ローツェ:ローツェの設立とクリーンロボットによる製品差別化
モータドライバからクリーンロボットへの製品展開
1985年〜崎谷文雄氏の半生と社名ローツェに託した「縁の下の力持ち」の思想
ローツェ創業者の崎谷文雄氏は、1945年4月に岡山県井原市の農家の長男として生まれ、中学時代のラジオ修理をきっかけに電気回路の技術一筋で歩んだ。近畿大学工学部電気工学科を中退したのち東京の太洋無線に入り、船舶用の高精度なロラン受信機を開発して特許も取得した。28歳で郷里へ戻ってからは半導体の前工程と後工程を担う地元企業を渡り歩き、自ら開発した2,500分の1の分解能を持つ電子天秤の事業を手がけ、液晶製造のスピン塗布技術で知られるタツモでは取締役開発課長を務めた。転職は合わせて8回に及んだ。ローツェを設立したのは40歳のときで、装置を使う側と作る側の双方から半導体製造を一通り見た経歴が、のちの製品設計の下地になった。
- 長銀総研L 13巻3号(通巻146、長銀総合研究所、1996年3月)
- [1]崎谷文雄氏は1945年4月生まれ、岡山県井原市の農家の長男
- [2]中学時代のラジオ修理を契機に電気回路の技術で歩んだ
- [3]太洋無線で船舶用の高精度ロラン受信機を開発し特許を取得
- [4]2,500分の1分解能の電子天秤の事業を手がけ、液晶スピン塗布技術のタツモで取締役開発課長を務めた
- [5]崎谷文雄氏の転職は合わせて8回
- 証券アナリストジャーナル 36巻1号別冊付録2(日本証券アナリスト協会、1998年1月)崎谷文雄社長談
- [6]崎谷文雄氏は1985年のローツェ設立時に40歳であった
1985年3月、崎谷文雄氏は広島県福山市に資本金1,000万円のローツェを設立し、モータ制御機器の開発を開始した。社名のローツェは、世界最高峰エベレストに連なるヒマラヤの高峰ローツェに由来する。8,848メートルのエベレストを脇で支える8,516メートルの峰の姿が、顧客を支えるという会社の哲学に重なるという理由だった。目立たないが最高峰を引き立てる山のように、世界の先端企業を支える縁の下の力持ちでありたいという命名で、崎谷文雄氏は『技術に自信をもって、楽しみながら仕事のできる集団』を会社の理念に掲げた。半導体の集積地からも首都圏のベンチャー密集地からも離れた備後の地で、支える側に回ることを社名で先に宣言したことになる。
- ローツェ 有価証券報告書 第41期(2026年2月期)【沿革】
- [7]1985年3月 広島県福山市に資本金1,000万円でローツェを設立しモータ制御機器の開発を開始
- 長銀総研L 13巻3号(通巻146、長銀総合研究所、1996年3月)
- [8]社名ローツェの由来はエベレスト(8,848m)に連なるローツェ(8,516m)
- [10]会社の理念は「技術に自信をもって、楽しみながら仕事のできる集団」
- 証券アナリストジャーナル 36巻1号別冊付録2(日本証券アナリスト協会、1998年1月)崎谷文雄社長談
- [9]エベレストの最高峰を脇で支えるローツェの峰の姿が、顧客を支えるという会社の哲学にあたる
設立当初に手がけた事業はモータ制御機器の開発である。崎谷文雄氏が創業の時に社内の合い言葉に据えたのは、よそが既に売っている品と同じものは出さず、これまでより優れ、世界のニュースになるような品だけを商品にする、という言葉だった。基準は自分の好みではなく外部の評価に置き、新聞・雑誌に記事として載るような新製品を目指すと心に決めたという。商品が売れて利益が出始めればほかの会社も入ってくるが、技術・営業・資金のどれを取っても大手には劣るため、崎谷文雄氏は、世界のニュースになる製品を次々に生み出すことにやりがいを覚える人材を集めることを答えとした。何を作るかより前に何を作らないかを定めたので、入る市場はあとから決まった。
- ローツェ 有価証券報告書 第41期(2026年2月期)【沿革】
- [11]設立時の事業はモータ制御機器の開発
- 証券アナリストジャーナル 36巻1号別冊付録2(日本証券アナリスト協会、1998年1月)崎谷文雄社長談
- [12]合い言葉は「他社が販売している同等品は製品にしない。従来よりすぐれた製品、すなわち世界的にニュースとなる製品のみを商品化しよう」
- [13]自分が良いと思うものではなく外から素晴らしいと評価される商品を作り、新聞や雑誌が取り上げる新製品を作ろうと決意した
- [14]商品を生産して儲かり出すと他社が参入し、大手には技術力・営業力・資金力で及ばない
- [15]世界的にニュースとなる製品を連続して作ることに生き甲斐を感じる人を集めようと考えた
参考文献[1]-[15]
- 長銀総研L 13巻3号(通巻146、長銀総合研究所、1996年3月)
- [1]崎谷文雄氏は1945年4月生まれ、岡山県井原市の農家の長男
- [2]中学時代のラジオ修理を契機に電気回路の技術で歩んだ
- [3]太洋無線で船舶用の高精度ロラン受信機を開発し特許を取得
- [4]2,500分の1分解能の電子天秤の事業を手がけ、液晶スピン塗布技術のタツモで取締役開発課長を務めた
- [5]崎谷文雄氏の転職は合わせて8回
- [8]社名ローツェの由来はエベレスト(8,848m)に連なるローツェ(8,516m)
- [10]会社の理念は「技術に自信をもって、楽しみながら仕事のできる集団」
- 証券アナリストジャーナル 36巻1号別冊付録2(日本証券アナリスト協会、1998年1月)崎谷文雄社長談
- [6]崎谷文雄氏は1985年のローツェ設立時に40歳であった
- [9]エベレストの最高峰を脇で支えるローツェの峰の姿が、顧客を支えるという会社の哲学にあたる
- [12]合い言葉は「他社が販売している同等品は製品にしない。従来よりすぐれた製品、すなわち世界的にニュースとなる製品のみを商品化しよう」
- [13]自分が良いと思うものではなく外から素晴らしいと評価される商品を作り、新聞や雑誌が取り上げる新製品を作ろうと決意した
- [14]商品を生産して儲かり出すと他社が参入し、大手には技術力・営業力・資金力で及ばない
- [15]世界的にニュースとなる製品を連続して作ることに生き甲斐を感じる人を集めようと考えた
- ローツェ 有価証券報告書 第41期(2026年2月期)【沿革】
- [7]1985年3月 広島県福山市に資本金1,000万円でローツェを設立しモータ制御機器の開発を開始
- [11]設立時の事業はモータ制御機器の開発
1985年〜無人・無塵化に集中した製品系列と空間力で採る技術者
設立の年の暮れ、ローツェは自動化システムに対する考え方を発表し、あわせて超小型のステッピングモータドライバおよびコントローラを発表した。世界的にニュースとなる製品だけを商品化するという方針に基づく第一弾である。最初に作ったのはこのドライバとコントローラで、開発に置いた条件は、いかに小さくするかと、悪環境で動くかの二つだった。翌1986年12月にはクリーンロボットの製造販売を開始し、1987年には自社製品を使用した無人化システムと、その応用製品である半導体装置用スーパークリーンロボットを発表した。部品を売る会社から装置を売る会社へ二年で移ったが、小ささと耐環境性という条件の立て方は変えていない。
- 証券アナリストジャーナル 36巻1号別冊付録2(日本証券アナリスト協会、1998年1月)崎谷文雄社長談
- [16]1985年末に自動化システムに対する考え方を発表するとともに、超小型のステッピングモータドライバおよびコントローラを発表した
- [17]1985年末の発表は、世界的にニュースとなる製品のみを商品化するという考え方に基づくものであった
- [18]最初に作ったのはドライバとコントローラで、いかに小さくするか、悪環境で動くかという点から開発した
- [20]1987年に自社製品を使用した無人化システムおよびその応用製品として半導体装置用スーパークリーンロボットを発表した
- ローツェ 有価証券報告書 第41期(2026年2月期)【沿革】
- [19]1986年12月 クリーンロボットの製造販売を開始
1989年11月、ローツェは真空用クリーンロボットの製造販売を開始し、大気にさらせない工程まで扱う範囲を広げた。1992年11月にはデュアルアームクリーンロボットの製造販売を開始している。翌1993年12月には大型ガラス基板クリーン搬送ロボットの製造販売を開始し、液晶工場向けに大気用・真空用のガラス基板搬送ロボットと大型液晶ガラス基板搬送装置を揃えた。崎谷文雄氏が事業の輪郭に置いたのは、半導体と液晶の工場を無人化し無塵化するために必要な製品を開発して販売することだった。運ぶ対象がウエハからガラス基板へ替わっても、超清浄環境で正確に位置決めするという要件は変わらず、市場を一つ増やす費用は小さかったとみられる。
- ローツェ 有価証券報告書 第41期(2026年2月期)【沿革】
- [21]1989年11月 真空用クリーンロボットの製造販売を開始
- [22]1992年11月 デュアルアームクリーンロボットの製造販売を開始
- [23]1993年12月 大型ガラス基板クリーン搬送ロボットの製造販売を開始
- 証券アナリストジャーナル 36巻1号別冊付録2(日本証券アナリスト協会、1998年1月)崎谷文雄社長談
- [24]液晶工場向けに大気用・真空用ガラス基板搬送ロボットおよび大型液晶ガラス基板搬送装置を製造している
- [25]事業は半導体・液晶工場の無人化・無塵化に必要な製品の開発・販売であるとした
入社試験は設立のときから一貫して厳しく、性格テストに3時間、専門テストに1時間をかけてきた。性格テストで何より見たのは空間力、つまり何もないところから考えを生み出す力である。崎谷文雄氏の見るところ、ヨーロッパには社員5、6人で世界的な製品を生む企業があり、そこでは一人ひとりが世界に目を向け、世界で通じる製品を作っていた。個人が生きてこそ会社が伸びると考え、社員が自らの技術を仕事の場で存分に使い、その腕を磨いて将来の望みをかなえられる場所であることを会社に求めた。こうして採った人員は、1995年2月期の114人が1996年2月には175人となった。
- 証券アナリストジャーナル 36巻1号別冊付録2(日本証券アナリスト協会、1998年1月)崎谷文雄社長談
- [26]設立から一貫して厳しい入社試験を行い、性格テストを3時間、専門テストを1時間実施している
- [27]性格テストでは空間力を重視し、何もない無から考え出す力に秀でた人を採用している
- [28]ヨーロッパには5〜6人の社員で世界的な製品を作っている企業があり、個々人が世界を見て世界に勝てる製品を作っている
- [29]個人が生きないと会社は伸びないと考えた
- [30]会社は個人の技術を実務に発揮できる所であり、さらに個人の技術の向上を図り将来の希望を実現させる所にすべきであるという理念に到達した
- 長銀総研L 13巻3号(通巻146、長銀総合研究所、1996年3月)
- [31]従業員は1995年2月期の114人から1996年2月には175人へ増えた
参考文献[16]-[31]
- 証券アナリストジャーナル 36巻1号別冊付録2(日本証券アナリスト協会、1998年1月)崎谷文雄社長談
- [16]1985年末に自動化システムに対する考え方を発表するとともに、超小型のステッピングモータドライバおよびコントローラを発表した
- [17]1985年末の発表は、世界的にニュースとなる製品のみを商品化するという考え方に基づくものであった
- [18]最初に作ったのはドライバとコントローラで、いかに小さくするか、悪環境で動くかという点から開発した
- [20]1987年に自社製品を使用した無人化システムおよびその応用製品として半導体装置用スーパークリーンロボットを発表した
- [24]液晶工場向けに大気用・真空用ガラス基板搬送ロボットおよび大型液晶ガラス基板搬送装置を製造している
- [25]事業は半導体・液晶工場の無人化・無塵化に必要な製品の開発・販売であるとした
- [26]設立から一貫して厳しい入社試験を行い、性格テストを3時間、専門テストを1時間実施している
- [27]性格テストでは空間力を重視し、何もない無から考え出す力に秀でた人を採用している
- [28]ヨーロッパには5〜6人の社員で世界的な製品を作っている企業があり、個々人が世界を見て世界に勝てる製品を作っている
- [29]個人が生きないと会社は伸びないと考えた
- [30]会社は個人の技術を実務に発揮できる所であり、さらに個人の技術の向上を図り将来の希望を実現させる所にすべきであるという理念に到達した
- ローツェ 有価証券報告書 第41期(2026年2月期)【沿革】
- [19]1986年12月 クリーンロボットの製造販売を開始
- [21]1989年11月 真空用クリーンロボットの製造販売を開始
- [22]1992年11月 デュアルアームクリーンロボットの製造販売を開始
- [23]1993年12月 大型ガラス基板クリーン搬送ロボットの製造販売を開始
- 長銀総研L 13巻3号(通巻146、長銀総合研究所、1996年3月)
- [31]従業員は1995年2月期の114人から1996年2月には175人へ増えた
1993年〜輸出5割の裏にあったコスト劣位と1996年の海外拠点網
ローツェは専任の営業担当をわずか3人しか置いていなかった。装置メーカーの購買部を相手にしても値を下げさせられるだけだとみて、技術水準の高い人間を、製品の採用を決めて購買部へ発注を頼む立場の技術者のもとへ向かわせたからである。それでも2月末決算の売上高は、1993年2月期12.1億円、1994年2月期16.1億円、1995年2月期24.7億円と増え、1996年2月期には50億円を超えて経常利益も10億円程度となり、そのうち約50%は製品に組み込まれて出ていく分も含めた輸出で、米国向けだけで売上の4分の1を占めた。売り込む先を装置メーカーの技術部門に絞ったことで、少ない営業人員でも輸出の半分を運ぶことができた。
- 証券アナリストジャーナル 36巻1号別冊付録2(日本証券アナリスト協会、1998年1月)崎谷文雄社長談
- [32]専任の営業担当は3人しかいない
- [33]メーカーの購買部へ売り込みに行くと値切られるだけなので、購入を決定して購買部へ依頼する技術者のところへ技術レベルの高い人が話を持ち込む営業方法を採っている
- 長銀総研L 13巻3号(通巻146、長銀総合研究所、1996年3月)
- [34]売上高は1993年2月期12.1億円、1994年2月期16.1億円、1995年2月期24.7億円と伸び、1996年2月期は50億円超・経常利益10億円程度となった
- [35]輸出は製品に組み込まれるものを含めて売上の約50%を占め、米国が売上の4分の1に当たった
韓国のICデバイスメーカーが米国の装置メーカーに対し、ローツェのロボットを付けたら購入すると言ったことがある。米国の装置メーカーは来社して商談に入ったが、製品は素晴らしいがコストが50から100%高いという評価になり、当時は円高でもあったため話は流れた。装置メーカーで世界一の米アプライド・マテリアルズは、この時期にシリコンバレーからテキサス州オースチンへ工場を移せばさらに30%安く作れるとして移転している。顧客の側でも、日本のIC製造メーカーが国内では採算が取れないとして海外へ出るようになり、装置メーカーは稼働率のよい装置をそのまま現地へ持ち出していた。顧客に指名されながら価格で退けられるという結末は、製品の優位が価格の劣位に打ち消される構造を示していた。
- 証券アナリストジャーナル 36巻1号別冊付録2(日本証券アナリスト協会、1998年1月)崎谷文雄社長談
- [36]韓国のICデバイスメーカーが米国の装置メーカーに、ローツェのロボットを付けたら購入すると伝えた
- [37]米国の装置メーカーが来社して商談したが、製品は素晴らしいがコストが50〜100%高いとされ、円高もあって不成立に終わった
- [38]装置メーカーで世界一の米アプライド・マテリアルズは、シリコンバレーよりテキサス州オースチンへ行けばさらに30%安く作れるとして工場を移転した
- 通産ジャーナル 30巻9号(通巻317、通商産業調査会、1997年9月)崎谷文雄社長インタビュー
- [39]日本のIC製造メーカーが国内では採算が取れないとして海外に出るようになり、装置メーカーは稼働率のよい装置を現地へ持ち出していた
1995年10月、広島県神辺町道上に工場が新設された。顧客からは、国外で使うロボットが壊れた場合の修理を求める声が上がっていたが、修理だけを国外で請け負っても収支は合わない。崎谷文雄氏の出した手は、安いロボットをベトナムで作って売ると同時に、ロボットを組み込んだ自動化装置を顧客のそばで開発し製造する海外子会社を設けることで、1996年2月にはシンガポールに海外持株会社RORZE INTERNATIONAL PTE.LTD.を、3月には台湾の新竹科学工業園区にRORZE TECHNOLOGY,INC.を置いた。同年10月にはベトナムのハイフォン市にRORZE ROBOTECH INC.を、11月には米国カリフォルニア州ミルピタス市にRORZE AUTOMATION,INC.を設立している。保守だけの拠点は費用の増分に終わるが、量産と現地仕上げを兼ねさせれば、拠点を増やすほど費用が下がる。
- ローツェ 有価証券報告書 第41期(2026年2月期)【沿革】
- [40]1995年10月 広島県神辺町道上に液晶ガラス基板搬送ロボット・装置製造用工場を新設
- [44]1996年2月にシンガポールへRORZE INTERNATIONAL PTE.LTD.、3月に台湾新竹科学工業園区へRORZE TECHNOLOGY,INC.を設立
- [45]1996年10月にベトナム・ハイフォン市へRORZE ROBOTECH INC.、11月に米国カリフォルニア州ミルピタス市へRORZE AUTOMATION,INC.を設立
- 証券アナリストジャーナル 36巻1号別冊付録2(日本証券アナリスト協会、1998年1月)崎谷文雄社長談
- [41]ロボットのユーザーから、海外で故障した際に修理をしてほしいとの要請があった
- [42]海外で修理をするだけでは採算が取れなかった
- [43]ベトナムで安価なロボットを製造して販売するとともに、顧客の近くでロボットを使用した自動化装置を開発・製造できる海外子会社を作ることにした
参考文献[32]-[45]
- 証券アナリストジャーナル 36巻1号別冊付録2(日本証券アナリスト協会、1998年1月)崎谷文雄社長談
- [32]専任の営業担当は3人しかいない
- [33]メーカーの購買部へ売り込みに行くと値切られるだけなので、購入を決定して購買部へ依頼する技術者のところへ技術レベルの高い人が話を持ち込む営業方法を採っている
- [36]韓国のICデバイスメーカーが米国の装置メーカーに、ローツェのロボットを付けたら購入すると伝えた
- [37]米国の装置メーカーが来社して商談したが、製品は素晴らしいがコストが50〜100%高いとされ、円高もあって不成立に終わった
- [38]装置メーカーで世界一の米アプライド・マテリアルズは、シリコンバレーよりテキサス州オースチンへ行けばさらに30%安く作れるとして工場を移転した
- [41]ロボットのユーザーから、海外で故障した際に修理をしてほしいとの要請があった
- [42]海外で修理をするだけでは採算が取れなかった
- [43]ベトナムで安価なロボットを製造して販売するとともに、顧客の近くでロボットを使用した自動化装置を開発・製造できる海外子会社を作ることにした
- 長銀総研L 13巻3号(通巻146、長銀総合研究所、1996年3月)
- [34]売上高は1993年2月期12.1億円、1994年2月期16.1億円、1995年2月期24.7億円と伸び、1996年2月期は50億円超・経常利益10億円程度となった
- [35]輸出は製品に組み込まれるものを含めて売上の約50%を占め、米国が売上の4分の1に当たった
- 通産ジャーナル 30巻9号(通巻317、通商産業調査会、1997年9月)崎谷文雄社長インタビュー
- [39]日本のIC製造メーカーが国内では採算が取れないとして海外に出るようになり、装置メーカーは稼働率のよい装置を現地へ持ち出していた
- ローツェ 有価証券報告書 第41期(2026年2月期)【沿革】
- [40]1995年10月 広島県神辺町道上に液晶ガラス基板搬送ロボット・装置製造用工場を新設
- [44]1996年2月にシンガポールへRORZE INTERNATIONAL PTE.LTD.、3月に台湾新竹科学工業園区へRORZE TECHNOLOGY,INC.を設立
- [45]1996年10月にベトナム・ハイフォン市へRORZE ROBOTECH INC.、11月に米国カリフォルニア州ミルピタス市へRORZE AUTOMATION,INC.を設立
筆者考察
ローツェが最初に決めたのは、何を作るかではなく何を作らないかだった。他社が販売している同等品は製品にしない。崎谷文雄氏が1985年に置いたこの禁止則は、技術力でも営業力でも資金力でも大手に及ばない会社が、同じ土俵へ上がらずに済ませるための条件である。既にある製品の改良版を出せば、値段で比べられ、量で競争劣位に置かれる。比べる相手のいない製品だけを選べば、価格の決め方も納期の決め方も自分の側に残る。40歳での創業にあたって崎谷文雄氏が掲げたのは、売り方の工夫ではなく、参入する市場そのものを絞る規則だった。
その規則は、製品の並びにそのまま残っている。1985年末の超小型ステッピングモータドライバから、1987年の半導体装置用スーパークリーンロボット、1989年の真空用、1992年のデュアルアーム、1993年の大型ガラス基板搬送へ。どれも前の製品が届かなかった環境へ一段ずつ入っていく順序で、品目を横へ並べてはいない。人が入れない場所で動く部品という括りを崩さないかぎり、半導体にも液晶にも同じ技術を当てられる。集積地からも首都圏からも離れた広島県福山市で資本金1,000万円から始まった会社が、1996年2月期に売上50億円へ達したのは、作らないものを先に決めた順序の帰結だと思われる。
- 1996年2月期は崎谷文雄社長の説明による概数。
- 出所は長銀総研L 13巻3号(通巻146、長銀総合研究所、1996年3月)。
出典・参考
4件
- ローツェ 有価証券報告書 第41期(2026年2月期)【沿革】
- 長銀総研L 13巻3号(通巻146、長銀総合研究所、1996年3月)
- 通産ジャーナル 30巻9号(通巻317、通商産業調査会、1997年9月)崎谷文雄社長インタビュー
- 証券アナリストジャーナル 36巻1号別冊付録2(日本証券アナリスト協会、1998年1月)崎谷文雄社長談