決断
先に鉄道を法人にし、あとから炭鉱をその中へ入れた。鉄道は1941年12月に営業を開始したが、総従業員45名・1日4往復の混合列車にとどまり、1945年の築別鉱業所の出炭は4.8万トンでしかない。戦後は無計画な乱掘による自然発火で坑内が荒れ、1947年に第二の炭鉱である羽幌炭礦の開礦へ着手した。資本金は1950年の2,500万円から1952年5月に1億5,000万円へ増え、1953年11月には築別炭礦の合理化工事が完成する。1962年12月には名羽線の曙と羽幌鉱の区間を借り受けて索道輸送を鉄道輸送へ切り換え、開業から21年かけて石炭の流通経費を下げた。