三菱瓦斯化学:日本瓦斯化学工業の設立と水島でのキシレン分離
1951年〜新潟の天然ガスと旧東洋合成の古工場で始めた、資本金500万円の日本瓦斯化学工業
日本瓦斯化学工業は1951年4月、資本金500万円で発足した。創立を主導した榎本隆一郎氏は元燃料局長で、国内初の天然ガス化学工業を掲げて地元新潟県の代表者や財界人を発起人に加えた。旧海軍は高オクタン価の航空燃料を得るため多段の合成研究を重ねており、その経験が新潟の天然ガスを合成化学の原料に使う着想につながった。榎本隆一郎氏は1949年6月に「天然ガスよりの化学工業」と題する冊子を作って当局へ配り、技術の中心には元海軍技師の江口孝氏を据えた。事業構想の骨格は、自社鉱区によるガスの自給、手慣れたメタノールからの出発、旧海軍出身者を中心とする少数精鋭の3点。軍で培った合成技術の転用先を国内で湧く原料に求めたことが、創業の起点になったとみられる。
- 日本瓦斯化学工業株式会社創立十五年史(1966)「略年暦」
- [1]1949年6月榎本隆一郎が「天然ガスよりの化学工業」を作成・配付、1951年4月日本瓦斯化学工業発足(資本金500万円)
- [4]1949年6月榎本隆一郎が「天然ガスよりの化学工業」を作成・配付、1951年4月日本瓦斯化学工業発足(資本金500万円)
- 証券 3(56) 1954年
- [2]1951年4月元燃料局長榎本隆一郎を中心に財界・新潟県代表者が参与し、我国最初の天然ガス化学工業を目的に設立
- 日本瓦斯化学工業株式会社創立十五年史(1966)「強力な旧海軍の化学陣」
- [3]旧海軍の航空燃料研究の経験が天然ガスを合成化学原料とする着想となり、技術面の中心に元海軍技師江口孝を選んだ
- 日本瓦斯化学工業株式会社創立十五年史(1966)「事業構想の三つの特徴」
- [5]事業構想の特徴は自社鉱区確保、メタノールからの出発、旧海軍出身者による少数制の3点
日本瓦斯化学工業は1951年8月、復興金融金庫から旧東洋合成の新潟工場を譲り受け、榎工場として改修に着手した。旧工場はメタノール合成以外に転用しにくく、江口孝氏が持つメタノール触媒の経験を最初の事業に生かせた。改修費は1億円に抑える見込みで、その半額の5,000万円は日本開発銀行の融資で賄う計画である。1951年5月17日に申請した開銀融資は、決定が1952年5月までずれ込んだ。その間は株式募集で資金をつなぎ、1952年2月に資本金を5,000万円とした。装置は旧海軍燃料廠の設備を転用し、運搬を担った日本通運は支払いを操業後まで待った。榎工場は1952年9月、月産300トンのメタノール工場として完成した。
- 日本瓦斯化学工業株式会社創立十五年史(1966)「略年暦」
- [6]1951年8月旧東洋合成新潟工場を復興金融金庫より譲受け榎工場とし改修着手、1952年2月資本金5,000万円、1952年5月開銀融資5,000万円決定
- [9]1951年8月旧東洋合成新潟工場を復興金融金庫より譲受け榎工場とし改修着手、1952年2月資本金5,000万円、1952年5月開銀融資5,000万円決定
- 日本瓦斯化学工業株式会社創立十五年史(1966)「事業構想の三つの特徴」
- [7]東洋合成新潟工場はメタノール合成以外に使い道がなく、江口孝のメタノール触媒の経験を生かすことが得策とされた
- 日本瓦斯化学工業株式会社創立十五年史(1966)「古工場を首尾よく整備」
- [8]全改修費を1億円に抑え半額5,000万円を開銀融資で賄う予定、旧海軍燃料廠の装置約1,000トンを日本通運が運び支払いを操業後に延期
- [11]全改修費を1億円に抑え半額5,000万円を開銀融資で賄う予定、旧海軍燃料廠の装置約1,000トンを日本通運が運び支払いを操業後に延期
- 日本瓦斯化学工業株式会社創立十五年史(1966)「難渋を極めた創立資金」
- [10]1951年5月17日に開銀へ5,000万円融資を申請したが難航し、株式募集で1952年2月22日に資本金5,000万円へ増資
- 企業の歴史(明治百年、1968)「日本瓦斯化学工業」
- [12]1951年旧東洋合成新潟工場の遊休施設を譲り受け、メタノール月産300トンで発足
榎工場のメタノールは1952年秋に出荷を始め、コークス原料品より純度が高く生産価格も安いとして需要家に受け入れられた。当時の国内メーカーは5社で、全生産は月3,000トン前後である。1952年11月には江戸川化学工業が月150トンの継続買取を申し出た。日本瓦斯化学工業は1953年12月に月産1,000トンへ増強し、1954年2月に東京証券取引所へ上場した。上場時の紹介は、天然ガスが硫黄分を含まず脱硫工程が要らない点を強みに挙げた。増産は業界の乱売を招き、1954年には価格がキロ75円から55円まで低下した。社長の榎本隆一郎氏は、住友化学に設備のアンモニア転換とメタノール供給を提案し、提携をまとめた。
- 日本瓦斯化学工業株式会社創立十五年史(1966)「俄然メタホル界に旋風」
- [13]天然ガス由来のメタノールは純良で生産価格が安く好評、当時の製造会社は5社で全生産は月3,000トン内外
- [14]天然ガス由来のメタノールは純良で生産価格が安く好評、当時の製造会社は5社で全生産は月3,000トン内外
- [18]1954年の乱戦で価格はキロ75円から55円へ低下、榎本社長が住友化学に設備のアンモニア転換と自社メタノール供給を提案し提携成立
- [19]1954年の乱戦で価格はキロ75円から55円へ低下、榎本社長が住友化学に設備のアンモニア転換と自社メタノール供給を提案し提携成立
- 日本瓦斯化学工業株式会社創立十五年史(1966)「略年暦」
- [15]1952年11月江戸川化学工業が月150トン連続買取を申出、1953年12月月産1,000トン、1954年2月東証上場
- [16]1952年11月江戸川化学工業が月150トン連続買取を申出、1953年12月月産1,000トン、1954年2月東証上場
- 証券 3(56) 1954年
- [17]天然ガスは硫黄等を含まず脱硫・変成工程が不要で製品優良・原料低廉
参考文献[1]-[19]
- 日本瓦斯化学工業株式会社創立十五年史(1966)「略年暦」
- [1]1949年6月榎本隆一郎が「天然ガスよりの化学工業」を作成・配付、1951年4月日本瓦斯化学工業発足(資本金500万円)
- [4]1949年6月榎本隆一郎が「天然ガスよりの化学工業」を作成・配付、1951年4月日本瓦斯化学工業発足(資本金500万円)
- [6]1951年8月旧東洋合成新潟工場を復興金融金庫より譲受け榎工場とし改修着手、1952年2月資本金5,000万円、1952年5月開銀融資5,000万円決定
- [9]1951年8月旧東洋合成新潟工場を復興金融金庫より譲受け榎工場とし改修着手、1952年2月資本金5,000万円、1952年5月開銀融資5,000万円決定
- [15]1952年11月江戸川化学工業が月150トン連続買取を申出、1953年12月月産1,000トン、1954年2月東証上場
- [16]1952年11月江戸川化学工業が月150トン連続買取を申出、1953年12月月産1,000トン、1954年2月東証上場
- 証券 3(56) 1954年
- [2]1951年4月元燃料局長榎本隆一郎を中心に財界・新潟県代表者が参与し、我国最初の天然ガス化学工業を目的に設立
- [17]天然ガスは硫黄等を含まず脱硫・変成工程が不要で製品優良・原料低廉
- 日本瓦斯化学工業株式会社創立十五年史(1966)「強力な旧海軍の化学陣」
- [3]旧海軍の航空燃料研究の経験が天然ガスを合成化学原料とする着想となり、技術面の中心に元海軍技師江口孝を選んだ
- 日本瓦斯化学工業株式会社創立十五年史(1966)「事業構想の三つの特徴」
- [5]事業構想の特徴は自社鉱区確保、メタノールからの出発、旧海軍出身者による少数制の3点
- [7]東洋合成新潟工場はメタノール合成以外に使い道がなく、江口孝のメタノール触媒の経験を生かすことが得策とされた
- 日本瓦斯化学工業株式会社創立十五年史(1966)「古工場を首尾よく整備」
- [8]全改修費を1億円に抑え半額5,000万円を開銀融資で賄う予定、旧海軍燃料廠の装置約1,000トンを日本通運が運び支払いを操業後に延期
- [11]全改修費を1億円に抑え半額5,000万円を開銀融資で賄う予定、旧海軍燃料廠の装置約1,000トンを日本通運が運び支払いを操業後に延期
- 日本瓦斯化学工業株式会社創立十五年史(1966)「難渋を極めた創立資金」
- [10]1951年5月17日に開銀へ5,000万円融資を申請したが難航し、株式募集で1952年2月22日に資本金5,000万円へ増資
- 企業の歴史(明治百年、1968)「日本瓦斯化学工業」
- [12]1951年旧東洋合成新潟工場の遊休施設を譲り受け、メタノール月産300トンで発足
- 日本瓦斯化学工業株式会社創立十五年史(1966)「俄然メタホル界に旋風」
- [13]天然ガス由来のメタノールは純良で生産価格が安く好評、当時の製造会社は5社で全生産は月3,000トン内外
- [14]天然ガス由来のメタノールは純良で生産価格が安く好評、当時の製造会社は5社で全生産は月3,000トン内外
- [18]1954年の乱戦で価格はキロ75円から55円へ低下、榎本社長が住友化学に設備のアンモニア転換と自社メタノール供給を提案し提携成立
- [19]1954年の乱戦で価格はキロ75円から55円へ低下、榎本社長が住友化学に設備のアンモニア転換と自社メタノール供給を提案し提携成立
1954年〜松浜工場の尿素と、米国輸出入銀行の230万ドル借款、東新潟の自社鉱区
日本瓦斯化学工業は1957年4月、松浜工場を完成させた日本尿素工業を吸収合併し、アンモニア・尿素・硫安の生産に入った。創業時に小資本で始められるメタノールを先にしたのは、肥料向けのアンモニアが大規模設備と自由に使える自社ガスを前提とするためである。メタノールとホルマリンで基盤ができ、自社鉱区のガスにもめどが付いたことから、1954年秋の幹部会で第二系列の新工場建設が決まった。同年12月には供給元の帝国石油が自らアンモニア計画を発表し、日本瓦斯化学工業へのガス供給を止める意向を表明。社長の榎本隆一郎氏は12月25日に「アンモニア及び尿素製造企業計画案」を官庁と金融機関へ送り、計画を先に公表した。建設中の配当負担を株主に及ぼさないため、1955年10月に日本尿素工業を別会社として設けた。
- 企業の歴史(明治百年、1968)「日本瓦斯化学工業」
- [20]1957年日本尿素工業を吸収合併しアンモニア・尿素・硫安の生産を開始
- 日本瓦斯化学工業株式会社創立十五年史(1966)「時節到来忽ち衆議一決」
- [21]アンモニアは大規模と自社ガスが前提でメタノールから創業、1954年秋の幹部会で第二系列建設に賛成、帝国石油のガス供給中止の申出、1954年12月25日に計画案を配付
- [22]アンモニアは大規模と自社ガスが前提でメタノールから創業、1954年秋の幹部会で第二系列建設に賛成、帝国石油のガス供給中止の申出、1954年12月25日に計画案を配付
- [23]アンモニアは大規模と自社ガスが前提でメタノールから創業、1954年秋の幹部会で第二系列建設に賛成、帝国石油のガス供給中止の申出、1954年12月25日に計画案を配付
- [24]アンモニアは大規模と自社ガスが前提でメタノールから創業、1954年秋の幹部会で第二系列建設に賛成、帝国石油のガス供給中止の申出、1954年12月25日に計画案を配付
- 日本瓦斯化学工業株式会社創立十五年史(1966)「国際級大工場突如出現」
- [25]建設期間中に親会社株主へ配当等で迷惑をかけないよう1955年10月20日に日本尿素工業を設立、1957年4月1日に全株を吸収し資本金11億円
アンモニア・尿素の技術の導入元は、米国のケミカル・コンストラクション社(ケミコ社)である。社長の榎本隆一郎氏と専務の江口孝氏は1955年3月にケミコ社と交渉し、直接契約の覚書を得た。8月10日の正式契約では詳細設計を自社で引き受け、契約額を40万ドル余りに抑えた。松浜工場の完成は1957年3月で、能力はアンモニア月3,000トン・尿素月2,200トン・硫安月5,500トン。1958年11月には米国輸出入銀行から230万ドルの借款が成立し、1959年3月にアンモニアを月6,000トンへ倍増する工事が完成した。1960年時点の主な事業は、メタノール・アンモニア・尿素・硫安の4本である。技術を契約で、資金を米国の公的金融で補ったことが、創業8年での肥料設備の拡大を支えたと推察される。
- 日本瓦斯化学工業株式会社創立十五年史(1966)「米国大会社に粘り勝ち」
- [26]1955年3月榎本・江口がケミコ本社で交渉し直接契約の覚書、8月10日正式契約、詳細設計を自社で引受け契約額40万ドル余
- [27]1955年3月榎本・江口がケミコ本社で交渉し直接契約の覚書、8月10日正式契約、詳細設計を自社で引受け契約額40万ドル余
- [28]1955年3月榎本・江口がケミコ本社で交渉し直接契約の覚書、8月10日正式契約、詳細設計を自社で引受け契約額40万ドル余
- 日本瓦斯化学工業株式会社創立十五年史(1966)「略年暦」
- [29]1957年3月松浜工場完成(アンモニア3,000T/M・尿素2,200T/M・硫安5,500T/M)、1958年11月米国輸出入銀行より230万ドル借款成立、1959年3月アンモニア6,000T/Mへ倍増
- [30]1957年3月松浜工場完成(アンモニア3,000T/M・尿素2,200T/M・硫安5,500T/M)、1958年11月米国輸出入銀行より230万ドル借款成立、1959年3月アンモニア6,000T/Mへ倍増
- 株式会社年鑑 1960年版「日本瓦斯化学工業株式会社」
- [31]1960年版で主なる事業はメタノール・アンモニア・尿素・硫安
日本瓦斯化学工業は創業時、原料ガスを国策会社の帝国石油から買い、価格は目論見書の1立方メートル5円を上回る6.5円で折り合った。首脳部は1951年頃から鉱区の取得に動き、北蒲原郡の40鉱区や新潟沖の海上鉱区を取得した。1959年3月には東新潟の自社鉱区で石油資源開発と協同で3,000メートルの試掘を行い、構造性ガスを見つけた。同じ1959年から1961年にかけての地盤沈下による採取規制で、自社の水溶性ガスは日量20万立方メートルから7万立方メートルへ減った。構造性ガスがその減少を補い、ガス使用は1965年度に目標の日量100万立方メートル規模に達した。1966年時点で東新潟ガス田の生産は日量41万立方メートルとなり、自社鉱区と子会社からの供給が57%を占めた。
- 日本瓦斯化学工業株式会社創立十五年史(1966)「自社鉱区の天然ガスを」
- [32]帝国石油からのガス価格は目論見書の1立方米5円に対し6.50円で妥結、1951年頃から鉱区取得に動き北蒲原郡40鉱区・海上鉱区を入手
- [33]帝国石油からのガス価格は目論見書の1立方米5円に対し6.50円で妥結、1951年頃から鉱区取得に動き北蒲原郡40鉱区・海上鉱区を入手
- 日本瓦斯化学工業株式会社創立十五年史(1966)「略年暦」
- [34]1959年3月東新潟鉱山で石油資源開発と協同で3,000米試掘、構造性ガス発見
- 日本瓦斯化学工業株式会社創立十五年史(1966)「構造性ガス開発に凱歌」
- [35]1959〜1961年の4次のガス水採取規制で坑井96井中52井が休止、産ガス量は20万m3/日から7万m3/日へ
- 日本瓦斯化学工業株式会社創立十五年史(1966)「待望の一日百万立方米」
- [36]1965年度に目標100万m3/日規模に達し、東新潟ガス田41万m3/日、自社鉱区と子会社からの供給が57%
- [37]1965年度に目標100万m3/日規模に達し、東新潟ガス田41万m3/日、自社鉱区と子会社からの供給が57%
参考文献[20]-[37]
- 企業の歴史(明治百年、1968)「日本瓦斯化学工業」
- [20]1957年日本尿素工業を吸収合併しアンモニア・尿素・硫安の生産を開始
- 日本瓦斯化学工業株式会社創立十五年史(1966)「時節到来忽ち衆議一決」
- [21]アンモニアは大規模と自社ガスが前提でメタノールから創業、1954年秋の幹部会で第二系列建設に賛成、帝国石油のガス供給中止の申出、1954年12月25日に計画案を配付
- [22]アンモニアは大規模と自社ガスが前提でメタノールから創業、1954年秋の幹部会で第二系列建設に賛成、帝国石油のガス供給中止の申出、1954年12月25日に計画案を配付
- [23]アンモニアは大規模と自社ガスが前提でメタノールから創業、1954年秋の幹部会で第二系列建設に賛成、帝国石油のガス供給中止の申出、1954年12月25日に計画案を配付
- [24]アンモニアは大規模と自社ガスが前提でメタノールから創業、1954年秋の幹部会で第二系列建設に賛成、帝国石油のガス供給中止の申出、1954年12月25日に計画案を配付
- 日本瓦斯化学工業株式会社創立十五年史(1966)「国際級大工場突如出現」
- [25]建設期間中に親会社株主へ配当等で迷惑をかけないよう1955年10月20日に日本尿素工業を設立、1957年4月1日に全株を吸収し資本金11億円
- 日本瓦斯化学工業株式会社創立十五年史(1966)「米国大会社に粘り勝ち」
- [26]1955年3月榎本・江口がケミコ本社で交渉し直接契約の覚書、8月10日正式契約、詳細設計を自社で引受け契約額40万ドル余
- [27]1955年3月榎本・江口がケミコ本社で交渉し直接契約の覚書、8月10日正式契約、詳細設計を自社で引受け契約額40万ドル余
- [28]1955年3月榎本・江口がケミコ本社で交渉し直接契約の覚書、8月10日正式契約、詳細設計を自社で引受け契約額40万ドル余
- 日本瓦斯化学工業株式会社創立十五年史(1966)「略年暦」
- [29]1957年3月松浜工場完成(アンモニア3,000T/M・尿素2,200T/M・硫安5,500T/M)、1958年11月米国輸出入銀行より230万ドル借款成立、1959年3月アンモニア6,000T/Mへ倍増
- [30]1957年3月松浜工場完成(アンモニア3,000T/M・尿素2,200T/M・硫安5,500T/M)、1958年11月米国輸出入銀行より230万ドル借款成立、1959年3月アンモニア6,000T/Mへ倍増
- [34]1959年3月東新潟鉱山で石油資源開発と協同で3,000米試掘、構造性ガス発見
- 株式会社年鑑 1960年版「日本瓦斯化学工業株式会社」
- [31]1960年版で主なる事業はメタノール・アンモニア・尿素・硫安
- 日本瓦斯化学工業株式会社創立十五年史(1966)「自社鉱区の天然ガスを」
- [32]帝国石油からのガス価格は目論見書の1立方米5円に対し6.50円で妥結、1951年頃から鉱区取得に動き北蒲原郡40鉱区・海上鉱区を入手
- [33]帝国石油からのガス価格は目論見書の1立方米5円に対し6.50円で妥結、1951年頃から鉱区取得に動き北蒲原郡40鉱区・海上鉱区を入手
- 日本瓦斯化学工業株式会社創立十五年史(1966)「構造性ガス開発に凱歌」
- [35]1959〜1961年の4次のガス水採取規制で坑井96井中52井が休止、産ガス量は20万m3/日から7万m3/日へ
- 日本瓦斯化学工業株式会社創立十五年史(1966)「待望の一日百万立方米」
- [36]1965年度に目標100万m3/日規模に達し、東新潟ガス田41万m3/日、自社鉱区と子会社からの供給が57%
- [37]1965年度に目標100万m3/日規模に達し、東新潟ガス田41万m3/日、自社鉱区と子会社からの供給が57%
1960年〜水島のキシレン樹脂と徳山の合弁、自社技術のキシレン分離異性化
日本瓦斯化学工業は1960年5月、子会社の日本樹脂化学工業の水島工場でキシレン樹脂の製造設備を完成させた。社長の榎本隆一郎氏は1958年末の欧米視察から戻り、『お互に関連性があってしかも多面的な生産組織を持った大規模多角経営に乗り出す時期に、わが社も到達したのではないか』と述べて多角経営への移行を促した。天然ガス由来のアセチレンはカーバイド法の約半額で作れ、原価の差が第三系列の構想を支えた。水島の用地は1959年に水島塩業から17万坪余りを取得したもので、石油化学の拠点に据える構想である。キシレン樹脂は月産130トンで始まり、1961年に日本瓦斯化学工業は日本樹脂化学工業を吸収合併して資本金34億5,000万円となった。
- 日本瓦斯化学工業株式会社創立十五年史(1966)「大阪・水島から徳山へ」
- [38]水島の用地17万余坪を1959年に水島塩業から取得し石油化学拠点とする計画、キシレン樹脂は月産130トンで1960年5月に竣工
- [41]水島の用地17万余坪を1959年に水島塩業から取得し石油化学拠点とする計画、キシレン樹脂は月産130トンで1960年5月に竣工
- 日本瓦斯化学工業株式会社創立十五年史(1966)「第三系列への夢の数々」
- [39]1958年暮の欧米視察後に榎本が大規模多角経営への移行を説く、天然ガス由来アセチレンはカーバイド法の約半額
- [40]1958年暮の欧米視察後に榎本が大規模多角経営への移行を説く、天然ガス由来アセチレンはカーバイド法の約半額
- 企業の歴史(明治百年、1968)「日本瓦斯化学工業」
- [42]1961年日本樹脂化学工業を吸収、水島でキシレン樹脂を製造、資本金34億5,000万円
日本瓦斯化学工業は1962年1月、米国サンケミカル社の技術を入れて日本スチレンペーパーを設立し、1963年には王子製紙が40%を出資した。1962年5月に昭和電工・出光興産・三楽オーシャンと合弁で設けた徳山石油化学工業は、資本金10億円である。日本瓦斯化学工業は6億円を出資し、江口孝氏が徳山石油化学工業の社長に就任した。配当の引き下げで資金繰りが悪化し、販売計画でも他社の比重が70%に達したため、1963年に主導権を昭和電工へ譲った。新潟の酢酸・ブタノール設備は徳山への集約に合わせて1965年1月に閉鎖した。技術の外販も進め、1959年12月の東パキスタン向けアンモニア・尿素プラントを皮切りに、ホルマリン設備の輸出契約も重ねた。
- 日本瓦斯化学工業株式会社創立十五年史(1966)「多角経営と関連諸会社」
- [43]1962年1月24日サンケミカル社の技術で日本スチレンペーパー設立、1963年に王子製紙と合弁(当社60%・王子40%)
- 日本瓦斯化学工業株式会社創立十五年史(1966)「略年暦」
- [44]1962年5月昭和電工・出光興産・三楽オーシャンと合弁の徳山石油化学工業創立(資本金10億円)、1965年1月松浜の酢酸・ブタノール施設閉鎖、1959年12月東パキスタンへアンモニア・尿素プラント輸出成約
- [47]1962年5月昭和電工・出光興産・三楽オーシャンと合弁の徳山石油化学工業創立(資本金10億円)、1965年1月松浜の酢酸・ブタノール施設閉鎖、1959年12月東パキスタンへアンモニア・尿素プラント輸出成約
- [48]1962年5月昭和電工・出光興産・三楽オーシャンと合弁の徳山石油化学工業創立(資本金10億円)、1965年1月松浜の酢酸・ブタノール施設閉鎖、1959年12月東パキスタンへアンモニア・尿素プラント輸出成約
- 日本瓦斯化学工業株式会社創立十五年史(1966)「大阪・水島から徳山へ」
- [45]徳山石油化学は当社6億円出資で江口が社長、配当低下と資金逼迫、販売計画で他社70%となり1963年に主導権を昭和電工へ譲る
- [46]徳山石油化学は当社6億円出資で江口が社長、配当低下と資金逼迫、販売計画で他社70%となり1963年に主導権を昭和電工へ譲る
- 日本瓦斯化学工業株式会社創立十五年史(1966)「プラント輸出益々成盛況」
- [49]プラント輸出を自社技術の改善と長期取引につながる事業と位置付けた
日本瓦斯化学工業の新潟研究所は4年の研究で、化学処理によりメタキシレンを98%以上の純度で取り出す方法を開発した。新方法ならパラとオルソは蒸留で分けられ、異性化も100℃以下の低温で済むとされた。1966年の経営方針で掲げたのは、キシレン分離計画の1967年末を目標とした水島での企業化である。水島では1961年3月に子会社の水島石油化学工業が発足し、オルソキシレンから無水フタル酸を作る事業を始めた。1968年時点の社長は江口孝氏で、米国企業との合弁により水島で10万トン規模の石油化学設備を建設した。1960年3月末時点で、江戸川化学工業は225万株を持つ大株主にあたる。同社との合併は、石油化学の規模を求める次の再編として浮上したと思われる。
- 日本瓦斯化学工業株式会社創立十五年史(1966)「経営方針と将来の展望」
- [50]新潟研究所が4年の研究で化学処理によるメタキシレン98%以上の分離法を開発、異性化は100℃以下、1967年末目標に水島で企業化
- [51]新潟研究所が4年の研究で化学処理によるメタキシレン98%以上の分離法を開発、異性化は100℃以下、1967年末目標に水島で企業化
- [52]新潟研究所が4年の研究で化学処理によるメタキシレン98%以上の分離法を開発、異性化は100℃以下、1967年末目標に水島で企業化
- 日本瓦斯化学工業株式会社創立十五年史(1966)「略年暦」
- [53]1961年3月水島工場の子会社として無水フタル酸製造の水島石油化学工業が発足
- 企業の歴史(明治百年、1968)「日本瓦斯化学工業」
- [54]1968年時点の社長は江口孝、米国企業と合弁でA・Gインターナショナルを設立し水島に10万トンの石油化学プラントを建設
- 株式会社年鑑 1960年版「日本瓦斯化学工業株式会社」
- [55]1960年3月末の大株主に江戸川化学工業(225万株)
参考文献[38]-[55]
- 日本瓦斯化学工業株式会社創立十五年史(1966)「大阪・水島から徳山へ」
- [38]水島の用地17万余坪を1959年に水島塩業から取得し石油化学拠点とする計画、キシレン樹脂は月産130トンで1960年5月に竣工
- [41]水島の用地17万余坪を1959年に水島塩業から取得し石油化学拠点とする計画、キシレン樹脂は月産130トンで1960年5月に竣工
- [45]徳山石油化学は当社6億円出資で江口が社長、配当低下と資金逼迫、販売計画で他社70%となり1963年に主導権を昭和電工へ譲る
- [46]徳山石油化学は当社6億円出資で江口が社長、配当低下と資金逼迫、販売計画で他社70%となり1963年に主導権を昭和電工へ譲る
- 日本瓦斯化学工業株式会社創立十五年史(1966)「第三系列への夢の数々」
- [39]1958年暮の欧米視察後に榎本が大規模多角経営への移行を説く、天然ガス由来アセチレンはカーバイド法の約半額
- [40]1958年暮の欧米視察後に榎本が大規模多角経営への移行を説く、天然ガス由来アセチレンはカーバイド法の約半額
- 企業の歴史(明治百年、1968)「日本瓦斯化学工業」
- [42]1961年日本樹脂化学工業を吸収、水島でキシレン樹脂を製造、資本金34億5,000万円
- [54]1968年時点の社長は江口孝、米国企業と合弁でA・Gインターナショナルを設立し水島に10万トンの石油化学プラントを建設
- 日本瓦斯化学工業株式会社創立十五年史(1966)「多角経営と関連諸会社」
- [43]1962年1月24日サンケミカル社の技術で日本スチレンペーパー設立、1963年に王子製紙と合弁(当社60%・王子40%)
- 日本瓦斯化学工業株式会社創立十五年史(1966)「略年暦」
- [44]1962年5月昭和電工・出光興産・三楽オーシャンと合弁の徳山石油化学工業創立(資本金10億円)、1965年1月松浜の酢酸・ブタノール施設閉鎖、1959年12月東パキスタンへアンモニア・尿素プラント輸出成約
- [47]1962年5月昭和電工・出光興産・三楽オーシャンと合弁の徳山石油化学工業創立(資本金10億円)、1965年1月松浜の酢酸・ブタノール施設閉鎖、1959年12月東パキスタンへアンモニア・尿素プラント輸出成約
- [48]1962年5月昭和電工・出光興産・三楽オーシャンと合弁の徳山石油化学工業創立(資本金10億円)、1965年1月松浜の酢酸・ブタノール施設閉鎖、1959年12月東パキスタンへアンモニア・尿素プラント輸出成約
- [53]1961年3月水島工場の子会社として無水フタル酸製造の水島石油化学工業が発足
- 日本瓦斯化学工業株式会社創立十五年史(1966)「プラント輸出益々成盛況」
- [49]プラント輸出を自社技術の改善と長期取引につながる事業と位置付けた
- 日本瓦斯化学工業株式会社創立十五年史(1966)「経営方針と将来の展望」
- [50]新潟研究所が4年の研究で化学処理によるメタキシレン98%以上の分離法を開発、異性化は100℃以下、1967年末目標に水島で企業化
- [51]新潟研究所が4年の研究で化学処理によるメタキシレン98%以上の分離法を開発、異性化は100℃以下、1967年末目標に水島で企業化
- [52]新潟研究所が4年の研究で化学処理によるメタキシレン98%以上の分離法を開発、異性化は100℃以下、1967年末目標に水島で企業化
- 株式会社年鑑 1960年版「日本瓦斯化学工業株式会社」
- [55]1960年3月末の大株主に江戸川化学工業(225万株)
1951年〜1970年の業績
| 決算期 | 区分 | 売上高 | 営業利益 | 経常利益 | 純利益 | 主な投資 | ||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 億円 | YoY | 億円 | 億円 | 利益率 | 億円 | |||
| 1951年 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1952年 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1953年 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1954年 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1955年 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1956年 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1957年03月期 | 単体 | 14 | n/a | n/a | 3 | 21.7% | n/a | n/a |
| 1958年03月期 | 単体 | 31 | +121.9% | n/a | 5 | 17.4% | n/a | n/a |
| 1959年03月期 | 単体 | 40 | +28.5% | n/a | 6 | 16.5% | n/a | n/a |
| 1960年03月期 | 単体 | 59 | +45.2% | n/a | 7 | 13.2% | n/a | n/a |
| 1961年03月期 | 単体 | 73 | +22.9% | n/a | 8 | 11.2% | n/a | n/a |
| 1962年03月期 | 単体 | 90 | +23.5% | 14 | 8 | 9.9% | 5 | n/a |
| 1963年03月期 | 単体 | 91 | +1.6% | 10 | 3 | 4.2% | 2 | n/a |
| 1964年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1965年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1966年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1967年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1968年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1969年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1970年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
出所:ダイヤモンド会社産業総覧 1964年版
出典・参考
20件
- 日本瓦斯化学工業株式会社創立十五年史(1966)「略年暦」
- 日本瓦斯化学工業株式会社創立十五年史(1966)「強力な旧海軍の化学陣」
- 日本瓦斯化学工業株式会社創立十五年史(1966)「事業構想の三つの特徴」
- 日本瓦斯化学工業株式会社創立十五年史(1966)「古工場を首尾よく整備」
- 日本瓦斯化学工業株式会社創立十五年史(1966)「難渋を極めた創立資金」
- 日本瓦斯化学工業株式会社創立十五年史(1966)「俄然メタホル界に旋風」
- 日本瓦斯化学工業株式会社創立十五年史(1966)「時節到来忽ち衆議一決」
- 日本瓦斯化学工業株式会社創立十五年史(1966)「国際級大工場突如出現」
- 日本瓦斯化学工業株式会社創立十五年史(1966)「米国大会社に粘り勝ち」
- 日本瓦斯化学工業株式会社創立十五年史(1966)「自社鉱区の天然ガスを」
- 日本瓦斯化学工業株式会社創立十五年史(1966)「構造性ガス開発に凱歌」
- 日本瓦斯化学工業株式会社創立十五年史(1966)「待望の一日百万立方米」
- 日本瓦斯化学工業株式会社創立十五年史(1966)「大阪・水島から徳山へ」
- 日本瓦斯化学工業株式会社創立十五年史(1966)「第三系列への夢の数々」
- 日本瓦斯化学工業株式会社創立十五年史(1966)「多角経営と関連諸会社」
- 日本瓦斯化学工業株式会社創立十五年史(1966)「プラント輸出益々成盛況」
- 日本瓦斯化学工業株式会社創立十五年史(1966)「経営方針と将来の展望」
- 株式会社年鑑 1960年版「日本瓦斯化学工業株式会社」
- 企業の歴史(明治百年、1968)「日本瓦斯化学工業」
- 証券 3(56) 1954年