第1章 年〜年

電源開発:電源開発促進法による政府出資会社の設立と佐久間発電所

1952年〜電源開発促進法で生まれた政府出資の電発と、天竜川の佐久間ダム

1952年9月16日、電源開発促進法にもとづく電源開発株式会社(電発)が設立され、東京・有楽町の東京会館で創立総会が行われた。株主は政府(49億5,000万円)と9電力会社(5,000万円)で、9電力会社の発足から1年4ヵ月後の設立。促進法は規模が大きいか開発の難しい水力を手がけて電気の供給を増やすことを電発の目的に掲げ、資本金の過半を政府が持つと定めた。発足間もない9電力会社は、巨額の設備資金の調達にも大規模開発の技術にも不足を抱えていた。1952年度の出資は予算編成に構想が間に合わず日本開発銀行が臨時に引き受け、1955年度に政府出資へ振り替えた。初代総裁には高碕達之助氏、副総裁には中国電力会長の進藤武左ヱ門氏が就任し、高碕達之助氏は後年、『だれもやり手がなかったので私が引受けた』と振り返った。

  • 電源開発『電発30年史』(1984年) 1章 創業の時代 第2節 電源開発会社の創立
    • [1]1952年9月16日 東京会館で創立総会。株主は政府49億5,000万円・9電力5,000万円。52年度出資は開銀が臨時に行い55年度に政府出資へ振替
    • [2]1952年9月16日 東京会館で創立総会。株主は政府49億5,000万円・9電力5,000万円。52年度出資は開銀が臨時に行い55年度に政府出資へ振替
    • [3]促進法は大規模・実施困難な水力開発による供給増を目的とし資本金の過半を政府保有と規定。9電力は資金調達・技術力ともに不足
    • [4]促進法は大規模・実施困難な水力開発による供給増を目的とし資本金の過半を政府保有と規定。9電力は資金調達・技術力ともに不足
    • [5]1952年9月16日 東京会館で創立総会。株主は政府49億5,000万円・9電力5,000万円。52年度出資は開銀が臨時に行い55年度に政府出資へ振替
  • 日本経済新聞社『私の履歴書』高碕達之助
    • [6]初代総裁に高碕達之助、副総裁に進藤武左ヱ門(中国電力会長)。高碕はやり手がいなかったので引き受けたと記す

電発が最初に手がけた大規模地点は、天竜川中流の佐久間。佐久間は洪水期の流量が大きく、両岸の断崖のため川舟でしか近づけず、河床の砂れき層も厚かった。日発には戦後の荒廃期に開発の余力がなく、再編成後の電力会社1社では資金と技術の両面で手に余る地点だった。他方で9電力会社は火力を基礎に据えてピークを水力で賄う方針へ移り、水力には流れ込み式から大貯水池式への転換が求められた。投資額がかさみ技術上のリスクも大きい大貯水池式の開発を引き受けることが、電発の役割とされた。奥只見や御母衣と比べて佐久間は骨材を下流3km付近で採取でき、国鉄飯田線の駅も近く、工期を短くできた。電発は1953年4月に佐久間ダムを着工した。電力不足のさなかにあって、工期の短さが最初の地点を決めたのだろう。

  • 電源開発『電発30年史』(1984年) 1章 第4節 金字塔「佐久間ダム」
    • [7]佐久間地点の障害は洪水流量・断崖・厚い砂れき層、日発にも再編成後の1電力会社にも資金・技術上の開発力がなかった
    • [8]佐久間地点の障害は洪水流量・断崖・厚い砂れき層、日発にも再編成後の1電力会社にも資金・技術上の開発力がなかった
    • [9]佐久間地点の障害は洪水流量・断崖・厚い砂れき層、日発にも再編成後の1電力会社にも資金・技術上の開発力がなかった
  • 電源開発『電発30年史』(1984年) 1章 第4節 金字塔「佐久間ダム」 (2)なぜ、挑戦したか
    • [10]電発の目的は9電力体制の補完。9電力は火力ベース・水力ピークへ移り、大貯水池式水力を電発が担当。佐久間は骨材・交通・工期で奥只見・御母衣より有利
    • [11]電発の目的は9電力体制の補完。9電力は火力ベース・水力ピークへ移り、大貯水池式水力を電発が担当。佐久間は骨材・交通・工期で奥只見・御母衣より有利
    • [12]電発の目的は9電力体制の補完。9電力は火力ベース・水力ピークへ移り、大貯水池式水力を電発が担当。佐久間は骨材・交通・工期で奥只見・御母衣より有利
  • 日本経済新聞社『私の履歴書』高碕達之助
    • [13]佐久間ダムは昭和28年4月に着工し約3年で完成、31年10月15日に完工式

佐久間を3年で仕上げた第1の手段は米国から導入した大型土木機械とその運用技術。高碕達之助氏は1952年11月に技術者を伴って渡米し、カリフォルニア州のパインフラットダムで機械が主役となる施工を見て導入を決めた。導入資金はバンク・オブ・アメリカから700万ドルを年利4分5厘・3年返済で借り入れ、外資導入の第1号となった。土木工事は外国企業と提携した共同企業体による入札とし、アトキンソン社と提携したグループが落札した。高碕達之助氏は水車と発電機の4台も吉田茂首相の反対を押し切って国際入札にかけた。落札した東芝と日立製作所の価格は社内の予算見積りを下回った。仮排水路は1954年3月に完成し、佐久間発電所(35万kW)は1956年4月22日に運転を始めた。

  • 電源開発『電発30年史』(1984年) 1章 第4節 (3)大型機械の導入〜(5)土木工事の国際入札
    • [14]米国の大型機械と技術の導入で3年工期。バンク・オブ・アメリカから700万ドル(年利4分5厘・3年)を借入れ、外資導入第1号
    • [16]米国の大型機械と技術の導入で3年工期。バンク・オブ・アメリカから700万ドル(年利4分5厘・3年)を借入れ、外資導入第1号
  • 日本経済新聞社『私の履歴書』高碕達之助
    • [15]高碕は27年11月に技術者と渡米しパインフラットダムで機械施工を見て導入を決意、アトキンソン社と交渉
  • 電源開発『電発30年史』(1984年) 1章 第4節 (5)土木工事の国際入札・(6)水車発電機も国際入札へ
    • [17]土木工事はJV方式の国際入札でアトキンソン社提携グループが落札。9万6,000kW水車・発電機4台も首相反対を押して国際入札、東芝・日立が予算以下で落札
    • [18]土木工事はJV方式の国際入札でアトキンソン社提携グループが落札。9万6,000kW水車・発電機4台も首相反対を押して国際入札、東芝・日立が予算以下で落札
    • [19]土木工事はJV方式の国際入札でアトキンソン社提携グループが落札。9万6,000kW水車・発電機4台も首相反対を押して国際入札、東芝・日立が予算以下で落札
  • 電源開発『電発30年史』(1984年) 1章 第4節 3.佐久間の発生電力
    • [20]仮排水路は29年3月完成。着工28年4月16日、佐久間発電所は31年4月22日に運転開始。最大出力35万kW
参考文献[1]-[20]
  • 電源開発『電発30年史』(1984年) 1章 創業の時代 第2節 電源開発会社の創立
    • [1]1952年9月16日 東京会館で創立総会。株主は政府49億5,000万円・9電力5,000万円。52年度出資は開銀が臨時に行い55年度に政府出資へ振替
    • [2]1952年9月16日 東京会館で創立総会。株主は政府49億5,000万円・9電力5,000万円。52年度出資は開銀が臨時に行い55年度に政府出資へ振替
    • [3]促進法は大規模・実施困難な水力開発による供給増を目的とし資本金の過半を政府保有と規定。9電力は資金調達・技術力ともに不足
    • [4]促進法は大規模・実施困難な水力開発による供給増を目的とし資本金の過半を政府保有と規定。9電力は資金調達・技術力ともに不足
    • [5]1952年9月16日 東京会館で創立総会。株主は政府49億5,000万円・9電力5,000万円。52年度出資は開銀が臨時に行い55年度に政府出資へ振替
  • 日本経済新聞社『私の履歴書』高碕達之助
    • [6]初代総裁に高碕達之助、副総裁に進藤武左ヱ門(中国電力会長)。高碕はやり手がいなかったので引き受けたと記す
    • [13]佐久間ダムは昭和28年4月に着工し約3年で完成、31年10月15日に完工式
    • [15]高碕は27年11月に技術者と渡米しパインフラットダムで機械施工を見て導入を決意、アトキンソン社と交渉
  • 電源開発『電発30年史』(1984年) 1章 第4節 金字塔「佐久間ダム」
    • [7]佐久間地点の障害は洪水流量・断崖・厚い砂れき層、日発にも再編成後の1電力会社にも資金・技術上の開発力がなかった
    • [8]佐久間地点の障害は洪水流量・断崖・厚い砂れき層、日発にも再編成後の1電力会社にも資金・技術上の開発力がなかった
    • [9]佐久間地点の障害は洪水流量・断崖・厚い砂れき層、日発にも再編成後の1電力会社にも資金・技術上の開発力がなかった
  • 電源開発『電発30年史』(1984年) 1章 第4節 金字塔「佐久間ダム」 (2)なぜ、挑戦したか
    • [10]電発の目的は9電力体制の補完。9電力は火力ベース・水力ピークへ移り、大貯水池式水力を電発が担当。佐久間は骨材・交通・工期で奥只見・御母衣より有利
    • [11]電発の目的は9電力体制の補完。9電力は火力ベース・水力ピークへ移り、大貯水池式水力を電発が担当。佐久間は骨材・交通・工期で奥只見・御母衣より有利
    • [12]電発の目的は9電力体制の補完。9電力は火力ベース・水力ピークへ移り、大貯水池式水力を電発が担当。佐久間は骨材・交通・工期で奥只見・御母衣より有利
  • 電源開発『電発30年史』(1984年) 1章 第4節 (3)大型機械の導入〜(5)土木工事の国際入札
    • [14]米国の大型機械と技術の導入で3年工期。バンク・オブ・アメリカから700万ドル(年利4分5厘・3年)を借入れ、外資導入第1号
    • [16]米国の大型機械と技術の導入で3年工期。バンク・オブ・アメリカから700万ドル(年利4分5厘・3年)を借入れ、外資導入第1号
  • 電源開発『電発30年史』(1984年) 1章 第4節 (5)土木工事の国際入札・(6)水車発電機も国際入札へ
    • [17]土木工事はJV方式の国際入札でアトキンソン社提携グループが落札。9万6,000kW水車・発電機4台も首相反対を押して国際入札、東芝・日立が予算以下で落札
    • [18]土木工事はJV方式の国際入札でアトキンソン社提携グループが落札。9万6,000kW水車・発電機4台も首相反対を押して国際入札、東芝・日立が予算以下で落札
    • [19]土木工事はJV方式の国際入札でアトキンソン社提携グループが落札。9万6,000kW水車・発電機4台も首相反対を押して国際入札、東芝・日立が予算以下で落札
  • 電源開発『電発30年史』(1984年) 1章 第4節 3.佐久間の発生電力
    • [20]仮排水路は29年3月完成。着工28年4月16日、佐久間発電所は31年4月22日に運転開始。最大出力35万kW

1957年〜奥只見・田子倉・御母衣の大規模貯水池と、9電力と結んだ広域運営協定

佐久間に続く大規模地点は、福島県と新潟県の境を流れる只見川の奥只見と田子倉だった。只見川の開発は日発時代から、福島県の本流案と新潟県の分流案が対立していた。公益事業委員会は1951年8月に米国の海外技術調査団(OCI)へ調査を依頼し、1952年5月の報告はおおむね本流案を支持した。1953年7月の第10回電源開発調整審議会は、奥只見・田子倉・黒又川第一の3地点を電発の着工地点に決めた。送電では、27万5,000Vの只見幹線で東京へ送り佐久間幹線と連系する電発案の採用。奥只見は1961年7月に36万kW、田子倉は同年11月に38万kWの運転に入った。首都圏の需要地と大貯水池群を幹線で結んだことが、只見川を電発に委ねた意味だったと推察される。

  • 電源開発『電発30年史』(1984年) 2章 大規模水力の時代 第2節 母なる只見川
    • [21]只見川は本流案(福島)と分流案(新潟)が対立。26年8月にOCIへ調査依頼、27年5月報告は本流案に賛成。28年7月第10回電調審で奥只見・田子倉・黒又川第一が電発の着工地点に
    • [22]只見川は本流案(福島)と分流案(新潟)が対立。26年8月にOCIへ調査依頼、27年5月報告は本流案に賛成。28年7月第10回電調審で奥只見・田子倉・黒又川第一が電発の着工地点に
    • [23]只見川は本流案(福島)と分流案(新潟)が対立。26年8月にOCIへ調査依頼、27年5月報告は本流案に賛成。28年7月第10回電調審で奥只見・田子倉・黒又川第一が電発の着工地点に
    • [24]只見川は本流案(福島)と分流案(新潟)が対立。26年8月にOCIへ調査依頼、27年5月報告は本流案に賛成。28年7月第10回電調審で奥只見・田子倉・黒又川第一が電発の着工地点に
  • 電源開発『10年史』(1962年)
    • [25]31年12月の電調審で田子倉・奥只見・御母衣の出力増を決定。275kV只見幹線で東京へ送り佐久間幹線と連系する電発案を採用
  • 電源開発『電発30年史』(1984年) 2章 第3節 奥只見の建設・田子倉の建設
    • [26]奥只見は36年7月に全体計画36万kWの運転開始。田子倉は36年11月に最大出力38万kWで完成

電発が岐阜県の庄川に建設した御母衣ダムは、国内初の大規模ロックフィルダムである。御母衣地点の地質には、日発が1950年、関西電力が翌年に行った調査で疑問が出ており、電発自身の調査でも懸念は消えなかった。重力式を選べば掘削量が膨大になり、工期と工費が過大になるおそれがあった。電発は米国へ技術者を派遣し、地震国での安全性への疑問を抱えながらロックフィルの採用を決めた。採用の狙いは地質条件への対応と工事費の低減にあり、1959年2月には世界銀行借款1,000万ドルも得た。水没地域は荘川村と白川村の2村・250戸に及び、1952年6月には反対期成同盟が結成されて補償交渉は難航した。ダムは1960年10月に完成し、発電所は1961年1月に16万kW、5月に21万5,000kWの運転に入った。

  • 電源開発『10年史』(1962年)
    • [27]御母衣は地質条件と工事費低減のためわが国初の大規模ロックフィルダムに。世界銀行借款1,000万ドルが34年2月に実現
    • [31]御母衣は地質条件と工事費低減のためわが国初の大規模ロックフィルダムに。世界銀行借款1,000万ドルが34年2月に実現
  • 電源開発『電発30年史』(1984年) 2章 第5節 御母衣の建設 3.なぜ、ロックフィルを
    • [28]日発(25年)・関電の地質調査で疑問、電発調査でも懸念。重力式は掘削量が膨大。米国へ技術者を派遣しロックフィル採用。35年10月ダム完成、36年1月16万kW、5月21万5,000kW
    • [29]日発(25年)・関電の地質調査で疑問、電発調査でも懸念。重力式は掘削量が膨大。米国へ技術者を派遣しロックフィル採用。35年10月ダム完成、36年1月16万kW、5月21万5,000kW
    • [30]日発(25年)・関電の地質調査で疑問、電発調査でも懸念。重力式は掘削量が膨大。米国へ技術者を派遣しロックフィル採用。35年10月ダム完成、36年1月16万kW、5月21万5,000kW
    • [33]日発(25年)・関電の地質調査で疑問、電発調査でも懸念。重力式は掘削量が膨大。米国へ技術者を派遣しロックフィル採用。35年10月ダム完成、36年1月16万kW、5月21万5,000kW
  • 電源開発『電発30年史』(1984年) 2章 第5節 4.難航した補償問題
    • [32]水没は荘川村・白川村の250戸。27年6月に御母衣ダム絶対反対期成同盟が結成され補償が難航

1958年4月1日、電発と9電力会社による「広域運営に関する協定書」の締結。発端は1957年7月の東北電力と北陸電力の料金値上げで、各社の水力と火力の構成や需要構成の違いが企業格差として顕在化した。同年10月、自民党基礎産業対策特別委員会(委員長・高碕達之助氏)は広域運営への転換を唱えた。政府は1958年3月28日の閣議報告で、電力原価の抑制と料金の地域差の調整、需給の円滑化への貢献を求めた。会議体は2層に組まれ、10社がそろう中央電力協議会の下に北・東・中・西の4つの地域協議会が置かれた。電発は4地域のどれにも席を持った。発電だけでなく系統の運用でも全国の効率を受け持つ立場となり、その延長に佐久間周波数変換所の建設があった。

  • 電源開発『電発30年史』(1984年) 2章 第8節 広域運営の発足
    • [34]32年10月自民党基礎産業対策特別委(委員長高碕達之助)中間報告、33年3月28日閣議報告、33年4月1日電発と9電力が広域運営協定書を締結し中央・4地域協議会を結成
    • [36]32年10月自民党基礎産業対策特別委(委員長高碕達之助)中間報告、33年3月28日閣議報告、33年4月1日電発と9電力が広域運営協定書を締結し中央・4地域協議会を結成
    • [37]32年10月自民党基礎産業対策特別委(委員長高碕達之助)中間報告、33年3月28日閣議報告、33年4月1日電発と9電力が広域運営協定書を締結し中央・4地域協議会を結成
    • [38]32年10月自民党基礎産業対策特別委(委員長高碕達之助)中間報告、33年3月28日閣議報告、33年4月1日電発と9電力が広域運営協定書を締結し中央・4地域協議会を結成
    • [39]32年10月自民党基礎産業対策特別委(委員長高碕達之助)中間報告、33年3月28日閣議報告、33年4月1日電発と9電力が広域運営協定書を締結し中央・4地域協議会を結成
    • [40]32年10月自民党基礎産業対策特別委(委員長高碕達之助)中間報告、33年3月28日閣議報告、33年4月1日電発と9電力が広域運営協定書を締結し中央・4地域協議会を結成
  • 電源開発『10年史』(1962年)
    • [35]水火力構成・需要構成の差による企業格差が32年7月の東北・北陸2社の値上げで露呈し、33年4月の広域運営発足につながった
参考文献[21]-[40]
  • 電源開発『電発30年史』(1984年) 2章 大規模水力の時代 第2節 母なる只見川
    • [21]只見川は本流案(福島)と分流案(新潟)が対立。26年8月にOCIへ調査依頼、27年5月報告は本流案に賛成。28年7月第10回電調審で奥只見・田子倉・黒又川第一が電発の着工地点に
    • [22]只見川は本流案(福島)と分流案(新潟)が対立。26年8月にOCIへ調査依頼、27年5月報告は本流案に賛成。28年7月第10回電調審で奥只見・田子倉・黒又川第一が電発の着工地点に
    • [23]只見川は本流案(福島)と分流案(新潟)が対立。26年8月にOCIへ調査依頼、27年5月報告は本流案に賛成。28年7月第10回電調審で奥只見・田子倉・黒又川第一が電発の着工地点に
    • [24]只見川は本流案(福島)と分流案(新潟)が対立。26年8月にOCIへ調査依頼、27年5月報告は本流案に賛成。28年7月第10回電調審で奥只見・田子倉・黒又川第一が電発の着工地点に
  • 電源開発『10年史』(1962年)
    • [25]31年12月の電調審で田子倉・奥只見・御母衣の出力増を決定。275kV只見幹線で東京へ送り佐久間幹線と連系する電発案を採用
    • [27]御母衣は地質条件と工事費低減のためわが国初の大規模ロックフィルダムに。世界銀行借款1,000万ドルが34年2月に実現
    • [31]御母衣は地質条件と工事費低減のためわが国初の大規模ロックフィルダムに。世界銀行借款1,000万ドルが34年2月に実現
    • [35]水火力構成・需要構成の差による企業格差が32年7月の東北・北陸2社の値上げで露呈し、33年4月の広域運営発足につながった
  • 電源開発『電発30年史』(1984年) 2章 第3節 奥只見の建設・田子倉の建設
    • [26]奥只見は36年7月に全体計画36万kWの運転開始。田子倉は36年11月に最大出力38万kWで完成
  • 電源開発『電発30年史』(1984年) 2章 第5節 御母衣の建設 3.なぜ、ロックフィルを
    • [28]日発(25年)・関電の地質調査で疑問、電発調査でも懸念。重力式は掘削量が膨大。米国へ技術者を派遣しロックフィル採用。35年10月ダム完成、36年1月16万kW、5月21万5,000kW
    • [29]日発(25年)・関電の地質調査で疑問、電発調査でも懸念。重力式は掘削量が膨大。米国へ技術者を派遣しロックフィル採用。35年10月ダム完成、36年1月16万kW、5月21万5,000kW
    • [30]日発(25年)・関電の地質調査で疑問、電発調査でも懸念。重力式は掘削量が膨大。米国へ技術者を派遣しロックフィル採用。35年10月ダム完成、36年1月16万kW、5月21万5,000kW
    • [33]日発(25年)・関電の地質調査で疑問、電発調査でも懸念。重力式は掘削量が膨大。米国へ技術者を派遣しロックフィル採用。35年10月ダム完成、36年1月16万kW、5月21万5,000kW
  • 電源開発『電発30年史』(1984年) 2章 第5節 4.難航した補償問題
    • [32]水没は荘川村・白川村の250戸。27年6月に御母衣ダム絶対反対期成同盟が結成され補償が難航
  • 電源開発『電発30年史』(1984年) 2章 第8節 広域運営の発足
    • [34]32年10月自民党基礎産業対策特別委(委員長高碕達之助)中間報告、33年3月28日閣議報告、33年4月1日電発と9電力が広域運営協定書を締結し中央・4地域協議会を結成
    • [36]32年10月自民党基礎産業対策特別委(委員長高碕達之助)中間報告、33年3月28日閣議報告、33年4月1日電発と9電力が広域運営協定書を締結し中央・4地域協議会を結成
    • [37]32年10月自民党基礎産業対策特別委(委員長高碕達之助)中間報告、33年3月28日閣議報告、33年4月1日電発と9電力が広域運営協定書を締結し中央・4地域協議会を結成
    • [38]32年10月自民党基礎産業対策特別委(委員長高碕達之助)中間報告、33年3月28日閣議報告、33年4月1日電発と9電力が広域運営協定書を締結し中央・4地域協議会を結成
    • [39]32年10月自民党基礎産業対策特別委(委員長高碕達之助)中間報告、33年3月28日閣議報告、33年4月1日電発と9電力が広域運営協定書を締結し中央・4地域協議会を結成
    • [40]32年10月自民党基礎産業対策特別委(委員長高碕達之助)中間報告、33年3月28日閣議報告、33年4月1日電発と9電力が広域運営協定書を締結し中央・4地域協議会を結成

1962年〜石炭対策大綱で引き受けた磯子・高砂・竹原の揚地火力と、新執行部体制

1962年11月29日、政府は石炭産業の危機に対処するため石炭対策大綱を決定した。大綱は電力業界の石炭引取量を1970年度に3,000万tまで積み増すと定めた。石炭火力の建設資金は、国が措置することになった。9電力会社は半年近く協議し、1967年度の上積み分250万tを電発に引き受けてもらう結論を出した。当時の電発の石炭火力は、若松火力の15万kWだけ。それでも電発は国策会社として、政府の助成と電力会社の協力を前提に1963年7月4日に受諾した。同年9月の中央電力協議会は、横浜・高砂・竹原の3地点に5基・総出力128万kWの揚地石炭火力を建てる計画を決めた。

  • 電源開発『電発30年史』(1984年) 3章 揚地石炭火力の時代 第2節 1.新たな石炭火力への取り組み
    • [41]37年11月29日石炭対策大綱。電力引取は38年度2,050万t・42年度2,550万t・45年度3,000万t、建設資金は国が措置。9電力は上積み250万tを電発に要請、電発は38年7月4日に受諾(若松火力15万kWのみ保有)
    • [42]37年11月29日石炭対策大綱。電力引取は38年度2,050万t・42年度2,550万t・45年度3,000万t、建設資金は国が措置。9電力は上積み250万tを電発に要請、電発は38年7月4日に受諾(若松火力15万kWのみ保有)
    • [43]37年11月29日石炭対策大綱。電力引取は38年度2,050万t・42年度2,550万t・45年度3,000万t、建設資金は国が措置。9電力は上積み250万tを電発に要請、電発は38年7月4日に受諾(若松火力15万kWのみ保有)
    • [44]37年11月29日石炭対策大綱。電力引取は38年度2,050万t・42年度2,550万t・45年度3,000万t、建設資金は国が措置。9電力は上積み250万tを電発に要請、電発は38年7月4日に受諾(若松火力15万kWのみ保有)
    • [45]37年11月29日石炭対策大綱。電力引取は38年度2,050万t・42年度2,550万t・45年度3,000万t、建設資金は国が措置。9電力は上積み250万tを電発に要請、電発は38年7月4日に受諾(若松火力15万kWのみ保有)
    • [46]37年11月29日石炭対策大綱。電力引取は38年度2,050万t・42年度2,550万t・45年度3,000万t、建設資金は国が措置。9電力は上積み250万tを電発に要請、電発は38年7月4日に受諾(若松火力15万kWのみ保有)
  • 電源開発『電発30年史』(1984年) 3章 第2節 (3)計画の決定
    • [47]38年9月の中央電力協議会で横浜・高砂・竹原の3地点に5基128万kW、総工事費675億6,000万円の揚地石炭火力計画概要を決定

電発は1963年3月と1964年6月の2度にわたり、抜本的な機構改正に踏み切った。1963年3月には28発電所の現業機関を地域別に統轄する電力所を5ヵ所に設け、本店に調整部を新設した。それでも職能別の部門を並べた本店の体制には、経営環境の変化に応じて機動的に動けないという弱点が残った。1964年6月、電発は創立以来の大改正としてライン・アンド・スタッフ体制の「新執行部体制」を確立した。理念は、企業性の浸透、責任体制の明確化、経営政策の決定機能と内省機能の充実の3点。ライン部門は水力建設部・火力部・工務部・海外技術協力部の4部に改め、業務部は営業部と改称して施設計画から販売計画までを一貫して担わせた。この体制は1978年の支社体制発足まで約15年続いた。

  • 電源開発『電発30年史』(1984年) 3章 第8節 事業運営の転換 2.新執行部体制の確立
    • [48]38年3月に電力所5ヵ所と調整部を新設、39年6月にライン・アンド・スタッフの新執行部体制を確立。理念は企業性の浸透・責任体制の明確化・経営政策決定と内省機能の充実。4ライン部と営業部。53年の支社体制まで約15年継続
    • [49]38年3月に電力所5ヵ所と調整部を新設、39年6月にライン・アンド・スタッフの新執行部体制を確立。理念は企業性の浸透・責任体制の明確化・経営政策決定と内省機能の充実。4ライン部と営業部。53年の支社体制まで約15年継続
    • [50]38年3月に電力所5ヵ所と調整部を新設、39年6月にライン・アンド・スタッフの新執行部体制を確立。理念は企業性の浸透・責任体制の明確化・経営政策決定と内省機能の充実。4ライン部と営業部。53年の支社体制まで約15年継続
    • [51]38年3月に電力所5ヵ所と調整部を新設、39年6月にライン・アンド・スタッフの新執行部体制を確立。理念は企業性の浸透・責任体制の明確化・経営政策決定と内省機能の充実。4ライン部と営業部。53年の支社体制まで約15年継続
    • [52]38年3月に電力所5ヵ所と調整部を新設、39年6月にライン・アンド・スタッフの新執行部体制を確立。理念は企業性の浸透・責任体制の明確化・経営政策決定と内省機能の充実。4ライン部と営業部。53年の支社体制まで約15年継続
    • [53]38年3月に電力所5ヵ所と調整部を新設、39年6月にライン・アンド・スタッフの新執行部体制を確立。理念は企業性の浸透・責任体制の明確化・経営政策決定と内省機能の充実。4ライン部と営業部。53年の支社体制まで約15年継続
    • [54]38年3月に電力所5ヵ所と調整部を新設、39年6月にライン・アンド・スタッフの新執行部体制を確立。理念は企業性の浸透・責任体制の明確化・経営政策決定と内省機能の充実。4ライン部と営業部。53年の支社体制まで約15年継続

揚地3火力の先頭を切ったのは、横浜市に建設した磯子1号機である。電発は横浜市が申し入れた公害対策14項目をすべて実施した。煙突は当時の限度とされた100mを超える120mで、乾式の電気集じん装置も備える設計。1967年1月25日に副総裁の大堀弘氏が火入れのスイッチを押し、5月25日には予定より1週間早く運転に入った。同じころ電気事業では、1963年を境に発電設備が水主火従から火主水従へ移り、1968年には需要の年間ピークが冬から夏へ移った。1968年4月5日、電気事業審議会は大規模原子力と大規模揚水発電を組み合わせて経済性を高める方向を提言した。夏のピークに応える大規模揚水発電が、電発の次の開発対象として浮上したと思われる。

  • 電源開発『電発30年史』(1984年) 3章 第2節 3.建設工事の開始 (1)磯子1号機
    • [55]磯子は横浜市の14項目を全て実施、煙突120m、乾式電気集じん器。42年1月25日火入れ(大堀弘副総裁)、5月25日に予定より1週間早く運転
    • [56]磯子は横浜市の14項目を全て実施、煙突120m、乾式電気集じん器。42年1月25日火入れ(大堀弘副総裁)、5月25日に予定より1週間早く運転
    • [57]磯子は横浜市の14項目を全て実施、煙突120m、乾式電気集じん器。42年1月25日火入れ(大堀弘副総裁)、5月25日に予定より1週間早く運転
    • [58]磯子は横浜市の14項目を全て実施、煙突120m、乾式電気集じん器。42年1月25日火入れ(大堀弘副総裁)、5月25日に予定より1週間早く運転
  • 電源開発『電発30年史』(1984年) 4章 揚水発電の時代
    • [59]38年を境に水主火従から火主水従、43年に年間ピークが冬から夏へ。43年4月5日電気事業審議会が大規模原子力と揚水の組み合わせ・広域運営強化を提言
    • [60]38年を境に水主火従から火主水従、43年に年間ピークが冬から夏へ。43年4月5日電気事業審議会が大規模原子力と揚水の組み合わせ・広域運営強化を提言
参考文献[41]-[60]
  • 電源開発『電発30年史』(1984年) 3章 揚地石炭火力の時代 第2節 1.新たな石炭火力への取り組み
    • [41]37年11月29日石炭対策大綱。電力引取は38年度2,050万t・42年度2,550万t・45年度3,000万t、建設資金は国が措置。9電力は上積み250万tを電発に要請、電発は38年7月4日に受諾(若松火力15万kWのみ保有)
    • [42]37年11月29日石炭対策大綱。電力引取は38年度2,050万t・42年度2,550万t・45年度3,000万t、建設資金は国が措置。9電力は上積み250万tを電発に要請、電発は38年7月4日に受諾(若松火力15万kWのみ保有)
    • [43]37年11月29日石炭対策大綱。電力引取は38年度2,050万t・42年度2,550万t・45年度3,000万t、建設資金は国が措置。9電力は上積み250万tを電発に要請、電発は38年7月4日に受諾(若松火力15万kWのみ保有)
    • [44]37年11月29日石炭対策大綱。電力引取は38年度2,050万t・42年度2,550万t・45年度3,000万t、建設資金は国が措置。9電力は上積み250万tを電発に要請、電発は38年7月4日に受諾(若松火力15万kWのみ保有)
    • [45]37年11月29日石炭対策大綱。電力引取は38年度2,050万t・42年度2,550万t・45年度3,000万t、建設資金は国が措置。9電力は上積み250万tを電発に要請、電発は38年7月4日に受諾(若松火力15万kWのみ保有)
    • [46]37年11月29日石炭対策大綱。電力引取は38年度2,050万t・42年度2,550万t・45年度3,000万t、建設資金は国が措置。9電力は上積み250万tを電発に要請、電発は38年7月4日に受諾(若松火力15万kWのみ保有)
  • 電源開発『電発30年史』(1984年) 3章 第2節 (3)計画の決定
    • [47]38年9月の中央電力協議会で横浜・高砂・竹原の3地点に5基128万kW、総工事費675億6,000万円の揚地石炭火力計画概要を決定
  • 電源開発『電発30年史』(1984年) 3章 第8節 事業運営の転換 2.新執行部体制の確立
    • [48]38年3月に電力所5ヵ所と調整部を新設、39年6月にライン・アンド・スタッフの新執行部体制を確立。理念は企業性の浸透・責任体制の明確化・経営政策決定と内省機能の充実。4ライン部と営業部。53年の支社体制まで約15年継続
    • [49]38年3月に電力所5ヵ所と調整部を新設、39年6月にライン・アンド・スタッフの新執行部体制を確立。理念は企業性の浸透・責任体制の明確化・経営政策決定と内省機能の充実。4ライン部と営業部。53年の支社体制まで約15年継続
    • [50]38年3月に電力所5ヵ所と調整部を新設、39年6月にライン・アンド・スタッフの新執行部体制を確立。理念は企業性の浸透・責任体制の明確化・経営政策決定と内省機能の充実。4ライン部と営業部。53年の支社体制まで約15年継続
    • [51]38年3月に電力所5ヵ所と調整部を新設、39年6月にライン・アンド・スタッフの新執行部体制を確立。理念は企業性の浸透・責任体制の明確化・経営政策決定と内省機能の充実。4ライン部と営業部。53年の支社体制まで約15年継続
    • [52]38年3月に電力所5ヵ所と調整部を新設、39年6月にライン・アンド・スタッフの新執行部体制を確立。理念は企業性の浸透・責任体制の明確化・経営政策決定と内省機能の充実。4ライン部と営業部。53年の支社体制まで約15年継続
    • [53]38年3月に電力所5ヵ所と調整部を新設、39年6月にライン・アンド・スタッフの新執行部体制を確立。理念は企業性の浸透・責任体制の明確化・経営政策決定と内省機能の充実。4ライン部と営業部。53年の支社体制まで約15年継続
    • [54]38年3月に電力所5ヵ所と調整部を新設、39年6月にライン・アンド・スタッフの新執行部体制を確立。理念は企業性の浸透・責任体制の明確化・経営政策決定と内省機能の充実。4ライン部と営業部。53年の支社体制まで約15年継続
  • 電源開発『電発30年史』(1984年) 3章 第2節 3.建設工事の開始 (1)磯子1号機
    • [55]磯子は横浜市の14項目を全て実施、煙突120m、乾式電気集じん器。42年1月25日火入れ(大堀弘副総裁)、5月25日に予定より1週間早く運転
    • [56]磯子は横浜市の14項目を全て実施、煙突120m、乾式電気集じん器。42年1月25日火入れ(大堀弘副総裁)、5月25日に予定より1週間早く運転
    • [57]磯子は横浜市の14項目を全て実施、煙突120m、乾式電気集じん器。42年1月25日火入れ(大堀弘副総裁)、5月25日に予定より1週間早く運転
    • [58]磯子は横浜市の14項目を全て実施、煙突120m、乾式電気集じん器。42年1月25日火入れ(大堀弘副総裁)、5月25日に予定より1週間早く運転
  • 電源開発『電発30年史』(1984年) 4章 揚水発電の時代
    • [59]38年を境に水主火従から火主水従、43年に年間ピークが冬から夏へ。43年4月5日電気事業審議会が大規模原子力と揚水の組み合わせ・広域運営強化を提言
    • [60]38年を境に水主火従から火主水従、43年に年間ピークが冬から夏へ。43年4月5日電気事業審議会が大規模原子力と揚水の組み合わせ・広域運営強化を提言

出典・参考

18件
出典・参考
  • 電源開発『10年史』(1962年)
  • 電源開発『電発30年史』(1984年) 1章 創業の時代 第2節 電源開発会社の創立
  • 電源開発『電発30年史』(1984年) 1章 第4節 金字塔「佐久間ダム」
  • 電源開発『電発30年史』(1984年) 1章 第4節 金字塔「佐久間ダム」 (2)なぜ、挑戦したか
  • 電源開発『電発30年史』(1984年) 1章 第4節 (3)大型機械の導入〜(5)土木工事の国際入札
  • 電源開発『電発30年史』(1984年) 1章 第4節 (5)土木工事の国際入札・(6)水車発電機も国際入札へ
  • 電源開発『電発30年史』(1984年) 1章 第4節 3.佐久間の発生電力
  • 電源開発『電発30年史』(1984年) 2章 大規模水力の時代 第2節 母なる只見川
  • 電源開発『電発30年史』(1984年) 2章 第3節 奥只見の建設・田子倉の建設
  • 電源開発『電発30年史』(1984年) 2章 第5節 御母衣の建設 3.なぜ、ロックフィルを
  • 電源開発『電発30年史』(1984年) 2章 第5節 4.難航した補償問題
  • 電源開発『電発30年史』(1984年) 2章 第8節 広域運営の発足
  • 電源開発『電発30年史』(1984年) 3章 揚地石炭火力の時代 第2節 1.新たな石炭火力への取り組み
  • 電源開発『電発30年史』(1984年) 3章 第2節 (3)計画の決定
  • 電源開発『電発30年史』(1984年) 3章 第8節 事業運営の転換 2.新執行部体制の確立
  • 電源開発『電発30年史』(1984年) 3章 第2節 3.建設工事の開始 (1)磯子1号機
  • 電源開発『電発30年史』(1984年) 4章 揚水発電の時代
  • 日本経済新聞社『私の履歴書』高碕達之助

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