SCSK:住商コンピューターサービスの設立と情報処理受託の外販化
チャレンジ88による売上200億円と東証二部上場
1968年〜商社の受託計算と独立系の常駐派遣、二つの源流
現在のSCSKの法的な母体は、1969年10月に大阪市東区北浜で設立された住商コンピューターサービス株式会社である。設立時の資本金は5,000万円だった。同じころ生まれたユーザー系の情報サービス会社の多くは、親会社の情報処理を引き受けるために情報システム部門から分離した会社だったが、住商コンピューターサービスは設立の時点で一般顧客を対象に業務を行うことを決めていた。掲げた事業は、独自のコンピューターを保有しての受託計算業務、ソフトウェアの設計・開発・販売、ハードウェアを含めたシステムの設計・開発・販売、そして通信回線が自由化された場合のオンライン情報処理サービスへの進出の四つだった。商社が自社の情報処理部門を切り出したのではなく、外販を前提にした会社を商社が新たに作ったという順序である。
- 有価証券報告書
- [1]1969年10月に大阪府大阪市東区北浜で住商コンピューターサービス株式会社を設立
- 住商情報システム 公式サイト 沿革(1998年1月時点)
- [2]1969年10月に資本金5,000万円で設立
- 証券アナリストジャーナル 1989年27巻4号
- [3]一般のユーザー系情報サービス会社は親会社の情報処理を目的に分離独立した例が多いなか、設立当初から一般顧客を対象に業務を行う方針を採った
- [4]設立時の事業内容として受託計算業務、汎用およびアプリケーション・ソフトウェアの設計・開発・販売、ハードウェアとソフトウェアを含めたシステムの設計・開発・販売、通信回線自由化時のオンライン情報処理サービスと情報通信ネットワークへの進出を掲げた
住商コンピューターサービスが2011年10月に合併し、SCSKという商号の由来ともなった株式会社CSKは、1968年に大川功氏が設立した会社である。コンピューターメーカーや商社、銀行の情報システム部門から派生した同業大手とは異なり、資本系列を持たない独立企業だった。創業以来の主力業務は、ファシリティ・マネジメントと呼ばれる電算室の運営・管理の請負である。データの入出力をはじめとする計算機の運用を、顧客に代わって引き受けた。社員の多くが顧客企業の現場に常駐するため本社の施設費が軽く済み、顧客側の仕様変更にも早く応じられた。計算機の運用は夜勤が多く人事管理の難しい職務で、費用が高くついても外部へ委ねる企業が多かった。CSKはこの外注需要そのものを事業に変えた。
- 有価証券報告書
- [5]2011年10月に株式会社CSKと合併し、SCSK株式会社に商号変更
- 日経ビジネス 1985年7月8日号
- [6]CSKは昭和43年(1968年)に発足し、大川功氏が社長を務めた
- [7]同業大手の多くがコンピューターメーカーや商社、銀行のシステム部門から派生したのに対し、CSKは資本系列のない独立企業だった
- [8]創業以来の主要業務はファシリティ・マネジメントと呼ばれる電算室の運営・管理の請負だった
- [9]データの入出力などコンピューターの運用をユーザーに代わって行う業務である
- [10]ユーザー企業に常駐すれば本社の施設費が少なく済み、ソフトの仕様変更にも柔軟に対応できた
- [11]コンピューターの運営・管理は夜勤が多く人事管理上も難しいため、高くついても業者への外注が多かった
CSKの得意先は大手製造業と金融業を中心に500社へ及び、売上構成ではシステム開発が40%を占めて最大の部門へ育っていた。1984年度の売上高は369億円、申告所得は59億円で、情報処理業界の売上高2位・申告所得1位を占めた。これに対し住商コンピューターサービスの売上は、1988年3月期で住友商事向けが39%、住友グループ全体では約50%を占め、残る半分が系列外だった。住友商事向けの比率には同社のシステム再構築がその期にピークを迎えた事情が含まれ、平均では34〜35%で推移していた。片方は系列を持たないために顧客を自力で開拓するほかなく、片方は系列という安定した需要を土台に系列外を広げた。
- 日経ビジネス 1985年7月8日号
- [12]CSKの得意先は大手製造業・金融業を中心に500社に及び、売上高構成ではシステム開発が40%と最大部門になっていた
- [13]CSKの1984年度の業績は売上高369億円・申告所得59億円で、情報処理業界の売上高第2位・申告所得第1位だった
- 証券アナリストジャーナル 1989年27巻4号
- [14]前3月期の住友商事向け売上比率は39%、住友グループ全体では約50%で、系列外が約50%だった
- [15]住友商事向け39%は同社のシステム再構築がピークを迎えた特殊要因によるもので、平均では34〜35%だった
参考文献[1]-[15]
- 有価証券報告書
- [1]1969年10月に大阪府大阪市東区北浜で住商コンピューターサービス株式会社を設立
- [5]2011年10月に株式会社CSKと合併し、SCSK株式会社に商号変更
- [2]1969年10月に資本金5,000万円で設立
- 証券アナリストジャーナル 1989年27巻4号
- [3]一般のユーザー系情報サービス会社は親会社の情報処理を目的に分離独立した例が多いなか、設立当初から一般顧客を対象に業務を行う方針を採った
- [4]設立時の事業内容として受託計算業務、汎用およびアプリケーション・ソフトウェアの設計・開発・販売、ハードウェアとソフトウェアを含めたシステムの設計・開発・販売、通信回線自由化時のオンライン情報処理サービスと情報通信ネットワークへの進出を掲げた
- [14]前3月期の住友商事向け売上比率は39%、住友グループ全体では約50%で、系列外が約50%だった
- [15]住友商事向け39%は同社のシステム再構築がピークを迎えた特殊要因によるもので、平均では34〜35%だった
- 日経ビジネス 1985年7月8日号
- [6]CSKは昭和43年(1968年)に発足し、大川功氏が社長を務めた
- [7]同業大手の多くがコンピューターメーカーや商社、銀行のシステム部門から派生したのに対し、CSKは資本系列のない独立企業だった
- [8]創業以来の主要業務はファシリティ・マネジメントと呼ばれる電算室の運営・管理の請負だった
- [9]データの入出力などコンピューターの運用をユーザーに代わって行う業務である
- [10]ユーザー企業に常駐すれば本社の施設費が少なく済み、ソフトの仕様変更にも柔軟に対応できた
- [11]コンピューターの運営・管理は夜勤が多く人事管理上も難しいため、高くついても業者への外注が多かった
- [12]CSKの得意先は大手製造業・金融業を中心に500社に及び、売上高構成ではシステム開発が40%と最大部門になっていた
- [13]CSKの1984年度の業績は売上高369億円・申告所得59億円で、情報処理業界の売上高第2位・申告所得第1位だった
1982年〜ASPECTとALICEの自社開発、日本IBMとの合弁
1982年12月、住商コンピューターサービスはソフトウェア開発方法論・設計技法「ASPECT」の開発に着手し、1985年3月に完了させた。続けて1985年7月には、ソフトウェア開発支援システムであるCASEツール「ALICE」の開発に取りかかり、1987年2月からリリースを始めた。1988年2月には、東京都江東区にコンピュータービル「東京第1センター」を開設している。仕入れ先にあたる協力会社は1989年の時点で約100社を数え、開発の実務の相当部分は社外へ流れていた。受託開発の売上は投入した技術者の人数と作業時間の積で決まるため、人を増やさずに売上を拡大するには一人あたりの生産量を動かすほかない。
- 住商情報システム 公式サイト 沿革(1998年1月時点)
- [16]1982年12月にソフトウェア開発方法論・設計技法「ASPECT」の開発に着手し、1985年3月に開発を完了
- [17]1985年7月にCASEツール「ALICE」の開発に着手し、1987年2月にリリースを開始
- 有価証券報告書
- [18]1988年2月に東京都江東区へ東京第1センターを開設
- 証券アナリストジャーナル 1989年27巻4号
- [19]仕入れ先にあたる協力会社は約100社あった
1985年5月28日、日本IBMの椎名武雄社長とCSKの大川功社長が記者会見に並び、両社が共同出資で応用ソフト開発会社を設立すると発表した。同年9月上旬をめどに設立するとした日本インフォメーション・エンジニアリングは、資本金3億円、出資比率はCSKが65%、日本IBMが35%で、社長にはCSKの大植正道専務が就任することになった。新会社はIBM汎用機向けのアプリケーション・ソフトウェアの開発にあたり、当初100人程度で始めて3年後に1,000人規模へ育てる計画だった。CSKの狙いは、大規模プロジェクトに参画してシステム開発力を高め、労働集約的な体質から脱けることにあった。住商コンピューターサービスが同じ年にALICEの開発へ着手していたことと並べれば、技術を内で作るか、持っている相手と組んで学ぶかという分かれ方だった。
- 日経ビジネス 1985年7月8日号
- [20]1985年5月28日に日本IBMの椎名武雄社長とCSKの大川功社長が記者会見し、共同出資で応用ソフト開発会社を設立すると発表した
- [21]新会社「日本インフォメーション・エンジニアリング」は資本金3億円、出資比率はCSK65%・日本IBM35%で、社長にはCSKの大植正道専務が就任する
- [22]新会社はIBM汎用機のアプリケーション・ソフトウェアを開発し、当初100人程度で発足して3年後に1,000人規模を目指す計画だった
- [23]CSKは新会社を通じて大規模プロジェクトを受注し、労働集約的な体質からの脱皮とシステム開発力の向上を図った
- 住商情報システム 公式サイト 沿革(1998年1月時点)
- [24]1985年7月にCASEツール「ALICE」の開発に着手
CSKは1982年に東京証券取引所市場第二部へ上場し、1985年3月には市場第一部へ移った。情報処理産業で一部上場を果たしたのはCSKが最初である。同社は人工知能の研究、ホームオートメーションへの進出、VAN事業の展開と多角化を進めており、日本IBMとの合弁はその総仕上げと位置づけられていた。一方の住商コンピューターサービスは、1987年10月に米国へSumisho Computer Service (USA), Inc.を設立して初の海外拠点を置き、国内では東京センターの建設資金として約30億円を借り入れていた。上場を先に済ませたCSKが人工知能やVANへ手を伸ばしたのに対し、住商コンピューターサービスは設備と拠点へ資金を向けた。
- 日経ビジネス 1985年7月8日号
- [25]CSKは昭和57年(1982年)に東証第2部へ上場し、1985年3月に第1部へ上場した
- [26]情報処理産業で東証第1部上場はCSKが初めてだった
- [27]CSKは人工知能の研究、ホームオートメーションへの進出、VAN事業の展開など事業の多角化を進めており、日本IBMとの提携はその総仕上げと位置づけられた
- 有価証券報告書
- [28]1987年10月に米国子会社Sumisho Computer Service (USA), Inc.を設立
- 証券アナリストジャーナル 1989年27巻4号
- [29]東京センターの建設資金として約30億円を借り入れていた
参考文献[16]-[29]
- [16]1982年12月にソフトウェア開発方法論・設計技法「ASPECT」の開発に着手し、1985年3月に開発を完了
- [17]1985年7月にCASEツール「ALICE」の開発に着手し、1987年2月にリリースを開始
- [24]1985年7月にCASEツール「ALICE」の開発に着手
- 有価証券報告書
- [18]1988年2月に東京都江東区へ東京第1センターを開設
- [28]1987年10月に米国子会社Sumisho Computer Service (USA), Inc.を設立
- 証券アナリストジャーナル 1989年27巻4号
- [19]仕入れ先にあたる協力会社は約100社あった
- [29]東京センターの建設資金として約30億円を借り入れていた
- 日経ビジネス 1985年7月8日号
- [20]1985年5月28日に日本IBMの椎名武雄社長とCSKの大川功社長が記者会見し、共同出資で応用ソフト開発会社を設立すると発表した
- [21]新会社「日本インフォメーション・エンジニアリング」は資本金3億円、出資比率はCSK65%・日本IBM35%で、社長にはCSKの大植正道専務が就任する
- [22]新会社はIBM汎用機のアプリケーション・ソフトウェアを開発し、当初100人程度で発足して3年後に1,000人規模を目指す計画だった
- [23]CSKは新会社を通じて大規模プロジェクトを受注し、労働集約的な体質からの脱皮とシステム開発力の向上を図った
- [25]CSKは昭和57年(1982年)に東証第2部へ上場し、1985年3月に第1部へ上場した
- [26]情報処理産業で東証第1部上場はCSKが初めてだった
- [27]CSKは人工知能の研究、ホームオートメーションへの進出、VAN事業の展開など事業の多角化を進めており、日本IBMとの提携はその総仕上げと位置づけられた
1986年〜三ヵ年計画チャレンジ88の達成と東証二部上場
住商コンピューターサービスは1986年から「チャレンジ88」と名づけた3ヵ年計画を進めていた。掲げた目標は、自前のコンピューターセンターを東京に設立すること、東京証券取引所市場第二部に株式を上場すること、そして1989年3月期に売上高200億円以上を達成することの三つである。コンピューターセンターは1988年2月に東京第1センターとして完成し、東証二部への上場は1989年2月に認められた。売上高も200億円の達成が確実になった。総合商社系の情報サービス会社が上場したのはこれが最初で、その要因には、設立当初から一般顧客を対象にしてきたことが挙げられた。計画に並ぶ三項目のうち二つは、設備と資本という外から見える成果だった。
- 証券アナリストジャーナル 1989年27巻4号
- [30]3年前から実施し1989年3月期で終了する3ヵ年計画を「チャレンジ88」と名づけていた
- [31]チャレンジ88は自前のコンピューターセンターの東京設立、東証第二部上場、1989年3月期の売上高200億円以上の達成を目標に掲げた
- [32]コンピューターセンターは1988年2月に完成した
- [34]1989年3月期の売上高200億円の達成は確実とされた
- [35]総合商社系の情報サービス会社として最初の上場企業となった要因を、設立当初から一般顧客を対象にしてきた点に川本弘社長が求めた
- 有価証券報告書
- [33]1989年2月に東京証券取引所市場第二部へ株式を上場
1989年3月期の業績は、売上高229億円、経常利益12億7,000万円、当期純利益5億6,800万円を見込み、利益は見込みを相当上回る見通しにあった。上場に伴う公募増資400万株の手取金は、東京センターの建設資金として借り入れた約30億円の返済に充てられ、残りは第二センターと研修所の建設資金、ネットワーク事業への投資へ向けられた。1989年6月には郵政省へ一般第二種電気通信事業の届出を行い、同年12月には宮崎県宮崎市に宮崎住商コンピューターサービスを設立している。上場で得た資金は、受注をその場で増やすためではなく、受注を引き受ける設備と拠点のほうに向かった。
- 証券アナリストジャーナル 1989年27巻4号
- [36]1989年3月期は売上高229億円、経常利益12億7,000万円、純利益5億6,800万円を見込み、利益は相当上回る見通しだった
- [37]公募増資400万株の手取金は東京センターの建設資金として借り入れた約30億円の返済に充て、残りを第二センターと研修所の建設資金、ネットワーク事業への投資に充当する予定だった
- 有価証券報告書
- [38]1989年6月に郵政省へ一般第二種電気通信事業の届出を行った
- [39]1989年12月に宮崎県宮崎市へ子会社の宮崎住商コンピューターサービス株式会社を設立
続く1989年4月からの新3ヵ年計画では、1992年3月期に売上高500億円、経常利益30億円を掲げた。川本弘社長が示した進め方は、取扱商品とサービス、販売先、仕入れ先の幅を広げ、ユーザーの要望を先取りしてハードの選定からシステムの構築・保守・運用までを一貫して引き受けることだった。具体的には、システムの設計・開発から運用・保守までを含むシステム・インテグレーション・サービスの体制を確立するとした。1989年3月には通商産業省から「システムインテグレータ」の認定を取得している。3年で売上を2.2倍にするこの計画は、上場までの3年の勢いをそのまま先へ延ばした線でもあった。
- 証券アナリストジャーナル 1989年27巻4号
- [40]1989年4月からの新3ヵ年計画は1992年3月期に売上高500億円、経常利益30億円の達成を目標とした
- [41]新3ヵ年計画の方法として「トータルパワーによるトータルマーケティング」を掲げ、取扱商品・サービス・販売先・仕入れ先の幅を広げ、ハードの選定からシステム構築・保守・運用までを一貫して行うとした
- [42]システムの設計・開発から運用・保守までを含めた一貫サービスを提供するシステム・インテグレーション・サービス体制の確立を目指した
- 住商情報システム 公式サイト 沿革(1998年1月時点)
- [43]1989年3月に通商産業省から「システムインテグレータ」の認定を取得
参考文献[30]-[43]
- 証券アナリストジャーナル 1989年27巻4号
- [30]3年前から実施し1989年3月期で終了する3ヵ年計画を「チャレンジ88」と名づけていた
- [31]チャレンジ88は自前のコンピューターセンターの東京設立、東証第二部上場、1989年3月期の売上高200億円以上の達成を目標に掲げた
- [32]コンピューターセンターは1988年2月に完成した
- [34]1989年3月期の売上高200億円の達成は確実とされた
- [35]総合商社系の情報サービス会社として最初の上場企業となった要因を、設立当初から一般顧客を対象にしてきた点に川本弘社長が求めた
- [36]1989年3月期は売上高229億円、経常利益12億7,000万円、純利益5億6,800万円を見込み、利益は相当上回る見通しだった
- [37]公募増資400万株の手取金は東京センターの建設資金として借り入れた約30億円の返済に充て、残りを第二センターと研修所の建設資金、ネットワーク事業への投資に充当する予定だった
- [40]1989年4月からの新3ヵ年計画は1992年3月期に売上高500億円、経常利益30億円の達成を目標とした
- [41]新3ヵ年計画の方法として「トータルパワーによるトータルマーケティング」を掲げ、取扱商品・サービス・販売先・仕入れ先の幅を広げ、ハードの選定からシステム構築・保守・運用までを一貫して行うとした
- [42]システムの設計・開発から運用・保守までを含めた一貫サービスを提供するシステム・インテグレーション・サービス体制の確立を目指した
- 有価証券報告書
- [33]1989年2月に東京証券取引所市場第二部へ株式を上場
- [38]1989年6月に郵政省へ一般第二種電気通信事業の届出を行った
- [39]1989年12月に宮崎県宮崎市へ子会社の宮崎住商コンピューターサービス株式会社を設立
- [43]1989年3月に通商産業省から「システムインテグレータ」の認定を取得
筆者考察
同じころに生まれた二つの会社が、正反対の資源を元手にした。1968年のCSKは資本系列を持たず、顧客の電算室へ社員を送り込むところから始めた。翌1969年の住商コンピューターサービスは住友商事という取引の束を背負って生まれたが、設立の時点で一般顧客を対象にすると決めている。系列という土台がありながら売上の半分を系列外から取ってきた会社と、土台を持たないまま500社の得意先を自力で開いた会社。1980年代半ばの規模ではCSKが上回り、1984年度の売上高369億円は情報処理業界の2位につけた。住商コンピューターサービスが1989年3月期に見込んだ229億円の1.6倍にあたる。
規模の差より重いのは、両社が同じ制約に突き当たっていたことである。受託開発の売上は技術者の人数と作業時間の積で決まり、人を増やさなければ売上も増えない。CSKはこれを労働集約的な体質と呼び、1985年に日本IBMと資本金3億円の合弁会社をつくって大規模プロジェクトの経験を外から取り込もうとした。住商コンピューターサービスは同じ年、ALICEというCASEツールの開発に着手している。組んで学ぶか、自分で道具をつくるか。答えは違ったが、問いは同じだった。1989年2月の東証二部上場で住商コンピューターサービスが集めた資金も、受注を増やすためではなく、センターと研修所という受け皿へ向かっている。どちらの答えも、需要そのものが細る事態までは織り込んでいなかった。
出典・参考
4件
- 有価証券報告書
- 日経ビジネス 1985年7月8日号
- 証券アナリストジャーナル 1989年27巻4号
- 住商情報システム 公式サイト 沿革(1998年1月時点)