オルガノ:ローム・アンド・ハース提携によるイオン交換樹脂事業の確立
アンバーライト総代理権からモノベッド式装置へ
1946年〜無熱蒸溜水製造装置を元手にした諏訪での発足
終戦でイオン交換樹脂の研究は一時中断したが、陸軍軍医学校薬剤部で主任研究者を務めた丸山正武氏は、その将来性を確信していた。三菱化成工業黒崎工場のイオン交換樹脂ダイヤイオンを買い取り、1945年10月に加田守治氏ら4人と研究を再開した。翌1946年2月に完成した最初の脱塩水製造装置は、セルロイド製の樹脂筒に陽イオン交換樹脂と陰イオン交換樹脂を交互に詰めた毎時40リットルの4筒型であった。その量産と普及のため、加田氏らが戦時中から所有していた山梨化学工業を買収して商号を変え、1946年5月1日、資本金5万円で長野県諏訪に日本オルガノ商会が発足した。イオン交換装置を主な営業品目とする日本で最初の会社であり、社名は当時イオン交換樹脂をオルガニック・ゼオライト、略してオルガノライトと呼んだことに由来する。
- オルガノ35年のあゆみ(オルガノ, 1981)
- [1]創業者・初代社長は丸山正武(陸軍軍医学校薬剤部の主任研究者)
- [2]三菱化成工業黒崎工場のイオン交換樹脂ダイヤイオンA・Kを購入し、加田守治・宮坂良一・野原文治・宮沢常吉らと1945年10月に研究を再開
- [3]1946年2月に最初の4筒型脱塩水製造装置(毎時40リットル、セルロイド製樹脂筒)を完成
- [6]社名は「オルガニック・ゼオライト」(略称オルガノライト)に由来
- オルガノ 有価証券報告書【沿革】
- [4]前身は1941年7月設立の山梨化学工業(戦時下にイオン交換樹脂の応用研究)
- 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
- [5]1946年5月1日、資本金5万円で長野県諏訪市に日本オルガノ商会を設立し、水処理装置の製造販売を開始
発足当初の事務所は、上諏訪町で電気関係と自転車を扱う店の一隅であり、その裏手で滅菌蒸溜水や注射薬の製薬と装置の加工・組立てを行った。イオン交換装置だけでは経営が立たず、塩化カルシウムやぶどう糖の注射薬をアンプルに詰めて売る兼業が当初を支えた。終戦直後の物資不足のなか、丸山社長以下の全役員がリュックサックに樹脂筒を詰めて超満員の列車に乗り込み、東京・大阪・名古屋へ売り込みと集金に歩く『全員セールス、全員製造、全員経理』の時代が続いた。バッテリー用蒸溜水の不足に悩む逓信省が性能試験のうえ1947年に採用を決め、国鉄など各官公庁へ急速に普及したことが転機となり、1948年暮に製薬を中止して、イオン交換樹脂の応用と企業化という設立の目的どおり水処理装置の製造販売へ事業を絞った。
- オルガノ35年のあゆみ(オルガノ, 1981)
- [7]創業当初は上諏訪町の店(屋号・佐寿中)の一隅を借り、裏手で製薬と装置の加工・組立てを実施
- [8]創業時はイオン交換装置だけで経営が立たず、滅菌蒸溜水・塩化カルシウム・ぶどう糖の注射薬をアンプル充填して販売
- [9]丸山社長以下の全役員がリュックサックに樹脂筒を詰めて東京・大阪・名古屋へ売り込みと集金に歩いた
- [10]バッテリー用蒸溜水の不足に悩む逓信省が試験のうえ1947年に採用を決定し、国鉄など各官公庁へ急速に普及
- [11]1948年暮に製薬を中止し、装置メーカーに徹することを決めた
- 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
- [12]イオン交換樹脂の応用および企業化を目的として設立し、水処理装置の製造販売を開始
脱塩水の純度を化学分析で測るのは煩雑で、装置化と量産にはより簡便な判定手段が要った。水の純度が上がるほど導電率が下がる性質を使い、ネオンランプの発光部分が縮むことで樹脂の再生時期を知らせる方式を開発し、1947年12月8日に公告されたこれがオルガノの特許第1号となった。1949年には携帯用電気水質計として実を結んだ。装置そのものも1948年にアクリル樹脂製の樹脂筒へ替わり、毎時25リットル・50リットル・100リットルと種類が標準化され、樹脂を筒から取り出さずコックの操作だけで再生できるようになった。中央官庁との商談が増えるにつれ営業の主な拠点は東京へ移り、1949年1月には東京都千代田区へ営業所を開設した。純度の計測と装置の標準化が揃い、売り歩く商品は一台ごとの手作りから型番のある製品へ変わった。
- オルガノ35年のあゆみ(オルガノ, 1981)
- [13]脱塩水の純度の化学的測定は煩雑で困難だったため、導電率を用いる簡便な判定方式を開発
- [14]ネオンランプの発光部分の縮小で樹脂の再生時期を知らせる連続的蒸溜水純度測定装置が、1947年12月8日公告のオルガノ特許第1号
- [15]1949年に携帯用電気水質計として実用化
- [16]1948年にアクリル樹脂製の樹脂筒を採用し、毎時25・50・100リットルと標準化、コック操作だけで樹脂再生が可能に
- 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
- [17]1949年1月 東京都千代田区に営業所を開設して営業活動を強化
参考文献[1]-[17]
- オルガノ35年のあゆみ(オルガノ, 1981)
- [1]創業者・初代社長は丸山正武(陸軍軍医学校薬剤部の主任研究者)
- [2]三菱化成工業黒崎工場のイオン交換樹脂ダイヤイオンA・Kを購入し、加田守治・宮坂良一・野原文治・宮沢常吉らと1945年10月に研究を再開
- [3]1946年2月に最初の4筒型脱塩水製造装置(毎時40リットル、セルロイド製樹脂筒)を完成
- [6]社名は「オルガニック・ゼオライト」(略称オルガノライト)に由来
- [7]創業当初は上諏訪町の店(屋号・佐寿中)の一隅を借り、裏手で製薬と装置の加工・組立てを実施
- [8]創業時はイオン交換装置だけで経営が立たず、滅菌蒸溜水・塩化カルシウム・ぶどう糖の注射薬をアンプル充填して販売
- [9]丸山社長以下の全役員がリュックサックに樹脂筒を詰めて東京・大阪・名古屋へ売り込みと集金に歩いた
- [10]バッテリー用蒸溜水の不足に悩む逓信省が試験のうえ1947年に採用を決定し、国鉄など各官公庁へ急速に普及
- [11]1948年暮に製薬を中止し、装置メーカーに徹することを決めた
- [13]脱塩水の純度の化学的測定は煩雑で困難だったため、導電率を用いる簡便な判定方式を開発
- [14]ネオンランプの発光部分の縮小で樹脂の再生時期を知らせる連続的蒸溜水純度測定装置が、1947年12月8日公告のオルガノ特許第1号
- [15]1949年に携帯用電気水質計として実用化
- [16]1948年にアクリル樹脂製の樹脂筒を採用し、毎時25・50・100リットルと標準化、コック操作だけで樹脂再生が可能に
- オルガノ 有価証券報告書【沿革】
- [4]前身は1941年7月設立の山梨化学工業(戦時下にイオン交換樹脂の応用研究)
- 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
- [5]1946年5月1日、資本金5万円で長野県諏訪市に日本オルガノ商会を設立し、水処理装置の製造販売を開始
- [12]イオン交換樹脂の応用および企業化を目的として設立し、水処理装置の製造販売を開始
- [17]1949年1月 東京都千代田区に営業所を開設して営業活動を強化
1951年〜アンバーライト総代理権が開いた大型純水の市場
1950年末、米国ローム・アンド・ハース社の新しいスチレン系イオン交換樹脂アンバーライトの輸入許可を取り、翌1951年初めに現物が到着した。同年1月には同社との提携が成立している。京都大学でイオン交換樹脂を6年研究してきた清水博氏が助手1人と混床式の試験に取りかかると、ローム・アンド・ハース社の説明書が毎時16倍としていた通水速度を30倍、50倍へ上げ、水道栓を全開にして100倍を超えても処理水の純度は落ちなかった。この小型試験装置が、後の標準型小型モノベッド式純水製造装置の原型となった。同年4月には東京都文京区本郷の菊富士ホテル戦災跡地を社員が自ら整地して東京研究所を建て、清水氏が初代所長に就任した。供給元の示した条件を疑うところから、輸入樹脂は自社の製品設計へ組み替えられた。
- オルガノ35年のあゆみ(オルガノ, 1981)
- [18]1950年末にローム・アンド・ハース社のアンバーライトIR-120・IRA-410・IRA-400の輸入許可を取得し、1951年初めに到着
- [20]清水博が混床式を試験し、説明書のSV16/hに対し30/h・50/h・100/h超でも純度が低下しないことを確認
- [21]小型試験装置が標準型小型モノベッド式純水製造装置の、パイロットプラントが中型装置の原型となった
- [22]1951年4月 東京研究所を本郷(菊富士ホテル戦災跡地)に建設、初代所長は清水博
- 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
- [19]1951年1月 米国ローム・アンド・ハース社と提携
- [23]1951年 東京都文京区に研究所を開設し研究部門を強化
昭和電工から水電解用水の純水製造装置の話が持ち込まれ、発足したばかりの東京研究所が現地実験・樹脂量算定・装置設計・計測器の考案まで抱えた。1951年8月、日量600トンという世界最大級のモノベッド式装置が昭和電工大川工場に完成し、試運転で生じた不具合には昼夜兼行の改良で応じた。この装置の登場で、1トンあたり500円かかっていた蒸溜水は純水30円で得られ、6人3交替で18人を要した人手も1人の巡回で足りた。日本で最初の大型純水装置という実績は連鎖を生み、同年10月の日本ゼオン蒲原工場、日本パルプ工業米子工場に続き、翌1952年には北越製紙・十条製紙釧路工場・興国人絹パルプ佐伯工場・東亜燃料工業和歌山工場など5工場から大型装置を受注した。
- オルガノ35年のあゆみ(オルガノ, 1981)
- [24]昭和電工からの水電解用水の引き合いに、1951年4月発足の東京研究所が現地実験・樹脂量算定・装置設計・計測器考案まで対応
- [25]1951年8月 昭和電工大川工場に世界最大級の日量600トンのモノベッド式純水製造装置が完成、試運転のトラブルに昼夜兼行で対応
- [26]純水コストは蒸溜水1トン500円に対し純水1トン30円、人手は6人3交替の18人から1人の巡回へ
- [28]1951年10月に日本ゼオン蒲原工場・日本パルプ工業米子工場、1952年に北越製紙・十条製紙釧路工場・興国人絹パルプ佐伯工場・東亜燃料工業和歌山工場など5工場から大型モノベッド装置を受注
- 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
- [27]1951年に日本最初の大型純水装置を完成
1952年1月1日、丸山正武社長は羽田を発って渡米した。目的はアンバーライトの日本総代理店契約であり、相手は米国有数の化学会社、こちらは発足5年半・社員約70名の小会社であった。4週間にわたる折衝の末、1月29日に契約書の調印へこぎつけた。総代理権の獲得は装置に充填する樹脂の供給を自社の手に収めることであり、高圧ボイラ用水向けの需要増と重なって、1952年度の売上高は前年度の約2倍へ増えた。用途はすぐ水の外へ広がり、1952年から53年にかけて葡萄糖・甘蔗糖・フォルマリンの精製装置や、ストレプトマイシン・ペニシリン・アルカロイドの抽出精製装置を手がけ、特殊液精製装置へ進出した。
- オルガノ35年のあゆみ(オルガノ, 1981)
- [29]1952年1月1日 丸山正武社長が羽田を発ち渡米
- [30]交渉時の日本オルガノ商会は発足5年半・社員約70名
- [31]1952年1月29日 イオン交換樹脂アンバーライトの日本総代理店契約に調印
- [32]1952年度の売上高は高圧ボイラ用水向け需要の伸びもあり前年度の約2倍に増加
- 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
- [33]1952〜53年に葡萄糖・甘蔗糖・フォルマリンの抽出精製装置、ストレプトマイシン・ペニシリン・アルカロイド等の抽出精製装置を開発し特殊液精製装置に進出
参考文献[18]-[33]
- オルガノ35年のあゆみ(オルガノ, 1981)
- [18]1950年末にローム・アンド・ハース社のアンバーライトIR-120・IRA-410・IRA-400の輸入許可を取得し、1951年初めに到着
- [20]清水博が混床式を試験し、説明書のSV16/hに対し30/h・50/h・100/h超でも純度が低下しないことを確認
- [21]小型試験装置が標準型小型モノベッド式純水製造装置の、パイロットプラントが中型装置の原型となった
- [22]1951年4月 東京研究所を本郷(菊富士ホテル戦災跡地)に建設、初代所長は清水博
- [24]昭和電工からの水電解用水の引き合いに、1951年4月発足の東京研究所が現地実験・樹脂量算定・装置設計・計測器考案まで対応
- [25]1951年8月 昭和電工大川工場に世界最大級の日量600トンのモノベッド式純水製造装置が完成、試運転のトラブルに昼夜兼行で対応
- [26]純水コストは蒸溜水1トン500円に対し純水1トン30円、人手は6人3交替の18人から1人の巡回へ
- [28]1951年10月に日本ゼオン蒲原工場・日本パルプ工業米子工場、1952年に北越製紙・十条製紙釧路工場・興国人絹パルプ佐伯工場・東亜燃料工業和歌山工場など5工場から大型モノベッド装置を受注
- [29]1952年1月1日 丸山正武社長が羽田を発ち渡米
- [30]交渉時の日本オルガノ商会は発足5年半・社員約70名
- [31]1952年1月29日 イオン交換樹脂アンバーライトの日本総代理店契約に調印
- [32]1952年度の売上高は高圧ボイラ用水向け需要の伸びもあり前年度の約2倍に増加
- 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
- [19]1951年1月 米国ローム・アンド・ハース社と提携
- [23]1951年 東京都文京区に研究所を開設し研究部門を強化
- [27]1951年に日本最初の大型純水装置を完成
- [33]1952〜53年に葡萄糖・甘蔗糖・フォルマリンの抽出精製装置、ストレプトマイシン・ペニシリン・アルカロイド等の抽出精製装置を開発し特殊液精製装置に進出
1955年〜東洋曹達工業の傘下入りと株式公開
営業も製造も研究も東京が主体となったため、1954年7月1日に本社を東京都千代田区神田鍛冶町へ移す登記を行い、翌8月には資本金を800万円へ増資した。1955年6月には関西市場の拡大に応じて大阪駐在所を開設し、同年8月15日には本社と研究所が神田と本郷に分かれている不便を解いて、研究所のある文京区菊坂町へ本社を移した。この間の1955年8月、東洋曹達工業がオルガノ株式の過半数を取得した。装置の主要な納入先であり、樹脂の再生に使う苛性ソーダや塩酸の供給元でもある化学資本を株主に迎えたことは、販路と原材料の双方を資本の側から安定させる選択であった。
- オルガノ35年のあゆみ(オルガノ, 1981)
- [34]1954年7月1日 本社を東京都千代田区神田鍛冶町へ移転登記、翌8月に資本金800万円へ増資
- [36]1955年6月1日 大阪市北区に大阪駐在所を開設
- [37]1955年8月15日 研究所のある東京都文京区菊坂町へ本社を移転
- [39]1955年8月 東洋曹達工業がオルガノ株式の過半数を取得
- オルガノ 有価証券報告書【沿革】
- [35]1954年7月 本社を東京都千代田区へ移転
- [38]1955年8月 本社を東京都文京区(本郷)へ移転
アンバーライトの輸入量が伸びたため、1955年11月15日、ローム・アンド・ハース社・日産化学工業・三洋貿易・日本オルガノ商会の4社が資本金5億400万円で日米合弁の東京有機化学工業を設立し、1957年5月からアンバーライトと農薬ダイセンの国産を始めた。社員は1953年に100名、1956年初めに150名を超え、同年2月13日には営業課・工務課といった課制を、総務部・営業部・技術部・製造部・経理部・研究所・技師長室からなる部所室制へ改めた。販売と施工の側も本体から切り出され、1959年9月に販売子会社の起点となる日本デグラモンを東京都文京区に設立し、1960年4月には後のオルガノ関西となる日本水工へ資本参加し、1961年5月にオルガノソフナーを設立した。製造と設計を本体に残し、地域ごとの販売と施工を別法人が担う体制が、この数年で固まった。
- オルガノ35年のあゆみ(オルガノ, 1981)
- [40]1955年11月15日 ローム・アンド・ハース社・日産化学工業・三洋貿易・日本オルガノ商会の4社が資本金5億400万円で東京有機化学工業を設立、1957年5月からアンバーライトと農薬ダイセンの国産を開始
- [41]社員は1953年に100名、1956年初めに150名を超え、1956年2月13日に課制を部所室制へ改める機構改革を実施
- オルガノ 有価証券報告書【沿革】
- [42]1959年9月 販売子会社の起点 日本デグラモン(現オルガノアクティ)を東京都文京区に設立
- [43]1960年4月 日本水工(後のオルガノ関西)へ資本参加
- [44]1961年5月 オルガノソフナー(後のオルガノ東京)を設立
資本金は1955年12月に1,600万円、1956年4月に3,200万円、1958年1月に4,000万円と積み増され、1959年1月に5,000万円、同年5月には1億円へ達した。同年に株式を店頭へ公開し、寄付き700円の高値を呼んだ。さらに1960年に2億円、1961年に4億円まで増やし、9回を重ねた増資がここで一区切りとなった。1961年10月には東京証券取引所市場第二部へ上場した。生産の側でも同年11月、埼玉県戸田市に戸田工場を開設し、各種装置の組立・発送と水処理薬品類の製造を企業化した。諏訪の店先で毎時40リットルの装置を組んでいた会社は、創業から15年で東証二部の上場企業になった。
- オルガノ35年のあゆみ(オルガノ, 1981)
- [45]資本金は1955年12月に1,600万円、1956年4月に3,200万円、1958年1月に4,000万円、1959年1月に5,000万円、同年5月に1億円へ増資
- [46]1959年に株式を店頭に公開し、寄付き700円の高値をつけた
- [47]1960年に資本金2億円、1961年に4億円へ増資
- 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
- [48]1961年5月までに9回の増資を経て資本金4億円に到達
- [50]1961年11月 埼玉県戸田市に戸田工場を開設し各種装置の組立・発送と水処理薬品類の製造を企業化
- オルガノ 有価証券報告書【沿革】
- [49]1961年10月 東京証券取引所市場第二部に上場
参考文献[34]-[50]
- オルガノ35年のあゆみ(オルガノ, 1981)
- [34]1954年7月1日 本社を東京都千代田区神田鍛冶町へ移転登記、翌8月に資本金800万円へ増資
- [36]1955年6月1日 大阪市北区に大阪駐在所を開設
- [37]1955年8月15日 研究所のある東京都文京区菊坂町へ本社を移転
- [39]1955年8月 東洋曹達工業がオルガノ株式の過半数を取得
- [40]1955年11月15日 ローム・アンド・ハース社・日産化学工業・三洋貿易・日本オルガノ商会の4社が資本金5億400万円で東京有機化学工業を設立、1957年5月からアンバーライトと農薬ダイセンの国産を開始
- [41]社員は1953年に100名、1956年初めに150名を超え、1956年2月13日に課制を部所室制へ改める機構改革を実施
- [45]資本金は1955年12月に1,600万円、1956年4月に3,200万円、1958年1月に4,000万円、1959年1月に5,000万円、同年5月に1億円へ増資
- [46]1959年に株式を店頭に公開し、寄付き700円の高値をつけた
- [47]1960年に資本金2億円、1961年に4億円へ増資
- オルガノ 有価証券報告書【沿革】
- [35]1954年7月 本社を東京都千代田区へ移転
- [38]1955年8月 本社を東京都文京区(本郷)へ移転
- [42]1959年9月 販売子会社の起点 日本デグラモン(現オルガノアクティ)を東京都文京区に設立
- [43]1960年4月 日本水工(後のオルガノ関西)へ資本参加
- [44]1961年5月 オルガノソフナー(後のオルガノ東京)を設立
- [49]1961年10月 東京証券取引所市場第二部に上場
- 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
- [48]1961年5月までに9回の増資を経て資本金4億円に到達
- [50]1961年11月 埼玉県戸田市に戸田工場を開設し各種装置の組立・発送と水処理薬品類の製造を企業化
筆者考察
オルガノの創業は、戦時研究の残りを民需へ移し替える試みだった。丸山正武氏が陸軍軍医学校で追っていたイオン交換樹脂は、戦後の日本でまず電池用蒸溜水という官需の穴を埋めた。燃料の要らない脱塩は、燃料の無い国でこそ値打ちがある。だが樹脂そのものを作る力は無く、三菱化成の樹脂を買い、次は米国ローム・アンド・ハース社のアンバーライトを買った。買った樹脂を筒に詰めて売るだけなら、代理店で終わる。オルガノが代理店で終わらなかったのは、供給元が示した通水条件を疑い、樹脂の性能を引き出す運転条件を自分の手で決めたからである。その運転条件がやがて装置の設計に変わり、装置の設計が据付と試運転までを呼び込んだ。
1951年に昭和電工大川工場へ納めた日量600トンのモノベッド式装置は、蒸溜水1トン500円を純水30円に、18人の交替要員を1人の巡回に置き換えた。ここで示されたのは樹脂の優秀さではなく、設計から据付までを一社で引き受けられることの値打ちだった。翌1952年、社員70名の会社がアンバーライトの日本総代理権を取る。売る樹脂と、その樹脂を最も良く使う装置の両方が揃った。ただし資本は自前ではない。1955年に東洋曹達工業が株式の過半数を握り、オルガノは独立の技術会社から化学資本の系列に置かれた装置会社へ変わった。相次ぐ増資と1959年の店頭公開、1961年の東京証券取引所市場第二部への上場は、その系列の中で資金を集める道筋であった。
- 1946年の業績を1とした各年の倍率。
- 出所はオルガノ35年のあゆみ(オルガノ、1981年)。
1946年〜1961年の業績
| 決算期 | 区分 | 売上高 | 純利益 | 主な投資 | ||
|---|---|---|---|---|---|---|
| 億円 | YoY | 億円 | 利益率 | |||
| 1949年11月期 | 単体 | 0 | n/a | 0 | 0.0% | n/a |
| 1950年11月期 | 単体 | 0 | +45.0% | 0 | 3.4% | n/a |
| 1951年11月期 | 単体 | 0 | +65.5% | 0 | 4.2% | n/a |
| 1952年11月期 | 単体 | 0 | +87.5% | 0 | 1.1% | n/a |
| 1953年11月期 | 単体 | 2 | +212.2% | 0 | 2.1% | n/a |
| 1954年11月期 | 単体 | 3 | +17.1% | 0 | 1.2% | n/a |
| 1955年11月期 | 単体 | 3 | +18.8% | 0 | 1.0% | n/a |
| 1956年11月期 | 単体 | 5 | +44.0% | 0 | 1.4% | n/a |
| 1957年11月期 | 単体 | 9 | +60.0% | 0 | 2.9% | n/a |
| 1958年11月期 | 単体 | 9 | +4.6% | 0 | 3.7% | n/a |
| 1959年11月期 | 単体 | 15 | +67.1% | 0 | 2.9% | n/a |
| 1960年11月期 | 単体 | 20 | +32.3% | 0 | 3.0% | n/a |
| 1961年11月期 | 単体 | 25 | +20.7% | 0 | 2.7% | n/a |
出所:オルガノ35年のあゆみ
出典・参考
3件
- オルガノ 有価証券報告書【沿革】
- オルガノ35年のあゆみ(オルガノ, 1981)
- 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)