第2章 年〜年

オルガノ:オルガノへの改称と用途拡張による事業構造の転換

パルセーター導入から敦賀原発の水処理一式受注へ

1962年〜連続イオン交換の実用化と官公需への進出

1962年3月、旭化成工業から連続イオン交換装置の技術を導入した。実用化のための実験と設計基準づくりは導入した側の仕事であり、1963年3月に旭ダウ川崎工場へ納めた第1号機では改造すべき点が次々に見つかった。納入の山は1967年から74年までで、その間に約80セットを収め、1975年までの累計は115セットとなった。最初は使った樹脂が思うように働かず、アンバーライトIRA-402がほどなく崩れたためIRA-400に切り替え、陽イオン交換樹脂も順次替え、1966年5月に旭ダウへ収めた第2号機からは、据え付けに要する面積でも処理水の純度でもまさる混床式に改めて、以後はすべてこの方式で納めた。技術を外から買って自社で実用に持ち込むやり方は、旭化成に加え米国のグレーバー社、カルゴン社とのつながりにも及んだ。

  • オルガノ35年のあゆみ(オルガノ, 1981)
    • [1]1962年3月 旭化成工業から連続イオン交換装置の技術を導入
    • [2]1963年3月 連続式複床式純水製造装置の第1号機を旭ダウ川崎工場へ納入、種々の改造点が判明
    • [3]1967〜74年が最盛期で約80セット、1975年までに累計115セットを納入
    • [4]アンバーライトIRA-402が崩壊しIRA-400へ変更、陽イオン交換樹脂もIR-120Bから順次入れ替え
    • [5]1966年5月納入の旭ダウ川崎工場第2号機から混床式連続純水製造装置へ変更、以後すべて混床式
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
    • [6]旭化成、米国グレーバー社、ピッツバーグカーボン社、カルゴン社、ニコルス社等の技術による粒状活性炭溶液脱色装置・ヨード抽出精製装置・接触酸化除鉄装置などを製品化

1954年に欧米を視察した清水博研究所長は、欧州一の水処理装置会社として伸びていたフランスのデグラモン社を高く評価した。報告を受けた丸山正武社長は1958年に訪仏して技術提携を申し入れ、先方の要望で合弁の準備に入る。導入技術の中核である凝集沈殿池パルセーターは誰も実物を見たことがなく、関係官庁への説明には苦労が伴ったが、1959年5月16日に外資審議会の認可が下り、8月20日の創立総会を経て同年9月、資本金500万円・両社50対50の日本デグラモンが東京都文京区に発足した。国内実績のない装置は容易には売れなかった。北海道進出を決めた大昭和製紙白老工場が採用へ踏み切り、日量6,000立方メートルの装置が従来の沈殿池のおよそ6倍を処理してみせたことで、工場用水向けの普及が始まった。

  • オルガノ35年のあゆみ(オルガノ, 1981)
    • [7]1954年に欧米視察した清水博研究所長がフランス・デグラモン社を訪問し高く評価
    • [8]1958年 丸山正武社長が訪仏してデグラモン社へ技術提携を申し入れ、先方の要望で合弁設立の準備へ
    • [9]1959年5月16日 外資審議会の認可、8月20日 創立総会、資本金500万円・両社50対50で日本デグラモンが発足
    • [11]パルセーターとアカズールフィルターは国内実績が無く、当初は受注に至らなかった
    • [12]大昭和製紙白老工場がパルセーターを採用し、日量6,000立方メートル(250平方メートル毎時)の装置が従来の沈殿池の約6倍を処理
  • オルガノ 有価証券報告書【沿革】
    • [10]1959年9月 日本デグラモン(現オルガノアクティ)を東京都文京区に設立

上水道へ入ると、下水道の話も自治体から持ち込まれるようになった。1963年に建設省土木研究所の指導で枚岡市の特別都市下水の調査設計を受託し、これが6年後の1969年、東大阪市から日量24,000立方メートルの宝町処理場を受注する契機になった。公共下水道の第1号は1967年10月、デグラモン社が開発した複合槽式活性汚泥法オキシコンタクトを用いた大分市原川終末処理場であった。公害対策基本法が公布された同年8月には、清掃工場の浸出水処理でも東京都石神井清掃工場から第1号機を受けている。廃水処理と下水処理の開発は、このころ社外からも新しい収益源と見られるようになった。1970年5月には小倉四郎氏を部長とする約20名の廃水部を新設し、調査・実験から設計・試運転までを一貫して担う体制を敷いた。

  • オルガノ35年のあゆみ(オルガノ, 1981)
    • [13]上水道分野への進出に伴い、下水道関係の施設の話が自治体から持ち込まれるようになった
    • [14]1963年 建設省土木研究所の指導で枚岡市の特別都市下水の調査設計業務を受託、1969年に東大阪市から日量24,000立方メートルの宝町処理場を受注
    • [15]1967年10月 大分市公共下水道原川終末処理場の設備一式を受注、オキシコンタクト採用の公共下水道第1号
    • [16]1967年8月 東京都清掃局石神井清掃工場からオキシアズール第1号機を受注、同年に公害対策基本法が公布
    • [18]1970年5月 小倉四郎を部長として約20名の廃水部を新設、調査・実験から設計・試運転まで一貫する体制を整備
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
    • [17]廃水処理・下水処理の開発を進め、海外へのプラント輸出も活発化
参考文献[1]-[18]
  • オルガノ35年のあゆみ(オルガノ, 1981)
    • [1]1962年3月 旭化成工業から連続イオン交換装置の技術を導入
    • [2]1963年3月 連続式複床式純水製造装置の第1号機を旭ダウ川崎工場へ納入、種々の改造点が判明
    • [3]1967〜74年が最盛期で約80セット、1975年までに累計115セットを納入
    • [4]アンバーライトIRA-402が崩壊しIRA-400へ変更、陽イオン交換樹脂もIR-120Bから順次入れ替え
    • [5]1966年5月納入の旭ダウ川崎工場第2号機から混床式連続純水製造装置へ変更、以後すべて混床式
    • [7]1954年に欧米視察した清水博研究所長がフランス・デグラモン社を訪問し高く評価
    • [8]1958年 丸山正武社長が訪仏してデグラモン社へ技術提携を申し入れ、先方の要望で合弁設立の準備へ
    • [9]1959年5月16日 外資審議会の認可、8月20日 創立総会、資本金500万円・両社50対50で日本デグラモンが発足
    • [11]パルセーターとアカズールフィルターは国内実績が無く、当初は受注に至らなかった
    • [12]大昭和製紙白老工場がパルセーターを採用し、日量6,000立方メートル(250平方メートル毎時)の装置が従来の沈殿池の約6倍を処理
    • [13]上水道分野への進出に伴い、下水道関係の施設の話が自治体から持ち込まれるようになった
    • [14]1963年 建設省土木研究所の指導で枚岡市の特別都市下水の調査設計業務を受託、1969年に東大阪市から日量24,000立方メートルの宝町処理場を受注
    • [15]1967年10月 大分市公共下水道原川終末処理場の設備一式を受注、オキシコンタクト採用の公共下水道第1号
    • [16]1967年8月 東京都清掃局石神井清掃工場からオキシアズール第1号機を受注、同年に公害対策基本法が公布
    • [18]1970年5月 小倉四郎を部長として約20名の廃水部を新設、調査・実験から設計・試運転まで一貫する体制を整備
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
    • [6]旭化成、米国グレーバー社、ピッツバーグカーボン社、カルゴン社、ニコルス社等の技術による粒状活性炭溶液脱色装置・ヨード抽出精製装置・接触酸化除鉄装置などを製品化
    • [17]廃水処理・下水処理の開発を進め、海外へのプラント輸出も活発化
  • オルガノ 有価証券報告書【沿革】
    • [10]1959年9月 日本デグラモン(現オルガノアクティ)を東京都文京区に設立

1967年〜原子力と超純水が求めた信頼性の水準

1968年のオルガノは、資本金4億円・従業員555名、社長を二宮正三郎氏が務める水処理装置の専業会社であった。日本原子力研究所が設立された翌1956年1月には、丸山正武社長を委員長とする原子力研究委員会を置き、イオン交換技術の原子力分野への利用を調べ始めていた。1958年には原子燃料公社と共同でウランの抽出・精製を研究し、1962年頃から原子力研究所へプール水の精製装置を納め始めた。その積み重ねの上で1967年4月、日本原子力発電敦賀発電所向けに、復水脱塩装置・原子炉浄化装置・燃料プール水濾過装置・放射性廃液処理装置・補給水処理装置という沸騰水型原子炉の水処理装置を全式受注した。

  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
    • [19]1968年時点の資本金4億円、従業員555名、社長は二宮正三郎、事業は水処理装置他
  • オルガノ35年のあゆみ(オルガノ, 1981)
    • [20]1956年1月 委員長丸山正武、副委員長内野健治らで原子力研究委員会を発足させイオン交換技術の原子力利用を調査研究
    • [21]1958年 原子燃料公社と共同でウランの抽出・精製を研究
    • [22]1962年頃から日本原子力研究所へプール水の精製装置などを納入
    • [23]1967年4月 日本原子力発電敦賀発電所向けに復水脱塩装置・原子炉浄化装置・燃料プール水濾過装置・放射性廃液処理装置・補給水処理装置など沸騰水型原子炉の水処理装置を全式受注

求められたのは性能だけではなく、放射性廃液と廃棄物の発生量を最小限に抑えることと、厳しい品質保証であった。顧客とゼネラル・エレクトリック社、エバスコ社との全面的な技術検討を経て、復水脱塩装置の通水塔には高圧設計のため初めて球型タンクが採られ、陰陽両樹脂を別の塔で再生する分離再生方式も初めて採用された。1967年9月には東京電力福島第一原子力発電所1号機の復水脱塩装置を、翌1968年11月には2号機の原子炉水浄化装置と燃料プール水浄化装置を受注した。2号機からは粉末樹脂をプリコートする濾過脱塩方式を用い、逆洗浄には自力で開発したエアサージ方式を組み合わせて、これは後に米国へ逆輸出された。米国グレーバー社をはじめ海外の技術を取り入れて製品にする手順は、このころ対外的にもオルガノの特徴として紹介されている。

  • オルガノ35年のあゆみ(オルガノ, 1981)
    • [24]原子力向けには性能に加え、放射性廃液・廃棄物の発生量の最小化と厳しい品質保証が要求された
    • [25]顧客・GE社・エバスコ社との技術検討を経て、復水脱塩装置の通水塔に高圧設計のため初めて球型タンク、陰陽両樹脂の分離再生方式も初採用
    • [26]1967年9月 東京電力福島第一原子力発電所1号機の復水脱塩装置、1968年11月 2号機の原子炉水浄化装置・燃料プール水浄化装置を受注
    • [27]福島第一2号機から米国グレーバー社導入の粉末樹脂プリコート方式(パウデックス方式)を採用、逆洗浄は自社開発のエアサージ方式で後に米国へ逆輸出
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
    • [28]独自の研究開発に加え、旭化成・米国グレーバー社・ピッツバーグカーボン社・カルゴン社・ニコルス社等の技術で新製品を展開

1957年、日本電気の協力を得て日本で初めて電子工業用高純度純水装置を完成させ、続いて東京芝浦電気のトランジスタ工場へ小型装置を納めた。1959年には旭化成工業富士工場で、処理水中の鉄分が10億分の5以下という装置を運転している。これが超純水製造装置の始まりで、以後は東芝・日立・日本電気・東京三洋・信越半導体などへ大型装置を納めた。1972年10月には日本電気玉川工場へ逆浸透膜を用いた装置を、翌1973年3月にはデュポン社の逆浸透モジュールによる本格的な超純水製造装置を納入した。この間の1966年2月には、商号を日本オルガノ商会からオルガノへ改め、樹脂を仕入れて売る商会の名を外した。発電所が求めた量の水と、電子工場が求めた質の水が、同じイオン交換技術の上に並び立った。

  • オルガノ35年のあゆみ(オルガノ, 1981)
    • [29]1957年 日本電気の協力で日本初の電子工業用高純度純水(10メガオーム)製造装置を完成、東京芝浦電気トランジスタ工場へ小型装置を納入
    • [30]1959年 旭化成工業富士工場で処理水中の鉄分リークが10億分の5以下の装置を運転
    • [31]超純水製造装置を東芝・日立・日本電気・東京三洋・サンケン・信越半導体・九州電子などへ多数納入
    • [32]1972年10月 日本電気玉川工場へ逆浸透膜を用いた装置、1973年3月 デュポン社の逆浸透モジュールB-9による本格的な超純水製造装置を納入
  • オルガノ 有価証券報告書【沿革】
    • [33]1966年2月 商号をオルガノ株式会社に変更
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
    • [34]1966年2月 さらに飛躍を期して商号をオルガノと改称
参考文献[19]-[34]
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
    • [19]1968年時点の資本金4億円、従業員555名、社長は二宮正三郎、事業は水処理装置他
    • [28]独自の研究開発に加え、旭化成・米国グレーバー社・ピッツバーグカーボン社・カルゴン社・ニコルス社等の技術で新製品を展開
    • [34]1966年2月 さらに飛躍を期して商号をオルガノと改称
  • オルガノ35年のあゆみ(オルガノ, 1981)
    • [20]1956年1月 委員長丸山正武、副委員長内野健治らで原子力研究委員会を発足させイオン交換技術の原子力利用を調査研究
    • [21]1958年 原子燃料公社と共同でウランの抽出・精製を研究
    • [22]1962年頃から日本原子力研究所へプール水の精製装置などを納入
    • [23]1967年4月 日本原子力発電敦賀発電所向けに復水脱塩装置・原子炉浄化装置・燃料プール水濾過装置・放射性廃液処理装置・補給水処理装置など沸騰水型原子炉の水処理装置を全式受注
    • [24]原子力向けには性能に加え、放射性廃液・廃棄物の発生量の最小化と厳しい品質保証が要求された
    • [25]顧客・GE社・エバスコ社との技術検討を経て、復水脱塩装置の通水塔に高圧設計のため初めて球型タンク、陰陽両樹脂の分離再生方式も初採用
    • [26]1967年9月 東京電力福島第一原子力発電所1号機の復水脱塩装置、1968年11月 2号機の原子炉水浄化装置・燃料プール水浄化装置を受注
    • [27]福島第一2号機から米国グレーバー社導入の粉末樹脂プリコート方式(パウデックス方式)を採用、逆洗浄は自社開発のエアサージ方式で後に米国へ逆輸出
    • [29]1957年 日本電気の協力で日本初の電子工業用高純度純水(10メガオーム)製造装置を完成、東京芝浦電気トランジスタ工場へ小型装置を納入
    • [30]1959年 旭化成工業富士工場で処理水中の鉄分リークが10億分の5以下の装置を運転
    • [31]超純水製造装置を東芝・日立・日本電気・東京三洋・サンケン・信越半導体・九州電子などへ多数納入
    • [32]1972年10月 日本電気玉川工場へ逆浸透膜を用いた装置、1973年3月 デュポン社の逆浸透モジュールB-9による本格的な超純水製造装置を納入
  • オルガノ 有価証券報告書【沿革】
    • [33]1966年2月 商号をオルガノ株式会社に変更

1974年〜石油危機後の省資源技術と全国販売網

1973年の石油危機は、石油化学・紙パルプ・繊維・食品という得意先の設備投資を細らせた。省資源・省エネルギーが強調される時代の要請に応じて、装置の設計も再生剤と人手の節減へ向かった。1972年10月の環境技術部発足とともに着手した凍結融解法は、1973年に明石市の伊川谷・明石川両浄水場から第1、2号機を受注した直後に原材料の高騰へ見舞われ、1975年4月にようやく試運転へ漕ぎつけた。無薬注で汚泥を脱水できるこの方式は受注が続き、24号機まで稼働している。1979年8月にはサッポロビール恵比寿工場へ、再生剤を極限まで節減したツイン・ストラタ純水製造装置の第1号機を納めた。1974年7月には丸栄工業へ資本参加してオルガノ工事へ商号を変え、現地での施工を内製化した。

  • オルガノ35年のあゆみ(オルガノ, 1981)
    • [35]1978年9月期の減収は、石油危機前に受注した大型プラントの納期集中と、石油化学・紙パルプ・繊維・食品など従来得意とした分野の設備投資減少による
    • [36]省資源・省エネルギーが強調される時代の要請に応じ、従来の向流再生純水製造装置に比べ再生剤を極限まで節減する設計へ進んだ
    • [37]1972年10月の環境技術部発足とともに凍結融解法の装置化に着手、1973年に明石市伊川谷・明石川両浄水場から第1・2号機を受注、石油ショックによる原材料高騰を経て1975年4月に試運転成功
    • [38]無薬注で汚泥を脱水できる凍結融解法は柏原市・茨木市・久留米市などで採用が続き、第24号機まで稼働
    • [39]1979年8月 ツイン・ストラタ純水製造装置の第1号機をサッポロビール恵比寿工場へ納入
  • オルガノ 有価証券報告書【沿革】
    • [40]1974年7月 丸栄工業に資本参加しオルガノ工事(現オルガノプラントサービス)に商号変更

販売は長く東京本社と大阪営業所の2拠点に代理店・特約店を組み合わせる形だったが、1971年のニクソン・ショックの後、国内販売網の強化が急務となった。同年11月にプラント営業本部を新設し、1972年には九州オルガノ商事と北海道オルガノ商事を設けてセールスエンジニアを出向させた。以後、1973年3月の滋賀事務所に始まり、1975年8月の仙台営業所、同年10月の大阪支社昇格、1976年の広島と福岡、1977年の名古屋と東京支社、1978年の山口と札幌へと拠点を並べ、全国の販売網をひとまず完成させた。生産の側では1969年11月に大型装置の組立工場として千葉県柏市に柏工場を開設し、1977年5月には装置研究と中間試験を担う大船研究所を横浜市戸塚区に開設した。

  • オルガノ35年のあゆみ(オルガノ, 1981)
    • [41]販売は長く東京本社と大阪営業所の2拠点と代理店・販売店・特約店に依存しており、1971年のニクソン・ショック後に国内販売網強化の必要が高まった
    • [42]1971年11月 プラント営業本部を新設
    • [45]1973年3月 滋賀事務所、1975年8月 仙台営業所、同年10月 大阪支社昇格、1976年1月 広島・10月 福岡、1977年9月 名古屋・10月 東京支社、1978年7月 山口・9月 札幌と販売拠点を展開
    • [46]1969年11月 千葉県柏市十余二に大型装置の組立工場として柏工場を開設
    • [47]1977年5月 横浜市戸塚区笠間町に装置研究と中間試験を主目的とする大船研究所を開設
  • オルガノ 有価証券報告書【沿革】
    • [43]1972年4月 九州オルガノ商事(後のオルガノ九州)を福岡市に設立
    • [44]1972年10月 北海道オルガノ商事(後のオルガノ北海道)を札幌市に設立

1970年11月の第25期決算で、年間売上高が初めて100億円を超え、105億1,500万円を計上した。1976年9月期には前期を9.4%上回る204億円で200億円台へ乗せた。だが翌1977年9月期は239億円へ伸ばしながらコスト高で経常利益が前年比16%減の7億8千万円にとどまり、1978年9月期は212億9千万円と11%の減収となって、経常損益も厳しい決算となった。1977年12月に社長となった永井邦夫氏は赤字基調からの脱却と業績回復を掲げる三ヵ年計画を全社へ伝え、人員の重点配置と技術の規格化・標準化を進めた結果、1979年9月期は266億8千万円、1980年9月期は310億3,000万円へ戻した。1985年3月、東京証券取引所市場第一部へ指定替えとなった。

  • オルガノ35年のあゆみ(オルガノ, 1981)
    • [48]1970年11月の第25期決算で年間売上高が初めて100億円を超え105億1,500万円を計上
    • [49]1976年9月期(第31期)は前期比9.4%増の204億円で初めて200億円台に到達
    • [50]1977年9月期は売上高239億円(前期比17%増)ながらコスト高で経常利益は前年比16%減の7億8千万円
    • [51]1978年9月期は売上高212億9千万円で前年比11%の減収、経常損益もきわめて厳しい決算
    • [52]1977年12月に社長就任した永井邦夫が赤字基調からの脱却と業績回復を掲げる三ヵ年計画を策定し全社へ伝達
    • [53]1979年9月期の売上高266億8千万円、1980年9月期は310億3,000万円で初めて300億円を突破
  • オルガノ 有価証券報告書【沿革】
    • [54]1985年3月 東京証券取引所市場第一部に指定替え
参考文献[35]-[54]
  • オルガノ35年のあゆみ(オルガノ, 1981)
    • [35]1978年9月期の減収は、石油危機前に受注した大型プラントの納期集中と、石油化学・紙パルプ・繊維・食品など従来得意とした分野の設備投資減少による
    • [36]省資源・省エネルギーが強調される時代の要請に応じ、従来の向流再生純水製造装置に比べ再生剤を極限まで節減する設計へ進んだ
    • [37]1972年10月の環境技術部発足とともに凍結融解法の装置化に着手、1973年に明石市伊川谷・明石川両浄水場から第1・2号機を受注、石油ショックによる原材料高騰を経て1975年4月に試運転成功
    • [38]無薬注で汚泥を脱水できる凍結融解法は柏原市・茨木市・久留米市などで採用が続き、第24号機まで稼働
    • [39]1979年8月 ツイン・ストラタ純水製造装置の第1号機をサッポロビール恵比寿工場へ納入
    • [41]販売は長く東京本社と大阪営業所の2拠点と代理店・販売店・特約店に依存しており、1971年のニクソン・ショック後に国内販売網強化の必要が高まった
    • [42]1971年11月 プラント営業本部を新設
    • [45]1973年3月 滋賀事務所、1975年8月 仙台営業所、同年10月 大阪支社昇格、1976年1月 広島・10月 福岡、1977年9月 名古屋・10月 東京支社、1978年7月 山口・9月 札幌と販売拠点を展開
    • [46]1969年11月 千葉県柏市十余二に大型装置の組立工場として柏工場を開設
    • [47]1977年5月 横浜市戸塚区笠間町に装置研究と中間試験を主目的とする大船研究所を開設
    • [48]1970年11月の第25期決算で年間売上高が初めて100億円を超え105億1,500万円を計上
    • [49]1976年9月期(第31期)は前期比9.4%増の204億円で初めて200億円台に到達
    • [50]1977年9月期は売上高239億円(前期比17%増)ながらコスト高で経常利益は前年比16%減の7億8千万円
    • [51]1978年9月期は売上高212億9千万円で前年比11%の減収、経常損益もきわめて厳しい決算
    • [52]1977年12月に社長就任した永井邦夫が赤字基調からの脱却と業績回復を掲げる三ヵ年計画を策定し全社へ伝達
    • [53]1979年9月期の売上高266億8千万円、1980年9月期は310億3,000万円で初めて300億円を突破
  • オルガノ 有価証券報告書【沿革】
    • [40]1974年7月 丸栄工業に資本参加しオルガノ工事(現オルガノプラントサービス)に商号変更
    • [43]1972年4月 九州オルガノ商事(後のオルガノ九州)を福岡市に設立
    • [44]1972年10月 北海道オルガノ商事(後のオルガノ北海道)を札幌市に設立
    • [54]1985年3月 東京証券取引所市場第一部に指定替え

筆者考察

1960年代のオルガノが取った道は、技術を替えることではなく、同じイオン交換技術を当てる相手を替え続けることだった。純水装置の顧客は発電所と化学工場、製紙とパルプに偏っており、その設備投資が止まれば受注も止まる。フランス・デグラモン社から導入した高速沈殿池パルセーターは、この偏りを崩す道具になった。上水道は景気ではなく人口と行政計画で動く市場であり、1961年の勿来市を皮切りに横浜・大阪・名古屋・神戸・仙台と続いた受注は、民需の波とは別の足場を与えた。1962年に旭化成工業から導入した連続イオン交換装置も同じ性格を持つ。自社で発明した技術ではないが、実用化の苦労を引き受けた側が市場を取る。1975年までに115セットという数は、その引き受けの対価であった。

もう一つの足場は原子力だった。1956年に置いた原子力研究委員会から11年、1967年に日本原子力発電敦賀発電所の水処理装置を全式受注したとき、オルガノは資本金4億円・従業員555名の会社にすぎない。それでも復水脱塩から放射性廃液処理までを一社で引き受けられたのは、火力発電所で積んだ実績が、より高い安全性の要求へそのまま横滑りできたからである。ここで採った球型タンクや分離再生方式は、十余年後も沸騰水型で使われ続けた。1973年の石油危機は、石油化学・紙パルプ・繊維・食品という得意先の設備投資を一斉に細らせ、1978年9月期の減収を招く。省資源・省力という次の売り文句は、顧客の投資動機が能力の増強から原単位の改善へ移ったことへの応答であった。

オルガノの年間売上高 1970年〜1980年(億円)

105.15 1970 204 1976 239 1977 212.9 1978 266.8 1979 310.3 1980
  • 1970年は第25期の決算、1976年以降は各年9月期の売上高。
  • 出所はオルガノ35年のあゆみ(オルガノ、1981年)。

1962年〜1985年の業績

決算期 区分 売上高 経常利益純利益 主な投資
億円 YoY 億円 億円 利益率
1962年11月期 単体 30 n/a n/a 0 2.3% n/a
1963年11月期 単体 26 ▲12.9% n/a 0 2.7% n/a
1964年11月期 単体 32 +22.3% n/a 0 2.3% n/a
1965年11月期 単体 37 +15.6% 1 1 2.7% n/a
1966年11月期 単体 39 +5.4% 2 1 2.6% n/a
1967年11月期 単体 44 +12.8% 2 1 2.3% n/a
1968年11月期 単体 56 +27.3% 3 2 3.6% n/a
1969年11月期 単体 77 +37.5% 4 3 3.9% n/a
1970年11月期 単体 105 +36.4% 4 3 2.9% n/a
1971年09月期 単体 97 ▲7.6% 6 3 3.1% n/a
1972年09月期 単体 107 +10.3% 4 3 2.8% n/a
1973年09月期 単体 128 +19.6% 1 1 0.8% n/a
1974年09月期 単体 173 +35.2% 3 1 0.6% n/a
1975年09月期 単体 186 +7.5% 6 3 1.6% n/a
1976年09月期 単体 204 +9.7% 9 4 2.0% n/a
1977年09月期 単体 239 +17.2% 7 4 1.7% n/a
1978年09月期 単体 212 ▲11.3% ▲9 ▲5 ▲2.4% n/a
1979年09月期 単体 266 +25.5% ▲1 0 ▲0.2% n/a
1980年09月期 単体 310 +16.5% 3 1 0.3% n/a
1981年09月期 単体 321 +3.5% 5 3 0.9% n/a
1982年09月期 単体 367 +14.3% 8 2 0.5% n/a
1983年09月期 単体 376 +2.5% 7 2 0.5% n/a
1984年09月期 単体 393 +4.5% 10 3 0.8% n/a
1985年03月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a n/a

出所:オルガノ35年のあゆみ、会社年鑑、会社年鑑(1976年版)変則10ヶ月決算

出典・参考

3件
出典・参考
  • オルガノ 有価証券報告書【沿革】
  • オルガノ35年のあゆみ(オルガノ, 1981)
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)

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