第1章 年〜年

タマホーム:タマホームの設立と100店体制への支店網の拡大

1998年〜「日本の住宅は高すぎる」──筑後興産ローコスト住宅部門の分離独立

1998年6月、玉木康裕氏が48歳で福岡県筑後市にタマホーム株式会社を設立した。前職は地場の建設業・筑後興産株式会社の専務取締役である。原点は1980年、30歳で米国の大学に聴講生として渡り建築事情を学んだ経験にあり、坪単価30万円程度でハイグレードな住宅が建つ現地と日本との価格差に衝撃を受けた。1992年には家業の筑後興産でローコスト住宅を開発し、注文住宅の相場が坪単価50万円以上だった時代に半額の25万円で販売を開始した。1998年の設立は、この部門を家業から分離独立させたものである。創業時の社員は数名、資本金1000万円にとどまり、ゼロからの起業ではなく、6年間のローコスト住宅事業を母体とするスピンオフであった。

  • タマホーム 有価証券報告書【沿革】
    • [1]創業者は玉木康裕で、設立時48歳だった
    • [2]創業地は福岡県筑後市である
    • [3]1998年6月にタマホーム株式会社を設立した
    • [4]玉木康裕の前職は筑後興産株式会社の専務取締役である
    • [10]創業時の資本金は1000万円だった
  • タマホーム公式サイト「皆様へ」(2007年7月時点)
    • [5]玉木康裕は1980年に30歳で米国の大学に聴講生として渡り建築事情を学んだ
    • [6]1980年当時の米国の住宅は坪単価30万円程度でハイグレードだった
    • [7]1992年に家業の筑後興産でローコスト住宅を開発し坪単価25万円で販売を始めた
    • [8]当時の注文住宅の相場は坪単価50万円以上だった
    • [9]1998年の設立はローコスト住宅部門を家業から分離独立させたものである

設立翌年の2000年1月1日、筑後市久富にモデルハウス1号店を開設し、本格的な販売活動を始めた。価格は設立当初、坪単価24.8万円に据えた。原価を積み上げて値付けするのではなく、顧客が納得する価格を先に置く発想で、玉木康裕氏は『ユニクロのように安くて高品質な家を提供していこう』と量販の狙いを定めた。木造2階建ての注文住宅をパッケージ化して設計工数と材料調達コストを引き下げ、ロードサイドの小型展示場と広告を集客装置に据えた。創業3期目の2002年10月には本社を福岡県福岡市博多区へ移し、売上高は2002年5月期の44億円から2004年5月期の226億円へ2期続けて前期比2倍超のペースで伸ばした。

  • タマホーム 有価証券報告書【沿革】
    • [11]2000年1月1日に筑後市久富にモデルハウス1号店を開設した
    • [16]2002年10月に本社を福岡県福岡市博多区へ移転した
  • タマホーム公式サイト「皆様へ」(2007年7月時点)
    • [12]設立当初の販売価格は坪単価24.8万円である
    • [13]設立当初は原価の積み上げではなく顧客が納得する価格を先に置いた
    • [15]玉木康裕氏は広告活動を集客の要に据えた
  • KENJA GLOBAL(賢者.tv)2007年3月「タマホーム株式会社 玉木康裕」
    • [14]タマホーム代表取締役社長の玉木康裕氏による発言(ユニクロのように安くて高品質な家)
  • タマホーム公式サイト 会社概要(2005年2月時点)
    • [17]単体売上高は2002年5月期44億円、2003年5月期106億円、2004年5月期226億円と推移した

売る商品は「大安心の家」ひとつに絞られていた。自由設計・オール電化・豊富な設備仕様をひとまとめにし、当時としては画期的な坪単価で提供するという組み立てで、仕様の標準化で浮いた設計工数と調達コストを価格の引き下げに充当した。掲げた経営方針は『より良いものをより安く 提供することにより 社会に奉仕する』である。店はモデルハウス・事務所・ショールームを1カ所へまとめたロードサイド型の独立型店舗に置き、内覧から仕様決めまでを1店で完結させた。集客はテレビCMとチラシに寄せ、広告で来場者を集めて標準商品を捌く回し方を敷いた。単体売上高は2001年5月期の19億2,600万円から2004年5月期の226億円へ、3期で10倍を超えて伸びた。

  • タマホーム 有価証券報告書【事業の内容】
    • [18]設立当初から「自由設計・オール電化・豊富な設備仕様」の住宅(大安心の家)を当時としては画期的な坪単価で提供した
    • [19]経営方針は「より良いものをより安く 提供することにより 社会に奉仕する」である
    • [20]ロードサイド型の独立型店舗はモデルハウス・事務所・ショールームを設置し、モデル内覧から仕様決めまでの総合的な営業を可能としている
    • [21]店舗への集客はテレビCM・チラシ等による広告宣伝活動によっている
  • タマホーム公式サイト 会社概要(2005年2月時点)
    • [22]単体売上高は2001年5月期19億2,600万円、2004年5月期226億円である
参考文献[1]-[22]
  • タマホーム 有価証券報告書【沿革】
    • [1]創業者は玉木康裕で、設立時48歳だった
    • [2]創業地は福岡県筑後市である
    • [3]1998年6月にタマホーム株式会社を設立した
    • [4]玉木康裕の前職は筑後興産株式会社の専務取締役である
    • [10]創業時の資本金は1000万円だった
    • [11]2000年1月1日に筑後市久富にモデルハウス1号店を開設した
    • [16]2002年10月に本社を福岡県福岡市博多区へ移転した
    • [5]玉木康裕は1980年に30歳で米国の大学に聴講生として渡り建築事情を学んだ
    • [6]1980年当時の米国の住宅は坪単価30万円程度でハイグレードだった
    • [7]1992年に家業の筑後興産でローコスト住宅を開発し坪単価25万円で販売を始めた
    • [8]当時の注文住宅の相場は坪単価50万円以上だった
    • [9]1998年の設立はローコスト住宅部門を家業から分離独立させたものである
    • [12]設立当初の販売価格は坪単価24.8万円である
    • [13]設立当初は原価の積み上げではなく顧客が納得する価格を先に置いた
    • [15]玉木康裕氏は広告活動を集客の要に据えた
    • [14]タマホーム代表取締役社長の玉木康裕氏による発言(ユニクロのように安くて高品質な家)
    • [17]単体売上高は2002年5月期44億円、2003年5月期106億円、2004年5月期226億円と推移した
    • [22]単体売上高は2001年5月期19億2,600万円、2004年5月期226億円である
  • タマホーム 有価証券報告書【事業の内容】
    • [18]設立当初から「自由設計・オール電化・豊富な設備仕様」の住宅(大安心の家)を当時としては画期的な坪単価で提供した
    • [19]経営方針は「より良いものをより安く 提供することにより 社会に奉仕する」である
    • [20]ロードサイド型の独立型店舗はモデルハウス・事務所・ショールームを設置し、モデル内覧から仕様決めまでの総合的な営業を可能としている
    • [21]店舗への集客はテレビCM・チラシ等による広告宣伝活動によっている

2003年〜大阪・東京への二段の本社開設と、西から東へ延びた出店

2003年9月の福山支店開設を皮切りに、関西(2004年5月加古川支店)・東海(2005年3月豊橋支店)・関東(2005年11月横浜平沼支店)と西から東へ出店網を広げた。2004年6月には大阪府大阪市中央区に大阪本社を、2005年6月には東京都港区に本社を開設し、九州・関西・首都圏の三本社体制をつくった。低価格訴求の量産注文住宅は地方郊外を中心に支持を集め、創業7年の2005年11月に50店を達成した。連結売上高も2005年5月期の463億円から2006年5月期には809億円へ拡大し、玉木康裕氏は当時の公式サイトで『東京に本社を移転し、グループ売上高800億円を達成』と掲げた。福岡から始まった出店戦略は九州・中国・関西・東海を経て関東圏へ届き、創業7年で全国企業への移行を終えた。

  • タマホーム 有価証券報告書【沿革】
    • [23]2003年9月に福山支店を開設した(中国地方への初出店)
    • [24]2004年5月に加古川支店を開設した(関西への初出店)
    • [25]2005年3月に豊橋支店を開設した(東海への初出店)
    • [26]2005年11月に横浜平沼支店を開設した(関東への初出店)
    • [27]2004年6月に大阪府大阪市中央区に大阪本社を開設した
    • [28]2005年6月に東京都港区に本社を開設した
    • [29]創業7年の2005年11月に50店を達成した
  • タマホーム公式サイト 会社概要(2007年6月時点)
    • [30]連結売上高は2005年5月期の463億円から2006年5月期の809億円へ拡大した
  • タマホーム公式サイト「皆様へ」(2007年7月時点)
    • [31]1998年の福岡から九州・中国・関西・東海へ出店し、2005年に本社を東京へ移して関東圏へ進出した

東へ延ばしながら、九州の厚みは薄めなかった。2005年11月、宮城県仙台市に50店目となる泉インター支店を新設し、同じ月に関東への初出店となる横浜平沼支店を神奈川県横浜市へ開設している。関東に最初の店が立ったのは創業から7年半後で、それまでの出店は福岡から中国・関西・東海へと陸路をたどる順序で進んだ。店はロードサイド型の独立型店舗を中心に置き、全国展開もその形で進めた。用地と建物の先行投資が1店ずつ積み上がる方式である以上、地盤に近いところから埋めるほうが1店あたりの回収は読みやすい。出店の順序を決めていたのは市場の大きさではなく、地盤からの距離だった。

  • タマホーム 有価証券報告書【沿革】
    • [32]2005年11月に50店目となる泉インター支店を宮城県仙台市に、関東初出店の横浜平沼支店を神奈川県横浜市に開設した
  • タマホーム公式サイト「皆様へ」(2007年7月時点)
    • [33]1998年の福岡から九州・中国・関西・東海へ出店し、2005年に本社を東京へ移して関東圏へ進出した
  • タマホーム 有価証券報告書【事業の内容】
    • [34]ロードサイド型の独立型店舗での出店を中心に全国展開を行ってきた

店を出すたびに、住宅以外の商いも同じ動線へ加えた。2002年10月、本社を福岡市博多区へ移すのと同じ月に保険代理業の登録を行い、保険代理業を開始している。注文住宅の買い手はそのまま火災保険の買い手でもあり、契約の場を握る会社が保険を扱えば、1棟あたりの取り分は厚くなる。住宅事業の内側にも、注文住宅の建築請負のほかに外構工事等付帯工事の紹介やプレカットCAD入力・図面作成等の設計支援が取り込まれた。火災保険等の保険代理業務と注文住宅購入者向けつなぎ融資の取次業務は、のちに金融事業として住宅事業とは別のセグメントへ立つ。1棟の家が動く動線の上へ、どれだけの商いを並べられるか。創業期の事業の広げ方は、その問いで選ばれていた。

  • タマホーム 有価証券報告書【沿革】
    • [35]2002年10月に保険代理業の登録を行い保険代理業を開始した
  • タマホーム 有価証券報告書【事業の内容】
    • [36]住宅事業には注文住宅の建築請負、リフォーム工事等の請負のほか、外構工事等付帯工事の紹介、プレカットCAD入力・図面作成等の設計支援事業が含まれる
    • [37]金融事業は火災保険等の保険代理業務と注文住宅購入者向けつなぎ融資の取次業務からなり、住宅事業とは別のセグメントである
参考文献[23]-[37]
  • タマホーム 有価証券報告書【沿革】
    • [23]2003年9月に福山支店を開設した(中国地方への初出店)
    • [24]2004年5月に加古川支店を開設した(関西への初出店)
    • [25]2005年3月に豊橋支店を開設した(東海への初出店)
    • [26]2005年11月に横浜平沼支店を開設した(関東への初出店)
    • [27]2004年6月に大阪府大阪市中央区に大阪本社を開設した
    • [28]2005年6月に東京都港区に本社を開設した
    • [29]創業7年の2005年11月に50店を達成した
    • [32]2005年11月に50店目となる泉インター支店を宮城県仙台市に、関東初出店の横浜平沼支店を神奈川県横浜市に開設した
    • [35]2002年10月に保険代理業の登録を行い保険代理業を開始した
    • [30]連結売上高は2005年5月期の463億円から2006年5月期の809億円へ拡大した
    • [31]1998年の福岡から九州・中国・関西・東海へ出店し、2005年に本社を東京へ移して関東圏へ進出した
    • [33]1998年の福岡から九州・中国・関西・東海へ出店し、2005年に本社を東京へ移して関東圏へ進出した
  • タマホーム 有価証券報告書【事業の内容】
    • [34]ロードサイド型の独立型店舗での出店を中心に全国展開を行ってきた
    • [36]住宅事業には注文住宅の建築請負、リフォーム工事等の請負のほか、外構工事等付帯工事の紹介、プレカットCAD入力・図面作成等の設計支援事業が含まれる
    • [37]金融事業は火災保険等の保険代理業務と注文住宅購入者向けつなぎ融資の取次業務からなり、住宅事業とは別のセグメントである

2006年〜断熱地域区分に合わせた商品の増設と、100店から150店への量産

2006年12月、千葉県袖ケ浦市に100店目となる袖ケ浦支店を開設した。50店目からわずか13カ月での倍増である。2007年6月には北陸への初出店となる富山空港支店を、2008年10月には青森県おいらせ町に150店目の八戸下田支店を、翌11月には北海道への初出店となる札幌西店を開設し、出店の先端は本州を越えた。連結売上高は2006年5月期の809億円から2007年5月期1,290億円、2008年5月期1,679億円へ2期で2倍に伸びている。ロードサイドの独立型店舗は1店ごとにモデルハウスを建てる方式であり、出店そのものが広告と並ぶ先行投資でもあった。

  • タマホーム 有価証券報告書【沿革】
    • [38]2006年12月に千葉県袖ケ浦市へ100店目となる袖ケ浦支店を開設した
    • [39]2007年6月に富山県富山市へ北陸地方への初出店となる富山空港支店を開設した
    • [40]2008年10月に青森県上北郡おいらせ町へ150店目となる八戸下田支店を開設した
    • [41]2008年11月に北海道札幌市へ北海道地区への初出店となる札幌西店を開設した
  • タマホーム公式サイト 会社概要・業績(2010年10月時点)
    • [42]連結売上高は2006年5月期809億円・2007年5月期1,290億円・2008年5月期1,679億円へ拡大した

北へ出るたびに商品を足した。設立当初の商品は断熱地域区分5・6・7地域に対応する「大安心の家」だけで、九州でのみ営業していたあいだはそれで足りていた。営業エリアが北関東・北陸・南東北の4地域へ届くと「大安心の家〔愛〕」を、北東北の3地域へ届くと「大安心の家〔暖〕」を、北海道の1・2地域へは「大地の家」を、のちに沖縄の8地域へは「大安心の家〔沖縄〕」を順に投入した。断熱地域区分は建築物省エネ法が気候条件で全国を8つに割ったもので、区分ごとに断熱材の厚みや開口部の断熱性・気密性能が規定される。標準化した1商品で全国を覆うことはできず、出店網の北上は地域別商品の増設と対になっていた。

  • タマホーム 有価証券報告書【事業の内容】
    • [43]設立当初は九州地区でのみ営業し、断熱地域区分5・6・7地域対応の「大安心の家」のみを提供していた
    • [44]営業エリアの拡大に伴い北関東・北陸・南東北(4地域)対応の「大安心の家〔愛〕」、北東北(3地域)対応の「大安心の家〔暖〕」、北海道(1・2地域)対応の「大地の家」、沖縄(8地域)対応の「大安心の家〔沖縄〕」を随時投入した
    • [45]断熱地域区分は建築物省エネ法で全国の気候条件に応じて8つに区分されたもので、区分ごとに断熱材の厚み・開口部の断熱性・気密性能などが規定される

急拡大の速度に品質を追いつかせる手立ては、職人の育成に置かれた。玉木康裕氏は建築現場に職人の名前を掲示する運用を敷き、誰が建てた家かを施主から見えるようにした。創業以来の考えとして『人間を大切にしない会社が良い家をつくれるはずがない』を掲げ、求人と教育には労力を惜しまなかった。低価格の量産で問われるのは値引きの深さではなく、同じ仕様を同じ品質で何千棟も繰り返せるかどうかである。成長の理由を問われた玉木康裕氏は、特別な対策を講じたわけではなく国内の住宅の建築費がそもそも割高なのだとの見方を示し、人材については、良い家を建てるには人を育てる仕組みが欠かせないとの考えを述べた。標準化した商品と広告で集めた需要を職人の層が受け止める体制は、創業10年でおおよそ組み上がった。

  • タマホーム公式サイト「皆様へ」(2007年7月時点)
    • [46]建築現場に職人の名前を掲示する運用を敷いた
    • [47]玉木康裕氏は「人間を大切にしない会社が良い家をつくれるはずがない」を創業以来の考えとした
  • NetIB-NEWS(データ・マックス)2008年2月1日
    • [48]タマホーム代表取締役社長の玉木康裕氏による発言(求人と教育に労力を惜しまない)
    • [49]タマホーム代表取締役社長の玉木康裕氏による発言(日本の住宅の建築費は高すぎる・モノづくりは人づくり)
参考文献[38]-[49]
  • タマホーム 有価証券報告書【沿革】
    • [38]2006年12月に千葉県袖ケ浦市へ100店目となる袖ケ浦支店を開設した
    • [39]2007年6月に富山県富山市へ北陸地方への初出店となる富山空港支店を開設した
    • [40]2008年10月に青森県上北郡おいらせ町へ150店目となる八戸下田支店を開設した
    • [41]2008年11月に北海道札幌市へ北海道地区への初出店となる札幌西店を開設した
    • [42]連結売上高は2006年5月期809億円・2007年5月期1,290億円・2008年5月期1,679億円へ拡大した
  • タマホーム 有価証券報告書【事業の内容】
    • [43]設立当初は九州地区でのみ営業し、断熱地域区分5・6・7地域対応の「大安心の家」のみを提供していた
    • [44]営業エリアの拡大に伴い北関東・北陸・南東北(4地域)対応の「大安心の家〔愛〕」、北東北(3地域)対応の「大安心の家〔暖〕」、北海道(1・2地域)対応の「大地の家」、沖縄(8地域)対応の「大安心の家〔沖縄〕」を随時投入した
    • [45]断熱地域区分は建築物省エネ法で全国の気候条件に応じて8つに区分されたもので、区分ごとに断熱材の厚み・開口部の断熱性・気密性能などが規定される
    • [46]建築現場に職人の名前を掲示する運用を敷いた
    • [47]玉木康裕氏は「人間を大切にしない会社が良い家をつくれるはずがない」を創業以来の考えとした
    • [48]タマホーム代表取締役社長の玉木康裕氏による発言(求人と教育に労力を惜しまない)
    • [49]タマホーム代表取締役社長の玉木康裕氏による発言(日本の住宅の建築費は高すぎる・モノづくりは人づくり)

筆者考察

タマホームの創業を決めたのは、安い家をつくる技術ではなく、値段を決める順序だった。原価を積み上げて売価を出すのではなく、買い手が払える坪単価24.8万円を先に置き、その価格で建つ家を設計と調達で成立させる。順序を逆さにすると、続くものはすべて従属する。商品は仕様を選ばせない1本になり、店は総合展示場ではなくモデルハウスと事務所とショールームを1カ所に備えたロードサイド型になり、集客はテレビCMとチラシへ寄る。玉木康裕氏が家業の筑後興産で6年かけて確かめたのはこの一式であり、1998年の分離独立は、既存の建設業と混ぜたままでは振り切れない運営を、別会社へ切り出す作業だった。単体売上高が2001年5月期の19億2,600万円から3期で226億円へ伸びたのは、商品が増えたからではなく、同じ1本を売る店が増えたからである。

もっとも、価格を先に置く型は、売る土地が変われば自動では動かない。断熱地域区分は気候条件で全国を8つに割り、区分ごとに断熱材の厚みと開口部の性能を要求する。九州の5・6・7地域向けに作った「大安心の家」のままでは、北関東へも北東北へも北海道へも出られない。タマホームは出店の先端が北へ動くたびに「大安心の家〔愛〕」「大安心の家〔暖〕」、そして「大地の家」を足した。標準化で安くする会社が、標準を1つに保てないという矛盾を、商品の数で引き受けたことになる。創業10年で150店・連結売上高1,679億円に達した速度の裏側には、価格表の外側で増え続けた品番があったとみられる。

1998年〜2008年の業績

決算期 区分 売上高 経常利益 主な投資
億円 YoY 億円 利益率
1998年 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1999年 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
2000年 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
2001年05月期 単体 19 n/a n/a n/a n/a
2002年05月期 単体 44 +128.5% n/a n/a n/a
2003年05月期 単体 106 +140.9% n/a n/a n/a
2004年05月期 単体 226 +113.2% n/a n/a n/a
2005年05月期 連結 463 +104.9% n/a n/a n/a
2006年05月期 連結 809 +74.7% n/a n/a n/a
2007年05月期 連結 1,290 +59.5% n/a n/a n/a
2008年05月期 連結 1,679 +30.2% n/a n/a n/a

出所:タマホーム公式サイト「記事」、タマホーム公式サイト「会社概要」、タマホーム公式サイト「会社概要(IR)」、タマホーム公式サイト「会社情報」

出典・参考

8件
出典・参考
  • タマホーム 有価証券報告書【沿革】
  • タマホーム 有価証券報告書【事業の内容】
  • タマホーム公式サイト 会社概要(2005年2月時点)
  • タマホーム公式サイト「皆様へ」(2007年7月時点)
  • KENJA GLOBAL(賢者.tv)2007年3月「タマホーム株式会社 玉木康裕」
  • タマホーム公式サイト 会社概要(2007年6月時点)
  • NetIB-NEWS(データ・マックス)2008年2月1日
  • タマホーム公式サイト 会社概要・業績(2010年10月時点)

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