第1章 年〜年

日本国土開発:日本国土開発の設立と黒部第四ダムへの取付道路の施工

1951年〜機械を持たない民間に代わって設立した賃貸会社と、輸入したD8ブルドーザ11台

日本国土開発は1951年4月10日、東京・西銀座の貿易会館での創立総会を経て、資本金1億円で発足した。初代社長は吉田茂首相の推薦を受けた元大蔵大臣の栗栖赳夫氏、副社長は日本発送電副総裁だった進藤武左ヱ門氏。当時、建設機械の導入を進めていたのは建設省や国鉄などの官庁に限られ、民間の業者は資力の面で大型機械を保有できなかった。政府の現物出資で開発工事を特命で請け負う当初の構想は、独占禁止法に触れるとの反対と国の保有機械の乏しさから改められた。会社は機械を常備して運転員とともに貸し出す賃貸を主業に据え、機械化工事の請負や地質調査、機械の修理も事業に並べた。各社が個別に抱えきれない機械を1社に集めて回す仕組みが、賃貸という業態の出発点だったのだろう。

  • 日本国土開発『三十年の歩み 躍進この10年』1981年
    • [1]1951年4月10日創立総会・資本金1億円、社長栗栖赳夫(元蔵相・吉田首相推薦)、副社長進藤武左ヱ門(日発副総裁)。機械化は官庁のみ、民間は資力不足。政府現物出資・特命請負案は独禁法違反と国有機械僅少で修正
    • [2]1951年4月10日創立総会・資本金1億円、社長栗栖赳夫(元蔵相・吉田首相推薦)、副社長進藤武左ヱ門(日発副総裁)。機械化は官庁のみ、民間は資力不足。政府現物出資・特命請負案は独禁法違反と国有機械僅少で修正
    • [3]1951年4月10日創立総会・資本金1億円、社長栗栖赳夫(元蔵相・吉田首相推薦)、副社長進藤武左ヱ門(日発副総裁)。機械化は官庁のみ、民間は資力不足。政府現物出資・特命請負案は独禁法違反と国有機械僅少で修正
    • [4]1951年4月10日創立総会・資本金1億円、社長栗栖赳夫(元蔵相・吉田首相推薦)、副社長進藤武左ヱ門(日発副総裁)。機械化は官庁のみ、民間は資力不足。政府現物出資・特命請負案は独禁法違反と国有機械僅少で修正
  • 会社銀行八十年史(1955)日本国土開発
    • [5]機械化による国土開発促進を目的に設立し、まず建設機械の賃貸を開始。優秀機械を常備し熟練運転員とともに出動
  • 株式会社年鑑 1956年版 日本国土開発
    • [6]設立1951年4月10日。事業内容は建設機械の賃貸・機械化工事の請負・地質調査・機械の修理

1951年8月の営業開始時に稼働できた機械は計12台にとどまり、収入では管理費をまかなえなかった。機械の購入資金に11億円余を見込んだものの、機械の賃貸は前例がなく、銀行の融資対象として扱われにくい業種である。1952年1月に就任した第2代社長の進藤武左ヱ門氏のもと、同年6月に東京電力の保証で日本開発銀行など3行の協調融資が決まった。9月には日本銀行の外貨貸付も得て、キャタピラー製のD8ブルドーザ11台とD7ブルドーザ7台などを輸入した。特別調達庁からも重建設機械158台の払下げを受け、米国と英国の機械の輸入も数次に及ぶ。融資の担保に建設重機を充てる特別の許可を得たことは、のちの建設機械抵当法の制定につながった。

  • 日本国土開発『三十年の歩み 躍進この10年』1981年
    • [7]1951年8月営業開始時の稼働機械12台。購入資金11億円余を計画したが新業種で融資困難。1952年1月進藤が2代社長。1952年6月東電保証で開銀・興銀・勧銀協調融資、9月日銀外貨貸付でD8 11台・D7 7台等を輸入。重機抵当の特別許可が建設機械抵当法のきっかけ
    • [8]1951年8月営業開始時の稼働機械12台。購入資金11億円余を計画したが新業種で融資困難。1952年1月進藤が2代社長。1952年6月東電保証で開銀・興銀・勧銀協調融資、9月日銀外貨貸付でD8 11台・D7 7台等を輸入。重機抵当の特別許可が建設機械抵当法のきっかけ
    • [9]1951年8月営業開始時の稼働機械12台。購入資金11億円余を計画したが新業種で融資困難。1952年1月進藤が2代社長。1952年6月東電保証で開銀・興銀・勧銀協調融資、9月日銀外貨貸付でD8 11台・D7 7台等を輸入。重機抵当の特別許可が建設機械抵当法のきっかけ
    • [10]1951年8月営業開始時の稼働機械12台。購入資金11億円余を計画したが新業種で融資困難。1952年1月進藤が2代社長。1952年6月東電保証で開銀・興銀・勧銀協調融資、9月日銀外貨貸付でD8 11台・D7 7台等を輸入。重機抵当の特別許可が建設機械抵当法のきっかけ
    • [12]1951年8月営業開始時の稼働機械12台。購入資金11億円余を計画したが新業種で融資困難。1952年1月進藤が2代社長。1952年6月東電保証で開銀・興銀・勧銀協調融資、9月日銀外貨貸付でD8 11台・D7 7台等を輸入。重機抵当の特別許可が建設機械抵当法のきっかけ
  • 会社銀行八十年史(1955)日本国土開発
    • [11]特別調達庁の重建設機械158台の払下げ、開銀・興銀・勧銀協調融資と日銀別口外貨貸付で米英から最新機械を数次輸入

電力需要の急増で全国に電源開発工事が広がり、日本国土開発の機械は各地の発電所工事に次々と出動した。1952年8月の中国電力湯原発電所でのケーブルクレーン据付を皮切りに、宮崎県上椎葉や北海道糠平の現場へ機械と運転員を送った。本拠は相模原から特別調達庁が使っていた3,200坪の王子モータープールへ移し、1953年には大蔵省から用地の払下げを受けた。1954年3月に米軍から払下げを受けたブルドーザ29台を加え、保有機械は170台に達した。営業総収入は1954年3月期の2億6千万円から1955年3月期の4億円への増加。1956年ごろの主な取引先は、電源開発・関西電力・東京電力・京都府だった。

  • 日本国土開発『三十年の歩み 躍進この10年』1981年
    • [13]電源開発ブームで各地の発電所工事に機械が出動(1952年8月湯原、上椎葉・糠平等)。特別調達庁の王子モータープール3,200坪へ本拠移転。1954年3月米軍払下げブルドーザ29台、保有機械170台
    • [14]電源開発ブームで各地の発電所工事に機械が出動(1952年8月湯原、上椎葉・糠平等)。特別調達庁の王子モータープール3,200坪へ本拠移転。1954年3月米軍払下げブルドーザ29台、保有機械170台
    • [15]電源開発ブームで各地の発電所工事に機械が出動(1952年8月湯原、上椎葉・糠平等)。特別調達庁の王子モータープール3,200坪へ本拠移転。1954年3月米軍払下げブルドーザ29台、保有機械170台
    • [17]電源開発ブームで各地の発電所工事に機械が出動(1952年8月湯原、上椎葉・糠平等)。特別調達庁の王子モータープール3,200坪へ本拠移転。1954年3月米軍払下げブルドーザ29台、保有機械170台
  • 会社銀行八十年史(1955)日本国土開発
    • [16]王子モータープールを1953年に大蔵省から払下げ。営業総収入1954年3月期2億6千万円、1955年3月期4億円
    • [18]王子モータープールを1953年に大蔵省から払下げ。営業総収入1954年3月期2億6千万円、1955年3月期4億円
  • 株式会社年鑑 1956年版 日本国土開発
    • [19]主な取引先:電源開発・関西電力・東京電力・京都府
参考文献[1]-[19]
  • 日本国土開発『三十年の歩み 躍進この10年』1981年
    • [1]1951年4月10日創立総会・資本金1億円、社長栗栖赳夫(元蔵相・吉田首相推薦)、副社長進藤武左ヱ門(日発副総裁)。機械化は官庁のみ、民間は資力不足。政府現物出資・特命請負案は独禁法違反と国有機械僅少で修正
    • [2]1951年4月10日創立総会・資本金1億円、社長栗栖赳夫(元蔵相・吉田首相推薦)、副社長進藤武左ヱ門(日発副総裁)。機械化は官庁のみ、民間は資力不足。政府現物出資・特命請負案は独禁法違反と国有機械僅少で修正
    • [3]1951年4月10日創立総会・資本金1億円、社長栗栖赳夫(元蔵相・吉田首相推薦)、副社長進藤武左ヱ門(日発副総裁)。機械化は官庁のみ、民間は資力不足。政府現物出資・特命請負案は独禁法違反と国有機械僅少で修正
    • [4]1951年4月10日創立総会・資本金1億円、社長栗栖赳夫(元蔵相・吉田首相推薦)、副社長進藤武左ヱ門(日発副総裁)。機械化は官庁のみ、民間は資力不足。政府現物出資・特命請負案は独禁法違反と国有機械僅少で修正
    • [7]1951年8月営業開始時の稼働機械12台。購入資金11億円余を計画したが新業種で融資困難。1952年1月進藤が2代社長。1952年6月東電保証で開銀・興銀・勧銀協調融資、9月日銀外貨貸付でD8 11台・D7 7台等を輸入。重機抵当の特別許可が建設機械抵当法のきっかけ
    • [8]1951年8月営業開始時の稼働機械12台。購入資金11億円余を計画したが新業種で融資困難。1952年1月進藤が2代社長。1952年6月東電保証で開銀・興銀・勧銀協調融資、9月日銀外貨貸付でD8 11台・D7 7台等を輸入。重機抵当の特別許可が建設機械抵当法のきっかけ
    • [9]1951年8月営業開始時の稼働機械12台。購入資金11億円余を計画したが新業種で融資困難。1952年1月進藤が2代社長。1952年6月東電保証で開銀・興銀・勧銀協調融資、9月日銀外貨貸付でD8 11台・D7 7台等を輸入。重機抵当の特別許可が建設機械抵当法のきっかけ
    • [10]1951年8月営業開始時の稼働機械12台。購入資金11億円余を計画したが新業種で融資困難。1952年1月進藤が2代社長。1952年6月東電保証で開銀・興銀・勧銀協調融資、9月日銀外貨貸付でD8 11台・D7 7台等を輸入。重機抵当の特別許可が建設機械抵当法のきっかけ
    • [12]1951年8月営業開始時の稼働機械12台。購入資金11億円余を計画したが新業種で融資困難。1952年1月進藤が2代社長。1952年6月東電保証で開銀・興銀・勧銀協調融資、9月日銀外貨貸付でD8 11台・D7 7台等を輸入。重機抵当の特別許可が建設機械抵当法のきっかけ
    • [13]電源開発ブームで各地の発電所工事に機械が出動(1952年8月湯原、上椎葉・糠平等)。特別調達庁の王子モータープール3,200坪へ本拠移転。1954年3月米軍払下げブルドーザ29台、保有機械170台
    • [14]電源開発ブームで各地の発電所工事に機械が出動(1952年8月湯原、上椎葉・糠平等)。特別調達庁の王子モータープール3,200坪へ本拠移転。1954年3月米軍払下げブルドーザ29台、保有機械170台
    • [15]電源開発ブームで各地の発電所工事に機械が出動(1952年8月湯原、上椎葉・糠平等)。特別調達庁の王子モータープール3,200坪へ本拠移転。1954年3月米軍払下げブルドーザ29台、保有機械170台
    • [17]電源開発ブームで各地の発電所工事に機械が出動(1952年8月湯原、上椎葉・糠平等)。特別調達庁の王子モータープール3,200坪へ本拠移転。1954年3月米軍払下げブルドーザ29台、保有機械170台
  • 会社銀行八十年史(1955)日本国土開発
    • [5]機械化による国土開発促進を目的に設立し、まず建設機械の賃貸を開始。優秀機械を常備し熟練運転員とともに出動
    • [11]特別調達庁の重建設機械158台の払下げ、開銀・興銀・勧銀協調融資と日銀別口外貨貸付で米英から最新機械を数次輸入
    • [16]王子モータープールを1953年に大蔵省から払下げ。営業総収入1954年3月期2億6千万円、1955年3月期4億円
    • [18]王子モータープールを1953年に大蔵省から払下げ。営業総収入1954年3月期2億6千万円、1955年3月期4億円
  • 株式会社年鑑 1956年版 日本国土開発
    • [6]設立1951年4月10日。事業内容は建設機械の賃貸・機械化工事の請負・地質調査・機械の修理
    • [19]主な取引先:電源開発・関西電力・東京電力・京都府

1955年〜三井信託から迎えた佐渡卓氏の請負転換と、黒部第四発電所へ向かう大町ルートの取付道路

電源開発工事と京都府の災害復旧が一巡した1954年末から、日本国土開発の機械への需要は急速に減った。大手建設会社がビル建設や電源開発の繁忙期に自前の機械を増やしたうえ、景気の後退で賃貸料の未回収も相次いだ。1956年3月期には29,817千円の当期純損失を計上した。第3代社長の久保田豊氏が1955年11月の任期満了で退任し、後任の第4代社長は三井信託銀行で代表取締役を務めた佐渡卓氏。佐渡卓氏は賃貸料の確実な回収を命じ、自らの報酬を1年間辞退した。賃貸と請負に割れていた社内の議論を請負への転換で決着させ、道路建設を主な事業領域に定めて人員整理にも踏み切った。

  • 日本国土開発『三十年の歩み 躍進この10年』1981年
    • [20]1954年末に電源開発・京都災害復旧が峠、大手業者の自社機械増と景気後退で需要減・賃貸料回収不良。3代久保田豊は1955年11月任期満了で退任、三井信託銀行前代表取締役の佐渡卓が4代社長。賃貸料回収厳命、報酬1年辞退、請負転換と道路建設、人員整理
    • [21]1954年末に電源開発・京都災害復旧が峠、大手業者の自社機械増と景気後退で需要減・賃貸料回収不良。3代久保田豊は1955年11月任期満了で退任、三井信託銀行前代表取締役の佐渡卓が4代社長。賃貸料回収厳命、報酬1年辞退、請負転換と道路建設、人員整理
    • [23]1954年末に電源開発・京都災害復旧が峠、大手業者の自社機械増と景気後退で需要減・賃貸料回収不良。3代久保田豊は1955年11月任期満了で退任、三井信託銀行前代表取締役の佐渡卓が4代社長。賃貸料回収厳命、報酬1年辞退、請負転換と道路建設、人員整理
    • [24]1954年末に電源開発・京都災害復旧が峠、大手業者の自社機械増と景気後退で需要減・賃貸料回収不良。3代久保田豊は1955年11月任期満了で退任、三井信託銀行前代表取締役の佐渡卓が4代社長。賃貸料回収厳命、報酬1年辞退、請負転換と道路建設、人員整理
    • [25]1954年末に電源開発・京都災害復旧が峠、大手業者の自社機械増と景気後退で需要減・賃貸料回収不良。3代久保田豊は1955年11月任期満了で退任、三井信託銀行前代表取締役の佐渡卓が4代社長。賃貸料回収厳命、報酬1年辞退、請負転換と道路建設、人員整理
  • 株式会社年鑑 1957年版 日本国土開発
    • [22]損益計算書:1956年3月期の当期純利益△29,817千円、社長佐渡卓

1954年に殿山発電所の工事用道路を施工した実績が、関西電力の評価を得た。日本国土開発は1956年7月、黒部第四発電所の建設に向けた大町ルートの道路工事を特命で受注した。機械を最大の財産としてきた会社にとって、その機械を生かせる山岳の道路工事は再建の足場に適していた。担当は北大町駅から扇沢までの16.1kmのうち、トンネル入口に至る最奥の3kmで、工期は1957年6月までである。ブルドーザ13台とコンプレッサ7台を主力に21万立方メートルの岩石を掘削し、平地の区間より早く開通させた。この取付道路の工事を機に、日本国土開発は機械を使う土木請負へ主な事業を移した。

  • 日本国土開発『三十年の歩み 躍進この10年』1981年
    • [26]1954年殿山発電所用道路の実績で1956年7月関西電力から黒四大町ルート工事を特命受注。機械を生かせる道路工事が再生に最適。担当は16.1kmのうちトンネル入口まで3km、工期1957年6月まで、ブルドーザ13台・コンプレッサ7台、岩石21万立方掘削
    • [27]1954年殿山発電所用道路の実績で1956年7月関西電力から黒四大町ルート工事を特命受注。機械を生かせる道路工事が再生に最適。担当は16.1kmのうちトンネル入口まで3km、工期1957年6月まで、ブルドーザ13台・コンプレッサ7台、岩石21万立方掘削
    • [28]1954年殿山発電所用道路の実績で1956年7月関西電力から黒四大町ルート工事を特命受注。機械を生かせる道路工事が再生に最適。担当は16.1kmのうちトンネル入口まで3km、工期1957年6月まで、ブルドーザ13台・コンプレッサ7台、岩石21万立方掘削
    • [29]1954年殿山発電所用道路の実績で1956年7月関西電力から黒四大町ルート工事を特命受注。機械を生かせる道路工事が再生に最適。担当は16.1kmのうちトンネル入口まで3km、工期1957年6月まで、ブルドーザ13台・コンプレッサ7台、岩石21万立方掘削
    • [30]1954年殿山発電所用道路の実績で1956年7月関西電力から黒四大町ルート工事を特命受注。機械を生かせる道路工事が再生に最適。担当は16.1kmのうちトンネル入口まで3km、工期1957年6月まで、ブルドーザ13台・コンプレッサ7台、岩石21万立方掘削
  • 日本国土開発 有価証券報告書【沿革】
    • [31]1957年6月 黒部第四ダム大町ルート第三工区を施工し、機械による土木工事請負に主事業を転換

1958年後半に岩戸景気が始まると各地で工場用地や宅地の造成が増え、大量の土を動かす工事が機械化施工の得意分野となった。日本国土開発は1960年4月、京王帝都電鉄が計画した約26万坪・土量約330万立方メートルの桜ヶ丘団地の造成を受注した。同年9月に西松建設との共同企業体で受注したのが、名神高速道路で初の国際入札となった長岡久我の工区である。1961年10月には東京証券取引所市場第二部へ株式を上場している。専務の小松原豊氏はのちの講演で、設立当初から所有と経営を切り離し、株式も公開してきたと説明した。土木で積んだ機械化施工の実績と上場で得た信用が、建築部門の新設へ進む足場になったとみられる。

  • 日本国土開発『三十年の歩み 躍進この10年』1981年
    • [32]1958年後半から岩戸景気、造成工事は大土量で機械化向き。1959年12月富岡分譲地、1960年4月京王帝都桜ヶ丘団地約26万坪・土量約330万立方を受注。1960年9月初の国際入札の名神長岡久我工事を西松建設とJVで受注
    • [33]1958年後半から岩戸景気、造成工事は大土量で機械化向き。1959年12月富岡分譲地、1960年4月京王帝都桜ヶ丘団地約26万坪・土量約330万立方を受注。1960年9月初の国際入札の名神長岡久我工事を西松建設とJVで受注
    • [34]1958年後半から岩戸景気、造成工事は大土量で機械化向き。1959年12月富岡分譲地、1960年4月京王帝都桜ヶ丘団地約26万坪・土量約330万立方を受注。1960年9月初の国際入札の名神長岡久我工事を西松建設とJVで受注
  • 日本国土開発 有価証券報告書【沿革】
    • [35]1961年10月 東京証券取引所市場第二部に株式上場
  • 証券アナリストジャーナル 1972年 小松原豊
    • [36]専務小松原豊の1972年講演:創立時から経営と資本を分離し株式を創立当初から公開
参考文献[20]-[36]
  • 日本国土開発『三十年の歩み 躍進この10年』1981年
    • [20]1954年末に電源開発・京都災害復旧が峠、大手業者の自社機械増と景気後退で需要減・賃貸料回収不良。3代久保田豊は1955年11月任期満了で退任、三井信託銀行前代表取締役の佐渡卓が4代社長。賃貸料回収厳命、報酬1年辞退、請負転換と道路建設、人員整理
    • [21]1954年末に電源開発・京都災害復旧が峠、大手業者の自社機械増と景気後退で需要減・賃貸料回収不良。3代久保田豊は1955年11月任期満了で退任、三井信託銀行前代表取締役の佐渡卓が4代社長。賃貸料回収厳命、報酬1年辞退、請負転換と道路建設、人員整理
    • [23]1954年末に電源開発・京都災害復旧が峠、大手業者の自社機械増と景気後退で需要減・賃貸料回収不良。3代久保田豊は1955年11月任期満了で退任、三井信託銀行前代表取締役の佐渡卓が4代社長。賃貸料回収厳命、報酬1年辞退、請負転換と道路建設、人員整理
    • [24]1954年末に電源開発・京都災害復旧が峠、大手業者の自社機械増と景気後退で需要減・賃貸料回収不良。3代久保田豊は1955年11月任期満了で退任、三井信託銀行前代表取締役の佐渡卓が4代社長。賃貸料回収厳命、報酬1年辞退、請負転換と道路建設、人員整理
    • [25]1954年末に電源開発・京都災害復旧が峠、大手業者の自社機械増と景気後退で需要減・賃貸料回収不良。3代久保田豊は1955年11月任期満了で退任、三井信託銀行前代表取締役の佐渡卓が4代社長。賃貸料回収厳命、報酬1年辞退、請負転換と道路建設、人員整理
    • [26]1954年殿山発電所用道路の実績で1956年7月関西電力から黒四大町ルート工事を特命受注。機械を生かせる道路工事が再生に最適。担当は16.1kmのうちトンネル入口まで3km、工期1957年6月まで、ブルドーザ13台・コンプレッサ7台、岩石21万立方掘削
    • [27]1954年殿山発電所用道路の実績で1956年7月関西電力から黒四大町ルート工事を特命受注。機械を生かせる道路工事が再生に最適。担当は16.1kmのうちトンネル入口まで3km、工期1957年6月まで、ブルドーザ13台・コンプレッサ7台、岩石21万立方掘削
    • [28]1954年殿山発電所用道路の実績で1956年7月関西電力から黒四大町ルート工事を特命受注。機械を生かせる道路工事が再生に最適。担当は16.1kmのうちトンネル入口まで3km、工期1957年6月まで、ブルドーザ13台・コンプレッサ7台、岩石21万立方掘削
    • [29]1954年殿山発電所用道路の実績で1956年7月関西電力から黒四大町ルート工事を特命受注。機械を生かせる道路工事が再生に最適。担当は16.1kmのうちトンネル入口まで3km、工期1957年6月まで、ブルドーザ13台・コンプレッサ7台、岩石21万立方掘削
    • [30]1954年殿山発電所用道路の実績で1956年7月関西電力から黒四大町ルート工事を特命受注。機械を生かせる道路工事が再生に最適。担当は16.1kmのうちトンネル入口まで3km、工期1957年6月まで、ブルドーザ13台・コンプレッサ7台、岩石21万立方掘削
    • [32]1958年後半から岩戸景気、造成工事は大土量で機械化向き。1959年12月富岡分譲地、1960年4月京王帝都桜ヶ丘団地約26万坪・土量約330万立方を受注。1960年9月初の国際入札の名神長岡久我工事を西松建設とJVで受注
    • [33]1958年後半から岩戸景気、造成工事は大土量で機械化向き。1959年12月富岡分譲地、1960年4月京王帝都桜ヶ丘団地約26万坪・土量約330万立方を受注。1960年9月初の国際入札の名神長岡久我工事を西松建設とJVで受注
    • [34]1958年後半から岩戸景気、造成工事は大土量で機械化向き。1959年12月富岡分譲地、1960年4月京王帝都桜ヶ丘団地約26万坪・土量約330万立方を受注。1960年9月初の国際入札の名神長岡久我工事を西松建設とJVで受注
  • 株式会社年鑑 1957年版 日本国土開発
    • [22]損益計算書:1956年3月期の当期純利益△29,817千円、社長佐渡卓
  • 日本国土開発 有価証券報告書【沿革】
    • [31]1957年6月 黒部第四ダム大町ルート第三工区を施工し、機械による土木工事請負に主事業を転換
    • [35]1961年10月 東京証券取引所市場第二部に株式上場
  • 証券アナリストジャーナル 1972年 小松原豊
    • [36]専務小松原豊の1972年講演:創立時から経営と資本を分離し株式を創立当初から公開

出典・参考

6件
出典・参考
  • 日本国土開発 有価証券報告書【沿革】
  • 日本国土開発『三十年の歩み 躍進この10年』1981年
  • 会社銀行八十年史(1955)日本国土開発
  • 株式会社年鑑 1956年版 日本国土開発
  • 株式会社年鑑 1957年版 日本国土開発
  • 証券アナリストジャーナル 1972年 小松原豊

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