第1章 年〜年

DMG森精機:繊維機械から工作機械への業態転換と伊賀工場体制の確立

1948年〜大和郡山でメリヤス機械から興した森精機製作所と、普通旋盤への転向

1948年10月、森林平氏と森茂氏の兄弟は、奈良県大和郡山市で、メリヤス機械を製造・販売する森精機製作所を設立した。資本金は20万円で、1981年の時点では森林平氏が社長、森茂氏が副社長を務めていた。ただし創業者を森家の三兄弟とし、メリヤス機械の修理工場として発足したとする記述もある。メリヤス機械を選んだのは、戦後に急速に拡大した日本の繊維産業の需要に合わせた判断だった。1988年の証券投資も、森家の三兄弟が大和郡山市で設立したと伝えている。繊維の設備需要に照準を合わせた創業の判断は、需要の移り変わりに応じて品目を替える後年の姿勢の起点になったとみられる。

  • 証券 33(12)(393) 1981年
    • [1]1948年10月、森林平・森茂の兄弟がメリヤス機械の製造販売を目的に奈良県大和郡山市で資本金20万円で設立。1981年時点で森林平は社長、森茂は副社長
    • [2]1948年10月、森林平・森茂の兄弟がメリヤス機械の製造販売を目的に奈良県大和郡山市で資本金20万円で設立。1981年時点で森林平は社長、森茂は副社長
  • 証券調査 (225) 1989年「森精機製作所」星野英彦
    • [3]1948年10月に森三兄弟がメリヤス機械の修理工場として発足。戦後急速に発展した繊維産業に合わせた選択
    • [4]1948年10月に森三兄弟がメリヤス機械の修理工場として発足。戦後急速に発展した繊維産業に合わせた選択
  • 証券投資 (414) 1988年9月号「企業分析 森精機製作所」
    • [5]1948年に森三兄弟がメリヤス機械の製造販売を目的に奈良県大和郡山市で設立

1958年5月、森精機製作所はメリヤス機械の製造から撤退し、工作機械の製造と販売に転じた。1981年の証券は、転向の背景として、好況下で企業の設備投資が活発になった事情を挙げた。転換にあたっての基本方針は、品目を旋盤だけに絞り、技術の水準を高めて品質の高い製品を販売すること。1989年の証券調査は、転換時に選んだ普通旋盤を、当時の工作機械の需要の中心にあった機種と記した。森精機製作所は1958年から1981年の上場まで、旋盤専業のメーカーとして事業を続けた。繊維業界に限られた機械の需要から、産業全体の設備投資を需要の源とする事業へ移し替えた判断だったのだろう。

  • 証券調査 (225) 1989年「森精機製作所」星野英彦
    • [6]1958年5月に工作機械へ転換し、当時需要の中心だった普通旋盤を選んだ
    • [10]1958年5月に工作機械へ転換し、当時需要の中心だった普通旋盤を選んだ
  • 証券投資 (414) 1988年9月号「企業分析 森精機製作所」
    • [7]1958年にメリヤス機械の生産を中止し工作機械の製造販売に進出
  • 証券 33(12)(393) 1981年
    • [8]産業界の活況と設備投資の活発化を背景に1958年に工作機械の製造販売へ転向。旋盤専業で高度の技術による高品質製品の販売を基本方針とし、1958年以来一貫して旋盤専業
    • [9]産業界の活況と設備投資の活発化を背景に1958年に工作機械の製造販売へ転向。旋盤専業で高度の技術による高品質製品の販売を基本方針とし、1958年以来一貫して旋盤専業
    • [11]産業界の活況と設備投資の活発化を背景に1958年に工作機械の製造販売へ転向。旋盤専業で高度の技術による高品質製品の販売を基本方針とし、1958年以来一貫して旋盤専業

森精機製作所は工作機械の中から、普通旋盤(高速精密旋盤)を最初の品目に選んだ。1981年の証券によれば、普通旋盤は汎用性が高いために工作機械で最も需要が多く、見込み生産ができ、製造工程も合理化しやすいという判断である。1988年の証券投資は、機種選びの理由から、低コストの大量生産を当初から経営の基本に据えていたと読み取った。旋盤の技術は繊維機械から移したものではなく、森家の経営者が他社製の旋盤を購入し、自ら研究した。当時の国内の工作機械メーカーは、多くが、アメリカや西ドイツとの技術提携を通じて研削盤や旋盤に進出していた。技術提携に依存せずに自前で技術を積んだ経緯は、のちの部品内製の方針にもつながったと推察される。

  • 証券 33(12)(393) 1981年
    • [12]普通旋盤(高速精密旋盤)を選んだ理由は、汎用性があり需要が最も多く見込み生産が可能で、製造工程の合理化が容易との判断
    • [13]普通旋盤(高速精密旋盤)を選んだ理由は、汎用性があり需要が最も多く見込み生産が可能で、製造工程の合理化が容易との判断
  • 証券投資 (414) 1988年9月号「企業分析 森精機製作所」
    • [14]普通旋盤を選んだ理由から、当時から低コスト大量生産を経営の基本としていたと分析
  • 証券調査 (225) 1989年「森精機製作所」星野英彦
    • [15]旋盤技術は繊維機械からの移転でなく、森家の経営者が他社の旋盤を購入して研究。当時多くの国内メーカーは米・西独との技術提携で研削盤・旋盤に進出
    • [16]旋盤技術は繊維機械からの移転でなく、森家の経営者が他社の旋盤を購入して研究。当時多くの国内メーカーは米・西独との技術提携で研削盤・旋盤に進出
参考文献[1]-[16]
  • 証券 33(12)(393) 1981年
    • [1]1948年10月、森林平・森茂の兄弟がメリヤス機械の製造販売を目的に奈良県大和郡山市で資本金20万円で設立。1981年時点で森林平は社長、森茂は副社長
    • [2]1948年10月、森林平・森茂の兄弟がメリヤス機械の製造販売を目的に奈良県大和郡山市で資本金20万円で設立。1981年時点で森林平は社長、森茂は副社長
    • [8]産業界の活況と設備投資の活発化を背景に1958年に工作機械の製造販売へ転向。旋盤専業で高度の技術による高品質製品の販売を基本方針とし、1958年以来一貫して旋盤専業
    • [9]産業界の活況と設備投資の活発化を背景に1958年に工作機械の製造販売へ転向。旋盤専業で高度の技術による高品質製品の販売を基本方針とし、1958年以来一貫して旋盤専業
    • [11]産業界の活況と設備投資の活発化を背景に1958年に工作機械の製造販売へ転向。旋盤専業で高度の技術による高品質製品の販売を基本方針とし、1958年以来一貫して旋盤専業
    • [12]普通旋盤(高速精密旋盤)を選んだ理由は、汎用性があり需要が最も多く見込み生産が可能で、製造工程の合理化が容易との判断
    • [13]普通旋盤(高速精密旋盤)を選んだ理由は、汎用性があり需要が最も多く見込み生産が可能で、製造工程の合理化が容易との判断
  • 証券調査 (225) 1989年「森精機製作所」星野英彦
    • [3]1948年10月に森三兄弟がメリヤス機械の修理工場として発足。戦後急速に発展した繊維産業に合わせた選択
    • [4]1948年10月に森三兄弟がメリヤス機械の修理工場として発足。戦後急速に発展した繊維産業に合わせた選択
    • [6]1958年5月に工作機械へ転換し、当時需要の中心だった普通旋盤を選んだ
    • [10]1958年5月に工作機械へ転換し、当時需要の中心だった普通旋盤を選んだ
    • [15]旋盤技術は繊維機械からの移転でなく、森家の経営者が他社の旋盤を購入して研究。当時多くの国内メーカーは米・西独との技術提携で研削盤・旋盤に進出
    • [16]旋盤技術は繊維機械からの移転でなく、森家の経営者が他社の旋盤を購入して研究。当時多くの国内メーカーは米・西独との技術提携で研削盤・旋盤に進出
  • 証券投資 (414) 1988年9月号「企業分析 森精機製作所」
    • [5]1948年に森三兄弟がメリヤス機械の製造販売を目的に奈良県大和郡山市で設立
    • [7]1958年にメリヤス機械の生産を中止し工作機械の製造販売に進出
    • [14]普通旋盤を選んだ理由から、当時から低コスト大量生産を経営の基本としていたと分析

1962年〜後発で出したNC旋盤と、三重県に開設した主力の伊賀工場

1962年、森精機製作所は大和郡山市の本社と同じ敷地に奈良工場を開設した。1981年の上場時点の主な事業所は、本社と本社奈良工場、伊賀工場の3カ所。製造工程は継続的な設備投資によって加工と組立の大部分を自動化し、部品もほとんどを内製していた。1988年の証券投資によれば、本社の工場は奈良FMS工場の完成まで小型機種の生産拠点を担った。新設の奈良FMS工場は、旧本社工場より月産の規模を2割拡大した。創業の地に最初の工場を置いたのは、旋盤の量産を始めた時期に手元の敷地で生産を増やす判断だったと思われる。

  • 証券 33(12)(393) 1981年
    • [17]1962年に本社敷地内に奈良工場を開設。1981年の主な事業所は本社・本社奈良工場・伊賀工場。設備投資で加工・組立を大幅に自動化し部品の大半を内製
    • [18]1962年に本社敷地内に奈良工場を開設。1981年の主な事業所は本社・本社奈良工場・伊賀工場。設備投資で加工・組立を大幅に自動化し部品の大半を内製
    • [19]1962年に本社敷地内に奈良工場を開設。1981年の主な事業所は本社・本社奈良工場・伊賀工場。設備投資で加工・組立を大幅に自動化し部品の大半を内製
  • 証券投資 (414) 1988年9月号「企業分析 森精機製作所」
    • [20]従来小型機種の生産拠点だった旧本社工場に代わり奈良FMS工場が稼働し、月産規模を2割拡大
    • [21]従来小型機種の生産拠点だった旧本社工場に代わり奈良FMS工場が稼働し、月産規模を2割拡大

1968年4月、森精機製作所は普通旋盤に加えて数値制御装置付旋盤(NC旋盤)の製造と販売を始めた。NC旋盤はすでに数社が製品化しており、森精機製作所は後発のメーカーにあたる。開発の初期にあたる1965年ごろのNC旋盤は技術的な問題を抱え、作業中の故障をめぐって利用者との紛争が続いた。森精機製作所は納得できる試作品ができるまで製品化を控えて改良を重ね、1968年の発売時に大きな故障を出さずに市場の評価を得た。1989年の証券調査によれば、森精機製作所は多品種少量生産への移行と人件費の上昇からNC機の需要が拡大すると判断していた。旋盤のNC化はその後急速に進み、1969年3月期から1975年3月期の5年間で売上高は3倍強になった。

  • 証券 33(12)(393) 1981年
    • [22]1968年にNC旋盤の製造販売を開始。数社が先行し後発。1965年頃の初期NC旋盤は故障が多くユーザーとトラブル。自信ある試作品まで製品化を抑え、発売時にトラブルなくブランド定着
    • [24]1968年にNC旋盤の製造販売を開始。数社が先行し後発。1965年頃の初期NC旋盤は故障が多くユーザーとトラブル。自信ある試作品まで製品化を抑え、発売時にトラブルなくブランド定着
    • [25]1968年にNC旋盤の製造販売を開始。数社が先行し後発。1965年頃の初期NC旋盤は故障が多くユーザーとトラブル。自信ある試作品まで製品化を抑え、発売時にトラブルなくブランド定着
    • [26]1968年にNC旋盤の製造販売を開始。数社が先行し後発。1965年頃の初期NC旋盤は故障が多くユーザーとトラブル。自信ある試作品まで製品化を抑え、発売時にトラブルなくブランド定着
  • 証券調査 (225) 1989年「森精機製作所」星野英彦
    • [23]1968年4月にNC旋盤の製造販売を開始。多品種少量生産への移行と人件費上昇からNC機の需要増大を見込む。1969/3〜1975/3期の5年間で売上高3倍強
    • [27]1968年4月にNC旋盤の製造販売を開始。多品種少量生産への移行と人件費上昇からNC機の需要増大を見込む。1969/3〜1975/3期の5年間で売上高3倍強
    • [28]1968年4月にNC旋盤の製造販売を開始。多品種少量生産への移行と人件費上昇からNC機の需要増大を見込む。1969/3〜1975/3期の5年間で売上高3倍強

1970年、森精機製作所は業容の拡大を図り、三重県に伊賀工場を開設した。1981年の証券によれば、伊賀工場は当時の主力工場にあたる。1970年代には伊賀で第2、第3工場を増設し、1978年には伊賀第4工場も設立した。1988年の証券投資によれば、伊賀工場は大型機種の生産を受け持ち、ボールねじなどの心臓部品も内製していた。同業他社がボールねじを専業メーカーから購入したのに対し、森精機製作所は内製によって精度を保ち、納期を縮めた。立地の理由は資料に無いものの、大和郡山市から近い三重県で広い敷地を得て、大型機と基幹部品の生産を集めたと推測される。

  • 証券 33(12)(393) 1981年
    • [29]1970年に業容拡大を図り三重県に伊賀工場を開設。1981年時点の主力工場
    • [30]1970年に業容拡大を図り三重県に伊賀工場を開設。1981年時点の主力工場
  • 証券調査 (225) 1989年「森精機製作所」星野英彦
    • [31]伊賀の第2・第3工場を増設し、1978年に伊賀第4工場を設立
  • 証券投資 (414) 1988年9月号「企業分析 森精機製作所」
    • [32]伊賀工場は大型機種を担当し、ボールねじ等の心臓部品を内製。同業他社は日本精工等から購入。内製が精度保持・納期短縮に寄与
    • [33]伊賀工場は大型機種を担当し、ボールねじ等の心臓部品を内製。同業他社は日本精工等から購入。内製が精度保持・納期短縮に寄与
参考文献[17]-[33]
  • 証券 33(12)(393) 1981年
    • [17]1962年に本社敷地内に奈良工場を開設。1981年の主な事業所は本社・本社奈良工場・伊賀工場。設備投資で加工・組立を大幅に自動化し部品の大半を内製
    • [18]1962年に本社敷地内に奈良工場を開設。1981年の主な事業所は本社・本社奈良工場・伊賀工場。設備投資で加工・組立を大幅に自動化し部品の大半を内製
    • [19]1962年に本社敷地内に奈良工場を開設。1981年の主な事業所は本社・本社奈良工場・伊賀工場。設備投資で加工・組立を大幅に自動化し部品の大半を内製
    • [22]1968年にNC旋盤の製造販売を開始。数社が先行し後発。1965年頃の初期NC旋盤は故障が多くユーザーとトラブル。自信ある試作品まで製品化を抑え、発売時にトラブルなくブランド定着
    • [24]1968年にNC旋盤の製造販売を開始。数社が先行し後発。1965年頃の初期NC旋盤は故障が多くユーザーとトラブル。自信ある試作品まで製品化を抑え、発売時にトラブルなくブランド定着
    • [25]1968年にNC旋盤の製造販売を開始。数社が先行し後発。1965年頃の初期NC旋盤は故障が多くユーザーとトラブル。自信ある試作品まで製品化を抑え、発売時にトラブルなくブランド定着
    • [26]1968年にNC旋盤の製造販売を開始。数社が先行し後発。1965年頃の初期NC旋盤は故障が多くユーザーとトラブル。自信ある試作品まで製品化を抑え、発売時にトラブルなくブランド定着
    • [29]1970年に業容拡大を図り三重県に伊賀工場を開設。1981年時点の主力工場
    • [30]1970年に業容拡大を図り三重県に伊賀工場を開設。1981年時点の主力工場
  • 証券投資 (414) 1988年9月号「企業分析 森精機製作所」
    • [20]従来小型機種の生産拠点だった旧本社工場に代わり奈良FMS工場が稼働し、月産規模を2割拡大
    • [21]従来小型機種の生産拠点だった旧本社工場に代わり奈良FMS工場が稼働し、月産規模を2割拡大
    • [32]伊賀工場は大型機種を担当し、ボールねじ等の心臓部品を内製。同業他社は日本精工等から購入。内製が精度保持・納期短縮に寄与
    • [33]伊賀工場は大型機種を担当し、ボールねじ等の心臓部品を内製。同業他社は日本精工等から購入。内製が精度保持・納期短縮に寄与
  • 証券調査 (225) 1989年「森精機製作所」星野英彦
    • [23]1968年4月にNC旋盤の製造販売を開始。多品種少量生産への移行と人件費上昇からNC機の需要増大を見込む。1969/3〜1975/3期の5年間で売上高3倍強
    • [27]1968年4月にNC旋盤の製造販売を開始。多品種少量生産への移行と人件費上昇からNC機の需要増大を見込む。1969/3〜1975/3期の5年間で売上高3倍強
    • [28]1968年4月にNC旋盤の製造販売を開始。多品種少量生産への移行と人件費上昇からNC機の需要増大を見込む。1969/3〜1975/3期の5年間で売上高3倍強
    • [31]伊賀の第2・第3工場を増設し、1978年に伊賀第4工場を設立

1972年〜山善・マルカキカイ経由の北米輸出で64.2%に達した輸出比率と、大証・東証への上場

森精機製作所は海外の販路開拓に力を注ぎ、山善とマルカキカイを通して北米を中心に輸出を増やした。国内では先行メーカーのシェアが固まり、1958年に参入した旋盤専業のメーカーが販路を開拓するのは難しかった。輸出比率は1972年3月期の23.0%から、1981年3月期には64.2%へ上昇。輸出は全量を商社経由とし、商社への売切りのために為替変動のリスクを負わなかった。1989年の証券調査によれば、1977年3月期から1982年3月期に輸出額は38億1,100万円から309億5,500万円へ8.1倍になった。増加の中心はアメリカ向けで、石油掘削用パイプのねじ切りに使う大型NC旋盤の需要が急増した。

  • 証券 33(12)(393) 1981年
    • [34]国内市場は既存メーカーのシェアが固定化し販路開拓が困難。山善・マルカキカイを通し北米中心に輸出。輸出比率は1972/3期23.0%→1981/3期64.2%。輸出は全て商社経由の売切りで為替リスクなし
    • [35]国内市場は既存メーカーのシェアが固定化し販路開拓が困難。山善・マルカキカイを通し北米中心に輸出。輸出比率は1972/3期23.0%→1981/3期64.2%。輸出は全て商社経由の売切りで為替リスクなし
    • [36]国内市場は既存メーカーのシェアが固定化し販路開拓が困難。山善・マルカキカイを通し北米中心に輸出。輸出比率は1972/3期23.0%→1981/3期64.2%。輸出は全て商社経由の売切りで為替リスクなし
    • [37]国内市場は既存メーカーのシェアが固定化し販路開拓が困難。山善・マルカキカイを通し北米中心に輸出。輸出比率は1972/3期23.0%→1981/3期64.2%。輸出は全て商社経由の売切りで為替リスクなし
  • 証券調査 (225) 1989年「森精機製作所」星野英彦
    • [38]1977/3〜1982/3期に輸出は38億1,100万円→309億5,500万円(8.1倍)。主因はアメリカ向けで、石油掘削用パイプのねじ切り向け大型NC旋盤の需要が急増
    • [39]1977/3〜1982/3期に輸出は38億1,100万円→309億5,500万円(8.1倍)。主因はアメリカ向けで、石油掘削用パイプのねじ切り向け大型NC旋盤の需要が急増

1972年、森精機製作所は東京と名古屋で営業所を開設し、国内の販売網づくりに着手した。以後、大阪、広島、福岡、静岡、群馬、長野の各府県にも営業所を設けた。営業所網を通じて利用者の情報を集め、需要を先取りした製品の改良と細かなサービスに充てた。1981年3月期の国内のNC旋盤の販売先は、自動車関係が25.8%、金属加工機械関係が11.5%、建設機械関係が10.0%である。1989年の証券調査は、国内営業所の拡充と伊賀の工場増設を、1977年3月期以降の成長期に先立つ手立てとして並べて記した。輸出で築いた製品の評価を国内の顧客にも広げるため、工業の集積する地域から順に拠点を置いたと考えられる。

  • 証券 33(12)(393) 1981年
    • [40]1972年に東京・名古屋に営業所を開設し、以後広島・大阪・福岡・静岡・長野・群馬に展開。営業網で情報収集しニーズを先取りした製品改良とサービスに活用。1981/3期国内NC旋盤販売先は自動車25.8%・金属加工機械11.5%・建設機械10.0%
    • [41]1972年に東京・名古屋に営業所を開設し、以後広島・大阪・福岡・静岡・長野・群馬に展開。営業網で情報収集しニーズを先取りした製品改良とサービスに活用。1981/3期国内NC旋盤販売先は自動車25.8%・金属加工機械11.5%・建設機械10.0%
    • [42]1972年に東京・名古屋に営業所を開設し、以後広島・大阪・福岡・静岡・長野・群馬に展開。営業網で情報収集しニーズを先取りした製品改良とサービスに活用。1981/3期国内NC旋盤販売先は自動車25.8%・金属加工機械11.5%・建設機械10.0%
    • [43]1972年に東京・名古屋に営業所を開設し、以後広島・大阪・福岡・静岡・長野・群馬に展開。営業網で情報収集しニーズを先取りした製品改良とサービスに活用。1981/3期国内NC旋盤販売先は自動車25.8%・金属加工機械11.5%・建設機械10.0%
  • 証券調査 (225) 1989年「森精機製作所」星野英彦
    • [44]国内営業所の拡充と伊賀第2・第3工場の増設を経て急成長期に入る

1979年11月、森精機製作所は大阪証券取引所に上場し、公募増資で340万株を1株2,410円で発行した。増資の払込超過額である約80億円の使途は、銀行からの借入金の全額返済である。株主資本比率は1979年3月期の35.1%から、1980年3月期には67.4%へ上がった。1981年3月期の総売上高379億2,200万円のうちNC旋盤は90.4%を占め、経常利益は120億円に達した。1981年11月20日に東京証券取引所へ上場した時点の大株主には、森林平氏と森茂氏に並んで森幸男氏が各12.2%で名を連ねた。無借金の財務と高い利益率は、次の時代に海外の販売拠点と工場の新設へ資金を充当する素地になったとうかがえる。

  • 証券 33(12)(393) 1981年
    • [45]1979年11月に大証上場、公募増資340万株@2,410円。プレミアム約80億円で銀行借入を全額返済し株主資本比率35.1%(1979/3期)→67.4%(1980/3期)。1981/3期総売上高379億2,200万円のうちNC旋盤90.4%。1981年11月20日東証上場。大株主は森林平・森茂・森幸男が各12.2%
    • [46]1979年11月に大証上場、公募増資340万株@2,410円。プレミアム約80億円で銀行借入を全額返済し株主資本比率35.1%(1979/3期)→67.4%(1980/3期)。1981/3期総売上高379億2,200万円のうちNC旋盤90.4%。1981年11月20日東証上場。大株主は森林平・森茂・森幸男が各12.2%
    • [47]1979年11月に大証上場、公募増資340万株@2,410円。プレミアム約80億円で銀行借入を全額返済し株主資本比率35.1%(1979/3期)→67.4%(1980/3期)。1981/3期総売上高379億2,200万円のうちNC旋盤90.4%。1981年11月20日東証上場。大株主は森林平・森茂・森幸男が各12.2%
    • [48]1979年11月に大証上場、公募増資340万株@2,410円。プレミアム約80億円で銀行借入を全額返済し株主資本比率35.1%(1979/3期)→67.4%(1980/3期)。1981/3期総売上高379億2,200万円のうちNC旋盤90.4%。1981年11月20日東証上場。大株主は森林平・森茂・森幸男が各12.2%
    • [50]1979年11月に大証上場、公募増資340万株@2,410円。プレミアム約80億円で銀行借入を全額返済し株主資本比率35.1%(1979/3期)→67.4%(1980/3期)。1981/3期総売上高379億2,200万円のうちNC旋盤90.4%。1981年11月20日東証上場。大株主は森林平・森茂・森幸男が各12.2%
  • 会社年鑑(1986年版)
    • [49]1981年3月期 単体 売上高379億円・経常利益120億円
参考文献[34]-[50]
  • 証券 33(12)(393) 1981年
    • [34]国内市場は既存メーカーのシェアが固定化し販路開拓が困難。山善・マルカキカイを通し北米中心に輸出。輸出比率は1972/3期23.0%→1981/3期64.2%。輸出は全て商社経由の売切りで為替リスクなし
    • [35]国内市場は既存メーカーのシェアが固定化し販路開拓が困難。山善・マルカキカイを通し北米中心に輸出。輸出比率は1972/3期23.0%→1981/3期64.2%。輸出は全て商社経由の売切りで為替リスクなし
    • [36]国内市場は既存メーカーのシェアが固定化し販路開拓が困難。山善・マルカキカイを通し北米中心に輸出。輸出比率は1972/3期23.0%→1981/3期64.2%。輸出は全て商社経由の売切りで為替リスクなし
    • [37]国内市場は既存メーカーのシェアが固定化し販路開拓が困難。山善・マルカキカイを通し北米中心に輸出。輸出比率は1972/3期23.0%→1981/3期64.2%。輸出は全て商社経由の売切りで為替リスクなし
    • [40]1972年に東京・名古屋に営業所を開設し、以後広島・大阪・福岡・静岡・長野・群馬に展開。営業網で情報収集しニーズを先取りした製品改良とサービスに活用。1981/3期国内NC旋盤販売先は自動車25.8%・金属加工機械11.5%・建設機械10.0%
    • [41]1972年に東京・名古屋に営業所を開設し、以後広島・大阪・福岡・静岡・長野・群馬に展開。営業網で情報収集しニーズを先取りした製品改良とサービスに活用。1981/3期国内NC旋盤販売先は自動車25.8%・金属加工機械11.5%・建設機械10.0%
    • [42]1972年に東京・名古屋に営業所を開設し、以後広島・大阪・福岡・静岡・長野・群馬に展開。営業網で情報収集しニーズを先取りした製品改良とサービスに活用。1981/3期国内NC旋盤販売先は自動車25.8%・金属加工機械11.5%・建設機械10.0%
    • [43]1972年に東京・名古屋に営業所を開設し、以後広島・大阪・福岡・静岡・長野・群馬に展開。営業網で情報収集しニーズを先取りした製品改良とサービスに活用。1981/3期国内NC旋盤販売先は自動車25.8%・金属加工機械11.5%・建設機械10.0%
    • [45]1979年11月に大証上場、公募増資340万株@2,410円。プレミアム約80億円で銀行借入を全額返済し株主資本比率35.1%(1979/3期)→67.4%(1980/3期)。1981/3期総売上高379億2,200万円のうちNC旋盤90.4%。1981年11月20日東証上場。大株主は森林平・森茂・森幸男が各12.2%
    • [46]1979年11月に大証上場、公募増資340万株@2,410円。プレミアム約80億円で銀行借入を全額返済し株主資本比率35.1%(1979/3期)→67.4%(1980/3期)。1981/3期総売上高379億2,200万円のうちNC旋盤90.4%。1981年11月20日東証上場。大株主は森林平・森茂・森幸男が各12.2%
    • [47]1979年11月に大証上場、公募増資340万株@2,410円。プレミアム約80億円で銀行借入を全額返済し株主資本比率35.1%(1979/3期)→67.4%(1980/3期)。1981/3期総売上高379億2,200万円のうちNC旋盤90.4%。1981年11月20日東証上場。大株主は森林平・森茂・森幸男が各12.2%
    • [48]1979年11月に大証上場、公募増資340万株@2,410円。プレミアム約80億円で銀行借入を全額返済し株主資本比率35.1%(1979/3期)→67.4%(1980/3期)。1981/3期総売上高379億2,200万円のうちNC旋盤90.4%。1981年11月20日東証上場。大株主は森林平・森茂・森幸男が各12.2%
    • [50]1979年11月に大証上場、公募増資340万株@2,410円。プレミアム約80億円で銀行借入を全額返済し株主資本比率35.1%(1979/3期)→67.4%(1980/3期)。1981/3期総売上高379億2,200万円のうちNC旋盤90.4%。1981年11月20日東証上場。大株主は森林平・森茂・森幸男が各12.2%
  • 証券調査 (225) 1989年「森精機製作所」星野英彦
    • [38]1977/3〜1982/3期に輸出は38億1,100万円→309億5,500万円(8.1倍)。主因はアメリカ向けで、石油掘削用パイプのねじ切り向け大型NC旋盤の需要が急増
    • [39]1977/3〜1982/3期に輸出は38億1,100万円→309億5,500万円(8.1倍)。主因はアメリカ向けで、石油掘削用パイプのねじ切り向け大型NC旋盤の需要が急増
    • [44]国内営業所の拡充と伊賀第2・第3工場の増設を経て急成長期に入る
  • 会社年鑑(1986年版)
    • [49]1981年3月期 単体 売上高379億円・経常利益120億円

1948年〜1981年の業績

決算期 区分 売上高 経常利益純利益 主な投資
億円 YoY 億円 億円 利益率
1949年 n/a n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1950年03月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1951年03月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1952年03月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1953年03月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1954年03月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1955年03月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1956年03月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1957年03月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1958年03月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1959年03月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1960年03月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1961年03月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1962年03月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1963年03月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1964年03月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1965年03月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1966年03月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1967年03月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1968年03月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1969年03月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1970年03月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1971年03月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1972年01月期 単体 18 n/a n/a n/a n/a n/a
1973年03月期 単体 27 +50.0% 3 2 7.4% n/a
1974年03月期 単体 57 +111.1% 5 3 5.3% n/a
1975年03月期 単体 70 +22.8% 8 2 2.9% n/a
1976年03月期 単体 52 ▲25.7% 2 1 1.9% n/a
1977年03月期 単体 83 +59.6% 7 2 2.4% n/a
1978年03月期 単体 112 +34.9% 19 8 7.1% n/a
1979年03月期 単体 185 +65.2% 43 20 10.8% n/a
1980年03月期 単体 275 +48.6% 76 36 13.1% n/a
1981年03月期 単体 379 +37.8% 120 61 16.1% n/a

出所:証券投資、会社年鑑

出典・参考

4件
出典・参考
  • 会社年鑑(1986年版)
  • 証券投資 (414) 1988年9月号「企業分析 森精機製作所」
  • 証券 33(12)(393) 1981年
  • 証券調査 (225) 1989年「森精機製作所」星野英彦

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