日本ビクター:430億円の最終赤字からJVC・ケンウッド・HD設立へ
4つの中期計画と350億円の第三者割当増資、JVC・ケンウッド・ホールディングスの設立
1993年〜新風事業と3,000人の削減、松下電器出身の守随武雄社長
1993年3月期、日本ビクターの単体売上高は前期比15.4%減の5131億6200万円に減少した。経常損益は261億2600万円の赤字となり、1960年の上場以来初めて配当を見送った。赤字の穴を埋めてきた特許収入も、頂点の166億円から1992年度は122億円へ減っていた。前年8月の再建策に沿って国内外の在庫を1年で640億円分処分し、出向と契約社員の雇い止めを含めて3,000人を減らした。VTRの組立は横須賀と横浜の2工場へ寄せ、ドイツのオーディオテープ工場を閉じ、ハードディスク駆動装置からも退いた。ドイツの工場清算に伴う税の負担は、5年後の1998年3月期まで尾を引いた。
- 日経ビジネス 1993年6月14日号
- [1]1992年度(1993年3月期)の売上高は15.4%減の5131億6200万円
- [2]1992年度の経常損益は261億2600万円の赤字で、1960年の上場以来初の無配に転落
- [3]VHS関連の特許収入は88年度の166億円をピークに92年度は122億円に減少
- [4]在庫を92年3月から1年で国内外計640億円減らし、3月末までに出向・自然減・契約社員の更新見送りで計3000人減らして1万5000人体制とした
- [5]VTR工場を横須賀・横浜の2工場に集約、ドイツのオーディオテープ工場を廃止、1993年5月にハードディスク駆動装置事業から撤退
- 日本ビクター アニュアルレポート 1998「To Our Stockholders and Friends」
- [6]1998年3月期の最終赤字の一因は、1993年にドイツのテープ製造会社を清算したことに伴う繰延税金の支払い
1990年に就任した坊上卓郎社長は、事業本部ごとに分かれていた研究から製品化の近い題目を選び、社長直属の新風事業として開発の優先権を与えた。1992年10月に売り出したDVカラオケは、動画をCDに収める方式で、発売から半年で約1万2000台を納めた。米ヒューズエアクラフトと共同で開発した業務用ILAプロジェクターは、1台1800万円で国内に投入された。ILAはその後、大画面の投写機で大きなシェアを握る製品へ育った。一方、セガと組んだゲーム機ワンダーメガは価格と小型化で評価を得られなかったという。弱みの実装技術を補うため、1993年6月から松下電器の生産技術研究所の技術者を横浜工場へ迎えた。
- 日経ビジネス 1993年6月14日号
- [7]坊上社長は就任後、製品化の可能性のある技術を社長直属プロジェクト「新風事業」として開発の最優先権を与えた
- [8]DVカラオケは画像圧縮技術でCDに74分の動画を記録、1992年10月1日発売、3月末までに約1万2000台を納入
- [9]ILAスーパープロジェクターはヒューズエアクラフト社と共同開発、日本では1台1800万円で1993年夏から発売
- [11]ワンダーメガは商品企画が甘く価格が高く小型化も不十分だったと業界関係者が指摘
- [12]横浜工場に1993年6月から松下の生産技術研究所の技術者4〜5人を派遣してもらい、実装基板の技術修得を目指す
- 日本ビクター アニュアルレポート 1998「To Our Stockholders and Friends」
- [10]ILAプロジェクターシステムは大画面市場で圧倒的なシェアを持つ
1994年6月、松下電器産業で台湾松下の総経理などを務めた守随武雄氏が社長に就任した。内部から昇格した社長が15年続いた後の、親会社からの起用だった。就任時には経常赤字から抜け出す見通しが立っており、守随氏は技術主導でコスト意識が浸透していない点を課題に挙げた。連結の最終損益は1995年3月期に5億9100万円の黒字に転じ、1997年3月期には45億8600万円まで持ち直した。1995年10月にはシンガポールにアジア・中近東の本社機能を担うJVC ASIAを置き、海外を地域ごとに任せる体制づくりに入った。開発への自負を収益へつなぐ仕組みを、親会社から来た社長のもとで組み直す段階に入った。
- 日経ビジネス 1994年9月19日号
- [13]守随武雄は1961年松下電器産業入社、1988年台湾松下電器総経理、1993年取締役を経て1994年6月に日本ビクター社長に就任
- [14]守随氏の就任は、15年間続いた生え抜き政権の後を継ぐものだった
- [15]経常赤字脱却のめどがついたが、技術主導でまだコスト意識が徹底していないと守随氏は見ており、製造と販売の連携を目指す
- 日本ビクター アニュアルレポート 1999「Five-Year Summary」
- [16]連結当期純利益は1995年3月期591百万円、1996年3月期4,343百万円、1997年3月期4,586百万円
- 日本ビクター 有価証券報告書 第120期(2009年3月期)【沿革】
- [17]1995年10月、シンガポールにアジア・中近東地域の本社機能をもつ拠点としてJVC ASIA Pte. Ltd.を設置
参考文献[1]-[17]
- 日経ビジネス 1993年6月14日号
- [1]1992年度(1993年3月期)の売上高は15.4%減の5131億6200万円
- [2]1992年度の経常損益は261億2600万円の赤字で、1960年の上場以来初の無配に転落
- [3]VHS関連の特許収入は88年度の166億円をピークに92年度は122億円に減少
- [4]在庫を92年3月から1年で国内外計640億円減らし、3月末までに出向・自然減・契約社員の更新見送りで計3000人減らして1万5000人体制とした
- [5]VTR工場を横須賀・横浜の2工場に集約、ドイツのオーディオテープ工場を廃止、1993年5月にハードディスク駆動装置事業から撤退
- [7]坊上社長は就任後、製品化の可能性のある技術を社長直属プロジェクト「新風事業」として開発の最優先権を与えた
- [8]DVカラオケは画像圧縮技術でCDに74分の動画を記録、1992年10月1日発売、3月末までに約1万2000台を納入
- [9]ILAスーパープロジェクターはヒューズエアクラフト社と共同開発、日本では1台1800万円で1993年夏から発売
- [11]ワンダーメガは商品企画が甘く価格が高く小型化も不十分だったと業界関係者が指摘
- [12]横浜工場に1993年6月から松下の生産技術研究所の技術者4〜5人を派遣してもらい、実装基板の技術修得を目指す
- 日本ビクター アニュアルレポート 1998「To Our Stockholders and Friends」
- [6]1998年3月期の最終赤字の一因は、1993年にドイツのテープ製造会社を清算したことに伴う繰延税金の支払い
- [10]ILAプロジェクターシステムは大画面市場で圧倒的なシェアを持つ
- 日経ビジネス 1994年9月19日号
- [13]守随武雄は1961年松下電器産業入社、1988年台湾松下電器総経理、1993年取締役を経て1994年6月に日本ビクター社長に就任
- [14]守随氏の就任は、15年間続いた生え抜き政権の後を継ぐものだった
- [15]経常赤字脱却のめどがついたが、技術主導でまだコスト意識が徹底していないと守随氏は見ており、製造と販売の連携を目指す
- 日本ビクター アニュアルレポート 1999「Five-Year Summary」
- [16]連結当期純利益は1995年3月期591百万円、1996年3月期4,343百万円、1997年3月期4,586百万円
- 日本ビクター 有価証券報告書 第120期(2009年3月期)【沿革】
- [17]1995年10月、シンガポールにアジア・中近東地域の本社機能をもつ拠点としてJVC ASIA Pte. Ltd.を設置
1995年〜ビクター・ビジョンとRe-Value 21、5極の地域統括会社
1998年3月期を最終年度とする3カ年計画「ビクター・ビジョン」は、値下がりの続く従来型のAV機器に頼らない収益構造を目標に置いた。デジタルビデオカメラやMD、ハイビジョンテレビなどの新AV商品は、民生機器の売上に占める比率を14%から16%へ上げた。最終年度の連結売上高は9163億600万円と2.9%増えたが、国内は3.9%減り、伸びたのは8.6%増の海外だった。製品の値下がりで営業利益は100億3300万円と12.9%減った。フランスの工場清算などの特別損失も重なり、最終損益は47億300万円の赤字に転じた。計画は業績を底から戻したものの、稼ぐ力を立て直すところまでは届かなかった。
- 日本ビクター アニュアルレポート 1998「To Our Stockholders and Friends」
- [18]3カ年計画「ビクター・ビジョン」は1998年3月期に最終年度を迎え、価格下落が避けられない従来型AV機器に過度に依存しない事業構造の構築を進めた
- [19]デジタルビデオカメラ・MD・HDTVなどの新AV商品の民生用機器売上に占める比率は前期の14%から16%に上昇
- [20]1998年3月期の連結売上高は2.9%増の9163億600万円、国内売上は3.9%減、海外売上は8.6%増
- [21]製品価格の下落で営業利益は12.9%減の100億3300万円
- 日本ビクター アニュアルレポート 1999「Five-Year Summary」
- [22]1998年3月期はフランスの工場清算損などの特別損失により、連結で47億300万円の当期純損失
1998年1月に発表した後継計画「Re-Value 21」は、2001年3月までに戦略事業の強化とグローバル化、構造改革を進める内容だった。日本・米州・欧州・アジア・中国の5極に、開発から販売までを現地で立案する経営陣を置いた。1997年6月の米州統括会社に続き、1998年4月にはロンドンにJVC Europeを設け、海外の統括会社は4社となった。為替に左右されない体制を目指し、海外生産比率は36%から41%へ上がった。放送のデジタル化に向けては、VHSを土台にした業務用のDigital-Sが米Foxテレビや英BBCに採用された。家庭用では1997年秋に米国でデジタル記録のD-VHS規格を発表した。
- 日本ビクター アニュアルレポート 1998「To Our Stockholders and Friends」
- [23]1998年1月、2001年3月までの3カ年計画「Re-Value 21」を発表。戦略事業の強化、グローバル化、リストラクチャリングを進める
- [24]日本・米州・欧州・アジア・中国の5極それぞれに、開発・生産・販売を総合的に立案する現地経営陣を置く
- [26]海外生産比率は前期の36%から41%に、現地調達比率は23%から24%に上昇
- [27]VHSフォーマットを基に開発した業務用Digital-Sが米Fox Televisionや英BBCで採用
- [28]1997年秋に米国でD-VHS規格を発表
- 日本ビクター 有価証券報告書 第120期(2009年3月期)【沿革】
- [25]1997年6月にJVC Americas Corp.、1998年4月にJVC Europe Limitedをそれぞれ地域統括会社として設置
1999年3月期は83億1500万円の最終赤字となり、守随氏は固定費と在庫をともに1割以上減らす方針を打ち出した。映画の権利取得を担った米子会社ラルゴ・エンタテインメントは1999年4月に大きく縮めた。同年11月にはテイチクへ資本参加し、音楽ソフトの品揃えを厚くした。2000年3月期は売上高9500億円、最終黒字45億円を目標に掲げた。実績は売上高8702億3500万円と前期から8.1%減り、最終損益は53億4100万円の赤字に終わった。守随氏は業務用・部品・ソフトへ比重を移そうとしたが、それらの伸びが止まり、民生機器頼みの収益構造はほぼ変わらなかったと認めた。
- 日本ビクター アニュアルレポート 1999「Five-Year Summary」
- [29]1999年3月期の連結当期純損失は83億1500万円
- 日本ビクター アニュアルレポート 1999「President’s Message」
- [30]1999年4月、映画権利取得事業をJVC Entertainment, Inc.へ移し、全額出資子会社Largo Entertainment Inc.を大幅に縮小
- [32]2000年3月期の目標は連結売上高9500億円・当期純利益45億円
- 日本ビクター 有価証券報告書 第120期(2009年3月期)【沿革】
- [31]1999年11月、テイチク株式会社に資本参加
- 日本ビクター アニュアルレポート 2000「President’s Message」
- [33]2000年3月期の実績は連結売上高8702億3500万円(前期比8.1%減)、営業損失80億1900万円、当期純損失53億4100万円
- [34]民生用機器では高収益確保が難しいとして業務用システム・部品・ソフトの拡大で事業構造を組み替える方針だったが、その成長が停滞し民生機器に依存する収益構造は実質的に変わらなかった
参考文献[18]-[34]
- 日本ビクター アニュアルレポート 1998「To Our Stockholders and Friends」
- [18]3カ年計画「ビクター・ビジョン」は1998年3月期に最終年度を迎え、価格下落が避けられない従来型AV機器に過度に依存しない事業構造の構築を進めた
- [19]デジタルビデオカメラ・MD・HDTVなどの新AV商品の民生用機器売上に占める比率は前期の14%から16%に上昇
- [20]1998年3月期の連結売上高は2.9%増の9163億600万円、国内売上は3.9%減、海外売上は8.6%増
- [21]製品価格の下落で営業利益は12.9%減の100億3300万円
- [23]1998年1月、2001年3月までの3カ年計画「Re-Value 21」を発表。戦略事業の強化、グローバル化、リストラクチャリングを進める
- [24]日本・米州・欧州・アジア・中国の5極それぞれに、開発・生産・販売を総合的に立案する現地経営陣を置く
- [26]海外生産比率は前期の36%から41%に、現地調達比率は23%から24%に上昇
- [27]VHSフォーマットを基に開発した業務用Digital-Sが米Fox Televisionや英BBCで採用
- [28]1997年秋に米国でD-VHS規格を発表
- 日本ビクター アニュアルレポート 1999「Five-Year Summary」
- [22]1998年3月期はフランスの工場清算損などの特別損失により、連結で47億300万円の当期純損失
- [29]1999年3月期の連結当期純損失は83億1500万円
- 日本ビクター 有価証券報告書 第120期(2009年3月期)【沿革】
- [25]1997年6月にJVC Americas Corp.、1998年4月にJVC Europe Limitedをそれぞれ地域統括会社として設置
- [31]1999年11月、テイチク株式会社に資本参加
- 日本ビクター アニュアルレポート 1999「President’s Message」
- [30]1999年4月、映画権利取得事業をJVC Entertainment, Inc.へ移し、全額出資子会社Largo Entertainment Inc.を大幅に縮小
- [32]2000年3月期の目標は連結売上高9500億円・当期純利益45億円
- 日本ビクター アニュアルレポート 2000「President’s Message」
- [33]2000年3月期の実績は連結売上高8702億3500万円(前期比8.1%減)、営業損失80億1900万円、当期純損失53億4100万円
- [34]民生用機器では高収益確保が難しいとして業務用システム・部品・ソフトの拡大で事業構造を組み替える方針だったが、その成長が停滞し民生機器に依存する収益構造は実質的に変わらなかった
2000年〜創生21・躍進21の2計画と350億円の第三者割当、JVC・ケンウッド・ホールディングス
2000年4月、AV・マルチメディアや部品・デバイスなど4つの社内カンパニーを設け、開発から販売までの権限を各カンパニーへ移した。守随氏は2003年3月期に連結売上高1兆円を掲げ、営業利益を民生・部品・エンタテインメントで3割ずつ稼ぐ構成を描いた。同年10月には、松下電器と独立して競う従来の方針を改め、松下グループとの協業を検討すると表明した。2001年6月に社長を継いだ寺田雅彦氏は、同年4月に始まった「創生21計画」で営業利益率3.9%を目標に据えた。しかし2002年3月期は営業損益121億円、最終損益446億円の赤字となり、寺田氏は計画と実態の乖離を認めた。
- 日本ビクター 有価証券報告書 第120期(2009年3月期)【沿革】
- [35]2000年4月にカンパニー制を導入
- 日本ビクター アニュアルレポート 2000「President’s Message」
- [36]各カンパニーに開発・生産・販売の広い権限を移譲。社内カンパニーとしてAV & Multimedia、Components and Device、Entertainment Software、Media Productsの各カンパニーを設置。2003年3月期に連結売上高1兆円、営業利益を民生・部品・エンタテインメントで各30%、業務用で10%とする目標
- 日本ビクター 2001年3月期 中間決算報告書(2000年10月30日)「企業集団の状況」
- [37]「競争を通じて相互発展」の考え方で独立した経営方針をとってきたが、今後は松下グループとの協業を検討する
- 日本ビクター アニュアルレポート 2002「NEW CHALLENGES」
- [38]2004年3月期を最終年度とする「創生21計画」の目標は営業利益率3.9%、資本収益性ゼロ以上
- 日本ビクター アニュアルレポート 2002「お客様、従業員そして株主の皆様へ」
- [39]2002年3月期は営業段階で121億円の損失、最終損益は446億円の損失。2001年6月の社長就任後、2001年4月開始の「創生21計画」が実体と乖離している現実を直視すると寺田社長が表明
寺田氏はまず、在庫を積んで工場の稼働益を出す循環を断ち、2002年3月期に総資産を733億円圧縮した。拠点は37から30へ減り、製品はフルラインをやめてビデオカメラ・ディスプレイ・DVDに絞った。最終損益は2003年3月期に63億3500万円の黒字に転じ、翌期の営業利益も13%伸びた。2004年1月の「躍進21計画」は、2007年3月期に売上高1兆1000億円、営業利益550億円を目標とした。ところが2006年3月期の売上高は8068億9900万円にとどまり、最終損益は306億700万円の赤字となった。上期の悪化を受けて2005年11月にカンパニー制を解き、小さな事業グループへ組み替えた。
- 日本ビクター アニュアルレポート 2002「お客様、従業員そして株主の皆様へ」
- [40]2002年3月期の総資産圧縮額は733億円。在庫によって稼動益を出す負のサイクルを断ち切ることを優先
- 日本ビクター アニュアルレポート 2003
- [41]拠点を37から30に整理・統合。フルラインの品揃えを改め、ビデオカメラ・ディスプレイ・DVDデッキを中核製品とした
- 日本ビクター 有価証券報告書 第117期(2006年3月期)【主要な経営指標等の推移】
- [42]2003年3月期の連結当期純利益は6,335百万円
- [44]2006年3月期の連結売上高は806,899百万円、当期純損失は30,607百万円
- 日本ビクター「“躍進21計画”の概要について」(2004年1月28日)
- [43]「躍進21計画」の2006年度の経営指標は売上高1兆1,000億円、営業利益550億円(5.0%)
- 日本ビクター 2006年3月期 中間決算報告書(決算短信・2005年10月27日)「経営方針」
- [45]2005年度上半期の業績悪化に伴い、事業カンパニー制を解消してより小規模な事業グループへ再編
2007年3月期も78億9100万円の最終赤字となり、会社は創業80周年の年を自主再建の元年と位置付けた。同年6月には欧州カンパニーを率いた佐藤国彦氏が社長に就任した。7月にケンウッド、スパークス、松下電器と契約を結び、8月に第三者割当で350億円を調達した。松下電器の議決権比率は52.7%から36.9%へ下がり、親会社ではなくなった。2008年3月にはモータ事業とサーキット事業を手放し、同期の最終赤字は475億2100万円に膨らんだ。5月にケンウッドとの統合契約を結び、9月に上場を廃止して、10月設立のJVC・ケンウッド・ホールディングスの傘下に入った。VHSで世界の標準を握った会社は、規模の小さな同業と持株会社を組み、独立の歴史を閉じた。
- 日本ビクター 有価証券報告書 第118期(2007年3月期)【対処すべき課題】
- [46]2007年3月期の連結当期純損失は7,891百万円。創業80周年を迎える年を自主再建元年にふさわしい年とする
- 日本ビクター 有価証券報告書 第119期(2008年3月期)【役員の状況】
- [47]佐藤国彦は2003年4月欧州カンパニー社長、2007年6月取締役社長
- 日本ビクター 有価証券報告書 第119期(2008年3月期)【経営上の重要な契約等】
- [48]2007年7月24日にケンウッド、スパークス・インターナショナル(ホンコン)、松下電器産業と株式引受契約書・資本業務提携契約書を締結。8月10日に第三者割当増資350億円(新株107,693千株)を実施
- 日本ビクター 有価証券報告書 第119期(2008年3月期)【関係会社の状況】
- [49]松下電器産業の議決権比率は2007年3月末52.7%、2008年3月末36.9%。第三者割当増資により親会社からその他の関係会社に変わった
- 日本ビクター 有価証券報告書 第119期(2008年3月期)【主要な経営指標等の推移】
- [50]2008年3月にモータ事業を日本産業パートナーズ設立の新会社へ、サーキット事業をメイコーへ譲渡。2008年3月期の連結当期純損失は47,521百万円
- 日本ビクター 有価証券報告書 第120期(2009年3月期)【沿革】
- [51]2008年5月にケンウッドとの統合契約を締結、2008年9月に東京・大阪両証券取引所の上場を廃止、10月にケンウッドと共同株式移転でJVC・ケンウッド・ホールディングスを設立
参考文献[35]-[51]
- 日本ビクター 有価証券報告書 第120期(2009年3月期)【沿革】
- [35]2000年4月にカンパニー制を導入
- [51]2008年5月にケンウッドとの統合契約を締結、2008年9月に東京・大阪両証券取引所の上場を廃止、10月にケンウッドと共同株式移転でJVC・ケンウッド・ホールディングスを設立
- 日本ビクター アニュアルレポート 2000「President’s Message」
- [36]各カンパニーに開発・生産・販売の広い権限を移譲。社内カンパニーとしてAV & Multimedia、Components and Device、Entertainment Software、Media Productsの各カンパニーを設置。2003年3月期に連結売上高1兆円、営業利益を民生・部品・エンタテインメントで各30%、業務用で10%とする目標
- 日本ビクター 2001年3月期 中間決算報告書(2000年10月30日)「企業集団の状況」
- [37]「競争を通じて相互発展」の考え方で独立した経営方針をとってきたが、今後は松下グループとの協業を検討する
- 日本ビクター アニュアルレポート 2002「NEW CHALLENGES」
- [38]2004年3月期を最終年度とする「創生21計画」の目標は営業利益率3.9%、資本収益性ゼロ以上
- 日本ビクター アニュアルレポート 2002「お客様、従業員そして株主の皆様へ」
- [39]2002年3月期は営業段階で121億円の損失、最終損益は446億円の損失。2001年6月の社長就任後、2001年4月開始の「創生21計画」が実体と乖離している現実を直視すると寺田社長が表明
- [40]2002年3月期の総資産圧縮額は733億円。在庫によって稼動益を出す負のサイクルを断ち切ることを優先
- 日本ビクター アニュアルレポート 2003
- [41]拠点を37から30に整理・統合。フルラインの品揃えを改め、ビデオカメラ・ディスプレイ・DVDデッキを中核製品とした
- 日本ビクター 有価証券報告書 第117期(2006年3月期)【主要な経営指標等の推移】
- [42]2003年3月期の連結当期純利益は6,335百万円
- [44]2006年3月期の連結売上高は806,899百万円、当期純損失は30,607百万円
- 日本ビクター「“躍進21計画”の概要について」(2004年1月28日)
- [43]「躍進21計画」の2006年度の経営指標は売上高1兆1,000億円、営業利益550億円(5.0%)
- 日本ビクター 2006年3月期 中間決算報告書(決算短信・2005年10月27日)「経営方針」
- [45]2005年度上半期の業績悪化に伴い、事業カンパニー制を解消してより小規模な事業グループへ再編
- 日本ビクター 有価証券報告書 第118期(2007年3月期)【対処すべき課題】
- [46]2007年3月期の連結当期純損失は7,891百万円。創業80周年を迎える年を自主再建元年にふさわしい年とする
- 日本ビクター 有価証券報告書 第119期(2008年3月期)【役員の状況】
- [47]佐藤国彦は2003年4月欧州カンパニー社長、2007年6月取締役社長
- 日本ビクター 有価証券報告書 第119期(2008年3月期)【経営上の重要な契約等】
- [48]2007年7月24日にケンウッド、スパークス・インターナショナル(ホンコン)、松下電器産業と株式引受契約書・資本業務提携契約書を締結。8月10日に第三者割当増資350億円(新株107,693千株)を実施
- 日本ビクター 有価証券報告書 第119期(2008年3月期)【関係会社の状況】
- [49]松下電器産業の議決権比率は2007年3月末52.7%、2008年3月末36.9%。第三者割当増資により親会社からその他の関係会社に変わった
- 日本ビクター 有価証券報告書 第119期(2008年3月期)【主要な経営指標等の推移】
- [50]2008年3月にモータ事業を日本産業パートナーズ設立の新会社へ、サーキット事業をメイコーへ譲渡。2008年3月期の連結当期純損失は47,521百万円
1993年〜2008年の業績
| 決算期 | 区分 | 売上高 | 営業利益 | 経常利益 | 純利益 | 主な投資 | ||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 億円 | YoY | 億円 | 億円 | 億円 | 利益率 | |||
| 1993年03月期 | 連結 | 7,688 | n/a | n/a | n/a | ▲430 | ▲5.6% | n/a |
| 1994年03月期 | 連結 | 7,265 | ▲5.5% | n/a | n/a | ▲195 | ▲2.7% | n/a |
| 1995年03月期 | 連結 | 7,672 | +5.6% | n/a | n/a | 5 | 0.1% | n/a |
| 1996年03月期 | 連結 | 8,065 | +5.1% | n/a | n/a | 43 | 0.5% | n/a |
| 1997年03月期 | 連結 | 8,903 | +10.4% | n/a | n/a | 45 | 0.5% | n/a |
| 1998年03月期 | 連結 | 9,163 | +2.9% | n/a | n/a | ▲47 | ▲0.5% | n/a |
| 1999年03月期 | 連結 | 9,466 | +3.3% | n/a | n/a | ▲83 | ▲0.9% | n/a |
| 2000年03月期 | 連結 | 8,702 | ▲8.1% | n/a | n/a | ▲53 | ▲0.6% | n/a |
| 2001年03月期 | 連結 | 9,343 | +7.4% | n/a | n/a | 24 | 0.3% | n/a |
| 2002年03月期 | 連結 | 9,541 | +2.1% | n/a | ▲156 | ▲445 | ▲4.7% | n/a |
| 2003年03月期 | 連結 | 9,676 | +1.4% | n/a | 173 | 63 | 0.7% | n/a |
| 2004年03月期 | 連結 | 9,219 | ▲4.7% | 252 | 202 | 156 | 1.7% | n/a |
| 2005年03月期 | 連結 | 8,405 | ▲8.8% | 104 | 73 | ▲18 | ▲0.2% | n/a |
| 2006年03月期 | 連結 | 8,068 | ▲4.0% | ▲69 | ▲150 | ▲306 | ▲3.8% | n/a |
| 2007年03月期 | 連結 | 7,426 | ▲8.0% | ▲57 | ▲117 | ▲78 | ▲1.1% | n/a |
| 2008年03月期 | 連結 | 6,584 | ▲11.3% | 33 | ▲80 | ▲475 | ▲7.2% | n/a |
出所:会社年鑑、有価証券報告書
出典・参考
19件
- 日本ビクター アニュアルレポート 1998「To Our Stockholders and Friends」
- 日本ビクター アニュアルレポート 1999「Five-Year Summary」
- 日本ビクター アニュアルレポート 1999「President’s Message」
- 日本ビクター アニュアルレポート 2000「President’s Message」
- 日本ビクター アニュアルレポート 2002「NEW CHALLENGES」
- 日本ビクター アニュアルレポート 2002「お客様、従業員そして株主の皆様へ」
- 日本ビクター アニュアルレポート 2003
- 日本ビクター 有価証券報告書 第117期(2006年3月期)【主要な経営指標等の推移】
- 日本ビクター 2006年3月期 中間決算報告書(決算短信・2005年10月27日)「経営方針」
- 日本ビクター 有価証券報告書 第118期(2007年3月期)【対処すべき課題】
- 日本ビクター 有価証券報告書 第119期(2008年3月期)【役員の状況】
- 日本ビクター 有価証券報告書 第119期(2008年3月期)【経営上の重要な契約等】
- 日本ビクター 有価証券報告書 第119期(2008年3月期)【関係会社の状況】
- 日本ビクター 有価証券報告書 第119期(2008年3月期)【主要な経営指標等の推移】
- 日本ビクター 有価証券報告書 第120期(2009年3月期)【沿革】
- 日経ビジネス 1993年6月14日号
- 日経ビジネス 1994年9月19日号
- 日本ビクター 2001年3月期 中間決算報告書(2000年10月30日)「企業集団の状況」
- 日本ビクター「“躍進21計画”の概要について」(2004年1月28日)