決断
拡張の失敗を、軸受鋼への集中で取り返した会社である。1957年にフランスのセフィラックから熱間押出法を導入し、1959年に継目無鋼管設備を完成させた。1963年には大阪特殊製鋼を合併し、高炉の構想まで進める。しかし1965年、負債424億円で会社更生法の適用を申請し、粉飾決算も発覚した。更生計画は生産の主体を構造用炭素鋼から軸受鋼と鋼管へ移すもので、1966年に新幹線用の軸受鋼を受注し、1973年に更生手続きを終えた。1980年には新日本製鐵出身の大内俊司氏が社長に就任し、第二製鋼工場などへ500億円超を投じた。