インドネシアにPT. Rimba Partikel Indonesiaを設立
  • 日経ビジネス 1993年3月29日号
    • [2]木造住宅は近代化が遅れた産業で、大工の手作業と個人の技術・経験に依存する部分が大きい
    • [5]1987年10月の吸収合併により川上の林業から川下の住宅までの一貫事業体制が確立
    • [9]日本の木材需要の7割が輸入、住友林業の輸入先はアメリカ・カナダ・マレーシア・ニュージーランド・チリが中心、丸太輸入の減少と二次・三次加工商品への比重の移動、海外生産拠点の増設と国内デリバリーの工夫
    • [10]日本の木材需要の7割が輸入、住友林業の輸入先はアメリカ・カナダ・マレーシア・ニュージーランド・チリが中心、丸太輸入の減少と二次・三次加工商品への比重の移動、海外生産拠点の増設と国内デリバリーの工夫
    • [11]日本の木材需要の7割が輸入、住友林業の輸入先はアメリカ・カナダ・マレーシア・ニュージーランド・チリが中心、丸太輸入の減少と二次・三次加工商品への比重の移動、海外生産拠点の増設と国内デリバリーの工夫
    • [12]日本の木材需要の7割が輸入、住友林業の輸入先はアメリカ・カナダ・マレーシア・ニュージーランド・チリが中心、丸太輸入の減少と二次・三次加工商品への比重の移動、海外生産拠点の増設と国内デリバリーの工夫
    • [14]山林は四国・九州・北海道・和歌山県に約4万ヘクタール(国土の約1,000分の1)、人工林主体でヒノキ・スギが中心、通常40〜50年のところヒノキ100年・スギ80年の長伐期と法正林を目標、世間一般より大径の木材を生産
    • [15]山林は四国・九州・北海道・和歌山県に約4万ヘクタール(国土の約1,000分の1)、人工林主体でヒノキ・スギが中心、通常40〜50年のところヒノキ100年・スギ80年の長伐期と法正林を目標、世間一般より大径の木材を生産
    • [16]山林は四国・九州・北海道・和歌山県に約4万ヘクタール(国土の約1,000分の1)、人工林主体でヒノキ・スギが中心、通常40〜50年のところヒノキ100年・スギ80年の長伐期と法正林を目標、世間一般より大径の木材を生産
    • [17]山林は四国・九州・北海道・和歌山県に約4万ヘクタール(国土の約1,000分の1)、人工林主体でヒノキ・スギが中心、通常40〜50年のところヒノキ100年・スギ80年の長伐期と法正林を目標、世間一般より大径の木材を生産
    • [18]山林は四国・九州・北海道・和歌山県に約4万ヘクタール(国土の約1,000分の1)、人工林主体でヒノキ・スギが中心、通常40〜50年のところヒノキ100年・スギ80年の長伐期と法正林を目標、世間一般より大径の木材を生産
    • [20]1990年3月期の売上構成は木材部門29%・建材部門34%・住宅部門37%
  • 会社年鑑(2002年版)
    • [13]1987年9月期 売上高2,935億円、1988年9月期 売上高3,943億円
    • [19]1990年3月期 売上高4,841億円・当期純利益151億円

1985年〜大工仕事の因数分解によるプレカット工法と社員大工

1980年代半ば、住宅が年間2,000棟に届いた段階で、住友林業は建て方そのものを見直した。木造は手放さないが、職人頼みの在来のやり方では建築費がかさみ、腕の立つ大工も足りなくなるとみたからである。改革の最初の対象は部材の加工を大工に任せていた工程で、加工を機械に移して精度を上げれば、工場で完成形まで仕上げた部材を現場ではただ組むだけで済む。もっとも、10人の大工に同じ図面を渡せば答えも10通りに割れていたのが実情で、設計図から木材の必要量を割り出す木拾いの正確さがその前提になった。このため部材の寸法を標準化し、設計仕様をそろえ、それに合うCADシステムを整備して、答えが一つに定まる仕組みを築いた。

  • 日経ビジネス 1992年10月19日号
    • [21]年間2,000棟に達した1980年代半ばの方向転換、高い建築費と熟練大工不足という壁、大工が部材を加工する工程への着手、木拾いが大工10人で10通り出ていた状態
    • [22]年間2,000棟に達した1980年代半ばの方向転換、高い建築費と熟練大工不足という壁、大工が部材を加工する工程への着手、木拾いが大工10人で10通り出ていた状態
    • [23]年間2,000棟に達した1980年代半ばの方向転換、高い建築費と熟練大工不足という壁、大工が部材を加工する工程への着手、木拾いが大工10人で10通り出ていた状態
    • [24]年間2,000棟に達した1980年代半ばの方向転換、高い建築費と熟練大工不足という壁、大工が部材を加工する工程への着手、木拾いが大工10人で10通り出ていた状態
    • [25]年間2,000棟に達した1980年代半ばの方向転換、高い建築費と熟練大工不足という壁、大工が部材を加工する工程への着手、木拾いが大工10人で10通り出ていた状態
    • [26]年間2,000棟に達した1980年代半ばの方向転換、高い建築費と熟練大工不足という壁、大工が部材を加工する工程への着手、木拾いが大工10人で10通り出ていた状態
    • [27]部材寸法の標準化・設計仕様の統一とCADシステムの整備で木拾いの答えを一つに絞り込む仕組みを構築

プレカットの導入には、大工が辞めると言い出す協力工務店まで現れ、現場の反対は予想を上回る激しさだった。住友林業はこれに対し、1985年に100%出資の直系工務店スミリン建設を設けた。プレカットで手間が減るぶん大工の工賃は下がる計算だったため、その一部を本体で補う条件もあわせて用意した。スミリン建設は大工を社員として抱え、合理化の案を現場で試して説得の材料をそろえるモデル工務店であり、扱いは他の協力工務店と変わらないものとされた。CADのデータを協力工場の数値制御機械とつなぐ作業には2年を要し、現場で大工が刻んでいた刃柄材もほぼ100%がプレカットに切り替わった。1棟当たりの延べ人数は3割削減されている。設計データを工場のプレカットへ渡すCAMの展開も進み、人手不足への備えと品質の安定という二つの効果が現れている。

  • 日経ビジネス 1992年10月19日号
    • [28]プレカット導入時の現場の反発と、協力工務店経営者の反対
    • [29]プレカット導入時の現場の反発と、協力工務店経営者の反対
    • [30]1985年に100%子会社スミリン建設を設立、社員大工を雇うモデル工務店として合理化を実験、下がる工賃の一部を本体が補填する条件を提示
    • [31]1985年に100%子会社スミリン建設を設立、社員大工を雇うモデル工務店として合理化を実験、下がる工賃の一部を本体が補填する条件を提示
    • [32]1985年に100%子会社スミリン建設を設立、社員大工を雇うモデル工務店として合理化を実験、下がる工賃の一部を本体が補填する条件を提示
    • [33]CADと協力工場の数値制御機械の連動で刃柄材までほぼ100%プレカット化、1棟当たり延べ人数を3割削減
    • [34]CADと協力工場の数値制御機械の連動で刃柄材までほぼ100%プレカット化、1棟当たり延べ人数を3割削減
  • 証券アナリストジャーナル 1990年12月14日 企業分析部会講演要旨(大西和男 住友林業社長)
    • [35]CADの設計データを工場のプレカットに利用するCAMの展開、生産合理化による人手不足への効果と品質安定化

1988年4月、住友林業は千葉県四街道市で住友林業建築技術専門校を開き、同校は職業能力開発促進法に基づく訓練校として自治体から認定された。運営費や学生の人件費などで、年に3億円の経費がかかる。他校にない特色は、高校を出たばかりの生徒が自分たちの手で毎年3棟前後を建て、それを住友林業が建売住宅として売る点にある。卒業生の行き先は直系工務店のスミリン建設と大阪スミリン建設で、社員大工は外部木工事・内部木工事・仕上げと難しさに応じた3段階に分けられ、新人はその最初から始める。3人単位のストラクチャーチームを組み、作業の順番と投入人数を細かく指示したマニュアルに従って現場を渡る。新人の戦力は0.6人分から半年ごとに0.1ずつ増え、各段を2年で卒業すれば最短6年ですべてをこなせる大工が育つ。

  • 日経ビジネス 1992年10月19日号
    • [36]1988年4月 千葉県四街道市に住友林業建築技術専門校を開校、職業能力開発促進法に基づき自治体の認定を受けた職業訓練校
    • [37]1988年4月 千葉県四街道市に住友林業建築技術専門校を開校、職業能力開発促進法に基づき自治体の認定を受けた職業訓練校
    • [38]生徒だけで毎年3棟ほどを建てて建売住宅として販売、学生の人件費と運営費などの年間経費は3億円
    • [39]生徒だけで毎年3棟ほどを建てて建売住宅として販売、学生の人件費と運営費などの年間経費は3億円
    • [40]卒業生はスミリン建設・大阪スミリン建設へ配属、外部木工事・内部木工事・仕上げの3段階と3人単位のSTチーム、新人の戦力0.6人分から半年ごとに0.1増、各段2年で最短6年
    • [41]卒業生はスミリン建設・大阪スミリン建設へ配属、外部木工事・内部木工事・仕上げの3段階と3人単位のSTチーム、新人の戦力0.6人分から半年ごとに0.1増、各段2年で最短6年
    • [42]卒業生はスミリン建設・大阪スミリン建設へ配属、外部木工事・内部木工事・仕上げの3段階と3人単位のSTチーム、新人の戦力0.6人分から半年ごとに0.1増、各段2年で最短6年
    • [43]卒業生はスミリン建設・大阪スミリン建設へ配属、外部木工事・内部木工事・仕上げの3段階と3人単位のSTチーム、新人の戦力0.6人分から半年ごとに0.1増、各段2年で最短6年
参考文献[21]-[43]
  • 日経ビジネス 1992年10月19日号
    • [21]年間2,000棟に達した1980年代半ばの方向転換、高い建築費と熟練大工不足という壁、大工が部材を加工する工程への着手、木拾いが大工10人で10通り出ていた状態
    • [22]年間2,000棟に達した1980年代半ばの方向転換、高い建築費と熟練大工不足という壁、大工が部材を加工する工程への着手、木拾いが大工10人で10通り出ていた状態
    • [23]年間2,000棟に達した1980年代半ばの方向転換、高い建築費と熟練大工不足という壁、大工が部材を加工する工程への着手、木拾いが大工10人で10通り出ていた状態
    • [24]年間2,000棟に達した1980年代半ばの方向転換、高い建築費と熟練大工不足という壁、大工が部材を加工する工程への着手、木拾いが大工10人で10通り出ていた状態
    • [25]年間2,000棟に達した1980年代半ばの方向転換、高い建築費と熟練大工不足という壁、大工が部材を加工する工程への着手、木拾いが大工10人で10通り出ていた状態
    • [26]年間2,000棟に達した1980年代半ばの方向転換、高い建築費と熟練大工不足という壁、大工が部材を加工する工程への着手、木拾いが大工10人で10通り出ていた状態
    • [27]部材寸法の標準化・設計仕様の統一とCADシステムの整備で木拾いの答えを一つに絞り込む仕組みを構築
    • [28]プレカット導入時の現場の反発と、協力工務店経営者の反対
    • [29]プレカット導入時の現場の反発と、協力工務店経営者の反対
    • [30]1985年に100%子会社スミリン建設を設立、社員大工を雇うモデル工務店として合理化を実験、下がる工賃の一部を本体が補填する条件を提示
    • [31]1985年に100%子会社スミリン建設を設立、社員大工を雇うモデル工務店として合理化を実験、下がる工賃の一部を本体が補填する条件を提示
    • [32]1985年に100%子会社スミリン建設を設立、社員大工を雇うモデル工務店として合理化を実験、下がる工賃の一部を本体が補填する条件を提示
    • [33]CADと協力工場の数値制御機械の連動で刃柄材までほぼ100%プレカット化、1棟当たり延べ人数を3割削減
    • [34]CADと協力工場の数値制御機械の連動で刃柄材までほぼ100%プレカット化、1棟当たり延べ人数を3割削減
    • [36]1988年4月 千葉県四街道市に住友林業建築技術専門校を開校、職業能力開発促進法に基づき自治体の認定を受けた職業訓練校
    • [37]1988年4月 千葉県四街道市に住友林業建築技術専門校を開校、職業能力開発促進法に基づき自治体の認定を受けた職業訓練校
    • [38]生徒だけで毎年3棟ほどを建てて建売住宅として販売、学生の人件費と運営費などの年間経費は3億円
    • [39]生徒だけで毎年3棟ほどを建てて建売住宅として販売、学生の人件費と運営費などの年間経費は3億円
    • [40]卒業生はスミリン建設・大阪スミリン建設へ配属、外部木工事・内部木工事・仕上げの3段階と3人単位のSTチーム、新人の戦力0.6人分から半年ごとに0.1増、各段2年で最短6年
    • [41]卒業生はスミリン建設・大阪スミリン建設へ配属、外部木工事・内部木工事・仕上げの3段階と3人単位のSTチーム、新人の戦力0.6人分から半年ごとに0.1増、各段2年で最短6年
    • [42]卒業生はスミリン建設・大阪スミリン建設へ配属、外部木工事・内部木工事・仕上げの3段階と3人単位のSTチーム、新人の戦力0.6人分から半年ごとに0.1増、各段2年で最短6年
    • [43]卒業生はスミリン建設・大阪スミリン建設へ配属、外部木工事・内部木工事・仕上げの3段階と3人単位のSTチーム、新人の戦力0.6人分から半年ごとに0.1増、各段2年で最短6年
    • [35]CADの設計データを工場のプレカットに利用するCAMの展開、生産合理化による人手不足への効果と品質安定化

1992年〜自由設計の堅持と、1997年3月期を頂点とする反落

『住友林業の家』の強みは、在来工法の木造住宅を施主の希望どおりの設計で、坪当たり43万円からという価格で建てる点にあった。1棟の全国平均は約2,800万円で、坪50万円前後の売れ筋プレハブ住宅と競い合っても引けを取らない条件がそろっていた。売上の6割を建て替え需要が占め、景気の落ち込みに左右されにくかったこともその裏付けとなった。こうして住宅部門は1992年3月期に約7,700棟・約2,300億円を売り上げ、前期と比べて棟数で6.9%、金額で11.3%増え、5年間では2.7倍になった。社長の大西和男氏は、注文住宅を顧客と一緒に作り上げるものととらえ、川上・川中だけを担っていた時期とは得られる情報の量が違うと見ていた。作る側の都合で商品を開発すれば顧客の求めからずれるとして、同氏は自由設計を基本に据え続ける方針を示した。

  • 日経ビジネス 1992年10月19日号
    • [44]1992年3月期の住宅部門は約7,700棟・約2,300億円(前期比 棟数6.9%増・金額11.3%増)、5年間で2.7倍、坪当たり最低43万円の自由設計、1棟平均約2,800万円、坪50万円前後のプレハブ住宅と競合、建て替え需要が売上の6割
    • [45]1992年3月期の住宅部門は約7,700棟・約2,300億円(前期比 棟数6.9%増・金額11.3%増)、5年間で2.7倍、坪当たり最低43万円の自由設計、1棟平均約2,800万円、坪50万円前後のプレハブ住宅と競合、建て替え需要が売上の6割
    • [46]1992年3月期の住宅部門は約7,700棟・約2,300億円(前期比 棟数6.9%増・金額11.3%増)、5年間で2.7倍、坪当たり最低43万円の自由設計、1棟平均約2,800万円、坪50万円前後のプレハブ住宅と競合、建て替え需要が売上の6割
    • [47]1992年3月期の住宅部門は約7,700棟・約2,300億円(前期比 棟数6.9%増・金額11.3%増)、5年間で2.7倍、坪当たり最低43万円の自由設計、1棟平均約2,800万円、坪50万円前後のプレハブ住宅と競合、建て替え需要が売上の6割
    • [48]1992年3月期の住宅部門は約7,700棟・約2,300億円(前期比 棟数6.9%増・金額11.3%増)、5年間で2.7倍、坪当たり最低43万円の自由設計、1棟平均約2,800万円、坪50万円前後のプレハブ住宅と競合、建て替え需要が売上の6割
  • 日経ビジネス 1993年3月29日号
    • [49]メーカーの論理に引きずられた商品開発はニーズから外れるとして自由設計の基本線を変えない方針、注文住宅は顧客との共同作品で川上・川中だけの頃とは情報量が違うとの認識
    • [50]メーカーの論理に引きずられた商品開発はニーズから外れるとして自由設計の基本線を変えない方針、注文住宅は顧客との共同作品で川上・川中だけの頃とは情報量が違うとの認識

リフォーム事業へ本格的に乗り出す受け皿となったのは、1988年10月設立のスミリンメンテナンスで、同社は1991年4月に住友林業ホームテックへ社名を変えた。同じ時期、顧客満足活動の先頭に立った専務の山口博人氏は、管理職研修を通じて顧客満足の意味をつかんでいる者が3割にすぎないと知ると、各地の支店の朝礼に足を運び、引き渡しまでより引き渡し後30年の付き合いを大切にするよう説いて回った。建て替えやリフォームの需要はこの活動から掘り起こされ、山口氏は1994年6月に社長となった。就任の時点で13年連続の経常増益が続いていた。1995年4月には工務店と組むイノスグループ事業も始まり、建てた後の顧客と地域の工務店の双方を抱える網が広がった。

  • 住友林業 有価証券報告書【沿革】
    • [51]1988年10月 スミリンメンテナンスを設立、1991年4月に住友林業ホームテックへ商号変更しリフォーム事業へ本格参入
    • [52]1988年10月 スミリンメンテナンスを設立、1991年4月に住友林業ホームテックへ商号変更しリフォーム事業へ本格参入
    • [58]1995年4月 イノスグループ事業を開始
  • 日経ビジネス 1994年9月26日号
    • [53]専務時代のCS活動(管理職研修で理解者が3割、全国支店の朝礼行脚、建てた後の30年の付き合い)と建て替え・リフォーム需要の掘り起こし、1994年6月の社長就任、13年連続の経常増益
    • [54]専務時代のCS活動(管理職研修で理解者が3割、全国支店の朝礼行脚、建てた後の30年の付き合い)と建て替え・リフォーム需要の掘り起こし、1994年6月の社長就任、13年連続の経常増益
    • [55]専務時代のCS活動(管理職研修で理解者が3割、全国支店の朝礼行脚、建てた後の30年の付き合い)と建て替え・リフォーム需要の掘り起こし、1994年6月の社長就任、13年連続の経常増益
    • [56]専務時代のCS活動(管理職研修で理解者が3割、全国支店の朝礼行脚、建てた後の30年の付き合い)と建て替え・リフォーム需要の掘り起こし、1994年6月の社長就任、13年連続の経常増益
    • [57]専務時代のCS活動(管理職研修で理解者が3割、全国支店の朝礼行脚、建てた後の30年の付き合い)と建て替え・リフォーム需要の掘り起こし、1994年6月の社長就任、13年連続の経常増益

1997年3月期、住友林業の売上高は8,179億円、経常利益は255億円に達し、いずれもこの時期の頂点となった。ところが翌1998年3月期は売上高7,137億円・経常利益67億円で、利益が4分の1近くまで縮小した。1999年3月期は売上高6,206億円・経常利益63億円で、当期純利益は1億円にとどまった。持ち家建設全体に占める住友林業のシェアは1993年時点で2%にとどまり、国内の住宅着工が細れば逃げ場は乏しい。木材の輸入も、熱帯雨林の減少と米国・カナダでの野生動物保護による伐採量の抑制で、今後増えていくことはまずないと見込まれていた。川上から川下までを一本につないだ体制は、住宅着工という一つの変数へ収益のほとんどを預ける構造でもあった。

  • 会社年鑑(2002年版)
    • [59]1997年3月期 売上高8,179億円・経常利益255億円、1998年3月期 売上高7,137億円・経常利益67億円
    • [60]1997年3月期 売上高8,179億円・経常利益255億円、1998年3月期 売上高7,137億円・経常利益67億円
    • [61]1999年3月期 売上高6,206億円・経常利益63億円・当期純利益1億円
  • 日経ビジネス 1993年3月29日号
    • [62]1993年時点で持ち家建設全体に占めるシェアは2%、熱帯雨林の減少と米国・カナダの伐採量抑制により木材輸入量は今後増えない見込み
    • [63]1993年時点で持ち家建設全体に占めるシェアは2%、熱帯雨林の減少と米国・カナダの伐採量抑制により木材輸入量は今後増えない見込み
参考文献[44]-[63]
  • 日経ビジネス 1992年10月19日号
    • [44]1992年3月期の住宅部門は約7,700棟・約2,300億円(前期比 棟数6.9%増・金額11.3%増)、5年間で2.7倍、坪当たり最低43万円の自由設計、1棟平均約2,800万円、坪50万円前後のプレハブ住宅と競合、建て替え需要が売上の6割
    • [45]1992年3月期の住宅部門は約7,700棟・約2,300億円(前期比 棟数6.9%増・金額11.3%増)、5年間で2.7倍、坪当たり最低43万円の自由設計、1棟平均約2,800万円、坪50万円前後のプレハブ住宅と競合、建て替え需要が売上の6割
    • [46]1992年3月期の住宅部門は約7,700棟・約2,300億円(前期比 棟数6.9%増・金額11.3%増)、5年間で2.7倍、坪当たり最低43万円の自由設計、1棟平均約2,800万円、坪50万円前後のプレハブ住宅と競合、建て替え需要が売上の6割
    • [47]1992年3月期の住宅部門は約7,700棟・約2,300億円(前期比 棟数6.9%増・金額11.3%増)、5年間で2.7倍、坪当たり最低43万円の自由設計、1棟平均約2,800万円、坪50万円前後のプレハブ住宅と競合、建て替え需要が売上の6割
    • [48]1992年3月期の住宅部門は約7,700棟・約2,300億円(前期比 棟数6.9%増・金額11.3%増)、5年間で2.7倍、坪当たり最低43万円の自由設計、1棟平均約2,800万円、坪50万円前後のプレハブ住宅と競合、建て替え需要が売上の6割
  • 日経ビジネス 1993年3月29日号
    • [49]メーカーの論理に引きずられた商品開発はニーズから外れるとして自由設計の基本線を変えない方針、注文住宅は顧客との共同作品で川上・川中だけの頃とは情報量が違うとの認識
    • [50]メーカーの論理に引きずられた商品開発はニーズから外れるとして自由設計の基本線を変えない方針、注文住宅は顧客との共同作品で川上・川中だけの頃とは情報量が違うとの認識
    • [62]1993年時点で持ち家建設全体に占めるシェアは2%、熱帯雨林の減少と米国・カナダの伐採量抑制により木材輸入量は今後増えない見込み
    • [63]1993年時点で持ち家建設全体に占めるシェアは2%、熱帯雨林の減少と米国・カナダの伐採量抑制により木材輸入量は今後増えない見込み
  • 住友林業 有価証券報告書【沿革】
    • [51]1988年10月 スミリンメンテナンスを設立、1991年4月に住友林業ホームテックへ商号変更しリフォーム事業へ本格参入
    • [52]1988年10月 スミリンメンテナンスを設立、1991年4月に住友林業ホームテックへ商号変更しリフォーム事業へ本格参入
    • [58]1995年4月 イノスグループ事業を開始
  • 日経ビジネス 1994年9月26日号
    • [53]専務時代のCS活動(管理職研修で理解者が3割、全国支店の朝礼行脚、建てた後の30年の付き合い)と建て替え・リフォーム需要の掘り起こし、1994年6月の社長就任、13年連続の経常増益
    • [54]専務時代のCS活動(管理職研修で理解者が3割、全国支店の朝礼行脚、建てた後の30年の付き合い)と建て替え・リフォーム需要の掘り起こし、1994年6月の社長就任、13年連続の経常増益
    • [55]専務時代のCS活動(管理職研修で理解者が3割、全国支店の朝礼行脚、建てた後の30年の付き合い)と建て替え・リフォーム需要の掘り起こし、1994年6月の社長就任、13年連続の経常増益
    • [56]専務時代のCS活動(管理職研修で理解者が3割、全国支店の朝礼行脚、建てた後の30年の付き合い)と建て替え・リフォーム需要の掘り起こし、1994年6月の社長就任、13年連続の経常増益
    • [57]専務時代のCS活動(管理職研修で理解者が3割、全国支店の朝礼行脚、建てた後の30年の付き合い)と建て替え・リフォーム需要の掘り起こし、1994年6月の社長就任、13年連続の経常増益
  • 会社年鑑(2002年版)
    • [59]1997年3月期 売上高8,179億円・経常利益255億円、1998年3月期 売上高7,137億円・経常利益67億円
    • [60]1997年3月期 売上高8,179億円・経常利益255億円、1998年3月期 売上高7,137億円・経常利益67億円
    • [61]1999年3月期 売上高6,206億円・経常利益63億円・当期純利益1億円

筆者考察

1987年10月に住友林業ホームを本体へ吸収したとき、住友林業が得たのは注文住宅の売上ではなく、山から家までの全工程を一つの勘定に載せる帳簿である。山林の管理、伐採、輸入、流通、加工、そして建築。それまで子会社が担っていた最後の一段を内側へ引き取ったことで、工程と工程のあいだに埋もれていた無駄が初めて見える位置に来た。大西和男氏が上から下まで一貫して経験することの意味をそこに置いたのは、川下が儲かるからではない。顧客が何を望んでいるかという情報は、家を引き渡す人の手元にしか溜まらず、木を伐る側からは決して見えないからである。

続く数年で住友林業が進めたのは、大工の腕の中にあった判断を図面と機械へ移す作業だった。同じ設計図から大工10人が10通りの木拾いを出していた工程は、部材寸法の標準化とCADによって答えが一つに絞られ、刃柄材まで含めた全面プレカット化で1棟当たりの延べ人数が3割減った。だが技能のすべてが移せたわけではない。木の狂いの修正と和室の仕上げは人に残り、その人を確保するために1988年に四街道へ学校を建て、年3億円をかけて自前で育てた。ヒノキを100年、スギを80年かけて育てる会社が、大工を6年で育てる仕組みを併せ持つことになった。

1981年〜2002年の業績

決算期 区分 売上高 経常利益純利益 主な投資
億円 YoY 億円 億円 利益率
1981年09月期 連結 1,918 n/a 4 5 0.3% n/a
1982年09月期 連結 2,016 +5.1% 7 5 0.2% n/a
1983年09月期 連結 2,065 +2.4% 9 6 0.3% n/a
1984年09月期 連結 2,187 +5.9% 11 6 0.3% n/a
1985年09月期 連結 2,383 +9.0% n/a 12 0.5% n/a
1986年09月期 連結 2,458 +3.1% n/a 17 0.7% n/a
1987年09月期 連結 2,935 +19.4% n/a 27 0.9% n/a
1988年09月期 連結 3,943 +34.3% n/a 56 1.4% n/a
1989年03月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1990年03月期 連結 4,841 n/a n/a 151 3.1% n/a
1991年03月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a 茨城県つくば市に「筑波研究所」を設立(1991)
1992年03月期 連結 5,551 n/a 179 92 1.7% n/a
1993年03月期 連結 5,830 +5.0% 176 88 1.5% n/a
1994年03月期 連結 6,479 +11.1% 201 112 1.7% n/a
1995年03月期 連結 6,863 +5.9% 197 101 1.5% n/a
1996年03月期 連結 6,985 +1.8% 207 109 1.6% n/a
1997年03月期 連結 8,179 +17.1% 255 132 1.6% n/a
1998年03月期 連結 7,137 ▲12.7% 67 21 0.3% n/a
1999年03月期 連結 6,206 ▲13.0% 63 1 0.0% n/a
2000年03月期 連結 6,996 +12.7% 125 57 0.8% n/a
2001年03月期 連結 6,824 ▲2.5% 169 70 1.0% n/a
2002年03月期 連結 6,447 ▲5.5% 37 5 0.1% n/a

出所:会社年鑑

出典・参考

6件
出典・参考
  • 住友林業 有価証券報告書【沿革】
  • 会社年鑑(2002年版)
  • 証券アナリストジャーナル 1990年12月14日 企業分析部会講演要旨(大西和男 住友林業社長)
  • 日経ビジネス 1992年10月19日号
  • 日経ビジネス 1993年3月29日号
  • 日経ビジネス 1994年9月26日号

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