リゾートトラスト:宝塚エンタープライズの設立と「サンメンバーズひるがの」の開業
1973年〜父の宝塚観光を継いだ伊藤與朗氏と、石油危機を越えたサンメンバーズひるがの
創業者の伊藤與朗氏は、名古屋で飲食店や貸しビルを営んだ父の宝塚観光を22歳で継いでいた。だが伊藤與朗氏の関心は店の経営より、国内外で見て回ったリゾート施設の方へ向いていた。1973年4月、伊藤與朗氏は名古屋市中区に宝塚エンタープライズを設立した。事業の起点を、伊藤與朗氏は後年『ビジネスというよりは、遊びが好きで外国にあるような優雅なリゾートホテルを日本にもつくりたいという夢からスタートした』と説明した。事業の形に選んだ会員制は、会員から預かる無利子の資金で施設を建てる仕組みだった。建設費が重く回収の長い一般のホテルと違い、初期の負担が軽く資金も早く戻った。設立の頃は「1億総レジャー」と呼ばれた時代で、中部では会員制ホテルがまだ珍しかった。大きな自己資金を持たない二代目にとって、預託金は夢を事業へ移す梃子になったとみられる。
- 長銀総研L 9(4) 1992年4月号 会社紹介(中田智夫)
- [1]伊藤與朗は1940年名古屋生まれ。父は名古屋でレストラン・クラブ・貸しビル業を営む宝塚観光の創業社長で、22歳の時に父が他界して事業を継いだ
- [2]伊藤は世界のレジャー・リゾート施設を見て回り、会員制リゾートクラブ事業の将来性を確信するようになった
- リゾートトラスト 有価証券報告書 第52期(2025年3月期)沿革
- [3]1973年4月、名古屋市中区に宝塚エンタープライズ株式会社を設立
- 日経ビジネス 1988年2月1日号
- [4]伊藤社長は、遊びが好きで外国のような優雅なリゾートホテルを日本につくりたいという夢から始めたと語った
- [5]会員制は会員から集めた無利子の資金で施設を建てるため、イニシャルコストが小さく資金回収が早い
- [6]一般のホテルは建設費が大きく資金回収が長期にわたるため経営的に難しい
- [7]設立当時の昭和40年代後半は「1億総レジャー」の時代で、中部地区では会員制ホテルがまだ珍しかった
第1号の会員制リゾートホテル「サンメンバーズひるがの」は、1974年12月に岐阜県高鷲村(現・郡上市)で開業した。同じ月、名古屋市中区ではホテル仕立ての分譲マンション「ヴィア白川」も開いた。その直後に石油危機が起き、会員権とマンションには3〜4割の解約が出た。建設費の高騰と販売の不振も重なり、宝塚エンタープライズは大きな打撃を受けた。当時は会員制リゾートに約130社が参入していたが、倒産を免れたのは数社だったという。伊藤與朗社長は、それまでに築いた名古屋財界の人脈から援助を得て、この局面をしのいだ。預託金に依存する仕組みは売れ行きが止まると資金が詰まり、その穴を地元の人脈が埋めたと推察される。
- リゾートトラスト 有価証券報告書 第52期(2025年3月期)沿革
- [8]1974年12月、岐阜県郡上市高鷲町に第1号の会員制リゾートホテル「サンメンバーズひるがの」を開業
- [9]1974年12月、名古屋市中区に都市型ホテルスタイルの分譲マンション・テナントビル「ヴィア白川」を開業
- あさひ銀総研レポート 8(12) 1999年12月号 トップインタビュー「リゾートトラスト(株)代表取締役社長 伊藤勝康氏――21世紀に向けて豊かなライフスタイルを創造する」
- [10]会員制ホテル事業が軌道に乗りマンションもほぼ完売していたが、オイルショックで3〜4割の解約が出た
- 長銀総研L 9(4) 1992年4月号 会社紹介(中田智夫)
- [11]1974年の第一次石油ショックで建設費が高騰し販売不振となり、大きな打撃を受けた
- [12]列島改造期に会員制リゾートクラブ業者が約130社乱立したが、石油ショック後に倒産を免れたのは同社を含め数社だった
- [13]伊藤は名古屋財界の人脈からの援助で石油ショックの打撃を切り抜けた
ひるがのを皮切りに、名古屋白川、奥志摩、高山、名古屋錦へとサンメンバーズの施設を重ねた。サンメンバーズクラブは、預託金と共有制を中核に組んだ会員制クラブだった。石油危機のあとは、東京・名古屋・大阪に都市型の会員制ホテル「エグゼクティブクラブ」「オーナーズクラブ」を商品化した。リゾートと都市の施設を併せて使える会員権もつくり、売りやすさを高めた。1982年11月にはホテル・レストランの運営を担う子会社サンホテルインターナショナルを設け、現業部門を委ねた。翌12月には東京本社を開設し、名古屋との二本社制とした。以後、本体は会員権販売で利益を出し、運営子会社の赤字をそれで補う構図になった。
- 長銀総研L 9(4) 1992年4月号 会社紹介(中田智夫)
- [14]ひるがのを皮切りに名古屋白川・奥志摩・高山・名古屋錦にサンメンバーズの会員制リゾートホテルを開業
- [15]サンメンバーズクラブは預託金と共有制を基本とする会員制クラブ
- あさひ銀総研レポート 8(12) 1999年12月号 トップインタビュー「リゾートトラスト(株)代表取締役社長 伊藤勝康氏――21世紀に向けて豊かなライフスタイルを創造する」
- [16]石油危機後も根強いリゾート需要から、東京・名古屋・大阪に都市型会員制ホテル「エグゼクティブクラブ」「オーナーズクラブ」を商品化
- 日経ビジネス 1988年2月1日号
- [17]石油危機後、会員制サロンやシティホテルも展開し、リゾートホテルとともに利用できる会員権を開発した
- [20]販売で利益を出し、子会社のホテル運営部門は赤字で、会員権販売の粗利で運営部門の赤字を補ってきた
- リゾートトラスト 有価証券報告書 第52期(2025年3月期)沿革
- [18]1982年11月、ホテル・レストラン運営の子会社サンホテルインターナショナルを設立し現業部門の運営を委託
- [19]1982年12月、東京都新宿区に東京本社を開設し二本社制
参考文献[1]-[20]
- 長銀総研L 9(4) 1992年4月号 会社紹介(中田智夫)
- [1]伊藤與朗は1940年名古屋生まれ。父は名古屋でレストラン・クラブ・貸しビル業を営む宝塚観光の創業社長で、22歳の時に父が他界して事業を継いだ
- [2]伊藤は世界のレジャー・リゾート施設を見て回り、会員制リゾートクラブ事業の将来性を確信するようになった
- [11]1974年の第一次石油ショックで建設費が高騰し販売不振となり、大きな打撃を受けた
- [12]列島改造期に会員制リゾートクラブ業者が約130社乱立したが、石油ショック後に倒産を免れたのは同社を含め数社だった
- [13]伊藤は名古屋財界の人脈からの援助で石油ショックの打撃を切り抜けた
- [14]ひるがのを皮切りに名古屋白川・奥志摩・高山・名古屋錦にサンメンバーズの会員制リゾートホテルを開業
- [15]サンメンバーズクラブは預託金と共有制を基本とする会員制クラブ
- リゾートトラスト 有価証券報告書 第52期(2025年3月期)沿革
- [3]1973年4月、名古屋市中区に宝塚エンタープライズ株式会社を設立
- [8]1974年12月、岐阜県郡上市高鷲町に第1号の会員制リゾートホテル「サンメンバーズひるがの」を開業
- [9]1974年12月、名古屋市中区に都市型ホテルスタイルの分譲マンション・テナントビル「ヴィア白川」を開業
- [18]1982年11月、ホテル・レストラン運営の子会社サンホテルインターナショナルを設立し現業部門の運営を委託
- [19]1982年12月、東京都新宿区に東京本社を開設し二本社制
- 日経ビジネス 1988年2月1日号
- [4]伊藤社長は、遊びが好きで外国のような優雅なリゾートホテルを日本につくりたいという夢から始めたと語った
- [5]会員制は会員から集めた無利子の資金で施設を建てるため、イニシャルコストが小さく資金回収が早い
- [6]一般のホテルは建設費が大きく資金回収が長期にわたるため経営的に難しい
- [7]設立当時の昭和40年代後半は「1億総レジャー」の時代で、中部地区では会員制ホテルがまだ珍しかった
- [17]石油危機後、会員制サロンやシティホテルも展開し、リゾートホテルとともに利用できる会員権を開発した
- [20]販売で利益を出し、子会社のホテル運営部門は赤字で、会員権販売の粗利で運営部門の赤字を補ってきた
- あさひ銀総研レポート 8(12) 1999年12月号 トップインタビュー「リゾートトラスト(株)代表取締役社長 伊藤勝康氏――21世紀に向けて豊かなライフスタイルを創造する」
- [10]会員制ホテル事業が軌道に乗りマンションもほぼ完売していたが、オイルショックで3〜4割の解約が出た
- [16]石油危機後も根強いリゾート需要から、東京・名古屋・大阪に都市型会員制ホテル「エグゼクティブクラブ」「オーナーズクラブ」を商品化
1983年〜リゾーピア熱海で拡大した会員網と、豊田商事事件のあとに見直したフローティング方式
1983年1月、静岡県熱海市に会員制リゾートホテル「リゾーピア熱海」を開業した。施設を増やしたのは、伊藤與朗社長が設立当初から20カ所ほどの施設をつくると掲げて会員を募っていたためだった。販売は、関西・関東の独立採算の事業本部と、大京観光から招いた営業幹部による電話攻勢が担った。営業担当者は多い日に1人で150〜200本の電話をかけた。一方で会員は1室あたり約30人を目安に募っており、予約は土日や盆・正月に集中した。空いていればどの日にも泊まれるフローティング方式では、泊まりたい日に泊まれない不満が会員に溜まった。この矛盾は、フローティング方式をとる業界全体に共通していた。
- リゾートトラスト 有価証券報告書 第52期(2025年3月期)沿革
- [21]1983年1月、静岡県熱海市に会員制リゾートホテル「リゾーピア熱海」を開業
- 日経ビジネス 1988年2月1日号
- [22]伊藤社長は設立当初から「20カ所位施設をつくる」と言って会員を募集し、施設の多さを販売の魅力にした
- [23]関西・関東など独立採算の事業本部制を敷き、大京観光の部長・支店長クラス十数名をスカウトして電話営業を展開
- [24]営業マンは多い時に1人1日150〜200本の電話を入れた
- [25]1室あたり約30人を目安に会員を募集し、予約は土日や盆・正月に集中した
- 長銀総研L 9(4) 1992年4月号 会社紹介(中田智夫)
- [26]フローティングシステムでは盆・正月・5月連休に利用が集中し、泊まりたい時に泊まれない苦情と不満が会員に鬱積した
- [27]フローティングシステムをとる限り避けられない業界全体の矛盾だった
豊田商事事件は、会員の中に溜まっていた不満を解約として顕在化させた。北川勝義常務によれば、販売を急ぐあまり必ず泊まれると言い過ぎた営業担当者もいた。金の販売で悪名を得た豊田商事グループは、破綻の間際に会員制のレジャー部門へも参入していた。このため、真面目に会員制を営む事業者までが世間から同じ目で見られた。宝塚エンタープライズは7〜8億円分の会員権を買い戻し、1986年3月期に税引後利益が赤字へ転じた。伊藤與朗社長はフローティング方式を根本から見直し、会員の要望に応える新しい仕組みを開発すると決めた。あわせて営業体制を全面的に改め、運営体制も強めることにした。伊藤與朗社長は、社内の体制全般を一新しなければこの難局を越えられないと判断した。
- 日経ビジネス 1988年2月1日号
- [28]常務の北川勝義は、豊田商事事件による解約は会員の中にたまっていた不満が顕在化したものだとみた
- [29]売らんがために「必ず泊まれる」とオーバートークする営業マンもいたと北川常務が認めた
- [32]豊田商事事件で解約が出て7〜8億円を買い戻し、昭和61年3月期に税引後利益が赤字に転落した
- 長銀総研L 9(4) 1992年4月号 会社紹介(中田智夫)
- [30]金のペーパー商法で悪名を轟かせた豊田商事グループは、ゴルフやリゾートクラブの会員権販売にまで事業を拡大して倒産した
- [31]真面目な会員制事業者までもが世間から胡散臭い目で見られるようになった
- [33]伊藤はフローティングシステムを根本的に見直し、顧客ニーズに応える新システムを開発すると決断した
- [34]営業体制の全面改善と運営体制の強化も必要とした
- [35]社内体制全般を一新しなければ難局を切り抜けられないと悟った
1984年に導入したCIは、設立から積み上げた知見とノウハウを一つに集める場になった。1984年3月期には、売上高に対する販売費・一般管理費の割合が9割近くに達していた。伊藤與朗社長は、それまでの施設づくりが質より量を重んじてきたと認めた。古田耕司専務も、客室数などが見劣りする施設が多かったとみていた。予約は先着順で、休暇の時期には電話がつながっても既に満室だった。北川勝義常務は、打開にはよい施設をつくるほかないという考えを示した。手がかりは、欧米に定着したタイムシェアリングと、サンメンバーズの運用で得た経験だった。ただ日本の休暇は2泊3日から3泊4日が中心で、1週間単位の欧米型はそのまま使えなかった。見直しは1986年の改称を経て、翌1987年のエクシブ鳥羽の開業へ進んだ。
- 長銀総研L 9(4) 1992年4月号 会社紹介(中田智夫)
- [36]1984年にCIを導入し、設立以来社内に蓄積された知見とノウハウを結集して新商品を生み出した
- [42]欧米で定着したタイムシェアリングを踏まえ、サンメンバーズクラブの運用経験を基に新システムを開発した
- [43]欧米のタイムシェアは1週間単位だが、日本では2泊3日か3泊4日程の余暇が定着し1週間の休日は取りにくい
- [44]1986年に社名をリゾートトラストに変更し、エクシブシリーズは1987年オープンの鳥羽を皮切りとした
- 日経ビジネス 1988年2月1日号
- [37]売上高に占める販売費及び一般管理費の割合が昭和59年3月期には90%弱だった
- [38]伊藤社長は、それまでは施設について質より量を重視してきたと述べた
- [39]古田耕司専務は、部屋数など今から見れば貧弱な施設が多かったとした
- [41]北川勝義常務は、状況の打開には結局いい施設をつくるしかないとした
- あさひ銀総研レポート 8(12) 1999年12月号 トップインタビュー「リゾートトラスト(株)代表取締役社長 伊藤勝康氏――21世紀に向けて豊かなライフスタイルを創造する」
- [40]従来システムの予約は早いもの勝ちで、土日・盆・正月に電話が殺到してつながらず、つながっても満室だった
参考文献[21]-[44]
- リゾートトラスト 有価証券報告書 第52期(2025年3月期)沿革
- [21]1983年1月、静岡県熱海市に会員制リゾートホテル「リゾーピア熱海」を開業
- 日経ビジネス 1988年2月1日号
- [22]伊藤社長は設立当初から「20カ所位施設をつくる」と言って会員を募集し、施設の多さを販売の魅力にした
- [23]関西・関東など独立採算の事業本部制を敷き、大京観光の部長・支店長クラス十数名をスカウトして電話営業を展開
- [24]営業マンは多い時に1人1日150〜200本の電話を入れた
- [25]1室あたり約30人を目安に会員を募集し、予約は土日や盆・正月に集中した
- [28]常務の北川勝義は、豊田商事事件による解約は会員の中にたまっていた不満が顕在化したものだとみた
- [29]売らんがために「必ず泊まれる」とオーバートークする営業マンもいたと北川常務が認めた
- [32]豊田商事事件で解約が出て7〜8億円を買い戻し、昭和61年3月期に税引後利益が赤字に転落した
- [37]売上高に占める販売費及び一般管理費の割合が昭和59年3月期には90%弱だった
- [38]伊藤社長は、それまでは施設について質より量を重視してきたと述べた
- [39]古田耕司専務は、部屋数など今から見れば貧弱な施設が多かったとした
- [41]北川勝義常務は、状況の打開には結局いい施設をつくるしかないとした
- 長銀総研L 9(4) 1992年4月号 会社紹介(中田智夫)
- [26]フローティングシステムでは盆・正月・5月連休に利用が集中し、泊まりたい時に泊まれない苦情と不満が会員に鬱積した
- [27]フローティングシステムをとる限り避けられない業界全体の矛盾だった
- [30]金のペーパー商法で悪名を轟かせた豊田商事グループは、ゴルフやリゾートクラブの会員権販売にまで事業を拡大して倒産した
- [31]真面目な会員制事業者までもが世間から胡散臭い目で見られるようになった
- [33]伊藤はフローティングシステムを根本的に見直し、顧客ニーズに応える新システムを開発すると決断した
- [34]営業体制の全面改善と運営体制の強化も必要とした
- [35]社内体制全般を一新しなければ難局を切り抜けられないと悟った
- [36]1984年にCIを導入し、設立以来社内に蓄積された知見とノウハウを結集して新商品を生み出した
- [42]欧米で定着したタイムシェアリングを踏まえ、サンメンバーズクラブの運用経験を基に新システムを開発した
- [43]欧米のタイムシェアは1週間単位だが、日本では2泊3日か3泊4日程の余暇が定着し1週間の休日は取りにくい
- [44]1986年に社名をリゾートトラストに変更し、エクシブシリーズは1987年オープンの鳥羽を皮切りとした
- あさひ銀総研レポート 8(12) 1999年12月号 トップインタビュー「リゾートトラスト(株)代表取締役社長 伊藤勝康氏――21世紀に向けて豊かなライフスタイルを創造する」
- [40]従来システムの予約は早いもの勝ちで、土日・盆・正月に電話が殺到してつながらず、つながっても満室だった
出典・参考
4件
- リゾートトラスト 有価証券報告書 第52期(2025年3月期)沿革
- 日経ビジネス 1988年2月1日号
- 長銀総研L 9(4) 1992年4月号 会社紹介(中田智夫)
- あさひ銀総研レポート 8(12) 1999年12月号 トップインタビュー「リゾートトラスト(株)代表取締役社長 伊藤勝康氏――21世紀に向けて豊かなライフスタイルを創造する」