御幸毛織:原糸を購入する織屋が築いたミユキテックスと3市場上場
1946年〜制限会社の解除から資本金9000万円への増資
御幸毛織は空襲で焼失した庄内川工場の諸設備を戦後に整備拡充し、技術の回復と生産の増強にあたった。この間、1946年8月に特別経理会社、同年11月に制限会社の指定を受けたが、制限会社は1948年12月に、特別経理会社は1949年2月にいずれも解除された。1950年12月以降は数回にわたって増資を行い、あわせて資産再評価を実施して、うち1800万円を資本に組み入れ、1955年3月に資本金9000万円となった。払込の期日でたどると、資本金は1950年11月に1000万円、1953年12月に6000万円、1955年3月に9000万円と積み上がった。
- 会社銀行八十年史(東洋経済新報社、1955年)2篇 日本会社史 03_羊毛「御幸毛織」
- [1]庄内川工場は戦災を受けたが、工場諸設備を整備拡充し、技術の回復と生産の増強を図った
- [3]1950年12月以来数回にわたる増資を行い、また資産再評価を実施し、うち1800万円を資本に組み入れて1955年3月に資本金9000万円となった
- ダイヤモンド会社産業総覧 1964年版「御幸毛織」
- [2]1946年8月に特別経理会社に指定、同年11月に制限会社に指定、1948年12月に制限会社を解除、1949年2月に特別経理会社を解除
- 証券 1962年7月号
- [4]資本金の変遷は1950年11月に1000万円、1953年12月に6000万円、1955年3月に9000万円
1955年時点の御幸毛織は、国産品の中で最高級との評価を受け、質でも量でも毛織物業界の第1位にあった。手がけた織物は先染梳毛紳士服地・先染礼服地・後染礼服地の3種類である。毛羽をよく刈り込んで表面に滑らかな艶を出し、羊毛が本来持つ弾力を生かした英国風の風合いが持ち味だった。原糸を染色・準備・製織・補修・仕上の工程に順に通して作り、なかでも仕上の工程に独自の技術を持つことが強みとなった。同社は"ミユキテックス"と"ファンシイテックス"の2大チョップを抱え、英国調の紳士服地として評価されたうえで、高級婦人服地へも事業を拡大していた。
- ダイヤモンド会社産業総覧 1964年版「御幸毛織」
- [5]高級紳士服地の専門メーカーで質量ともに業界第1位、国内では最高級品としての定評がある
- [6]織物は先染梳毛紳士服地、先染礼服地および後染礼服地で、毛羽を十分に刈り込んで表面になめらかな地艶をあたえ、羊毛本来の弾力性をいかした英国調紳士服地の味わいをもつのが特長
- [7]原糸を染色、準備、製織、補修、仕上げの工程を経て生産し、仕上げ工程に独特の技術をもつのが強味
- 会社銀行八十年史(東洋経済新報社、1955年)2篇 日本会社史 03_羊毛「御幸毛織」
- [8]「ミユキテックス」「ファンシイテックス」の二大チョップを有し、英国調紳士服地として高く評価され、最近は高級婦人服地に新生面を開拓した
1954年3月、名古屋証券業協会で御幸毛織株の店頭売買が始まった。1957年3月にはテレビ番組"ミユキ野球教室"の放送が始まり、同年10月には空襲で焼けた庄内川工場を再建して製織工場として操業を開始した。1934年10月の竣工時には毛紡績工場として動かしていた庄内川工場を、再建にあたって製織工場に替えた。1957年の売上高は18億円、当期純利益は2億円で、以後1959年に売上高20億円、1960年に23億円と伸びた。売上高に対する税込利益の比率は1957年4月期で16.0%、1959年10月期で17.7%に達した。
- 御幸毛織 有価証券報告書【沿革】
- [9]1954年3月 名古屋証券業協会の店頭売買開始
- [10]1957年3月 テレビ番組「ミユキ野球教室」放送開始/1957年10月 庄内川工場を再建し製織工場として操業開始
- [11]1934年10月 庄内川工場 竣工 毛紡績工場として操業開始/1957年10月 庄内川工場を再建 製織工場として操業開始
- ダイヤモンド会社産業総覧 1964年版「御幸毛織」
- [12]半期合算の売上高は1957年18億円・当期純利益2億円、1959年20億円、1960年23億円
- [13]過去の業績(半期決算)で1957年4月期は売上高854,375千円・税込利益108,245千円・利益率16.0、1959年10月期は998,967千円・159,443千円・17.7
参考文献[1]-[13]
- 会社銀行八十年史(東洋経済新報社、1955年)2篇 日本会社史 03_羊毛「御幸毛織」
- [1]庄内川工場は戦災を受けたが、工場諸設備を整備拡充し、技術の回復と生産の増強を図った
- [3]1950年12月以来数回にわたる増資を行い、また資産再評価を実施し、うち1800万円を資本に組み入れて1955年3月に資本金9000万円となった
- [8]「ミユキテックス」「ファンシイテックス」の二大チョップを有し、英国調紳士服地として高く評価され、最近は高級婦人服地に新生面を開拓した
- ダイヤモンド会社産業総覧 1964年版「御幸毛織」
- [2]1946年8月に特別経理会社に指定、同年11月に制限会社に指定、1948年12月に制限会社を解除、1949年2月に特別経理会社を解除
- [5]高級紳士服地の専門メーカーで質量ともに業界第1位、国内では最高級品としての定評がある
- [6]織物は先染梳毛紳士服地、先染礼服地および後染礼服地で、毛羽を十分に刈り込んで表面になめらかな地艶をあたえ、羊毛本来の弾力性をいかした英国調紳士服地の味わいをもつのが特長
- [7]原糸を染色、準備、製織、補修、仕上げの工程を経て生産し、仕上げ工程に独特の技術をもつのが強味
- [12]半期合算の売上高は1957年18億円・当期純利益2億円、1959年20億円、1960年23億円
- [13]過去の業績(半期決算)で1957年4月期は売上高854,375千円・税込利益108,245千円・利益率16.0、1959年10月期は998,967千円・159,443千円・17.7
- 証券 1962年7月号
- [4]資本金の変遷は1950年11月に1000万円、1953年12月に6000万円、1955年3月に9000万円
- 御幸毛織 有価証券報告書【沿革】
- [9]1954年3月 名古屋証券業協会の店頭売買開始
- [10]1957年3月 テレビ番組「ミユキ野球教室」放送開始/1957年10月 庄内川工場を再建し製織工場として操業開始
- [11]1934年10月 庄内川工場 竣工 毛紡績工場として操業開始/1957年10月 庄内川工場を再建 製織工場として操業開始
1961年〜年間3000種の服地と名証・東証・大証への上場
御幸毛織は1961年9月、名古屋証券取引所市場第一部に上場した。1962年6月1日には東京証券取引所市場第二部に株式を上場し、1963年4月に東京証券取引所市場第一部、同年8月に大阪証券取引所市場第一部へ進んだ。上場の前月にあたる1961年8月26日には1対0.6の公募増資を払い込み、資本金を4億5000万円とした。上場株式数は900万株、授権株式数は960万株、未発行株式数は600万株で、決算期は4月25日と10月25日の年2回である。配当は1960年10月期から1961年10月期まで3期続けて年率30%、うち特別配当10%を出した。3市場への上場を終えた1963年2月26日には1対0.5の公募増資を払い込み、資本金は7億円となった。授権株式数は3600万株、発行株式数は1400万株へ広がった。
- 御幸毛織 有価証券報告書【沿革】
- [14]1961年9月 名古屋証券取引所の市場第一部に上場
- [16]1963年4月 東京証券取引所の市場第一部に上場/1963年8月 大阪証券取引所の市場第一部に上場
- 証券 1962年7月号
- [15]「(市場第二部)新規上場会社紹介 御幸毛織株式会社」として1962年6月1日上場と記載
- [18]資本金450,000千円、上場株式数9,000千株、授権株式数9,600千株、未発行株式数600千株、決算期4月25日・10月25日
- [19]配当率は1961年10月期30%(内特別10%)、1961年4月期30%(内特別10%)、1960年10月期30%(内特別10%)
- ダイヤモンド会社産業総覧 1964年版「御幸毛織」
- [17]資本異動は1961年8月26日払込、資本金450,000千円、割当比率1対0.6の公募
- [20]資本異動は1963年2月26日払込、資本金700,000千円、割当比率1対0.5の公募
- [21]授権株数36,000千株、発行株数14,000千株
上場時の株主は1961年10月25日現在で2414名、うち愛知県が1560名と64.6%を占めた。株式数でみても愛知県が525万7316株で58.4%にのぼり、大阪が27.3%、東京が5.9%と続いた。筆頭株主は東洋紡績の133万2000株で、以下は東邦商事39万6000株、杉崎半吉常務が33万4400株、粟野金之助常務が30万8000株、小松原信明社長が24万900株、大井証券22万2660株、鷹岡21万6000株と並んだ。取引銀行は三菱銀行、住友銀行、東海銀行、第一銀行の4行、従業員数は861名を数えた。
- 証券 1962年7月号
- [22]株式の分布(1961年10月25日現在)は株主数2,414名、愛知1,560名・64.6%
- [23]愛知5,257,316株・58.4%、大阪27.3%、東京5.9%
- [24]大株主は東洋紡績1,332,000株、東邦商事396,000株、杉崎半吉334,400株、粟野金之助308,000株、小松原信240,900株、大井証券222,660株、鷹岡216,000株。役員は社長小松原信、常務杉崎半吉・粟野金之助
- [25]取引銀行は三菱銀行・住友銀行・東海銀行・第一銀行、従業員数861名(1961年10月25日現在)
製品はミユキテックスとファンシイテックスの商標で全国に売られ、その種類は年間3000種以上に及んだ。高級品の需要が増えて稼働率は100%を超え、御幸毛織はこれに対処する第1次設備拡充を実施していた。続けて1963年12月の完成を目標に、所要資金2億8000万円で庄内川工場の製織工場を増築し、旧型織機と付属機械を新型機に取り替える工事も進めた。1963年8月には庄内川工場の増築を終えて製織部門を集中させた。1962年の売上高は29億円、営業利益は10億円に達した。決算期ごとの数量でみると、1962年4月期には紳士服地58万5940メートル、礼服地8万1227メートルを売った。
- 証券 1962年7月号
- [26]製品はミユキテックスおよびフアンシイテックスの商標で英国調の渋い製品を全国的に販売し、その種類は年間3,000種以上におよぶ
- [27]最近高級品の需要が増加し、稼動率は100%を超える状態にあり、これに対処するため目下第1次設備拡充を実施中
- ダイヤモンド会社産業総覧 1964年版「御幸毛織」
- [28]着手中の事業計画は1963年12月完成目標、所要資金2億8000万円で庄内川工場の製織工場の増築、旧型織機ならびに同付属機械の新型機械との取替え
- [30]半期合算の1962年売上高29億円、営業利益10億円
- [31]販売実績(メートル)は1962年4月期に紳士服地585,940、礼服地81,227
- 御幸毛織 有価証券報告書【沿革】
- [29]1963年8月 庄内川工場を増築 製織部門の集中化を計る
参考文献[14]-[31]
- 御幸毛織 有価証券報告書【沿革】
- [14]1961年9月 名古屋証券取引所の市場第一部に上場
- [16]1963年4月 東京証券取引所の市場第一部に上場/1963年8月 大阪証券取引所の市場第一部に上場
- [29]1963年8月 庄内川工場を増築 製織部門の集中化を計る
- 証券 1962年7月号
- [15]「(市場第二部)新規上場会社紹介 御幸毛織株式会社」として1962年6月1日上場と記載
- [18]資本金450,000千円、上場株式数9,000千株、授権株式数9,600千株、未発行株式数600千株、決算期4月25日・10月25日
- [19]配当率は1961年10月期30%(内特別10%)、1961年4月期30%(内特別10%)、1960年10月期30%(内特別10%)
- [22]株式の分布(1961年10月25日現在)は株主数2,414名、愛知1,560名・64.6%
- [23]愛知5,257,316株・58.4%、大阪27.3%、東京5.9%
- [24]大株主は東洋紡績1,332,000株、東邦商事396,000株、杉崎半吉334,400株、粟野金之助308,000株、小松原信240,900株、大井証券222,660株、鷹岡216,000株。役員は社長小松原信、常務杉崎半吉・粟野金之助
- [25]取引銀行は三菱銀行・住友銀行・東海銀行・第一銀行、従業員数861名(1961年10月25日現在)
- [26]製品はミユキテックスおよびフアンシイテックスの商標で英国調の渋い製品を全国的に販売し、その種類は年間3,000種以上におよぶ
- [27]最近高級品の需要が増加し、稼動率は100%を超える状態にあり、これに対処するため目下第1次設備拡充を実施中
- ダイヤモンド会社産業総覧 1964年版「御幸毛織」
- [17]資本異動は1961年8月26日払込、資本金450,000千円、割当比率1対0.6の公募
- [20]資本異動は1963年2月26日払込、資本金700,000千円、割当比率1対0.5の公募
- [21]授権株数36,000千株、発行株数14,000千株
- [28]着手中の事業計画は1963年12月完成目標、所要資金2億8000万円で庄内川工場の製織工場の増築、旧型織機ならびに同付属機械の新型機械との取替え
- [30]半期合算の1962年売上高29億円、営業利益10億円
- [31]販売実績(メートル)は1962年4月期に紳士服地585,940、礼服地81,227
1963年〜一次問屋2社への集約と売上100億円の梳毛服地
1963年4月末、御幸毛織の従業員は1271名で、そのうち1174名が工員だった。生産の場は2カ所で、織物と染色整理加工を担う西志賀工場に608名、織物の庄内川工場に662名がいた。工員1174名の中で女性は1068名を占め、平均年齢は17.8歳、平均勤続は2.0年と若く、税込の平均給与は月額9957円だった。原糸は一般の毛織会社と違って自社で紡がず、全量を他社から買っていた。主な仕入れ先は東洋紡績と中央毛織で、社内に置いた工程は染色・準備・製織・補修・仕上だけだった。製品はどれも受注生産で、契約商社がミユキテックス、ファンシイテックスの商標を付け、おもに全国のテイラーを経て最終需要者に届いた。主要関係会社は資本金100万円の鷹岡1社で、持株比率は36.2%を占めた。
- ダイヤモンド会社産業総覧 1964年版「御幸毛織」
- [32]労務状況1963年4月末現在の合計1,271名(職員男74名・女23名、工員男106名・女1,068名)。事業所は西志賀工場(織物・染色整理加工)608名、庄内川工場(織物)662名
- [33]労務状況1963年4月末現在、工員女1,068名は平均年齢17.8歳、平均勤続2.0年、平均給与月額9,957円(税込・基準外賃金と賞与を含まない)
- [34]一般の毛織会社と違い、紡績部門をもたず、原糸はすべて他から購入する
- [35]主な購入先は東洋紡績、中央毛織など。原糸を染色、準備、製織、補修、仕上げの工程を経て生産する
- [36]製品はすべて注文生産で、契約商社によってそれぞれミユキテツクス、フアンシイテツクスの商標名がつけられ、主として全国のテイラーを通じて最終需要者にわたっている
- [37]主要関係会社は鷹岡(資本金100万円)、持株比率36.2%
東洋紡績の持株比率は1962年4月時点で14.8%、1966年4月と1970年4月はともに14.0%、1974年10月は12.0%で、いずれも15%に届かなかった。社長以下の役員に東洋紡績出身者が並ぶ系列会社でありながら、資本の上では東洋紡績の子会社ではなかった。1974年10月の上位株主には第一勧銀4.2%、三菱銀行4.1%、東海銀行4.1%、住友銀行3.9%、三和銀行3.9%が連なり、東洋紡績に次ぐ順位を銀行が占めた。取引先の鷹岡は1962年4月に2.4%、1974年10月にも2.0%を保有し続けた。
- 会社年鑑 1963年版「御幸毛織」/会社年鑑 1967年版「御幸毛織」/会社年鑑 1971年版「御幸毛織」/会社年鑑 1976年版「御幸毛織」
- [38]東洋紡績の持株比率はFY62(1962/4)14.8%、FY66(1966/4)14.0%、FY70(1970/4)14.0%、FY74(1974/10)12.0%
- ダイヤモンド会社産業総覧 1964年版「御幸毛織」
- [39]東洋紡績の系列下にあり、社長以下の役員に東洋紡出身者が多い
- 会社年鑑 1976年版「御幸毛織」
- [40]FY74(1974/10)の大株主は東洋紡績12.0%、第一勧銀4.2%、三菱銀行4.1%、東海銀行4.1%、住友銀行3.9%、三和銀行3.9%
- 会社年鑑 1963年版「御幸毛織」/会社年鑑 1976年版「御幸毛織」
- [41]鷹岡の持株比率はFY62(1962/4)2.4%、FY74(1974/10)2.0%
1970年9月、城北工場が竣工し、染色・仕上工場として操業を開始した。1974年4月には販売子会社のミユキ販売を設立し、それ以前は数社に卸していた一次問屋を、ミユキ販売と鷹岡の2社へ絞った。ミユキ販売にはミユキテックス、鷹岡にはファンシイテックスのブランドを付けて、同一の製品を流した。売上高は1969年の61億円から1973年には105億円へ伸び、同年の経常利益は33億円、当期純利益は18億円に達した。1974年は売上高100億円、経常利益29億円で、品目別の内訳は梳毛紳士服地が80億1100万円で80%、礼服地が19億4500万円で20%を占めた。
- 御幸毛織 有価証券報告書【沿革】
- [42]1970年9月 城北工場 竣工 染色・仕上工場として操業開始
- 日経ビジネス 1978年10月9日号
- [43]販売先はミユキ販売と鷹岡の二つの一次問屋だけに限っている。以前は数社の一次問屋に卸していたが、1974年にミユキ販売を設立するとともにこの2社に絞った
- [44]ミユキ販売には「ミユキテックス」、鷹岡には「ファンシィテックス」のブランドで流しているが、同一製品
- 会社年鑑 1971年版「御幸毛織」/会社年鑑 1976年版「御幸毛織」
- [45]半期合算の売上高は1969年61億円、1973年105億円。1973年の経常利益33億円、当期純利益18億円
- 会社年鑑 1976年版「御幸毛織」
- [46]半期合算の1974年売上高100億円、経常利益29億円
- [47]1974年10月期の品目別売上は梳毛紳士服地8,011百万円(80%)、礼服地1,945百万円(20%)
参考文献[32]-[47]
- ダイヤモンド会社産業総覧 1964年版「御幸毛織」
- [32]労務状況1963年4月末現在の合計1,271名(職員男74名・女23名、工員男106名・女1,068名)。事業所は西志賀工場(織物・染色整理加工)608名、庄内川工場(織物)662名
- [33]労務状況1963年4月末現在、工員女1,068名は平均年齢17.8歳、平均勤続2.0年、平均給与月額9,957円(税込・基準外賃金と賞与を含まない)
- [34]一般の毛織会社と違い、紡績部門をもたず、原糸はすべて他から購入する
- [35]主な購入先は東洋紡績、中央毛織など。原糸を染色、準備、製織、補修、仕上げの工程を経て生産する
- [36]製品はすべて注文生産で、契約商社によってそれぞれミユキテツクス、フアンシイテツクスの商標名がつけられ、主として全国のテイラーを通じて最終需要者にわたっている
- [37]主要関係会社は鷹岡(資本金100万円)、持株比率36.2%
- [39]東洋紡績の系列下にあり、社長以下の役員に東洋紡出身者が多い
- 会社年鑑 1963年版「御幸毛織」/会社年鑑 1967年版「御幸毛織」/会社年鑑 1971年版「御幸毛織」/会社年鑑 1976年版「御幸毛織」
- [38]東洋紡績の持株比率はFY62(1962/4)14.8%、FY66(1966/4)14.0%、FY70(1970/4)14.0%、FY74(1974/10)12.0%
- 会社年鑑 1976年版「御幸毛織」
- [40]FY74(1974/10)の大株主は東洋紡績12.0%、第一勧銀4.2%、三菱銀行4.1%、東海銀行4.1%、住友銀行3.9%、三和銀行3.9%
- [46]半期合算の1974年売上高100億円、経常利益29億円
- [47]1974年10月期の品目別売上は梳毛紳士服地8,011百万円(80%)、礼服地1,945百万円(20%)
- 会社年鑑 1963年版「御幸毛織」/会社年鑑 1976年版「御幸毛織」
- [41]鷹岡の持株比率はFY62(1962/4)2.4%、FY74(1974/10)2.0%
- 御幸毛織 有価証券報告書【沿革】
- [42]1970年9月 城北工場 竣工 染色・仕上工場として操業開始
- 日経ビジネス 1978年10月9日号
- [43]販売先はミユキ販売と鷹岡の二つの一次問屋だけに限っている。以前は数社の一次問屋に卸していたが、1974年にミユキ販売を設立するとともにこの2社に絞った
- [44]ミユキ販売には「ミユキテックス」、鷹岡には「ファンシィテックス」のブランドで流しているが、同一製品
- 会社年鑑 1971年版「御幸毛織」/会社年鑑 1976年版「御幸毛織」
- [45]半期合算の売上高は1969年61億円、1973年105億円。1973年の経常利益33億円、当期純利益18億円
筆者考察
戦後の御幸毛織を支えたのは、紡績設備を持たないという構えだった。1945年に庄内川工場の紡績設備を焼失した会社は、1957年に同じ工場を再建するとき、紡績ではなく製織の工場として建て直す。原糸は東洋紡績と中央毛織から買い、自社が抱える工程は染色、準備、製織、補修、仕上の5つに絞った。設備投資の重い紡績を外に出したことで、御幸毛織は原毛と毛糸の市況から距離を取り、仕上工程の技術だけを競争の焦点に置くことができた。ミユキテックスとファンシイテックスの2つの商標で年間3000種を超える服地を織り分けられたのは、この身軽さがあったからである。国産品として最高級という評価は、工程を減らした会社が残る1点に技術を積んだ結果だった。
株式の上でも、御幸毛織は東洋紡績の子会社ではなかった。社長以下の役員は東洋紡績出身者で占められたが、東洋紡績の持株比率は1962年に14.8%、1974年でも12.0%と、一貫して15%に届いていない。原糸の主要な供給元であり、役員を送り込む相手でありながら、資本の上では支配されない。この位置のまま御幸毛織は1961年の名古屋から1963年の東京・大阪へ至る3市場上場へ進み、上場で得た資金を資本金7億円と庄内川工場の増築に充てた。1974年にミユキ販売を設立して一次問屋を2社に絞ったのは、原料の調達を他社に委ねた会社が、せめて製品の出口だけは自ら握ろうとした動きである。売上100億円は、量を追わずに届いた水準だった。
1946年〜1974年の業績
| 決算期 | 区分 | 売上高 | 営業利益 | 経常利益 | 純利益 | 主な投資 | ||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 億円 | YoY | 億円 | 億円 | 億円 | 利益率 | |||
| 1949年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1950年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1951年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1952年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1953年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1954年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1955年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1956年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1957年10月期 | 単体 | 18 | n/a | n/a | n/a | 2 | 11.1% | n/a |
| 1958年10月期 | 単体 | 19 | +5.6% | n/a | n/a | 2 | 10.5% | n/a |
| 1959年10月期 | 単体 | 20 | +5.3% | n/a | n/a | 3 | 15.0% | n/a |
| 1960年10月期 | 単体 | 23 | +15.0% | n/a | n/a | 4 | 17.4% | n/a |
| 1961年10月期 | 単体 | 26 | +13.0% | 9 | n/a | 5 | 19.2% | n/a |
| 1962年10月期 | 単体 | 29 | +11.5% | 10 | n/a | 8 | 27.6% | n/a |
| 1963年10月期 | 単体 | 34 | +17.2% | n/a | n/a | 12 | 35.3% | n/a |
| 1964年10月期 | 単体 | 40 | +17.6% | n/a | n/a | 7 | 17.5% | n/a |
| 1965年10月期 | 単体 | 39 | ▲2.5% | n/a | n/a | 7 | 17.9% | n/a |
| 1966年10月期 | 単体 | 44 | +12.8% | n/a | n/a | 8 | 18.2% | n/a |
| 1967年10月期 | 単体 | 49 | +11.4% | n/a | n/a | 9 | 18.4% | n/a |
| 1968年10月期 | 単体 | 54 | +10.2% | n/a | n/a | 10 | 18.5% | n/a |
| 1969年10月期 | 単体 | 61 | +13.0% | n/a | n/a | 12 | 19.7% | n/a |
| 1970年10月期 | 単体 | 71 | +16.4% | n/a | 24 | 14 | 19.7% | n/a |
| 1971年10月期 | 単体 | 79 | +11.3% | n/a | 27 | 16 | 20.3% | n/a |
| 1972年10月期 | 単体 | 86 | +8.9% | n/a | 31 | 17 | 19.8% | n/a |
| 1973年10月期 | 単体 | 105 | +22.1% | n/a | 33 | 18 | 17.1% | n/a |
| 1974年10月期 | 単体 | 100 | ▲4.8% | n/a | 29 | 16 | 16.0% | n/a |
出所:ダイヤモンド会社産業総覧 1964年版 半期合算、会社年鑑 1967年版 半期合算、会社年鑑 1967年版、1971年版 半期合算、会社年鑑 1971年版 半期合算、会社年鑑 1976年版 半期合算
出典・参考
9件
- 御幸毛織 有価証券報告書【沿革】
- 会社銀行八十年史(東洋経済新報社、1955年)2篇 日本会社史 03_羊毛「御幸毛織」
- 会社年鑑 1963年版「御幸毛織」/会社年鑑 1967年版「御幸毛織」/会社年鑑 1971年版「御幸毛織」/会社年鑑 1976年版「御幸毛織」
- 会社年鑑 1963年版「御幸毛織」/会社年鑑 1976年版「御幸毛織」
- 会社年鑑 1971年版「御幸毛織」/会社年鑑 1976年版「御幸毛織」
- 会社年鑑 1976年版「御幸毛織」
- 証券 1962年7月号
- ダイヤモンド会社産業総覧 1964年版「御幸毛織」
- 日経ビジネス 1978年10月9日号