第2章 年〜年

ショーボンドホールディングス:東証二部上場と阪神・淡路大震災後の耐震補強需要

1987年〜バブルを避けた公共需要への集中と、上田昭社長から桧垣茂社長への継承

東証二部への上場から2年半後の1989年12月、ショーボンド建設は東京証券取引所市場第一部の銘柄に指定された。地価と株価が上昇を続けた時期にあたるが、上場で得た資金は資産運用へ向かわず、本業の補修工事に置かれたままだった。受注の9割以上は官公庁、とりわけ地方自治体からのもので、営業は正攻法に徹し政治家の口利きには頼らないという方針を、上田昭社長の代から掲げていた。公共事業への依存は好況期には成長余地の乏しい構造に見えるが、不況になるほど補正予算が積まれて受注が増えるという逆の循環を生んでいた。1991年7月、本社を新宿区から千代田区へ移した。

  • 有価証券報告書
    • [1]1989年12月に東京証券取引所市場第一部銘柄に指定された
    • [6]1991年7月に本社を東京都新宿区から東京都千代田区へ移転した
  • 道路建設 1993年2月号
    • [2]二部上場から一部指定に至る時期を通じてバブル期の資産運用には手を出さなかった
    • [4]営業はあくまで正攻法とし政治家の利用はしないという方針を上田昭社長の代から掲げていた
  • 実業往来 1997年6月号
    • [3]ゼネコン・橋梁会社経由の間接受注を含め完成工事高の9割以上が官公庁・特に地方自治体からの発注
    • [5]顧客の約9割が官公庁のため不況時に補正予算等で公共支出が増えると受注が増える企業体質

桧垣茂氏は石川島播磨重工業の資金部の出身で、外債の発行やシンガポール造船所向けの海外資金の導入を手がけた財務の専門家だった。1975年4月に上田昭氏に誘われて入社し、それから17年間、上田昭社長を支えた。その桧垣茂氏が1992年4月に社長となり、上田昭社長は会長に就任した。65歳を区切りに第一線から退くという上田昭氏自身の方針による交代で、1958年の設立以来34年にわたった創業者の直接の指揮はこれで幕を閉じた。社長就任にあたっては、会社が一人で引っぱっていける規模ではなくなったとして、経営を組織管理へ移す方針を示した。社員が何でも言えて何でもやれる、向こう傷は問わない会社にするというのがその中身だった。

  • 道路建設 1993年2月号
    • [7]桧垣茂は石川島播磨重工業資金部で外債発行と海外資金導入を担い1975年4月にショーボンドへ移った
    • [8]桧垣茂は石川島播磨重工業資金部で外債発行と海外資金導入を担い1975年4月にショーボンドへ移った
    • [9]1992年4月に上田昭が会長へ退き桧垣茂が社長に就任した
    • [10]上田昭は65歳になったら第一線を引くという自己の哲学によって会長へ退いた
    • [11]会社が一人で引っぱっていける規模でなくなったとして経営を組織管理へ移す方針を示した
    • [12]社員が何でも言えて何でもやれるバイタリティのある会社にし向う傷は問わないという経営方針

補修工事は1件あたりの金額が小さく、需要が全国へ薄く広がる。1987年の1件平均の売上高は250万円にすぎず、この規模の工事で採算を確保するには、発注元のそばに拠点を置いて移動と段取りの費用を抑えるほかなかった。ショーボンド建設は47都道府県のすべてに営業所を構え、全国60カ所の事業所網でこれを担った。各事業所は管内の橋梁について架設時期と補修の履歴をデータとして持ち、どの橋がいつ補修の時期を迎えるかを判断して提案型の営業へ結び付けた。発注者は過去にどのような工事実績があったかを重要な判断材料としたため、実績の厚みはそのまま受注面の優位に働いた。施工実績は過去5年間で3万件に及び、2番手企業の売上規模は10分の1程度にとどまっていた。

  • 投資月報 1994年6月号
    • [13]橋梁補修市場は1件当りの工事金額が小さく需要が全国に広がって件数が多いニッチ市場
    • [16]全国60箇所に事業所を設けていた
    • [17]全国60の事業所が橋梁の架設時期・補修の履歴などのデータを保有していた
    • [18]橋梁データベースからどの橋梁がいつ補修時期を迎えるか判断し提案型営業に結び付けていた
    • [19]発注サイドでは過去にどのような工事実績があったかが工事発注の重要な判断材料となる
    • [20]施工実績は過去5年間で3万件に及び2番手企業の売上規模は当社の10分の1程度だった
  • 日経ビジネス 1995年10月2日号
    • [14]1987年の1件平均の売上高は250万円だった
  • 実業往来 1997年6月号
    • [15]47都道府県すべてに営業所を置いていた
参考文献[1]-[20]
  • 有価証券報告書
    • [1]1989年12月に東京証券取引所市場第一部銘柄に指定された
    • [6]1991年7月に本社を東京都新宿区から東京都千代田区へ移転した
  • 道路建設 1993年2月号
    • [2]二部上場から一部指定に至る時期を通じてバブル期の資産運用には手を出さなかった
    • [4]営業はあくまで正攻法とし政治家の利用はしないという方針を上田昭社長の代から掲げていた
    • [7]桧垣茂は石川島播磨重工業資金部で外債発行と海外資金導入を担い1975年4月にショーボンドへ移った
    • [8]桧垣茂は石川島播磨重工業資金部で外債発行と海外資金導入を担い1975年4月にショーボンドへ移った
    • [9]1992年4月に上田昭が会長へ退き桧垣茂が社長に就任した
    • [10]上田昭は65歳になったら第一線を引くという自己の哲学によって会長へ退いた
    • [11]会社が一人で引っぱっていける規模でなくなったとして経営を組織管理へ移す方針を示した
    • [12]社員が何でも言えて何でもやれるバイタリティのある会社にし向う傷は問わないという経営方針
  • 実業往来 1997年6月号
    • [3]ゼネコン・橋梁会社経由の間接受注を含め完成工事高の9割以上が官公庁・特に地方自治体からの発注
    • [5]顧客の約9割が官公庁のため不況時に補正予算等で公共支出が増えると受注が増える企業体質
    • [15]47都道府県すべてに営業所を置いていた
  • 投資月報 1994年6月号
    • [13]橋梁補修市場は1件当りの工事金額が小さく需要が全国に広がって件数が多いニッチ市場
    • [16]全国60箇所に事業所を設けていた
    • [17]全国60の事業所が橋梁の架設時期・補修の履歴などのデータを保有していた
    • [18]橋梁データベースからどの橋梁がいつ補修時期を迎えるか判断し提案型営業に結び付けていた
    • [19]発注サイドでは過去にどのような工事実績があったかが工事発注の重要な判断材料となる
    • [20]施工実績は過去5年間で3万件に及び2番手企業の売上規模は当社の10分の1程度だった
  • 日経ビジネス 1995年10月2日号
    • [14]1987年の1件平均の売上高は250万円だった

1992年〜純利益管理という管理会計が60営業所へ移管した採算の責任

補修工事は金額が小さく件数が多いため、段取りの良し悪しが採算を大きく左右した。ショーボンド建設は全国60人の営業所長に、営業所の利益管理そのものを任せた。社内で純利益管理と呼ばれた仕組みでは、営業所ごとに管理会計上の損益計算書と貸借対照表を持ち、所長が期初に直接人件費などの総費用と、売上高に応じた工事費・原材料費を見積もって純利益の計画を立てた。営業所を統括する支店と本社の人件費も各営業所へ配賦されたが、その配賦費は営業所の人件費に連動していた。福島営業所が属する東北支社管内の6営業所では、人件費1,000円に対して本社配賦費410円、支店配賦費890円というレートが設定されていた。

  • 投資月報 1994年6月号
    • [21]補修工事は金額が小さく件数が多いためいかに段取りよく施工するかが採算に大きく影響した
  • 日経ビジネス 1995年10月2日号
    • [22]全国60人の営業所長に営業所の利益管理を任せていた
    • [23]社内で純利益管理と呼ぶ仕組みで営業所ごとに管理会計上の損益計算書と貸借対照表を持たせた
    • [24]営業所長は期初に直接人件費など総費用と売上高に応じた工事費・原材料費から純利益の計画を立てた
    • [25]支店と本社の人件費も各営業所へ配賦され配賦費は営業所の人件費に連動していた
    • [26]東北支社管内6営業所では人件費1,000円に対し本社配賦費410円・支店配賦費890円のレートが設定されていた

ショーボンド建設は、営業所の情報を原則として全面的に開示する仕組みを取っていた。拠点ごとに独立採算を敷くと、拠点どうしが同じ客を取り合う争いが起きやすく、それを防ぐための措置である。営業所ごとの損益計算書と貸借対照表は純利益とともに冊子にまとめて、すべての営業所長に配られ、所長の賞与の算定式も明かされていたため、誰がいくら得たかを所長どうしがおおよそ知り得た。工事実績はデータベースで共有され、他支店の施工情報も参照できた。営業所間の仕事や協力会社の割り振りは、同じ支店の所長が集まる会議で、顧客満足度が最も高くなる基準に従って決められた。1992年には福島営業所長が、磐越自動車道と東北自動車道が交わる郡山市への移転を提案し、県庁所在地を離れる案に本社が強く反対したにもかかわらず、現場の意見を第一に置く原則に沿って認められている。

  • 日経ビジネス 1995年10月2日号
    • [27]営業所間の競争を避けるためすべての営業所の情報を原則すべてオープンにしていた
    • [28]営業拠点ごとの独立採算制は拠点間で同じ顧客を取り合う競争を招きやすい
    • [29]純利益だけでなく各営業所の損益計算書と貸借対照表が冊子にまとめられ全営業所長へ届いた
    • [30]所長のボーナスの算定方式も公開されどの所長がどれだけ受け取ったか互いにほぼ分かった
    • [32]所長会議で営業所間の仕事と下請協力会社の調節を行い基準は顧客満足度を最も高めることに置いた
    • [33]福島営業所長が福島市から40km南の郡山市への営業所移転を提案し本社の強い反対を受けたが現場の意見を第一にする分権化のルールにより認められた
  • 投資月報 1994年6月号
    • [31]全国の施工実績をデータベース化し他の支店が実施した工事の情報も活用できた

新築と違い、補修工事は現場ごとに内容が異なり、決まった工程の繰り返しがきかない。工事の中身に合わせてそのつど別職種の下請工を呼べば、人件費は手配の回数に応じて膨らむ。そこでショーボンド建設は、下請協力会社の作業員を多能工に育てる方針をとった。ジョイントの交換、鉄部の修理、ペンキ塗りまでを1人で担えるよう教え込み、工事のたびに人を手配する回数を減らした。専属の協力会社は200社超にのぼり、この施工体制の構築には30年以上が費やされている。営業所の貸借対照表には、工事代金の未回収分が売掛金、原料在庫が棚卸資産として載り、それに見合う資金には社内金利が課された。そのため所長は、協力会社の統合と資金繰りにも気を配る必要があった。

  • 日経ビジネス 1995年10月2日号
    • [34]構造物を新築するのと異なり補修工事は一つひとつがすべて違う
    • [35]通常の土木会社が補修工事を受注すると作業に応じて下請工を都度頼む必要がありコスト差が大きい
    • [36]下請協力会社の作業員の多能工化に取り組んだ
    • [37]1人でジョイントから鉄部の修理・ペンキ塗りまでこなせるよう教育していった
    • [39]未回収の工事代金は営業所の貸借対照表に売掛金・原料在庫は棚卸資産として計上され資金に社内金利が発生した
    • [40]直接原価である協力会社の工事代を圧縮するため営業所長は協力会社の統合や資金繰りにも目を配った
  • 投資月報 1994年6月号
    • [38]200社を超す専属の協力会社を有し施工体制は30年以上にわたって築かれた
参考文献[21]-[40]
  • 投資月報 1994年6月号
    • [21]補修工事は金額が小さく件数が多いためいかに段取りよく施工するかが採算に大きく影響した
    • [31]全国の施工実績をデータベース化し他の支店が実施した工事の情報も活用できた
    • [38]200社を超す専属の協力会社を有し施工体制は30年以上にわたって築かれた
  • 日経ビジネス 1995年10月2日号
    • [22]全国60人の営業所長に営業所の利益管理を任せていた
    • [23]社内で純利益管理と呼ぶ仕組みで営業所ごとに管理会計上の損益計算書と貸借対照表を持たせた
    • [24]営業所長は期初に直接人件費など総費用と売上高に応じた工事費・原材料費から純利益の計画を立てた
    • [25]支店と本社の人件費も各営業所へ配賦され配賦費は営業所の人件費に連動していた
    • [26]東北支社管内6営業所では人件費1,000円に対し本社配賦費410円・支店配賦費890円のレートが設定されていた
    • [27]営業所間の競争を避けるためすべての営業所の情報を原則すべてオープンにしていた
    • [28]営業拠点ごとの独立採算制は拠点間で同じ顧客を取り合う競争を招きやすい
    • [29]純利益だけでなく各営業所の損益計算書と貸借対照表が冊子にまとめられ全営業所長へ届いた
    • [30]所長のボーナスの算定方式も公開されどの所長がどれだけ受け取ったか互いにほぼ分かった
    • [32]所長会議で営業所間の仕事と下請協力会社の調節を行い基準は顧客満足度を最も高めることに置いた
    • [33]福島営業所長が福島市から40km南の郡山市への営業所移転を提案し本社の強い反対を受けたが現場の意見を第一にする分権化のルールにより認められた
    • [34]構造物を新築するのと異なり補修工事は一つひとつがすべて違う
    • [35]通常の土木会社が補修工事を受注すると作業に応じて下請工を都度頼む必要がありコスト差が大きい
    • [36]下請協力会社の作業員の多能工化に取り組んだ
    • [37]1人でジョイントから鉄部の修理・ペンキ塗りまでこなせるよう教育していった
    • [39]未回収の工事代金は営業所の貸借対照表に売掛金・原料在庫は棚卸資産として計上され資金に社内金利が発生した
    • [40]直接原価である協力会社の工事代を圧縮するため営業所長は協力会社の統合や資金繰りにも目を配った

1995年〜阪神・淡路大震災後の耐震補強への予算集中と、売上981億円の裏で薄れた採算

1995年1月17日に阪神・淡路大震災が発生し、高速道路の高架橋が倒壊するなど社会インフラに大きな被害が出た。一方で、震災の直前にショーボンド建設が補強を施していた橋脚には被害がなく、その耐震補強工法が注目された。阪神高速道路や東海道新幹線といった基幹の構造物を含め、阪神地域各地の復旧と復興に携わった。震災を境に橋梁の耐震性を見直す気運が高まり、予算がその分野へ重点的に配分されるようになった。高速道路の橋脚の耐震工事は建設省主導のもと、1995年度から3年計画で大々的に進められ、高速道路の継ぎ目補修など橋梁上部を主体としてきた受注の中身を入れ替えた。

  • ショーボンド統合報告書2025
    • [41]1995年1月17日の阪神・淡路大震災で高速道路の高架橋が倒壊するなど社会インフラに多大な被害が出た
    • [42]震災直前に補強を施していた橋脚には被害がなく同社の耐震補強工法が注目された
    • [43]阪神高速道路や東海道新幹線など重要インフラ構造物を含め阪神エリア各地の復旧・復興に携わった
  • 実業往来 1997年6月号
    • [44]阪神大震災後に橋梁の耐震性の見直し気運が高まり予算が重点的に配分されるようになった
    • [45]高速道路の橋脚の耐震工事は建設省主導で1995年度から3年計画で大々的に行われた
    • [46]従来は高速道路の継ぎ目補修など橋梁上部工事が主体だった

1996年6月、ショーボンド建設は埼玉県大宮市の研究所を茨城県つくば市へ移し、補修工学研究所として新設した。敷地は約2万1千平方メートルで、大型実験棟・移動載荷試験棟・供試体製作棟の3棟に、材料研究を主とする研究棟と本館を加えた。実際の構造物へ適用できる技術を開発するため、各種の大型実験装置と環境条件設定装置を備えた。震災後の需要が耐震分野へ集中するなかで、ここでは耐震デバイスの開発に力を注ぎ、緩衝チェーンなどの新製品が生まれた。1975年の分社以来、材料の開発から工事材料の供給、施工までを自社で担ってきた会社にとって、研究所の移転は補修専業のまま需要の中身の変化へ応じる手だてだった。

  • 有価証券報告書
    • [47]1996年6月に研究所を埼玉県大宮市から茨城県つくば市へ移転し名称を補修工学研究所とした
  • 実業往来 1997年6月号
    • [48]補修工学研究所は約2万1千平方メートルの敷地に大型実験棟・移動載荷試験棟・供試体製作棟の3棟と研究棟・本館で構成された
    • [49]実構造物へ適用できる技術の開発のため各種大型実験装置と環境条件設定装置を設置した
  • ショーボンド統合報告書2025
    • [50]1996年夏に完成した補修工学研究所で耐震デバイス関係の開発に注力し緩衝チェーンなどの新製品が生まれた

1996年12月の中間期における橋脚工事の売上は118億円・構成比34.6%となり、前年同期の約20億円・構成比10.4%から6倍近くへ膨らんだ。施工能力が追い付かず、受注残高は前期初の180億円から今期初の456億円、中間期には566億円まで積み上がった。1996年6月期まで5期連続で最高益を更新しており、売上高は1995年6月期の533億円から1997年6月期には981億円へ達した。一方で完成工事高総利益率は4%低下し、ゼネコンや橋梁会社の子会社の参入によって工事採算は悪化していた。橋脚工事の発注増は3年計画に伴う一時的なものと見る向きが強く、下期以降の反動減が予想された。災害が作った需要の山に施工体制を合わせるか、山が引いた後の水準に合わせるかという判断を、この時点のショーボンド建設は保留していた。

  • 実業往来 1997年6月号
    • [51]1997年6月期中間期の橋脚工事売上は118億円・構成比34.6%で前中間期の約20億円・構成比10.4%から約6倍に増えた
    • [52]受注残高は前期初180億円から今期初456億円・中間期には566億円まで膨らんだ
    • [53]1996年6月期まで5期連続で最高益を記録していた
    • [56]ゼネコンの参入による競争激化で工事採算が悪化し完成工事高総利益率は4%低下した
    • [57]橋脚工事発注の急増は一時的なものとの見方が強く下期以降は反動で受注減が予想された
  • 日経ビジネス 1995年10月2日号
    • [54]1995年6月期の売上高は533億円・経常利益は47億円だった
  • ショーボンド統合報告書2025
    • [55]耐震補強工事の増加により1997年6月期の売上高は981億円に達した
参考文献[41]-[57]
  • ショーボンド統合報告書2025
    • [41]1995年1月17日の阪神・淡路大震災で高速道路の高架橋が倒壊するなど社会インフラに多大な被害が出た
    • [42]震災直前に補強を施していた橋脚には被害がなく同社の耐震補強工法が注目された
    • [43]阪神高速道路や東海道新幹線など重要インフラ構造物を含め阪神エリア各地の復旧・復興に携わった
    • [50]1996年夏に完成した補修工学研究所で耐震デバイス関係の開発に注力し緩衝チェーンなどの新製品が生まれた
    • [55]耐震補強工事の増加により1997年6月期の売上高は981億円に達した
  • 実業往来 1997年6月号
    • [44]阪神大震災後に橋梁の耐震性の見直し気運が高まり予算が重点的に配分されるようになった
    • [45]高速道路の橋脚の耐震工事は建設省主導で1995年度から3年計画で大々的に行われた
    • [46]従来は高速道路の継ぎ目補修など橋梁上部工事が主体だった
    • [48]補修工学研究所は約2万1千平方メートルの敷地に大型実験棟・移動載荷試験棟・供試体製作棟の3棟と研究棟・本館で構成された
    • [49]実構造物へ適用できる技術の開発のため各種大型実験装置と環境条件設定装置を設置した
    • [51]1997年6月期中間期の橋脚工事売上は118億円・構成比34.6%で前中間期の約20億円・構成比10.4%から約6倍に増えた
    • [52]受注残高は前期初180億円から今期初456億円・中間期には566億円まで膨らんだ
    • [53]1996年6月期まで5期連続で最高益を記録していた
    • [56]ゼネコンの参入による競争激化で工事採算が悪化し完成工事高総利益率は4%低下した
    • [57]橋脚工事発注の急増は一時的なものとの見方が強く下期以降は反動で受注減が予想された
  • 有価証券報告書
    • [47]1996年6月に研究所を埼玉県大宮市から茨城県つくば市へ移転し名称を補修工学研究所とした
  • 日経ビジネス 1995年10月2日号
    • [54]1995年6月期の売上高は533億円・経常利益は47億円だった

筆者考察

ショーボンド建設が1987年からの十余年で伸びたのは、補修という市場を新しく作ったからではない。他社が採算を確保できない受注の形で、採算を確保したからである。1件250万円という工事は、作業に応じて職種の異なる下請を都度手配すれば人件費だけで消えてしまう。47都道府県のすべてに営業所を置き、専属の協力会社200社超の作業員を多能工に育て、営業所ごとに損益計算書と貸借対照表を持たせたのは、この一件あたりの薄さへの答えだった。東証二部から一部へ移った時期は地価と株価の上昇期に重なるが、上田昭社長も後を継いだ桧垣茂氏も資金を資産運用に充当せず、受注の9割以上を占める官公庁工事に張り続けた。

阪神・淡路大震災は、補修を売り物にしてきた会社にとって、需要の中身を入れ替える出来事だった。震災前のショーボンド建設は高速道路の継ぎ目補修など橋梁上部の工事が主体で、橋脚工事は中間期売上の1割にすぎない。それが建設省の3年計画で予算が耐震へ寄ると、橋脚工事は3割半ばへ跳ね、受注残高は1年半で180億円から566億円へ積み上がった。売上高も1995年6月期の533億円から1997年6月期には981億円へ達している。だが同じ時期に完成工事高総利益率は4%下がっていた。災害が呼び込んだのは需要だけでなく、ゼネコンと橋梁会社の子会社という新しい競争相手でもあった。

ショーボンド建設の受注残高 1995年7月から1996年12月まで(億円)

180 95年7月 456 96年7月 566 96年12月
  • 出所は実業往来 1997年6月号。1997年6月期中間決算の発表時点で示された数字。

1987年〜1999年の業績

決算期 区分 売上高 営業利益経常利益純利益 主な投資
億円 YoY 億円 億円 利益率 億円
1987年06月期 単体 253 n/a 15 16 6.5% 7 n/a
1988年06月期 単体 283 +11.5% 18 21 7.6% 8 n/a
1989年06月期 単体 309 +9.4% 14 24 7.9% 10 n/a
1990年06月期 単体 338 +9.3% 15 20 5.9% 8 n/a
1991年06月期 単体 377 +11.7% 18 21 5.6% 8 n/a
1992年06月期 単体 406 +7.5% 24 25 6.2% 9 n/a
1993年06月期 単体 447 +10.1% 34 32 7.3% 14 n/a
1994年06月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1995年06月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1996年06月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1997年06月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1998年06月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1999年06月期 連結 814 n/a 69 75 9.2% 28 n/a

出所:投資月報 45(6)、平成12年6月期決算短信

出典・参考

6件
出典・参考
  • ショーボンド統合報告書2025
  • 有価証券報告書
  • 道路建設 1993年2月号
  • 投資月報 1994年6月号
  • 日経ビジネス 1995年10月2日号
  • 実業往来 1997年6月号

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