第1章 年〜年

東日本旅客鉄道:国鉄分割民営化によるJR東日本の発足と駅ナカ事業

1987年〜住田正二氏の民営JR東日本と、首都圏ドル箱に眠る駅の空間資産

1987年4月、国鉄の旅客鉄道事業と旅客自動車運送事業を引き継いだ東日本旅客鉄道の発足。社長に就任した住田正二氏は元運輸事務次官で、採算の取れない路線建設で長期債務を膨らませた国鉄の体質を運輸省時代から批判してきた。発足時の収支見通しは、営業黒字1484億円から3兆2987億円の承継債務の支払利子2336億円を差し引き、利益を営業収入の1%にあたる148億円に収める設計だった。この収支を支えたのは首都圏で、収入の8割を首都圏から得ていた。1年目の1987年度は税引前利益が600億~700億円と当初計画の4倍前後になる見込みとなり、会長の山下勇氏は鉄道の拡大余地に手応えを示した。首都圏の旅客収入で債務を返す枠組みは、初年度から想定以上の余力を生んだと考えられる。

  • 有価証券報告書 FY24「沿革」
    • [1]1987年4月 東日本旅客鉄道㈱設立、国鉄の旅客鉄道事業・旅客自動車運送事業等を承継
  • Decide 1994年
    • [2]住田正二は1978年運輸事務次官。運輸省時代から採算を度外視した鉄道建設による国鉄の長期債務体質を批判
  • 日経ビジネス 1987年6月8日号
    • [3]1987年度見通し: 営業黒字1484億円、承継債務3兆2987億円、支払利子2336億円、利益は営業収入の1%の148億円
  • 日経ビジネス 1988年4月25日号
    • [4]収入の8割を首都圏で稼ぐ。1987年度は税引前利益600億~700億円見込みで当初計画の4倍前後。会長の山下勇氏(元三井造船社長)は鉄道拡大に手応え
    • [5]収入の8割を首都圏で稼ぐ。1987年度は税引前利益600億~700億円見込みで当初計画の4倍前後。会長の山下勇氏(元三井造船社長)は鉄道拡大に手応え

東日本旅客鉄道は1987年7月に東日本キヨスクの株式を取得して子会社とし、1988年4月には関連事業の推進体制を強めるため開発事業本部を設けた。1987年度の関連事業収入は811億円で、全体の5.7%にとどまっていた。常務の松田昌士氏の見方は、関連事業を10%から30%へ引き上げる手段は駅という不動産の再活用しかないというものである。社長の住田正二氏も、東急・名鉄・近鉄では関連事業が営業収入の30%ほどを占めることを引き合いに出し、同じ水準をめざす考えを示した。松田昌士氏が1988年に記したところでは、社員83,000名のうち鉄道事業に必要な人員を除く約9,000名が余り、その就業先となる関連事業はまだ育っていない。駅の空間は、収益源と雇用の両面で国鉄時代に使い残された資産だったのだろう。

  • 有価証券報告書 FY24「沿革」
    • [6]1987年7月 東日本キヨスク㈱の株式取得・子会社化。1988年4月 関連事業の推進体制強化を目的に開発事業本部を設置
  • 日経ビジネス 1987年6月8日号
    • [7]1987年度関連事業811億円(全体の5.7%)。松田常務: 10%から30%へ上げる切り札は駅という不動産の再活用
    • [8]1987年度関連事業811億円(全体の5.7%)。松田常務: 10%から30%へ上げる切り札は駅という不動産の再活用
  • Decide 1988年
    • [9]住田正二社長: 東急・名鉄・近鉄の関連事業は営業収入の30%ほど、同社もその水準にする
  • Mobility (71) 1988年「JR東日本の現状と今後の経営課題――63年度を迎えるに当たっての所感」松田昌士
    • [10]社員83,000名のうち鉄道事業に必要な人員を除く約9,000名が余剰、関連事業は未成熟

東日本旅客鉄道が国鉄から承継した車両は13,270両で、その約72%を在来線電車が占める。昭和40年代以降に製作された車両の多くが取替時期を迎えていたが、すべてを新車に替えるには長い期間と多額の投資が必要だった。そこで1988年度から延命工事を大規模に進め、あわせて自社の工場で車両を製作する社内新造に着手した。最初の107系電車は日光線・両毛線・吾妻線の165系急行形電車の取替用で、165系の発生品を再用した2両編成のロングシート車である。1987年度は大宮・大井・大船の3工場と新津車両所で6両を製作した。運輸車両部は1989年、2階建普通車と6扉通勤形電車の実物大模型を製作し、首都圏の混雑対策へ車両開発を広げた。承継車両の更新負担を、費用の低い方法で吸収しようとしたとみられる。

  • 運転協会誌 鉄道車両小特集 1988年「JR東日本107系通勤形電車」山本英俊
    • [11]承継車両13,270両・約72%が在来線電車。取替時期到来で1988年度から延命工事を拡大。コスト削減と社員の意欲向上のため社内新造で107系を製作(165系取替用、発生品再用、2両、1987年度は大宮・大井・大船・新津で6両)
    • [12]承継車両13,270両・約72%が在来線電車。取替時期到来で1988年度から延命工事を拡大。コスト削減と社員の意欲向上のため社内新造で107系を製作(165系取替用、発生品再用、2両、1987年度は大宮・大井・大船・新津で6両)
    • [13]承継車両13,270両・約72%が在来線電車。取替時期到来で1988年度から延命工事を拡大。コスト削減と社員の意欲向上のため社内新造で107系を製作(165系取替用、発生品再用、2両、1987年度は大宮・大井・大船・新津で6両)
    • [14]承継車両13,270両・約72%が在来線電車。取替時期到来で1988年度から延命工事を拡大。コスト削減と社員の意欲向上のため社内新造で107系を製作(165系取替用、発生品再用、2両、1987年度は大宮・大井・大船・新津で6両)
    • [15]承継車両13,270両・約72%が在来線電車。取替時期到来で1988年度から延命工事を拡大。コスト削減と社員の意欲向上のため社内新造で107系を製作(165系取替用、発生品再用、2両、1987年度は大宮・大井・大船・新津で6両)
  • Subway 1989年「新しい通勤電車--モックアップ」山本英俊
    • [16]1989年、運輸車両部が遠距離通勤用2階建普通車と近距離用6扉通勤形電車のモックアップを製作
参考文献[1]-[16]
  • 有価証券報告書 FY24「沿革」
    • [1]1987年4月 東日本旅客鉄道㈱設立、国鉄の旅客鉄道事業・旅客自動車運送事業等を承継
    • [6]1987年7月 東日本キヨスク㈱の株式取得・子会社化。1988年4月 関連事業の推進体制強化を目的に開発事業本部を設置
  • Decide 1994年
    • [2]住田正二は1978年運輸事務次官。運輸省時代から採算を度外視した鉄道建設による国鉄の長期債務体質を批判
  • 日経ビジネス 1987年6月8日号
    • [3]1987年度見通し: 営業黒字1484億円、承継債務3兆2987億円、支払利子2336億円、利益は営業収入の1%の148億円
    • [7]1987年度関連事業811億円(全体の5.7%)。松田常務: 10%から30%へ上げる切り札は駅という不動産の再活用
    • [8]1987年度関連事業811億円(全体の5.7%)。松田常務: 10%から30%へ上げる切り札は駅という不動産の再活用
  • 日経ビジネス 1988年4月25日号
    • [4]収入の8割を首都圏で稼ぐ。1987年度は税引前利益600億~700億円見込みで当初計画の4倍前後。会長の山下勇氏(元三井造船社長)は鉄道拡大に手応え
    • [5]収入の8割を首都圏で稼ぐ。1987年度は税引前利益600億~700億円見込みで当初計画の4倍前後。会長の山下勇氏(元三井造船社長)は鉄道拡大に手応え
  • Decide 1988年
    • [9]住田正二社長: 東急・名鉄・近鉄の関連事業は営業収入の30%ほど、同社もその水準にする
  • Mobility (71) 1988年「JR東日本の現状と今後の経営課題――63年度を迎えるに当たっての所感」松田昌士
    • [10]社員83,000名のうち鉄道事業に必要な人員を除く約9,000名が余剰、関連事業は未成熟
  • 運転協会誌 鉄道車両小特集 1988年「JR東日本107系通勤形電車」山本英俊
    • [11]承継車両13,270両・約72%が在来線電車。取替時期到来で1988年度から延命工事を拡大。コスト削減と社員の意欲向上のため社内新造で107系を製作(165系取替用、発生品再用、2両、1987年度は大宮・大井・大船・新津で6両)
    • [12]承継車両13,270両・約72%が在来線電車。取替時期到来で1988年度から延命工事を拡大。コスト削減と社員の意欲向上のため社内新造で107系を製作(165系取替用、発生品再用、2両、1987年度は大宮・大井・大船・新津で6両)
    • [13]承継車両13,270両・約72%が在来線電車。取替時期到来で1988年度から延命工事を拡大。コスト削減と社員の意欲向上のため社内新造で107系を製作(165系取替用、発生品再用、2両、1987年度は大宮・大井・大船・新津で6両)
    • [14]承継車両13,270両・約72%が在来線電車。取替時期到来で1988年度から延命工事を拡大。コスト削減と社員の意欲向上のため社内新造で107系を製作(165系取替用、発生品再用、2両、1987年度は大宮・大井・大船・新津で6両)
    • [15]承継車両13,270両・約72%が在来線電車。取替時期到来で1988年度から延命工事を拡大。コスト削減と社員の意欲向上のため社内新造で107系を製作(165系取替用、発生品再用、2両、1987年度は大宮・大井・大船・新津で6両)
  • Subway 1989年「新しい通勤電車--モックアップ」山本英俊
    • [16]1989年、運輸車両部が遠距離通勤用2階建普通車と近距離用6扉通勤形電車のモックアップを製作

1989年〜高架開発と東京圏駅ビル開発の設立と、東京駅を巡るJR東海との対立

1989年4月、高架下や駅の空間を開発する子会社ジェイアール東日本高架開発(現ジェイアール東日本都市開発)の設立。この前年、1988年度末の直営店は飲食260店・物販200店に達する見込みだった。ただし新宿駅や荻窪駅で展開するルミネは専門店に床を貸す貸しビルであり、自ら商品を販売する事業ではない。1989年には、民営化で事業上の制約が外れたJR各社が、駅の上空と高架下を百貨店や商業・オフィス施設に転用する計画を相次いで打ち出していた。東日本旅客鉄道は1988年5月のジェイアール東日本企画、1989年11月の情報システム部門の分社と、本体の外に専門会社を設ける体制づくりを続けた。高架下の開発を切り出したのは、鉄道の組織では賃貸と商業開発の実務を担いきれないと判断したためと思われる。

  • 有価証券報告書 FY24「沿革」
    • [17]1988年5月 ジェイアール東日本企画設立、1989年4月 ジェイアール東日本高架開発(現ジェイアール東日本都市開発)設立、1989年11月 情報システム部門を分離し子会社設立
    • [21]1988年5月 ジェイアール東日本企画設立、1989年4月 ジェイアール東日本高架開発(現ジェイアール東日本都市開発)設立、1989年11月 情報システム部門を分離し子会社設立
  • Decide 1988年
    • [18]1988年度末の直営店は飲食260・物販200店の見込み。ルミネは専門店が入居する貸しビル形態
    • [19]1988年度末の直営店は飲食260・物販200店の見込み。ルミネは専門店が入居する貸しビル形態
  • 日経新聞 1989年9月13日
    • [20]民営化で制約がとれたJR各社が駅の上空・高架下を百貨店・商業・オフィス施設に転用する計画を相次いで打ち出す

東日本旅客鉄道は1990年3月に日本食堂の株式を取得して子会社とし、翌4月に東京圏駅ビル開発(現アトレ)を設立した。発足直後の1987年には、関連事業を1991年度に1600億円まで拡大し、全体の10%とする目標を置いていた。1991年1月には社長の住田正二氏が、1割配当の実現を一流企業と呼ばれるための最低限の条件に位置づけた。関連事業の目標はその後さらに引き上げられ、1993年には21世紀初頭にグループ企業の売上を本体と同規模の2.7兆円にする方針が示された。同じ1993年に山形駅ビルが開業し、恵比寿駅ビルは1997年の開業へ向けて工事中だった。駅ビルの企画と運営を1社にまとめたことは、この売上目標を積み上げる土台づくりだったと推察される。

  • 有価証券報告書 FY24「沿革」
    • [22]1990年3月 日本食堂㈱の株式取得・子会社化、1990年4月 東京圏駅ビル開発㈱(現アトレ)設立
  • 日経ビジネス 1987年6月8日号
    • [23]関連事業は当初1991年度(昭和66年度)1380億円の計画を見直し、最低1600億円・全体の10%を目標とする
  • 日経ビジネス 1991年1月14日号
    • [24]住田正二社長: 企業として一流になる目標、最低限1割配当ができること
  • 証券アナリストジャーナル 1993年11月
    • [25]21世紀初頭にグループ企業の売上を本体と同規模の2.7兆円とする目標。山形駅ビル開業、恵比寿駅ビルは1997年開業を目指し工事中
    • [26]21世紀初頭にグループ企業の売上を本体と同規模の2.7兆円とする目標。山形駅ビル開業、恵比寿駅ビルは1997年開業を目指し工事中

JR東海は1990年5月末、東京駅からの増発が限界に近い東海道新幹線のために品川新駅を設ける構想を打ち出し、東日本旅客鉄道が承継した品川駅周辺の土地のうち6万平方メートルの譲渡を求めた。東日本旅客鉄道は追い越し線を設ければ増発できると反論し、土地は寝台列車の留置や通勤電車の増強に使うと主張した。対立は新幹線の保有形態にも及んだ。副社長の松田昌士氏は、JR東海が求める保有機構からの買い取りに対し、リース料のままの方が経営は安定するとして反対した。リース料は収益力に応じて配分され、東日本旅客鉄道の負担は2130億円と全体の30%で、再調達評価額の比率55%を下回っていた。松田昌士氏とJR東海副社長の葛西敬之氏は、国鉄改革をともに進めた間柄だった。有利な配分を放棄する理由は、東日本旅客鉄道には乏しかったと推定される。

  • 日経ビジネス 1990年7月2日号
    • [27]1990年5月末JR東海が品川新駅構想、東日本承継の品川駅周辺24万㎡のうち6万㎡を要求。7-4ダイヤが限界。東日本は追い越し線で増発可能と反論し土地は寝台列車留置・通勤電車増強用と主張。松田氏はリースのままが安定と買い取りに反対。リース料は東日本2130億円(30%)、再調達評価額比率55%
    • [28]1990年5月末JR東海が品川新駅構想、東日本承継の品川駅周辺24万㎡のうち6万㎡を要求。7-4ダイヤが限界。東日本は追い越し線で増発可能と反論し土地は寝台列車留置・通勤電車増強用と主張。松田氏はリースのままが安定と買い取りに反対。リース料は東日本2130億円(30%)、再調達評価額比率55%
    • [29]1990年5月末JR東海が品川新駅構想、東日本承継の品川駅周辺24万㎡のうち6万㎡を要求。7-4ダイヤが限界。東日本は追い越し線で増発可能と反論し土地は寝台列車留置・通勤電車増強用と主張。松田氏はリースのままが安定と買い取りに反対。リース料は東日本2130億円(30%)、再調達評価額比率55%
    • [30]1990年5月末JR東海が品川新駅構想、東日本承継の品川駅周辺24万㎡のうち6万㎡を要求。7-4ダイヤが限界。東日本は追い越し線で増発可能と反論し土地は寝台列車留置・通勤電車増強用と主張。松田氏はリースのままが安定と買い取りに反対。リース料は東日本2130億円(30%)、再調達評価額比率55%
  • Decide 1990年
    • [31]松田昌士(JR東日本)と葛西敬之(JR東海)は井手正敬とともに国鉄改革三人組。1990年6月に副社長へ
参考文献[17]-[31]
  • 有価証券報告書 FY24「沿革」
    • [17]1988年5月 ジェイアール東日本企画設立、1989年4月 ジェイアール東日本高架開発(現ジェイアール東日本都市開発)設立、1989年11月 情報システム部門を分離し子会社設立
    • [21]1988年5月 ジェイアール東日本企画設立、1989年4月 ジェイアール東日本高架開発(現ジェイアール東日本都市開発)設立、1989年11月 情報システム部門を分離し子会社設立
    • [22]1990年3月 日本食堂㈱の株式取得・子会社化、1990年4月 東京圏駅ビル開発㈱(現アトレ)設立
  • Decide 1988年
    • [18]1988年度末の直営店は飲食260・物販200店の見込み。ルミネは専門店が入居する貸しビル形態
    • [19]1988年度末の直営店は飲食260・物販200店の見込み。ルミネは専門店が入居する貸しビル形態
  • 日経新聞 1989年9月13日
    • [20]民営化で制約がとれたJR各社が駅の上空・高架下を百貨店・商業・オフィス施設に転用する計画を相次いで打ち出す
  • 日経ビジネス 1987年6月8日号
    • [23]関連事業は当初1991年度(昭和66年度)1380億円の計画を見直し、最低1600億円・全体の10%を目標とする
  • 日経ビジネス 1991年1月14日号
    • [24]住田正二社長: 企業として一流になる目標、最低限1割配当ができること
  • 証券アナリストジャーナル 1993年11月
    • [25]21世紀初頭にグループ企業の売上を本体と同規模の2.7兆円とする目標。山形駅ビル開業、恵比寿駅ビルは1997年開業を目指し工事中
    • [26]21世紀初頭にグループ企業の売上を本体と同規模の2.7兆円とする目標。山形駅ビル開業、恵比寿駅ビルは1997年開業を目指し工事中
  • 日経ビジネス 1990年7月2日号
    • [27]1990年5月末JR東海が品川新駅構想、東日本承継の品川駅周辺24万㎡のうち6万㎡を要求。7-4ダイヤが限界。東日本は追い越し線で増発可能と反論し土地は寝台列車留置・通勤電車増強用と主張。松田氏はリースのままが安定と買い取りに反対。リース料は東日本2130億円(30%)、再調達評価額比率55%
    • [28]1990年5月末JR東海が品川新駅構想、東日本承継の品川駅周辺24万㎡のうち6万㎡を要求。7-4ダイヤが限界。東日本は追い越し線で増発可能と反論し土地は寝台列車留置・通勤電車増強用と主張。松田氏はリースのままが安定と買い取りに反対。リース料は東日本2130億円(30%)、再調達評価額比率55%
    • [29]1990年5月末JR東海が品川新駅構想、東日本承継の品川駅周辺24万㎡のうち6万㎡を要求。7-4ダイヤが限界。東日本は追い越し線で増発可能と反論し土地は寝台列車留置・通勤電車増強用と主張。松田氏はリースのままが安定と買い取りに反対。リース料は東日本2130億円(30%)、再調達評価額比率55%
    • [30]1990年5月末JR東海が品川新駅構想、東日本承継の品川駅周辺24万㎡のうち6万㎡を要求。7-4ダイヤが限界。東日本は追い越し線で増発可能と反論し土地は寝台列車留置・通勤電車増強用と主張。松田氏はリースのままが安定と買い取りに反対。リース料は東日本2130億円(30%)、再調達評価額比率55%
  • Decide 1990年
    • [31]松田昌士(JR東日本)と葛西敬之(JR東海)は井手正敬とともに国鉄改革三人組。1990年6月に副社長へ

1991年〜東京駅乗入れの3.6kmと、保有機構から譲り受けた東北・上越新幹線

東日本旅客鉄道は1991年6月、東北・上越新幹線の東京—上野間(営業キロ3.6km)の営業を始めた。6月20日からは東京駅のホームで、東北・上越新幹線が東海道新幹線と並んで発着するようになった。1992年時点で東京駅の東海道新幹線ホームは3面6線、1日平均の利用者は25万人にのぼる。東北・上越新幹線の東京駅乗り入れは、東海道新幹線の利用者が増えた要因の一つにも挙げられた。東日本旅客鉄道は続く1992年7月、東北新幹線から奥羽線の福島—山形間へ直接乗り入れる山形新幹線の運転を始めた。上野で乗り継いでいた東北・上越方面の旅客を都心で東海道新幹線とつなぎ、新幹線網全体の利用を増やす狙いがあったと推測される。

  • 有価証券報告書 FY24「沿革」
    • [32]1991年6月 東北・上越新幹線東京~上野間(営業キロ3.6km)営業開始。1992年7月 東北新幹線から奥羽線(福島~山形間)へ直接乗り入れる山形新幹線の運転開始
    • [36]1991年6月 東北・上越新幹線東京~上野間(営業キロ3.6km)営業開始。1992年7月 東北新幹線から奥羽線(福島~山形間)へ直接乗り入れる山形新幹線の運転開始
  • 日経ビジネス 1991年6月24日号
    • [33]1991年6月20日、東北・上越新幹線が東京駅に乗り入れ、東海道新幹線と顔を並べる
  • Decide 1992年
    • [34]東京駅の東海道新幹線ホームは3面6線、1日平均25万人。前年6月の東北・上越新幹線の東京駅乗り入れなどで利用者が年々増加
    • [35]東京駅の東海道新幹線ホームは3面6線、1日平均25万人。前年6月の東北・上越新幹線の東京駅乗り入れなどで利用者が年々増加

東日本旅客鉄道は1991年10月、東北・上越新幹線の鉄道施設(車両を除く)を新幹線鉄道保有機構から譲り受けた。政府は残存リース料8兆1000億円に資産の再評価分1兆円を上積みし、買い取り総額を9兆1000億円とした。東日本旅客鉄道の負担は3兆円(33%)で、残存リース分は25年、上積み分は60年で返済する条件だった。上積みの1兆円は整備新幹線の建設に充てられ、JR各社は反発したものの押し切られた。買い取りを強く求めたのはJR東海で、難色を示したのは東日本旅客鉄道である。一方で社長の住田正二氏は1991年1月、新幹線をいつまでも保有機構から借り続けることはできず、減価償却による再投資ができないままでは民営化の意味が問われるとの考えを示していた。株式上場を控え、資産と債務の姿を確定させる必要は経営陣も認めていたようだ。

  • 有価証券報告書 FY24「沿革」
    • [37]1991年10月 東北・上越新幹線の鉄道施設(車両除く)を新幹線鉄道保有機構から譲受
  • 日経ビジネス 1991年6月24日号
    • [38]残存リース料8兆1000億円に1兆円上積みし買い取り価格9兆1000億円。東日本3兆円(33%)。残存分25年・上積み分60年返済。上積み分は整備新幹線に。JR東海の主張が通り東日本は難色
    • [39]残存リース料8兆1000億円に1兆円上積みし買い取り価格9兆1000億円。東日本3兆円(33%)。残存分25年・上積み分60年返済。上積み分は整備新幹線に。JR東海の主張が通り東日本は難色
    • [40]残存リース料8兆1000億円に1兆円上積みし買い取り価格9兆1000億円。東日本3兆円(33%)。残存分25年・上積み分60年返済。上積み分は整備新幹線に。JR東海の主張が通り東日本は難色
    • [41]残存リース料8兆1000億円に1兆円上積みし買い取り価格9兆1000億円。東日本3兆円(33%)。残存分25年・上積み分60年返済。上積み分は整備新幹線に。JR東海の主張が通り東日本は難色
  • 日経ビジネス 1991年1月14日号
    • [42]住田正二社長: いつまでも保有機構から借りるわけにはいかない、減価償却で再投資できず民営化の意味が問われかねない

社長の住田正二氏とJR東海社長の須田寛氏は1992年4月2日、運輸省でトップ会談に臨んだ。住田正二氏はそれまで反対してきた品川新駅構想について、『国鉄の分割、民営化の本旨に沿って当事者間協議する』という条件を付けて建設に協力することで合意した。本州3社の株式上場は本来1991年度の予定だったが、バブル崩壊による株式市場の低迷で先送りされていた。1992年夏には資産処分審議会の答申を受け、東日本旅客鉄道の株式公開が1992年度の実施へ動き出した。1991年度決算の経常利益は1080億円、1株当たりの配当金は5000円、1株当たりの純資産は12万6800円だった。JR東海との争いを収めたことで、上場に向けた障害の一つが取り除かれたのではないか。

  • Decide 1992年
    • [43]1992年4月2日運輸省で住田正二・須田寛のトップ会談、住田社長が条件付きで品川新駅建設に協力することで合意。本州3社上場は本来91年度予定もバブル崩壊で先送り
    • [44]1992年4月2日運輸省で住田正二・須田寛のトップ会談、住田社長が条件付きで品川新駅建設に協力することで合意。本州3社上場は本来91年度予定もバブル崩壊で先送り
    • [45]1992年4月2日運輸省で住田正二・須田寛のトップ会談、住田社長が条件付きで品川新駅建設に協力することで合意。本州3社上場は本来91年度予定もバブル崩壊で先送り
  • 日経ビジネス 1992年8月3日号
    • [46]資産処分審議会の答申で1992年度上場へ。1991年度経常利益1080億円、1株配当5000円、1株純資産12万6800円
    • [47]資産処分審議会の答申で1992年度上場へ。1991年度経常利益1080億円、1株配当5000円、1株純資産12万6800円
参考文献[32]-[47]
  • 有価証券報告書 FY24「沿革」
    • [32]1991年6月 東北・上越新幹線東京~上野間(営業キロ3.6km)営業開始。1992年7月 東北新幹線から奥羽線(福島~山形間)へ直接乗り入れる山形新幹線の運転開始
    • [36]1991年6月 東北・上越新幹線東京~上野間(営業キロ3.6km)営業開始。1992年7月 東北新幹線から奥羽線(福島~山形間)へ直接乗り入れる山形新幹線の運転開始
    • [37]1991年10月 東北・上越新幹線の鉄道施設(車両除く)を新幹線鉄道保有機構から譲受
  • 日経ビジネス 1991年6月24日号
    • [33]1991年6月20日、東北・上越新幹線が東京駅に乗り入れ、東海道新幹線と顔を並べる
    • [38]残存リース料8兆1000億円に1兆円上積みし買い取り価格9兆1000億円。東日本3兆円(33%)。残存分25年・上積み分60年返済。上積み分は整備新幹線に。JR東海の主張が通り東日本は難色
    • [39]残存リース料8兆1000億円に1兆円上積みし買い取り価格9兆1000億円。東日本3兆円(33%)。残存分25年・上積み分60年返済。上積み分は整備新幹線に。JR東海の主張が通り東日本は難色
    • [40]残存リース料8兆1000億円に1兆円上積みし買い取り価格9兆1000億円。東日本3兆円(33%)。残存分25年・上積み分60年返済。上積み分は整備新幹線に。JR東海の主張が通り東日本は難色
    • [41]残存リース料8兆1000億円に1兆円上積みし買い取り価格9兆1000億円。東日本3兆円(33%)。残存分25年・上積み分60年返済。上積み分は整備新幹線に。JR東海の主張が通り東日本は難色
  • Decide 1992年
    • [34]東京駅の東海道新幹線ホームは3面6線、1日平均25万人。前年6月の東北・上越新幹線の東京駅乗り入れなどで利用者が年々増加
    • [35]東京駅の東海道新幹線ホームは3面6線、1日平均25万人。前年6月の東北・上越新幹線の東京駅乗り入れなどで利用者が年々増加
    • [43]1992年4月2日運輸省で住田正二・須田寛のトップ会談、住田社長が条件付きで品川新駅建設に協力することで合意。本州3社上場は本来91年度予定もバブル崩壊で先送り
    • [44]1992年4月2日運輸省で住田正二・須田寛のトップ会談、住田社長が条件付きで品川新駅建設に協力することで合意。本州3社上場は本来91年度予定もバブル崩壊で先送り
    • [45]1992年4月2日運輸省で住田正二・須田寛のトップ会談、住田社長が条件付きで品川新駅建設に協力することで合意。本州3社上場は本来91年度予定もバブル崩壊で先送り
  • 日経ビジネス 1991年1月14日号
    • [42]住田正二社長: いつまでも保有機構から借りるわけにはいかない、減価償却で再投資できず民営化の意味が問われかねない
  • 日経ビジネス 1992年8月3日号
    • [46]資産処分審議会の答申で1992年度上場へ。1991年度経常利益1080億円、1株配当5000円、1株純資産12万6800円
    • [47]資産処分審議会の答申で1992年度上場へ。1991年度経常利益1080億円、1株配当5000円、1株純資産12万6800円

1987年〜1992年の業績

決算期 区分 売上高 経常利益純利益 主な投資
億円 YoY 億円 利益率 億円
1987年 n/a n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1988年 n/a n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1989年 n/a n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1990年 n/a n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1991年 n/a n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1992年03月期 連結 22,223 n/a 1,168 5.3% 600 n/a

出所:会社年鑑

出典・参考

16件
出典・参考
  • 有価証券報告書 FY24「沿革」
  • 日経ビジネス 1987年6月8日号
  • 日経ビジネス 1988年4月25日号
  • 日経ビジネス 1990年7月2日号
  • 日経ビジネス 1991年1月14日号
  • 日経ビジネス 1991年6月24日号
  • 日経ビジネス 1992年8月3日号
  • 証券アナリストジャーナル 1993年11月
  • 日経新聞 1989年9月13日
  • Decide 1988年
  • Mobility (71) 1988年「JR東日本の現状と今後の経営課題――63年度を迎えるに当たっての所感」松田昌士
  • 運転協会誌 鉄道車両小特集 1988年「JR東日本107系通勤形電車」山本英俊
  • Subway 1989年「新しい通勤電車--モックアップ」山本英俊
  • Decide 1990年
  • Decide 1992年
  • Decide 1994年

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