SCSK:住商情報システムへの改称と受託開発の高付加価値化
500億円計画の未達から1,062人での増益へ
1990年〜東証一部指定とコンピュータービルへの設備投資
1990年5月、住商コンピューターサービスは英国にSUMISHO COMPUTER SERVICE (EUROPE) LTD.を設立した。同じ月、米国商務省のリコグニション・プログラム認定企業にも選ばれている。1991年9月には東京証券取引所市場第一部銘柄に指定され、1992年1月には東京都江戸川区へ東京第2センターを開設し、同年6月に本店を東京都墨田区両国へ移した。そして1992年10月、商号を住商情報システム株式会社へ改めている。技術面では1990年10月にCASEツールのALICEが情報化月間優秀情報処理システムに選定され、1992年4月にはCASE環境基盤「SPINDLE」をリリースした。二部上場から3年のあいだに、海外拠点、市場第一部、二つ目の計算機センター、そして社名が揃った。
- 有価証券報告書
- [1]1990年5月に英国子会社SUMISHO COMPUTER SERVICE (EUROPE) LTD.を設立
- [3]1991年9月に東京証券取引所市場第一部銘柄に指定
- [4]1992年1月に東京都江戸川区へ東京第2センターを開設
- [5]1992年6月に本店所在地を東京都墨田区両国へ移転
- [6]1992年10月に住商情報システム株式会社へ商号変更
- 住商情報システム 公式サイト 沿革(1998年1月時点)
- [2]1990年5月に米国商務省「リコグニション・プログラム」認定企業に選定された
- [7]1990年10月に「ALICE」が情報化月間優秀情報処理システムに選定された
- [8]1992年4月にCASE環境基盤「SPINDLE」をリリース
1992年当時、大手の情報サービス会社は競い合うように大規模なコンピュータービルを建てていた。新日鉄情報通信システムは同年6月、東京都板橋区に汎用大型コンピューター50台を置ける6階建てのビルを建設費100億円近くで完成させ、野村総合研究所も計4か所にこうした設備を持った。住商コンピューターサービスも1992年1月に東京第2センターを完成させ、大阪でも1993年9月完成予定のビルを着工していた。背景にあったのは、顧客企業が情報システムの運用・管理を専門業者へ一括して委ねるアウトソーシングの広がりである。計算機を置く建物と要員を先に抱えた会社が、その需要を取る。
- 日経ビジネス 1992年9月28日号
- [9]大手の情報サービス会社が競い合うように大規模コンピュータービルの建設に動いていた
- [10]新日鉄情報通信システムは1992年6月に東京都板橋区へ汎用大型コンピューター50台を設置できる地上6階建てのビルを完成させ、建設費用は100億円近かった
- [11]野村総合研究所は1992年3月に完成した大阪のビルを含め計4か所にこうした設備を保有していた
- [13]住商コンピューターサービスは1992年1月に東京で新ビルが完成し、大阪でも1993年9月完成予定のビルを着工していた
- [14]社内の情報システム部門が行っていた業務を一括して外部の専門業者へ委託するアウトソーシングに関心が集まっていた
- 有価証券報告書
- [12]1992年1月に東京都江戸川区へ東京第2センターを開設
アウトソーシングという言葉は当時の日本でなじみが薄く、一部業務の外注はあっても、すべてを外部へ委ねる企業はまだ少なかった。米国ではイーストマン・コダックが1989年にシステム開発から保守・運用までを外部へ委託し、情報システム部門の要員約350人を日本アイ・ビー・エムの親会社へ移籍させる契約を10年5億ドルで結んで話題を呼んでいた。日本で各社が請け負ったアウトソーシングの件数は、野村総合研究所の百数十件を筆頭に、日本電気が60件弱、日立情報システムズが36件、住商コンピューターサービスと新日鉄情報通信システムがそれぞれ10件、富士通エフ・アイ・ピーが9件だった。契約期間も1〜3年と短い。住商情報システムはのちにこの業務をシステムズ・マネジメント・サービスと呼び、主要事業の一つに並べることになる。設備の先行投資に対して、受注はまだ数えるほどしかなかった。
- 日経ビジネス 1992年9月28日号
- [15]日本ではアウトソーシングという言葉になじみが薄く、ソフト開発やコンピューターの運用など一部業務の外注は多いが、すべてを外部に委託する企業は少なかった
- [16]米イーストマン・コダックは1989年にシステム開発から保守・運用までを外部企業へ委託し、情報システム部門の要員約350人をIBMへ移籍させ、契約期間10年・契約額5億ドルで結んだ
- [17]請け負ったアウトソーシングの件数は野村総合研究所が百数十件、日本電気が60件弱、日立情報システムズが36件、新日鉄情報通信システムが10件、富士通エフ・アイ・ピーが9件、住商コンピューターサービスが10件だった
- [18]日本で始まっていたアウトソーシングの契約期間は1〜3年程度と短かった
- 住商情報システム 公式サイト 事業内容(1998年1月時点)
- [19]主要事業内容にシステムズ・マネジメント・サービス(アウトソーシングサービス)を掲げた
参考文献[1]-[19]
- 有価証券報告書
- [1]1990年5月に英国子会社SUMISHO COMPUTER SERVICE (EUROPE) LTD.を設立
- [3]1991年9月に東京証券取引所市場第一部銘柄に指定
- [4]1992年1月に東京都江戸川区へ東京第2センターを開設
- [5]1992年6月に本店所在地を東京都墨田区両国へ移転
- [6]1992年10月に住商情報システム株式会社へ商号変更
- [12]1992年1月に東京都江戸川区へ東京第2センターを開設
- [2]1990年5月に米国商務省「リコグニション・プログラム」認定企業に選定された
- [7]1990年10月に「ALICE」が情報化月間優秀情報処理システムに選定された
- [8]1992年4月にCASE環境基盤「SPINDLE」をリリース
- 日経ビジネス 1992年9月28日号
- [9]大手の情報サービス会社が競い合うように大規模コンピュータービルの建設に動いていた
- [10]新日鉄情報通信システムは1992年6月に東京都板橋区へ汎用大型コンピューター50台を設置できる地上6階建てのビルを完成させ、建設費用は100億円近かった
- [11]野村総合研究所は1992年3月に完成した大阪のビルを含め計4か所にこうした設備を保有していた
- [13]住商コンピューターサービスは1992年1月に東京で新ビルが完成し、大阪でも1993年9月完成予定のビルを着工していた
- [14]社内の情報システム部門が行っていた業務を一括して外部の専門業者へ委託するアウトソーシングに関心が集まっていた
- [15]日本ではアウトソーシングという言葉になじみが薄く、ソフト開発やコンピューターの運用など一部業務の外注は多いが、すべてを外部に委託する企業は少なかった
- [16]米イーストマン・コダックは1989年にシステム開発から保守・運用までを外部企業へ委託し、情報システム部門の要員約350人をIBMへ移籍させ、契約期間10年・契約額5億ドルで結んだ
- [17]請け負ったアウトソーシングの件数は野村総合研究所が百数十件、日本電気が60件弱、日立情報システムズが36件、新日鉄情報通信システムが10件、富士通エフ・アイ・ピーが9件、住商コンピューターサービスが10件だった
- [18]日本で始まっていたアウトソーシングの契約期間は1〜3年程度と短かった
- [19]主要事業内容にシステムズ・マネジメント・サービス(アウトソーシングサービス)を掲げた
1993年〜売上高500億円計画の未達と二期続いた減収
1993年3月期の住商情報システムの売上高は320億2,700万円、経常利益は5億7,400万円、当期純利益は2億6,100万円だった。従業員数は1,166人である。1989年4月に始めた新3ヵ年計画は、1992年3月期に売上高500億円、経常利益30億円を達成することを目標としていた。実績はその半分を超えたところで止まり、翌1994年3月期の売上高は282億2,200万円、1995年3月期は256億6,100万円と、2期続けて減収となった。3年で売上を2.2倍にするという線は、上場までの3年の伸びがそのまま続く前提に立っていた。
- 住商情報システム 公式サイト 最近5事業年度における主要な経営指標等の推移(1998年1月時点)
- [20]第25期(1993年3月期)の単体売上高32,027百万円、経常利益574百万円、当期純利益261百万円
- [21]第25期(1993年3月期)の従業員数は1,166人
- [23]単体売上高は第26期(1994年3月期)28,222百万円、第27期(1995年3月期)25,661百万円
- 証券アナリストジャーナル 1989年27巻4号
- [22]1989年4月からの新3ヵ年計画は1992年3月期に売上高500億円、経常利益30億円の達成を目標とした
CSKの業績は、1981年9月期の売上高172億7,700万円・経常利益25億1,200万円から、10年後の1991年9月期には売上高900億6,200万円・経常利益83億5,000万円へと膨らんでいた。しかし情報サービス業界では1991年を境に各社の伸びが止まり、CSKもその時期に一気に業績を落とした。背景の一つは、バブルが崩れて企業の情報化投資が抑えられたことである。もう一つは、システムの主流が汎用機からネットワークでつないだパソコンへ移り、汎用機向けソフトウェア開発の受注が大きく減ったことだった。住商情報システムの1995年3月期の経常利益は5億9,000万円で、従業員は1,126人まで減っていた。受託開発の需要は、顧客が買う計算機の種類が変わるだけで細る。
- 日経ビジネス 1998年3月30日号
- [24]CSKの業績は1991年を境に急下降し始めた
- [25]CSKは1981年9月期に売上高172億7,700万円・経常利益25億1,200万円、1991年9月期に売上高900億6,200万円・経常利益83億5,000万円だった
- [26]バブル崩壊で企業が情報化投資を手控え、汎用機中心の情報システムがパソコンをネットワークで結んだシステムへ移ったため、汎用機のソフトウェア開発受注が激減した
- 住商情報システム 公式サイト 最近5事業年度における主要な経営指標等の推移(1998年1月時点)
- [27]第27期(1995年3月期)の経常利益590百万円、従業員数1,126人
減収の期間も、住商情報システムの財務は厚いままだった。1993年3月期の自己資本比率は80.2%、総資産額は494億4,300万円、純資産額は396億7,500万円で、1995年3月期には自己資本比率が89.7%まで上がっている。当期純利益は3期を通じて2億6,100万円、2億700万円、2億4,300万円と小さいながら黒字を保ち、連結でも800万円、6,500万円、2億3,000万円で赤字には転じていない。この間も設備投資は続き、1993年10月には大阪第2センターを開設した。上場で集めた資金を借入の返済と設備へ充てた結果、減収に耐える体力が残っていた。
- 住商情報システム 公式サイト 最近5事業年度における主要な経営指標等の推移(1998年1月時点)
- [28]第25期から第29期の自己資本比率は80.2%、82.8%、89.7%、90.5%、88.7%で推移した
- [29]第25期(1993年3月期)の総資産額49,443百万円、純資産額39,675百万円、自己資本比率80.2%
- [30]第27期(1995年3月期)の自己資本比率は89.7%
- [31]単体の当期純利益は第25期261百万円、第26期207百万円、第27期243百万円
- [32]連結当期純利益は第25期8百万円、第26期65百万円、第27期230百万円
- 住商情報システム 公式サイト 沿革(1998年1月時点)
- [33]1993年10月に「大阪第2センター」を開設
参考文献[20]-[33]
- [20]第25期(1993年3月期)の単体売上高32,027百万円、経常利益574百万円、当期純利益261百万円
- [21]第25期(1993年3月期)の従業員数は1,166人
- [23]単体売上高は第26期(1994年3月期)28,222百万円、第27期(1995年3月期)25,661百万円
- [27]第27期(1995年3月期)の経常利益590百万円、従業員数1,126人
- [28]第25期から第29期の自己資本比率は80.2%、82.8%、89.7%、90.5%、88.7%で推移した
- [29]第25期(1993年3月期)の総資産額49,443百万円、純資産額39,675百万円、自己資本比率80.2%
- [30]第27期(1995年3月期)の自己資本比率は89.7%
- [31]単体の当期純利益は第25期261百万円、第26期207百万円、第27期243百万円
- [32]連結当期純利益は第25期8百万円、第26期65百万円、第27期230百万円
- 証券アナリストジャーナル 1989年27巻4号
- [22]1989年4月からの新3ヵ年計画は1992年3月期に売上高500億円、経常利益30億円の達成を目標とした
- 日経ビジネス 1998年3月30日号
- [24]CSKの業績は1991年を境に急下降し始めた
- [25]CSKは1981年9月期に売上高172億7,700万円・経常利益25億1,200万円、1991年9月期に売上高900億6,200万円・経常利益83億5,000万円だった
- [26]バブル崩壊で企業が情報化投資を手控え、汎用機中心の情報システムがパソコンをネットワークで結んだシステムへ移ったため、汎用機のソフトウェア開発受注が激減した
- [33]1993年10月に「大阪第2センター」を開設
1995年〜人員を削減したままの増益と、CSKの連結赤字
1995年3月、住商情報システムは通商産業省から「特定システムオペレーション企業」の認定を取得した。翌1996年3月期の売上高は288億9,700万円、経常利益は11億6,400万円で、経常利益は前期の約2倍になった。1997年3月期はさらに売上高337億4,200万円、経常利益19億3,700万円、当期純利益8億5,400万円まで伸びている。売上高はまだ1993年3月期の320億2,700万円を回復したばかりだが、経常利益は同期の5億7,400万円の3倍を超えた。同じ売上の規模で、手元に残る利益の額が変わっていた。
- 住商情報システム 公式サイト 沿革(1998年1月時点)
- [34]1995年3月に通商産業省「特定システムオペレーション企業」の認定を取得
- 住商情報システム 公式サイト 最近5事業年度における主要な経営指標等の推移(1998年1月時点)
- [35]第28期(1996年3月期)の単体売上高28,897百万円、経常利益1,164百万円
- [36]第29期(1997年3月期)の単体売上高33,742百万円、経常利益1,937百万円、当期純利益854百万円
- [37]第25期(1993年3月期)の単体売上高32,027百万円、経常利益574百万円
従業員数は1994年3月期の1,168人を境に減り続け、1995年3月期は1,126人、1996年3月期は1,087人、1997年3月期は1,062人となった。同じ3年で売上高は282億2,200万円から337億4,200万円へ増えている。1株当たり当期純利益は1994年3月期の5円98銭から1997年3月期の24円69銭へ上がり、配当性向は100.25%から36.5%へ下がった。1996年10月には「INTIMATE」シリーズが情報化月間優秀情報処理システムに選定されている。人を増やさずに売上と利益を拡大する体制が、この3年で立ち上がった。
- 住商情報システム 公式サイト 最近5事業年度における主要な経営指標等の推移(1998年1月時点)
- [38]従業員数は第26期(1994年3月期)1,168人、第27期1,126人、第28期1,087人、第29期(1997年3月期)1,062人
- [39]単体売上高は第26期28,222百万円、第29期33,742百万円
- [40]1株当り当期純利益は第26期5円98銭、第29期24円69銭
- [41]配当性向は第26期100.25%、第29期36.5%
- 住商情報システム 公式サイト 沿革(1998年1月時点)
- [42]1996年10月に「INTIMATE」シリーズが情報化月間優秀情報処理システムに選定された
1998年3月期、CSKは海外子会社の清算などで220億円の特別損失を計上し、単独の当期損益が前期の28億円の黒字から130億円の赤字へ転落した。持分法適用会社であるセガ・エンタープライゼスの赤字を受けて連結当期損益の赤字も70億円から142億円へ拡大し、連結の最終赤字はこれで5期連続となった。セガは家庭用ゲーム機の欧米からの販売撤退に伴い、同じ期に470億円の特別損失を計上している。同じころ住商情報システムは、1999年秋に公表された企業の復活度ランキングで15位に入り、社長には木村光一氏の名が並んだ。CSKはセガを通じた家庭用ゲーム機の市場で損失を抱え、住商情報システムは人員を絞ったまま利幅を厚くした。
- 日経ビジネス 1998年3月30日号
- [43]CSKは1998年3月期に海外子会社の清算などで220億円の特別損失を計上し、単独当期損益は前期の28億円の黒字から130億円の赤字へ転落する見込みだった
- [44]持分法適用会社セガ・エンタープライゼスの赤字を受けて連結当期損益の赤字額は70億円から142億円へ拡大し、連結当期損益の赤字は5期連続となった
- [45]セガは現行家庭用ゲーム機の欧米からの販売撤退に伴い1998年3月期に470億円の特別損失を計上した
- 日経ビジネス 1999年10月4日号
- [46]住商情報システムは復活度ランキングで15位に入り、社長は木村光一氏だった
参考文献[34]-[46]
- [34]1995年3月に通商産業省「特定システムオペレーション企業」の認定を取得
- [42]1996年10月に「INTIMATE」シリーズが情報化月間優秀情報処理システムに選定された
- [35]第28期(1996年3月期)の単体売上高28,897百万円、経常利益1,164百万円
- [36]第29期(1997年3月期)の単体売上高33,742百万円、経常利益1,937百万円、当期純利益854百万円
- [37]第25期(1993年3月期)の単体売上高32,027百万円、経常利益574百万円
- [38]従業員数は第26期(1994年3月期)1,168人、第27期1,126人、第28期1,087人、第29期(1997年3月期)1,062人
- [39]単体売上高は第26期28,222百万円、第29期33,742百万円
- [40]1株当り当期純利益は第26期5円98銭、第29期24円69銭
- [41]配当性向は第26期100.25%、第29期36.5%
- 日経ビジネス 1998年3月30日号
- [43]CSKは1998年3月期に海外子会社の清算などで220億円の特別損失を計上し、単独当期損益は前期の28億円の黒字から130億円の赤字へ転落する見込みだった
- [44]持分法適用会社セガ・エンタープライゼスの赤字を受けて連結当期損益の赤字額は70億円から142億円へ拡大し、連結当期損益の赤字は5期連続となった
- [45]セガは現行家庭用ゲーム機の欧米からの販売撤退に伴い1998年3月期に470億円の特別損失を計上した
- 日経ビジネス 1999年10月4日号
- [46]住商情報システムは復活度ランキングで15位に入り、社長は木村光一氏だった
筆者考察
1989年に掲げた3年で売上2.2倍という計画は、情報サービス業の需要が伸び続ける前提の上に立っていた。この前提は3年で成り立たなくなる。1993年3月期に320億2,700万円だった住商情報システムの売上高は、1995年3月期に256億6,100万円まで減少した。企業がバブル崩壊後に情報化投資を止めただけでなく、システムの中身が汎用機からパソコンのネットワークへ移り、汎用機向けのソフトウェア開発という商品そのものが細ったからである。同じ時期、1991年9月期に売上高900億6,200万円まで伸びていたCSKも折れた。受注の量を追う限り、顧客が買う計算機の種類が変わるだけで足元が消える。
住商情報システムがこの3年で変えたのは、売上の大きさではなく1人あたりの稼ぎだった。従業員は1994年3月期の1,168人から1997年3月期の1,062人へ減り、その間に売上高は282億2,200万円から337億4,200万円へ戻している。経常利益は6億3,000万円から19億3,700万円へ、3倍を超えて増えた。減収の期間も自己資本比率は80%台を保ち、当期純利益は連結でも赤字に転じていない。1995年3月に特定システムオペレーション企業の認定を取ったことは、人を貸す商売からシステムの運用を引き受ける商売へ移した目印にあたる。1998年3月期に単独130億円の赤字を出したCSKと、両社はこの十年で離れた。
- 第25期から第29期の単体の経常利益。原資料は100万円単位で、100万円未満を切り捨てて表示している。
- 出所は住商情報システム 公式サイト「最近5事業年度における主要な経営指標等の推移」(1998年1月時点)。
出典・参考
8件
- 有価証券報告書
- 証券アナリストジャーナル 1989年27巻4号
- 日経ビジネス 1992年9月28日号
- 日経ビジネス 1998年3月30日号
- 日経ビジネス 1999年10月4日号
- 住商情報システム 公式サイト 沿革(1998年1月時点)
- 住商情報システム 公式サイト 事業内容(1998年1月時点)
- 住商情報システム 公式サイト 最近5事業年度における主要な経営指標等の推移(1998年1月時点)