第4章 年〜年

羽幌炭礦鉄道:累積赤字13億8,600万円と会社更生法の申請

1964年〜増産を続けながら積み上がった赤字

1964年から赤字が積み上がりはじめた。1970年時点での累積は13億8,600万円にのぼる。それでも生産は減少していない。鉄道の輸送量は1966年度に111万トンを記録し、輸送品目に占める石炭の比率は96%を示した。旅客の乗降人員も135万6,000人を数えている。同じ1966年度には、築別炭鉱地区の小中学生のために走らせていたレールバスのスクールバス運行を中止した。相次ぐ出炭増で構内の入換が輻輳したためである。増産が地域サービスを押し出す水準まで来ていた。開通時の輸送量9万トンに対し、12倍の水準である。

  • 我国倒産状況統計表(昭和27年以降全国倒産の動向)(東京商工リサーチ、1977年)
    • [1]昭和39年以降の赤字累積は13億8,600万円
    • [2]昭和39年以降の赤字累積は13億8,600万円にのぼった
  • 炭鉱技術 23(3)(北海道炭鉱技術会、1968年3月)「炭鉱関係私鉄紹介 羽幌炭砿鉄道株式会社」
    • [3]昭和41年度の鉄道輸送量は111万トンを記録した
    • [4]鉄道の輸送量は昭和41年度に111万トンを記録した
    • [5]主要物資別輸送実績では石炭が大半の96%を示した
    • [6]昭和41年度の旅客乗降人員は1,356,000人だった
    • [7]築別炭鉱地区の小中学生の登下校時間帯に運行していたレールバスのスクールバスを昭和41年度に中止した
    • [8]中止の理由は相次ぐ出炭増に伴う構内入換えの輻輳だった
    • [9]出炭増に伴う構内入換えの輻輳でスクールバス運行を中止した
    • [10]開通当時9万トンに対し昭和41年度は111万トン

1966年5月に横田周作氏が代表取締役専務、武井正美氏と小森豊氏が常務取締役、梶田五郎氏が取締役に就任した。翌6月には横田氏が社長となり、町田叡光氏は会長へ移っている。梶田氏は1934年に神戸商業大学を出て同年に満州撫順炭礦へ入り、終戦により大同煤礦へ留用され、1948年の留用解除で帰国して翌年に入社した経歴を持つ。1969年時点の従業員は約2,500名、資本金は7億5,000万円である。取引銀行は日本興業銀行・三菱銀行・北海道銀行・大和銀行の4行に絞られていた。1954年に9行だった取引銀行が半減している。

  • 石炭年鑑 1966年版(大同通信社、1966年)「羽幌炭礦鉄道株式会社」
    • [11]昭和41年5月に横田周作が代表取締役専務、武井正美・小森豊が常務取締役、梶田五郎が取締役に就任した
    • [13]梶田五郎は昭和9年神戸商業大学卒、同年満州撫順炭礦入社、終戦により大同煤礦に留用、昭和23年留用解除帰国、昭和24年入社
  • 石炭年鑑 1969年版(大同通信社、1969年)「羽幌炭砿鉄道株式会社」
    • [12]昭和41年6月に横田周作が取締役社長に就任し、町田叡光は取締役会長となった
    • [14]1969年版の従業員数は約2,500名、資本金は7億5,000万円
    • [15]1969年版の取引銀行は日本興業銀行・三菱銀行・北海道銀行・大和銀行
  • 石炭年鑑 1954年版(大同通信社、1954年)「羽幌炭礦鉄道株式会社」
    • [16]1954年版の取引銀行は9行だった
参考文献[1]-[16]
  • 我国倒産状況統計表(昭和27年以降全国倒産の動向)(東京商工リサーチ、1977年)
    • [1]昭和39年以降の赤字累積は13億8,600万円
    • [2]昭和39年以降の赤字累積は13億8,600万円にのぼった
  • 炭鉱技術 23(3)(北海道炭鉱技術会、1968年3月)「炭鉱関係私鉄紹介 羽幌炭砿鉄道株式会社」
    • [3]昭和41年度の鉄道輸送量は111万トンを記録した
    • [4]鉄道の輸送量は昭和41年度に111万トンを記録した
    • [5]主要物資別輸送実績では石炭が大半の96%を示した
    • [6]昭和41年度の旅客乗降人員は1,356,000人だった
    • [7]築別炭鉱地区の小中学生の登下校時間帯に運行していたレールバスのスクールバスを昭和41年度に中止した
    • [8]中止の理由は相次ぐ出炭増に伴う構内入換えの輻輳だった
    • [9]出炭増に伴う構内入換えの輻輳でスクールバス運行を中止した
    • [10]開通当時9万トンに対し昭和41年度は111万トン
  • 石炭年鑑 1966年版(大同通信社、1966年)「羽幌炭礦鉄道株式会社」
    • [11]昭和41年5月に横田周作が代表取締役専務、武井正美・小森豊が常務取締役、梶田五郎が取締役に就任した
    • [13]梶田五郎は昭和9年神戸商業大学卒、同年満州撫順炭礦入社、終戦により大同煤礦に留用、昭和23年留用解除帰国、昭和24年入社
  • 石炭年鑑 1969年版(大同通信社、1969年)「羽幌炭砿鉄道株式会社」
    • [12]昭和41年6月に横田周作が取締役社長に就任し、町田叡光は取締役会長となった
    • [14]1969年版の従業員数は約2,500名、資本金は7億5,000万円
    • [15]1969年版の取引銀行は日本興業銀行・三菱銀行・北海道銀行・大和銀行
  • 石炭年鑑 1954年版(大同通信社、1954年)「羽幌炭礦鉄道株式会社」
    • [16]1954年版の取引銀行は9行だった

1970年〜埋蔵炭と新設備を残した企業ぐるみ閉山

1970年3月期の年商は54億円内外に達した。上羽幌坑・築別西坑を含む3山で年間110万トン内外を採炭し、道北唯一のビルド鉱とされた。事業構成は石炭採掘が94%、私営鉄道が4%で、ほかに病院を経営した。ところが同年4月、減炭と労務者不足から生産体制の維持が困難となり、築別坑を休坑して年間85万トン内外へ目標を下げている。8月30日には関連会社が負債総額6億2,000万円内外を抱えて倒産した。そして9月2日、羽幌炭礦鉄道は札幌地裁に会社更生法の適用を申請する。負債総額は75億円内外だった。

  • 我国倒産状況統計表(昭和27年以降全国倒産の動向)(東京商工リサーチ、1977年)
    • [17]45年3月期決算において年度54億円内外をあげていた
    • [18]上羽幌坑・築別西坑ほか3山を有し年間110万トン内外を採炭する道北唯一のビルド鉱だった
    • [19]石炭採掘94%、私営鉄道4%、そのほか病院経営を行っていた
    • [20]1970年4月に築別坑を休坑し年間85万トン内外を目標とした
    • [21]1970年8月30日に関連会社が負債総額6億2,000万円内外で倒産した
    • [22]1970年9月2日に札幌地裁へ会社更生法の適用を申請し、負債総額は75億円内外だった
    • [23]負債総額75億円内外を抱えて会社更生法を申請した

会社が倒れた1970年は、石炭産業全体が急速に縮んだ年である。第4次石炭政策の実施後1年間で全国の閉山規模は844万トンに達し、1970年度もこれを300万トン以上上回る見通しとなって、なだれ閉山と呼ばれる状況になった。政府は同年4月2日に石炭鉱業審議会へ諮問し、11月に第5次石炭政策の中間答申が出ている。答申は原料炭を中心とした長期安定供給体制の確保を掲げ、静かなる撤退を目的とする政策からの転換を意味した。背景には原料炭の国際的な品不足と価格上昇があった。政策が転換した月に、羽幌炭礦鉄道は閉山した。

  • 三菱鉱業社史(三菱鉱業セメント、1976年)2章「エネルギー革命と三菱鉱業の経営戦略」
    • [24]昭和45年度の閉山は300万トンを上回る見通しとなった
    • [25]第4次対策実施後1年間における全国閉山規模は844万トンに達した
    • [26]昭和45年度における閉山も300万トンを上回る見通しとなり「なだれ閉山」の様相を強めた
    • [27]政府は昭和45年4月2日に石炭鉱業審議会に対し体制上の改善策を諮問した
    • [28]石炭鉱業審議会は昭和45年11月に中間答申を発表した
    • [29]中間答申は原料炭を中心とした長期安定供給体制の確保を掲げ「静かなる撤退」を目的とする政策からの転換を意味した
    • [30]原料炭の国際的な品不足により価格は上昇しつつあった
    • [31]中間答申は昭和45年11月、閉山は同年11月2日

1970年11月2日、羽幌炭礦鉄道は閉山した。離職した労務者は1,030名にのぼる。同じ日に札幌証券取引所での上場を廃止し、石炭鉱業合理化事業団へ交付金を申請している。申請時の会社名は羽幌炭砿、代表清算人は町田叡光氏だった。事業団に届け出た年間生産数量は鉱区ベース78万44トン、会社ベース95万1,439トンである。閉山の理由を吉岡宏高氏は、保有鉱区の不利や主力鉱の行き詰まりで損益が極度に悪化した企業群の一つとして整理し、大量の埋蔵炭とビルドアップしたばかりの設備を残して企業ぐるみで閉山したと記述している。掘る炭も設備もまだあった。

  • 石炭年鑑 1971年版(大同通信社、1971年)
    • [32]羽幌炭礦鉄道は11月2日に閉山し、労務者は1,030名だった
    • [33]閉山時の労務者数は1,030名
  • 札幌証券取引所30年史(札幌証券取引所、1981年)
    • [34]昭和45年11月2日に札幌証券取引所での上場を廃止した
  • 団史 整備・近代化編(石炭鉱業合理化事業団、1976年)
    • [35]石炭鉱業合理化事業団への交付申請年月日は45年11月2日だった
    • [36]交付申請時の会社名は羽幌炭砿株式会社、代表清算人は町田叡光
    • [37]年間生産数量は鉱区ベース780,044トン、会社ベース951,439トン
  • 戦後北海道の石炭産業(石炭斜陽化以降の北海道炭鉱汽船の経営を事例として)改訂版(吉岡宏高、1992年)
    • [38]保有鉱区の不利や主力鉱の行き詰まりなどの要因で損益が極度に悪化していた企業群が、大量の埋蔵炭とビルドアップしたばかりの設備を残して企業ぐるみで閉山した
    • [39]大量の埋蔵炭とビルドアップしたばかりの設備を残して閉山した
参考文献[17]-[39]
  • 我国倒産状況統計表(昭和27年以降全国倒産の動向)(東京商工リサーチ、1977年)
    • [17]45年3月期決算において年度54億円内外をあげていた
    • [18]上羽幌坑・築別西坑ほか3山を有し年間110万トン内外を採炭する道北唯一のビルド鉱だった
    • [19]石炭採掘94%、私営鉄道4%、そのほか病院経営を行っていた
    • [20]1970年4月に築別坑を休坑し年間85万トン内外を目標とした
    • [21]1970年8月30日に関連会社が負債総額6億2,000万円内外で倒産した
    • [22]1970年9月2日に札幌地裁へ会社更生法の適用を申請し、負債総額は75億円内外だった
    • [23]負債総額75億円内外を抱えて会社更生法を申請した
  • 三菱鉱業社史(三菱鉱業セメント、1976年)2章「エネルギー革命と三菱鉱業の経営戦略」
    • [24]昭和45年度の閉山は300万トンを上回る見通しとなった
    • [25]第4次対策実施後1年間における全国閉山規模は844万トンに達した
    • [26]昭和45年度における閉山も300万トンを上回る見通しとなり「なだれ閉山」の様相を強めた
    • [27]政府は昭和45年4月2日に石炭鉱業審議会に対し体制上の改善策を諮問した
    • [28]石炭鉱業審議会は昭和45年11月に中間答申を発表した
    • [29]中間答申は原料炭を中心とした長期安定供給体制の確保を掲げ「静かなる撤退」を目的とする政策からの転換を意味した
    • [30]原料炭の国際的な品不足により価格は上昇しつつあった
    • [31]中間答申は昭和45年11月、閉山は同年11月2日
  • 石炭年鑑 1971年版(大同通信社、1971年)
    • [32]羽幌炭礦鉄道は11月2日に閉山し、労務者は1,030名だった
    • [33]閉山時の労務者数は1,030名
  • 札幌証券取引所30年史(札幌証券取引所、1981年)
    • [34]昭和45年11月2日に札幌証券取引所での上場を廃止した
  • 団史 整備・近代化編(石炭鉱業合理化事業団、1976年)
    • [35]石炭鉱業合理化事業団への交付申請年月日は45年11月2日だった
    • [36]交付申請時の会社名は羽幌炭砿株式会社、代表清算人は町田叡光
    • [37]年間生産数量は鉱区ベース780,044トン、会社ベース951,439トン
  • 戦後北海道の石炭産業(石炭斜陽化以降の北海道炭鉱汽船の経営を事例として)改訂版(吉岡宏高、1992年)
    • [38]保有鉱区の不利や主力鉱の行き詰まりなどの要因で損益が極度に悪化していた企業群が、大量の埋蔵炭とビルドアップしたばかりの設備を残して企業ぐるみで閉山した
    • [39]大量の埋蔵炭とビルドアップしたばかりの設備を残して閉山した

1964年〜1970年の業績

決算期 区分 売上高 純利益 主な投資
億円 YoY 億円 利益率
1964年03月期 単体 54 n/a 0 0.3% n/a
1965年03月期 単体 53 ▲3.2% ▲2 ▲4.2% n/a
1966年03月期 単体 55 +3.9% ▲1 ▲3.6% n/a
1967年03月期 単体 59 +8.7% ▲6 ▲10.4% n/a
1968年03月期 単体 64 +7.7% 0 ▲0.6% n/a
1969年03月期 単体 61 ▲4.1% 0 0.7% n/a
1970年03月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a

出所:会社年鑑(1967年版)半期合算、会社年鑑(1970年版)半期合算

出典・参考

10件
出典・参考
  • 三菱鉱業社史(三菱鉱業セメント、1976年)2章「エネルギー革命と三菱鉱業の経営戦略」
  • 札幌証券取引所30年史(札幌証券取引所、1981年)
  • 石炭年鑑 1954年版(大同通信社、1954年)「羽幌炭礦鉄道株式会社」
  • 石炭年鑑 1966年版(大同通信社、1966年)「羽幌炭礦鉄道株式会社」
  • 石炭年鑑 1969年版(大同通信社、1969年)「羽幌炭砿鉄道株式会社」
  • 石炭年鑑 1971年版(大同通信社、1971年)
  • 炭鉱技術 23(3)(北海道炭鉱技術会、1968年3月)「炭鉱関係私鉄紹介 羽幌炭砿鉄道株式会社」
  • 団史 整備・近代化編(石炭鉱業合理化事業団、1976年)
  • 我国倒産状況統計表(昭和27年以降全国倒産の動向)(東京商工リサーチ、1977年)
  • 戦後北海道の石炭産業(石炭斜陽化以降の北海道炭鉱汽船の経営を事例として)改訂版(吉岡宏高、1992年)

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