武富士:無人契約機「¥enむすび」の導入と東証一部上場
無人店舗533店と年27.375%の上限金利、東証一部上場と786億円の一括償却
1990年〜創業25周年の本社集約と、銀行・証券を見据えた総合金融の構想
武富士の融資残高は1991年2月に5,000億円へ届き、創業25周年を迎えたこの年の社員はおよそ3,000名を数えた。武井保雄会長兼社長は、これまでの伸びがこの先も続く保証は無いとし、『武富士の土台を一層盤石なものにするべく、会社そのものに投資する時がきていると思っています』と1991年の取材で語った。最初の手は、八重洲と麹町に分かれていた本社機能と情報を一か所へまとめる新本社ビルの建設であった。地上14階・地下2階のビルは1992年5月に西新宿で竣工し、本社はそこへ移った。本部の投資と並行して貸出も伸び、1994年7月には融資残高が7,000億円に達した。社員が定年後も働ける関連会社を増やすことも、同じ投資の一部に数えていた。店の数を積む段階から、店を統括する本部を固める段階へ、力点を移したとみられる。
- 武富士 年次報告書(2000年)「武富士の歴史」
- [1]武富士の融資残高は平成3年2月に5,000億円に達した
- [6]融資残高は平成6年7月に7,000億円を達成した
- 財界人 1991年「「財界人」トップインタビュー――武井保雄 武富士会長・社長VS田崎喜朗」
- [2]1991年に創業25周年を迎えた武富士の社員は約3,000名であった
- [3]武井保雄は過去の発展が永続する保証は無いとして、25周年を機に企業体力の強化を図る考えを示した
- [4]西新宿の新本社ビルは八重洲・麹町に分散する本社機能の集中と情報の集約を目的としていた
- [7]武井保雄は社員が定年後も働けるよう関連会社・子会社の拡充を課題に挙げた
- 武富士 有価証券報告書(第43期・2010年6月30日提出)【沿革】
- [5]平成4年5月、本社ビルを東京都新宿区西新宿八丁目に竣工し移転した
同じ取材で武井氏は、銀行のほか証券会社や生命保険会社にも関心があり、全社員に研究させていると明かした。海外では米国で7割を出資する提携案件を進めており、欧州へ出るなら需要調査を終えたロンドンを最初に選ぶとした。一般の客を相手にする以上、知名度を上げるにはレジャー産業への進出が欠かせないとも位置づけた。学校経営にもすでに数か所へ資本を入れているが、まだ研究の途中だとした。実際に傘下へ入ったのは、1993年11月のゴルフ場運営会社と、1995年3月の総合リース業の保井であった。1993年11月には、長期の安定資金を入れるための全額出資の特別目的会社も設けている。描いた金融グループの姿と、手に入った会社の顔ぶれには開きがあったといえる。
- 財界人 1991年「「財界人」トップインタビュー――武井保雄 武富士会長・社長VS田崎喜朗」
- [8]武井保雄は銀行のほか証券会社・生命保険会社にも関心を持ち、全社員に研究させていると述べた
- [9]武井保雄は米国で武富士7割出資の提携案件が進行中とし、欧州進出ならロンドンが第一候補と述べた
- [10]武井保雄は認知度を高めるためレジャー産業等への進出が不可欠と述べ、ゴルフ場経営をその一環とした
- [11]武井保雄は学校経営を以前から考えており、既に何か所かに資本参加しているがまだ勉強の途中だと述べた
- 武富士 有価証券報告書(第43期・2010年6月30日提出)【沿革】
- [12]平成5年11月にゴルフ場運営会社ロイヤルクレインカントリー倶楽部の全株式を、平成7年3月に総合リース業の保井の全株式を取得した
- [13]平成5年11月、長期安定資金導入のため100%出資の特別目的会社武富士キャピトルを設立した
参考文献[1]-[13]
- 武富士 年次報告書(2000年)「武富士の歴史」
- [1]武富士の融資残高は平成3年2月に5,000億円に達した
- [6]融資残高は平成6年7月に7,000億円を達成した
- 財界人 1991年「「財界人」トップインタビュー――武井保雄 武富士会長・社長VS田崎喜朗」
- [2]1991年に創業25周年を迎えた武富士の社員は約3,000名であった
- [3]武井保雄は過去の発展が永続する保証は無いとして、25周年を機に企業体力の強化を図る考えを示した
- [4]西新宿の新本社ビルは八重洲・麹町に分散する本社機能の集中と情報の集約を目的としていた
- [7]武井保雄は社員が定年後も働けるよう関連会社・子会社の拡充を課題に挙げた
- [8]武井保雄は銀行のほか証券会社・生命保険会社にも関心を持ち、全社員に研究させていると述べた
- [9]武井保雄は米国で武富士7割出資の提携案件が進行中とし、欧州進出ならロンドンが第一候補と述べた
- [10]武井保雄は認知度を高めるためレジャー産業等への進出が不可欠と述べ、ゴルフ場経営をその一環とした
- [11]武井保雄は学校経営を以前から考えており、既に何か所かに資本参加しているがまだ勉強の途中だと述べた
- 武富士 有価証券報告書(第43期・2010年6月30日提出)【沿革】
- [5]平成4年5月、本社ビルを東京都新宿区西新宿八丁目に竣工し移転した
- [12]平成5年11月にゴルフ場運営会社ロイヤルクレインカントリー倶楽部の全株式を、平成7年3月に総合リース業の保井の全株式を取得した
- [13]平成5年11月、長期安定資金導入のため100%出資の特別目的会社武富士キャピトルを設立した
1995年〜無人契約機「¥enむすび」、年27.375%への上限引き下げと店頭登録
1995年10月、武富士は無人契約機「¥enむすび」を導入し、同年12月には金融機関や信販会社とCD・ATMの提携を始めた。無人契約機は土曜・日曜でも契約でき、その場で出る「¥enカード」で時間外もATMから出し入れできた。1995年11月には顧客口座数が200万口座に届いた。1998年3月末の店舗は1,063か所で、無人店舗533か所が有人店舗530か所を上回った。自社の1,253台を含め、顧客が使えるCD・ATMは1万8,857台に及んだ。2000年3月末も有人店舗は530のまま据え置かれ、無人店舗だけが928へ増えた。人を足さずに入口だけを増やす出店の型へ、この5年で切り替わったのだろう。
- 武富士 有価証券報告書(第43期・2010年6月30日提出)【沿革】
- [14]平成7年10月に「無人契約機¥enむすび」を導入した
- [15]平成7年12月に金融機関・信販会社とCD・ATM提携を開始した
- 武富士 年次報告書(1998年)「信頼のネットワーク」
- [16]無人契約機「¥enむすび」は土曜・日曜も契約でき、その場で発行する「¥enカード」は営業時間外や休日もATMで入出金できた
- [19]顧客が利用できるCD・ATMは自社の1,253台を含め18,857台であった
- 武富士 年次報告書(2000年)「武富士の歴史」
- [17]平成7年11月に顧客口座数200万口座を達成した
- 証券 1999年51巻2号
- [18]平成10年3月31日現在の店舗は全国1,063か所(通常店舗530か所、無人店舗533か所)であった
- 武富士 年次報告書(2000年)「信頼のネットワーク」
- [20]平成12年3月末の店舗網は1,458店舗で、有人店舗530店舗・無人店舗928店舗であった
1996年2月、武富士は貸出しの上限金利を年29.2%(日歩8銭)から27.375%(日歩7.5銭)へ下げた。同じ月に融資残高は9,000億円へ届き、9月には1兆円を超えた。その間の8月に、株式を店頭売買有価証券として日本証券業協会へ登録している。上場時の紹介文で武井保雄社長は、経営理念を「お客様第一主義」と「効率経営」とし、後者の手段に無人店舗の増設とCD・ATM提携の拡大を挙げた。1998年の年次報告は、小口・無担保を本道とし、27.375%を上限に据え続ける方針を示した。上限は動かさず、優良顧客にだけ金利を段階的に下げるスライド方式を広げるとした。価格の天井を先に引き下げ、そのうえで資本市場へ出る順序を選んだといえる。
- 武富士 年次報告書(1998年)「商品とサービス」
- [21]平成8年2月に貸出し上限金利を29.2%(日歩8銭)から27.375%(日歩7.5銭)へ引き下げた
- [25]武富士は小口・無担保を消費者金融の本道とし、今後も27.375%を上限金利とする方針を示した
- [26]優良顧客に対してはスライド方式を進めるとした
- 武富士 年次報告書(2000年)「武富士の歴史」
- [22]融資残高は平成8年2月に9,000億円、同年9月に1兆円を達成した
- 武富士 有価証券報告書(第43期・2010年6月30日提出)【沿革】
- [23]平成8年8月に株式を店頭売買有価証券として日本証券業協会に登録した
- 証券 1999年51巻2号
- [24]武井保雄社長は経営理念を「お客様第一主義」と「効率経営」とし、効率経営の観点から自動契約型無人店舗の増設とCD・ATM提携の拡大を進めているとした
1997年2月下旬、東京地裁は武富士に対し、現金自動貸付返済機で受け取った利息の一部を返すよう命じた。判決は、店頭での返済と違い、機械では借り手が約定の利息を納得のうえで払ったとは見なせないとした。武富士の返済のうち62%はこの機械を通っており、判決が確定すれば、利息制限法の上限を超えて払った顧客全員から返還を求められかねなかった。武富士は控訴する一方、返済前に元金と利息の内訳を画面に出すシステムを、7月の予定から6月初めへ早めた。信販大手のジャックスは判決直後の2月27日、カードキャッシングの手数料を年24.36%から18%へ下げ、利息制限法の枠内に収めた。同じ年の7月には第3次オンラインシステムが稼働した。無人化で広げた接点が、金利の合法性を問われる接点にもなったのである。
- 日経ビジネス 1997年4月14日号
- [27]1997年2月下旬、東京地裁は武富士に対し、現金自動貸付返済機での返済について支払われた利息の一部を返金するよう命じた
- [28]判決は、機械での返済では債務者が約定の利息を納得して支払ったとみる余地はないと指摘した
- [29]問題とされた機械での返済は武富士で62%を占め、判決が確定すれば利息制限法の上限超で返済した顧客全員から返金を求められかねなかった
- [30]武富士は控訴する一方、返済前に元金と利息の内訳を画面表示する新システムを当初予定の7月から6月初めへ前倒しする方針を決めた
- [31]ジャックスは判決直後の2月27日、カードキャッシングの手数料を年24.36%から年18%に引き下げ、利息制限法の上限に収めた
- 武富士 有価証券報告書(第43期・2010年6月30日提出)【沿革】
- [32]平成9年7月に第3次オンラインシステムが稼働した
参考文献[14]-[32]
- 武富士 有価証券報告書(第43期・2010年6月30日提出)【沿革】
- [14]平成7年10月に「無人契約機¥enむすび」を導入した
- [15]平成7年12月に金融機関・信販会社とCD・ATM提携を開始した
- [23]平成8年8月に株式を店頭売買有価証券として日本証券業協会に登録した
- [32]平成9年7月に第3次オンラインシステムが稼働した
- 武富士 年次報告書(1998年)「信頼のネットワーク」
- [16]無人契約機「¥enむすび」は土曜・日曜も契約でき、その場で発行する「¥enカード」は営業時間外や休日もATMで入出金できた
- [19]顧客が利用できるCD・ATMは自社の1,253台を含め18,857台であった
- 武富士 年次報告書(2000年)「武富士の歴史」
- [17]平成7年11月に顧客口座数200万口座を達成した
- [22]融資残高は平成8年2月に9,000億円、同年9月に1兆円を達成した
- 証券 1999年51巻2号
- [18]平成10年3月31日現在の店舗は全国1,063か所(通常店舗530か所、無人店舗533か所)であった
- [24]武井保雄社長は経営理念を「お客様第一主義」と「効率経営」とし、効率経営の観点から自動契約型無人店舗の増設とCD・ATM提携の拡大を進めているとした
- 武富士 年次報告書(2000年)「信頼のネットワーク」
- [20]平成12年3月末の店舗網は1,458店舗で、有人店舗530店舗・無人店舗928店舗であった
- 武富士 年次報告書(1998年)「商品とサービス」
- [21]平成8年2月に貸出し上限金利を29.2%(日歩8銭)から27.375%(日歩7.5銭)へ引き下げた
- [25]武富士は小口・無担保を消費者金融の本道とし、今後も27.375%を上限金利とする方針を示した
- [26]優良顧客に対してはスライド方式を進めるとした
- 日経ビジネス 1997年4月14日号
- [27]1997年2月下旬、東京地裁は武富士に対し、現金自動貸付返済機での返済について支払われた利息の一部を返金するよう命じた
- [28]判決は、機械での返済では債務者が約定の利息を納得して支払ったとみる余地はないと指摘した
- [29]問題とされた機械での返済は武富士で62%を占め、判決が確定すれば利息制限法の上限超で返済した顧客全員から返金を求められかねなかった
- [30]武富士は控訴する一方、返済前に元金と利息の内訳を画面表示する新システムを当初予定の7月から6月初めへ前倒しする方針を決めた
- [31]ジャックスは判決直後の2月27日、カードキャッシングの手数料を年24.36%から年18%に引き下げ、利息制限法の上限に収めた
1998年〜与信の引き締めと東証一部上場、786億円の貸倒償却と京都の土地の売却
大手各社は1997年2月に消費者金融連絡会を設け、与信審査を厳しくする方針を打ち出していた。1998年7月の年次報告の会長挨拶は、多重債務と金融機関の貸し渋りによる資金調達難を業界の課題に挙げ、与信基準を見直したと記した。失業した借り手の約定返済を最長6か月分まで保険金で充てる個人ローン信用保険も、業界で初めて取り入れた。そのうえで、『創業以来の大切な経営理念である「お客様第一主義」と「効率経営」がいよいよその真価を発揮するときが到来した』と書いている。1998年3月期の営業貸付金残高は1兆1,886億円、経常利益は1,468億円であった。1997年度の申告所得は1,605億円で全国9位となり、消費者金融として初めて上位10社に入った。1998年12月2日に株式は東京証券取引所市場第一部へ上場し、翌年2月には業界で初めて株券オプション取引の対象銘柄に選ばれた。
- 日経ビジネス 1998年7月13日号
- [33]武富士、アコムなど大手消費者金融は1997年2月に「消費者金融連絡会」を発足させ、与信審査の厳格化などを打ち出した
- 武富士 年次報告書(1998年)「ご挨拶」
- [34]武富士の会長は多重債務の問題と金融機関の貸し渋りによる資金調達難を業界の課題とし、与信基準等の見直しに努めたと述べた
- [36]武富士の会長は、創業以来の経営理念がその真価を発揮する時期が来たとして全社で徹底する考えを示した
- [37]1998年3月期の営業貸付金残高は1兆1,886億円、経常利益は1,468億円であった
- 武富士 年次報告書(1999年)「市場と武富士」
- [35]不時の失業に見舞われた顧客向けに業界初の救済保険制度「個人ローン信用保険」を導入し、最長6カ月分の約定返済額を保険金で充当した
- [40]平成11年2月に東京証券取引所から株券オプション取引対象銘柄に選定され、消費者金融業界で初めてであった
- 日経ビジネス 1998年8月31日号
- [38]武富士の1997年度の申告所得は1,605億円で9位となり、消費者金融会社として初めて10位内に入った
- 証券 1999年51巻2号
- [39]武富士は平成10年12月2日に東京証券取引所市場第一部に上場した
1998年の自己破産は10万3803件と前年から5割近く増え、消費者金融の貸し過ぎに批判が集まった。業界の信用情報機関は翌1999年、事故の無い顧客の借入総額まで信販や銀行へ開く方針を決めた。同じ年、さくら銀行は3年で融資残高5,000億円を目指す個人ローン会社を計画し、その規模は武富士の約半分にあたった。2000年6月には出資法の改正で上限金利が下がり、2000年の年次報告は大手金融機関や外資の参入と並べてこれを課題に挙げた。改正後の法定上限は年29.2%で、武富士の商品上限27.375%はその内側に収まっていた。それでも2002年の年次報告は、『当社は徒に事業領域の多角化を図るようなことは致しません』と記し、今はその時期でないと判断した結果だと説明した。
- 日経ビジネス 1999年10月4日号
- [41]1998年の自己破産は前年より5割近く多い10万3803件に達し、消費者金融の貸し過ぎに社会的な批判が集中した
- [42]全国信用情報センター連合会は、事故を起こしていない顧客の情報も含めて信販・カード会社や銀行に個人信用情報を公開することを決めた
- 日経ビジネス 1999年10月11日号
- [43]さくら銀行は事業開始後3年で融資残高5000億円を目指す個人ローン会社を計画し、その額は武富士の約半分に相当した
- 武富士 年次報告書(2000年)「ご挨拶」
- [44]武富士は大手金融機関や外資の参入による競争激化と、平成12年6月1日の出資法一部改正による上限金利の引き下げを経営環境の課題に挙げた
- 武富士 年次報告書(2000年)「貸出し上限金利の推移」
- [45]貸出し上限金利の推移で、平成12年6月以降の法定上限は29.2%、武富士の上限は平成8年2月以降27.375%であった
- 武富士 年次報告書(2002年)「経営概況」
- [46]武富士は様々な角度から調査・検討を重ねた結果、今は多角化の時期ではないと判断したと説明した
2002年3月期、武富士は年初の計画を265億円上回る786億円、残高比4.45%の貸倒償却を計上した。武富士は決算説明会で、失業者を吸収する職の受け皿が無い点を挙げ、『消費者金融業界は「好不況には比較的影響されない」とされて参りましたが、今次の不況はこれまでとは根本的に違うようです』と説明した。拠り所としたのは、1983年に315億円を一度に償却した後に債権の質が改善した経験であった。同じ期に京都の4物件を鑑定額117億円で子会社へ売り、帳簿価額との差1,199億円を売却損として計上した。連結の当期純利益は64,486百万円と前期から49.3%減った。成約率を77%から68%へ下げても総貸付額は170億円増えたとして、会社側は事業の型に陰りは無いと強調した。2002年の年次報告も、自己破産の増加を前に与信管理をさらに厳しくする方針を掲げている。
- 武富士 決算説明会資料「平成14年3月期決算概要」(2002年5月20日)
- [47]平成14年3月期、年初計画より265億円多い786億円、対残高比4.45%の貸倒償却を実施した
- [48]今次の不況は失業者を吸収する受け皿がなく収入源を確保できない点で過去と異なると説明した
- [49]償却の判断は、昭和58年に315億円・対残高比8.71%の貸倒償却を一挙に実施した後に債権が良化した経験に基づくとした
- [50]京都の4物件を鑑定価額合計117億円で子会社に売却し、帳簿価額との差額1,199億円を固定資産売却損として特別損失に計上した
- [51]平成14年3月期の連結当期純利益は64,486百万円で前年比49.3%減であった
- [52]総貸付金額は前々期9,030億円から前期9,200億円へ170億円増え、成約率を77%から68%に下げた中での増加だとして、ビジネスモデルに翳りはないと強調した
- 武富士 年次報告書(2002年)「経営概況」
- [53]自己破産件数の増加傾向を受け、従来にも増して厳格な与信管理を徹底する方針を示した
参考文献[33]-[53]
- 日経ビジネス 1998年7月13日号
- [33]武富士、アコムなど大手消費者金融は1997年2月に「消費者金融連絡会」を発足させ、与信審査の厳格化などを打ち出した
- 武富士 年次報告書(1998年)「ご挨拶」
- [34]武富士の会長は多重債務の問題と金融機関の貸し渋りによる資金調達難を業界の課題とし、与信基準等の見直しに努めたと述べた
- [36]武富士の会長は、創業以来の経営理念がその真価を発揮する時期が来たとして全社で徹底する考えを示した
- [37]1998年3月期の営業貸付金残高は1兆1,886億円、経常利益は1,468億円であった
- 武富士 年次報告書(1999年)「市場と武富士」
- [35]不時の失業に見舞われた顧客向けに業界初の救済保険制度「個人ローン信用保険」を導入し、最長6カ月分の約定返済額を保険金で充当した
- [40]平成11年2月に東京証券取引所から株券オプション取引対象銘柄に選定され、消費者金融業界で初めてであった
- 日経ビジネス 1998年8月31日号
- [38]武富士の1997年度の申告所得は1,605億円で9位となり、消費者金融会社として初めて10位内に入った
- 証券 1999年51巻2号
- [39]武富士は平成10年12月2日に東京証券取引所市場第一部に上場した
- 日経ビジネス 1999年10月4日号
- [41]1998年の自己破産は前年より5割近く多い10万3803件に達し、消費者金融の貸し過ぎに社会的な批判が集中した
- [42]全国信用情報センター連合会は、事故を起こしていない顧客の情報も含めて信販・カード会社や銀行に個人信用情報を公開することを決めた
- 日経ビジネス 1999年10月11日号
- [43]さくら銀行は事業開始後3年で融資残高5000億円を目指す個人ローン会社を計画し、その額は武富士の約半分に相当した
- 武富士 年次報告書(2000年)「ご挨拶」
- [44]武富士は大手金融機関や外資の参入による競争激化と、平成12年6月1日の出資法一部改正による上限金利の引き下げを経営環境の課題に挙げた
- 武富士 年次報告書(2000年)「貸出し上限金利の推移」
- [45]貸出し上限金利の推移で、平成12年6月以降の法定上限は29.2%、武富士の上限は平成8年2月以降27.375%であった
- 武富士 年次報告書(2002年)「経営概況」
- [46]武富士は様々な角度から調査・検討を重ねた結果、今は多角化の時期ではないと判断したと説明した
- [53]自己破産件数の増加傾向を受け、従来にも増して厳格な与信管理を徹底する方針を示した
- 武富士 決算説明会資料「平成14年3月期決算概要」(2002年5月20日)
- [47]平成14年3月期、年初計画より265億円多い786億円、対残高比4.45%の貸倒償却を実施した
- [48]今次の不況は失業者を吸収する受け皿がなく収入源を確保できない点で過去と異なると説明した
- [49]償却の判断は、昭和58年に315億円・対残高比8.71%の貸倒償却を一挙に実施した後に債権が良化した経験に基づくとした
- [50]京都の4物件を鑑定価額合計117億円で子会社に売却し、帳簿価額との差額1,199億円を固定資産売却損として特別損失に計上した
- [51]平成14年3月期の連結当期純利益は64,486百万円で前年比49.3%減であった
- [52]総貸付金額は前々期9,030億円から前期9,200億円へ170億円増え、成約率を77%から68%に下げた中での増加だとして、ビジネスモデルに翳りはないと強調した
1990年〜2002年の業績
| 決算期 | 区分 | 売上高 | 経常利益 | 純利益 | 主な投資 | ||
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 億円 | YoY | 億円 | 利益率 | 億円 | |||
| 1990年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1991年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1992年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1993年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1994年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1995年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1996年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1997年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1998年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1999年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 2000年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 2001年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 2002年03月期 | 連結 | 4,254 | n/a | 2,316 | 54.4% | 645 | n/a |
出典・参考
18件
- 武富士 決算説明会資料「平成14年3月期決算概要」(2002年5月20日)
- 武富士 有価証券報告書(第43期・2010年6月30日提出)【沿革】
- 日経ビジネス 1997年4月14日号
- 日経ビジネス 1998年7月13日号
- 日経ビジネス 1998年8月31日号
- 証券 1999年51巻2号
- 日経ビジネス 1999年10月4日号
- 日経ビジネス 1999年10月11日号
- 財界人 1991年「「財界人」トップインタビュー――武井保雄 武富士会長・社長VS田崎喜朗」
- 武富士 年次報告書(1998年)「信頼のネットワーク」
- 武富士 年次報告書(1998年)「商品とサービス」
- 武富士 年次報告書(1998年)「ご挨拶」
- 武富士 年次報告書(1999年)「市場と武富士」
- 武富士 年次報告書(2000年)「武富士の歴史」
- 武富士 年次報告書(2000年)「信頼のネットワーク」
- 武富士 年次報告書(2000年)「ご挨拶」
- 武富士 年次報告書(2000年)「貸出し上限金利の推移」
- 武富士 年次報告書(2002年)「経営概況」