決断
電源開発工事が一巡して機械の借り手が減少すると、機械を貸す会社から、機械で工事を請け負う会社へ転じた。1954年末から需要は急速に減少し、1956年3月期には約3千万円の当期純損失を計上した。1955年11月に第4代社長に就任した三井信託銀行出身の佐渡卓氏は、賃貸か請負かで割れていた社内の議論を請負への転換で決着させ、人員整理にも踏み切った。1956年7月には、関西電力の黒部第四発電所へ向かう大町ルートの取付道路のうち、トンネル入口までの3kmを特命で受注した。ブルドーザ13台を主力に岩石21万立方メートルを掘削して1957年6月までに仕上げ、この工事を機に機械による土木請負が主な事業となった。