ローツェ:韓国・シンガポール子会社による国際分業体制の構築
アルミ調達の内外価格差からハイフォン量産移管へ
1997年〜通産省が認めなかったアルミ輸入とベトナムでの一貫加工
日本製が高い理由を米国製と比較すると、ロボットの主材料であるアルミが日本では米国の2倍していた。加工費も、量をまとめて加工するなら米国のほうが安い。結果としてアルミ加工部品を購入する段階で、米国は日本の半値であった。装置が入っている国へロボットを持ち込み、現地でフレームとカバーとソフトを付けて自動化まで引き受けるという売り方を採る以上、部材の価格差はそのまま受注の可否に響く。輸出は売上の約50%を占め、米国だけで売上の4分の1に当たっていた。組み立ての巧拙や人件費ではなく、買ってくる材料の値段で競争劣位が決まっていた。
- 証券アナリストジャーナル 36巻1号別冊付録2(日本証券アナリスト協会、1998年1月)崎谷文雄社長談
- [1]ロボットはほとんどアルミ製であり、材料のアルミが日本ではアメリカの2倍する
- [2]加工費も多量に加工するとアメリカが安い
- [3]アルミ加工部品の購入段階でアメリカは日本の半値であった
- 通産ジャーナル 30巻9号(通巻317、通商産業調査会、1997年9月)崎谷文雄社長インタビュー
- [4]装置が入っている国へロボットを持ち込み、現地でフレーム・カバー・ソフトを付けて自動化まで引き受ける構想を採っていた
- 長銀総研L 13巻3号(通巻146、長銀総合研究所、1996年3月)
- [5]輸出は製品に組み込まれるものを含めて売上の約50%を占め、米国が売上の4分の1に当たった
当時、アルミ・インゴットの相場はキロ1.50ドルから1.70ドルほどで、これを加工用にしたアルミは米国なら300円以下で手に入るのに、日本では600円かかった。米国の企業と張り合うため、ローツェはロボットの材料となる加工用アルミを海外から入れようとしたが、通産省は最終的にそれを許さなかった。国を越えるだけで同じ材料の値段が倍になり、価格で優位に立つことはできなかった。崎谷文雄氏はこのとき、ベトナムで世界一安いアルミを加工してロボットを作り、米国・日本・台湾・韓国へ売るという構想を語っている。国内で安く買えないのなら、安く買える国で作るしかない。
- 証券アナリストジャーナル 36巻1号別冊付録2(日本証券アナリスト協会、1998年1月)崎谷文雄社長談
- [6]アルミ・インゴットは当時キロ1.50〜1.70ドル程度で、加工用アルミとしたものがアメリカで300円以下、日本では600円していた
- [7]アメリカ企業と競争するため、ロボットで使用する加工用アルミを輸入しようとした
- [8]通産省は加工用アルミの輸入を結局認めなかった
- [9]加工用アルミの内外価格差があり、価格では競争に対応できなかった
- 通産ジャーナル 30巻9号(通巻317、通商産業調査会、1997年9月)崎谷文雄社長インタビュー
- [10]崎谷文雄社長は、ベトナムで世界一安いアルミを加工してロボットを作り、米国・日本・台湾・韓国へ売る構想を語った
崎谷文雄氏は中国も見て回ったうえで1995年2月にベトナムを訪れ、国家協力投資委員会から説明を受けて進出先をベトナムと定めた。決め手は教育制度と人々の勤勉さにあり、納期を守って製品を仕上げられるのは日本人とベトナム人だけだと見ていた。通産省の許可が下りなかったため、ベトナムで最も安いアルミを買って自ら加工し、ロボットの組立に至るまで全部を社内でこなす道を選んだ。加工工場はハイフォンに建て、1998年1月に完成、4月に稼働させる予定とした。場所は野村証券グループが造成した野村ハイフォン工業団地で、1万平方メートルの用地に床面積7,000平方メートルの工場を建てた。標準型搬送ロボットを大量に作り、輸出の主力を担う拠点と位置づけられ、ベトナム製のロボットは日本・米国・台湾へ運んで、利用者の要望に応じたフレームとカバーとソフトをそれぞれの地で取り付ける計画であった。材料の調達から加工、組立までを一つの国に集めれば、内外価格差そのものが原価から消える。
- 長銀総研L 13巻3号(通巻146、長銀総合研究所、1996年3月)
- [11]崎谷文雄社長は中国も視察したうえで、1995年2月にベトナムへ渡りSCCI(国家協力投資委員会)の説明を聞いてベトナムに決めた
- [12]崎谷文雄社長はベトナムの教育制度と勤勉さを挙げ、納期どおりに製品ができるのは日本人とベトナム人だけだと評した
- [15]野村ハイフォン工業団地に1万平方メートルの用地を取得し、床面積7,000平方メートルの工場を建設した
- [16]ハイフォンの工場は標準型搬送ロボットの量産を主とする輸出主力拠点と位置づけられた
- 証券アナリストジャーナル 36巻1号別冊付録2(日本証券アナリスト協会、1998年1月)崎谷文雄社長談
- [13]通産省が輸入を認めないため、ベトナムで一番安いアルミを購入・加工し、ロボットの組立まですべて行うことにした
- [14]加工工場をベトナムに建設中で、1998年1月完成、4月から稼働する予定であった
- [17]ベトナムで作ったロボットを日本、アメリカ、台湾へ持ち込み、フレーム・カバー・ソフトを現地でユーザーの要望に合わせて作ることにした
参考文献[1]-[17]
- 証券アナリストジャーナル 36巻1号別冊付録2(日本証券アナリスト協会、1998年1月)崎谷文雄社長談
- [1]ロボットはほとんどアルミ製であり、材料のアルミが日本ではアメリカの2倍する
- [2]加工費も多量に加工するとアメリカが安い
- [3]アルミ加工部品の購入段階でアメリカは日本の半値であった
- [6]アルミ・インゴットは当時キロ1.50〜1.70ドル程度で、加工用アルミとしたものがアメリカで300円以下、日本では600円していた
- [7]アメリカ企業と競争するため、ロボットで使用する加工用アルミを輸入しようとした
- [8]通産省は加工用アルミの輸入を結局認めなかった
- [9]加工用アルミの内外価格差があり、価格では競争に対応できなかった
- [13]通産省が輸入を認めないため、ベトナムで一番安いアルミを購入・加工し、ロボットの組立まですべて行うことにした
- [14]加工工場をベトナムに建設中で、1998年1月完成、4月から稼働する予定であった
- [17]ベトナムで作ったロボットを日本、アメリカ、台湾へ持ち込み、フレーム・カバー・ソフトを現地でユーザーの要望に合わせて作ることにした
- 通産ジャーナル 30巻9号(通巻317、通商産業調査会、1997年9月)崎谷文雄社長インタビュー
- [4]装置が入っている国へロボットを持ち込み、現地でフレーム・カバー・ソフトを付けて自動化まで引き受ける構想を採っていた
- [10]崎谷文雄社長は、ベトナムで世界一安いアルミを加工してロボットを作り、米国・日本・台湾・韓国へ売る構想を語った
- 長銀総研L 13巻3号(通巻146、長銀総合研究所、1996年3月)
- [5]輸出は製品に組み込まれるものを含めて売上の約50%を占め、米国が売上の4分の1に当たった
- [11]崎谷文雄社長は中国も視察したうえで、1995年2月にベトナムへ渡りSCCI(国家協力投資委員会)の説明を聞いてベトナムに決めた
- [12]崎谷文雄社長はベトナムの教育制度と勤勉さを挙げ、納期どおりに製品ができるのは日本人とベトナム人だけだと評した
- [15]野村ハイフォン工業団地に1万平方メートルの用地を取得し、床面積7,000平方メートルの工場を建設した
- [16]ハイフォンの工場は標準型搬送ロボットの量産を主とする輸出主力拠点と位置づけられた
1997年〜標準品の量産と現地仕上げを分離した工程配置
ローツェの海外持株会社RORZE INTERNATIONAL PTE.LTD.はシンガポールにある。米国のRORZE AUTOMATION,INC.とベトナムのRORZE ROBOTECH INC.は、この持株会社の出資で設立された。台湾のRORZE TECHNOLOGY,INC.だけは本体からの出資である。1997年11月には韓国の京畿道にRORZE SYSTEMS CORPORATIONを設立し、東アジアの主要な半導体・液晶の生産地をひととおり押さえた。1996年以降、国内外に多くのFAセンターと海外子会社を設けている。台湾の新竹科学工業園区への進出は、半導体関連で信越半導体・三菱電機・アドバンテストに次ぐ4社目、ベンチャー企業としては初であった。1996年2月には崎谷文雄氏と社員110人が台湾を旅行し、新竹を視察している。本体が各国の子会社を直接抱えるのではなく、資本を一段挟んだところに置いたことで、拠点を増減させる敷居が下がった。
- 証券アナリストジャーナル 36巻1号別冊付録2(日本証券アナリスト協会、1998年1月)崎谷文雄社長談
- [18]海外持株会社RORZE INTERNATIONAL PTE.LTD.がシンガポールにある
- [19]RORZE INTERNATIONAL PTE.LTD.の出資でアメリカにRORZE AUTOMATION,INC.を、ベトナムにRORZE ROBOTECH INC.を設立した
- [20]台湾のRORZE TECHNOLOGY,INC.はローツェ本体からの出資で設立した
- [22]1996年以降、多くのFAセンターや海外子会社を設立した
- ローツェ 有価証券報告書 第41期(2026年2月期)【沿革】
- [21]1997年11月 韓国京畿道に子会社RORZE SYSTEMS CORPORATIONを設立
- 長銀総研L 13巻3号(通巻146、長銀総合研究所、1996年3月)
- [23]新竹科学工業園区への進出は半導体関連で信越半導体・三菱電機・アドバンテストに次ぐ4社目、ベンチャー企業としては初であった
- [24]1996年2月に崎谷文雄社長と社員110人が台湾を旅行し新竹を視察した
日本のIC製造メーカーは国内では採算が合わないとして海外へ移り、装置メーカーも稼働率のよい装置をそのまま現地へ運び出しており、ローツェはその流れの先に拠点を置いた。崎谷文雄氏の構想は、標準品は世界で最も安く作れる土地で生産し、それを各地で回し合うというもので、具体的にはロボット・ドライバ・コントローラをベトナムで作り、たとえば米国へ持ち込んでフレームとカバーとソフトを顧客向けに合わせて自動化する計画だった。装置の置かれた国へロボットを運び、自動化まで現地で請け負うこの売り方は、顧客が海外へ移るのに歩調を合わせたものである。工程を国境で割るとは、どこで原価を作り、どこで値段をつけるかを分けることでもある。
- 通産ジャーナル 30巻9号(通巻317、通商産業調査会、1997年9月)崎谷文雄社長インタビュー
- [25]日本のIC製造メーカーが国内では採算が取れないとして海外に出るようになり、装置メーカーは稼働率のよい装置を現地へ持ち出していた
- [28]装置が入っている国へロボットを持ち込み、現地でフレーム・カバー・ソフトを付けて自動化まで引き受ける構想であった
- 証券アナリストジャーナル 36巻1号別冊付録2(日本証券アナリスト協会、1998年1月)崎谷文雄社長談
- [26]標準品を世界で一番安く作れる所で作り、各地で融通しようという計画であった
- [27]ベトナムでロボット、ドライバ、コントローラを作り、例えばアメリカへ持ち込んでフレーム、カバー、ソフトを顧客に合わせて自動化する計画であった
国内各地のFAセンターには、電気・機械・ソフトの設計を担う人員が約10人ずつそろえられた。センターの役目は修理に加え、顧客が抱える問題を解き、要望にかなう自動化装置をクリーンな仕様で仕上げることにあり、購買部を飛ばして装置メーカーの技術者と話をする営業も、この設計の力があって初めて通用する。部品はベトナムで安く加工して日本へ運び、数の少ないロボットや特注品は日本で仕上げ、付加価値を生む工程を国内に残すことで、国内の生産も続けられる形にした。量産を海外へ移しても設計を国内にとどめたのは、値段を決める工程を手放さないためだった。
- 通産ジャーナル 30巻9号(通巻317、通商産業調査会、1997年9月)崎谷文雄社長インタビュー
- [29]各地のFAセンターは電気・機械・ソフトの設計機能を約10人体制でそろえていた
- [32]ベトナムで安く加工した部品を日本へ入れ、数の出ないロボットや特注品を日本で仕上げることで国内生産も存続するとし、付加価値のつく工程は日本に置くとした
- 証券アナリストジャーナル 36巻1号別冊付録2(日本証券アナリスト協会、1998年1月)崎谷文雄社長談
- [30]FAセンターを国内各地に設けているのは、修理するとともに顧客の要望する問題点を解決し、ニーズに沿ったクリーンな自動化装置を作るためである
- [31]製品の購入を決定し購買部へ購入を依頼する技術者のところへ、技術レベルの高い人が話を持ち込む営業方法を採っている
参考文献[18]-[32]
- 証券アナリストジャーナル 36巻1号別冊付録2(日本証券アナリスト協会、1998年1月)崎谷文雄社長談
- [18]海外持株会社RORZE INTERNATIONAL PTE.LTD.がシンガポールにある
- [19]RORZE INTERNATIONAL PTE.LTD.の出資でアメリカにRORZE AUTOMATION,INC.を、ベトナムにRORZE ROBOTECH INC.を設立した
- [20]台湾のRORZE TECHNOLOGY,INC.はローツェ本体からの出資で設立した
- [22]1996年以降、多くのFAセンターや海外子会社を設立した
- [26]標準品を世界で一番安く作れる所で作り、各地で融通しようという計画であった
- [27]ベトナムでロボット、ドライバ、コントローラを作り、例えばアメリカへ持ち込んでフレーム、カバー、ソフトを顧客に合わせて自動化する計画であった
- [30]FAセンターを国内各地に設けているのは、修理するとともに顧客の要望する問題点を解決し、ニーズに沿ったクリーンな自動化装置を作るためである
- [31]製品の購入を決定し購買部へ購入を依頼する技術者のところへ、技術レベルの高い人が話を持ち込む営業方法を採っている
- ローツェ 有価証券報告書 第41期(2026年2月期)【沿革】
- [21]1997年11月 韓国京畿道に子会社RORZE SYSTEMS CORPORATIONを設立
- 長銀総研L 13巻3号(通巻146、長銀総合研究所、1996年3月)
- [23]新竹科学工業園区への進出は半導体関連で信越半導体・三菱電機・アドバンテストに次ぐ4社目、ベンチャー企業としては初であった
- [24]1996年2月に崎谷文雄社長と社員110人が台湾を旅行し新竹を視察した
- 通産ジャーナル 30巻9号(通巻317、通商産業調査会、1997年9月)崎谷文雄社長インタビュー
- [25]日本のIC製造メーカーが国内では採算が取れないとして海外に出るようになり、装置メーカーは稼働率のよい装置を現地へ持ち出していた
- [28]装置が入っている国へロボットを持ち込み、現地でフレーム・カバー・ソフトを付けて自動化まで引き受ける構想であった
- [29]各地のFAセンターは電気・機械・ソフトの設計機能を約10人体制でそろえていた
- [32]ベトナムで安く加工した部品を日本へ入れ、数の出ないロボットや特注品を日本で仕上げることで国内生産も存続するとし、付加価値のつく工程は日本に置くとした
1997年〜店頭登録と1998年2月期、ハイフォン量産の立ち上げ
1997年12月、ローツェは株式を日本証券業協会に店頭銘柄として登録した。直前の11月には韓国の京畿道へRORZE SYSTEMS CORPORATIONを設けたばかりであった。1998年2月期の業績計画は売上高7,441百万円、経常利益1,069百万円、当期利益482百万円。工場内でモニターウエハを量産用と仕分けたり、特定のウエハを抜き出して検査に回したりするウエハソータが、この時期の売れ筋になっていた。8月の中間決算は売上高3,199百万円、経常利益549百万円、中間利益225百万円で、11月末時点でも売上高は予算をほぼ100%達成する水準で推移し、利益は予算より20から25%多かった。この上振れを生んだのは、計画を超えたウエハ搬送機の売れ行きである。拠点網の整備と資本市場への登場が同じ年に重なり、量産移管に充てる資金の目処が先についた。
- ローツェ 有価証券報告書 第41期(2026年2月期)【沿革】
- [33]1997年12月 株式を日本証券業協会に店頭銘柄として登録
- [34]1997年11月 韓国京畿道に子会社RORZE SYSTEMS CORPORATIONを設立
- 証券アナリストジャーナル 36巻1号別冊付録2(日本証券アナリスト協会、1998年1月)崎谷文雄社長談
- [35]1998年2月期の業績計画は売上高7,441百万円、経常利益1,069百万円、当期利益482百万円
- [36]ウエハソータは半導体製造工場でモニターウエハと量産用ウエハを分けたり、あるウエハを取り出して検査したりするためのもので、最近よく売れている
- [37]1997年8月中間決算は売上高3,199百万円、経常利益549百万円、中間利益225百万円
- [38]1997年11月末現在で売上高の予算達成率はほぼ100%で推移し、利益は予算を20〜25%上回っていた
- [39]利益はウエハ搬送機が計画以上に売れているため、計画通りに確保できる見通しであった
ハイフォンの本格運転は1998年6月ごろから始める予定とされた。崎谷文雄氏が示した量産計画は、売上で翌期5億円、その次の期に25億円程度。人員は指導役となる10名ほどを研修中で、作業者は翌期末に100名超、その次の期末に200名超へ増やすとした。ベトナムへの投資は1996年からの3年で20億円を見込んでいる。1996年2月期に50億円だった会社が、単一の海外拠点へこの規模を割く判断である。材料の内外価格差を埋めるために選んだ道は、量産を一国へ託す体制を同時に作っており、それが投資循環の振れにどこまで耐えるかはまだ試されていない。
- 証券アナリストジャーナル 36巻1号別冊付録2(日本証券アナリスト協会、1998年1月)崎谷文雄社長談
- [40]ベトナム工場の本格運転は1998年6月ごろから始める予定であった
- [41]量産の売上計画は翌期5億円、その次の期に25億円程度であった
- [42]指導役となる人員10名程を研修中で、作業者は翌期末100名超、その次の期末200名超とする計画であった
- 長銀総研L 13巻3号(通巻146、長銀総合研究所、1996年3月)
- [43]ベトナムへの投資は1996年からの3年で20億円を見込んだ
- [44]1996年2月期の売上高は50億円超であった
参考文献[33]-[44]
- ローツェ 有価証券報告書 第41期(2026年2月期)【沿革】
- [33]1997年12月 株式を日本証券業協会に店頭銘柄として登録
- [34]1997年11月 韓国京畿道に子会社RORZE SYSTEMS CORPORATIONを設立
- 証券アナリストジャーナル 36巻1号別冊付録2(日本証券アナリスト協会、1998年1月)崎谷文雄社長談
- [35]1998年2月期の業績計画は売上高7,441百万円、経常利益1,069百万円、当期利益482百万円
- [36]ウエハソータは半導体製造工場でモニターウエハと量産用ウエハを分けたり、あるウエハを取り出して検査したりするためのもので、最近よく売れている
- [37]1997年8月中間決算は売上高3,199百万円、経常利益549百万円、中間利益225百万円
- [38]1997年11月末現在で売上高の予算達成率はほぼ100%で推移し、利益は予算を20〜25%上回っていた
- [39]利益はウエハ搬送機が計画以上に売れているため、計画通りに確保できる見通しであった
- [40]ベトナム工場の本格運転は1998年6月ごろから始める予定であった
- [41]量産の売上計画は翌期5億円、その次の期に25億円程度であった
- [42]指導役となる人員10名程を研修中で、作業者は翌期末100名超、その次の期末200名超とする計画であった
- 長銀総研L 13巻3号(通巻146、長銀総合研究所、1996年3月)
- [43]ベトナムへの投資は1996年からの3年で20億円を見込んだ
- [44]1996年2月期の売上高は50億円超であった
筆者考察
日本製が高いのは人件費のせいではなかった。米国の装置メーカーに製品を認められながら50から100%高いと言われた崎谷文雄氏が理由を分解すると、ロボットの主材料であるアルミが日本では米国の2倍し、加工部品を買う段階で既に米国が日本の半値だった。材料を安いところから買えば済む話だが、加工用アルミの輸入を通産省は認めなかった。安く買えないなら安いところで作るほかない。1997年のローツェをベトナムへ動かしたのは、賃金の比較よりも、材料をめぐる制度の壁のほうである。
もっとも、移したのは量産だけだった。ベトナムでロボットとドライバとコントローラを作り、装置が入っている国へ持ち込んで、フレームとカバーとソフトを顧客に合わせて現地で付ける。数の出ない特注品は日本に残す。崎谷文雄氏は、付加価値のつく工程は日本に置くと整理していた。標準品を世界で一番安く作れる場所で作り、各地で融通するという構想は、費用の話であると同時に、どこまでを自社の仕事と呼ぶかの線引きでもある。1997年12月に店頭登録を果たしたローツェが次に問われたのは、その線引きが量産の立ち上がりに耐えるかどうかだった。
- 実績ではなく、1997年12月に崎谷文雄社長が示した量産計画の数値。
- 出所は証券アナリストジャーナル 36巻1号別冊付録2(日本証券アナリスト協会、1998年1月)。
1997年〜2004年の業績
| 決算期 | 区分 | 売上高 | 経常利益 | 純利益 | 主な投資 | ||
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 億円 | YoY | 億円 | 利益率 | 億円 | |||
| 1997年02月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1998年02月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1999年02月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 2000年02月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 2001年02月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 2002年02月期 | 連結 | 66 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 2003年02月期 | 連結 | 76 | +15.2% | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 2004年02月期 | 連結 | 73 | ▲3.9% | 4 | 5.5% | 4 | n/a |
出典・参考
4件
- ローツェ 有価証券報告書 第41期(2026年2月期)【沿革】
- 長銀総研L 13巻3号(通巻146、長銀総合研究所、1996年3月)
- 通産ジャーナル 30巻9号(通巻317、通商産業調査会、1997年9月)崎谷文雄社長インタビュー
- 証券アナリストジャーナル 36巻1号別冊付録2(日本証券アナリスト協会、1998年1月)崎谷文雄社長談