東映アニメーション:日本動画の設立と劇場長編「白蛇伝」の完成
1948年〜新宿区原町の日本動画と、東映教育映画部の年2本の漫画映画計画
日本動画株式会社は1948年1月、東京都新宿区原町に設立され、アニメーションの製作を始めた。1952年8月には日動映画株式会社への商号変更。東映社長の大川博氏は後年、当時の日本の漫画映画は諸外国と比べて大きく立ち遅れていたと振り返った。東映は1955年3月に社内へ漫画映画自主製作委員会を設け、事業として採算が合う見通しを得た。そのうえで同年11月、日動映画に委託して総天然色の漫画映画「うかれバイオリン」を製作させた。長編を自ら企画する資金力は乏しく、大手映画会社から短編を請け負う仕事が経営を支えていたとみられる。
- 東映アニメーション 有価証券報告書 第88期(2025年3月期)【沿革】
- [1]1948年1月 日本動画株式会社を東京都新宿区原町に設立しアニメ製作を開始
- [2]1952年8月 日動映画株式会社へ商号変更
- 歴史をつくる人々 1967「真剣勝負に生きる(東映 大川博)」
- [3]大川博の回顧:当時の日本の漫画映画は諸外国に比べ著しく遅れていた
- [4]1955年3月 東映社内に漫画映画自主製作委員会を設置、調査の結果採算の見通しを得た
- [5]1955年11月 日動映画に委託し総天然色漫画映画「うかれバイオリン」を製作
東映は1954年、教育映画の自主製作を始めた。同年8月には社内に教育映画製作配給委員会を設け、全国の配給網と撮影設備を生かせると判断して製作に踏み切った。作品の種別は児童劇映画を中心に据え、文化映画を年2〜3本、漫画映画を年2本程度加える計画である。社長の大川博氏は、1953年の海外視察を通じて、映画事業の発展には輸出の拡大が欠かせないと考えた。実写の日本映画は言葉の壁を抱える一方、漫画映画にはその障壁がないと大川博氏は見た。教育映画の枠は、輸出向けの漫画映画を試すための足場として位置づけられたと思われる。
- 企業の歴史(明治百年)1968「映画」
- [6]1954年 東映が教育映画の自主製作を開始
- 東映五年の歩み 1956「教育文化映画の製作開始」
- [7]1954年8月 教育映画製作配給委員会を設置、配給網と製作設備・能力があるとして製作開始を決定
- [8]製作方針:児童劇映画中心、文化映画年2〜3本、漫画映画年2本程度
- 歴史をつくる人々 1967「真剣勝負に生きる(東映 大川博)」
- [9]大川博:1953年の海外視察で映画事業発展には輸出拡大が必要と考えた
- [10]大川博:日本映画の輸出には言葉のハンディがあるが漫画にはない
参考文献[1]-[10]
- 東映アニメーション 有価証券報告書 第88期(2025年3月期)【沿革】
- [1]1948年1月 日本動画株式会社を東京都新宿区原町に設立しアニメ製作を開始
- [2]1952年8月 日動映画株式会社へ商号変更
- 歴史をつくる人々 1967「真剣勝負に生きる(東映 大川博)」
- [3]大川博の回顧:当時の日本の漫画映画は諸外国に比べ著しく遅れていた
- [4]1955年3月 東映社内に漫画映画自主製作委員会を設置、調査の結果採算の見通しを得た
- [5]1955年11月 日動映画に委託し総天然色漫画映画「うかれバイオリン」を製作
- [9]大川博:1953年の海外視察で映画事業発展には輸出拡大が必要と考えた
- [10]大川博:日本映画の輸出には言葉のハンディがあるが漫画にはない
- 企業の歴史(明治百年)1968「映画」
- [6]1954年 東映が教育映画の自主製作を開始
- 東映五年の歩み 1956「教育文化映画の製作開始」
- [7]1954年8月 教育映画製作配給委員会を設置、配給網と製作設備・能力があるとして製作開始を決定
- [8]製作方針:児童劇映画中心、文化映画年2〜3本、漫画映画年2本程度
1956年〜日動映画の買収と大泉スタジオ、輸出9万5千ドルを獲得した白蛇伝
東映は1956年7月、日動映画株式会社を買収し、商号を東映動画株式会社へ改めた。本社は東京都中央区京橋に置き、製作所は新宿区原町に残した。日動映画へ委託した「うかれバイオリン」の評判は予想を上回った。大川博氏はこの結果から、ディズニープロに劣らない作品を作れると自信を深めた。買収後の東映動画が手がける範囲は、漫画映画を中心に、児童向けの人形劇映画や影絵映画にもわたる。委託の実績で作り手の力量を確かめてから傘下に入れたので、人材を一から育てるより早く長編の製作へ取りかかれたのだろう。
- 東映アニメーション 有価証券報告書 第88期(2025年3月期)【沿革】
- [11]1956年7月 東映が日動映画を買収し東映動画株式会社へ商号変更
- [12]買収時の本社は東京都中央区京橋、製作所は新宿区原町
- 歴史をつくる人々 1967「真剣勝負に生きる(東映 大川博)」
- [13]「うかれバイオリン」は思ったより好評だった
- [14]大川博:将来ディズニープロに負けない作品を製作できる自信を得て日動映画を傘下に収めた
- [15]東映動画は漫画映画を中心に児童向け人形劇映画・影絵映画も製作することにした
東映動画は1957年1月、製作所を新宿区原町から練馬区東大泉の大泉スタジオへ移した。スタジオは東映東京撮影所の南側に建ち、特別に設計した機械をそろえた動画映画専用の施設だった。1968年刊の企業史は、このスタジオをディズニーのスタジオと肩を並べる施設と評した。移転から4か月後の1957年5月には、東映動画として最初の短編「こねこのらくがき」の完成。壁の落書きが動き出す筋立ての作品で、同年度の教育映画祭で入賞し、文部省選定も受けた。長編に入る前に短編で作画から撮影までの工程を通し、新しい設備の働きを確かめたと推察される。
- 東映アニメーション 有価証券報告書 第88期(2025年3月期)【沿革】
- [16]1957年1月 製作所を練馬区東大泉の大泉スタジオへ移転
- [19]1957年5月 初の短編アニメ「こねこのらくがき」完成
- 歴史をつくる人々 1967「真剣勝負に生きる(東映 大川博)」
- [17]1957年1月 東京撮影所の南側に特別設計の機械を備えた動画専用スタジオが完成
- [20]「こねこのらくがき」は壁の落書きが動く作品で、同年度の教育映画祭入賞・文部省選定
- 企業の歴史(明治百年)1968「映画」
- [18]1957年 ディズニーのスタジオに匹敵する東映動画スタジオが完成
東映動画は1958年10月、初の劇場長編「白蛇伝」を完成させた。日本で最初の総天然色による長編漫画映画で、国内外で複数の賞を受け、輸出収入9万5千ドルをもたらした。この成果を受けて、東映動画は総天然色の大型長編を毎年公開する体制に入った。1959年末の「少年猿飛佐助」に続き、1960年「西遊記」、1961年「安寿と厨子王丸」、1962年「シンドバッドの冒険」の公開。これらの長編はいずれも海外へ輸出され、外貨の獲得に寄与した。大川博氏は、漫画映画がCM動画とともにテレビと切り離せない関係にあると見ていた。毎年の長編で抱えた作画の人員は、テレビ向けの量産へ転じる際の土台になったと考えられる。
- 東映アニメーション 有価証券報告書 第88期(2025年3月期)【沿革】
- [21]1958年10月 初の劇場長編アニメ「白蛇伝」完成
- 歴史をつくる人々 1967「真剣勝負に生きる(東映 大川博)」
- [22]「白蛇伝」は日本最初の総天然色長篇漫画映画、1958年10月封切、国内外で受賞、輸出収入9万5千ドル
- [23]1959年末「少年猿飛佐助」、1960年「西遊記」、1961年「安寿と厨子王丸」、1962年「シンドバッドの冒険」を公開
- [24]1959年末「少年猿飛佐助」、1960年「西遊記」、1961年「安寿と厨子王丸」、1962年「シンドバッドの冒険」を公開
- [25]これらの長編はいずれも海外に輸出され外貨獲得に役立った
- [26]大川博:漫画映画はCM動画とともにテレビと不可分の関係にある
参考文献[11]-[26]
- 東映アニメーション 有価証券報告書 第88期(2025年3月期)【沿革】
- [11]1956年7月 東映が日動映画を買収し東映動画株式会社へ商号変更
- [12]買収時の本社は東京都中央区京橋、製作所は新宿区原町
- [16]1957年1月 製作所を練馬区東大泉の大泉スタジオへ移転
- [19]1957年5月 初の短編アニメ「こねこのらくがき」完成
- [21]1958年10月 初の劇場長編アニメ「白蛇伝」完成
- 歴史をつくる人々 1967「真剣勝負に生きる(東映 大川博)」
- [13]「うかれバイオリン」は思ったより好評だった
- [14]大川博:将来ディズニープロに負けない作品を製作できる自信を得て日動映画を傘下に収めた
- [15]東映動画は漫画映画を中心に児童向け人形劇映画・影絵映画も製作することにした
- [17]1957年1月 東京撮影所の南側に特別設計の機械を備えた動画専用スタジオが完成
- [20]「こねこのらくがき」は壁の落書きが動く作品で、同年度の教育映画祭入賞・文部省選定
- [22]「白蛇伝」は日本最初の総天然色長篇漫画映画、1958年10月封切、国内外で受賞、輸出収入9万5千ドル
- [23]1959年末「少年猿飛佐助」、1960年「西遊記」、1961年「安寿と厨子王丸」、1962年「シンドバッドの冒険」を公開
- [24]1959年末「少年猿飛佐助」、1960年「西遊記」、1961年「安寿と厨子王丸」、1962年「シンドバッドの冒険」を公開
- [25]これらの長編はいずれも海外に輸出され外貨獲得に役立った
- [26]大川博:漫画映画はCM動画とともにテレビと不可分の関係にある
- 企業の歴史(明治百年)1968「映画」
- [18]1957年 ディズニーのスタジオに匹敵する東映動画スタジオが完成
出典・参考
4件
- 東映アニメーション 有価証券報告書 第88期(2025年3月期)【沿革】
- 東映五年の歩み 1956「教育文化映画の製作開始」
- 歴史をつくる人々 1967「真剣勝負に生きる(東映 大川博)」
- 企業の歴史(明治百年)1968「映画」