第1章 年〜年

ウェザーニューズ:OCEANROUTES日本法人の事業開始とウェザーニュースの設立

1983年〜15人を失った沈没で気象へ転じた石橋博良氏と、資本金1,000万円のMBO独立

1976年8月、石橋博良氏が29歳でオーシャンルーツ日本法人の社長に就任。出発点は安宅産業の木材建材本部で、米国から丸太を運ぶ船の用船を担当していた。1970年1月、大阪港の荷役待ちで約2,000万円の追加用船料が見込まれたため、石橋博良氏は入港先を福島県の小名浜港へ切り替えた。その船は1月31日、港外で急速に発達した低気圧に襲われて沈没し、乗組員15人が死亡した。石橋博良氏は低気圧の発達を予見できれば防げた事故と考え、1972年12月に安宅産業を退社して米国の海洋気象会社の日本法人へ移った。港の選択で負った責任が、船の安全を販売する仕事への転身と早い昇進の原動力になったのだろう。

  • 日経ビジネス 1994年9月12日号
    • [1]1976年8月、29歳でオーシャンルーツ日本法人の社長に就任
    • [2]安宅産業の木材建材本部に配属され、米国材の運搬船の用船を担当
    • [4]1970年1月31日、小名浜港外で発達した低気圧が接近して船が沈没し、15人が死亡
    • [5]低気圧の発達を予見できれば防げたと考え、1972年12月に安宅産業を退社しオーシャンルーツ日本法人へ転職
  • ドリームゲート起業家インタビュー 第70回 2008年「株式会社ウェザーニューズ 石橋博良」
    • [3]1970年1月、大阪港の荷役待ちで約2,000万円の追加用船料が生じるため入港先を小名浜港に変更

オーシャンルーツ日本法人は1983年4月、朝日放送に放送局向けの気象サービスの提供を始めた。日本法人の本業は船会社向けの最適気象航路情報で、10年足らずで国内をほぼ押さえ、米本社全体の市場の50%以上を担った。陸上の需要に気づいた契機は、翌日の天気を尋ねてきた仕出し弁当会社の相談である。1984年には石橋博良氏がテレビ朝日の報道管理部長だった戸倉康氏を訪ね、日本気象協会からの切り替えと3次元CGを売り込んだ。系列局網を拡充中のテレビ朝日と取引を始めたため、地方局が開局するたびに新規契約が増えた。景気に左右されにくい放送局の契約は、海の市場を国内でほぼ押さえた日本法人にとって新しい安定収入源と位置づけられたとみられる。

  • ウェザーニューズ 有価証券報告書【沿革】
    • [6]1983年4月、OCEANROUTES日本法人が朝日放送に放送局向けサービスを提供開始
  • ドリームゲート起業家インタビュー 第70回 2008年「株式会社ウェザーニューズ 石橋博良」
    • [7]最適気象航路情報サービスは10年足らずで日本をほぼ押さえ、オーシャンルーツ全体の市場の50%以上を担当
    • [8]仕出し弁当会社から翌日の天気を問われたことが陸上市場参入の契機
  • 日経ビジネス 1994年9月12日号
    • [9]1984年、テレビ朝日報道管理部長の戸倉康氏を訪ね、気象協会からの切り替えと3次元CGを提案
    • [10]系列局ネットワーク拡充中のテレビ朝日と取引し、地方局開局ごとに新規契約を獲得

1986年6月、オーシャンルーツ日本社の海洋部門以外の事業をMBOで取得し、石橋博良氏が資本金1,000万円で設立したのがウェザーニュースである。独立の発端は米本社の社長交代で、新経営陣は利益の大きい海の事業に専念する方針を示した。石橋博良氏の手がけた陸上と航空の部門は、当時は赤字だった。石橋博良氏は銀行の協力を得て、陸上と航空を含む事業部門を1億8,000万円で取得した。設立時に新会社へ移った技術者は20人で、同年9月には社名をウェザーニューズへ改めた。赤字部門を自ら引き取る独立は、陸と空の防災気象に市場があるという石橋博良氏の見立てに経営を預けた決断だったと推察される。

  • ウェザーニューズ 有価証券報告書(2000年5月期)【沿革】
    • [11]1986年6月、オーシャンルーツ日本社から海洋部門を除く事業をMBOし、資本金1,000万円で株式会社ウェザーニュースを設立
  • ドリームゲート起業家インタビュー 第70回 2008年「株式会社ウェザーニューズ 石橋博良」
    • [12]代替わりした親会社は海の専門家にとどまる方針をとった
    • [13]海以外の分野は当時赤字部門だった
    • [14]銀行の協力を得て海以外の事業部門を1億8,000万円でMBOし独立
  • 日経ビジネス 1991年9月16日号
    • [15]1986年に技術者20人とともにウェザーニューズを設立
参考文献[1]-[15]
  • 日経ビジネス 1994年9月12日号
    • [1]1976年8月、29歳でオーシャンルーツ日本法人の社長に就任
    • [2]安宅産業の木材建材本部に配属され、米国材の運搬船の用船を担当
    • [4]1970年1月31日、小名浜港外で発達した低気圧が接近して船が沈没し、15人が死亡
    • [5]低気圧の発達を予見できれば防げたと考え、1972年12月に安宅産業を退社しオーシャンルーツ日本法人へ転職
    • [9]1984年、テレビ朝日報道管理部長の戸倉康氏を訪ね、気象協会からの切り替えと3次元CGを提案
    • [10]系列局ネットワーク拡充中のテレビ朝日と取引し、地方局開局ごとに新規契約を獲得
  • ドリームゲート起業家インタビュー 第70回 2008年「株式会社ウェザーニューズ 石橋博良」
    • [3]1970年1月、大阪港の荷役待ちで約2,000万円の追加用船料が生じるため入港先を小名浜港に変更
    • [7]最適気象航路情報サービスは10年足らずで日本をほぼ押さえ、オーシャンルーツ全体の市場の50%以上を担当
    • [8]仕出し弁当会社から翌日の天気を問われたことが陸上市場参入の契機
    • [12]代替わりした親会社は海の専門家にとどまる方針をとった
    • [13]海以外の分野は当時赤字部門だった
    • [14]銀行の協力を得て海以外の事業部門を1億8,000万円でMBOし独立
  • ウェザーニューズ 有価証券報告書【沿革】
    • [6]1983年4月、OCEANROUTES日本法人が朝日放送に放送局向けサービスを提供開始
  • ウェザーニューズ 有価証券報告書(2000年5月期)【沿革】
    • [11]1986年6月、オーシャンルーツ日本社から海洋部門を除く事業をMBOし、資本金1,000万円で株式会社ウェザーニュースを設立
  • 日経ビジネス 1991年9月16日号
    • [15]1986年に技術者20人とともにウェザーニューズを設立

1987年〜予報許可第25号で放送局へ広げた天気予報と、自前で始めた船舶の最適航路

ウェザーニューズは1987年12月、気象業務法第17条に基づく予報許可第25号を取得した。1952年施行の同法は不特定多数への予報の公表を気象庁だけに認め、民間の予報は特定の契約先にしか出せなかった。許可を得たウェザーニューズは、1988年5月に自社網「ウェザーネット」でANN系列局の報道情報ネットワークシステムを構築した。同じ月には落雷位置評定システム「LPATS」による日本初の落雷情報サービスも始めた。1991年時点で予報許可を持つ民間は航空会社など20社と防衛庁で、用途の大半は航空機や船舶の運航である。一般への公表を禁じられた民間にとって、特定顧客である放送局へ予報を届ける系列網は規制の範囲内で需要を広げる仕組みだったと思われる。

  • ウェザーニューズ 有価証券報告書(2000年5月期)【沿革】
    • [16]1987年12月、気象業務法第17条に基づく予報許可第25号を取得
    • [18]1988年5月、ウェザーネットでANN報道情報ネットワークシステムを構築・運用開始
    • [19]1988年5月、LPATSで日本初の落雷情報サービスを開始
  • 日経ビジネス 1994年9月12日号
    • [17]1952年施行の気象業務法は不特定多数への予報公表を気象庁に限り、民間の提供先は特定顧客に限定
  • 日経ビジネス 1991年9月16日号
    • [20]予報許可を受けているのは航空会社など20社と防衛庁で、大半は航空機・船舶の運航用

ウェザーニューズは放送局に続き、時刻と場所を絞ったピンポイント予報を一般企業へ販売した。気象庁の予報は全国約80の気象台が1日5回出す大まかな内容で、「晴れのち曇り」の「のち」が何時かも示さなかった。1990年4月には幕張総合サービスセンターを千葉市に開設し、衛星を使う情報発信の拠点とした。1991年には一般企業の契約者が500社、放送局と新聞社はテレビ45局・ラジオ13局・新聞11社。売上高は1992年5月期に前期比37%増の35億5,000万円を見込み、石橋博良氏は予報より対応策の提案を営業の前面に置いた。天気を経営リスクの管理に組み込む提案へ広げたことで、コンサルティングまで含む総合気象産業を掲げる根拠が整ったと考えられる。

  • 日経ビジネス 1991年9月16日号
    • [21]時刻・場所を限定したピンポイント予報を一般企業に提供して成長
    • [22]気象庁予報は全国80カ所の気象台が1日5回出す不特定向けの大まかな予報で「のち」の時刻が分からない
    • [24]契約者は一般企業500社、テレビ局45局、ラジオ局13局、新聞社11社
    • [25]1992年5月期売上高見込みは前年比37%増の35億5,000万円、営業は対応策の提案を前面に
  • ウェザーニューズ 有価証券報告書(2000年5月期)【沿革】
    • [23]1990年4月、事業拡大と衛星利用の情報発信基地として幕張総合サービスセンターを開設

ウェザーニューズは1992年7月、船舶向け最適航路情報サービス(VP)を始めた。1986年の独立は陸上と航空の部門の切り出しで、海洋部門はオーシャンルーツに残留。石橋博良氏が気象の仕事を選んだ動機は1970年の海難事故で、船乗りの命を守ることを転職の目的に掲げていた。同じ1992年には6月に建設・都市開発向けの総合土木建築情報、9月に農協ファックスネットワークへの気象情報の提供も始めた。翌1993年10月、ウェザーニューズは海洋気象情報の世界最大手だった米オーシャンルーツの持ち株会社について、全株式の取得を完了した。陸と空で業容を固めた後に自前の航路サービスを立てた順序からは、旧親会社の取得を見すえた布石だったとうかがえる。

  • ウェザーニューズ 有価証券報告書(2000年5月期)【沿革】
    • [26]1992年7月、船舶向け最適航路情報サービス(VP)を開始
    • [29]1992年6月に総合土木建築情報サービス、9月に農協ファックスネットワークへ気象情報を提供開始
  • 日経ビジネス 1994年9月12日号
    • [27]1986年にオーシャンルーツの陸上・航空部門を独立させてウェザーニューズを設立
    • [28]海難事故を機に船乗りの命を守る仕事を決意して転職
    • [30]1993年10月、海洋気象情報で世界最大手の米オーシャンルーツの持ち株会社の全株式を取得
参考文献[16]-[30]
  • ウェザーニューズ 有価証券報告書(2000年5月期)【沿革】
    • [16]1987年12月、気象業務法第17条に基づく予報許可第25号を取得
    • [18]1988年5月、ウェザーネットでANN報道情報ネットワークシステムを構築・運用開始
    • [19]1988年5月、LPATSで日本初の落雷情報サービスを開始
    • [23]1990年4月、事業拡大と衛星利用の情報発信基地として幕張総合サービスセンターを開設
    • [26]1992年7月、船舶向け最適航路情報サービス(VP)を開始
    • [29]1992年6月に総合土木建築情報サービス、9月に農協ファックスネットワークへ気象情報を提供開始
  • 日経ビジネス 1994年9月12日号
    • [17]1952年施行の気象業務法は不特定多数への予報公表を気象庁に限り、民間の提供先は特定顧客に限定
    • [27]1986年にオーシャンルーツの陸上・航空部門を独立させてウェザーニューズを設立
    • [28]海難事故を機に船乗りの命を守る仕事を決意して転職
    • [30]1993年10月、海洋気象情報で世界最大手の米オーシャンルーツの持ち株会社の全株式を取得
  • 日経ビジネス 1991年9月16日号
    • [20]予報許可を受けているのは航空会社など20社と防衛庁で、大半は航空機・船舶の運航用
    • [21]時刻・場所を限定したピンポイント予報を一般企業に提供して成長
    • [22]気象庁予報は全国80カ所の気象台が1日5回出す不特定向けの大まかな予報で「のち」の時刻が分からない
    • [24]契約者は一般企業500社、テレビ局45局、ラジオ局13局、新聞社11社
    • [25]1992年5月期売上高見込みは前年比37%増の35億5,000万円、営業は対応策の提案を前面に

出典・参考

5件
出典・参考
  • ウェザーニューズ 有価証券報告書(2000年5月期)【沿革】
  • ウェザーニューズ 有価証券報告書【沿革】
  • 日経ビジネス 1991年9月16日号
  • 日経ビジネス 1994年9月12日号
  • ドリームゲート起業家インタビュー 第70回 2008年「株式会社ウェザーニューズ 石橋博良」

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