ケンコーマヨネーズ:九州ダイエットクックの子会社化と店頭登録
1986年〜年商140億円からのサラダ・惣菜への拡張と西神戸工場
1986年度を境に、ケンコー・マヨネーズは開発・開拓型企業への転換と総合食品メーカー化を掲げた。売上高は1970年の3億円台から1985年には140億円弱へ伸び、1986年時点の従業員300名のうち50名が技術者だった。松生睦社長は『たまたまマヨネーズから始め、たまたま業務筋から販売を始めた』と総括し、商材の多様化と業務筋以外への販路拡大に重点を移した。1986年12月には業務用のごぼうサラダを発売した。同じ1986年ごろから、業務用に加えて一般消費者向け商品の販売も始めた。1980年代のケンコー・マヨネーズは、調味料の専業メーカーからサラダと惣菜を献立ごと納める食品メーカーへ事業の定義を広げた。
- 総合食品 第9巻第11号(通巻107号・1986年4月)「ザ・メーカー メニュー提案の実績を生かし開発・開拓型企業に前進」
- [1]1986年度から第二ラウンドに入り、開発・開拓型企業、総合食品メーカーへの飛躍をめざす。
- [2]松生睦氏が社長に就任した1970年に3億円台だった売上げは、1985年に140億円弱まで伸びた。
- [3]総員300名中50名が技術陣という開発体制を持つ(1986年)。
- [4]商材の多様化に力点を置き、販売先も業務筋に限らずもっと広く考えてよいとした。
- ケンコーマヨネーズ 有価証券報告書(第68期・2025年3月期)【沿革】
- [5]1986年12月、ごぼうサラダ(業務用)を発売開始した。
- 2020 AIM 第178号(2000年)「女性の能力と個性がイキイキと活きる組織風土と企業文化の検証報告(6) ケンコーマヨネーズ営業戦略の担い手たち」
- [6]1986年ごろから業務用だけでなく一般消費者向けの商品販売も手がけている。
サラダと惣菜へ広げた事業は、用途ごとに作り分ける技術を求めた。取引先の製パン業者から、暑い時期でも使えるポテトサラダをという求めが出ると、30度の条件で72時間品質を保つ技術を開発してポテトサラダとマカロニサラダに用い、それを挟んだサンドイッチは夏でも売れ行きを伸ばし、ポテトサラダは全国のレストランチェーンでも定番になった。ベーカリー向けのマヨネーズひとつをとっても、焼き込み用とポテトサラダのサンドイッチ用とでは、味付けも温度管理も違っていた。日持ちとおいしさはいつも反比例するというのが松生睦社長の見方で、開発では衛生と品質を満たしたうえで食味を追うことを課題とした。パン、外食、惣菜、学校給食と分野ごとに求めが異なるため、商品は個別の仕様で起こす体制をとった。日持ちしない商材を抱えた以上、製造を外へ出す選択は残っていなかった。
- 2020 AIM 第178号(2000年)「女性の能力と個性がイキイキと活きる組織風土と企業文化の検証報告(6) ケンコーマヨネーズ営業戦略の担い手たち」
- [7]「夏場に使えるポテトサラダが欲しい」という取引先の製パン業者の要望を受け、30度の温度条件でも72時間品質を保つ技術を開発してポテトサラダやマカロニサラダをつくった。
- [8]その具材を挟んだサンドイッチは夏場でも飛躍的に伸び、製パン業者だけでなく全国のレストランチェーンでもポテトサラダが定番メニューとして並ぶようになった。
- [9]同じベーカリー用のマヨネーズでも焼き込み用とポテトサラダのサンドイッチ用では用途が違うから、味付けも温度管理も異ならねばならない。
- [11]パン分野、外食分野、惣菜分野、学校給食などが顧客であり、個々の企業ごとの個別具体的なニーズに即したカスタムメイド発想で臨んでいる。
- 総合食品 第9巻第11号(通巻107号・1986年4月)「ザ・メーカー メニュー提案の実績を生かし開発・開拓型企業に前進」
- [10]日持ちすることとおいしさは常に反比例するのでその点が一番大きな課題であり、衛生上・品質上問題があるものは絶対につくれない。
1988年3月に神戸市西区の西神戸工場が、5月には神奈川県厚木市の厚木フードセンターが竣工した。主力のマヨネーズ類は常温で流通する商品で、合理化した工場で集中生産し、物流費で競争優位を得られた。洋風の調味料は地域による味の差が小さく、全国一律の味で売れる反面、単品のままでは生産量に限界があった。これに対して自然度の高いサラダや惣菜は日持ちせず、本来の食味を追求するには下請けに頼らず自社の生産拠点を持つ必要があった。工場の新設は借入とコストを増やしたが、松生睦社長は協力会社への生産委託では技術力も生産力も蓄積できないと判断した。販売エリア内に自社工場を置いたことで、支店の販売力も高まった。日持ちしない惣菜へ参入したことが、常温品の集中生産とは逆向きの、消費地に近い工場の分散をケンコー・マヨネーズに求めた。
- ケンコーマヨネーズ 有価証券報告書(第49期・2006年3月期)【沿革】
- [12]1988年3月、兵庫県神戸市に西神戸工場を新設し、同年5月、神奈川県厚木市に厚木フードセンターを新設した。
- 2020 AIM 第176号(2000年)「製・販の取組みによる新たな価値創造・価値開発へのチャレンジ ケンコーマヨネーズの新たな挑戦」
- [13]主力商品のマヨネーズ類は常温品で、合理的な工場をつくって生産し、物流費で勝負できる類いの商品である。
- [14]洋風の商品は地域の風土の影響を受けにくく味を変えなくてもやっていけるが、それでは生産量に限界がある。
- [15]日持ちのしない自然度の高い商品というコンセプトでサラダ類や惣菜類に力を入れ、本当の味を追求するため下請けに頼らず自前の生産拠点を持った。
- 総合食品 第17巻第12号(通巻204号・1994年5月)「個性派企業 トップインタビュー ケンコーマヨネーズ(株) 松生睦社長」
- [16]協力会社に作ってもらえば投資は不要だが技術力・生産力・総合能力がつかないとして、コストと借金が増えても生産能力を増やす方針をとった。
- 総合食品 第18巻第6号(通巻210号・1994年)「企業ピックアップ 業務用重点政策で事業拡大――店頭公開したケンコーマヨネーズの実力」
- [17]自分の支店のエリアの中に自社の工場があることで販売に力が入り、工場を作ったことで結果的に販売力が増した。
参考文献[1]-[17]
- 総合食品 第9巻第11号(通巻107号・1986年4月)「ザ・メーカー メニュー提案の実績を生かし開発・開拓型企業に前進」
- [1]1986年度から第二ラウンドに入り、開発・開拓型企業、総合食品メーカーへの飛躍をめざす。
- [2]松生睦氏が社長に就任した1970年に3億円台だった売上げは、1985年に140億円弱まで伸びた。
- [3]総員300名中50名が技術陣という開発体制を持つ(1986年)。
- [4]商材の多様化に力点を置き、販売先も業務筋に限らずもっと広く考えてよいとした。
- [10]日持ちすることとおいしさは常に反比例するのでその点が一番大きな課題であり、衛生上・品質上問題があるものは絶対につくれない。
- ケンコーマヨネーズ 有価証券報告書(第68期・2025年3月期)【沿革】
- [5]1986年12月、ごぼうサラダ(業務用)を発売開始した。
- 2020 AIM 第178号(2000年)「女性の能力と個性がイキイキと活きる組織風土と企業文化の検証報告(6) ケンコーマヨネーズ営業戦略の担い手たち」
- [6]1986年ごろから業務用だけでなく一般消費者向けの商品販売も手がけている。
- [7]「夏場に使えるポテトサラダが欲しい」という取引先の製パン業者の要望を受け、30度の温度条件でも72時間品質を保つ技術を開発してポテトサラダやマカロニサラダをつくった。
- [8]その具材を挟んだサンドイッチは夏場でも飛躍的に伸び、製パン業者だけでなく全国のレストランチェーンでもポテトサラダが定番メニューとして並ぶようになった。
- [9]同じベーカリー用のマヨネーズでも焼き込み用とポテトサラダのサンドイッチ用では用途が違うから、味付けも温度管理も異ならねばならない。
- [11]パン分野、外食分野、惣菜分野、学校給食などが顧客であり、個々の企業ごとの個別具体的なニーズに即したカスタムメイド発想で臨んでいる。
- ケンコーマヨネーズ 有価証券報告書(第49期・2006年3月期)【沿革】
- [12]1988年3月、兵庫県神戸市に西神戸工場を新設し、同年5月、神奈川県厚木市に厚木フードセンターを新設した。
- 2020 AIM 第176号(2000年)「製・販の取組みによる新たな価値創造・価値開発へのチャレンジ ケンコーマヨネーズの新たな挑戦」
- [13]主力商品のマヨネーズ類は常温品で、合理的な工場をつくって生産し、物流費で勝負できる類いの商品である。
- [14]洋風の商品は地域の風土の影響を受けにくく味を変えなくてもやっていけるが、それでは生産量に限界がある。
- [15]日持ちのしない自然度の高い商品というコンセプトでサラダ類や惣菜類に力を入れ、本当の味を追求するため下請けに頼らず自前の生産拠点を持った。
- 総合食品 第17巻第12号(通巻204号・1994年5月)「個性派企業 トップインタビュー ケンコーマヨネーズ(株) 松生睦社長」
- [16]協力会社に作ってもらえば投資は不要だが技術力・生産力・総合能力がつかないとして、コストと借金が増えても生産能力を増やす方針をとった。
- 総合食品 第18巻第6号(通巻210号・1994年)「企業ピックアップ 業務用重点政策で事業拡大――店頭公開したケンコーマヨネーズの実力」
- [17]自分の支店のエリアの中に自社の工場があることで販売に力が入り、工場を作ったことで結果的に販売力が増した。
1994年〜九州ダイエットクックの買収と1700品目の品揃え
1994年時点で本体は山梨工場を含めて7工場、100%子会社は12月完成の新座工場を含めて5社10工場となる計画だった。子会社群は、1990年2月の株式会社九州ダイエットクックの買収に始まった。1991年には3月に株式会社ダイエットクック三田を設立し、8月に株式会社丸実フーズを買収、9月に株式会社ダイエットクック埼玉を設立した。1993年8月には株式会社ダイエットクック白老を設立した。ダイエットクック各社は100%子会社でありながら、各社が独自の権限と責任で事業を運営した。ダイエットクック各社は、日持ちしない惣菜を消費地の近くで製造するために、買収と設立で整備した地域別の製造子会社であった。
- 総合食品 第18巻第6号(通巻210号・1994年)「企業ピックアップ 業務用重点政策で事業拡大――店頭公開したケンコーマヨネーズの実力」
- [18]7月に完成した山梨工場でケンコーマヨネーズは7工場となり、100%子会社は12月にできる新座工場を含めると5社10工場となる。
- ケンコーマヨネーズ 有価証券報告書(第49期・2006年3月期)【沿革】
- [19]1990年2月、株式会社九州ダイエットクックを買収した。
- [20]1991年3月に株式会社ダイエットクック三田を設立、同年8月に株式会社丸実フーズ(株式会社ダイエットクック東村山)を買収、同年9月に株式会社ダイエットクック埼玉を設立した。
- [21]1993年8月、株式会社ダイエットクック白老を設立した。
- 総合食品 第17巻第12号(通巻204号・1994年5月)「個性派企業 トップインタビュー ケンコーマヨネーズ(株) 松生睦社長」
- [22]ダイエットクック株式会社は100%子会社だが、ダイエットクック株式会社という立場で自分の権限、責任、発想でやる幅をもたせている。
1994年時点の商品は1700種類に達し、毎年250〜300点の新商品を開発した。戦略商材としたサラダ・惣菜類は約200種類に広がった。品目を整理するときは廃番より先に、味と原価を保ったまま複数の商品を1品目へ統合できないかを検討した。1993年9月には東京本社を置き、新宿住友ビル内の本社にショールームを設けて問屋、外食、スーパー、小売店との商談の場とした。本業のマヨネーズ類のシェアも1993年に12.3%となり、業界3位に上った。1990年代のケンコーマヨネーズは、品目の数と提案の場を増やしてマヨネーズ以外の売上を積み上げた。
- 総合食品 第18巻第6号(通巻210号・1994年)「企業ピックアップ 業務用重点政策で事業拡大――店頭公開したケンコーマヨネーズの実力」
- [23]商品アイテムは1700種に上り、毎年250〜300の新商品を開発できるようになっている(1994年)。
- [24]戦略商材としてサラダ・総菜類に力を入れ、現在200種類ぐらいになっている(1994年)。
- [28]マヨネーズ類のシェアは平成5年に12.3%となり、業界第3位である。
- 総合食品 第17巻第12号(通巻204号・1994年5月)「個性派企業 トップインタビュー ケンコーマヨネーズ(株) 松生睦社長」
- [25]廃番を考える前に統合を考え、味と原価と生命力増を前提にAとBの商品をCで一本化できないかを検討する。
- [27]昨年9月に東京本社を新宿住友ビル内に移転すると同時に本社内にショールームを設置し、問屋、外食ユーザー、スーパー、小売店に来てもらう場とした。
- ケンコーマヨネーズ 有価証券報告書(第49期・2006年3月期)【沿革】
- [26]1993年9月、東京本社を設置した。
1970年に松生睦氏が社長に就任したとき、売上高は3億円台だった。以後20年余りは2ケタの増収を重ねたが、1993年3月期と1994年3月期は前年比107〜108%と1ケタ台まで伸びが鈍った。工場を地域ごとに積み増してきた投資について松生睦社長は、自社の力を上回る水準まで背伸びして生産力を整えてきたと述べ、土地の取得から建屋、内装、設備、人材の育成までが重荷になったことを認めた。それでも、自前のレシピと技術を自社で商品にしなければ流通に対して力を持てないとして、拠点の新設は続けた。松生睦社長はそれでも2ケタ増を狙う力量と勢いが社内にあると述べ、1994年時点の売上高は360億円に達した。増収率が鈍るあいだも工場を建て続けたことが、ケンコーマヨネーズの負担と地域網を同時に厚くした。
- 総合食品 第18巻第6号(通巻210号・1994年)「企業ピックアップ 業務用重点政策で事業拡大――店頭公開したケンコーマヨネーズの実力」
- [29]年商3億円というスタートからその後2ケタ増収を続けてきたが、昨年、一昨年に関しては前年比107〜108%と1ケタ台に落ちた(1994年)。
- [30]当社の実力以上に無理をしてつけてきたのは生産力で、土地を買ったり工場を建てたり内装したり設備したり人を育てたりと苦痛は多い。
- [31]自分たちで作ったレシピ、技術を商品化することをしなければ流通力がつかないとして、生産拠点作りに積極的にチャレンジしていく。
- [32]まだ2ケタ増を狙っていこうという力量と勢いが会社にはあると考えている(1994年)。
- [33]売上げ360億円のうちの一部が市販分野である(1994年)。
参考文献[18]-[33]
- 総合食品 第18巻第6号(通巻210号・1994年)「企業ピックアップ 業務用重点政策で事業拡大――店頭公開したケンコーマヨネーズの実力」
- [18]7月に完成した山梨工場でケンコーマヨネーズは7工場となり、100%子会社は12月にできる新座工場を含めると5社10工場となる。
- [23]商品アイテムは1700種に上り、毎年250〜300の新商品を開発できるようになっている(1994年)。
- [24]戦略商材としてサラダ・総菜類に力を入れ、現在200種類ぐらいになっている(1994年)。
- [28]マヨネーズ類のシェアは平成5年に12.3%となり、業界第3位である。
- [29]年商3億円というスタートからその後2ケタ増収を続けてきたが、昨年、一昨年に関しては前年比107〜108%と1ケタ台に落ちた(1994年)。
- [30]当社の実力以上に無理をしてつけてきたのは生産力で、土地を買ったり工場を建てたり内装したり設備したり人を育てたりと苦痛は多い。
- [31]自分たちで作ったレシピ、技術を商品化することをしなければ流通力がつかないとして、生産拠点作りに積極的にチャレンジしていく。
- [32]まだ2ケタ増を狙っていこうという力量と勢いが会社にはあると考えている(1994年)。
- [33]売上げ360億円のうちの一部が市販分野である(1994年)。
- ケンコーマヨネーズ 有価証券報告書(第49期・2006年3月期)【沿革】
- [19]1990年2月、株式会社九州ダイエットクックを買収した。
- [20]1991年3月に株式会社ダイエットクック三田を設立、同年8月に株式会社丸実フーズ(株式会社ダイエットクック東村山)を買収、同年9月に株式会社ダイエットクック埼玉を設立した。
- [21]1993年8月、株式会社ダイエットクック白老を設立した。
- [26]1993年9月、東京本社を設置した。
- 総合食品 第17巻第12号(通巻204号・1994年5月)「個性派企業 トップインタビュー ケンコーマヨネーズ(株) 松生睦社長」
- [22]ダイエットクック株式会社は100%子会社だが、ダイエットクック株式会社という立場で自分の権限、責任、発想でやる幅をもたせている。
- [25]廃番を考える前に統合を考え、味と原価と生命力増を前提にAとBの商品をCで一本化できないかを検討する。
- [27]昨年9月に東京本社を新宿住友ビル内に移転すると同時に本社内にショールームを設置し、問屋、外食ユーザー、スーパー、小売店に来てもらう場とした。
1994年〜店頭公開による資本の調達と売上422億円に占める市販品12%
1994年11月、ケンコーマヨネーズは日本証券業協会へ株式を店頭登録した。公開初日の初値は1800円、出来高は105万2000株だった。松生睦氏は1970年の社長就任以来、株式の公開を目標に掲げてきた。給食業界にも惣菜業にも、ホテル・レストランにもファストフードにもそれぞれ実力者がおり、味が直らない、品揃えが足りないといった理由で納入が続かないことを繰り返すうちに、プロに通じる技術と品揃えが身についたと、松生睦社長は公開翌日の記者発表で語った。就任からの20数年間、業務筋の事業に絞ってきたことについては『業務用一筋でやってきたのは、正しい判断だった』と振り返り、2部上場、さらに1部上場へできるだけ早く進みたいとも述べた。一般投資家にも独自性として認められたのは、手間のかかる営業を続けてきた結果だった。
- ケンコーマヨネーズ 有価証券報告書(第49期・2006年3月期)【沿革】
- [34]1994年11月、日本証券業協会に株式を店頭登録した。
- 総合食品 第18巻第6号(通巻210号・1994年)「企業ピックアップ 業務用重点政策で事業拡大――店頭公開したケンコーマヨネーズの実力」
- [35]11月1日に株式の店頭公開を果たし、初値が1800円、出来高105万2000株という内容だった。
- [36]昭和45年の社長就任以来、株式上場が夢と語ってきた松生睦社長の目標の第1段階を達成したことになる。
- [37]業務筋は給食業界、惣菜業、ホテル・レストラン、ファストフードそれぞれにプロの実力者がおり、何回やっても味が直らない、納入が決まっても品揃えが少なくて長続きしないという繰り返しを経て、プロにも通じる技術と品揃えが身についた。
- [38]昭和45年の社長就任以来20数年間、業務筋での事業に100%絞ってやってきたが、これは結果的に見ていい判断だったと述べた。
- [39]今後は2部上場、1部上場までなるべく早く進んでいきたいとした。
名の知れた先行メーカーが並ぶ市販市場ではブランド力が行き渡っており、入るには宣伝広告を含めて多額の費用がかかる。ケンコーマヨネーズは1986年ごろから一般消費者向けの市販品を扱ってはいたが、本格参入に踏み切ったのは1993年で、店頭公開と前後して、その2〜3年前から市場を調べたうえでのことだった。松生睦社長は、プロが業務用で認めてきた味を家庭でも気軽に楽しんでほしい、単品のメーカーで終わる気はない、自社ブランドを築くことは後発・新興メーカーとしての意地でもある、と述べた。市販品の営業には社内初の専任担当者として藤原麗子氏、伴真里氏、渡辺早苗氏の3人を充て、イトーヨーカ堂、エコス、丸正の各グループをそれぞれ受け持たせ、業務用で重ねた商品開発の実績を、社名が知られていない売り場へ持ち込む試みとなった。
- 2020 AIM 第176号(2000年)「製・販の取組みによる新たな価値創造・価値開発へのチャレンジ ケンコーマヨネーズの新たな挑戦」
- [40]市販市場には名だたる先行メーカーが居並びブランド力が浸透していて新規参入の壁は厚く、一般消費者にアピールするにはブランド戦略も宣伝広告も含めて大変なコストがかかる。
- 2020 AIM 第178号(2000年)「女性の能力と個性がイキイキと活きる組織風土と企業文化の検証報告(6) ケンコーマヨネーズ営業戦略の担い手たち」
- [41]1986年ごろから業務用だけでなく一般消費者向けの商品販売も手がけている。
- [43]業務筋でプロに信頼されてきた味を家庭でも手軽に味わってもらいたい、単品メーカーでは終わりたくない、この分野でケンコーマヨネーズブランドを確立することは後発・新興メーカーの一つの意地でもあるとした。
- [44]市販品に取り組むに当たって社内初の営業担当として藤原麗子、伴真里、渡辺早苗の3人を採用し、藤原はイトーヨーカ堂グループ、伴はエコスグループ、渡辺は都内の丸正グループを担当している。
- 総合食品 第18巻第6号(通巻210号・1994年)「企業ピックアップ 業務用重点政策で事業拡大――店頭公開したケンコーマヨネーズの実力」
- [42]2〜3年前から市販分野に対する調査を行い、やってもいい時期に来ていると感じて昨年実行した(1994年)。
1999年のケンコーマヨネーズは、資本金11億7950万円、売上高422億円の規模に達した。全国12カ所に販売拠点を置き、子会社を含めて18カ所の生産拠点を各地域に構えた。本体の6工場と100%子会社8社の12工場が稼働し、約70名の技術スタッフが商品の改良と開発にあたった。業務用のマヨネーズ、ドレッシング、サラダ、惣菜は前年に10万トン以上を製造した。取引先を招くショー&アクションルームは全国8カ所に置かれ、毎月のフェアで平均80点ほどの商品とメニューを提案した。新宿の住友ビルのショー&アクションルームはテストキッチンを併設し、取引先の要望を吸い上げる場も兼ねた。売上422億円のうち市販品は12〜13%にとどまり、業務用で作った提案の仕組みを市販の売り場へ移せるかが次の課題として残った。
- 2020 AIM 第176号(2000年)「製・販の取組みによる新たな価値創造・価値開発へのチャレンジ ケンコーマヨネーズの新たな挑戦」
- [45]平成11年現在、資本金11億7950万円、売上高422億円である。
- [46]全国12カ所に販売拠点を敷き、子会社を含めて各地域に18カ所の生産拠点を擁している。
- [47]現在、ケンコーマヨネーズの6工場と100%子会社8社12工場で稼動しており、約70名の技術スタッフが商品の改良開発にあたっている。
- [48]業務用としてマヨネーズ、ドレッシング、サラダなどの惣菜も含め、昨年10万t以上つくっている。
- [49]ショー&アクションルームは全国に8カ所設置し、毎月必ず何かしらのフェアを開催して平均80点ぐらいずつの商品提案とメニュー提案をしている。
- [51]一般消費者向けのいわゆる市販用の占める割合は、総売上げ422億円のうち12〜13%とまだ少ない。
- 2020 AIM 第178号(2000年)「女性の能力と個性がイキイキと活きる組織風土と企業文化の検証報告(6) ケンコーマヨネーズ営業戦略の担い手たち」
- [50]新宿の住友ビルにつくられたショー&アクションルームは全製品を展示しテストキッチンを併設し、取引先の声を吸い上げる情報収集の基地でもある。
参考文献[34]-[51]
- ケンコーマヨネーズ 有価証券報告書(第49期・2006年3月期)【沿革】
- [34]1994年11月、日本証券業協会に株式を店頭登録した。
- 総合食品 第18巻第6号(通巻210号・1994年)「企業ピックアップ 業務用重点政策で事業拡大――店頭公開したケンコーマヨネーズの実力」
- [35]11月1日に株式の店頭公開を果たし、初値が1800円、出来高105万2000株という内容だった。
- [36]昭和45年の社長就任以来、株式上場が夢と語ってきた松生睦社長の目標の第1段階を達成したことになる。
- [37]業務筋は給食業界、惣菜業、ホテル・レストラン、ファストフードそれぞれにプロの実力者がおり、何回やっても味が直らない、納入が決まっても品揃えが少なくて長続きしないという繰り返しを経て、プロにも通じる技術と品揃えが身についた。
- [38]昭和45年の社長就任以来20数年間、業務筋での事業に100%絞ってやってきたが、これは結果的に見ていい判断だったと述べた。
- [39]今後は2部上場、1部上場までなるべく早く進んでいきたいとした。
- [42]2〜3年前から市販分野に対する調査を行い、やってもいい時期に来ていると感じて昨年実行した(1994年)。
- 2020 AIM 第176号(2000年)「製・販の取組みによる新たな価値創造・価値開発へのチャレンジ ケンコーマヨネーズの新たな挑戦」
- [40]市販市場には名だたる先行メーカーが居並びブランド力が浸透していて新規参入の壁は厚く、一般消費者にアピールするにはブランド戦略も宣伝広告も含めて大変なコストがかかる。
- [45]平成11年現在、資本金11億7950万円、売上高422億円である。
- [46]全国12カ所に販売拠点を敷き、子会社を含めて各地域に18カ所の生産拠点を擁している。
- [47]現在、ケンコーマヨネーズの6工場と100%子会社8社12工場で稼動しており、約70名の技術スタッフが商品の改良開発にあたっている。
- [48]業務用としてマヨネーズ、ドレッシング、サラダなどの惣菜も含め、昨年10万t以上つくっている。
- [49]ショー&アクションルームは全国に8カ所設置し、毎月必ず何かしらのフェアを開催して平均80点ぐらいずつの商品提案とメニュー提案をしている。
- [51]一般消費者向けのいわゆる市販用の占める割合は、総売上げ422億円のうち12〜13%とまだ少ない。
- 2020 AIM 第178号(2000年)「女性の能力と個性がイキイキと活きる組織風土と企業文化の検証報告(6) ケンコーマヨネーズ営業戦略の担い手たち」
- [41]1986年ごろから業務用だけでなく一般消費者向けの商品販売も手がけている。
- [43]業務筋でプロに信頼されてきた味を家庭でも手軽に味わってもらいたい、単品メーカーでは終わりたくない、この分野でケンコーマヨネーズブランドを確立することは後発・新興メーカーの一つの意地でもあるとした。
- [44]市販品に取り組むに当たって社内初の営業担当として藤原麗子、伴真里、渡辺早苗の3人を採用し、藤原はイトーヨーカ堂グループ、伴はエコスグループ、渡辺は都内の丸正グループを担当している。
- [50]新宿の住友ビルにつくられたショー&アクションルームは全製品を展示しテストキッチンを併設し、取引先の声を吸い上げる情報収集の基地でもある。
筆者考察
売るものを変えれば、工場の置き方まで変わる。ケンコー・マヨネーズの主力だったマヨネーズ類は常温で流通するから、合理化した工場で集中生産して物流費で競えた。ところが1980年代半ばから戦略商材に据えたサラダと惣菜は日持ちせず、本来の食味を追えば消費地の近くで作るしかない。1988年の西神戸工場と厚木フードセンターに始まり、1990年の九州ダイエットクック買収からダイエットクック各社が地域ごとに積み上がって、1999年には子会社を含め18カ所の生産拠点になった。品揃えは1700種、うちサラダ・惣菜が200種。調味料ではなく献立を納める会社になると決めたことが、工場の数を決めている。
出典・参考
7件
- ケンコーマヨネーズ 有価証券報告書(第49期・2006年3月期)【沿革】
- ケンコーマヨネーズ 有価証券報告書(第68期・2025年3月期)【沿革】
- 総合食品 第9巻第11号(通巻107号・1986年4月)「ザ・メーカー メニュー提案の実績を生かし開発・開拓型企業に前進」
- 総合食品 第17巻第12号(通巻204号・1994年5月)「個性派企業 トップインタビュー ケンコーマヨネーズ(株) 松生睦社長」
- 総合食品 第18巻第6号(通巻210号・1994年)「企業ピックアップ 業務用重点政策で事業拡大――店頭公開したケンコーマヨネーズの実力」
- 2020 AIM 第178号(2000年)「女性の能力と個性がイキイキと活きる組織風土と企業文化の検証報告(6) ケンコーマヨネーズ営業戦略の担い手たち」
- 2020 AIM 第176号(2000年)「製・販の取組みによる新たな価値創造・価値開発へのチャレンジ ケンコーマヨネーズの新たな挑戦」