九州電力:九州電力の設立と玄海原子力発電所1号機による原子力導入
1951年〜日本発送電を継いだ資本金7億6000万円の九州電力と、60サイクルに揃えた系統
九州電力は1951年5月1日、電気事業再編成令に基づき資本金7億6000万円で発足し、九州一円を供給区域とした。出資は日本発送電の発電設備3億6000万円と九州配電の配電設備4億円で、発電から配電までを1社が一貫して担った。前身の九州配電は1942年4月、配電統制令により九州水力電気・九州電気・東邦電力・日本水電の4社を中心に設立された。再編成の方式では、日本発送電が全国1社化を、9配電会社がブロック別の分割を主張して対立した。1950年12月に発足した公益事業委員会が再編成の実施を担い、松永安左エ門氏が委員長代理を務めた。九州電力の初代の会長は麻生太賀吉氏、社長は佐藤篤二郎氏である。
- 会社銀行八十年史(1955)「電力」
- [1]1951年5月、日本発送電の発電設備3億6000万円・九州配電の配電設備4億円の出資で資本金7億6000万円で設立。九州配電は1942年4月に九州水力電気など4社中心に設立
- [2]1951年5月、日本発送電の発電設備3億6000万円・九州配電の配電設備4億円の出資で資本金7億6000万円で設立。九州配電は1942年4月に九州水力電気など4社中心に設立
- [3]1951年5月、日本発送電の発電設備3億6000万円・九州配電の配電設備4億円の出資で資本金7億6000万円で設立。九州配電は1942年4月に九州水力電気など4社中心に設立
- 九州電力10年史(1961)「九州の電気事業」
- [4]日本発送電は全国1社化、9配電はブロック別分割を主張し対立。1950年12月に公益事業委員会が発足し松永安左エ門が委員長代理
- [5]日本発送電は全国1社化、9配電はブロック別分割を主張し対立。1950年12月に公益事業委員会が発足し松永安左エ門が委員長代理
- 株式会社年鑑 1952年版「九州電力」
- [6]1952年版で会長麻生太賀吉・社長佐藤篤二郎。大株主は九州配電80万株・日本発送電72万株
九州電力は発足から数年、設備の荒廃や渇水、石炭事情の悪化で供給力が不足し、法的な使用制限を受けた時期もあった。発足時の設備は水力480MW・火力550MWで、大きな水力資源に乏しい九州では火力の比率が高かった。電源の方針は、新鋭の大容量火力にベース負荷を持たせ、ピークを貯水池式の大容量水力で調整する組み合わせに定めた。苅田の新鋭火力75MWは米国の技術を導入し、機器代には世界銀行借款1120万ドルを充当。上椎葉のアーチ式ダムの発電所は1955年5月に完成し、苅田1期(75,000KW)は1956年3月に工事を終えた。需給は2つの発電所が完成した1955年度前後から安定に向かった。
- 九州電力10年史(1961)「電力需給のうごき」
- [7]発足当初は設備荒廃・渇水・石炭事情悪化で供給力が低下し法的制限も実施。上椎葉と苅田1期完成の1955年度前後から需給が安定
- [12]発足当初は設備荒廃・渇水・石炭事情悪化で供給力が低下し法的制限も実施。上椎葉と苅田1期完成の1955年度前後から需給が安定
- 九州電力10年史(1961)「設備の拡充と近代化」
- [8]創立時は水力480MW・火力550MW。大容量火力でベース、貯水池式水力でピーク調整の方針。苅田75MWは米国技術導入、上椎葉は90MWのアーチ式ダム
- [9]創立時は水力480MW・火力550MW。大容量火力でベース、貯水池式水力でピーク調整の方針。苅田75MWは米国技術導入、上椎葉は90MWのアーチ式ダム
- 会社銀行八十年史(1955)「電力」
- [10]苅田発電所の機器購入資金に世界銀行借款1120万ドルを充当(1953年10月契約)
- 九州電力10年史(1961)「年表」
- [11]1955年5月に上椎葉発電所、1956年3月31日に苅田発電所1期(75,000KW)工事完成
九州では明治以来の経緯から、同じ地域の中に50サイクルと60サイクルの系統が並び立っていた。戦後の電力不足を緩めるために一部の需要家を60サイクルへ切り替えた結果、北九州の送電網は2つの周波数が入り乱れる状態である。1949年12月13日には九州の周波数を60サイクルに統一する方針が閣議で決まり、1950年から第1期工事が進んだ。九州電力は1953年12月17日に周波数統一委員会を置き、1954年に第2期工事を始めた。電力の切り替えは予定より約1年早い1960年6月30日に完了し、管内から50サイクル系は無くなった。1953年8月の第三者の試算は、非能率な火力を他の火力で代替できることによる石炭費の節減を年161,297千円と見積もっていた。
- 九州電力10年史(1961)「周波数の統一」
- [13]九州は一地帯内に50・60両系統が併存。1949年12月13日閣議で60統一決定、1950-51年に第1期工事、1954年に第2期開始、1960年6月30日に切替完了。1953年8月の5人委員会試算で石炭費節減161,297千円
- [14]九州は一地帯内に50・60両系統が併存。1949年12月13日閣議で60統一決定、1950-51年に第1期工事、1954年に第2期開始、1960年6月30日に切替完了。1953年8月の5人委員会試算で石炭費節減161,297千円
- [15]九州は一地帯内に50・60両系統が併存。1949年12月13日閣議で60統一決定、1950-51年に第1期工事、1954年に第2期開始、1960年6月30日に切替完了。1953年8月の5人委員会試算で石炭費節減161,297千円
- [18]九州は一地帯内に50・60両系統が併存。1949年12月13日閣議で60統一決定、1950-51年に第1期工事、1954年に第2期開始、1960年6月30日に切替完了。1953年8月の5人委員会試算で石炭費節減161,297千円
- 九州電力10年史(1961)「年表」
- [16]1953年12月17日に周波数統一委員会を設置。1960年6月30日に周波数統一完了、50系皆無
- [17]1953年12月17日に周波数統一委員会を設置。1960年6月30日に周波数統一完了、50系皆無
参考文献[1]-[18]
- 会社銀行八十年史(1955)「電力」
- [1]1951年5月、日本発送電の発電設備3億6000万円・九州配電の配電設備4億円の出資で資本金7億6000万円で設立。九州配電は1942年4月に九州水力電気など4社中心に設立
- [2]1951年5月、日本発送電の発電設備3億6000万円・九州配電の配電設備4億円の出資で資本金7億6000万円で設立。九州配電は1942年4月に九州水力電気など4社中心に設立
- [3]1951年5月、日本発送電の発電設備3億6000万円・九州配電の配電設備4億円の出資で資本金7億6000万円で設立。九州配電は1942年4月に九州水力電気など4社中心に設立
- [10]苅田発電所の機器購入資金に世界銀行借款1120万ドルを充当(1953年10月契約)
- 九州電力10年史(1961)「九州の電気事業」
- [4]日本発送電は全国1社化、9配電はブロック別分割を主張し対立。1950年12月に公益事業委員会が発足し松永安左エ門が委員長代理
- [5]日本発送電は全国1社化、9配電はブロック別分割を主張し対立。1950年12月に公益事業委員会が発足し松永安左エ門が委員長代理
- 株式会社年鑑 1952年版「九州電力」
- [6]1952年版で会長麻生太賀吉・社長佐藤篤二郎。大株主は九州配電80万株・日本発送電72万株
- 九州電力10年史(1961)「電力需給のうごき」
- [7]発足当初は設備荒廃・渇水・石炭事情悪化で供給力が低下し法的制限も実施。上椎葉と苅田1期完成の1955年度前後から需給が安定
- [12]発足当初は設備荒廃・渇水・石炭事情悪化で供給力が低下し法的制限も実施。上椎葉と苅田1期完成の1955年度前後から需給が安定
- 九州電力10年史(1961)「設備の拡充と近代化」
- [8]創立時は水力480MW・火力550MW。大容量火力でベース、貯水池式水力でピーク調整の方針。苅田75MWは米国技術導入、上椎葉は90MWのアーチ式ダム
- [9]創立時は水力480MW・火力550MW。大容量火力でベース、貯水池式水力でピーク調整の方針。苅田75MWは米国技術導入、上椎葉は90MWのアーチ式ダム
- 九州電力10年史(1961)「年表」
- [11]1955年5月に上椎葉発電所、1956年3月31日に苅田発電所1期(75,000KW)工事完成
- [16]1953年12月17日に周波数統一委員会を設置。1960年6月30日に周波数統一完了、50系皆無
- [17]1953年12月17日に周波数統一委員会を設置。1960年6月30日に周波数統一完了、50系皆無
- 九州電力10年史(1961)「周波数の統一」
- [13]九州は一地帯内に50・60両系統が併存。1949年12月13日閣議で60統一決定、1950-51年に第1期工事、1954年に第2期開始、1960年6月30日に切替完了。1953年8月の5人委員会試算で石炭費節減161,297千円
- [14]九州は一地帯内に50・60両系統が併存。1949年12月13日閣議で60統一決定、1950-51年に第1期工事、1954年に第2期開始、1960年6月30日に切替完了。1953年8月の5人委員会試算で石炭費節減161,297千円
- [15]九州は一地帯内に50・60両系統が併存。1949年12月13日閣議で60統一決定、1950-51年に第1期工事、1954年に第2期開始、1960年6月30日に切替完了。1953年8月の5人委員会試算で石炭費節減161,297千円
- [18]九州は一地帯内に50・60両系統が併存。1949年12月13日閣議で60統一決定、1950-51年に第1期工事、1954年に第2期開始、1960年6月30日に切替完了。1953年8月の5人委員会試算で石炭費節減161,297千円
1961年〜重油で焚く新小倉・唐津の火力と、値上げから値下げへ転じた電気料金
九州電力は1960年7月、1.1755倍の料金改訂を他の電力会社にさきがけて通商産業大臣に申請した。認可は1.105倍にとどまり、改訂料金の実施は1961年3月21日。値上げの理由は、電源開発で資本費が膨らんだことと、年約16億円の水火力調整金が1957年5月の制度廃止で入らなくなったことである。送変電と配電設備の拡充も資本費を押し上げ、1954年の料金改訂で吸収した後も原価は上昇を続けた。1963年時点で苅田発電所の総工費は260億円、一ツ瀬ダムは200億円である。改訂では原価の算定期間を1年から2年に改め、料金の長期安定を図った。社長の赤羽善治氏は改訂実施前の1961年3月、新小倉1期の世界銀行借款の調印に渡米した。
- 九州電力10年史(1961)「電気料金の推移」
- [19]1960年7月に他社にさきがけ1.1755倍を申請、1.105倍が認可され1961年3月21日実施。理由は資本費増大と水火力調整金(年約16億円)の1957年5月廃止。原価算定期間を2カ年に
- [20]1960年7月に他社にさきがけ1.1755倍を申請、1.105倍が認可され1961年3月21日実施。理由は資本費増大と水火力調整金(年約16億円)の1957年5月廃止。原価算定期間を2カ年に
- [21]1960年7月に他社にさきがけ1.1755倍を申請、1.105倍が認可され1961年3月21日実施。理由は資本費増大と水火力調整金(年約16億円)の1957年5月廃止。原価算定期間を2カ年に
- [24]1960年7月に他社にさきがけ1.1755倍を申請、1.105倍が認可され1961年3月21日実施。理由は資本費増大と水火力調整金(年約16億円)の1957年5月廃止。原価算定期間を2カ年に
- 九州電力10年史(1961)「広域運営」
- [22]電源開発と送変電・配電設備拡充で資本費が増大。1954年改訂で吸収後も原価は高騰
- 企業の現代史(1963)「火の国のパイオニア(九州電力)」
- [23]苅田発電所(387,000kW)の総工費260億円、一ツ瀬ダム(18万kW)200億円
- 九州電力10年史(1961)「年表」
- [25]1961年3月10日赤羽社長が世銀借款調印のため渡米、3月16日新小倉1期借款契約成立、3月21日改訂料金実施
1961年の九州電力の見通しでは、国内の火力燃料の80%を占める石炭は国際的に割高で、増産にも期待しにくかった。新小倉発電所は、商用炭に使われてこなかった低品位炭を発電に生かす狙いで建てた発電所である。1963年時点の苅田発電所と新小倉発電所は、粉炭をボイラーに吹き込む石炭火力で、苅田では1日約4500トンの石炭を焚いた。重油は産炭地から遠い地域で石炭より安く、立地の制約が少なく建設費も安いと評価されていた。1968年版の企業要覧は、九州電力が石炭火力から重油専焼火力へ燃料を転換する方針だと記した。唐津火力発電所(15万6000KW)は1967年9月に運転を始め、重油専焼の大分火力1号基(25万KW)は1969年秋の完成予定である。
- 九州電力10年史(1961)「今後の火力発電」
- [26]石炭は火力燃料の80%で国際的に割高・増産期待薄。新小倉は低品位炭利用の目的。重油は遠隔地で石炭と競合か割安、立地制約少・建設費安
- [27]石炭は火力燃料の80%で国際的に割高・増産期待薄。新小倉は低品位炭利用の目的。重油は遠隔地で石炭と競合か割安、立地制約少・建設費安
- [29]石炭は火力燃料の80%で国際的に割高・増産期待薄。新小倉は低品位炭利用の目的。重油は遠隔地で石炭と競合か割安、立地制約少・建設費安
- 企業の現代史(1963)「火の国のパイオニア(九州電力)」
- [28]1963年の苅田・新小倉は粉炭を炉に吹き込む石炭火力。苅田で1日約4500トンの石炭
- 日本企業要覧 1968年版「九州電力」
- [30]会社概況で、今後石炭火力から重油専焼火力へエネルギー転換を図ると記載
- 企業の歴史 明治百年(1968)「九州電力」
- [31]1967年9月に唐津火力(15万6000KW)運転開始、重油専焼の大分火力1号基(25万KW)は1969年秋完成予定
1967年5月、赤羽善治氏が会長に移り、副社長の瓦林潔氏が社長に就任した。九州電力は同年3月の増資で資本金を540億円とし、経営目標の自己資本比率40%以上と定率償却100%も達成済みである。1967年度の販売電力量は148億KWhで、直近10年間で約2.5倍、年率平均8.5%の伸び。1967年8月には九重山系の大岳で、火山の噴気を使う1万KWの地熱発電所を電気事業者として国内で初めて運転した。地熱は1961年の時点で、九州の未利用資源として研究開発を進めていた電源である。燃料を輸入の重油だけに寄せず、地元の資源を電源に加える判断が大岳の地熱につながったと推察される。
- 日本企業要覧 1972年版「九州電力」
- [32]赤羽善治は1960年5月社長、1967年5月会長。瓦林潔は1959年11月副社長、1967年5月社長
- 企業の歴史 明治百年(1968)「九州電力」
- [33]1967年3月増資で資本金540億円、自己資本比率40%以上・定率償却100%を達成。1967年度販売電力量148億KWh(10年で約2.5倍・年率8.5%)。1967年8月大岳で地熱1万KW運転開始
- [34]1967年3月増資で資本金540億円、自己資本比率40%以上・定率償却100%を達成。1967年度販売電力量148億KWh(10年で約2.5倍・年率8.5%)。1967年8月大岳で地熱1万KW運転開始
- [35]1967年3月増資で資本金540億円、自己資本比率40%以上・定率償却100%を達成。1967年度販売電力量148億KWh(10年で約2.5倍・年率8.5%)。1967年8月大岳で地熱1万KW運転開始
- 九州電力10年史(1961)「九州のエネルギー資源」
- [36]九州の未利用資源として地熱に着目し研究開発に努めている(1961年)
参考文献[19]-[36]
- 九州電力10年史(1961)「電気料金の推移」
- [19]1960年7月に他社にさきがけ1.1755倍を申請、1.105倍が認可され1961年3月21日実施。理由は資本費増大と水火力調整金(年約16億円)の1957年5月廃止。原価算定期間を2カ年に
- [20]1960年7月に他社にさきがけ1.1755倍を申請、1.105倍が認可され1961年3月21日実施。理由は資本費増大と水火力調整金(年約16億円)の1957年5月廃止。原価算定期間を2カ年に
- [21]1960年7月に他社にさきがけ1.1755倍を申請、1.105倍が認可され1961年3月21日実施。理由は資本費増大と水火力調整金(年約16億円)の1957年5月廃止。原価算定期間を2カ年に
- [24]1960年7月に他社にさきがけ1.1755倍を申請、1.105倍が認可され1961年3月21日実施。理由は資本費増大と水火力調整金(年約16億円)の1957年5月廃止。原価算定期間を2カ年に
- 九州電力10年史(1961)「広域運営」
- [22]電源開発と送変電・配電設備拡充で資本費が増大。1954年改訂で吸収後も原価は高騰
- 企業の現代史(1963)「火の国のパイオニア(九州電力)」
- [23]苅田発電所(387,000kW)の総工費260億円、一ツ瀬ダム(18万kW)200億円
- [28]1963年の苅田・新小倉は粉炭を炉に吹き込む石炭火力。苅田で1日約4500トンの石炭
- 九州電力10年史(1961)「年表」
- [25]1961年3月10日赤羽社長が世銀借款調印のため渡米、3月16日新小倉1期借款契約成立、3月21日改訂料金実施
- 九州電力10年史(1961)「今後の火力発電」
- [26]石炭は火力燃料の80%で国際的に割高・増産期待薄。新小倉は低品位炭利用の目的。重油は遠隔地で石炭と競合か割安、立地制約少・建設費安
- [27]石炭は火力燃料の80%で国際的に割高・増産期待薄。新小倉は低品位炭利用の目的。重油は遠隔地で石炭と競合か割安、立地制約少・建設費安
- [29]石炭は火力燃料の80%で国際的に割高・増産期待薄。新小倉は低品位炭利用の目的。重油は遠隔地で石炭と競合か割安、立地制約少・建設費安
- 日本企業要覧 1968年版「九州電力」
- [30]会社概況で、今後石炭火力から重油専焼火力へエネルギー転換を図ると記載
- 企業の歴史 明治百年(1968)「九州電力」
- [31]1967年9月に唐津火力(15万6000KW)運転開始、重油専焼の大分火力1号基(25万KW)は1969年秋完成予定
- [33]1967年3月増資で資本金540億円、自己資本比率40%以上・定率償却100%を達成。1967年度販売電力量148億KWh(10年で約2.5倍・年率8.5%)。1967年8月大岳で地熱1万KW運転開始
- [34]1967年3月増資で資本金540億円、自己資本比率40%以上・定率償却100%を達成。1967年度販売電力量148億KWh(10年で約2.5倍・年率8.5%)。1967年8月大岳で地熱1万KW運転開始
- [35]1967年3月増資で資本金540億円、自己資本比率40%以上・定率償却100%を達成。1967年度販売電力量148億KWh(10年で約2.5倍・年率8.5%)。1967年8月大岳で地熱1万KW運転開始
- 日本企業要覧 1972年版「九州電力」
- [32]赤羽善治は1960年5月社長、1967年5月会長。瓦林潔は1959年11月副社長、1967年5月社長
- 九州電力10年史(1961)「九州のエネルギー資源」
- [36]九州の未利用資源として地熱に着目し研究開発に努めている(1961年)
1970年〜石油危機で膨らんだ燃料費と、55.9万kWの玄海1号で始めた原子力
原子力について九州電力は、1961年の段階で、採算が合う時期に始める方針のもと準備を先に進めていた。1971年版の企業要覧によると、大型企業の九州進出と既存企業の設備増強で需要は増え続け、販売電力量は前年同期比10.6%増えた。一方で燃料の値上がりと資本費の増大で、利益は横ばいにとどまる予想である。九州電力は1970年末、九州で初めての原子力となる玄海発電所(55万9,000kW)の建設に着手した。社長の瓦林潔氏のもと、1971年1月には原子力建設部長の石橋周一氏が玄海発電所建設所長を兼ねた。1972年時点では原子力1カ所を含む計2,880千kWを工事中で、10%程度の供給予備力の確保を目途とした。
- 日本企業要覧 1972年版「九州電力」
- [37]石橋周一は1969年7月原子力建設部長、1971年1月玄海発電所建設所長兼務。原子力1カ所含む2,880千kWを工事中、供給予備力10%程度を目途
- 九州電力10年史(1961)「原子力発電」
- [38]1961年時点で原子力は経済ベースにのる時期が来ればいつでも着手できるよう態勢を整える方針
- [39]1961年時点で原子力は経済ベースにのる時期が来ればいつでも着手できるよう態勢を整える方針
- [40]1961年時点で原子力は経済ベースにのる時期が来ればいつでも着手できるよう態勢を整える方針
- 日本企業要覧 1971年版「九州電力」
- [41]需要増加が続き販売電力量10.6%増。燃料値上がり・資本費増大で利益横ばい見込み。1970年末に九州初の原子力・玄海発電所(55万9000kW)建設に着手
- [42]需要増加が続き販売電力量10.6%増。燃料値上がり・資本費増大で利益横ばい見込み。1970年末に九州初の原子力・玄海発電所(55万9000kW)建設に着手
1974年3月期の九州電力は、燃料費が前期比62%増の306億8000万円に達し、経常利益は92%減った。税引き利益は87.6%減の5億4100万円となり、年1割の配当を維持できず2分の減配とした。続く1974年9月期も120億円程度の赤字が避けられない見通しである。1974年5月、社長の瓦林潔氏が会長に移り、副社長の永倉三郎氏が社長に就任した。永倉三郎氏は1934年に東邦電力へ入社し、1971年5月から代表取締役副社長を務めた人物である。1975年3月期は販売電力量が前年同期比0.6%増の130億7千万kWhにとどまり、利益41億円余を計上して配当を年8分に据え置いた。石油火力に寄せた電源構成の見直しが、新しい社長に託された課題だったとみられる。
- 日本企業要覧 1974年版「九州電力」
- [43]1974年3月期は経常利益が92%減。燃料費は62%増の306億8000万円。税引き利益は87.6%減の5億4100万円で2分減配。1974年9月期も120億円程度の赤字必至。1974年5月瓦林潔会長・永倉三郎社長
- [44]1974年3月期は経常利益が92%減。燃料費は62%増の306億8000万円。税引き利益は87.6%減の5億4100万円で2分減配。1974年9月期も120億円程度の赤字必至。1974年5月瓦林潔会長・永倉三郎社長
- [45]1974年3月期は経常利益が92%減。燃料費は62%増の306億8000万円。税引き利益は87.6%減の5億4100万円で2分減配。1974年9月期も120億円程度の赤字必至。1974年5月瓦林潔会長・永倉三郎社長
- [46]1974年3月期は経常利益が92%減。燃料費は62%増の306億8000万円。税引き利益は87.6%減の5億4100万円で2分減配。1974年9月期も120億円程度の赤字必至。1974年5月瓦林潔会長・永倉三郎社長
- 日本企業要覧 1972年版「九州電力」
- [47]永倉三郎は1934年東邦電力入社、1971年5月代表取締役副社長
- 日本企業要覧 1975年版「九州電力」
- [48]1975年3月期の販売電力量130億7千万kWhで0.6%増、利益41億円余、配当年8分据置
1976年版の企業要覧は、九州電力で石油火力の比重が高まったと記し、原子力・LNG・地熱による電源の多様化を伝えた。九州電力で初めての原子力となる玄海原子力発電所1号機(55万9,000kw)は竣工し、順調に運転した。1979年時点でも石油火力の比重は約70%あり、地熱発電所は2カ所に増えた。玄海1号機は1979年2月28日に307日の連続運転記録を達成し、九州電力は玄海2号機と川内1号機を建設中とした。1979年3月期は円高と玄海原子力の好調な運転で燃料費の負担が減り、当期利益は202億円である。1979年の第2次石油危機で燃料費は1978年末の水準の約2倍となり、九州電力は料金改定を求める方針を示した。
- 日本企業要覧 1976年版「九州電力」
- [49]石油火力の比重が高まり、原子力・LNG・地熱等で電源多様化。玄海原子力1号機(55万9000kw)竣工し順調運転
- [50]石油火力の比重が高まり、原子力・LNG・地熱等で電源多様化。玄海原子力1号機(55万9000kw)竣工し順調運転
- 日本企業要覧 1979年版「九州電力」
- [51]石油火力比重約70%、地熱発電所2カ所。玄海1号機が1979年2月28日に307日連続運転。玄海2号・川内1号建設中、玄海3・4号・川内2号計画中。1979年3月期は円高と玄海好調で燃料費減、当期利益202億円
- [52]石油火力比重約70%、地熱発電所2カ所。玄海1号機が1979年2月28日に307日連続運転。玄海2号・川内1号建設中、玄海3・4号・川内2号計画中。1979年3月期は円高と玄海好調で燃料費減、当期利益202億円
- [53]石油火力比重約70%、地熱発電所2カ所。玄海1号機が1979年2月28日に307日連続運転。玄海2号・川内1号建設中、玄海3・4号・川内2号計画中。1979年3月期は円高と玄海好調で燃料費減、当期利益202億円
- 80年代わが社の戦略(1980)「九州電力」
- [54]第2次石油ショックで燃料費は1978年末の約2倍、近く料金改定を申請する方針
参考文献[37]-[54]
- 日本企業要覧 1972年版「九州電力」
- [37]石橋周一は1969年7月原子力建設部長、1971年1月玄海発電所建設所長兼務。原子力1カ所含む2,880千kWを工事中、供給予備力10%程度を目途
- [47]永倉三郎は1934年東邦電力入社、1971年5月代表取締役副社長
- 九州電力10年史(1961)「原子力発電」
- [38]1961年時点で原子力は経済ベースにのる時期が来ればいつでも着手できるよう態勢を整える方針
- [39]1961年時点で原子力は経済ベースにのる時期が来ればいつでも着手できるよう態勢を整える方針
- [40]1961年時点で原子力は経済ベースにのる時期が来ればいつでも着手できるよう態勢を整える方針
- 日本企業要覧 1971年版「九州電力」
- [41]需要増加が続き販売電力量10.6%増。燃料値上がり・資本費増大で利益横ばい見込み。1970年末に九州初の原子力・玄海発電所(55万9000kW)建設に着手
- [42]需要増加が続き販売電力量10.6%増。燃料値上がり・資本費増大で利益横ばい見込み。1970年末に九州初の原子力・玄海発電所(55万9000kW)建設に着手
- 日本企業要覧 1974年版「九州電力」
- [43]1974年3月期は経常利益が92%減。燃料費は62%増の306億8000万円。税引き利益は87.6%減の5億4100万円で2分減配。1974年9月期も120億円程度の赤字必至。1974年5月瓦林潔会長・永倉三郎社長
- [44]1974年3月期は経常利益が92%減。燃料費は62%増の306億8000万円。税引き利益は87.6%減の5億4100万円で2分減配。1974年9月期も120億円程度の赤字必至。1974年5月瓦林潔会長・永倉三郎社長
- [45]1974年3月期は経常利益が92%減。燃料費は62%増の306億8000万円。税引き利益は87.6%減の5億4100万円で2分減配。1974年9月期も120億円程度の赤字必至。1974年5月瓦林潔会長・永倉三郎社長
- [46]1974年3月期は経常利益が92%減。燃料費は62%増の306億8000万円。税引き利益は87.6%減の5億4100万円で2分減配。1974年9月期も120億円程度の赤字必至。1974年5月瓦林潔会長・永倉三郎社長
- 日本企業要覧 1975年版「九州電力」
- [48]1975年3月期の販売電力量130億7千万kWhで0.6%増、利益41億円余、配当年8分据置
- 日本企業要覧 1976年版「九州電力」
- [49]石油火力の比重が高まり、原子力・LNG・地熱等で電源多様化。玄海原子力1号機(55万9000kw)竣工し順調運転
- [50]石油火力の比重が高まり、原子力・LNG・地熱等で電源多様化。玄海原子力1号機(55万9000kw)竣工し順調運転
- 日本企業要覧 1979年版「九州電力」
- [51]石油火力比重約70%、地熱発電所2カ所。玄海1号機が1979年2月28日に307日連続運転。玄海2号・川内1号建設中、玄海3・4号・川内2号計画中。1979年3月期は円高と玄海好調で燃料費減、当期利益202億円
- [52]石油火力比重約70%、地熱発電所2カ所。玄海1号機が1979年2月28日に307日連続運転。玄海2号・川内1号建設中、玄海3・4号・川内2号計画中。1979年3月期は円高と玄海好調で燃料費減、当期利益202億円
- [53]石油火力比重約70%、地熱発電所2カ所。玄海1号機が1979年2月28日に307日連続運転。玄海2号・川内1号建設中、玄海3・4号・川内2号計画中。1979年3月期は円高と玄海好調で燃料費減、当期利益202億円
- 80年代わが社の戦略(1980)「九州電力」
- [54]第2次石油ショックで燃料費は1978年末の約2倍、近く料金改定を申請する方針
1951年〜1979年の業績
| 決算期 | 区分 | 売上高 | 営業利益 | 経常利益 | 純利益 | 主な投資 | ||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 億円 | YoY | 億円 | 億円 | 利益率 | 億円 | |||
| 1951年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1952年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1953年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1954年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1955年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1956年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1957年03月期 | 単体 | 337 | n/a | n/a | 13 | 3.9% | n/a | n/a |
| 1958年03月期 | 単体 | 383 | +13.9% | n/a | 19 | 5.0% | n/a | n/a |
| 1959年03月期 | 単体 | 404 | +5.2% | n/a | 26 | 6.7% | n/a | n/a |
| 1960年03月期 | 単体 | 451 | +11.7% | n/a | 36 | 8.2% | n/a | n/a |
| 1961年03月期 | 単体 | 511 | +13.4% | n/a | 46 | 9.1% | n/a | n/a |
| 1962年03月期 | 単体 | 631 | +23.5% | 140 | 53 | 8.5% | 32 | n/a |
| 1963年03月期 | 単体 | 671 | +6.2% | 159 | 56 | 8.5% | 35 | n/a |
| 1964年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1965年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1966年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1967年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1968年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1969年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1970年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1971年03月期 | 単体 | 1,454 | n/a | n/a | 116 | 8.0% | 72 | n/a |
| 1972年03月期 | 単体 | 1,599 | +10.0% | n/a | 129 | 8.1% | 83 | n/a |
| 1973年03月期 | 単体 | 1,808 | +13.1% | n/a | 143 | 7.9% | 89 | n/a |
| 1974年03月期 | 単体 | 2,084 | +15.3% | n/a | 76 | 3.6% | 49 | n/a |
| 1975年03月期 | 単体 | 3,059 | +46.8% | n/a | 59 | 1.9% | 74 | n/a |
| 1976年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1977年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1978年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1979年03月期 | 単体 | 5,486 | n/a | n/a | 484 | 8.8% | 201 | n/a |
出所:ダイヤモンド会社産業総覧 1964年版 半期合算、会社年鑑
出典・参考
22件
- 九州電力10年史(1961)「九州の電気事業」
- 九州電力10年史(1961)「電力需給のうごき」
- 九州電力10年史(1961)「設備の拡充と近代化」
- 九州電力10年史(1961)「年表」
- 九州電力10年史(1961)「周波数の統一」
- 九州電力10年史(1961)「電気料金の推移」
- 九州電力10年史(1961)「広域運営」
- 九州電力10年史(1961)「今後の火力発電」
- 九州電力10年史(1961)「九州のエネルギー資源」
- 九州電力10年史(1961)「原子力発電」
- 株式会社年鑑 1952年版「九州電力」
- 会社銀行八十年史(1955)「電力」
- 企業の現代史(1963)「火の国のパイオニア(九州電力)」
- 企業の歴史 明治百年(1968)「九州電力」
- 日本企業要覧 1968年版「九州電力」
- 日本企業要覧 1971年版「九州電力」
- 日本企業要覧 1972年版「九州電力」
- 日本企業要覧 1974年版「九州電力」
- 日本企業要覧 1975年版「九州電力」
- 日本企業要覧 1976年版「九州電力」
- 日本企業要覧 1979年版「九州電力」
- 80年代わが社の戦略(1980)「九州電力」