インフロニア・ホールディングス:東証二部上場とアスファルト合材による道路事業の全国展開
1959年〜東証二部に上場した前田建設工業と、道路舗装の草分け高野建設
前田建設工業は1962年6月1日に東京証券取引所の市場第二部へ上場した。上場と同じ月に7億円を増資し、資本金は13億円となった。1961年11月期の完成工事高は土木が91%、建築が9%で、ほぼ土木だけの会社だった。電源開発が火力主体へ移り、ダムを中心とする山岳土木の工事は減る見通しにあった。前田建設工業は都市土木と建築の受注を増やし、総合建設業者へ脱皮する方針を掲げた。建築部はその2年前の1960年に新設していた。1963年版の年鑑は、東京・仙台・名古屋の支店と長野県篠ノ井の機械工場を事業所に挙げた。上場で集めた資金は、実績の乏しい建築へ踏み出す間の支えになったと推察される。
- 証券 14(7) 1962年7月
- [1]1962年6月1日に東証市場第二部へ上場
- [2]1962年6月の増資(増資額7億円)で資本金13億円
- [3]1961年11月期の完成工事高は土木91%・建築9%
- [4]電源の火主水従移行でダム等の山岳土木工事が減少傾向
- [5]都市土木と建築の受注を増やし総合建設業者への脱皮に努める
- 経営コンサルタント (435) 1985年1月「企業探訪 躍進する前田建設工業」
- [6]1960年に建築部を新設して建築分野へ進出
- 『株式会社年鑑』1963年版「前田建設工業」
- [7]事業所に東京支店・仙台支店・名古屋支店・篠ノ井機械工場
高野建設は1959年4月、東京の店頭売買承認銘柄として株式を公開した。創業者の高野政造社長は東京市で道路の改良と舗装に携わり、1925年に個人で請負業を始めた。1930年に株式会社高野組を設け、1948年に高野建設へ改めた。1955年頃までは米軍の飛行場工事が売上の約70%を占めた。1959年には国内官庁の道路工事が約70%となり、比率は入れ替わった。同年の経済知識は、道路工事の順位を日本舗道に次ぐ第2位と評した。米国バーバーグリーン社から輸入したアスファルトプラントは、1日1万平方メートルを舗装できる国内最大の機械だった。1961年には東京・大阪の両証券取引所に上場した。道路整備5カ年計画で工事量が膨らむなか、機械力を元手に資本市場から資金を調達しようとしたのだろう。
- 東邦経済 42(2) 1972年2月「前田道路――アスファルト合材販売の最大手」
- [8]1959年4月に東京店頭売買承認銘柄として公開
- 経済知識 (118) 1959年5月
- [9]高野政造は東京市で道路改良・舗装に従事し1925年に個人で土木建築請負業を開始
- [11]1955年頃までは米軍飛行場工事が売上の約70%
- [12]1959年時点で国内官庁の道路関係が約70%
- [13]道路工事の第1位は日本舗道、第2位は高野建設
- [14]米バーバーグリーン社製アスファルトプラントは1日1万平方メートルの舗装能力で国内最大
- 証券 23(7) 1971年7月
- [10]1930年に株式会社高野組を設立、1948年に高野建設へ商号変更
- [15]1961年に東京・大阪両証券取引所へ上場
高野建設は1962年10月2日に手形不渡りで銀行取引停止となり、前日に会社更生法の適用を申し立てた。名神高速道路の最大工区を狙い、1961年に国内最大とされたアスファルトプラント2基を買っていた。名神高速道路の着工は世界銀行の借款の遅れなどで1年ずれ込んだ。宅地造成用の土地購入も重なり、機械と土地の代金が運転資金を圧迫した。更生手続き中に約20億円の粉飾決算が明らかになった。1964年の更生計画は9割減資を定め、前田建設工業と東洋棉花が100万株ずつ第三者割当を引き受けた。前田建設工業は工事の完成保証人となり、資金は東海銀行とトーメンが支えた。高野政造氏は1964年6月に社長を退き、管財人の鬼丸勝之氏が後を継いだ。前田建設工業には、舗装の技術と機械を系列に取り込む利点があったとみられる。
- 証券 23(7) 1971年7月
- [16]1962年10月2日に手形不渡りで銀行取引停止、前日に東京地裁へ会社更生手続開始を申立て
- [18]名神高速道路の発注は世銀借款の遅延・用地買収難航で1年遅れ
- [19]宅地造成目的の土地購入も重なり機械・土地代金が運転資金を圧迫
- [20]更生手続中に約20億円の粉飾決算が判明
- [21]更生計画で資本金9割減資、前田建設工業と東洋棉花が各100万株の第三者割当
- [23]高野政造は1964年6月に辞任し管財人の鬼丸勝之が社長に
- 東邦経済 42(2) 1972年2月「前田道路――アスファルト合材販売の最大手」
- [17]名神高速道路の最大工区受注を見込み1961年に国内最大のアスファルトプラントを2基購入
- [22]資金面は東海銀行とトーメン、前田建設工業が工事の完成保証人
参考文献[1]-[23]
- 証券 14(7) 1962年7月
- [1]1962年6月1日に東証市場第二部へ上場
- [2]1962年6月の増資(増資額7億円)で資本金13億円
- [3]1961年11月期の完成工事高は土木91%・建築9%
- [4]電源の火主水従移行でダム等の山岳土木工事が減少傾向
- [5]都市土木と建築の受注を増やし総合建設業者への脱皮に努める
- 経営コンサルタント (435) 1985年1月「企業探訪 躍進する前田建設工業」
- [6]1960年に建築部を新設して建築分野へ進出
- 『株式会社年鑑』1963年版「前田建設工業」
- [7]事業所に東京支店・仙台支店・名古屋支店・篠ノ井機械工場
- 東邦経済 42(2) 1972年2月「前田道路――アスファルト合材販売の最大手」
- [8]1959年4月に東京店頭売買承認銘柄として公開
- [17]名神高速道路の最大工区受注を見込み1961年に国内最大のアスファルトプラントを2基購入
- [22]資金面は東海銀行とトーメン、前田建設工業が工事の完成保証人
- 経済知識 (118) 1959年5月
- [9]高野政造は東京市で道路改良・舗装に従事し1925年に個人で土木建築請負業を開始
- [11]1955年頃までは米軍飛行場工事が売上の約70%
- [12]1959年時点で国内官庁の道路関係が約70%
- [13]道路工事の第1位は日本舗道、第2位は高野建設
- [14]米バーバーグリーン社製アスファルトプラントは1日1万平方メートルの舗装能力で国内最大
- 証券 23(7) 1971年7月
- [10]1930年に株式会社高野組を設立、1948年に高野建設へ商号変更
- [15]1961年に東京・大阪両証券取引所へ上場
- [16]1962年10月2日に手形不渡りで銀行取引停止、前日に東京地裁へ会社更生手続開始を申立て
- [18]名神高速道路の発注は世銀借款の遅延・用地買収難航で1年遅れ
- [19]宅地造成目的の土地購入も重なり機械・土地代金が運転資金を圧迫
- [20]更生手続中に約20億円の粉飾決算が判明
- [21]更生計画で資本金9割減資、前田建設工業と東洋棉花が各100万株の第三者割当
- [23]高野政造は1964年6月に辞任し管財人の鬼丸勝之が社長に
1965年〜前田道路への商号変更と、アスファルト合材で売上高1,016億円の道路2位
更生会社となった高野建設は1963年ごろ、名神高速道路用の大型プラントで作る合材を外部へ売り始めた。1964年には川崎と伊丹にこのプラントを据え、外売り専門の合材工場とした。事業は建築工事をほぼやめて舗装と合材販売に絞り、本社集権を支店単位の独立採算へ改めた。1965年10月に更生会社の指定を解かれた。1968年2月には社名を前田道路に改めた。更生債務は計画を2年繰り上げ、1969年末に払い終えた。1970年12月期の売上高は道路舗装工事が68.4%、アスファルト合材販売が31.6%だった。倒産の一因だった大型プラントが、官庁の発注の波に左右されにくい合材の外売りで再建の収益源に変わった。
- 証券 23(7) 1971年7月
- [24]1963年ごろから名神高速道路用大型プラントの合材を外部販売
- [26]建築工事をほぼ中止し舗装主体・合材販売併行、本社集権から支店単位の独立採算制へ
- [28]1968年2月27日に前田道路へ商号変更
- [29]更生債務を計画より2年繰り上げ1969年末に完済
- [30]1970年12月期の売上構成は道路舗装工事68.4%・アスファルト合材販売31.6%
- 東邦経済 42(2) 1972年2月「前田道路――アスファルト合材販売の最大手」
- [25]1964年から川崎と伊丹にプラントを設置し外売り専門の合材工場に
- [27]1965年10月に更生会社を解除
前田建設工業は1960年の建築部新設ののち、完成工事高に占める建築の比率を3%から28%へ上げた。建築は発注者との長い取引が物を言う分野で、後発の前田建設工業は採算の低い受注を重ねた。完成工事総利益率は13.1%から9.3%へ下がった。ダムは只見川水系に絞って経費を抑え、高収益と厚い内部留保を積んでいた。1967年には公共工事の繰り延べを受けたが、受注残は670億円と完工高の約2年分あった。1970年には、5年後に受注高1,500億円を目指す目標を掲げた。1983年11月期の完成工事高は2,990億円で、土木1,702億円に対し建築は1,287億円まで伸びた。ダムで積んだ内部留保が、建築の採算が低い時期を持ちこたえる余力になった。
- 野田経済 1970年9月2日
- [31]建築部門の完工高比率は3%から28%に上昇
- [32]建築は発注者との信頼関係がものをいい後発の同社は受注採算が低くなった
- [33]完工高総利益率は13.1%から9.3%に低下
- [36]5年後に受注高1,500億円・完工高1,200〜1,300億円を目標
- 『企業の歴史』(明治百年、1968年)「前田建設工業」
- [34]ダム工事を只見川水系に絞り高収益と厚い内部留保
- [35]1967年の公共工事繰延べの影響を受けたが受注残670億円は完工高のほぼ2年分
- 経営コンサルタント (435) 1985年1月「企業探訪 躍進する前田建設工業」
- [37]第38期(1983年11月期)完成工事高2,990億円、土木1,702億円・建築1,287億円
前田道路は1967年ごろ、各地の合材プラントを拠点に作業所を常置し、担当地域の営業を任せるブロック制を敷いた。完成工事高の業界順位は1968年度の第8位から1970年度の第4位へ上がった。1961年に2基だったプラントは、1971年末には全国60基に増えた。一方で受注の拡大を優先したため、工事の粗利益率は既上場の同業より低かった。1971年7月1日には東京証券取引所の市場第二部へ再上場した。1970年末の大株主はトーメンが23.6%、前田建設工業が19.1%だった。1972年5月に市場第一部へ指定替えとなった。1983年12月期には売上高1,016億円で道路業界の第2位となった。合材の工場網がそのまま工事の営業拠点となり、販売と施工の両輪で順位を押し上げた。
- 証券 23(7) 1971年7月
- [38]1967年ごろ各地のアスファルトプラントを中心に作業所を常置しブロック制を採用
- [41]シェア拡大を優先し工事の粗利益率は既上場同業他社より低い
- [43]1970年12月末の大株主はトーメン23.6%・前田建設工業19.1%
- 東邦経済 42(2) 1972年2月「前田道路――アスファルト合材販売の最大手」
- [39]完成工事高の業界順位は1968年度第8位、1970年度第4位
- [40]1961年に2基だったプラントが1971年末に全国60基
- [42]1971年7月1日に東証第二部へ再上場
- 前田道路 公式サイト「会社沿革」(2007年2月時点)
- [44]1972年5月に東証市場第一部へ指定替え
- [45]1983年12月に売上高1,016億円で道路業界第2位
参考文献[24]-[45]
- 証券 23(7) 1971年7月
- [24]1963年ごろから名神高速道路用大型プラントの合材を外部販売
- [26]建築工事をほぼ中止し舗装主体・合材販売併行、本社集権から支店単位の独立採算制へ
- [28]1968年2月27日に前田道路へ商号変更
- [29]更生債務を計画より2年繰り上げ1969年末に完済
- [30]1970年12月期の売上構成は道路舗装工事68.4%・アスファルト合材販売31.6%
- [38]1967年ごろ各地のアスファルトプラントを中心に作業所を常置しブロック制を採用
- [41]シェア拡大を優先し工事の粗利益率は既上場同業他社より低い
- [43]1970年12月末の大株主はトーメン23.6%・前田建設工業19.1%
- 東邦経済 42(2) 1972年2月「前田道路――アスファルト合材販売の最大手」
- [25]1964年から川崎と伊丹にプラントを設置し外売り専門の合材工場に
- [27]1965年10月に更生会社を解除
- [39]完成工事高の業界順位は1968年度第8位、1970年度第4位
- [40]1961年に2基だったプラントが1971年末に全国60基
- [42]1971年7月1日に東証第二部へ再上場
- 野田経済 1970年9月2日
- [31]建築部門の完工高比率は3%から28%に上昇
- [32]建築は発注者との信頼関係がものをいい後発の同社は受注採算が低くなった
- [33]完工高総利益率は13.1%から9.3%に低下
- [36]5年後に受注高1,500億円・完工高1,200〜1,300億円を目標
- 『企業の歴史』(明治百年、1968年)「前田建設工業」
- [34]ダム工事を只見川水系に絞り高収益と厚い内部留保
- [35]1967年の公共工事繰延べの影響を受けたが受注残670億円は完工高のほぼ2年分
- 経営コンサルタント (435) 1985年1月「企業探訪 躍進する前田建設工業」
- [37]第38期(1983年11月期)完成工事高2,990億円、土木1,702億円・建築1,287億円
- [44]1972年5月に東証市場第一部へ指定替え
- [45]1983年12月に売上高1,016億円で道路業界第2位
1985年〜38年続いた前田又兵衛氏の体制から前田顯治社長への交代と、前田製作所の店頭公開
前田建設工業は1985年2月、前田顯治氏を社長に就けた。父の前田又兵衛氏は社長を退任して会長となった。前田顯治氏は1939年福井県生まれで、1963年に早稲田大学政治経済学部を出て国土計画に入った。国土計画では入社早々、越後湯沢のスキー場づくりの責任者を任された。1965年に前田建設工業へ移り、1983年に副社長となった。入社後は香港の都市開発事業の工務事務を振り出しに、現場の仕事が長かった。交代前の1983年11月期、完成工事高税引利益率は2.6%で業界1位だった。1982年8月には前田又兵衛社長が自ら本部長となり、原子力本部を設けていた。収益力が業界の上位にあるうちに、現場を知る45歳の後継へ経営を渡した交代だった。
- 日経ビジネス 1985年8月5日
- [46]前田顯治は1985年2月に社長就任
- [47]父・前田又兵衛は会長
- [48]1939年福井県生まれ、1963年早稲田大学政治経済学部卒、国土計画入社
- [49]国土計画で入社早々に越後湯沢のスキー場づくりの責任者を任された
- [51]入社後は香港の都市開発事業の工務事務担当を皮切りに現場が長い
- 開発往来 34(4) 1990年4月「前田顯治氏(前田建設工業・代表取締役社長)」
- [50]1965年前田建設工業入社、1983年代表取締役副社長
- 経営コンサルタント (435) 1985年1月「企業探訪 躍進する前田建設工業」
- [52]第38期(1983年11月期)の完成工事高税引利益率2.6%で業界1位
- [53]1982年8月に前田又兵衛社長が本部長となり原子力本部を設置
前田顯治氏は社長就任と同時に、会長からTQC(全社的品質管理)の取り組みを引き継いだ。前田建設工業は1989年度のデミング賞実施賞を受けた。前田顯治社長は、社員から協力会社、一部の発注者までが一つの目的に集中したことが受賞につながったと振り返った。得意先の電力会社から、品質管理のできる会社でなければ使いにくいという声があったという。受注の土木と建築の比率は1990年時点で3対7に近づいていた。前田顯治社長はこれを、土木から建築へ体質を転換している最中だと位置づけた。1985年の時点で、海外工事は土木主体で、建築の伸長を課題に掲げていた。品質管理の全社運動が、ダムの会社を建築主体へ組み替える間の求心力になった。
- 開発往来 34(4) 1990年4月「前田顯治氏(前田建設工業・代表取締役社長)」
- [54]社長就任と同時に会長からTQCを引き継いだ
- [55]1989年度デミング賞実施賞を受賞
- [56]全社員・協力会社・一部発注者が一つの目的に集中したことが受賞につながったとの認識
- [57]電力会社から品質管理のきちんとできる会社でなければ使いづらいとの声
- [58]受注ベースの土木・建築比率は実際には3対7に近い
- [59]土木から建築へ脱皮し体質を転換している時期との認識
- 経営コンサルタント (435) 1985年1月「企業探訪 躍進する前田建設工業」
- [60]海外工事は土木主体で、建築分野の伸長を今後の課題とする
前田建設工業は1960年6月、長野県篠ノ井に機械工場を設けた。工事の機械化を進めることが、工場を建てた目的だった。この工場は建設工事用の機械と鉄骨構造物の設計・製造・販売を担った。1962年には工場を株式会社前田製作所として独立させた。設立時の資本金は5,000万円だった。発足前の前田建設工業は、建設・運搬用機械の製造・修理・販売を事業目的の一つに掲げていた。前田製作所は1989年12月に株式を店頭公開し、資本金は31億6,000万円となった。自社の工事を機械化するために始めた工場は、27年を経て資本市場から自ら資金を調達する会社になった。
- 証券 14(7) 1962年7月
- [61]1960年6月に長野県篠の井に機械工場を設立
- 『企業の歴史』(明治百年、1968年)「前田建設工業」
- [62]工事の機械化のため長野県篠ノ井に機械工場を建設
- [63]篠ノ井の機械工場が建設工事用諸機械・鉄骨構造物の設計・製造・販売を担当
- [64]1962年に株式会社前田製作所として発足
- 前田製作所 公式サイト「会社概要・沿革」(2026年6月時点)
- [65]1962年11月設立、資本金5,000万円
- [67]1989年12月に株式を店頭公開、資本金31億6,000万円
- 『株式会社年鑑』1963年版「前田建設工業」
- [66]事業目的に建設及び運搬用機械の製造・修理・販売
参考文献[46]-[67]
- 日経ビジネス 1985年8月5日
- [46]前田顯治は1985年2月に社長就任
- [47]父・前田又兵衛は会長
- [48]1939年福井県生まれ、1963年早稲田大学政治経済学部卒、国土計画入社
- [49]国土計画で入社早々に越後湯沢のスキー場づくりの責任者を任された
- [51]入社後は香港の都市開発事業の工務事務担当を皮切りに現場が長い
- 開発往来 34(4) 1990年4月「前田顯治氏(前田建設工業・代表取締役社長)」
- [50]1965年前田建設工業入社、1983年代表取締役副社長
- [54]社長就任と同時に会長からTQCを引き継いだ
- [55]1989年度デミング賞実施賞を受賞
- [56]全社員・協力会社・一部発注者が一つの目的に集中したことが受賞につながったとの認識
- [57]電力会社から品質管理のきちんとできる会社でなければ使いづらいとの声
- [58]受注ベースの土木・建築比率は実際には3対7に近い
- [59]土木から建築へ脱皮し体質を転換している時期との認識
- 経営コンサルタント (435) 1985年1月「企業探訪 躍進する前田建設工業」
- [52]第38期(1983年11月期)の完成工事高税引利益率2.6%で業界1位
- [53]1982年8月に前田又兵衛社長が本部長となり原子力本部を設置
- [60]海外工事は土木主体で、建築分野の伸長を今後の課題とする
- 証券 14(7) 1962年7月
- [61]1960年6月に長野県篠の井に機械工場を設立
- 『企業の歴史』(明治百年、1968年)「前田建設工業」
- [62]工事の機械化のため長野県篠ノ井に機械工場を建設
- [63]篠ノ井の機械工場が建設工事用諸機械・鉄骨構造物の設計・製造・販売を担当
- [64]1962年に株式会社前田製作所として発足
- [65]1962年11月設立、資本金5,000万円
- [67]1989年12月に株式を店頭公開、資本金31億6,000万円
- 『株式会社年鑑』1963年版「前田建設工業」
- [66]事業目的に建設及び運搬用機械の製造・修理・販売
1959年〜1991年の業績
| 決算期 | 区分 | 売上高 | 経常利益 | 純利益 | 主な投資 | ||
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 億円 | YoY | 億円 | 億円 | 利益率 | |||
| 1959年 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1960年 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | 長野県篠の井に機械工場を設立(1960/06) |
| 1961年 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1962年 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1963年 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1964年 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1965年11月期 | 単体 | 271 | n/a | 21 | 11 | 4.3% | n/a |
| 1966年11月期 | 単体 | 306 | +13.0% | 21 | 12 | 4.0% | n/a |
| 1967年11月期 | 単体 | 356 | +16.6% | 20 | 12 | 3.5% | n/a |
| 1968年11月期 | 単体 | 447 | +25.3% | 23 | 13 | 3.1% | n/a |
| 1969年11月期 | 単体 | 548 | +22.7% | 33 | 19 | 3.6% | n/a |
| 1970年11月期 | 単体 | 687 | +25.3% | 54 | 29 | 4.2% | n/a |
| 1971年11月期 | 単体 | 807 | +17.4% | 57 | 33 | 4.2% | n/a |
| 1972年11月期 | 単体 | 902 | +11.7% | 66 | 38 | 4.2% | n/a |
| 1973年11月期 | 単体 | 1,118 | +24.0% | 59 | 38 | 3.4% | n/a |
| 1974年11月期 | 単体 | 1,562 | +39.7% | 65 | 30 | 2.0% | n/a |
| 1975年11月期 | 単体 | 1,463 | ▲6.3% | 94 | 40 | 2.8% | n/a |
| 1976年11月期 | 単体 | 1,436 | ▲1.9% | 110 | 48 | 3.4% | n/a |
| 1977年11月期 | 単体 | 1,560 | +8.7% | 95 | 46 | 3.0% | n/a |
| 1978年11月期 | 単体 | 1,615 | +3.5% | 122 | 52 | 3.3% | n/a |
| 1979年11月期 | 単体 | 2,185 | +35.3% | 133 | 56 | 2.6% | n/a |
| 1980年11月期 | 単体 | 2,402 | +9.9% | 129 | 62 | 2.6% | n/a |
| 1981年11月期 | 単体 | 2,505 | +4.3% | 167 | 70 | 2.8% | n/a |
| 1982年11月期 | 単体 | 2,951 | +17.8% | 206 | 77 | 2.6% | n/a |
| 1983年11月期 | 単体 | 2,990 | +1.3% | 195 | 79 | 2.6% | n/a |
| 1984年11月期 | 単体 | 3,141 | +5.1% | 190 | 83 | 2.7% | n/a |
| 1985年11月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1986年11月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1987年11月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1988年11月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1989年11月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1990年11月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1991年11月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
出所:会社年鑑
出典・参考
12件
- 『株式会社年鑑』1963年版「前田建設工業」
- 『企業の歴史』(明治百年、1968年)「前田建設工業」
- 日経ビジネス 1985年8月5日
- 経済知識 (118) 1959年5月
- 証券 14(7) 1962年7月
- 野田経済 1970年9月2日
- 証券 23(7) 1971年7月
- 東邦経済 42(2) 1972年2月「前田道路――アスファルト合材販売の最大手」
- 経営コンサルタント (435) 1985年1月「企業探訪 躍進する前田建設工業」
- 開発往来 34(4) 1990年4月「前田顯治氏(前田建設工業・代表取締役社長)」
- 前田道路 公式サイト「会社沿革」(2007年2月時点)
- 前田製作所 公式サイト「会社概要・沿革」(2026年6月時点)