第3章 年〜年

日東電工:三新活動の開始とHydranauticsの買収

1975年〜土方三郎社長の三新活動と、偏光フィルム・分離膜・経皮吸収製剤

石油危機を経た1975年3月期、日東電気工業は減収となり、経常利益はほぼ半減した。土方三郎社長は、売上が住宅・家電・自動車向けに寄っていたことを原因に挙げた。かつて売上の3割を占めた新製品は、石油危機のころ2割まで低下していた。土方三郎社長は1975年12月の講演で三新運動の展開を語り、『当社は今後新製品比率30%以上を堅持しなければならないと考えている』と述べた。新製品は3年前に売上がなかった品と定め、手元の設備と技術者で用途を広げるものとした。それでも比率は伸び悩み、1977年4月に営業・工場・研究所の人員で組むSPGを置いた。1980年3月期の新製品比率は30.1%に達した。研究開発費には売上高の約5%を充てていた。

  • 証券アナリストジャーナル 14(1/2) 1976年2月(土方三郎)
    • [1]1975年3月期に減収となり、経常利益は前年から半減した(土方三郎の1975年12月19日講演)
    • [2]減収減益の原因は、売上の中心が住宅・家電・自動車関連の需要に寄っていたことと土方が分析
    • [3]売上高の30%は常に新製品が占めてきたが、オイルショック当時の新製品比率は20%に低下
    • [4]土方は「三新運動」を展開して新用途開発に力を入れ、今後は新製品比率30%以上を堅持する方針を表明
    • [5]新製品は3年前に売上のなかった品を指し、設備・技術者は現状のまま技術改良と用途開発で出す(質疑)
  • 日経ビジネス 1980年7月28日号
    • [6]石油ショック後に3新運動の再活性化を試みたが新製品比率は伸び悩み、1977年4月にSPG(営業・工場・研究所の混成チーム)を発足
    • [7]1980年3月期の新製品比率は30.1%
    • [8]研究開発費は売上高の約5%(土方社長)

1975年4月、日東電気工業は液晶表示用の偏光フィルムの製造を始めた。その年の暮れには、偏光フィルムは月産4,000万〜5,000万円の規模になっていた。翌1976年4月には高分子分離膜の製造を始めた。土方三郎社長は、汚水処理向けの薄い膜が食品や医療、化学へ広がると見込んでいた。1979年度からは、電子材料・防食材料・医療衛生材料・膜の4分野に多角化を絞った。4分野の設備投資はほぼ無条件で認め、1983年に各分野で月商10億円を目指した。1980年時点で、技術研究所の研究員180人のうち60人が膜の研究に当たっていた。医療衛生材料では、トーアエイヨーと狭心症薬のテープ製剤を共同で開発した。経皮吸収型テープ製剤の製造は1983年12月に始まった。

  • 日東電工 有価証券報告書 第142期(2007年3月期)【沿革】
    • [9]1975年4月 液晶表示用偏光フィルムの製造開始
    • [11]1976年4月 高分子分離膜の製造開始
    • [17]1983年12月 経皮吸収型テープ製剤の製造開始
  • 証券アナリストジャーナル 14(1/2) 1976年2月(土方三郎)
    • [10]偏光フィルムは1975年12月時点で月産4,000〜5,000万円
    • [12]汚水処理に使う薄い膜を手掛け、新しい薄膜は食品・医療・化学などに使われると土方が見通す
  • 財界観測 49(12) 1984年12月「世界の中の日本企業-13-日東電気工業」(上野明)
    • [13]1979年度以降、電子材料・防食材料・医療衛生材料・膜およびその関連製品の4成長分野に絞って多角化
  • 日経ビジネス 1980年7月28日号
    • [14]電子部品材料・防食材料・医療衛生材料・膜の4製品群はほぼ無条件で設備投資を認め、1983年に各月商10億円を予定
    • [15]技術研究所の研究員180人のうち60人が膜の開発に従事
  • 日経ビジネス 1987年6月22日号
    • [16]経皮吸収テープの第1号はトーアエイヨーと1983年に共同開発した狭心症薬「フランドルテープ」(1984年4月発売)

1971年のドル・ショックで円高が進み、経営陣は日本からの輸出だけでは先細るとみて欧州での生産を決めた。1974年、ベルギーのゲンクに現地法人を設けた。米国には3Mという強い競争相手がいたため、販売経験のある欧州を土方三郎氏が選んだという。1975年12月に生産を始めたが、日本から半加工品を送る方式では、損益分岐となる月商2億円を下回った。土方三郎社長は撤退せずに再投資を決め、1979年に原反からの一貫生産へ切り替えた。ベルギーの拠点は1980年3月期に初めて黒字となった。1980年1月にはシンガポールにも現地法人を置いた。1984年10月にはシンガポールの現地法人に半導体封止樹脂の技術拠点を新設した。

  • 財界観測 49(12) 1984年12月「世界の中の日本企業-13-日東電気工業」(上野明)
    • [18]1971年のニクソン・ショックによる円高で輸出環境が悪化し、欧州に生産拠点を築いてEC域内へ売ることを決意
    • [19]1974年に日東ベルギーを設立。金利の半分を地元が負担する奨励策からゲンク地区を選ぶ
    • [25]1984年10月、日東電工シンガポールに半導体パッケージング樹脂中心のテクニカルセンターを開設し、グローバルに広がるユーザーに対応
  • 日経ビジネス 1981年4月20日号
    • [20]米国には3Mという強力な競争相手がいるため、販売経験のあった欧州への進出を土方が決意(現地副社長の談)
    • [21]1975年12月に生産開始。当初は日本から半加工品を送り、損益分岐の月商2億円を超えられなかった(財界観測1984も同旨)
    • [22]土方が再投資を決意し資本金を1億4,000万ベルギーフランへ増資。1979年に原反設備を新設し一貫生産へ(財界観測1984)
    • [23]再投資の効果で1980年3月期に初めて経常黒字
  • 日東電工 有価証券報告書 第142期(2007年3月期)【沿革】
    • [24]1980年1月 Nitto Denko (Singapore) Pte. Ltd.設立
参考文献[1]-[25]
  • 証券アナリストジャーナル 14(1/2) 1976年2月(土方三郎)
    • [1]1975年3月期に減収となり、経常利益は前年から半減した(土方三郎の1975年12月19日講演)
    • [2]減収減益の原因は、売上の中心が住宅・家電・自動車関連の需要に寄っていたことと土方が分析
    • [3]売上高の30%は常に新製品が占めてきたが、オイルショック当時の新製品比率は20%に低下
    • [4]土方は「三新運動」を展開して新用途開発に力を入れ、今後は新製品比率30%以上を堅持する方針を表明
    • [5]新製品は3年前に売上のなかった品を指し、設備・技術者は現状のまま技術改良と用途開発で出す(質疑)
    • [10]偏光フィルムは1975年12月時点で月産4,000〜5,000万円
    • [12]汚水処理に使う薄い膜を手掛け、新しい薄膜は食品・医療・化学などに使われると土方が見通す
  • 日経ビジネス 1980年7月28日号
    • [6]石油ショック後に3新運動の再活性化を試みたが新製品比率は伸び悩み、1977年4月にSPG(営業・工場・研究所の混成チーム)を発足
    • [7]1980年3月期の新製品比率は30.1%
    • [8]研究開発費は売上高の約5%(土方社長)
    • [14]電子部品材料・防食材料・医療衛生材料・膜の4製品群はほぼ無条件で設備投資を認め、1983年に各月商10億円を予定
    • [15]技術研究所の研究員180人のうち60人が膜の開発に従事
  • 日東電工 有価証券報告書 第142期(2007年3月期)【沿革】
    • [9]1975年4月 液晶表示用偏光フィルムの製造開始
    • [11]1976年4月 高分子分離膜の製造開始
    • [17]1983年12月 経皮吸収型テープ製剤の製造開始
    • [24]1980年1月 Nitto Denko (Singapore) Pte. Ltd.設立
  • 財界観測 49(12) 1984年12月「世界の中の日本企業-13-日東電気工業」(上野明)
    • [13]1979年度以降、電子材料・防食材料・医療衛生材料・膜およびその関連製品の4成長分野に絞って多角化
    • [18]1971年のニクソン・ショックによる円高で輸出環境が悪化し、欧州に生産拠点を築いてEC域内へ売ることを決意
    • [19]1974年に日東ベルギーを設立。金利の半分を地元が負担する奨励策からゲンク地区を選ぶ
    • [25]1984年10月、日東電工シンガポールに半導体パッケージング樹脂中心のテクニカルセンターを開設し、グローバルに広がるユーザーに対応
  • 日経ビジネス 1987年6月22日号
    • [16]経皮吸収テープの第1号はトーアエイヨーと1983年に共同開発した狭心症薬「フランドルテープ」(1984年4月発売)
  • 日経ビジネス 1981年4月20日号
    • [20]米国には3Mという強力な競争相手がいるため、販売経験のあった欧州への進出を土方が決意(現地副社長の談)
    • [21]1975年12月に生産開始。当初は日本から半加工品を送り、損益分岐の月商2億円を超えられなかった(財界観測1984も同旨)
    • [22]土方が再投資を決意し資本金を1億4,000万ベルギーフランへ増資。1979年に原反設備を新設し一貫生産へ(財界観測1984)
    • [23]再投資の効果で1980年3月期に初めて経常黒字

1984年〜ハイドロノーティクス買収と滋賀の膜工場、日東電工への改称

1984年、日東電工アメリカは膜モジュールの組立を始め、米国での本格生産も視野に入れていた。超純水用の膜モジュールは、海外で新事業に育てる候補に挙がっていた。国内では1986年4月、草津市に高分子膜とバイオリアクターを造る滋賀工場を建てた。翌1987年11月、鎌居五朗社長のもとで米国の分離膜メーカー、ハイドロノーティクスを買収した。サンディエゴにあるこの工場は、のちに特許の争いで販売を縛られ赤字に陥った。制約が解けたのは1993年10月の米最高裁の判決で、買収から6年近くを要した。組立の延長では米国の販路に届かず、製造元ごと取り込んだとみられる。

  • 財界観測 49(12) 1984年12月「世界の中の日本企業-13-日東電気工業」(上野明)
    • [26]日東電工アメリカは販売中心だが、テープの切断加工と膜・モジュールの組立を開始。米国に本格的な生産拠点を築く可能性
    • [27]超純水用膜・モジュールなど海外で可能性のあるものを新事業として展開することを目指す
  • 日経ビジネス 1987年6月22日号
    • [28]1986年4月、高分子膜とバイオリアクターの生産を受け持つ滋賀工場(草津市)を建設
  • 日東電工 有価証券報告書 第142期(2007年3月期)【沿革】
    • [29]1987年11月 米国・HYDRANAUTICS買収(当時の社長は鎌居五朗=日経ビジネス1987年6月22日号)
  • 証券アナリストジャーナル 31(12) 1993年11月(浅田常夫)
    • [30]サンディエゴのハイドロノーティクスは分離膜専門工場だが、特許問題で販売が制約され赤字
    • [31]1993年10月に米最高裁の判決が出て一応の解決を見て、自由に販売できるようになった

1987年の時点で、日東電気工業は工業用粘着テープで首位、IC封止材料で5割近いシェアを持っていた。1988年4月、人事部長の岡勝之氏は、自社の海外展開が1980年代後半に現地化の段階へ入ったと整理した。その例に挙げたのがハイドロノーティクスの買収で、輸出と海外生産を合わせた比率は売上の20%強だった。同じ4月に海外営業本部を国際事業本部へ改め、M&Aを担う企画部を新設した。7月には米国の粘着テープメーカー、パーマセルを買収した。9月、商号を日東電気工業から日東電工へ改めた。日東電工の名は、1984年の時点ですでに略称として使われていた。電気絶縁の会社という見え方を外し、通り名を正式な名に据えたのだろう。

  • 日経ビジネス 1987年6月22日号
    • [32]工業用粘着テープで3割程度のシェアの首位、IC封止材料ではシェア5割近いトップ(1987年)
  • 関西経協 42(4) 1988年4月「日東電気工業――国際化への取り組み」(岡勝之)
    • [33]海外戦略を年代別に区分し、昭和60年代を「現地化の時代」とする(人事部長 岡勝之)
    • [34]現地化の例としてハイドロノーテックス社の買収を挙げ、海外比率(輸出+海外生産)は総売上の20%強
    • [35]1988年4月1日付で海外営業本部を国際事業本部に改組し、M&Aを中心とした事業企画を担う企画部を新設
  • 日東電工 有価証券報告書 第142期(2007年3月期)【沿革】
    • [36]1988年7月 米国・PERMACEL買収(SAJ1993で粘着テープ専門工場と説明)
    • [37]1988年9月 商号を日東電気工業㈱より日東電工㈱へ変更
  • 財界観測 49(12) 1984年12月「世界の中の日本企業-13-日東電気工業」(上野明)
    • [38]1984年の記事で日東電気工業を「日東電工」と略称している

1989年、日東電工は工場別の組織を改め、利益責任を負う製品別の事業部制に移った。狙いは技術・生産・販売を一つの組織に収め、事業の速さを上げることにあった。1992年10月には、中央研究所などの技術者約100人を事業部の商品開発センターへ移した。鎌居五朗社長は、製品の選び方を『最終商品の市場は大きくても、それぞれの材料の市場は小さい。そこでなくてはならない機能を持った材料を作って、トップを目指す』と説明した。浅田常夫常務も1993年に、封止材料は約500億円の市場で40%のシェアを持つと示した。偏光フィルムも、1兆円近い液晶市場に対し年間350億円程度の市場であった。ただ1993年上期には、偏光膜などへの値下げ要請が約22億円の減益要因となった。

  • 日経ビジネス 1994年12月5日号
    • [39]1989年に工場別組織を改めて製品別の事業部制を導入し、事業部に利益責任を持たせる(1994年に16事業部)
    • [40]技術・生産・販売を一貫した組織にまとめ、事業のスピードを高めることが目的
    • [41]1992年10月から中央研究所などの技術者約100人を事業部門の商品開発センターへ移し、81%が事業部門に在籍
    • [42]鎌居社長が、最終商品の市場は大きくても材料の市場は小さく、そこで不可欠な機能の材料でトップを目指すと説明
    • [44]LCD市場は年間1兆円に近いが、偏光フィルムだけでは年間350億円程度
  • 証券アナリストジャーナル 31(12) 1993年11月(浅田常夫)
    • [43]半導体封止材料は約500億円の市場でシェア40%。欠かせない材料の市場でトップシェアを占めるのが基本スタンス(浅田常夫常務)
    • [45]1994年3月期中間期、液晶関連の偏光膜・位相差フィルム・包装用テープ等の売価ダウンの影響が22億円程度
参考文献[26]-[45]
  • 財界観測 49(12) 1984年12月「世界の中の日本企業-13-日東電気工業」(上野明)
    • [26]日東電工アメリカは販売中心だが、テープの切断加工と膜・モジュールの組立を開始。米国に本格的な生産拠点を築く可能性
    • [27]超純水用膜・モジュールなど海外で可能性のあるものを新事業として展開することを目指す
    • [38]1984年の記事で日東電気工業を「日東電工」と略称している
  • 日経ビジネス 1987年6月22日号
    • [28]1986年4月、高分子膜とバイオリアクターの生産を受け持つ滋賀工場(草津市)を建設
    • [32]工業用粘着テープで3割程度のシェアの首位、IC封止材料ではシェア5割近いトップ(1987年)
  • 日東電工 有価証券報告書 第142期(2007年3月期)【沿革】
    • [29]1987年11月 米国・HYDRANAUTICS買収(当時の社長は鎌居五朗=日経ビジネス1987年6月22日号)
    • [36]1988年7月 米国・PERMACEL買収(SAJ1993で粘着テープ専門工場と説明)
    • [37]1988年9月 商号を日東電気工業㈱より日東電工㈱へ変更
  • 証券アナリストジャーナル 31(12) 1993年11月(浅田常夫)
    • [30]サンディエゴのハイドロノーティクスは分離膜専門工場だが、特許問題で販売が制約され赤字
    • [31]1993年10月に米最高裁の判決が出て一応の解決を見て、自由に販売できるようになった
    • [43]半導体封止材料は約500億円の市場でシェア40%。欠かせない材料の市場でトップシェアを占めるのが基本スタンス(浅田常夫常務)
    • [45]1994年3月期中間期、液晶関連の偏光膜・位相差フィルム・包装用テープ等の売価ダウンの影響が22億円程度
  • 関西経協 42(4) 1988年4月「日東電気工業――国際化への取り組み」(岡勝之)
    • [33]海外戦略を年代別に区分し、昭和60年代を「現地化の時代」とする(人事部長 岡勝之)
    • [34]現地化の例としてハイドロノーテックス社の買収を挙げ、海外比率(輸出+海外生産)は総売上の20%強
    • [35]1988年4月1日付で海外営業本部を国際事業本部に改組し、M&Aを中心とした事業企画を担う企画部を新設
  • 日経ビジネス 1994年12月5日号
    • [39]1989年に工場別組織を改めて製品別の事業部制を導入し、事業部に利益責任を持たせる(1994年に16事業部)
    • [40]技術・生産・販売を一貫した組織にまとめ、事業のスピードを高めることが目的
    • [41]1992年10月から中央研究所などの技術者約100人を事業部門の商品開発センターへ移し、81%が事業部門に在籍
    • [42]鎌居社長が、最終商品の市場は大きくても材料の市場は小さく、そこで不可欠な機能の材料でトップを目指すと説明
    • [44]LCD市場は年間1兆円に近いが、偏光フィルムだけでは年間350億円程度

1995年〜尾道事業所とアジアの光学子会社、液晶偏光板へ寄った収益

液晶用偏光フィルムの需要が伸びるなか、鎌居五朗社長は1994年に広島県尾道市で新工場を建てると決めた。TFT液晶向けに生産能力を2倍にする計画で、約100億円の投資は年間の設備投資総額に匹敵した。尾道事業所は、1996年2月に液晶表示関連材料の専門工場として操業した。1998年10月には、海外の関係会社を米国・欧州・東アジア・南アジアの4極に分けた。1999年に社長を務めた山本英樹氏は、日本の事業部が海外まで統括すると日本偏重になると考えた。当時、偏光板と位相差板は世界首位のシェアを持っていた。同年11月には韓国に光学製品の子会社を設けた。2000年の年報で山本英樹社長は、液晶用偏光フィルムを急成長の分野と位置付けた。韓国の子会社は、パネルの生産地で顧客の隣に供給の拠点を置く狙いだったと推察される。

  • 日経ビジネス 1994年12月5日号
    • [46]急増するLCD需要に対応して高いシェアを維持するため、尾道市にLCD用偏光フィルムの新工場を建設(1995年1月着工予定)
    • [47]尾道工場はTFT方式LCD向け。生産能力は現在の2倍で、投資額約100億円は近年の年間設備投資総額に匹敵
  • 日東電工 有価証券報告書 第142期(2007年3月期)【沿革】
    • [48]1996年2月 液晶表示関連材料の専門工場として尾道事業所操業
  • 日経ビジネス 1999年10月25日号
    • [49]1998年10月、海外の関係会社を米国・欧州・東アジア・南アジアの4極に分けて地域統括責任者を任命
    • [50]山本英樹社長は、日本の事業部が全体を統括する体制だと日本の事業を重視しがちになると考えた
    • [51]液晶表示装置用の偏光板や位相差板は世界トップシェア(1999年)
  • 日東電工 有価証券報告書 第153期(2018年3月期)【沿革】
    • [52]1999年11月 Korea Nitto Optical Co., Ltd.設立
  • 日東電工 Annual Report 2000「To Our Shareholders」
    • [53]President Hideki Yamamoto が液晶用偏光フィルムと関連製品を急成長の分野とし、ロードマップに沿って製品開発すると説明

2001年4月、半導体材料事業部長などを経た竹本正道氏が社長に就任した。IT不況の2002年3月期も、液晶関連の製品は安定した利益を生んだ。山本英樹会長と竹本正道社長は2002年の年報で『The upturn in the LCD segment was largely due to the opportune timing of forward-looking investment in new plant and equipment, namely the completion of the third facility at the Onomichi Plant in time to capitalize on an upswing in demand.』(訳:液晶部門の持ち直しは、尾道工場の第3棟が需要の回復に間に合って完成した投資の時機によるところが大きい)と記した。2003年4月には台湾に光学の子会社を設けた。2004年3月期、液晶用光学フィルムを含む電子製品の売上高は32.9%増の2,197億900万円となった。翌期の投資は過去最大の590億円とし、韓国と台湾の新工場を主な対象に据えた。国内工場は技術流出を防ぐため前工程に絞り、手間のかかる後工程はアジアの工場が担った。2005年7月には上海にも光学の子会社を置いた。

  • 日東電工 有価証券報告書 第141期(2006年3月期)【役員の状況】
    • [54]竹本正道は1967年入社、1997年に取締役半導体材料事業部長、2000年常務、2001年4月代表取締役社長
  • 日東電工 Annual Report 2002「To Our Shareholders」
    • [55]2002年3月期、液晶関連製品が回復して安定した利益を生んだ(会長山本英樹・社長竹本正道)
    • [56]液晶部門の回復は、尾道工場第3棟の完成が需要の持ち直しに間に合った先行投資の時機による
  • 日東電工 有価証券報告書 第153期(2018年3月期)【沿革】
    • [57]2003年4月 Taiwan Nitto Optical Co., Ltd.設立
    • [61]2005年7月 Shanghai Nitto Optical Co., Ltd.設立
  • 日東電工 Annual Report 2004「To Our Shareholders」
    • [58]2004年3月期、液晶用光学フィルムを含むElectronic Productsの売上高は32.9%増の2,197億0,900万円(¥219,709 million)
    • [59]2005年3月期に過去最大の総額590億円を投資し、主な対象は韓国と台湾の新工場を含む液晶関連材料
    • [60]技術流出を防ぐため国内工場は高付加価値の前工程に特化し、労働集約的な後工程はアジアの海外工場が担う

2004年の年報で山本英樹会長と竹本正道社長は、液晶関連が主力事業に育った一方で競争は激しくなると見通した。『Newcomers from among the materials manufacturers are entering into this market, which already can no longer be termed a niche.』(訳:素材メーカーからの新規参入が相次ぎ、この市場はもはやニッチとは呼べない)とも記した。2005年には売上の70%超がエレクトロニクス市場に連なり、価格競争で好況は続かないとみた。それでも2006年には光学フィルムの投資を1年早め、2007年3月期に1,000億円を投じる計画とした。2007年3月期の連結売上高は6,798億2,200万円に増えたが、営業利益は892億2,400万円から690億3,700万円に減った。竹本正道社長は、光学フィルムの想定以上の値下がりと画面の大型化に追いつけなかったことを要因に挙げた。市場のコモディティ化を受け、光学では首位の追求から隙間での首位へ方針を改めた。

  • 日東電工 Annual Report 2004「To Our Shareholders」
    • [62]液晶関連製品は主力事業に育ったが、今後は競争が激しくなると予想
    • [63]素材メーカーからの新規参入が相次ぎ、液晶関連の市場はもはやニッチとは呼べない
  • 日東電工 Annual Report 2005「To Our Shareholders」
    • [64]売上の70%超がエレクトロニクス市場に関連し、市場の変動と価格競争の激化で好条件は続かないとの見方
  • 日東電工 Annual Report 2006「To Our Shareholders」
    • [65]光学フィルムの投資計画を1年前倒しし、2007年3月期に総額1,000億円へ増額
  • 日東電工 有価証券報告書 第142期(2007年3月期)連結損益計算書
    • [66]2007年3月期 連結売上高679,822百万円、営業利益69,037百万円(2006年3月期は売上高626,316百万円、営業利益89,224百万円)
  • 日東電工 CSR報告書2007「取締役社長竹本正道からみなさまへ」
    • [67]2007年3月期の増収減益は、液晶用光学フィルム市場で予想以上の価格下落・画面の大型化・品質向上が一度に起き追随できなかったため
    • [68]光学市場がコモディティ化し始めたため、トップシェアの追求から光学市場の中でのニッチトップへ方針を転換
参考文献[46]-[68]
  • 日経ビジネス 1994年12月5日号
    • [46]急増するLCD需要に対応して高いシェアを維持するため、尾道市にLCD用偏光フィルムの新工場を建設(1995年1月着工予定)
    • [47]尾道工場はTFT方式LCD向け。生産能力は現在の2倍で、投資額約100億円は近年の年間設備投資総額に匹敵
  • 日東電工 有価証券報告書 第142期(2007年3月期)【沿革】
    • [48]1996年2月 液晶表示関連材料の専門工場として尾道事業所操業
  • 日経ビジネス 1999年10月25日号
    • [49]1998年10月、海外の関係会社を米国・欧州・東アジア・南アジアの4極に分けて地域統括責任者を任命
    • [50]山本英樹社長は、日本の事業部が全体を統括する体制だと日本の事業を重視しがちになると考えた
    • [51]液晶表示装置用の偏光板や位相差板は世界トップシェア(1999年)
  • 日東電工 有価証券報告書 第153期(2018年3月期)【沿革】
    • [52]1999年11月 Korea Nitto Optical Co., Ltd.設立
    • [57]2003年4月 Taiwan Nitto Optical Co., Ltd.設立
    • [61]2005年7月 Shanghai Nitto Optical Co., Ltd.設立
  • 日東電工 Annual Report 2000「To Our Shareholders」
    • [53]President Hideki Yamamoto が液晶用偏光フィルムと関連製品を急成長の分野とし、ロードマップに沿って製品開発すると説明
  • 日東電工 有価証券報告書 第141期(2006年3月期)【役員の状況】
    • [54]竹本正道は1967年入社、1997年に取締役半導体材料事業部長、2000年常務、2001年4月代表取締役社長
  • 日東電工 Annual Report 2002「To Our Shareholders」
    • [55]2002年3月期、液晶関連製品が回復して安定した利益を生んだ(会長山本英樹・社長竹本正道)
    • [56]液晶部門の回復は、尾道工場第3棟の完成が需要の持ち直しに間に合った先行投資の時機による
  • 日東電工 Annual Report 2004「To Our Shareholders」
    • [58]2004年3月期、液晶用光学フィルムを含むElectronic Productsの売上高は32.9%増の2,197億0,900万円(¥219,709 million)
    • [59]2005年3月期に過去最大の総額590億円を投資し、主な対象は韓国と台湾の新工場を含む液晶関連材料
    • [60]技術流出を防ぐため国内工場は高付加価値の前工程に特化し、労働集約的な後工程はアジアの海外工場が担う
    • [62]液晶関連製品は主力事業に育ったが、今後は競争が激しくなると予想
    • [63]素材メーカーからの新規参入が相次ぎ、液晶関連の市場はもはやニッチとは呼べない
  • 日東電工 Annual Report 2005「To Our Shareholders」
    • [64]売上の70%超がエレクトロニクス市場に関連し、市場の変動と価格競争の激化で好条件は続かないとの見方
  • 日東電工 Annual Report 2006「To Our Shareholders」
    • [65]光学フィルムの投資計画を1年前倒しし、2007年3月期に総額1,000億円へ増額
  • 日東電工 有価証券報告書 第142期(2007年3月期)連結損益計算書
    • [66]2007年3月期 連結売上高679,822百万円、営業利益69,037百万円(2006年3月期は売上高626,316百万円、営業利益89,224百万円)
  • 日東電工 CSR報告書2007「取締役社長竹本正道からみなさまへ」
    • [67]2007年3月期の増収減益は、液晶用光学フィルム市場で予想以上の価格下落・画面の大型化・品質向上が一度に起き追随できなかったため
    • [68]光学市場がコモディティ化し始めたため、トップシェアの追求から光学市場の中でのニッチトップへ方針を転換

1975年〜2007年の業績

決算期 区分 売上高 営業利益経常利益純利益 主な投資
億円 YoY 億円 億円 億円 利益率
1975年03月期 単体 419 n/a n/a 54 28 6.7% n/a
1976年03月期 単体 431 +2.9% n/a 40 23 5.3% n/a
1977年03月期 単体 585 +35.7% n/a 73 36 6.2% 医療関連材料の専門工場として東北事業所操業(1977/03)
1978年03月期 単体 548 ▲6.3% n/a 54 33 6.0% n/a
1979年03月期 単体 609 +11.1% n/a 63 31 5.1% n/a
1980年03月期 単体 746 +22.5% n/a 81 39 5.2% n/a
1981年03月期 単体 856 +14.7% n/a 95 49 5.7% n/a
1982年03月期 単体 891 +4.1% n/a 96 49 5.5% n/a
1983年03月期 単体 1,000 +12.2% n/a 110 52 5.2% n/a
1984年03月期 単体 1,154 +15.4% n/a 133 72 6.2% n/a
1985年03月期 単体 1,289 +11.7% n/a 166 80 6.2% n/a
1986年03月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1987年03月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1988年03月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1989年03月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1990年03月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1991年03月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1992年03月期 連結 2,599 n/a n/a n/a 64 2.5% n/a
1993年03月期 連結 2,537 ▲2.4% n/a n/a 39 1.5% n/a
1994年03月期 連結 2,498 ▲1.5% n/a n/a 43 1.7% n/a
1995年03月期 連結 2,575 +3.1% n/a n/a 66 2.6% n/a
1996年03月期 連結 2,714 +5.4% n/a n/a 83 3.1% n/a
1997年03月期 連結 2,998 +10.5% n/a n/a 102 3.4% n/a
1998年03月期 連結 3,193 +6.5% n/a n/a 126 3.9% n/a
1999年03月期 連結 2,971 ▲7.0% n/a n/a 67 2.3% n/a
2000年03月期 連結 3,253 +9.5% n/a n/a 139 4.3% n/a
2001年03月期 連結 3,656 +12.4% n/a n/a 158 4.3% Nitto Denko America Latinaを設立(2000/11)
2002年03月期 連結 3,389 ▲7.3% n/a 197 11 0.3% n/a
2003年03月期 連結 3,787 +11.7% n/a 358 192 5.1% Nitto Denko (China) Investmentを設立(2002/08)
2004年03月期 連結 4,527 +19.5% n/a 580 333 7.4% n/a
2005年03月期 連結 5,148 +13.7% n/a 718 418 8.1% Nitto Denko Fine Circuit Technology (Shenzhen)を設立(2004/11)
2006年03月期 連結 6,263 +21.7% 892 902 553 8.8% n/a
2007年03月期 連結 6,798 +8.5% 690 673 412 6.1% Shenzhen Nitto Opticalを設立(2006/10)

出所:会社年鑑、有価証券報告書

出典・参考

19件
出典・参考
  • 日東電工 有価証券報告書 第141期(2006年3月期)【役員の状況】
  • 日東電工 有価証券報告書 第142期(2007年3月期)【沿革】
  • 日東電工 有価証券報告書 第142期(2007年3月期)連結損益計算書
  • 日東電工 有価証券報告書 第153期(2018年3月期)【沿革】
  • 証券アナリストジャーナル 14(1/2) 1976年2月(土方三郎)
  • 日経ビジネス 1980年7月28日号
  • 日経ビジネス 1981年4月20日号
  • 日経ビジネス 1987年6月22日号
  • 証券アナリストジャーナル 31(12) 1993年11月(浅田常夫)
  • 日経ビジネス 1994年12月5日号
  • 日経ビジネス 1999年10月25日号
  • 財界観測 49(12) 1984年12月「世界の中の日本企業-13-日東電気工業」(上野明)
  • 関西経協 42(4) 1988年4月「日東電気工業――国際化への取り組み」(岡勝之)
  • 日東電工 Annual Report 2000「To Our Shareholders」
  • 日東電工 Annual Report 2002「To Our Shareholders」
  • 日東電工 Annual Report 2004「To Our Shareholders」
  • 日東電工 Annual Report 2005「To Our Shareholders」
  • 日東電工 Annual Report 2006「To Our Shareholders」
  • 日東電工 CSR報告書2007「取締役社長竹本正道からみなさまへ」

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